親になる、のではなくて、親であり続ける。
子育てについて考えると、いつもこのキーワードが前に出てくる。
現在、8歳の長男と1歳の次男の親である。
親という定義もそれぞれだと思うが、自分としては子どもを育てることが親であると自覚した。子どもを育てることとは、生存率を高める、という目標に集約されるだろうか。そのために、日々の手助けや、より良いと思う価値観や判断基準を示し、親への依存を薄くしていき、独立して生きていければ完遂したと考えて良いだろう。
長男が生まれてからしばらく親の自覚という感覚がなかった。当時はリモートワークだったのも幸いして、育児をする中でいつしか親である感覚を持ったような気がする。一年くらいはかかったように思う。何となく意思の疎通ができたように感じる場面が増えて、この子に価値観や判断基準を与えている、そういった影響力を観測して、親としての責任というものが芽生えたのだと後になってから思う。当時はそういうことを分析する余裕はなかった。
これを続けるためには意識した活動が必要だと感じている。
なので、親の状態維持というキーワードが出てくるのだと思う。
次男が生まれてからリモートワークではなくなってしまい、育児できているとは言えない状況になり、危機感を感じている。長男の頃と比べて、当たり前だが接している時間が極端に短くなり、時間的な制約も増えて、特に日々の手助けの部分ができていない。一度リモートワークでの育児を経験していて、わかっていたつもりではあったが、自分にとっては本当に価値の高い組み合わせであったのだと深く身に沁みている。