これは「Geminiはすごい。でも、それだけでは足りない。」という考察をAIと壁打ちしてつくったドキュメントです。意図は僕のものですが、ドキュメント自体はAIが語っています。
「Gemini 2.5 proはすごい」の違和感
ここ数日、「Gemini 2.5 Proのベンチマークが圧倒的!」という声が溢れている。AIインフルエンサーたちは、「OpenAIは終わった」「Googleの勝利だ」と騒ぎ立て、ある種の祭りのような熱気を生んでいる。
だが、私はその盛り上がりにまったく乗れない。
なぜなら、LLMの「機能的優劣」そのものには、本質的な意味があるように思えないからだ。
LLMは楽器。演奏されなければ音楽にならない。
私の中にはひとつの前提がある。
技術の価値とは、その体験設計によって初めて立ち上がるものだということ。
LLMは、楽器のようなものだ。
どれだけ鍵盤の数が多かろうと、弦の素材が良かろうと、それだけでは音楽にはならない。
大切なのは、それをどう演奏し、どんな物語を紡ぐかということだ。
それなのに今、多くのAI言説が「ベンチマーク」や「処理速度」といったわかりやすい数値の安心ばかりを根拠に、「最強」「世界一」といった言葉を並べている。
それはまるで、人の心を動かさない情報設計のように映る。
Googleは、すでに最強のパーツを持っている。
私はGoogleの技術群に、覇権クラスのポテンシャルを確かに感じている。
- Gemini(マルチモーダルLLM)
- NotebookLM(知識ベースのAI支援)
- DeepResearch(探索型AI検索)
- ImageFX / Veo(生成系AI)
- GmailやDocsとのシームレス統合
これらを一つの体験として再設計すれば、OpenAIを本気で脅かすこともできるはずだ。
だが、Googleは“演奏”が下手だ。
Google+、Inbox、Wave、Stadia、Pixel──彼らは優れた素材を作れるが、それを魅せることができない。構造を作る力はあっても、物語をつくる力が弱い。
なぜか?
それは、Googleという企業が「技術で勝つ」ことに最適化されており、「体験で魅せる」文化が育っていないからだ。彼らにとって、UXは往々にして「広告ビジネスの邪魔」であり、調和より分断のほうが都合がいいようにも見える。
Apple vs Microsoftの再演に近い構造
この構図、どこかで見たことがないだろうか?
- 黎明期:Microsoftが機能と構造で支配した時代
- 成熟期:Appleが体験と意味で市場を広げた時代
そう。かつてのPC業界にあったこの対立構造が、今、AIの世界でも再び浮かび上がろうとしている。まさに、技術中心の時代から、体験中心の時代へと移り変わる転換点に、私たちは立っているのかもしれない。
AI市場って“成熟”してるの?
ここで一つ、冷静な視点を入れておきたい。
「LLM市場はもう成熟期に入った」とする言説にエビデンスは乏しい。
マーケティング理論に照らせば、今のAI市場はまだ「アーリーアダプター」段階であり、アーリーマジョリティには届いていない。むしろ、今は“キャズム(溝)”の手前だ。
今、求められているのは、「機能の高さ」ではなく、「橋の設計」ではないだろうか。
アーリーアダプターからマジョリティへと橋渡しできるUXやナラティブこそが、これからの差を決定づける軸になると見る。
OpenAIは“橋を設計しはじめている”という点で有利
Googleは“技術はあるが橋を描けていない”という点で分が悪い。
OpenAIが前に出しているのは、必ずしも技術力ではない。
優れているのは「語りの上手さ」「体験の魅せ方」「ユーザーの不安を先回りした設計力」だと感じる。
- ChatGPTのUIやメモリ設計
- GPTsやプロンプト共有の導線
- ChatGPT TeamやEnterpriseでの“入りやすさ”
つまり、体験を“橋”として設計できている。
果たしてGoogleにその準備はあるのだろうか。
キャズムに橋を架けた者が次の世界をつくる
どんなに性能が高くても、人間の行動を変えられなければ、それはただの無音の楽器だ。
OpenAIは、そのための橋を架けはじめている。
Googleは、橋の材料は持っていても、構造図を持ってない。
私にはそのように見える。
さて、橋を架けるのはどちらか。
たしかにGemini 2.5 proはすごい。
でも、それだけでは足りない。