先週、京都の島津製作所内にて開催されたインフォグラフィックス・ワークショップに、ファシリテーターとして参加しました。自分なりにいくつか気づきがあったので振り返って記載します。
内容は、自分でインフォグラフィックスを作成する際に、絶対に忘れてはならないと思う事をあらためてまとめた事なのですが、参加者の方にも何か参考になれば幸いです。
2重に危うい構造
あなたがインフォグラフィックスを作成するとき、あなたはアウトプットをより「わかりやすく」するために、元になるデータの中から意味を見つけようとして積極的に何らかの情報を抽出します。
抽出された情報は、元のデータ全体からすればあくまでも一部であり、必ずしも元のデータ全体の傾向と一致するとは限らない。一致するかもしれないし、反対のこともあるかもしれない。ちょっと関係があるだけかもしれないし、無関係な部分が大半かもしれない。
こうした元のデータ全体との関係性は、わかりやすさを重視するインフォグラフィックスの最終的なアウトプットからは隠されていて、見るだけではうかがい知ることが難しい。これがひとつ目の危険です。
次に、たくさんあるデータの中から、意味を見出し、誰かに気づかせるために抽出したのは、あくまであなたの主観であるということ。データにもとづいた客観性をうたいながら、積極的な主観の関わりがなくては成立しないという点。これがふたつ目。
この2重の危険性を持つインフォグラフィックスを作るとき、モラルという言葉の意味が私にはとても重く感じられます。
主観の必要性
そんな事を考えていると、どうにも気の重い気分になる時があります。
しかし、この主観をもって現実へ分け入る作業は、インフォグラフィックスを作成する際には、どうしてもしなければならないと私は思うのです。
例えば、あるニュータウン地域でまちづくりのためにアンケートを取りました。
その回答の集計結果をを地域の住民へ共有するとします。
どんな情報を共有すべきか、データーから意味を探します。
居住者の満足度は全体に高いのですが、一戸建てよりマンションの方が高い。
そしてマンション住人の方が、地域との関わりが少なく、個としての生活により満足している姿が浮かび上がるとします。他にこれからも長く地域に住みたいと考えてる人は、自治会を重要視し、地域の祭りに参加し、見守り活動に関心があると答えた人と相関関係があるとします。その他色々な分析があります。
ここで一戸建てとマンションの対比を強調するインフォグラフィックスはそれはそれで興味深いのですが、まちづくりのテーマから考えると不適切です。いたずらに対立を煽り分断が進むだけになるかもしれません。
それよりも、地域の自治活動にコミットメントの高い人間の方が、長く地域に住みたがっているという情報を楽しく発信すべきだと私は考えます。その方が地域の継続的な発展につながるかもしれないと思うからです。
元社会部の新聞記者で後にノンフィクション作家として活躍された本田靖春さんの評伝でも、事実と主観について書かれていて興味深かった。ノンフィクションも同じなんだなと思いました。
そもそもノンフィクションは書き手の「主観」のもとに成立する。仮に、十人のノンフィクション作家が同一の出来事に取り組んだとすれば、十通りの作品が生まれる。事実の取捨選択からして「人生観、ないしは社会観、ひいては世界観、歴史観といった主観に基づいて」行われるからだ。「言い換えるならば、一遍のノンフィクションは出来事に仮託した書き手の存在証明ということになるのであろう」(「拗ね者たらん」後藤正治 本田靖春著作からの引用)
インフォグラフィックスが新聞報道の世界で育った事を思うと感慨深いものがあります。
事実と主観の分離
インフォグラフィックスを作成しているときに、最近私が特に注意しているのは、事実と主観をしっかり分離して描くということです。
上述のしたようにインフォグラフィックスは主観的な側面が強いので、できるだけ情報そのもので意図を表現するようにと考えています。
文章でも、事実にもとづいて記述しているつもりが、つい途中から自分の願望が混じってしまうことがありますよね。
同じようにデザインでも、不要な誇張、事実に相反する要素の混入、レイアウトの都合によるちょっとしたごまかし等はこれを頑として避けるべき。全体のトーンを調整するイラストレーションやエレメントは主観の表現なのでOK。でも、わかりやすくしようとしすぎたり、面白くしようとしすぎたりして、事実から導かれる値とは異なる図にしてしまうことは、頑なにこれを避ける。
主観に立脚している表現だから、この境界線を超えるのは簡単なんですが、事実と主観はきっちり分離して表現したいと苦闘しています。
あと、当然、間違い、勘違いも残らずなくすように校正を丁寧に行う事は重要です。
読者との信頼関係構築にはケアレスミスがないことがまずは大切。