本記事について
ジーズアカデミー Advent Calendar 2022の22日目の投稿です!
昨日は福岡DEV12期の@Yuhei0909さんが現在進行形のジーズライフを過ごす胸中を書いてくださいました!
挑戦に期限はないこと、その挑戦を最大限楽しむこと、自分の中で変えられるものと変えられないものを認識することの大事さを考えさせられる素晴らしい記事です!未読の方はぜひ昨日の記事も読んでみてください!
さて、この記事では私の音楽活動を通して気づいた、音楽以外にも共通して活かせる学びをご紹介します!
※以下の内容はあくまで個人の見解です。
自己紹介
G’s ACADEMY FUKUOKA LAB6期。ギターを弾き始めて20年。サークル等でのバンド活動、ボカロP的な活動も経験。現在はエンジニアとして勤務。
音楽をずっとやってきて気づいた普遍的な学び
今回ご紹介したいことはこの4つです!
違和感こそが人を魅了する
作曲にはセオリーがあります。
- 任意のキー(ルート音)を基準に決まった音の組み合わせだけを使いましょう!
(ドレミファソラシドはその一例) - この音とこの音を同時に鳴らすとハーモニーが綺麗ですよ!
(いわゆるコード、和音) - 基本的に4/4拍子は万人向けですよ!
などなど。
「つまりセオリーにしたがって作ればいい音楽ができあがるのでは( • ̀д•́ )!?」
...というわけではありません。
セオリーに忠実に作ると、基本的には単調でつまらない音楽になる傾向になります。
じゃあどうするかというと、こうした一般的なセオリーからあえて外れるのです。
転調や不協和音、変拍子といった言葉を聞いたことはないでしょうか?
- 任意のキー(ルート音)を別の音に変えて最初とはまったく別の音の組み合わせを使う
(ドレミファソラシド -> レミファ#ソラシド#レ) -> 転調 - この音とこの音を同時に鳴らすと変な音になりますよ -> 不協和音
- 5/4拍子など、一般的ではないリズム -> 変拍子
それぞれセオリーから外れたことをやっているのですが、私たちが普段聴いている音楽って意外とこういうことやっているんですよね。
YOASOBIの「夜に駆ける」は転調の好例ですし、不協和音はジャズなどのジャンルで当たり前のように使われています。変拍子はチャットモンチーの「シャングリラ」などで使われていますね。ゴジラのテーマ曲も変拍子の一例です。
つまり、プロの音楽家は違和感を演出しているのです。
ちなみに歌手のMISIAさんは、五線譜で表現できない微妙な音(半音のさらに半音、例えばシとドの間の音)を追求しているそう。
それ自体はセオリーからは外れていますが、その違和感こそが人の繊細な心の揺らぎを表現できると私は思います。結果として聴き手の共感、感動につながるのではないでしょうか?
だからと言ってセオリーをないがしろにしてはいけません。セオリーにはセオリーの良さがあります。音楽の例ではありませんが、水戸黄門のドラマはその最たる例でしょう。
ドラマの終盤で黄門様が印籠を見せつけて、悪者が一斉に平伏す。この一連の流れ(セオリー)は何度見ても痛快と感じる方が多いはずです。
「そうそう、これがいいんだよ!」という感覚も人の心を掴む要素なので、セオリーと違和感はバランスを考えながら取り入れていきたいですね。
ものづくりを引き算で考える
ものづくりと聞くと、積み木のように0から物を積み上げていくイメージがあると思います。
しかし、ものづくりは積み木のように物を足していくことだけではないはずです。彫刻では不要な部分をどんどん削ることで1つの作品にしていきますが、これもものづくりです。
このような削ってものづくりをする考え方は音楽にもよく用いられます。
楽器の音作りでは、「もっと派手に目立たせたい!」と思ったら高音域を強調させたりするのですが、この時高音域の音量を上げるのではなく、その他の低〜中音域の音量を下げるのが一般的な手法です。
あらゆる楽器で音量を上げる方向の音作りをすると、それらを合わせて1つの楽曲にした時に各楽器やボーカルの住み分けができなくなり、何が主役かわからないカオスな作品が爆誕します(経験談)。そもそも音量的に非常にやかましくなりますw
こういう事態を避けるために、音作りは基本的に特定の音域を削る方向で行います。
あとはボーカルを引き立たせるために他の楽器をあえて籠った音にする(高音域を削って派手さをなくす)、というケースもあります。
TK from 凛として時雨の「unravel」ではドラムの高音域を削ることで、ハイトーンボイスのボーカルを最大限に活かしています。
その作品で何を成し遂げたいのかを考え、不要なものは積極的に捨てる意識も大事だということを音楽を通して学びました。
聞くのではなく聴く
漢字が違うだけで同じ意味じゃん!と思う方も多いと思いますが、実はニュアンスが少し異なるそうです。
英語に翻訳すると「聞く」は「hear」で、「聴く」は「listen」です。
「hear」は「聞こえる」とも訳されますが、聴覚を受動的に使う行為のことを指しています。
これに対し「listen」は聴覚を能動的に使う行為のことです。
つまり聴覚を意識的に使うかどうかだけの違いなのですが、結果としてインプットされる情報の量・質には大きな差が生まれると考えています。
基本的に受動的に聞くだけでは表面的な情報しか入ってきません。「男性が歌ってるな」とか「全体的に激しい曲調だな」などです。
しかし能動的に聴くことで、同じ音楽を聴いたとしても「この男性はソロアーティストとして活動しているから、歌声を引き立たせるためにギターの音量を控えめにしている」とか「集中して聴いたらかすかにバイオリンが鳴っていて、絶妙にエモーショナルな雰囲気になっている」など、「聞いた」ときには埋もれていた情報・意図・表現まで感じることができます。
このように行動に能動的な意識を加えることで、物事に対してより深い洞察を得ることができます。深い洞察は深い思考につながり、深い思考は行動のパフォーマンスを大きく向上させると信じています。
作り手に回ると見える景色
実際にやってみて痛感するのは、音楽を作るのは本当に難しいです。
まずちゃんと音楽を作ろうと思ったら、DAWなどの音楽制作ツールを使えるようにならないといけません。
DAWは曲作りに関するあらゆることができる反面、初心者にとって結構とっつきにくくなっていると思います。
音を録音するのはどうするの?とか、DAWの中に入っている音源をどうやって鳴らすの?とか全部自分で調べていく必要がありますが、うーんと唸りながら続けているとだんだん使い方がわかってきます。その過程で自然と自走力がつくんですね。
ツールが使えるようになるといよいよ曲を作り始めるのですが、曲作りでは細部にとことんこだわるのが大事です。
最初に楽曲としてどんなコンセプトにするかを考え、その上で音の強弱、旋律・ハーモニーの組み立て、音色、歌い方、演奏技術、ミキシングなど、すべてにそのコンセプトを実現するための意図を持たせるのが重要だと考えます。
デザインには意図がある、と言われるのと同じように、音にも意図があります。
ものづくりをする時にはなんとなくでやるのではなく、筋道立てて組み立てるのが重要だということを作曲活動を通して体感しました。
まとめ
私は音楽が大好きです。大好きだからこそ、ずっと音楽を追求してきました。今回ご紹介したのはその中で得られた学びです。
皆さんにも大好きなことがきっとあると思います。それを追求することで、仕事や生活でも活かせる知見や経験を身につけることができるはずです。
しかも大好きなことだから、モチベーションも高く続けられます。いいことしかないですね!
ということで、本記事が皆さんお一人お一人の活動に少しでも役立てば幸いです。
好きこそものの上手なれ!