この記事はScrum does not work here in Asiaの翻訳です。記事中では、かなり単純化したステレオタイプのアジア、西欧が語られるため、そんな単純じゃない! と思うところもありますが、我々の組織がかかえる歪みがなんなのか、共通認識の一助になるのではと訳しました。
スクラムがアジア圏でうまくいかない4つの理由
私たちはカフェでコーヒーを飲みながらアジャイルとスクラムについて話していた。彼はオーストラリアの大銀行でアジャイルコーチをやっている。話題のひとつはアジア圏でのアジャイルとスクラムの適用だ。彼は思っていた -- すみずみまでアジャイルなアジア系銀行はあるのだろうかと。すみずみというのはトップレベルマネジメントからスタッフレベルまでということだ。彼はそういった銀行と今彼が働いている銀行とでスクラム適用の成熟度を比べたいと思っていた。というのは、彼の銀行では東南アジアにいくつかの支社を作ろうとしており、彼に現地に飛んで地元の管理者たちにスクラムとアジャイルを根付かせるよう依頼していたのだ。しかし彼は地元管理者からの抵抗に直面してしまった。地元の管理者たちは彼にロールモデルとなるような他のアジア系銀行をみつけるようにいってきた。多くのアジア系リーダーたちはなんであれ西洋では機能することが必ずしも東洋でうまくいくとは限らないと思っていたのだ。
調査中に彼は多くのアジア系銀行はアジャイルに全力を傾けていないということを発見した。この事実に彼は心底驚かされた。なぜならオーストラリアのほとんどの大規模銀行ではアジャイルはオプションではなく必須のものとみなしていたからだ。彼は、アジアでは、ほとんどのスクラムがソフトウェアの開発レベルにしか適用されておらず、マネジメントレベルではアジャイルな管理手法が使われていない、ということにも驚かされた。ほとんどの(すべてではない)アジア系企業はとても保守的であり、アジャイルに全力を傾けていなかった。アジャイルであると主張するほとんどのアジア系企業は、スクラムをソフトウェア開発にのみ適用しており、その一方で、管理者たちは依然として伝統的な管理手法を使っていたのだ。
私はスクラムのトレーニングとコーチングを、過去5年間、香港、ドバイ、インドネシア、日本、韓国、フィリピン、マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナムで主導してきた。私は多くのスクラムとアジャイルについての誤解をこれらの国々でみてきた。アジア系企業で働く管理者たちはスクラムとアジャイルをソフトウェア開発のものであるとみなしている。アジャイルの恩恵を受けるためにはマネジメントの積極的な参加と理解が必要であることを彼らはまだ理解していない。数年にわたり、地元文化について、私も小規模な調査と面談を実施してきた。この調査はもちろんそれほど科学的ではない。なぜなら私は彼らと彼らの地元文化について話すときに親密になりたかったからだ。これらの地元文化がスクラムとアジャイルが広範囲に適用されることを妨げており、マネジメントがアジャイルな管理手法の適用に抵抗する理由だ。
ごく少数のアジア企業がアジャイルに全力で取り組んでいた。これらの企業はたいていウェブ会社であり、ヨーロッパ、オーストラリア、または北米で働いたか勉強した若いリーダーによって運営されていた。これらのリーダーたちはスクラムとアジャイルの信奉者たちであった。なぜなら彼らはそれが機能しているのを以前の職場でみていたからだ。アジャイルの本当の意味を理解しようと努力している地元企業だけではなく、アジアに開発拠点をもっている多国籍企業もアジャイルの恩恵を受けていなかった。なぜならローカルマネージャたちは依然として伝統的なアプローチを会社とスクラムチームの管理に使っていたからだ。
ケン・シュワバーは、予見することに慣れ親しんでいる人たちは、実際には、悪いソフトウェア、まちがったスケジュール、お金の浪費、やる気を失った労働者を見ることになるだろうというブログを書いた。
1: すべてのものに階層を
アジア人は私たちの住む宇宙が体系的に動作するためにはすべてが階層化されているべきだと信じている。陰と陽がある。カースト制がある。若者は年上をうやまうべきだし、部下は上司に伺いをたてるべきだ。なぜなら上司がすべての答えを知っていると多くの人たちが信じているからだ。王が絶対的な権力をもついくつかのアジアの国々では、王がすべてについて最終的な答えをもっているべきなのだ。
西洋人が平等を信望する一方で、おおくのアジア人は、自身の位置と、どう振る舞うべきかの習慣とルールを把握している階層の中にいると安心する。みんなが自己組織的な行動で機能横断的に協調して働く自由な組織を持つことは、システムから外れたようにみえるため、不合理であるとみなされる。
ほとんどのアジア文化では、会社での位置が社会的なステータスを決めている。アジア人はプロジェクトマネージャーになりたがる。なぜならその役割が明確であるのと、多くの権限をもっているからだ。比べて、アジャイルコーチやスクラムマスターは人々がどうすべきかを指示するいかなる権限ももっていない。アジアの多くの人々にとって、本物のアジャイルコーチやスクラムマスターであろうすることは劣っていると感じることなのだ。このことが、あなたがLinkedInを閲覧したときに、しばしば、おのおのの会社でスクラムマスターであると主張する人々が、プロジェクトマネージャーの肩書きも加える理由だ。これは彼らの会社がアジャイルコーチとスクラムマスターの役割をまだ理解していないか、または、彼らは、その会社で力を持っていること、アジャイルコミュニティーの中でクールであること、その両方に見られたいのだ。プロジェクトマネージャとしての肩書きを持っていないアジャイルコーチでさえ、人々にどうすべきがを指示することに抵抗することはできない。アジア人たちはスクラムマスターも実際にはマネージャであること、異なる種類のマネージャであることをまだ理解していないのだ。
依然として伝統的なマネージャのように振る舞うスクラムマスターに加えて、アジア企業の大半にはプロダクトオーナーとして権限を与えられたものが存在しない。プロダクトオーナーが下したいかなる決定も、最も強い政治力をもつ誰かに覆されてしまうのだ。アジア企業では、プロダクトオーナーはただのアクセサリーのようであり、彼/彼女が管理している製品についてなにもコントロールできないのである。しかし、最もおかしなことは、その最も政治力が強い人々は、開発チームとの作業が「忙し」すぎるため、プロダクトオーナーにはならないのだ。
西洋社会では社会階層は重要とは思われないが、アジア文化圏ではとても重要とみなされている。ほとんどのアジア企業では、プログラマーは最も下の階層にいる。ほとんど常に、階層での位置が給与のレベルも決定する。これが、ほとんどのアジア人が人生の残りをプログラマーとして過ごしたいと思わない理由だ。プログラマーは会社で最下層なのだ。もし彼らがプログラマーとして残りの人生を過ごすとなると、彼らは自分のキャリアが停滞し前進していないと考える。あなたは、アジャイルやスクラムコミュニティーのフォーラムで、スクラムマスターや開発者としてのキャリアパスの質問の99%がアジア人からされているのを目撃するだろう。
私の観察から、すべてのものが階層化されるべきだという考えがスクラムがアジア圏でうまくいかない主たる理由だ。
2: 調和を維持しよう
アジア人は調和を保つのがうまい。アジア人は協調を維持するために仲間との衝突を避ける。これはまちがったことではないが、西洋人と著しく異なっている。彼らは、恐れずに、衝突を引き起こす話題について議論し、批判し、彼らが真実だと考える意見を力説する。衝突に直面する勇気をもつことがアジャイルな組織では推奨されているが、アジア企業ではめったに見られない。上司との衝突であればなおさらだ。
この衝突を避ける習慣がアジアでのアジャイルチームのスプリント計画、レビュー、ふりかえり、デイリースクラムのやりかたに影響している。ペアプログラミングについては言わずもがなだ。人々は自分の意見を差し控える傾向がある。なぜならたくさんの間違いをするための安全な環境というものに慣れていないのだ。ふりかえりはどんよりと退屈なものになる。なぜなら人々はこのスプリントの間に問題はまったくなかったというからだ。もしみんながはっきりと話したら問題が明るみになると恐れているときに。そしてしばらくして、ふりかえりは役に立たないからやめようといいだすだろう。スプリント計画は、もっとも声の大きい人にただ従うだけの単調なものになる。スプリントレビューは一方的なデモとマネジメントへのプロジェクト状況の更新の場となる。スプリント計画は、なんの情報の交換も、交渉もなされない、ウォーターフォールのやりかたとかわらない、ただの協定の場となる。デイリースクラムは、計画の協調的な調整の場ではなく、定期的に実施するマネージャへの状況更新会議となる。
最終的には、スクラムの3本柱のひとつである透明性の確保がとても難しくなる。なぜなら、このようなチームでは、人々はあなたが聞きたいと思うことをなんでもいうようになるからだ。人々は衝突に直面し巻き込まれることを恐れている。今起きている問題について上司が知らない状態で人々が長時間働くということも普通だ。人々はなぜスクラムがマイクロマネジメントの道具となるのか疑問に思わない。なぜなら彼らは調和を保ちたいと思っているからだ。彼らは彼らを代替可能だと思っているマネジメントから仕事を守りたいと思っている。
3: 異なる教育システム、異なる思想
アジアの教育システムは西欧のものとはとても異なっている。上司がいつも答えをもっていると思われているのと同様に、教室でも同じことが起こっている。先生と講演者がその部屋で最もかしこい人と思われている。西欧のほとんど学校が教室のみんなを巻き込むケースメソッドを用いた活発なディスカッションに向かう一方で、アジアの学校では暗記型の方法に重点が置かれている。そのようなアプローチは強靭な受験生を育てるが、膨大な圧力を学生にあたえ、独立した思考を妨げてしまう。
学校や大学で16年間に渡り失敗することを避けるよう教えられるため、アジア人は職場で失敗することを安全だとは感じない。
アジアの教育システムは職場での思考や行動に影響を与えている。スクラムの教義のひとつである自己組織化はアジア企業では実施することが難しい。なぜなら自己組織化は人々が学校や大学で教えられたことではないからだ。アジア人はルールとシステムに従うことを教えられる。それを壊すことは反逆とみなされるだろう。アジア人はどうすればアジャイルになれるか、どうすればスクラムを正しく実行できるか、自分たちで答えを見つけるよりも、トレイナーやコンサルタントに教えてほしいと思っている。アジア人に自己組織化や自己発見を教えることは彼らが学校や大学で16年間教えられてきたことをするなということだ。
4: アウトーソシング - すべてはコスト削減のために
スクラムとアジャイルの実施がアジアではむずかしい理由の最後は、アジアがアウトソーシング天国だからだ。あなたは疑問に思うだろう - なぜアウトソーシングさえも問題なのだ?
ヨーロッパ、北米、オーストラリアの会社はアジアの他の会社にコスト削減のためにアウトソースする。残念ながら、これにもコストがともなう。これらの会社がスクラムとアジャイルが彼らの世界の一部で機能するのをみたとしても、アジャイル文化をアジアに教え込むのが簡単ということにはならない。アジャイルを用いることで開発コストを抑えることはできるが、それはアジャイル文化を作り上げるのも安くすむということではない。実際、アジャイルは優秀なチームメンバと最善のソフトウェア開発者を想定していて、ほとんどの場合、それらは安くないのだ。
この安易な考えによって、私は何度も人々が最も安価なアジャイルへの道をとるのをみてきた: スクラムを規範的な解決策として教えるトレーニングにいく、オンライントレーニングを受講する、もっとも安価なアジャイル証明書を取得する、スクラムマスター認定評価ためのテストジョッキーに支払ったりするなど。多くのアジア人は依然としてスクラムがプロジェクトマネジメントの技法だと思っている。困難なく次の日には取り付け可能なものとして。この安易な見とおしは彼らに規範的はスクラムと「アジャイル・プロジェクトマネジメント」を教える怪しいトレーナーとコンサルタントからもきている。
スクラムのトレーニングにいき、スクラムの認証を取得することが自動的に組織をアジャイルにするということはない。アジャイルの移行には、数年にわたって、ハードワーク、忍耐、縦割りの解消、プライドを捨てる、マネジメントを巻き込む、信頼、勇気、たくさんの組織変更、たくさんの実験、たくさんの失敗が伴う(経験豊富なアジャイルコーチも)。そして、それらのものすべてがとても高価だ。もしアジャイルな組織の作成が高価なら、それをアジアで作成することは、私が述べた二つの理由により、もっと高価となる。
スクラムは、人々がアジャイルへの移行がチップ同様に安価だと考えている限り、ここアジアでは機能しない。
これですべてか? どうしてそんなに難しいのか?
実際には、スクラムとアジャイルがアジアで機能せず、アジア企業がスクラムとアジャイルから恩恵を受けられないのには、ほかにもたくさんの理由がある。しかし私の友人たちは私にそれを公表しないよう忠告した。なぜなら多くの人がそれをセンシティブで攻撃的だと受け取るかもしれないからだ。これを書くときでさえ勇気が必要だった。なぜなら私は何人かは気分を害するかもしれないと思ったからだ。
スクラムは本当にアジアで機能するのか? 変われるのか?
アジャイルは大半のアジア企業で依然としてアクセサリーのようであり、人々はその後ろにある価値のためにはおこなっていない。世界の中でクールでいるためだ。アジア企業はアジャイルの流行のなかで遅れていると見られたくない。しかしアジャイルに全力を傾けて変化を組織におこすかわりに、彼らは今やっていることにうわべをかけてそれをアジャイルと呼んでいるのだ。
私は、個人的に、スクラムとアジャイルが大々的にアジア企業に適用され、アジア人リーダーによく理解されるには、革命が必要だと思う。なぜなら西欧企業のようにスクラムを機能させるには、たくさんの基本的な文化的障壁を取り除く必要があるからだ。特に、階層的トップダウン管理手法が依然としてアジア企業の大半に重たく残っている。しかし、希望はある。なぜならアジアのたくさんの若い世代が21世紀の組織がどのように運営されるべきか変えたいと思っているからだ。私はスクラムとアジャイルが基準となり、もはやオプションではなくなっている日に立ち会うことを願っている。私は願っている。コーヒーの最後の一口をすすりながら。