この記事はファンタラクティブ2024年アドベントカレンダー 12月5日の記事です。
はじめに
誕生日だ!!!! 25歳だ!!!! 嫌だ!!!!
今まで若さとハッタリだけで人生を乗り切って来た人間なので、アラサーの重みがのしかかります。社内でギャルのモノマネとかして楽しんでいる場合じゃないかもしれません。
さて、みなさん改めましてこんにちは。うずらです。
いきなり渾身の嘆きから始まって驚いたかもしれませんが、大丈夫、間違っていません。ファンタラクティブ2024年アドベントカレンダーの記事で合っていますよ。
今回は社内でフロントエンドエンジニアとして働いている私が、25歳を迎えて「勉強」と「キャリア」という話について書いていきたいと思います。
テックブログという内容ではないのですが、エンジニアとして働き続けて、自分の今後のキャリアを考える中で、「勉強」の意味について考えるに至った記事です。考察記事的なやつです。
よければ最後まで楽しんで読んでいただければ幸いです。
本題に入る前に
本題に入る前に、ここで簡単に自分の経歴について述べておきます。
先述の通りフロントエンドエンジニアとして働いているのですが、20歳で学校を卒業後、ほかの職種を挟むことなくエンジニアになっています。
学生時代は情報系以外にも経済経営や社会学の勉強をしていたり、現在進行系で心理学の勉強もしていたりと、おそらく文理の区分でいえば私は文系の人に入るでしょう。数学(特に確率統計)も好きだったのですが。
ちなみに心理学は「進化心理学」と「臨床心理学」をメインに学習中です。ゆくゆくは院に通いたいのですが、このあたりのキャリア目標の話は後述しますね。
そんなわけでエンジニアリングの知識はほとんど実務で手に入れたものであり、逆にいえば、実務で経験していないものの知識には乏しいです。座学は好きなのですが、エンジニアリングって座学だけだとまあ忘れてしまいます。
「人生100年時代」の四半世紀
「人生100年時代」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?
元々は、『LIFE SHIFT(ライフ・シフト) ― 100年時代の人生戦略』という本の中で提唱された概念です。国内でも「人生100年時代構想会議」が行われ、「人生100年時代」を見据えたシステムづくりが議論されています。
今回の記事でこの概念や、政治的な話をするつもりはないのですが、しかし実際「人生100年時代」というワードのインパクトも込みで、考えなければならないことは多々あるはずです。
例えば「自分が老齢になったとき、どうすればいいのか」「そもそも100歳まで本当に健康でいられるのか」「自分が100歳になるころにはどんな社会だと望ましいのか」という、不安の種や社会制度について。もっと楽しいものも考えてみましょうか。「自分が100歳になるころにはどんなテクノロジーが発達しているのか」という近未来に思いを馳せるのも楽しいですね。
自分の場合はどうだったか。自分は25歳になって、人生を100年生きるとしたらその 1/4 を迎えるわけですが、改めて今後の身の振り方──たとえば「自分はこの先どう生きていきたいのか」「自分はエンジニアを生きる限り続けるのだろうか」──を考える必要がでてくるなと。
……いえ、正確に書くなら毎年振り返っていて、毎年今後の生き方については考えています。しかし、1/4 というわかりやすい区切りをもって、それを明文化する良い口実ができたと思っています。
そもそも25年を迎えたからといって、何かが変わるわけでもないのです。当たり前です。ただ、自分の中でわかりやすいマイルストーンなだけにすぎません。そしてこの記事は、これを読んだ人が「自分のキャリア目標を改めて考えてみる」きっかけになればいいなと思って書いています。
これまでの25年を振り返ると、当然ながら自立していない時期のほうが長く、正直今後の25年、50年、ましてや75年のことなんて全く想像ができません。
しかし、この25年のうちで自分が好きだったもの、そして今後のキャリアを考えるにあたって良い指標になりそうなものがありました。それが「勉強」という営みです。
勉強は好きか??
勉強って、まあめんどくさいイメージがつきものです。自分も先程「好き」と表現しましたが、ごめんなさい、全然ゲームのほうが好きです。これを書いている頃にはまだ DQ3 のリマスターが発売されて旬な時期なんですが、DQ3 >>> 勉強 くらいの温度感です正直。アリアハンからまだ出ていませんが、年内には出ます。
これはどうしても勉強によって得られるドーパミンやアドレナリンと、ゲームによって得られるそれとでは差があるので許していただきたいのですが。
しかしそれでも勉強が好きだとは胸を張って言えるでしょう。文理問わずなんでも好んで食べます。今は漢検準1級の勉強が非常にアチィです。見たことない四字熟語見るとワクワクしませんか?? どこで使うのかわからない語彙を見ると楽しくなりませんか??
また、先述の通り、現在大学に通って心理学の勉強もしています。学生時代は独学が中心だったのですが、資格のためを考えると、というのと、自分で学習するには一部限界を感じたため、社会人と両立しながら通信制大学に通っています。
勉強が順調とはなかなか言いにくいのですが、独学で得た知識が体系化されたり、他の学術との関連が見えたり、新たな知識を得たりと、とても楽しく学べています。
これを読んでいる皆様はどうでしょうか?
エンジニアやデザイナーには勉強が苦じゃないという方も多いと思っています。というか勉強という感覚ではなく、「触っていたら知識を得ている」「わからないから調べてたら詳しくなった」という感覚の方も多そうです。
エンジニアやデザイナーではない方でも、これは僕の純度100%の偏見ですが、こういうアドベントカレンダーの記事を読んでくださる方は勉強が苦じゃない人だと思っています。
というわけで意外と自分を含め、勉強が好きだとか、勉強がそんなに苦じゃないという方は周りに多そうだなと思いました。これはレアな環境かもしれません。
しかし、勉強を単純に自分のキャリアのためと考えている人ほど、改めて勉強する意味を考えてみてほしいなと思いました。勉強の意味を考え直すことで、新たなメリットを見つけ出し、勉強を楽しめるような人が増えてほしいと思っています。それが人生100年時代における「生涯学習」の第一歩だと感じているからです。
「勉強」の意味
「なんで勉強をしないといけないのか?」
こんな疑問を感じたこと、あるいは質問されたことがある方は多いのではないでしょうか? 自分で考えたこともありますし、塾でバイトしていたときに質問されたこともあります。
人生100年時代、AIの台頭はもちろん、老若男女問わずインターネットに触れられるようになり、いつでも検索で知りたい知識にアクセスできるようになりました。英語の翻訳はAIに任せ、複雑な数式もそれを計算してくれるサイトに任せてしまえば、仕事に必要な知識だけ最低限勉強すれば良いんじゃないか? と思うことも増えました。
そのため、学生から「調べればでてくるじゃん」と言われてしまえばなんと答えるべきか非常に困ったものでした。
当時は「選択肢を増やすため」と回答していました。
学生なら「将来の夢の選択肢を増やす」ことにつながりますし、社会人であれば「社内でできることの選択肢を増やす」「転職するルートを増やす」ことにつながります。既にあらゆることに習熟した高齢の方であっても、新たな知識や趣味を学ぶことは「老後にできることを増やす」「老後の楽しみを増やす」ことに繋がるでしょう。
別にこれが間違っているとも思っていません。
ただ、とりあえずここでは「勉強とは『しおり』だから」と回答してみます。
どういうこと? と思うかもしれません。
「しおり」には大きく二つの意味があります。一つは「目印になるもの」、もう一つは「案内や手引き」です。前者は「本のしおり」、後者は「修学旅行のしおり」という文脈で使うものです。それぞれの観点から、勉強を考えてみます。
目印としての「しおり」
本の「しおり」は、読んだ箇所に戻るための目印です。同じように、勉強は、知識に「しおり」を挟む行為だと考えられます。例えば、日常で新しい知識に触れたとき、「あ、これ昔勉強したことがある!」と思い出すことがありますよね。勉強とは、そんな「思い出すきっかけ」をたくさん作る作業と考えています。この「しおり」によって、知識は単なる暗記ではなく、日常と結びついて、引っ張り出せるようになっていくものになります。
さきほど検索すればいいじゃん、と書きましたが、検索するときにはこのしおりが多いほど、関連ワードを見つけやすくなり、検索効率が上がるというメリットがあります。だから検索すればいいと思っている人こそ、勉強するべきだと考えます。
案内や手引きとしての「しおり」
修学旅行の「しおり」を作る過程で、修学旅行先の知識を理解したり、班の行動や注意事項をまとめたりする必要がでてきます。しおりの目的の一つは、読んだ側が未来のことを考えるきっかけになることにもあります。同様に、勉強とは知識を整理し、未来の行動や思考の指針を作ることとも考えられそうです。
修学旅行のしおりを読んだときに「あ、最終日はここ行くのか〜、じゃあついでに◯◯も見ちゃおうかな」とか、あるいは「早めに起きて朝から温泉入ろうかな」とか、そんな感じでワクワクしたりしませんでしたか? 勉強をきっかけに、そういう想像力や可能性を掻き立てるのにも役立ってくれるものです。
書いていてわかりにくくなってきた気がしますが、要するにこんな感じです。
- 本のしおりを挟むように、知識を思い出すきっかけを作る
- 修学旅行のしおりを作るように、知識を整理し伝えることもできる状態にする
- 修学旅行のしおりを読むように、知識から未来を想像したり可能性を見出したりする
「選択肢を増やす」というのも、しおりを読んで「こうしようかな」と想像することとイコールだと思います。ただあくまで、勉強の一側面に過ぎないと思っているのです。
ちなみに、漢検準1級の勉強をしている私ですが、「仕事やキャリアに役立つ」とは露にも思っていません。せいぜい努力家だなと認識してもらえる程度の効果しかないと思います。学生時代に勉強した経済学や社会学の話も、社会人になって役立ったことはほとんどありません。話のネタになるくらいでしょうか。
「知識人や努力家として認識してもらえる」というのはメリットです。自分のブランディングとして勉強をしている側面もたしかにあります。
しかし自分にとっては、勉強にはブランディング以上の意味があります。僕はただ、修学旅行のしおりを作るのが楽しい人だっただけなのです。
おわりに
ここまで勉強の「意味」について考えてみましたが、その役割の一つに「未来を想像したり可能性を見出したりする」と書きました。これこそが、勉強が「今後のキャリアの指標になると考える理由」、そして「生涯学習の第一歩と考える理由」と言える意味でもあります。
ただ修学旅行のしおりを読んでいて、こうしたいなと思ったことは意外と予想通りにできなかったりします。先生から「この時間は全員で行動するぞ」と言われたり、当日の天候不良で臨時休業してしまったり、あるいは木刀を買ったらお土産が買えなくなったり……。あるいは単純に気が変わったりもしますよね。しおりをもらってから行くまでに時間空きますから。
どれだけ未来のことを考えても、そのとおりにはなかなか上手く動かないものです。
私が心理学を大学で学んでいる理由は、大学院を卒業し、臨床心理士および公認心理師の資格を取得したいと考えているからです。これを決意したのがおよそ2年前なのですが、なかなかスムーズには行きませんし、そもそも大学院に行ったら仕事と両立できるのか? と今でも考えています。
それとは並行してエンジニアの仕事を続けたいし、生涯エンジニアでいたいなとは考えています。でもこれもわかりませんよね。50歳になる頃には急に「マクドナルドで働きたい」と考えているかもしれません。好きなので……。グラコロ食べました??
だから今、こういうキャリアを進みたいと考えていますが、数年後、あるいは数ヶ月後にはまた変わっているかもしれません。でもそれもしおりを読む醍醐味です。
人生100年時代の 1/4 を終え、花咲く春の季節から、葉が茂り活力あふれる夏の季節のような25年を送れるように、これからも勉強をしていきたいなと、そんな言葉で記事を締めたいと思います。
ファンタアドベントカレンダー、次の記事は我らがエンジニアマネージャー・こにたんこと小西さんの記事です!! きっと素敵な記事だと思うので楽しみにしていてくださいね!!