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Excelはこうして生まれた。

Last updated at Posted at 2022-12-25

はじめに

これは、Visual Basic Advent Calendar 2022の25日目の記事となります。
昨年と一昨年は、Visual Basicに関連の歴史のようなものを書きました。

今や表計算の代名詞と言ったら Excel になります。
Excel がどのようにして誕生したのか気になったので調べてみました。

表計算の誕生

表計算ソフトのコンセプト

1961年に当時カリフォルニア大学バークレー校のRichard Mattessich(1922~2019)によって「Budgeting Models and System Simulation」という論文で概説された。

メインフレーム

No システム名・概要
1 1962年 BCL(Business Computer Language)
IBM 1130で使用された。これはバッチシステムなので、現在のようなリアルタイムなものとは全く異なる。その後、BCLは1968年にIBM 360/370に移植され、ワシントン州立大学での金融の授業でも使用された。
2 1969年 LANPAR(LANguage for Programming Arrays at Random)
ハーバード大学の学生Rene K. PardoとRemy Landauが卒業後の夏に考案し開発した。多くの電話会社(Bell Canada、GE、AT&T等)によって予算管理業務に使用された。特徴として自動自然順序計算アルゴリズム(ユーザーに任意の順序で入力させ、電子コンピューターに正しい順序で結果を計算させる)があり、これは後にVisiCalc、SuperCalc、MultiPlanの最初のバージョンで採用された。GE400 および Honeywell 6000 オンライン タイムシェアリング システムに実装され、ユーザーがコンピュータ端末とモデムを介してリモートでプログラミングできるようになった。
3 1968年 Autoplan / Autotab
General Electricコンピューター会社の3人の元従業員でCapex Corporation の創設者であるA. Leroy Ellison、Harry N. Cantrell、および Russell E. Edwardsによって開発した。「AutoPlan」は GE のタイムシェアリング サービスで実行され、その後IBM メインフレームで動作するバージョンが「AutoTab」という名前で導入されました。WYSIWYG のインタラクティブなスプレッドシート プログラムではなく、スプレッドシート用の単純なスクリプト言語でした。
4 1976年 IBM Financial Planning and Control System
IBM CanadaのBrian Inghamが開発したもので、少なくともIBMで30か国で実装された。IBMメインフレームで実行され、プログラム言語APLで開発された最初の財務計画用アプリケーションの1つで、プログラミング言語をエンドユーザーから完全に隠すことができた。ユーザーは、行間および列間の単純な数学的関係を指定でき、また非常に大きなスプレッドシートをサポートできた。またバッチシステムから引き出された実際の財務データを各ユーザーのスプレッドシートに毎月ロードできるなど、プログラムの効率を従来の50倍も向上させるものだった。
5 1976年 APLDOT
米国鉄道協会でIBM 360/91で開発された表計算ソフトで、メリーランド州ローレルのジョンズホプキンス大学応用物理学研究所で運営された。この表計算ソフトは米国議会およびConrailの財務および原価計算モデルなどのアプリケーションの開発に長年にわたって使用された。

PC(CUI)

当時、パーソナルコンピューターは「愛好家のおもちゃ」という見方が大半で、ビジネス用途のコンピューターは大がかりなものが多数でした。しかし、VisiCalcの登場でApple IIはおもちゃではなく「ビジネスツール」として考えられるようになります。最終的に6年間で70万本を売上げたVisiCalcは、元CEOのスティーブ・ジョブズによって「爆発的に産業を推進させたものの1つ」「Apple IIを成功に導いた」と語られています。

1990年代初期頃までのパーソナルコンピューターは、表計算の代名詞と言ったら Lotus 1-2-3 になります。
筆者が高校生の頃にPC-9801で数学の授業の一環で習ったのは、Lotus 1-2-3でした。

チャールズ・シモニー(Charles Simonyi)

チャールズ・シモニー(Charles Simonyi)は、Excelの前身となる 1982年に販売したMultiplanを開発します。

1979年12月にビル・ゲイツがゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)に見学に訪れます。
そこには世界初の WYSIWYG ワードプロセッサーBravoを開発し、変数の命名法の一つであるハンガリアン記法でも有名であるチャールズ・シモニー(Charles Simonyi)がおりました。シモニーは、GUIをベースにしたマウスを使って操作する初めてのコンピューターであるAltoを、ゼロックスの幹部たちが明確なビジョンを持ってない上にお蔵入りさせたことで、1980年に多くの研究者たちと同様にシモニーも PARC を去る決意をします。
一足先に退職していたボブ・メトカーフ(Bob Metcalfe)に相談し「会うべき人リスト」を作ってもらいます。そのトップがマイクロソフトの「ビル・ゲイツ」でした。真っ先にビル・ゲイツに会いに行き、話をしてすぐにマイクロソフトに入ろうと決めます。ゼロックスの幹部にはビジョンがなく、PARC の技術者にはビジネスセンスがないと思っていました。ゲイツはその二つを兼ね備えた人物と確信し、残りのキャリアを彼と仕事をすることに決めました。1981年1月にマイクロソフトに転職します。当時のマイクロソフトは従業員40名程度の会社でした。 
マイクロソフトに転職しアプリケーション開発部長となリます、表計算ソフトの開発が最初の仕事であった。

マルチプラン(Multiplan)

Multiplanを開発するにあたりマイクロソフトが採った戦略は「IBM PCの標準的な64KバイトのRAMという制限を守る」と「他機種にも対応できるようにC言語でプログラムを開発する」の2つでした。1982年夏にMultiplanを販売します。Multiplanは大ヒットとなり、たちまちVisiCalcを脅かすほどの存在にのし上がりました。

しかし、そんな喜びもほんの束の間のことになります。

1982年12月にロータスLotus1-2-3を発表するとMultiplanはたちまち苦境に陥ります。ロータスは先行するMultiplanに対抗するためにIBM PCの標準的なメモリを無視した256KバイトのRAMを要求、さらにアセンブリ言語で開発するという戦略をとりました。これにより機能の豊富さや高速性により、急速にシェアを伸ばしたのです。
※世界的にはLotus 1-2-3のほうが優勢だったが、日本ではMultiplanがビジネスパソコンのIBM5550に搭載されたこともあり、Multiplanのほうが優勢だった。

これに対してマイクロソフトは1984年2月にMultiplan 1.1、1985年10月にMultiplan 2.0、1987年1月にはMultiplan 3.0をリリースしてLotus 1-2-3を追い付こうとするが、相変わらず動作は遅く、追撃どころか水をあけられるばかりでまったく勝ち目がなかった。唯一、ヨーロッパのように多様な言語を持つ文化圏内でローカライズがしやすいという長所を生かして健闘したことだけだった。これは、C言語で書かれたMultiplanは移植性が良く、いろいろな国の事情に合わせて変更するのも容易で、多様な環境に素早く対応できたからである。

日本の市場では、Lotus1-2-3の他機種への移植が遅れたこともあり比較的善戦しましたが次第に低下していきます。そして、日本でもLotus全盛の時代となりました。NEC PC-9800シリーズを中心にMS-DOSパソコンが少しずつ普及していく中で、ワープロソフトはジャストシステム一太郎、表計算ソフトはLotus1-2-3を使うことでパソコンが広く社会に認知されいく時代でした。

この当時のマイクロソフトは、Wordでもワードパーフェクト社のWordPerfectに追い抜かれ、オフィス分野ソフトウェアのシェアではさらに下位へと転落してしまう。Multiplan、Wordと打ち続く敗北は、マイクロソフトの首脳陣をかなり失望させたに違いない。

年表

No システム名・概要
1977年4月 アップル「Apple II」リリース
1 1979年10月 VisiCalc
ビジコープ(VisiCorp)が販売した表計算ソフト。。ダン・ブリックリン(Dan Bricklin)が考案、ボブ・フランクストン(Bob Frankston)が設計、彼らの Software Arts社がApple IIに2カ月間で開発。WYSIWYG対話型ユーザーインターフェース、自動再計算、ステータスラインと数式ライン、相対参照と絶対参照による範囲コピー、参照セルを選択しての数式作成など、現代の表計算アプリケーションの必須機能をすべて兼ね備えた最初の表計算ソフトであり、最初の「キラーアプリケーション」。このアプリケーションを使うためだけに特定のコンピュータを購入するほど魅力的なアプリケーションであった。
1979年12月 スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツがほぼ同時期にゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)に見学に訪れる。
2 1980年 SuperCalc
Sorcim社から発表された表計算アプリケーションで、当初は携帯型コンピュータOsborne 1に付属するCP/Mソフトウェアパッケージの一部として(WordStarとともに)バンドルされていました。すぐにCP/Mの事実上の標準スプレッドシートとなり、1982年にMS-DOSに移植された。
3 1980年 PIPS
SORD(現東芝パソコンシステム株式会社)が日本で独自に開発した表計算ソフト。多くの反響を呼んだが、同社機でした搭載されなかったため普及しなかった。
1980年7月 IBMからマイクロソフトにOSの作成を依頼
1981年1月 ビル・ゲイツ(Bill Gates)の正式な勧誘を受け、チャールズ・シモニー(Charles Simonyi)がマイクロソフトに転職
1981年8月 IBM 「IBM PC」発売 CPU 8088、「IBM PC DOS」リリース
1982年1月 NEC PC-9801を販売
4 1982年夏 Multiplan
マイクロソフトが販売した表計算ソフト。チャールズ・シモニー(Charles Simonyi)が開発した。当時はApple IIおよびCP/M向け、その後MS-DOSやXENIXにも移植。これがExcelの前身になる。Multiplanはアセンブリではなく、多機種への移植性を考慮してC言語で開発されていた。Macintosh版はMacintoshの発売日1984年1月24日と同時に出荷、Microsoft初のGUI式表計算ソフトになった。
5 1983年1月 Lotus1-2-3
Lotus(現在はIBM傘下)が販売した表計算ソフト。ミッチ・ケイパー(Mitchell David Kapor)発案のもと、ジョナサン・ザックス(Jonathan Sachs)により開発された。当時はIBM PCやIBM互換機用の表計算ソフトにはすでにMicrosoft Multiplanが16ビット移行していたが、Lotus 1-2-3は機能の豊富さや高速性により、急速にシェアを伸ばした。C言語より高速に動作するアセンブリ言語で書かれていた。Multiplanはバージョンアップのたびに機能を強化して1-2-3を追撃しようとしたが、すでに1-2-3は利用者の絶大な信頼を得ており、その牙城を崩すことはできなかった。
1983年 ASCIIは、PC-9801のMS-DOS用に移植された表計算ソフト「Multiplan日本語版を発売
1983年10月 マイクロソフトは、「Word 1.0」を発売
1984年2月 マイクロソフトは、「Multiplan 1.1」を発売
1984年4月 マイクロソフトは、「Word 1.1」を発売
1984年10月 マイクロソフトは、「Word 1.15」を発売
1985年 ロータスは、VisiCalcの開発元であるSoftware Artsを買収する
1985年2月 マイクロソフトは、「Word 2.0」を発売
1985年8月 ジャストシステムは、PC-9801のMS-DOS用の「一太郎 1.0」を発売
1985年10月 マイクロソフトは、「Multiplan 2.0」を発売
1986年 日本マイクロソフトは、日本語版「Multiplan 2.0」を発売
1986年 ロータスは、日本語版「Lotus1-2-3 R2」を発売
1987年1月 マイクロソフトは、「Multiplan 3.0」を発売

PC(GUI)

ロータスの凋落

ロータスの表計算ソフトのシェアは1988年に75%まであったが、Windows版に乗り遅れ1991年8月に「Lotus 1-2-3 R1.0」をリリースするもあまりにひどいバグが多く9月にディスク交換という形でアップデートする羽目に陥った、1991年末には55%までシェアが下がる。
Windows版1-2-3は100万本ほど出荷されるだろうとアナリストは予想したにも関わらず、実際に販売されたのはわずか25万本に過ぎなかったという。これを受けて、1991年12月には最初のレイオフが行なわれ、400人ほどが職を失うことになった。
ただ、この時はIBMのOS/2という有力な競合製品があり、IBMの後ろ盾もあった。LotusはOS/2版の1-2-3を開発することになり、Windows版への対応がその分後手にまわることになった。
更に1994年にWindows 95が登場し、Lotus 1-2-3その他のアプリケーションのWindows 95への対応がまたしても遅れた結果、1994年のDesktop Applications部門の売上が急落する。1995年にIBMはLotusを敵対的買収する。

OS/2は、Windows 95の競合になりきれなかった。

Excelの台頭

マイクロソフトは、Multiplanに代わる暗号名オデッセイ(後のExcel)という新しい表計算ソフトの開発を目指したが、今度はチャールズ・シモニー(Charles Simonyi)に代わって、開発責任者はダグ・クランダー (Doug Klunder)、マーケティング担当のジェイブ・ブルメンソール(Jabe Blumenthal)が指揮を執り、大衆心理をよく理解したマーケティング主導型の開発に変えたのである。

Excelの名前の由来の一説として、excelは「優秀な」という意味があります。
升目ひとつを「セル(cell)」と呼ぶことを引っ掛けており、すばらしいという意味のexcelとセル=Cellをかけて、Excelとなりました。

1984年にロータスがLotus 1-2-3のMacintosh用の統合ソフトの開発計画を知ると、これに対抗してGUI環境で動く優れた操作性を有するソフトとしてApple社のMacintosh版を開発することに方針転換をします。そして、1985年にMacintosh版「Excel 1.0」が発売されました。後に多くのアブリで採用されることとなった印刷プレビュー機能が初めて導入されるなどして、このExcelはベストセラーとなります。
1987年に処理速度と操作性の改善、更にLotus 1-2-3とのファイル・マクロの相互変換機能を搭載して、Windows版では最初の「Excel 2.0」を「Windows 2.0」と一緒に発売します。このExcel 2.0はどの機能でもLotus 1-2-3より優れていると大変高い市場評価を得て、Lotus 1-2-3の独占的シェアを脅かす存在となっていきます。

1995年に「Windows 95」が販売され、Lotus等に先駆け32ビット化されたExcelの発売は、他社同様のアプリケーションに対して大きなアドバンテージとなりました。Windows 95は急激に普及して、Apple以外のほとんどのPCがWindows 95を搭載するようになります。そして、Windows 95の搭載機の多くがMicrosoft Officeをプレインストールしたことで、Microsoft Officeのシェアは絶対的なものとなり、WordやExcelがデファクトスタンダードとなりました。

結果Excelの開発は成功し、マイクロソフトはアプリケーションソフトにおける長い敗北の歴史に終止符を打ったである。このExcelの成功はチャールズ・シモニー(Charles Simonyi)の手柄のように錯覚されているところもある。

年表

Excelがデファクトスタンダードを決定付けたOffice 95まで

No Office Excel 概要
1984年1月 マイクロソフトは、Macintosh版「Multiplan」を発売、マイクロソフト初のGUI式表計算ソフトとなった。
1 1985年 1.0 for Mac マイクロソフトは、Macintosh版「Excel 1.0」を発売
1985年11月 マイクロソフトは、「Windows 1.0」を発売
2 1987年10月 2.0 for Win マイクロソフトは、Windows版「Excel 2.0」を発売
1987年12月 マイクロソフトは、「Windows 2.03」を発売
1988年5月 マイクロソフトは、「Windows 2.1」を発売
3 1988年 2.0 for Win マイクロソフトは、Windows版「Excel 2.1]を発売
4 1989年 2.2 for Mac マイクロソフトは、Macintosh版「Excel 2.2」を発売
1990年5月 マイクロソフトは、「Windows 3.0」を発売
1991年1月 マイクロソフトはPC-9801版「Windows 3.0」を発売、DOS/V対応版は日本IBMより1991年3月13日に発売
5 1991年 3.0 for Win マイクロソフトは、Windows版「Excel 3.0]を発売
1991年8月 ロータスは、Windows版「Lotus 1-2-3 R1.0」を発売、あまりにひどいバグが多く9月にディスク交換という形でアップデートする羽目に陥った
1991年11月 ロータスは、Windows日本語版「Lotus 1-2-3 R1.0J」を発売。Windows 3.0日本語版に対応
1992年4月 マイクロソフトは、「Windows 3.1」を発売
6 1992年 4.0 for Win マイクロソフトは、Windows版「Excel 4.0]を発売、オートフィル機能を実装
1992年6月 ロータスは、Windows日本語版「Lotus 1-2-3 R1.1J」を発売。Windows 3.1日本語版に対応
1993年4月 ジャストシステムは、一太郎 Ver.5(4年ぶりとなる新バージョン)を発売
1993年5月 マイクロソフトは、日本語版「Windows 3.1」を発売、マイクロソフト日本法人は自社のWindows対応ソフトの売り込みを強化し、Windowsの普及を推進した。例えば、表計算ソフトのExcel 4.0は98,000円から58,000円へと40%の値下げを行った
1993年6月 1.0 for Win 4.0 for Win マイクロソフト日本法人は、6月25日から他社の日本語文書作成ソフトを使用しているユーザーを対象に、58,000円のWord 5.0を25,000円で販売する「乗り換え・アップグレード・サービス」を開始した。同日にWordとExcelをセットにした、日本語版で最初のバージョンとなる日本語版Office 1.0(Word 5.0, Excel 4.0)を発売
7 1994年3月 1.5 for Win 5.0 for Win マイクロソフトは、Windows版「Excel 5.0]を発売、Visual Basic Ver.3.0をベースにしたVBA(Visual Basic for Applications)を搭載
1994年9月 ロータスは、Windows日本語版「Lotus 1-2-3 R5J」を発売
1995年7月 ロータス、IBMに買収される。その後もIBMロータス部門として活動継続
1995年8月 マイクロソフトは、英語版「Windows 95」を発売
8 95 for Win 95 for Win マイクロソフトは、Windows版「Excel 95(7.0)]を発売、バージョン番号がWordと統一された。
1995年11月 マイクロソフトは、日本語版「Windows 95」を発売、全32ビット化された「Office 95」も同時発売されました。
1995年12月 ロータスは、Windows 95日本語版「Lotus 1-2-3 R5J」を発売

神Excel

日本人は罫線が大好き

米国ではレポートが主な文書形式であり、罫線を細かく引いて、そこに数字や文字を印字するといった習慣がない。特に「上下方向の罫線は滅多に使用しない」。それに対し、日本はあちらこちらに罫線を引いて境界を作るのを好む。欧州は、日本と米国の中間といった感じで日本ほど細かくはない。

最近の傾向では、出来るだけ線を引かない

最後に

果たして、ロータスは慢心したからシェアを落としたのだろうか。IBMという巨大な後ろ盾が見誤らせたかな。マイクロソフトはOS/2でIBMをと袂を別った。
アプリケーションは、OSを作成しているマイクロソフトが有利なのは間違いないが、だからといってマイクロソフトの全てのアプリケーションがデファクトスタンダードになっているわけではない。これはAppleでも同じことが言える。

インターネットとスマホと大きな転換が2回きた。今だと表計算ではGoogle スプレッドシートが対抗馬になりそうであるが、ExcelもWeb版に対応して対抗している。強いていえば有料か無料かの大きな違いがあるが、事業で使用する場合だとマイクロソフトが強いので、Office 365に加入してそのままExcelを使用してしまう。

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