「私はこれで会社を辞めました」
禁煙パイポのCMで使われたこの台詞は1985年の新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞でした。歳がわかりますね。
私がUNIXな仕事をはじめてしたのは、四半世紀前にオムロンででした。当時オムロンはSystemVなワークステーションを作っていたのですが、BSDベースのOSとしてUniOS-Bをリリースすることになっていて、コマンドのテストなどをオムロンソフトウエアの方からいろいろ教えてもらいながらやっていた記憶があります。
考えてみるとBSDをやるので人員が必要だったので、ちょっと変わった自分が部長に気に入られ入社することができたのかもしれません。
自分はいまでもtcshを自分のアカウントのログインシェルとして使っているのですが、これは当時bashはまだ無くてtcshがKABAでよく使われていたので、それに影響されてそのままになってしまいました。そのケンブリッジ大学由来な著作権者不明なtcshをUniOS-Bに入れてKABAの人にえらく怒られた記憶があります。
88Kの開発の時にはクパティーノに行っていて、当時何もできなかったのですが、シリアルコンソールが起動した時の記憶が今でも鮮明に思い出され、あの瞬間を思い出していろいまだにいろいじっていたりします。
オムロンには3年くらいしか在籍してなくて91年くらいには退職していたのですが、退職する時にはもうUNIXな仕事をする事はないだろうなと思っていました。
その後はパソコンのパッケージソフトに関係したいくつかの会社にお世話になり、90年代後半からまたUNIXな仕事をするようになりました。
最初は会社のUUCPベースのメールサーバの構築をFreeBSD 2.0でおこなったような記憶があります。
ついこの間までいたpeterさんがいる会社のco.jpな会社に入った時にはFreeBSD 2.2.8がスタンダードで使われていていました。
入社した当時の技術系社員はメーカーから来た方が多くFreeBSDの利用経験があって入社したのは自分が最初だったかもしれません。このころはTCPなどの経験が無い方も多く、社外からサーバ間のRPCのコントロールポートがアクセスできる状態などあり、かって知ったるFreeBSDだったので、こつこつtcpwrappersを設定していた記憶があります。
かの会社での仕事ではkqueueやjailなどを使って楽しく仕事をしていた時期もありました。
そんな会社も時代の流れで、Linuxがスタンダードな会社になってしまったので、先日退職しました。
なぜFreeBSDが好きかというと、堅実な実装でシンプルなOSであることがひとつの理由なのかもしれません。最初に仕事で使ったUNIXがBSDだったからなのかもしれません。天の邪鬼な性格なので、あまりメジャーじゃないところにも引かれているのかもしれません。ただそれほど確固たる理由ではないのですが、やっぱり好きです。
最近考えている事で、自由(Free)は平和によってもたらされているもので、自由(Free)は絶対に無くしてはいけないものだと思います。
水木しげるさんの「好きの力を信じる」という言葉もありますので、これからもFreeBSDをいろいろいじっていきたいと思っています。