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戸籍謄本を取ってルーツをたどる話(その2)

Last updated at Posted at 2022-12-17

ここまでの流れ

  • 父系の戸籍を行けるところまで遡った

その1では自分の戸籍謄本から父兄を遡っていき、もう少し奥があるかと思いきや、思わぬところで終わってしまった。結局祖父の本当の父は今のところ謎。

ステップ2-1 母の婚姻前の本籍地の戸籍を取得する(鹿児島市)

父方の父系を一応最後まで辿ったので次は母方の父系をたどる。母が結婚するまで本籍地だった鹿児島市に請求を行うことにする。

鹿児島には自分が生まれてから兄が幼稚園に上がるまではわりと長く滞在していたらしい。とはいえ踏切からブルートレインを見ていたこと以外はほぼ記憶にはない。小学校1、2年生の夏休みにも1ヵ月以上滞在しており、その時のことはわりと覚えている。毎朝バスターミナルの近くの朝市に通っていた。

その後鹿児島に行くどころではなくなり、祖母が危篤になった18の頃まで行くことはなく、その後のことはわからない。親戚との交流も全くないが母は8人兄弟姉妹の末っ子で多数の親戚がいるはずだ。

母系といえどもこれまでと変わらず。請求する鹿児島市に自分の戸籍はないので、最初に取得した自分の名前が載った改製原戸籍のコピーが必要となる。それ以外は身分証明書や定額小為替など普段戸籍謄本を請求する際に必要となるものを入れて封書で請求を送りつければいい。基本的にはやることは同じなのでわりと慣れてきた。

  • 鹿児島市のサイト

数日経つと、鹿児島市から電話がかかってきた。必要な枚数がわからないというので、1枚でいいですと返事をするとそれで終了。久しぶりに鹿児島弁を聞いた気がする。

改製原戸籍が届く

待っていると数日後に改製原戸籍が2通送られてくる。
祖父が筆頭者になっているものと、曾祖父ではない人が筆頭者になっているもの。祖父の兄と書かれている。昭和32年2月に転籍して、10月に分籍したらしい。

これはその1でも書いたが、昭和32年に戸主制から筆頭者制の新しい様式に改製された際の影響だろう。いったん機械的に変更されてその後世帯ごとに分割されたようだ。

それ以前の戸籍については昭和32年までは曽於郡大崎町というところに本籍があるのでそこに請求してくれと手紙が入っている。

謄本により判明したことは以下の通り。なお、記載されている名前を調べるといくつか興味深い情報が見つかったためそれについても記載しておく。父方については興味深い情報は皆無であった。いずれにせよ記載されている人物は全員が親戚ではあるがほぼ関わりのない故人である。

除籍謄本により判明した家族の情報

  • 祖父は明治31年生まれ、19世紀生まれ。自分が生まれたときに生きていれば76歳だった模様。
  • 祖母はやはり「ヒデ」と濁点が付いている。こちらが正しい。人間が絡むとミスが起きるのを実感する。
  • 男4人兄弟と聞いていたが、祖父の家にいた無職の叔父さんは五男
  • 祖父の兄と祖父は母の名前が違う

ちょっと検索して得た情報

  • 祖父の兄は警察署長から鹿児島の支庁長になったらしい
    • ちなみに母方は祖父も母の兄(長男)も警察官、従兄弟も警察官と結婚している警察官の多い一族である。
  • 六麓荘に住んでいると聞かされていた親戚の名前が過去の六麓荘の住所情報にある。本当だったのか。
  • 大手企業に買収されてそこの取締役になっているミスター榎本のような経歴のようだ
    • 祖母の家にいた無職の五男おじさんは権力闘争に負けた六麓荘の人と一緒に職を辞したという話は本当だったっぽい。もしかするとアーリーリタイアのお金持ちだったのかも。
  • 六麓荘に住んでた人の義父は横浜正金銀行頭取席為替課長だったらしい。名前と住所が一致する

そして一番付き合いのあった伯母を含めて母の兄弟の情報がまだ欠落している。戸籍の変更以前に結婚などで戸籍を離脱しているのだろう。学んだ。

  • かかったお金 1500円

ステップ2-2 祖父母一族の戸主制のときの戸籍を取得する(曽於郡大崎町)

次の段階として、曾祖父母ならびに母の兄弟姉妹全員の情報を得るためにも鹿児島市から得た上位DNS情報から曽於郡大崎町に再帰問い合わせ行う。

  • 大崎町のサイト

いつも通りの書類を送り曽於郡大崎町に請求すると、除籍謄本が2通返ってきた。戸主が祖父の兄である父方の方でも見た明治31年式戸籍と、曾祖父が戸主となるもう一段階古い様式の戸籍だ。兄といっても長男は曾祖父よりも早世したので二男が家督を継いだらしい。(祖父は四男)
2通だが戸主制のときの家族は子供世帯まで入っているので1通の人数が多い。多い方には30人もいる。

祖父の兄が戸主である除籍謄本には鹿児島市の戸籍には存在していなかった人も含めて母の兄弟の情報がすべて書かれていた。8人兄弟だと聞かされていた母の家族だったが10人兄弟だった。男子2人が早世したようだ。

曾祖父の方の除籍謄本には「明治5年以前相続」と書かれていた。この様式は明治19年式戸籍と言われるものでこれが現在取得可能な一番古い戸籍だそう。この前に明治5年に作成されたいわゆる壬申戸籍が存在するようだが閲覧は不可能らしい。曾祖父は嘉永2年ということで1849年生まれだそう。生きていれば170才。ペリーが日本に来るより前なのか。

大崎町からの除籍謄本により判明した家族の情報

  • 曾祖父は嘉永2年生まれ。離婚の記載がある。
  • 高祖父については亡父として名前だけ記載がある。生年不明。
  • 祖父の母は継母。継母という続柄があるのか。
  • 祖父の兄の母は離婚した元妻とも継母とも違う名前の人。
  • 祖父の兄の妻は継母と同姓でほぼ同じ戸籍なので少なくとも親戚だとは思われる。
  • 祖父は一回養子に出て戻ってきている。
  • 祖父は5男4女だが、出生時に3人死んでる。
  • 母は8人兄弟ではなく10人兄弟

明治5年の戸籍(明治19年式戸籍というらしい)の特徴的なこと

  • 父母の記載はない
  • 消されたような不自然な空白が多くある

  • かかったお金 1500円

母方の父系に関しては予想通り曾祖父までで打ち止めになってしまった。

次は両家の祖母の情報を遡りたい。祖母の親戚については興味深い話を聞いているので本当かどうかわかるといいな。

(その3に続く)

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