この記事は、SIer脱出を語る Advent Calendar 2019の24日目の記事です。
https://qiita.com/advent-calendar/2019/sier
本記事のサマリ
- なぜ、大手SIerに入ったのか?
- なぜそこから卒業しようと思ったのか?
- なぜ、スタートアップにいったのか?
対象読者
- SIerからスタートアップ企業に転職を考えている方
- SIerからスタートアップに転職した同士
はじめに
私は、最初の会社では、2008年に新卒で大手メーカー系のSIerに入り、インフラ、サーバサイド、プロジェクトリーダー、プレSEなど幅広く経験を積みました。
その後、2016年にギノ株式会社に入り、2019年12月現在は、開発部隊の一番上にいて、採用活動や組織作り、開発の運用改善など、幅広くやっています。
SIer時代
なぜ入った?
- ワンストップ※での開発力があること(幅広く経験することが、将来的に役に立つと考えていた)
※要件定義から初めてリリースまでを行い、その後のEOLを迎えるまでの運用・保守・エンハンスを指しています。 - 様々な顧客を相手にしていること(なるべく幅広い知見を得られた方が、将来的に役に立つと考えていた。)
- システム開発をしている会社であること(マネジメントなんかより、開発経験を積みたかった)
- 技術者を大切にする会社であること(資源の無い日本において、最強の武器は人であると考えていた。
特に日本人の真面目さとか勤勉さは、世界に誇れるところだと企業側が理解し、人(技術者)を重宝してくれるところで成長したかった)
ここに詳しくまとめています。
どんなことしていたの?得られたものは?
開発をメインでやれそうということから、一番の親会社ではなく、子会社(子会社とはいえ、当時は一部上場していて、業績もよさそうにみえた)に就職したのですが、自身で開発ができる部隊(主に親会社の案件を受託する部隊)と、自身で開発がしづらい部隊(外販をして、一次請けとなり、プロジェクトのマネジメントを推進する部隊)とがあり、私は後者の部隊に入りました。
これは、当時は携帯の普及が一通り終わり、モバイルの分野は、まだまだ伸びそうだと考えていたため、モバイル向けの企業を相手にしている部署に入ったことに起因しています。当時は、開発ができる部隊としづらい部隊があるとは知らず(私の調査不足です、ハイ...)伸びしろのある部隊を第一志望にして、それが通ったという形です。
基本的には、ゆくゆくはプロジェクトマネージャーを目指すというのが、求められたキャリアだったのですが、
手を上げさえすれば、(+αの業務になることは多かったのは事実ですが)、いろいろなことを経験する機会が多かったかったように思います。例えば、以下のような経験をしました。
- インフラ経験(OS・ミドルの手配やセットアップ、データセンタに入ってシステムのリリース)
- プレSE経験(RFPをもとに提案資料を作成する)
- 顧客要件の整理と仕様詰め、および開発メンバーとの中継役(本業)
- マネジメント経験(本業)
- Javaを使ったWebアプリの開発
- 開発生産性向上のためのあれこれ(Jenkins、デプロイツール作る、Redmine入れる、チーム内にIRCの浸透をさせたり、HipChatクローンのKandanを入れてみたり
- Androidの生産性向上
また、特筆すべき事として、常にどこかで炎上案件が発生しており、そこに首を突っ込んでは、非常にレベルの高い人の振る舞いを直にみつつ、知見を得られたのは、今でも大きく+に働いています。
「苦労は買ってでもしろ」というのは、言い得て妙です。
そのあたりの詳細は、ここにまとめています。
-> 正直、SIerに残って、変えていくということも最後まで、選択肢としては考えていましたが、それは何年もかかる話(1万人を超える大きな企業の企業文化を変える、ビジネス構造を変えるのは、個人では何もできないに等しい)で、仮にそれをやり続けたとして、社会貢献度は低いかなと判断しました。
スタートアップ時代
なぜ入った?
SIer時代は、やる気のある開発者に、いろいろアドバイスをしたりするのが好きだったのですが、いわゆる多重下請け構造の場合、「やる気のある開発者」に巡りあっても、プロジェクトの経過とともに離れ離れになってしまったり、そもそも直接教えるのはご法度という状況であり、やるなら自社Webがいいなと思っていたのが自社Webに入った理由です。
また、SIer時代に本来大活躍できる技術スキルセットを持ったエンジニアが、あまりできない人を複数人囲い込んで疲弊している惨劇を多く見かけており、「そういった状況は非常に社会にとってもったいないな」「もっとエンジニアが活躍できる状態にできたら、今後の世の中のためになると思うんだけどな」という考えに、fitしていたのが、paizaでした。
さらに加えて、「大企業病」というキーワードをよく耳にしていて、私自身それを感じるシーンも多かったのですが、「大企業ではない企業にいたこともないくせに、大企業病とは片腹痛い」と思っていたので、両者の視点で語れるようになりたいと思って、それならば振り切ってスタートアップ企業に行ってみるのも、(仮に大変でも)自身の成長になるだろうと踏んでいたところで、ちょうどpaizaに巡り合った感じです。
入る上で役に立ったことは?
大きく3つあります。
GithubやBlog(Qiita含む)に勉強したことをアウトプットしていた
私は、 を運営している会社に入ったのですが、私自身は、業務における開発者としての経験は、少なめでした。私の本業は、開発者と発注者の間に立って、仕様の調整や工数管理をやるのがメインで、開発力がどんどん衰えていく感覚があったので、その分を補うために、趣味で開発したり勉強したものを、GitHubにOutputしたり、Qiitaに書いたりすることで、採用面接のときに私の代わりに成果物に語ってもらったような印象があります。
実践的な小さい開発案件を積み上げておいた
自分の趣味や興味だけだと、勉強する領域が非常に偏ってしまうのと、あまり実践的ではないことも多かったため、coconalaと言うサービスで、ちょっとした開発のサポートやアドバイスをすることで感覚を磨いていました。
採用面接で、paizaの代表と話をするときは、ここに興味を持ってもらって、盛り上がった印象があります。
業務の忙しさ << 自身の成長 というポリシーでやってきていた
業務は、残業100時間が1年連続で続くようなこともあったのですが、私自身の基本的な考えとして、自分が如何に成長できるか?というポリシーで一貫していたため、残業も多いけど、さらに炎上案件に首を突っ込んだり、他の人がやりたがらないことが多かった、インフラ周りやプレSE的なことも幅広く食べていたので、いつの間にか、技術も幅広く(浅いですが)わかりつつ、顧客調整やメンバーマネジメントもできる希少な存在になれたように思います。
得られたものは?
ちなみに、paizaのサービスに関わるようになって、大企業の良さもわかりつつ、スタートアップを成長させていく上で、大きなものとして想像していなかった組織の拡大における不調和もあり、技術だけじゃなく多面的に成長しているなと感じる日々です。
ただ、組織規模はまだまだ小さいので、その分個人に委ねられた裁量と責任は大きいので、道中楽しみながら、必死に走っている、師走でございます。
技術的な話だけなら、技術書やWebの資料で学べたりするのですが、それだけではなく、組織文化を成熟させたり、チームを成熟させたり、まだまだ学ぶべきことは多いなということに気づけたというのが大きなところかなと感じます。おそらく、大企業にいたままだと、そこに気づかずに井の中の蛙になってしまっていたと思うので、出てきてよかったなと、しみじみ思います。
おわりに
結局のところ、キャリアは思い描いた通りにはならないので、明確なキャリアを描く必要はないのかなとは思っていますが、自分自身に問いかけて、「自分はこの人生で何をやりたいと思っているのだろうか?」ということを考えながら、SIerからの脱出を測るなり、測らないなりをチョイスするのがよいのかなと思います。ただ、脱出したいと思った時に脱出できない状況というのは、もったいないので、日々精進するのがおすすめです。