こんにちは、オースティンです。
久しぶりの投稿ですが、技術の話題というより、個人の話を少ししたいと思います。それから、外国籍エンジニア、ホワイトカラー移民としての経験を共有した上、日本社会および企業のコーポレートカルチャーに置ける外国人の立場について一緒に考えたいです。
非常にブログに近い投稿かと思いますが、読んでいただければ嬉しいです。
筆者の来日について
僕自身の話ですが、日本に初めて来てからあれこれ10年以上経ちます。初めて来た時は18歳でして、大学2年生だったのです。アメリカの高校を飛級で2年早く卒業してミシガン州立大学に17歳の時に入ったのですが、二十歳になった時は留学先の琉球大学で、お酒が飲めるようになったことを一人で喜んでいた記憶があります アメリカでは21歳になってからなので、なんとなく得した気分でした。
日本にそもそも来た理由は、アニメが好きだったり、日本文化に親しみがあったわけではなく、単純に母国の兄弟があまり行かない場所に、冒険しにいきたかっただけです。
日本に来てから、「外国人は日本語を上手に喋れないだろう」という既成概念の壁にぶち当たったのですが、挑戦心に溢れた、負けず嫌いの若き筆者は一つのチャレンジとして「完璧にマスターしてやる」ことを決意して、それだけに集中して必死に語学学習に励む時期がありました。所詮、言葉は言葉です。誰でもやろうと思えば喋れるようになるし、訛りだって努力すればなくせるものです。
大学を卒業する時に、次は中国語をやろうと思って一瞬台湾の企業に就職することを考えたのですが、結局は日本に戻って新卒就職をしたのです。
要するに、日本に来たのは、若気の至りで閉鎖的な文化に溶け込むことを最高の挑戦として捉えたからです。若い筆者は、やはり若かったな。今なら絶対しません。体力が足りんのです。
なぜ日本に残ったのか
僕が今も日本にいる理由は簡単です:家族ができて簡単に帰れないからです。高度人材のプログラマーだとはいえ、円安でチビが二人いると、アメリカに帰るという莫大な費用をカバーするほどの貯金がなかなかできないのです。
アメリカに帰りたいと思います。しかし、若い時とは違って僕一人の思いなんかより現実が鉛の塊を両足に付けて海の中でサメから逃げるのと同じように容赦なく足を引っ張ってくるのです
仲間に入れてもらえないのは疲れます
若い時は、日本の閉鎖的な文化を超えて溶け込むことをチャレンジとして捉えて面白かったのですが、年も食って、子供による慢性的睡眠不足が続くと、そんなチャレンジなんか興味なくなります。
ずっとガイジンとしているのは、疲れます。もう面白くないです。
半年前に永住権審査も不許可になりました。きっとそのうち許可されるでしょうが単純にその結果でプライドが傷つきましたし、やっぱり帰りたいなと思いました。
また最近も永住者が税金を滞納したら永住権剥奪もありだという法の改正も入るようですが、これは外国籍の移民にとってはとても悲しい改悪です。人生には失敗が付き物です。偶然が重なって更新の時に入管からして好ましくない状況にあったら、更新できないのかと心配するものです。10年後ここにいられるのか、慢性的な不安感は拭えないんです。移住というのは、なかなか神経を削るものだなと今は思います。
日本社会に外国籍エンジニアの居場所は?
それで本投稿の本題ですが、筆者が問いたいのは、日本社会に外国籍エンジニアの立場をどうするかということです。
コロナが明けてまたまたホワイトカラーの外国籍人材が入国するようになったのですが、彼女ら彼らは歓迎されますでしょうか?多分歓迎されるでしょう。
ただ、「日本人」には彼ら彼女らが入ることはありますでしょうか?
よく、日本が経済的な競争力を高める議論を聞く時は、「日本」ということと、「日本人」が同一にされています。つまり、日本人=日本=日本経済というふうに、全部ゴチャになっているのです。AIの開発にも「国産モデル」というキーワードがあるのですが、「国産」とは何を指しているのでしょうか?日本人が作ったことを指しているのでしょうか?日本人が作ったことと、日本国において多国籍チームが作ったことに、違いはありますか?
日本の今後の国際競争力を本気で高めたいのであれば、戦前から変わらない日本対諸外国の二極構想から脱出しなければなりません。
日本が唯一外国に負けてない分野はなんでしょうか?ちょっと前までは研究と言えましたが今は残念ながら負けています。
負けていないのは、スポーツです。大阪なおみ選手を皮切りに、多国籍のラグビーチームまで、日本のスポーツは日本の戦前以来変わらなかったイメージを変えているのです。牙の生えた、強気のダイバシティで成功しているのです。
日本のIT業界はといえば、負けています。そして、負けているのに、考え方は基本的に変わっていないと感じます。スポーツの成功事例を参考に、日本のIT業界のアイデンティティを刷新してこそ国際的に負けない競争力は手に入るのではないでしょうか?
今受け入れている外国籍のエンジニアにもはっきりと居場所もあって、「日本チーム」の選手として加わってもらおうじゃないですか。競争の対象となるガイジンではなく、同じチームの大切な仲間として、世界に勝ち抜く姿勢を持つのです。
僕ならせっかくいるので日本チームに加担したいのですが、残念ながら日本チームに入っていると感じたことはないです
日本は世界と肩を並べられる、ただ古きニッポンじゃだめ
そんな思いで、日本のIT業界には勝ち目はあると信じています。自分の同僚に頭もキレて勘もいい仲間がたくさんいます。また、挑戦の心を持っているPDMもいます。追いつけるはずです。
変わらなければならないことはたくさんあるのですが、筆者が声を大きくして訴えたいのは、日本チームのイメチェンです。もし「国産」は日本国が開発できることを指しているならば、日本国に永住する外国籍エンジニアであろうが、日本で生まれ育った人であろうが関係ないはずです。
日本人だけで作った国産モデルとか、日本が外国人に勝つとか、そういう言葉も概念も捨てて、考え方を変えましょう。仲間の定義も広げましょう。戦前の日本人という束縛に囚われないで未来を切り開いていこう、このへんで止めないとますます陳腐になっていくのです。
まとめ
無理やりエンジニアの話にこじつけていますが、子供の父親として日本人の定義が僕の一生の間に変わってくれたら嬉しいなと思っています。それが日本の競争力向上の鍵になると思いますし、それによって日本はもっと面白い場所になると思います。今僕が日本にいて感じるのは、日本社会は砂漠に取り残された南国の鳥が水を求めると同じように、変化を求めていることです。ITに限らず、イメチェンをして新しい風が吹いてもいい時期じゃないですか。