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スクラムフェス神奈川2024 小田原の中心で小田中への愛を叫ぶ

Last updated at Posted at 2024-03-18

2024/03/16-17に小田原で開催されたスクラムフェス神奈川2024。ホテルでの滞在・宿泊型の2日間のイベントでした。
https://www.scrumfestkanagawa.org/

講演の予定もなし、アウトプットの予定もなし、ある種のリトリートとして参加したイベントは5年ぶりくらいです。ただ、そこで得られたものは、自分自身へのディープダイブでした。

今回参加の1番の目的は小田中さんのキーノートを聞くこと。
キーノートはこちら
今回の小田中さんの話から心に火を灯された人はいっぱいいるはずです。見ていて人をアツくさせる、燃え盛る真っ赤な炎です。

でも、私は違った感情でセッションを聞いていました。今日は、小田中さんへの想いを綴ろうと思います。ブログを「誰か1人のために書く」というのは私にとってはあまりない経験です(過去稲山さんがお亡くなりになられた時くらいかな...)。
でも、溢れる気持ちを抑えておくよりも、文字に起こすことで自分のふりかえりにもなると思って書いています。小田中さんのふりかえりにもつながればと思っています。

今では「いきいきいくお」「いくおさん」と呼ばれるようになった小田中さん。でも、私からするといきいきする前から繋がりがあり、「いくお」と呼ぶのはちょっと違和感があります。気恥ずかしさがあるのかもしれない。なのでこの文章では小田中さんと呼びます。

ここから先は、小田中さんに捧ぐ。

小田中さんのキーノートを見て、感じたこと、思い出したこと。

タイトルの雰囲気からすでに「おっ、いつもの小田中さんってぽくないな」という匂いがしていました。蓋を開けたらしっかり小田中でした。最後はいきいき(いきき)に溢れてましたね。
彼のセッションを聞くときは、いつもある種のワクワク感があります。「次はどんな話が出てくるんだろう」「どんな新しいことを見せてくれるんだろう」。でも、今日の発表では、そのワクワク感ではなく、他の感情が生まれていくのに気づきました。

小田中さんが自分語りコーナーに入り、話を聞きながら頭の中に浮かんでいたのは、私自身のジャーニーと小田中さんとの出会いでした。

黄色くなかった私を知る、小田中さんとの出会いと今まで

私は2013年に社会人として歩み始め、ひたすら炎上プロジェクトの鎮火作業をしてきた4年間。チームリーダー、プロジェクトリーダー、PMとできる範囲を増やしつつも、燃え上がったあとに入り込んで、いかに自分のバリューを出せるか、辛い現状をどう改善していくかに苦心し続けた日々を送りました。
そうした中で2017年にアジャイルに出会い、当時のマネージャの石橋さんに連れられ行ったのがAgile Japan2017。そこでアジャイルコミュニティというものの存在は知ったものの、まだ私には遠い世界でした。そして現場では開発現場でプロジェクトルームを貸し切ってカンバンを作ったり、スクラムマスターとしてあーだこーでもないと議論しながら試行錯誤する日々。ふりかえりの楽しさにも出会い、ひたすら自分で研究し続けて、何十ページ分にもなる「ふりかえりのふりかえりノート」を作っていたのもこの時期でした。

そして2017年10月6日。社内で「Netadashi Meetup」というイベントが開催されます。主催は私をAgile Japanに連れて行ってくれた石橋さん。Navitime社のエンジニアたちも一緒に来てくれて、セッションをすることになっていました。
ここで私は「電子教から物理教に宗旨替えした話〜カンバンはいいぞ」という話をしたんですね。RedmineやJira、Tracなどのタスク管理ツールを脱却し、全て現地で紙を使って行うカンバン形式に変えてみたら凄くワークしたぞ、という話です。この話をした、というのは自分的にはあまり強い印象は残っていません。「そういえばそんな話をしたなぁ」くらい。ですが、発表したことよりも、その先に待っていたものが、私の人生を変えるきっかけになりました。
当時の講演資料。なつかしいですね

発表のあと、2次会に。世界中のビールが飲み放題だという店に行きました。そこで出会ったのがあなたでしたね。
2次会で意気投合したのかその前だったのかはもはや定かではないですが、私が発表した内容にコメントをくれ、そしてカンバンやスクラムなど、お互いの現場の話で盛り上がりました。そして「ふりかえり」の話題になったとき、互いのボルテージがあがったのです。
私は私で、ふりかえりの研究ノートを作っていて課題感を感じていましたし、小田中さんも現場でのふりかえりをどうしようか課題感を持っていました。まだ世の多くの人たちには「ふりかえりといえばKPT、他にも手法?知らない知らない」という時代。その中で2人だけでひたすらふりかえりに関する話をしていきましたね。

「こんなやり方をやってる」「こういう想いがあって」「場づくりってめっちゃ大事で」「わかる、周りにもつたえたくて」「そうそうこういう経験もあって」「それいいね、こっちでもやってみよう」

言葉は途切れることがなく、2次会の約2時間、ずーーーっと2人でビールを片手に話していたのを今でも覚えています。

私にとって、このイベントは「社外でも自分と同じ、強い想いを持った人がいる」と知ったきっかけでした。それからふりかえりの研究が自分に閉じずにさらに広がりを持たせて、そして「世の中に同じ思いを持つ人にふりかえりの情報を届けたい」と、心に火が灯ったのがこの日でした。

そのイベントからは小田中さんとSNS上でのふりかえりに関する情報交換をするようになって、イベントで会うたびに互いの話をしましたね。小田中さんの顔をイベントで見かけるたびに嬉しくなり、自分から必ず声をかけるようにしていました。

それからしばらく経って、Navitime社にふりかえりに関する講演や研修をさせていただくようにもなって。会社にお伺いしたときにも、アジャイルな活動の様子を見せてもらったり、現場の方々と交流してわくわくしたのを覚えています。なお、私が当時Navitimeにいたそばさん(@sobarecord)とも交流が深まったのもこの時期からでした。そばさんのことも小田中さんのセッションの中で語られていましたね。彼は今、弊社で元気にやっています。

ここらへんから私は黄色の人になりました。ふりかえりのことを中心に発信し、イベントにはいつも「プロジェクトマネージャ保護者会」の黄色い服を着て。こちらはまた別の方とのストーリーがありますが、ここでは深くは語りません。

黄色くなったあとは「びば」「黄色い森」の2つの呼び名が増えてきて、最近だと「森さん」と呼ばれることが多くなってきた気がします。でも、小田中さんが「びばさん」と呼び続けてくれているのがちょっぴり嬉しく思います。私からすると「びば」のほうがしっくりくるんですよね。

別の道を歩みつつ、背中を押し合うパートナーとして

互いにRSGTのイベントにも顔を出すようになり、登壇者として会う機会も増えました。
彼はナビタイムの中でマネージャとして、OKRなどの目標設定に興味を持ち深めていく一方で、私はNRIの中でアジャイルコーチとして対組織へのチームビルディングとふりかえりを深めていきました。(この道を深めた結果、フェスでLTしてくれた猫大好きな加藤さんと出会ったり、チームビルディングチートシートを作るきっかけにもなりました)
道は違えども、互いの培ったものを共有し、前に進んできました。彼にOKRのことを教えを乞うたこともありました。

小田中さんにはふりかえり読本ふりかえりガイドブックに積極的なレビュー参加をしていただきました。ふりかえりガイドブックはあなたのコメントがなければ今とは構成が全く異なっていたと断言できます(入稿1週間前で構成を半分以上変える大手術をしました)。
どこかでそのことを申し訳なさそうに話していましたが、私には感謝しかありません。あのコメントがあったから、今の世の中でふりかえりガイドブックが評価されているのだと思っています。

実は、小田中さんが先に書籍「いちばん優しいアジャイル開発の教本」を発刊したのを見て、「先を越された」となんとなく悔しかったのも覚えています。それ以上に賞賛の気持ちが99%なのですけど、「先を越されて悔しい」と感じるのは過去も今も小田中さんだけだと思います。

なんならスクラムフェスのオープニングキーノートという役割を小田中さんがしたのを見て「先を越された」と思ったくらいです。多分これは私だけの感情なんだろうなと思って大切にしようと思います。

ふりかえりチェックシート」というのを一緒に作ったこともありましたね。2人のポリシーをぶつけ合いながら作るプロセスはひたすら楽しく、出来上がったものはとても素晴らしい出来だと思っています。今もチームの中で使ってくれている人たちが数多くいます。あの経験は私にとっても財産となりました。

私にとって、小田中さんは、同じ志を持って、別の道を歩みながらも、互いの背中を押し合うパートナーです。これからもずっと、そんな関係性が続けばいいなと思います。

kakehashiに入ってからは、楽しそうに毎日を過ごしているのを見て、自分のことのように嬉しく感じつつちょっぴり嫉妬している自分もいます。いちゃいちゃしやがってw いいぞもっとやれ。新しい道がまた開けたあなたのジャーニーの話を、いつでも楽しみにしています。

そして小田中さんの話を聞いて

小田中さんの道の解像度がより上がった気がしました。「フフフフ」な原体験があったからこその今の熱量。膨大な知識量の中から、今回のセッションでらひたすらわかりやすく伝わりやすい説明・単語を選んだのだとも、聞いていて感じました。ある種小田中さんらしくないけれど、小田中さんの芯が伝わる、そんな内容に思えました。

実は私の話が出ることは、自分語りが始まったタイミングでなんとなく予想していました。あんまりびっくりできなくてごめんね。でも、私の話を出してくれたことはすごく嬉しかったし、壇上に呼んでくれたときは涙が出るほど嬉しかったんです。花粉症で別の涙が出ててしんどかったのですが、心は震えていました。

セッションで話を聞いて、みんなの心には燃え上がるような炎が灯ったように、周囲の反応を見ていると感じます。
でも、私の心には、7年前に小田中さんからもらった火がずっと燃え上がり続けていて、セッションではその火はどんな大きさなのか、どんな色なのか、どんな形なのか、そんなことを見つめ直す時間だったんです。満点の星空の夜、パチパチと燃え盛る焚き木を見ながら、思い出がリフレインする。そんなとっても素敵な60分間を過ごせました。

私はこれからも、あなたの後ろをついていこうとは思いません。隣に、時には一歩前に、時には斜め後ろにいます。共に歩む仲間として、私なりの「火」を周りに伝え続けたいと思います。それはあなたに対してもそうですし、あなたから新たな火をもらうこともたくさんあるでしょう。それがたまらなく、楽しみなのです。

これからも、よろしくね。
また2人で飲みましょう。
スクラムフェスこどもの国も、そのうちやりたいね。

あなたのまわりに、そんな人はいますか?

コミュニティで、カンファレンスで。あなたの周りに、「私にとっての小田中さん」のような人はいま、いますか?これは特定の誰か1人でなくて、複数人いてももちろんいいです。

いないのであれば、スクフェス神奈川のようなイベントで繋がった人たち、そして意気投合した人たちとの対話を継続的にしてみてください。出会うたびに互いの変化を伝え合ってください。
一緒に世界を変えていきたいと意気投合するかもしれませんし、弱みを埋め合うパートナーになれるかもしれませんし、高め合うライバルにもなれるかもしれません。

カンファレンスやフェスで得られた火は、あなたにとってどんな火でしたでしょうか?
どんな色に見えますか?
どんな大きさをしていますか?
その火を通して、誰の顔が浮かんできますか?

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