前書き
この文書は、元々は私が大学教員をしていた時に自分の研究室の学生さんたちに読んでもらっていたものです1。このような心得を役立てて頂けるのは学生さんに限らないと思い、多少改筆して公開することにしました。
技術論文は随筆ではありませんので、書くのに必要なのは文学的修辞法ではなく、シンプルな表現でロジックを明確に伝えることです2。これは訓練によって出来るようになります。
「技術論文」と銘打ってはいますが、私の専門はロボティクスですので、技術全般に通用するものではないかも知れません(それで「私の」とわざわざ付けています)。それでも、ここに書かれていることは様々な種類の文書(報告書・プレゼン資料など)の作成に応用できるはず…と思っています。
最初に考えるべきこと
論文に限らず、今書こうとしている文書が「誰に何を伝えるためのものなのか?」をしっかり考えましょう。誰かに何かを伝えるというのは、その人に新たな知識を与えるということです。相手の持つ知識集合が分からなければ、これは達成できません。とは言え、不特定多数の人向け文書の場合は読者の知識集合を規定できないので、標準的な想定読者よりも少しだけ知識が不足している人を対象にするつもりで書くのが良いです。
伝えるというのは、相手の納得を得る行為です。そのためにはロジック、すなわち仮定と演繹をつないでストーリーを展開する必要があります。どのような仮定や論理展開が受け入れられるかもまた、読者の持つ知識集合に依存することに注意しましょう。
原著論文の場合には、読者の得られる新たな知識が、人類にとっても新たな知識であることが求められます。これはとても強い条件です。書かれている事柄のうち、どこまでが人類にとって既知で、どこからが新たな知識(original contributionと言います)になるのか、言い換えればどこからが自分の提案になるのか、境界線を明確に引くことを意識しましょう。
構成・内容に関わること
タイトル
タイトルとは「最も短いダイジェスト」です。技術論文を書く目的は多くの場合、「何をどうやって明らかにした/可能にしたか」を伝えることですので、これが一目で分かるように簡潔に書きましょう3。
優れたタイトルは、それだけで内容の独創性を語るものです4。文字通り「鍵となる言葉=キーワード」を選びましょう。
章立て
章立ては「タイトルの次に短いダイジェスト」です。私が書く時の基本型は次のようなものです。
- 序論
- 提案の骨子
- 要素技術1
- 要素技術2 ...
- 評価、考察
- 結論
章見出しは「提案の骨子」「要素技術」などとそのまま書くのではなく、繋げて読んだときに全体のストーリーがおおまかに見えるよう付けるのが理想です。タイトルに用いたキーワードを含められると良いです。
関連研究が多い場合は、独立した章(2章)を当てて整理するのも悪くない方法です。
各章は、必要に応じて節~小節に分解します。節が一つしかない場合、そもそも分解の必要が無いということなので不要です。また、どの節にも所属しない文(「地の文」と呼ばれます)は書かないのが上品です。
序論
文書概要が「3番目に短いダイジェスト」だとしたら、序論は「4番目に短いダイジェスト」です(概要が無い短い文書ならば3番目です)。そして、論文中で最も大事なパートでもあります。「序論」という語を誤解してはいけません。ダイジェストというからには、論文の全容が記されていなければなりません。この段階で主張の意義・位置付けが曖昧な論文は投げ捨てられると心得ましょう。
私が書く時の基本型は次のものです。
1.1 なぜこの研究を行うのか?社会的にどんなニーズがある?
1.2 そこにどんな技術的課題がある?
1.3 それがなぜ課題になっている?(その課題が解かれたら何が嬉しい?)
2.1 従来はどんな方策が講じられていた?(講じられていなかったとしたらそれはなぜ?)
2.2 それでも解決できていないのはなぜか? 本質的困難は何か? 残された問題は何か?
3.1 その残された問題に対し、自分は何を提案するか?タイトルに使われているキーワードを使って説明するのが望ましい
3.2 その提案が有効だと言える根拠は?期待される効果は?
3.3 提案を実施した結果は?そこから言えることは?
4.1 それぞれの章に何が書かれているか紹介(短い論文なら不要)
もちろん、伝えたいことが伝わるようにすることが一番大事で、型を常に守る必要はありません。ただ、型が型であるのには理由があります。慣れないうちは型にこだわるのも一つの方法です。
流行を研究の動機としてはいけません。「近年,~が注目されている」は最も低俗な書き出しです5。逆に、これまで誰もやっていない、ということも、それだけでは動機になり得ません。どれだけ多くの第三者にとって有用な知識を提供できるかで、論文の価値が決まります。この意味で、本質的困難を問うのは大事です。自分の直面した技術的課題を、出来るだけ一般性を持たせてとらえ直しましょう。この論文を読むことで得られる嬉しさを、読者自身に想像してもらえるよう努力しましょう。
「序論」は「結論」と対になります。類似の対には「はじめに」と「おわりに」、「緒言」と「結言」、「序」と「跋(ばつ)」などがあります。どういう場合にどれを用いるべきか、明確な基準はありません。文章の格式とバランスのとれたものを選ぶのが良いです6。
2章以降
上に書いたように、2章を丸々関連研究の整理に当てることもありますが、これについては次の「参考文献」で説明することにして、ここでは上述の「章立て」と「序論」に書いた基本型に沿って記します。
「提案の骨子」では序論3.1~3.2の具体的中身を説明します。どのような事実に基づき、どのような仮説を立て、どのように問題を設定し、どのような考え方で提案内容に至ったのか、読者にロジックを押さえてもらうことが目的です。
ロジックが階層構造を持つ場合は、下層を「要素技術$k$」($k=1,...,n$)に分けて詳しく書きます。$n$は下層の数だけ設けます7。内容を理解してもらう上で、想定読者の知識集合に無い専門的知識を必要とする箇所は、特に丁寧に説明しましょう。
「評価、考察」には、提案の効果、つまり嬉しさが客観的に分かる証拠を書きましょう。評価が実験結果を伴う場合は、その実験を読者が再現できるよう、必要な条件を全て記しましょう(論文とは別に、実験が正しく行われたと客観的に判断できる記録を可能な限り残しておきましょう)。
評価には事実だけを書きます。どのような条件でどのような試験を行った結果どのような事実を得たのか。もう一方の考察とは、事実から演繹される事柄です。事実そのものとは区別して下さい。
ロジックが不足しているにも関わらず自分に都合の良い演繹を行う(そのようなものは本来演繹とは呼びませんが)のは、「希望的考察」すなわち単なる思い込みです。書いてはいけません。
「結論」は、論文の「要約」と読み替えても構いません。何が事実と分かり、何が考察できたか、何がまだ分からないこととして残っているか、簡潔にまとめましょう。本文で示していない新たな事実を載せてはいけません。また、「序論」と整合していることが大事です。いつの間にか問題設定がすり替わったりしていないか?注意しましょう。
より高次の課題解決に向けた研究の方向付けを「展望」(future work)と呼びます。単なる評価のやり残しはfuture workとは呼びませんので注意して下さい。展望は必ずしも書かなければならないものではありません。
参考文献
参考文献は、序論の次に重要です。筆者(あなた)が前提としている知識集合を読者が知る手掛かりになるからです。専門家ならば、筆者の見識・知識の確かさや公正さ、誰かがやったことの蒸し返しになっていないか、など、参考文献リストを見るだけである程度分かります8 9。リストは一般的には論文の末尾につけます。
文献を引用することは、どこまでが人類にとって既知か、境界線を明確に引くための有効な手段です。単に関連研究を紹介するだけでなく、それらにより作られてきた流れ=歴史の中で、自分の論文の内容がどのように位置づけられるかを意識して書きましょう。基本的にはこれは序論の2.1~2.2に該当しますが、「章立て」の箇所で書いた通り、分量が多くなるようならば独立した章を設けるのも悪くありません。
「~が知られている」「~と言われている」などと書いたら、その証拠となる文献を引用すべきです。さらにその頭に「さまざまな」「多くの」などとつけるならば、最低3本を目安に引用しましょう。
可能な限り、示す事柄の一次情報元となる文献を引用しましょう。同じ著者による同じような内容の文献が複数ある場合、国際誌論文>国内誌論文>査読あり会議予稿>学位論文>査読なし会議予稿>紀要の順に優先的に引用することが多いです。第三者による査読を経ており、コミュニティでよく読まれている媒体を優先する、というのが目安です(初出を明らかにしたい場合はこの限りではありません)。Wikipediaは便利な媒体ですが、引用すべきではありません。
引用する文献の内容の責任は当然その文献の筆者が持ちますが、文献を引用することの責任はあなたが持つことになります。他者が引用している文献を、内容を確認せずそのまま引用すること(「孫引き」と言います)は、引用しないよりはましですが出来るだけ避けましょう。
また、先人の論文に記されているから正しい、という主張は決して出来ない(一般的に、既知とされる事柄が真実とは限らない)ことに注意しましょう10。論文の内容の価値や正しさは、後世に何度も見直される性質のものです。
読みやすさに関わること
表現
書くときは、必要十分な表現を心がけましょう。もちろん、何が必要十分かは「誰に何を伝えたいか」によって変わりますが、例えば同じ文に同じ単語が二回以上登場する場合、その文には高い確率で無駄があります。
個々の文を、「ロジックの構成要素」ととらえて見直しましょう。同じ働きを持つ要素があったら、一つを残して他は無くしましょう。言い換えれば、無くしてもロジックが変わらない要素は消しましょう。また、ロジックの繋がらない箇所が見つかったら、文を補いましょう。
論文に限った話では無いですが、主語と述語を整合させる意識を持つだけで、英語/日本語によらず文法上の誤りを防ぎやすくなります。
用語を統一しましょう。表記ぶれは混乱の元です。また、用語の出典が分かるならば引用しましょう。
略語は初出時に何の略かを必ず書き添えましょう。分野である程度受け入れられているものであっても例外ではありません。
「極めて」「非常に」などの、程度を表す修飾語の使用はなるべく控えましょう。客観性を持つ言葉では無いからです11。
全てを言葉だけで表現する必要はありません。伝えたい事柄を最も分かりやすく伝えるための表現手段は何か?を考えるようにしましょう。手段の具体例は、数式、概念図(漫画)、写真、表、グラフなどです。次の「体裁」に書かれていることもご参考下さい。
この意味でも、「自分がこの箇所で伝えたいことは何か?」を常に意識することがとても大事です。
体裁
媒体ごとにルールが定められているはずですので、それに従いましょう。ルールがない場合に備え、次のような慣習があることを知っておくと良いです(ただし、論文執筆上の慣習は分野によって全然異なることが当たり前で、下に記す慣習は私の属するごく狭いコミュニティのものかも知れません。ご了承下さい)。
- 基本的に常体で書く
- 句読点は「。、」でなく「.,」(全角ピリオド&コンマ)とすることが多い12
- 数字・アルファベットは半角
- 全角空白&機種依存文字は使わない
- 一人称は使わない13。自分の呼称は、英語ならば"the authors"、日本語ならば「筆者ら」(どちらも三人称)
- 引用ラベルは、英語でも日本語でも引用文献の筆者名の直後に入れることが多い(例:"Smith et al. [1] proposed ..." 「佐藤ら[1]は,~」)14
数式の書き方にもルール・慣習があります。沢山あってここには書き切れないので、頻出事項だけ書き出します。
- 変数は斜体、単位は非斜体。変数に単位をつける場合には[]で囲む(例:$x$[m])
- ベクトルは頭に矢印($\vec{x}$)よりも太字($\boldsymbol{x}$)が好まれる
- ベクトルは小文字、行列は大文字(例:$\boldsymbol{Ax}=\boldsymbol{b}$)
- $\sin$、$\cos$、$\log$、$\max$、$\min$等の関数は斜体にしない(i.e. $sin$などとしない)
- 演算子も斜体にしない(無限小を表す記号$\mathrm{d}$、転置記号$\mathrm{T}$など)15
- 変数の添え字は、それが変数で無いならば斜体にすべきでない(例:$x_{i}$の$i$は変数、$x_{\mathrm{G}}$の$\mathrm{G}$は何かのシンボル、と読める)。一文字にとどめるのがスマート。太字にもしない($\boldsymbol{x_{temp}}$とかヤメテ…)
- 使用する定数・変数・独自関数は必ず初出時に定義する
- 英語論文の場合、数式は本文の一部とされることが多いので、別行立てであっても末尾には適宜","や"."を付ける(↓例)
The state equation of the system is represented by
$\dot{x}=f(x)$,
where $x$ is the state variable, and $f(.)$ is a function that defines the rate of $x$. - 日本語論文の場合、数式は本文から切り離されることが多い(↓例)
システムの状態方程式は,次式で表される.
$\dot{x}=f(x)$
ただし,$x$は状態変数,$f(.)$は$x$の変化率を定義する関数である.
図・表・グラフには、何を説明するものなのか本文を読まなくても理解できるようなラベルとキャプションをつけた上で、必ず本文から参照しましょう。
図は、できるだけラスタデータでなくベクトルデータで描くことをお勧めします。やむを得ずラスタデータにする場合は、サイズと可読性のバランスを考えて解像度を適切に設定しましょう。また、白黒印刷したとしても判別できるようなものにするのが良いです。図中のフォント(特に数式)は、本文中の表記と一致させましょう。
グラフは縦軸・横軸の意味を必ず明記しましょう。表示範囲は、そのグラフを通して何を伝えたいかによってロジカルに決まるはずです。
TeXを使うことを強くお勧めします。参考文献一覧の作成には、bibtexが便利です。数式を書く場合はamsmath + amssymb + bmを使うと良いです。
言わずもがななこと
投稿前に、できるだけ「多くの目」を通す(添削してもらう)ことを強くお勧めします。当たり前のことですが、少なくとも共著者は全員目を通しましょう16。
-
さらに元々は私自身に向けて書いたものです。 ↩
-
偉そうに書いてますが、私自身が学生時代に指導教員に言われたことです。 ↩
-
読者の興味を誘うために敢えて謎めいたタイトルをつける高等テクニックもありますが、基本を身に着けた上で使うべきです。 ↩
-
そんなタイトルを付けられたらなぁ…と毎度思っています。 ↩
-
存在しない流行をでっちあげるのは以ての外です。 ↩
-
そのバランス感覚を培うには、多くの論文を読むことです。 ↩
-
$n$があまりに大きくなる場合は、論文を分けることも検討すべきです。 ↩
-
特定の思想に偏った(希望的考察をしたがる)集団に属している場合、すぐにばれます。その時点でまっとうな読者は身構えます。 ↩
-
自分は独創性の高い研究をしているので関連研究が少ない、とのたまう人がいますが、不見識も甚だしいです。アイザック・ニュートンが「私は巨人の肩に乗っただけだ」と言った故事を思い出しましょう。 ↩
-
実際、議論の最中にこのような主張をしてきた研究者がいたので驚いたことがあります。 ↩
-
客観性を以てしてもやはり程度が甚だしい場合、敢えてつけることはあります。 ↩
-
私の感覚だとやや気持ち悪いのですが、仕方がありません。 ↩
-
最近は"we"も受け入れられている印象がありますが…。 ↩
-
参照ラベルを独立した単語として扱う流儀の媒体もあります(例:"It is mentioned in [1] that ..."「[1]では~」)。これも媒体のルールに倣いましょう。 ↩
-
$\varDelta$が演算子かどうかは微妙かも? ↩
-
学生さんの論文を明らかに指導教員が添削していないケースが多過ぎ!大学の先生、仕事して下さい! ↩