さて、12/6分のシビックテックについて書く。
まず、初めに宣言しよう。
シビックテックは、私の中では、公民連携、ソーシャルデザインの一部でしかないということを。なので、カタツムリの両目の国で戦争を起こすがごとき、細かいことは気にしないこととする。
では、本題。
今回なぜ、二つの四字熟語をタイトルとしたのか。それをご説明しよう。
「知行合一」とは、言わずと知れた、王陽明の哲学の根幹たる、知っていることとは即ち行えること、分離不可能なことであるということである。巷に、シビックテックと語るものは、最近多く見受けられるが、続かないもの、アプリのみのものも多く、それはなんでだろうと考えているうちに、ああ、行動はするけれど、やはり魂がこもっていない、口先は爽やかだが、活動が伴っていないものは、知行合一ができていないのだろうと行き着いた次第である。
<知行合一>
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%A1%8C%E5%90%88%E4%B8%80
なれば、なんとするか。
そうさな、知に偏っているならば、活動をしてみなさい。地に足をつけてみなさいということです。外から外野で見ていることと、中に入ってやることは一億光年の差がある。そこに気がつくことが、入り口としては必要だと思う。いいと思うなら、まず、始めよということである。
また、なかなか人に刺さらないと思うのであれば、その知の方向が、ターゲットと合っていない可能性もある。そうであれば、知と行動に差があるということである。3ヶ月から半年やって、仲間が集まらない、地に足がつかない場合は、高尚な理念、こうあるべきになっている可能性が高い。そういう時は、一度、原点に立ちもどろう。
もう一つ、行に偏っている場合は、どうなるか。必死なことは伝わろう。だが、なぜやっているのか周りに伝わらなければ、応援はあれど、仲間は増えない。一度自分のやっていることを言語化して整理することをオススメする。浅い信念の活動は、どこかで必ず行き詰まる。
知行合一とは何か。それは、やりたいことと、やれることを一致させることである。そうすれば、次が見えてくる。
もう一つの言葉。
「先憂後楽」についてお話ししよう。
私は、シビックテックを初めてこのかた、イベントでも活動でも、やっている最中は、参加者や仲間のことを見ており、そこに私自身のエンジョイなどはない。みなさんが、楽しくてやってるってなんでだろうな?と思っていたが、なんのことはない、日本語の楽しいは複数の意味を持っているからだと思うております。私は、その場の刹那的な楽しさと、イベント全体を通じて得られる満足度は全く違うものだと思っています(エンジョイとハピネスは別物)。
参加していただく人たちにも、苦しみと、それを通じて得るものを伝えたいと普段から思っています。(苦悩を突き抜け、歓喜に至れ!そこに真実がある)
その時楽しいでは青い。子供の頃、楽しかったことが、今でも続いているかというとそういう楽しみ方が続くわけではない。困難ののち、得られるものもあることを理解することも、頭の片隅に、特に地域を引っ張る気概のある人には必要なものではなかろうかと思っている。
人に先んじて憂い、人々が楽しむのを見て自分も楽しむとはまさにそのことである。
人の活動原理とは、楽しい、怒り、悲しみ、感動、恐れ、責任など、常に心がどれだけ動くかによる。そんなことが、シビックテックで得られる体験できるのであれば、それは非常に良いし、それらが地域のことに対する活力やテコになるのだと思う。
シビックテックも、全体最適化の一要素として考えているので、これが全てを解決する解ではないが、これによって解決するものもある。手段を、思想と捉えることなかれ。技術でやれればいいことは、技術でやればいい。コンサルティングでできるものは、それでやればいい。必要なことは、人がチャレンジする土壌を、シビックテックというものを通じて、いの一番に日本に定着させられるかということである。思考のステージをあげるものとして、この概念がうまく使えると良いなと思うております。
「民明書房 灰色を受け入れる東洋哲学とシビックテックの関係」