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クラベスAdvent Calendar 2024

Day 8

アクセシビリティの本質について: エイブリズムと環世界

Last updated at Posted at 2024-12-07

はじめに

私たちは視覚、聴覚、触覚など、さまざまな感覚を通じてモノやサービス、情報にアクセスしています。この「アクセスする」という行為は、すべての人に等しく与えられるべき権利です。
しかし現実にはその権利が十分に保証されていない場合があります。
今回はそのアクセシビリティの問題や本質について考え、自分なりになんとかまとめてみます。
(割と長いので時間の余裕がある時にコーヒーでも飲みながらどうぞ。。。☕️)


アクセシビリティとは

アクセシビリティの基本概念を理解するため、
日本産業規格の『JIS Z 8521:2020 人間工学―人とシステムとのインタラクション―ユーザビリティの定義及び概念』に記載されている定義を以下に参照します。

製品、システム、サービス、環境及び施設が、特定の利用状況において特定の目標を達成するために、ユーザの多様なニーズ、特性及び能力で使える度合い

少し言い換えると、つまりアクセシビリティとは、製品、システム、サービス、環境及び施設がどれぐらい多様なニーズのもとで利用可能なのかを表す度合いです。

例えば、「階段とエレベーターがある施設」と「階段しかない施設」を比較したとき、前者はアクセシビリティが高く、後者はアクセシビリティが低いと言えます。

  • 階段とエレベーターがある施設

    • 歩行が可能な人も車椅子ユーザーも違う階にアクセス可能
  • 階段しかない施設

    • 歩行が可能な人は違う階にアクセス可能だが、車椅子ユーザーはアクセス不可能

なぜアクセシビリティが必要なのか

「階段しかない施設」の例では、車椅子ユーザーはその施設を利用する自由や権利が制限されています。
そのような障害のある人の権利に関する条約、『障害者権利条約』というのがあり、2006年に国連で採択されました。
翌年日本も署名し、それを受けて障害のある人の権利を守る障害者差別解消法が制定されました。

以下は『障害者権利条約』の「第一条 目的」です。

この条約は、全ての障害者によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し、及び確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進することを目的とする。
障害者には、長期的な身体的、精神的、知的又は感覚的な機能障害であって、様々な障壁との相互作用により他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げ得るものを有する者を含む。

出典: 障害者の権利に関する条約|外務省

障害の有無にかかわらず、平等に情報やサービスにアクセスできることは誰もが持つ権利です。
しかし、社会には物理的・仕組み的・制度的な障壁が存在し、それがアクセスを妨げることがあります。アクセシビリティとは、こうした障壁を取り除く取り組みであり、すべての人が持つ当然の権利を実現するものです。


障害とは

障害とはなんでしょう。
アクセシビリティについて考える時に切り離せないのが障害の問題です。
障害には、以下の2つのモデルがあります。

1. 医学(個人)モデル

障害を個人に帰属させ、身体的・精神的な欠如に焦点を当てる考え方です。
障害を「治療すべき問題」としても捉えるため、個人の努力や回復に重点が置かれがちです。

  • 例: 「目が見えない」「耳が聞こえない」「注意が持続しない」

2. 社会モデル

障害は社会が作り出したものであるとし、環境や制度などが障壁になるという考え方です。

  • 例: 点字ブロックがない道、スクリーンリーダーに対応していないウェブサイト

この「社会モデル」は、『障害者権利条約』や『障害者基本法』に反映されており、アクセシビリティの基本的立場も社会モデルに立っています。

医学モデルと社会モデルは、一見対立しているように思えますが、実際には両者は補完的な関係にあるとも言えます。
「社会モデル」は個人の健康や治療の重要性を否定するものではありませんが、同時に社会全体が障壁を取り除くことが必要であるという視点が重要です。


障害者差別解消法の改正について

2024年4月、障害者差別解消法の改正により、それまで公的機関のみ義務化されていた「合理的配慮の提供」が民間事業者にも義務化されました。
「合理的配慮の提供」とは障害のある人からサービスなどの利用に際して、支援や調整の求められた場合、負担が過重でない範囲で対応をすることを指します。

ここで1つ注意点として、アクセシビリティの対応は、「合理的配慮の提供」には該当しません。
「合理的配慮の提供」はあくまで個別事案であり、アクセシビリティの対応はその事前的改善措置としての「環境の整備」に該当します。それは努力義務のままです。

第五条 行政機関等及び事業者は、社会的障壁の除去の実施についての必要かつ合理的な配慮を的確に行うため、自ら設置する施設の構造の改善及び設備の整備、関係職員に対する研修その他の必要な環境の整備に努めなければならない。

出典: 障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律 - 内閣府


アクセシビリティは「やさしさ」か

民間事業者にも「合理的配慮の提供」が義務化されたことは重要な進展ですが、「配慮」という言葉には注意が必要です。

「配慮」というニュアンスに潜む問題

アクセシビリティ研究者の田中みゆき氏の著書『誰のためのアクセシビリティ? 障害のある人の経験と文化から考える』では、アクセシビリティを「やさしさ」や「思いやり」とする考え方に疑問を呈しています。

障害のある人の権利や自由、尊厳は、障害のない人の気持ち次第で守られたり守られなかったりしてよいのだろうか。
「合理的配慮」という言葉も、もとの英語は「reasonable accommodation」なので、本来であれば「合理的調整」と訳すのが適切なはずが、なぜか「配慮」という思いやりに近いニュアンスの言葉が用いられているあたりに、問題の根深さを感じる。

出典: 同書 P.36(抜粋)

障害のない人が当然のように行使できている権利を、なぜ障害のある人は他者の「思いやり」に頼らなければならないのでしょうか。
アクセシビリティは、「やさしさ」や「配慮」から生まれるものではありません。それは、障害のある人も障害のない人も等しく持つべき権利です。
これは「特別なサービス」ではなく、すべての人にとって当然のものなのです。


エイブリズムと環世界

エイブリズムとは

エイブリズム(Ableism)は、健常とされる人の価値観を基準にすることや、それをもとに社会が設計されている状況を指します。
エイブリズムは必ずしも意識的とは限らず、むしろ無意識のうちに社会のあらゆる場面に根付いています。

例:

  • 障害のない人が感動するために、障害のある人の努力をコンテンツ化し、消費する感動ポルノ
  • 代替テキストのない画像
  • 視覚障害のある人の全員が点字を読めるという思い込み

エイブリズムはアクセシビリティの妨げになります。
ではどうやってエイブリズムに気をつければ良いのでしょうか。

環世界(Umwelt)の視点

哲学者ユクスキュルの提唱した「環世界(Umwelt)」の概念を活用することで、エイブリズムを超えて障害への理解が深まります。

「環世界」とは、各生物が固有の感覚を通じて構築している主観的な世界のことです。
例えば、マダニは視覚や聴覚を持たず、嗅覚と温度感覚で世界を認識しています。
人間も一人ひとり使っている身体や感覚のバランスの違いがあり、それを通した経験から固有のフレームを作りだし世界を認識していると思います。

この「環世界」の視点を取り入れることで、私たちは一人ひとりの体験や視点がいかに独自であるかを理解しやすくなります。それは、障害の有無に関係なく、すべての人が自分自身の感覚や身体的条件、経験に基づいて世界を認識しているということを示しています。

環世界とアクセシビリティ

アクセシビリティの課題において、この考え方は非常に有用です。同じ視覚障害を持つ人であっても、ある人はスクリーンリーダーを主に使用し、ある人は拡大鏡や高コントラスト設定を好むことがあります。これは、個々の環世界が異なるためです。一律の解決策ではなく、複数の選択肢を提供することが求められるのはこのためです。

さらに、この視点は「障害がある」ことを「欠損」と見るのではなく、その人の環世界を形作る一つの特徴としてとらえる考え方を促進します。例えば、手話を第一言語とするある聴覚障害者にとって、音声中心の世界は「不便」であり、手話通訳や字幕のある世界が「自然」です。アクセシビリティの向上は、障害者に特別な配慮を与える行為ではなく、その人の環世界を尊重し、共に過ごせる多様な世界を創り出すプロセスだといえます。

私たちのことを私たち抜きに決めないで

環世界の視点を取り入れることで、エイブリズムを乗り越えるヒントが見えてきます。「正常」と「異常」という二分法を手放し、一人ひとりの環世界を尊重する姿勢が求められます。そのためには、当事者の声が欠かせません。

障害者権利条約のスローガン「Nothing About Us Without Us(私たちのことを私たち抜きに決めないで)」は、この考え方の重要性を端的に示しています。
当事者の声を反映せずに進められたアクセシビリティ対応は、逆に新たな障壁を生み出してしまう可能性があります。

例えば、装飾目的の意味を持たない画像に代替テキストを設定すると、スクリーンリーダーを利用するユーザーにとって不要な情報が増え、操作性が低下してしまいます。これは、「アクセシビリティに対応したつもり」が、当事者の実際のニーズを無視している典型例といえます。

このような事態を避けるためには、単に「障害のない人が障害のある人にアクセシビリティを提供する」という一方通行の関係性にとどまるのではなく、
当事者と協力して課題を考え、実際のニーズを反映させることこそが、真のインクルージョンを実現する鍵だと考えられます。


おわりに

アクセシビリティは、「やさしさ」や「配慮」の枠を超えた人権の問題です。エイブリズムを克服し、多様な環世界を想像、尊重することでより多くの人にとってアクセシブルな環境がつくれると思います。
本稿内での「障害」の表記について最後に少し触れておきます。
「害」という字へのネガティブなイメージが強いため、それに配慮して「障がい」や「障碍」と記載されることもあります。
あえて「障害」という表記にしたのは、社会モデルで捉え、その問題が社会にあることを自覚することが大切だと思ったためです。
長々と自戒も込めて書きました。
本稿がアクセシビリティについて少しでも考えるきっかけになれば嬉しいです。読んでいただきありがとうございました。

参考

書籍

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