ハイサイ!オースティンやいびーん!
概要
人材の多様性を大切にする職場なら、日本人と外国人とで区別せず、日本語で話している時は一律「さん」付け、つまり敬称を付けて呼ぶべきです。
敬称の意味
なぜ外国人メンバーにも同様に敬称を付けて呼ぶべきかの解説に入る前に、そもそも「敬称とは何か」について一緒に考えたいと思います。本来、何の意味を込めて「〇〇さん」と相手を呼ぶようにしているのでしょうか?
敬称を付けて呼ぶのは、相手に敬意を払うためです。
他の言い方をすれば、相手を尊敬するための常套手段です。
一緒に会社で働いていく複数の個人が、お互いの違いも立場も含めて尊敬し合うことが必須とされますが、日本語ではその表れとして「〇〇さん」と相手に敬称を付けていることが多いです。例えプライベートで呼び捨てにするほど親しい友人でも、会社という公の場ではケジメを付けてその友人を呼ぶ時は敬称を自然に付けることでしょう。これは、相手の立場を気遣っての結果です。
相手に敬意を払う、公私のケジメをつける、つまり同じ土俵に立つ職人として、対等にコミュニケーションを取るための決まりというのが、敬称です。
最近の敬称の文化の変化
一昔は、地位の区別を表現するために「〇〇部長」、「〇〇くん」という風に、さまざまな敬称が一般的に使われていましたが、ここ数年間でその文化に変化が生じています。
筆者が働いてきた多くの「現代的な社風」を意識している会社では、肩書き関係なくともかく全員を一律「さん付け」にするように規則を定めている会社は多かったです。
最近聞いている話では、学校でも生徒を「さん付け」にすることが一般的になったとか。この理由も、子供の人権を意識した背景があります。なんと、生徒を呼び捨てにすることによりいじめに繋がりやすいと言われています。
全体的に地位を問わず「さん付け」に統一する動きがあると結論づけてもいいでしょう。
敬称を付けない、呼び捨ての意味
逆に、あえて相手に付けなかった時に、本人と周りにどのような意味が伝わるのでしょうか?職場に限って考えましょう。
例えば、目上の人を意図的に呼び捨てで呼んだらどのような反応があるでしょうか?筆者はあえて試したことはないのですが、カンカンに怒られることでしょう。その理由も語るまでもないでしょう。
あえて説明すれば、まず、その目上の人を公の場で呼び捨てにしたことにより、周りにそう呼んだあなたがその彼・彼女より目上だと見せているからです。さらに言えば、会社のその役職に対しても敬意を感じていないことも周りに伝わるからでしょう。つまり、緊張感がなく、プライベートと職場を勘違いしている、公私混合だと思われることでしょう。
目上の人でなくとも、対等の同僚、目下の部下に対して呼び捨てをした場合も、その個人の立場と役職に対して敬意を払っておらず、傲慢に感じることでしょう。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺があるように、偉い人こそ目下の人に対しても謙遜したり、相手を気遣ったりするものですが、目下の人を呼び捨てもしくはあだ名で呼ぶのは奢り他なりません。例え個人的に仲良くても公の場ではその人のメンツを気遣うべきなのではないでしょうか。
なぜ敬称を外国人に付けるべきか
上記の内容を読んで、日本語において敬称を付けることがどのような意味を含んでいるのか、確認した僕らですが、さて、本投稿の本題である「外国人をさん付けにするべき理由」はいうまでもないかもしれません。それでも一緒に考えていきましょう。
相手に敬意を払うため
上記でも触れましたが、敬称は相手に敬意を払うためです。相手が外国人だから、その人だけを呼び捨てにすると、本人はどう感じるでしょうか?尊敬されていると感じやすいのでしょうか?
少なくとも自分が他の人と違う扱いを受けていることに気づくでしょう。違う扱いを受けていることは、読者も経験したことがあるはずなのでわかるかと思いますが、快い経験ではありません。
相手の会社における立場を尊敬するため
その外国人の同僚はもしかすると、役職がついているのかもしれません。テックリードなどの役職そのものに敬意を払うために、赴任している外国人の同僚に敬称を付けておくべきでしょう。
自分らが一緒に築いている組織そのものに対して敬意を払っているようなものです。自分がまたその立場になった時にも同様に敬意を払ってもらいたいものです。
包括的な社風を育むため
日本人と外国人とで区別をしないことにより、包括的な社風を育むことができます。
我々が関わるエンジニアの業界は人手不足に長年苦労しているほか、日本国内の技術水準が低いのです。そこで、外国から優秀な人材を採用して社内の技術レベルを上げる手段はとても有効です。
職場でみんなを同じ職人として尊重し合う社風を醸し出すために、外国人と日本人とを区別せずに、一律全員さん付けにするようにしたら社内の意識を変えるきっかけになるでしょう。
いじめ、差別の根を張らさないため
小学校等では呼び捨て、卑称、あだ名がいじめの原因になることもあるらしいです。職場でも外国人の名前が発音しづらい、長いなどの理由で「サルファラスさん」を「サルくん」と呼ぶようになったらいかがでしょうか?
反論編
筆者は10年以上日本で仕事をしています。大人になってから日本でしか働いておりません。しかし、筆者も相手に自分のことを「オースティンさん」(結婚してからは婿入りしたもので「井上さん、もしくはオースティンさん」)と呼ぶようにお願いする時に、すんなり受け入れてもらえなかったことも多かったです。
「親しみを込めて呼んでいる」
これはおそらく急成長期以来、昭和に始まった一般論ですが、多くの方は、外国人の文化に対してむしろ親しみを持っているから、相手に合わせて呼び捨てにしてあげたいという気持ちゆえの行動かと思います。悪気はないとも言われます。
しかし、気づいてもらいたいことがいくつかあります。
まず「相手の文化」と言っているのは、Mr./Ms.を使わなくなったアメリカの文化を意識した偏見かと思います。世の中には敬称が今でもビジネスの場で元気で活躍している文化・言語はたくさんありますし、そのアメリカン英語でさえも敬語は今も重要な役割を果たしているのです。イタリア語、ドイツ語のビジネスの場でも敬語と敬称を使うし、中国語と韓国語にも敬語と敬称が重要な役割を果たしています。筆者はたくさんの外国の文化を知らないのでそれくらいしか例が出ないのですが、きっと他にも色々な価値観を持った文化があるでしょう。
相手の文化に合わせて呼び捨てにして親しみたい、距離を縮めたいということですが、呼び捨てにすることが必ずしも相手の立場に寄り添っているわけでもないし、相手も必ずしも距離を縮めてほしくないのかもしれない、そう考えてみるといかがでしょうか?
また、そもそもの話ですが、職場で出会った人で友人になるケースはありますが、友人以上に、職場においてはその人は同僚です。同僚、もしくは上司に対して、初対面から親しみたいからと言って呼び捨てにするのは、正直に言いますと馴れ馴れしいと思われても仕方がないと思います。
親しみを込めて呼び捨てにしていても、相手からして親しみに感じていないのかもしれないことを意識しましょう。
「どうせ日本語がわからないから」
これは意外と多い勘違いですが、日本語がわからなくても話されている言葉を熱心に聞いています。
読者は試しにネットフリックスのどれかの動画を字幕なしで全く知らない外国語のものを15分間熱心に聞いてみてください。言葉がわからなくても話者が使う言葉にパターンを必ず意識するようになります。
日本語がわからない外国人もわからないからこそ熱心に聞いているものです。
そして、自分の名前を呼ばれている時にそれ以上にまた耳を立てるものです。他の人の名前も聞き取れるはずです。
「田中さん」が呼ばれるたびに「さん」がセットで付くのに、「ジェームス」と自分の名を呼ばれた時に「さん」がないことに嫌でも気づきます。
これは僕の知り合いの多くの外国人から同様に聞いた話です。僕はよく彼ら・彼女らになぜ日本人がお互いに「さん」を付けてこちらに付けない理由を聞かれますが、毎回説明に困ります。正直にいうと、根強い閉鎖的な差別意識によるものだと説明することになります。外人とそうでない人とで無意識に区別をして扱いを変えているのです。言葉の響きが悪くて読者は不愉快に感じるかもしれませんが、これは立派な差別です。
日本語がわからなくても、自分が違うふうに呼ばれていることには気づきますし、当事者は傷つきます。
「敬称は日本の文化だから」
上記でも先に触れてしまいましたが、敬称は日本の文化だから外国人を敬称で呼ぶことは日本の文化を押し付けることになると気遣う人がいるかと思います。
ただ、敬称と敬語は世界各国の言語に存在しますし、敬意を払う、相手を敬う文化は万国共通です。
それに、日本語で話している時には日本語の礼節に則って相手を扱えばいいのです。これも国際的なビジネスマナーになっていますが、さまざまな文化があってそれを全て理解することは不可能だから、自分らがしゃべっている言語の適切な丁寧語を用いることがルールです。
軽蔑されていれば言語がわからなくてもわかるものですが、逆に敬意を払ってもらっていること自体も言葉が違っても伝わります。
日本語において我々にわかる方法で相手を尊敬するとなれば、それは「さん付け」にすることになります。
ビジネス英語で話すなら、「さん付け」は無論、不要
上記の説明の通り、国際ビジネスの暗黙の理解では、とりあえず話している言語の敬語を使うことになっていますが、英語でしゃべっている時には無論、外国人に「さん」をつける必要はないです。
しかし、ここで問題ですが、同じように日本人の同僚と英語で話している時には、その人を「さん付け」で呼ぶのでしょうか?
もし日本人の同僚を「さん付け」と英語でも呼ぶようにしているなら、一緒に話している外国人もその場合、「さん付け」にするべきでしょう。
ちなみに筆者は、日本人も外国人も区別せず、英語の時は「さん付け」にしません。
まとめ
ここまで外国人もさん付けにするべき理由を解説してきましたが、いかがでしょうか?
ここまで読んでいただけたなら、まずは筆者から個人的に感謝したいのです。内容が人によっては後ろめたい気持ちにさせる部分があるかと思います。たくさんの人々の常識を筆者は差別的だと批判しているように思われても仕方がありません。そういう意味ではこの投稿に対してあるいはたくさん反論のコメントが来るかもしれません。ただいくら反論があってもここで話している内容は外国人の当事者が感じているものなので、その事実は変わりません。
問題提起とはとても大変なことで、相手の人格を否定したいわけではありません。筆者はあくまでも日本のIT文化をより国際的で寛容なものになってほしくて日々努力しているものです。外国人が尊重されて受け入れられるような職場は、日本人も尊重されて受け入れられる職場なのです。
国際的な競争力を高めるためには、IT業界に留まらずに日本全体で我々の意識を変える必要があると思っています。
日本語で外国人をさん付けにすることは小さなことですが、とても大きな意味がある変化です。
ぜひ一緒に外国人も受け入れられていると思えるような職場を築いていきましょう!