※本稿はオピニオン誌『カレント』において2023年10月号に寄稿されたコラムです。アジャイルの歴史的経緯など、まとまって紹介することに意義があるかと思い投稿いたします。
政府の取り組み
昨年の行政改革推進会議から「アジャイル型」政策手法導入が議論されている様に、政策改善を断続的に改善するという意味で「アジャイル」という言葉が使用されています。アジャイルとはソフトウェア開発で用いられる手法などを指す言葉であり、「アジャイル開発手法」であることが政府の調達の要件である国も存在します。政策形成の場でも注目されている他、製造業などでもアジャイルが提唱されるシーンも増えています。このようにアジャイルはソフトウェア業界を飛び出して一般化しつつあるのです。
一般化しつつあるアジャイルとその意義
アジャイルという言葉や概念は、近年、多くの人々に知られるようになってきました。もともとはソフトウェアの開発手法として生まれたこのアプローチが、今やその領域を超えてさまざまな業界や分野で注目されています。なぜアジャイルは広がりを見せているのでしょうか。それは、迅速な変化に対応するための柔軟性が求められる現代社会において、アジャイルの持つ原則や価値が非常に適合しているからです。アジャイルは単なる手法ではなく、思考のフレームワークや哲学とも言える存在です。この考え方は、顧客のニーズや市場の変動に素早く対応するための手法として、多くの組織に採用されています。
政府が直面する課題もまた、複雑かつ急速に変化しています。そのため、政策の策定や実施に際しても、アジャイルの原則に基づき、柔軟かつ迅速に対応する必要が出てきました。特に、デジタル技術の進展や社会的な変動を背景に、政策の見直しや改善が頻繁に求められる現代において、アジャイルのアプローチは有効であると言えるでしょう。
スクラム 野中郁次郎の研究
アジャイル開発で活用される手法にはさまざまなものがありますが、日本発のものも多く、アジャイル開発で採用される「スクラム」という手法の元は、『失敗の本質』の著者の一人でもある野中郁次郎氏の研究です。野中氏は、日米の軍や戦後の日本企業の動向を研究し、その中で日本独自の経営哲学や手法を発見しました。野中氏が世に示したことを簡単にまとめると次の通りとなります。
①組織が経験から学習するモデルを示した。
- モデル1 ダブルループ学習:既存の目的や前提そのものを疑い、それらも含めて軌道修正を行うこと
- モデル2 SECIモデル:組織において「形式知:言語化された知識」「暗黙知:されてない知識」がどのように醸成されるか
②ラグビーのスクラムを組んだように複数の専門性をもつ人材が各工程だけを受けもつのではなく製品の企画から製造販売まで一貫して取り組む体制が有効と示した。
これを米ジェフ・サザーランドらが、自身のソフトウェア開発プロジェクトに対して応用し、それがのちに「スクラム開発」と呼ばれる方式へと発展しました。彼の考え方がアジャイル開発で多く活用される「スクラム」という手法の基盤を築いています。スクラムの原則は17ページにわたる「スクラムガイド」にまとめられ、インターネットで公開されています。
リーン生産方式 無駄の排除と価値の最大化
リーン生産方式は、無駄を極力排除し、顧客価値を最大化することを目的としています。「リーン」という言葉は「痩せた、筋肉質の」という意味で、米フォード社に代表された大量生産方式と比較された表現です。大量生産による在庫維持のコスト増、作ることが目的化することによる品質課題を乗り越えたのがリーン生産方式であり、1955年に1%程度だった世界の自動車産業の日本のシェアは1990年には30%に迫るほど躍進を遂げました。以降リーン生産方式は世界の自動車産業のスタンダードとなり、総務省の情報通信白書では人類の社会変革をもたらした汎用技術として「印刷」「蒸気機関」「工場」「鉄道」「インターネット」などと並んで紹介されています。 リーン生産方式の考え方は、後にソフトウェア開発の領域に取り入れられ、アジャイル開発の基盤となりました。
リーン生産方式が認知されるようになったことで、その原則はソフトウェア開発の領域にも拡散しました。アジャイル開発は、リーンの考え方をベースにしつつ、迅速なフィードバックと柔軟な対応を重視する手法として成立しました。これにより、リスクを最小限に抑えつつ、最大の価値を生み出すことが可能となったのです。
マネジメントの大きなムーブメント
「スクラム」と「リーン」は、表面的には 異なる分野や背景を持ちますが、両者とも、戦略を見直し、振り返り、無駄を排除し、市場や顧客の真のニーズに応えることを最優先とし、相互に影響し合いアジャイル開発を形成しています。アジャイルは特定の手法を表す言葉ではなく、厳密な定義も意見が分かれるのですが、その背景には大きなムーブメントが現在進行で起こっていることがあります。 アジャイルは、政策改善・製造業のほか非ソフトウェア開発でもこれからのマネジメントにおける大きなムーブメントとなる可能性が高いです。組織やチームが直面する課題は、より複雑で予測不可能になってきており、それは今後より増長するでしょう。未来のビジネス環境や組織の運営において、アジャイルは中心的な役割を果たすことが予想されます。