瀬賀勇也(せがゆうや)と申します!
キャリアについての記事ということで軽く自己紹介をすると
現在、株式会社SORICHという会社で執行役員をやっており、会社経営における仕組みづくりや社内マネジメントと同時にシステムエンジニアとして手を動かしています
会社が急成長をしている今、私個人の今後のキャリアとしては会社経営寄りにシフトしていきたいないなと思いつつも、エンジニアとして生きていくことを諦めきれずダラダラと忙殺される日々を過ごしております
そんな将来に頭を悩ませている中、Qiitaで開催中のイベントを目にし、「これは良い機会だ」と思いまずいままでのキャリアを整理して記事にしてみようと思い立った次第です!
社会入門期(20歳〜23歳)
大学を1年少しで中退し、中途で不動産賃貸の営業職に採用され、働き始めます
すごく大変な仕事ではありましたが、ここで礼儀や社会人としての基礎をたたきこまれることとなります
社会人マナーをたたきこまれる
まず大学で遊んでばかりいた私に突きつけられた試練は以下でした
- 言葉遣い
- 飲み会作法
- 報連相
- すぐ調子乗る
社会人としての基礎がまったくできておらず、店長に怒鳴られる毎日・・
辿々しい敬語を使い、びくびくしながら報連相をし、調子にのると怒られるので成果と感じることがあっても謙虚を心がける
この日々で「社会人としての私」という人格が形成されたんだなぁと思います
社会のルールを知る
ほとんどの会社で意識されていることと思いますが、売り上げの「締め」というのが毎月月末にあります
勤めていた会社での例外ではなく、この締めに向けてどれだけ売り上げをたてられるか、また着金確認ができるかというのがメインのお仕事となります
これは店での居心地を左右する重要な指標となります
売り上げが立ってない月は月半ぐらいから徐々に風当たりが厳しくなり、店での居心地が悪くなります
「売り上げが低い者はいい人の手伝いだ」ということで営業時間を手伝いに浪費することとなり、さらに売り上げがたたなくなります
一方売り上げが立っている月はというと、笑顔で肩を揉んでいただけます
みなさんに若干のお手伝いをいただきながら、接客機会も増やしていただけ、さらに売り上げがたちます
ここで、仕事というのはやはり 結果と初動が全てなんだな と思うようになります
好循環作り続けることは難しいことであり、悪循環に陥っている時はそれを覆すために他人より努力する覚悟と行動力が必要であることも同時に悟ります
駆け出しエンジニア期(23歳~26歳)
毎月の売り上げに命をかけていくことがしんどくなったのと、中学生の頃から興味のあったHP作成の仕事がしたくなったという理由でシステムエンジニアの道を志し、自宅学習をこつこつ重ね念願の職につくこととなった私は
「エンジニアの仕事は楽で、コード書くのも楽しいな、一生この仕事してたい!」
などと入社当時が思っていましたがすぐに考えを改めることとなります
社長と技術部長との出会い
「ざっくばらんにお話ししましょう」 から始まった採用面談で衝撃を受けました(圧迫じゃない!優しい!)
終始物腰柔らかな社長と、優しく技術の理解度を確認してくれる技術部長を見て社会への認識が変わりました
絶対にお役に立てるようなエンジニアになりたいと意気込み入社を決めました
OCJP Silverをとりたい → とれない
技術部長から、まずはOCJP sliverを取得せよとの指示があり、必死に勉強しました
当時通勤時間が往復2時間と少しぐらいありましたがこの時間で試験対策本熟読、座れたらパソコン開いて写経みたいな生活です(もちろん家帰ってからもやりますよ)
ただ私、資格試験が本当に苦手なのです。
勉強すればするほどjavaコードをすらすら書けるようになるのですが、試験だけが受からない・・
次第に「資格なんかになんの意味があるんだろう・・」や「資格なくたって書けるし・・」みたいなことを考え始めます。
ここで 「いやー資格だけはなぜか取れないんだよね、僕」 の言い訳を連呼する私が出来上がりました
はまってるときはとにかくコード書くのがつらい
必要な新人研修を一通り受け、テスト要員としての仕事も一定期間行い、初の実装案件として待ち受けるのはPHPです
先輩達からは「javaもPHPもたいして変わらないよ」や「javaそんだけ書ければ全然余裕だよ」と後押ししてくださいます。
が、
「え、なに$ってjavaにないんだけど」
「インターフェイス?javaのinterfaceとは違う?APIのインターフェイスってなんですか?ガイブセツゾク?」
「フレームワークってのいうのは何かまた勉強すれば良いですか?え?独自フレームワーク?〇〇さんに聞くしかない?」
立ちはだかるPHPという壁が高すぎて挫折しました・・(その後泣きながらPHPを勉強した話は割愛)
あ、実装(仕事)って楽しい事ばかりじゃないんだなぁ と悟ったのはこの頃だったと記憶してます
とにかく案件経験を積みたい
ここまで読んでくださった方々はなんとなく察してきているかもしれませんが、私、技術者としてセンスない方なんです
自身も認めたくないがなんとなく気づき始めているそんな頃です。
綺麗なコードを書くことはできないけど、経験さえ積めばきっと技術者としてやっていけると思い
「土日でもGWでも年末年始でもいいので、スポットでSESにださせてください」
と社長に直談判し1〜2年はいろんな現場を休みなく転々としながらとにかく実装漬け、働きまくりで経験を積ませてもらいました
- 現場のお客さんとの関係構築方法
- 1週間程度の限られた期間で初見のアーキテクチャで結果を残すには
- 実装上必要最低限の業務仕様をインプットするには
- 開発環境がいかに大事か
この経験をしてから上記のような仕事力や技術力が格段に跳ね上がり、今でも役に立っています
過酷な労働環境と意欲の低下
そんな仕事の仕方をしていたせいか、「残業癖」がつきました。(元はと言えば自分から望んでって感じですが)仕事をなんでもかんでも引き受けては
「明日の朝までになんとかすればいいっかー」
「進捗やばいけど土日にやればいっかー」
「朝起きたら実装終わってたわ草(無意識で実装してる」
もうこの頃には綺麗なコードを書こうとか、最適な設計はなんだなどという思考はまったくといっていいほどなく、とにかく目の前のタスクを納品日までに終わらすの一点集中でした
次第に残りの体力も気力もなくなり、技術者としての成長意欲も失っていた私は転職を決意します
私にとってエンジニアの仕事は
「エンジニアの仕事は辛くて、コード書くのは作業で、一生この仕事は無理だなぁ」 でした
寄り道期(27歳~29歳)
頑張り続けることはなかなか難しいです・・
転職して出会った会社が今も所属しているSORICHとなります
今まで経験してきた2社とはあきらかに空気感が違い、良くも悪くも「会社っぽくない会社」と表現するのがまぁ適切だろうと思います
この寄り道期では頑張ることをやめ、仕事以外のことに比重を変えた充電期間でしたのでさらっと解説。
macデビュー
技術部長の影響でずっと誓っていたThinkPadから卒業し、macOSデビューを果たします
実はSORICHでもしばらくwindowsを使っていたのですが、勢いよく迫り来るmac移行の波に逆らいきれず・・
同時にショートカットキー生活ともおさらばしております
飲みに行きまくる
営業時代の方が飲みに行っていた気はしますが、終業後同僚達とよく飲みにでていました
酒が入るとつい語りがちな性格なため、いつも次の日には思い出して恥ずかしい気持ちになりますが、そうした意見交換が仕事のやる気につながるのでとても良かったです
プロダーツプレイヤーになる
余暇ができたため16~20歳のころまで趣味でやっていたダーツを再開します
そこそこ腕前には自身があったのと、友人に背中を押されたのもあり、PERFECTという団体のダーツプロ資格取得
結局、地方遠征や練習にもすごいお金がかかるため、しっかりやり切ることはできず、思い出作り程度で引退してしまいました
会社を成長させたい期(30歳~33歳)(いまここ
さて、充電期間も終え、コロナが流行ったり、社内でも体制の変更等々があり、このころから執行役員としての活動が始まります(充電期間中もまぁまぁぼちぼち仕事は頑張ってたと思います)
任命されたからには絶対にお役に立てるような執行役員になりたいと意気込み(どっかで聞いたセリフ)、アクセル全開で業務に取り組んでいきます
自社サービス開発を主導(もちろん実装には自分も参加)
「自社サービスをもつ」というのは長く会社の夢であったというのを伺いました
体制も強化されたということで、まぁドアノック的な意味合いも込めてできたらやりたいねぐらいの温度感ではありましたが、夢を叶えるべく一肌脱ごうではありませんかということで立ち上がります。
やるからには普段の業務では体験できないような面白い技術要素でやってみたいということで、
バックエンド:kotlin(spring boot)
アプリ:flutter
なぜkotlinかというと、私はjavaが好きなので少しでも関連のあるモダンな言語を選びたかったという理由
なぜflutterかというと、「キテた」から。
の構成で進めることとし、開発を主導することとなります
とはいえ当時の弊社に資金的な余力はないし、現実的なマネタイズ計画があるわけでもないため、私必殺の経験積ませてください技「サビ残」を発動することとなります(今は役職付きですからね、裁量です)
現在は開発フェーズを終えテスト準備期間というところです
気付け約3年の月日がたち、リリースも間近です
ひとえにここまでこれたのはバックエンドがkotlinだったk会社のみんなのおかげです、ありがとう
制度改革と組織改革むずい
冒頭、SORICHの印象を以下のように語りました
良くも悪くも「会社っぽくない会社」と表現するのがまぁ適切だろう
なぜかというと弊社、とにかく自由なんです
ただし、自由には責任が必ず付きまとうもので、小規模だった頃には良かったものが人が増えてくると崩壊しかけている点がいくつかあります
「自由」という良い社風を残しつつ、ルールや制度を通して悪くなるリスクを抑制していくのがとても難しい・・
また、3ヵ月に一度に開催される総会や1on1を通じて、みんなからのざっくばらんな意見頂戴し恐縮しながら取捨選択
まずは同じ会社の仲間を安定的に幸せにできるよう、誠実で健全な組織運営をしていきたい所存です
これからの私
いままで、「その時その場所で求められることを全力で」 ということに注力してきたんだなと振り返ります
これからもそれは変える必要もなさそうですし、つもりもありません
まだまだ体力もあるつもりですので、組織運営とエンジニアリングの両立というものももう少しの間だけ追い求めたいと思います
まとめさせてください
キャンペーン記事のにもありました「エンジニアの市場価値を高めていこう」というテーマについて、駆け出しから30半ばまで私がどのような意識で仕事に取り組んだかとその所感をまとめます
- やっぱり結果が全て。結果を出すためには初動が大事
- プロセス、姿勢などももちろん評価につながるけど、目に見える結果を出してる人にはやはり勝てない
- 仕事って楽しい事ばかりじゃない、むしろ楽しくない仕事の方が多い
- 楽しい案件に巡り会えたら大切にしよう
- 頑張り続けることはなかなか難しい
- めりはりつけてしっかり休む
- ただしやるときは本気でやろう
-
「その時その場所で求められることを全力で」
- しっかり仕事に向き合えていれば、評価されます。必ず見てくれてる人がいます
- そのちゃんと身についてるのでときの努力が無駄になることなんてない
最後に紹介をさせてください
弊社、株式会社SORICHは、クラウドネイティブなアプローチを得意とするシステム開発会社として2006年4月からサービスを提供しています。コロナウイルスの流行を受け、2020年3月から社員の9割以上がテレワークで勤務をするようになりましたが、現在も変わらず大手外資系企業をはじめとしたお客様からご愛顧をいただいております。
代表・馬屋原は学生時代にエンジニアの過酷な労働環境を目の当たりにし、「エンジニアが幸せに働くことができる場所を作りたい」という思いから大学を卒業後すぐに当社を設立いたしました。社名の由来でもある「社会を豊かに」という企業理念のもと、会社に関わる全ての人の豊かさのループの始点となれるよう、今後も技術力を活かして社会に貢献してまいります。
Qiita記事も積極的に投稿しています、ぜひこの機会に別の記事もご覧いただければ幸いです!
noteでは、社内活動について記事を執筆し、投稿してます。
こちらもぜひ!