はじめに
ダグラス・ホフスタッターによる2つの著作は、連続したテーマが扱われています。
- 『ゲーデル、エッシャー、バッハ:あるいは不思議の環』(1979)
- 『わたしは不思議の環』(2007)
GEB本が有名でかつモチーフの引用部分が読み物として面白いことテーマのミスリードにもなっている面があります。
が、共通したテーマの主幹は、『意識』についてです。
本の中で語られる、意識の創発要因である「自己参照のループ」=「不思議の環」 について、整理します。
『ゲーデル、エッシャー、バッハ:あるいは不思議の環』
『ゲーデル、エッシャー、バッハ:あるいは不思議の環』(通称『GEB本』)は、ダグラス・ホフスタッターによって1979年に出版された、数学、芸術、音楽を横断する思索を提供する本です。1980年ピュリツァー賞を受賞しています。
この本では、ゲーデル(数学)、エッシャー(美術)、バッハ(音楽)の異なるモチーフを通じて、自己言及性、意識、および「奇妙なループ」という概念を探求しています。
自己言及性と不思議の環
「自己言及性」は、ある文や式がそれ自身を参照する性質を指します。
この循環的な自己参照は、エッシャーの不可能な図形やバッハの音楽の中に見ることができます。
ゲーデル(数学) | エッシャー(美術) | バッハ(音楽) | |
---|---|---|---|
主な概念 | 不完全性定理 | 不可能な図形、無限のパターン | フーガ、カノン |
自己参照 | 体系内で自己の限界を示す命題 | 図画内で互いに描かれる手 | 一つの音楽的主題を反映し、変形させる |
無限のループ | 命題が真実であるが証明不可能なパラドックス | 無限に続く階段や変わりゆく図形 | 音楽的フレーズの無限反復と変奏 |
構造的相似性 | 論理的枠組み内の矛盾と限界 | 視覚的パラドックスと無限回帰 | 音楽的主題の組み合わせと展開 |
意識への関連 | 論理と数学的思考の基盤 | 視覚認識と認知の挑戦 | 聴覚と音楽理解の複雑性 |
『わたしは不思議の環』(I Am a Strange Loop)
ダグラス・ホフスタッターの2007年の著書で、GEBの続編にあたります。
『わたしは不思議の環』において、GEBの中心的なメッセージに焦点を当て、心のユニークな特性を記述するために使用する方法を示しています。
命をもたない物質からどうやって〈私〉は生まれるのか?
不思議の環(strange loop)
「不思議の環」とは、階層的な構造の中で、上位のレベルが下位のレベルに戻って接続するという概念です。
上の図では、あるレベルから始まって階層を下っていくと、最終的には出発点に戻ってくるようなパターンです。
私が言う「不思議の環」とは、物理的な回路ではなく、抽象的なループのことであり、その中で、循環を構成する一連の段階の中で、ある抽象的なレベル(または構造)から別のレベルへのシフトがあり、それは階層の中の上向きの動きのように感じられるが、なぜか、連続する「上向きの」シフトが、クローズドなサイクルを生み出すことになる。つまり、自分の原点から遠ざかっているという感覚にもかかわらず、衝撃的なことに、自分がスタートした場所に戻ってしまうのである。要するに、不思議の環とは、逆説的なレベル横断フィードバックループなのである。
ホフスタッターが「不思議の環(strange loop)」と呼ぶ現象は、複数の異なる抽象度のレベル間を行き来するフィードバックループのことを指します。
自己参照による意識の発生
ホフスタッターは、自己参照のプロセスがより高度な認知機能や意識の出現に不可欠であるというふうに考えています。
例えば、私たちの意識や自己意識は、脳の神経活動という低次のレベルと、言語や概念といった高次のレベルの間を行き来することで生じる、一種の不思議の環だと彼は主張しています。つまり物理的な脳が象徴的な思考を生み出し、その思考が脳の働きに影響を与える、というループです。
意識と自己参照
意識とは、自己の存在、感覚、思考を経験し、認識する能力です。自己参照のプロセスは意識の出現に不可欠であるとされています。これは、自我が自身の思考や感覚について考え、それらを他の体験と関連付けることができるためです。
ホフスタッターは、心理的な自己は同様の種類のパラドックスから生じると主張しています。
-
我々は「私」("I")を持って生まれてきたわけではない
- 自我は、経験によって、我々の活動的なシンボルの濃密な網がタペストリーのような豊かで複雑なもの
- (それ自身がねじれ始めるのに十分なほど)として形成されて行くうちに、徐々に現れてくる
-
心理的な「私」とは、物語性のあるフィクションである
- 象徴的なデータの摂取と、そのデータから自分自身についての物語を創造する自分自身の能力からのみ創造される何かである
- 見通し(心)は、神経系における記号的活動のユニークなパターンの集大成である
- アイデンティティを作り、主観性を構成する記号的活動のパターンが、他の人の脳内で、そしておそらく人工的な脳内でさえも複製できる
自己参照の循環性と意識
自己参照のプロセスは循環的であり、自分自身を無限に参照する「奇妙なループ」を形成します。この循環性は、意識の複雑さと多層性を生み出します。自己が自己に関する情報を処理し、それを基にさらに高度な思考や意識状態を生成することができるのです。
下方因果関係
下方因果関係(downward causation)とは、高次のレベルの現象が、より低次のレベルの現象に影響を及ぼすことを指す概念です。つまり、全体が部分を制約したり、マクロな性質がミクロな性質を決定したりする因果関係のことを言います。
例.
生物学の文脈では、個体の行動(高次のレベル)が、個々の細胞や遺伝子の働き(低次のレベル)に影響を与えることがあります。また、社会学の文脈では、社会制度や文化(高次のレベル)が、個人の行動や心理(低次のレベル)を制約することがあります。
ホフスタッターの「不思議の環」の文脈で言えば、意識や自己といった高次の現象が、ニューロンの発火といった低次の現象に影響を与える可能性を示唆していると言えます。つまり、物理的な脳と象徴的な心の間には、一方向ではなく双方向の因果関係があるという見方です。
ホフスタッターは、我々の心が「下方因果関係」によって世界を決定するように見えると考えています。これは、系の因果関係がひっくり返るような状況を指します。
おわりに
ホフスタッターの著作で語られる、意識の創発要因である「自己参照のループ」=「不思議の環」 について、みてきました。
フィードバックループ構造は、設計においても複雑なものを扱うための必要なコンポーネントです。意識のような複雑なアウトプットのためにループが必要であるということは、個人的にとても納得感のあるまとめでした。