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「闘魂」が、経営者と技術者をつなぐ ーー 世界文化の進展に寄与する!

Last updated at Posted at 2022-12-08

$\huge{元氣ですかーーーーッ!!!}$

はじめに

闘魂」が、経営者と技術者をつなぎます。

経営者と技術者が(特に感情的に)分断しているとしたら、それをつなぐキーワードは、「闘魂」です。
この一言に尽きます。

「以上です」とここで記事を終えてしまっても良いです。
わかる人には、これだけでわかります。
ただ、それだとあまりにも「異常」な記事に成りかねません。

ここはQiitaの場ですので、「みんなが読んでも理解できる記事を書こう」に従いまして、私の拙い言葉を紡いでみます。

闘魂とは

「燃える闘魂」アントニオ猪木さんを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
プロレスでの数々の勝利、湾岸戦争前夜での人質解放など猪木さんの活躍には枚挙にいとまがありません。
亡くなられる直前まで、地球:earth_asia:の環境問題に取り組まれるなどさまざまな挑戦をさいごのさいごまで続けられた、言わずと知れた超一流、真正のスーパースターです。世間一般の常識の枠にとらわれない方でありました。

猪木さんが国会議員時代に「スポーツ平和党」という政党を作られました。まわりからは平和は票には結び付かないから平和は外したほうがいいと言われたそうですが、猪木さんの強いこだわりで平和を入れることにしたそうです。

私は自分の政治テーマを考え、「スポーツ平和党」という名前の政党を作った。スポーツを通じての国際交流と、環境や食糧問題を通じて世界平和を目指す。やりたいことを合わせるとこの名前になったのだ。周りには猛反対され「平和」を外せと言われたが、私は押し切った。
(中略)
他の候補者は消費税問題を前面に出して闘っていたが、私は、票に結びつかないと言われる外交や平和問題がメインだ。

アントニオ猪木自伝:book:

国会議員になることが目的なのではなく、議員となったあとの実践行動に重きを置かれていたことがこのエピソードからわかります。

現行の選挙制度の確立にも関係しているものとおもわれます。

(中略)
比例代表の最初の選挙だったから、「スポーツ平和党」ではなく「猪木」と書いた無効票が相当にあったらしい。

いまの「政党名を書くか個人名を書く」制度となった背景には、猪木さんの無効票が影響しているのかもしれません。

国のルールを変えてしまうし、猪木さんだけは特別な存在です。
闘魂ビンタでは、ビンタをされた女性まで喜ぶ始末です。行為だけで見ると暴力です。100年後の人類がどう評価するのかわかりませんが、単純な暴力ではないと評価してくれるとおもいます。そのために「闘魂」を伝承していく義務がわたしにはあるのだとおもっています。暴力行為ではなく、猪木さんの場合には厚意があることがきっと伝わるとおもいます。もうひとつは、技術の進展で文字だけではなく映像として記録が残る点も好評価につながるとおもいます。

まさに文字通り不世出のスターです。真のスーパースーターです。

猪木さんが色紙に好んで使われた言葉が「闘魂」です。「闘魂」こそが猪木さんを端的に表した言葉であり、猪木さんそのものです。もともと師匠の力道山先生が色紙によく書かれていたそうです。

猪木さんは「闘魂」をこう説明されています。
「闘魂」とは己に打ち克つこと、そして闘いを通じて己の魂を磨いていくこと

1998.4.4 東京ドーム、対ドン・フライ戦に、4分9秒グラウンド・コブラツイストで勝利したあとに行われた引退セレモニーでの言葉です。

別の言い方をすると「克己」です。
四書五経の中でも言い方を変えて、他人のせいにしない心がけ、行動が大事なのだと繰り返し述べられています。
将棋の大山康晴永世名人は、色紙をたのまれると「克己」と書いたそうです。

私の浅い理解では書き尽くせない、もっと深い意味が「闘魂」や「克己」にはあるのだとおもいます。
超一流の人だけが見える共通の景色があるのだと想像します。
それを私のような凡人にでもわかった「ような」気にさせてくれる言葉が「闘魂」であり、「克己」なのだとおもいます。その意味するところは深いのです。

「闘魂」とは己に打ち克つこと、そして闘いを通じて己の魂を磨いていくこと をここまでのまとめとします。

経営の神様

平成の「経営の神様」と言えば、稲盛和夫師です。
一般には「氏」と表記されますが、私には「師匠」と呼ばせていただいたほうがしっくりきます。

京セラの創立、日本航空(JAL)の再建などを成し遂げられました。

稲盛和夫師は鹿児島県出身で西郷南洲翁を敬愛されていることはよく知られていることだとおもいます。西郷南洲翁の魂そのものを表す言葉は「敬天愛人」です。京セラ株式会社の社是は、「敬天愛人」です。「敬天愛人」のひとつの例が、稲盛和夫師がおっしゃられた「動機善なりや、私心なかりしか」だとおもいます。

猪木さんも実は、鹿児島に縁があります。あまり知られていないのではないでしょうか。猪木さん自身のお生まれは神奈川県鶴見ですが、お父さんは鹿児島県出水の出身であるとのことが『アントニオ猪木自伝:book:の中で述べられています。猪木さんも鹿児島に縁があるのです。

稲盛経営12ヵ条をご存知でしょうか。
その第8条には、なんと:bangbang:燃える闘魂」があげられています。

「燃える闘魂」といえば、今度は猪木さんのことを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

「鹿児島県(つまりは郷中教育、西郷南洲翁、示現流)」と「闘魂」には、なにやら目に見えないたて糸、否、そんな細いものではなくぶっとい柱が通っていることを私は感じます。

経営の神様も「闘魂」という言葉を好んで使われていたわけです。

image.png

闘魂」が、経営者と技術者をつなぐ

「闘魂」とは己に打ち克つこと、そして闘いを通じて己の魂を磨いていくこと」です。
私が、これ以上くどくど述べずともわかる人にはわかることでしょう。

ここからは「技術者」の立場から書きます。

闘魂」とは、他人のせいにしないということです。あなたがもし不満をお持ちなのだとしたら、その不満は、あなた自身が引き寄せているのです。経営者のせい、上司のせい、部下のせい、営業のせい、評価してくれない市場のせいなど、だれか他の人のせいにしがちです。「自分はこれだけがんばっているのに! まわりが無能なのだ」と決めつけることは簡単です。でもそうではないのです。どんな小さなことでもそうではないのです。自分自身が結果を引き寄せているのです。

経営者に対して、文句の一つも言いたくなることはあるでしょうし、みんなの前で叱られて「コーディングできないくせに」と毒づきたくなることもあるでしょう。
こんなことを書けるのは私自身がそう思ったことがあるという告白でもあります。お恥ずかしい限りです。申し訳ない気持ちでいっぱいです。

毒づきたくなったときには、この話を思い出してください。

王ダイエー、屈辱の「生卵事件」/1996・5・9

いまでこそ常勝軍団となったソフトバンクホークスの前身は、ダイエーホークスでした。暗黒の時代がありました。そんなときに事件が起きました。試合に負けた腹いせにファンが暴徒と化し、世界のホームラン王・王貞治監督に向かって生卵をぶつけるという事件です。「辞めろサダハル」コールなんてものもありました。
王監督は、「ああいうふうに怒ってくれるのが本当のファンだ。あの人たちを喜ばせるのが俺たちの仕事なんだ。それができなければプロではない」と述べられたそうです。
のちに、「我々にとってはいい刺激になったと思います」と王会長はおっしゃられています。

経営者は、あなたの最初のファンです。あなたが持っている技術に惚れて技術者であるあなたを採用したのです。
叱られてムッとすることはあるでしょう。それを酒で誤魔化しても分断は埋まりません。

将棋の羽生善治永世七冠は、このように述べられています。

上手くいかないときには、自分に腹が立つ感情も生まれます。良くないことですが、ただ、その湧き上がる感情があるからこそ、いろんな発想やアイディア、集中力、瞬発力を生むことがあります。だから私は、一概に、サイボーグのように感情を全部排除してやるのがいいとはおもっていません。むしろ、感情があることをごく自然なことだと受け止めて、それをどう変換させていくかが大切だと思います。感情というものは、人為的にどうこうできるものではありません。ここは怒らないでおこうとか、今は楽しい気持ちでいようとか、悲しい気持ちでいようとかのように、感情は調整できるわけではないですから。なので私は、起爆剤のようにその感情を利用しようとしています。それが深い集中力を生んだり、モチベーションを生んだりすることもあります。たぶんアスリートも、そういった気持ちの高ぶりが、大きな瞬発力を生んだりするということが、あるのではないでしょうか。

才能とは続けられること :book:

浮かんでしまったマイナスの感情をプラスに変換して行動する工夫の積み重ねが、技術者であるあなたを成長させてくれます。
あなたと経営者の溝を埋めてくれます。

さきほどご紹介した王監督の話は、「憤の一字」です。
西郷南洲翁がご自身の精神の修養に繰り返し読んでおられたとおもわれる書物に、佐藤一斎先生の『言志四録』という書物があります。西郷南洲翁も手控えしていたとされる一条をご紹介します。

憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人ぞや、予(われ)何人ぞやとは、方(まさ)に是れ憤なり。

猪木さん流に言うと、「いつ何時誰の挑戦でも受ける」です。「闘魂」です。
ちなみに佐藤一斎先生のお弟子さんは佐久間象山先生です。佐久間象山先生のお弟子さんには吉田松陰先生が連なります。

ここまで「あなた」と言っているのは、読んでくださっている「あなた」に語りかけている体をとりながら、実は私自身、自分自身に向けて言っているのであります。まだまだ、まだまだ、まだまだ私は修業の身です。名乗るほどのものではございませんが、名を「修(おさむ)」と言います。名は体を表します。

もう一つ不遜な言い方を承知で言えば、「技術者」自身が「経営者」を育てればよいのです。そういった気概で接すればよいのではないでしょうか。肩書や立派な洋服を引っ剥がして、お互い裸になってみれば、みなだいたい同じようなものです。天からみればその差はごくちっぽけなものなのだろうと想像します。

さいごに

もしも、経営者と技術者が(感情的に)分断しているということがあるのならば、お互いの歩み寄りが必要なのだとおもいます。
お互いに相手のせいにせず、自分が引き寄せている不満足な溝を、自分自身の行動で埋めるのです。
その心構え、実践断行を一言でいうと、「闘魂」です。「闘魂」とは行動指針であり、実践そのものです。

プレゼントカレンダー「開発とビジネス・経営の境界線 by NewsPicks Advent Calendar 2022」に「経営と技術の分断をつなぎ直す──。」と書いてありました。私のとらえかたは、「経営者と技術者に分断がある」と言っているのだとおもいました。ひとつペテンのようなものがありまして感情にフォーカスするために、この記事では「経営者と技術者」とあえて「者」をつけています。感情面に異常に執着した記事を書いてしまったとおもいます。また、大半の場合において、ここに書いたような幼稚な精神面に問題があるわけではなく、プレゼントカレンダーが求めている前提を誤っているのかもしれません。

ただ、どうしても気になることがありまして「闘魂」の話を書きました。「闘魂」のような精神を支える土台の根源がなければ、何をやってもうまくいきません。私には「闘魂」がしっくりきます。「克己」や「憤」、「夢」、「大志」「和」など他の言葉をみなさんが自由に選んでくださればよいとおもっています。自由には責任が伴うのです。責任の無い自由というものは存在せず、それはただのわがままです。話を戻します。

少しだけ、歴史を振り返ってみます。

歴史と言ってもわずか160年ほど前の話です。
日本は鎖国を国是としていた時期があり、西洋列強から特に技術面で遅れをとっていました。明治の世となり、世界がみな等しく目をみはった日本の大躍進の背景には、その当時の日本人が四書五経などの書物を通じて精神の修養、胆力の鍛錬をしていたことが土台にある気がしてなりません。佐久間象山先生の言われた「東洋道徳、西洋芸術」です。ここで言う「芸術」は現代の感覚で言うと、「技術」のほうが意味するところは近いです。「東洋道徳、西洋芸術」の順番通り、日本人はまず「東洋道徳」を修めるところを第一にすれば、もっともっと世界文化の進展に寄与することができるとおもいます。そして「東洋道徳」をもっとも簡潔で現代風に言い表した言葉が「闘魂」なのだと私はおもいます。

もしも感情的なところで溝ができているとすればこの記事がお役に立つ場合がきっとあるとおもいます。

「闘魂」とは己に打ち克つこと、そして闘いを通じて己の魂を磨いていくこと


後記

偽らざる気持ちを述べておきます。
私は猪木さんや大山康晴永世名人のように、ファンの方から色紙を書くように頼まれることはありません。そのかわりにQiitaを通じて、インターネットに「闘魂」を石に刻みつける、胸に深く刻みつけるつもりでタイピングしています。

私はとにかく「闘魂」を語りたいのです。
経営 => 稲盛和夫師 => 稲盛経営12ヵ条の第8条 燃える闘魂 => アントニオ猪木さん => 闘魂

どう語りかけようかと考えたときに、話の前提として幼稚な感情面でのすれ違いをさも問題の根源であるかのように大げさに設定したわけです。
私の修業がもっと進めばもっと高次元に語ることができるようになるでしょう。いまは私のレヴェルが低いので低俗な記事になってしまっているわけです。

この前提にお付き合いいただきましてありがとうございます。

感情的な溝を埋めるものは、「闘魂」だとおもっています。
究極の自己責任です。誰のせいにもしないのです。すべての事象、感情は自分が引き寄せているのだと受け止め、自ら積極性を発揮し、改善・向上発展させるのです。
世界文化の進展に寄与する積極的な態度、実践が「闘魂」です。

闘魂Elixirシリーズ

ところで、私は「闘魂Elixirシリーズ」というものを書いています。
東洋道徳(闘魂)と西洋芸術(Elixir)を一日一話形式で読めるようにしています。
もしもこの記事をおもしろいと感じてくださった方は、波長がきっと合います。ぜひ「Elixir Advent Calendar 2022」をご購読してみてください。
ちなみに、「Elixir Advent Calendar 2022」は、2022-12-09時点でカレンダー13まで伸びています。参加登録も、"hello, world"から大歓迎です。Elixirに触れてみて、一歩踏み出す勇気をQiitaに書くという行動でお示しになることを、私は応援します。もちろん、Elixirコミュニティも大歓迎です。私がコミュニティを代表しているわけではありませんが、きっとそうに違いありません。カレンダー13まで伸びているのです。「Elixirをはじめてみました〜」という記事はきっと歓迎されることでしょう。

これが、どうしてこの記事をQiitaに書いたの? と疑問に思われた方へのアンサーです。「闘魂Elixirシリーズ」および私が愛するElixirの宣伝です。

iex> "Elixir" |> String.graphemes() |> Enum.frequencies()
%{"E" => 1, "i" => 2, "l" => 1, "r" => 1, "x" => 1}

闘魂こそが日本の歴史であり、世界文化進展の鍵

ひとり語りを続けます。

私は「闘魂を連鎖させたい」とおもっています。
闘魂こそが日本の歴史であり、世界文化進展の鍵だとおもっています。
その兆しは少し見えました。みなさんもご存知のように、⚽サッカー日本代表⚽が、強豪ドイツとスペインに勝ちました。
猪木さんのおかげ、「闘魂」のおかげと言っても過言ではありません。
森保監督は、猪木さんから「自信をもらった」そうです。

【日本代表】出る前に負けること考えるバカいるかよ!森保監督が猪木魂継承「自信をもらった」

「棒ほど願って針ほど叶う」です。サッカーの話を続けると、「悲願のベスト8」なんて言い方をマスコミがよくしている気がしますが、そんな消極的な言い方はやめて、国民全体で「ワールドカップ優勝」を念ずるのです。だって、「悲願のベスト8」という言い方は、「準々決勝で負ける」と言っていることと同じなのですから。「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」です。志、夢、ビジョンは大きければ大きいほうが善いのです。

闘魂の連鎖.png

闘魂こそが日本の歴史であり、世界文化進展の鍵だとおもっています。

ちなみに、絵の素材はいらすとやさんを使わせていただきました。
作図ツールは、excalidrawを使っています。

闘魂は連鎖する

1998.4.4 燃える闘魂アントニオ猪木 引退試合(VS ドン・フライ)

試合後の05:40くらいから引退セレモニーがはじまります。
このセレモニーの中で古舘伊知郎さんの前フリがありまして、その中の一節に「闘魂は連鎖する」があります。

ぜひ! 猪木さんの声を、あなたもぜひお聞きになってください。
猪木さんのメッセージから元氣をもらってください。
共に闘魂を連鎖させましょう。世界平和の実現、そしてその先の世界文化の進展に寄与いたしましょう!

$\huge{元氣があればなんでもできる!}$


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