この記事の執筆者・・・村上(データラーニング ギルド長)
Twitterアカウント・・・@GreenGreenMidor
Advent Calendarの最終日25日目の記事を担当させて頂く、データラーニングギルドのギルド長、村上です。
この記事の投稿時には、Advent Calendar総合として、いいね数が308ついており、一瞬ではありますが、企業・団体ランキングの20位以内にもランクインしました。
今年立ち上げた団体にしては、かなりの奮闘なのではないでしょうか?
データ分析領域で頑張っている人たちの考えやチャレンジ、これからどんな所を目指しているのか等、色々と記載されていると思いますので、是非そちらも読んでみてください。
はじめに
この記事では、機密情報に触れないよう、ブランド毀損に繋がらないよう細心の注意を払い、個人の業務領域や個人に紐づく年収に関することだけで執筆しています。もし万が一公開が望ましくない情報を公開してしまっていた場合、記事の修正をさせて頂きますので、ご連絡頂けますと幸いです。
こういった内容の記事を書くべきではないと思われる方も多くいらっしゃると思います。公開に踏み切るかどうかはギリギリまで悩みました。
データサイエンティストのキャリアは非常に複雑です。次の世代を担って行く若手が挫折してしまわないよう、具体的な実例を交えた指針を示せたらと思い、公開に踏み切らせて頂きました。ご容赦、ご理解頂けますと幸いです。
この記事はどんな記事か?
もともとは、データサイエンティストとして、きれいな感じで皆さんのキャリアを纏めるような記事を執筆しようかと考えていました。
でも、皆さんの記事を読んでいく中で皆さん苦労されていたり、悩まれている方が多くいらしゃって、
「大丈夫。その苦労を乗り越えた先にはちゃんと楽しい未来が待っているはずだから。頑張れ!!」
という思いを込めて、自分のこれまでのキャリアとそこにおける意思決定などを振り返ってみようと思います。
30歳を目前に控え、優秀な、志を持った方々と働かせて頂いた経験が糧となり、血肉となって、今があると実感しているので、それぞれの現場で「こんなことを学んで、今こんな風に生きているんだ。」と記録として残しておきたいという想いもあります。
ようやく、「職業人として独り立ちして歩き出せるようになった」という実感が出てきたので、この記事を書くことで一区切りとしようと思います。
従業員として所属していた会社を辞めてから2年経つので、ある程度情報を公開してしまっても迷惑をかけることはほぼ無いかなと思いますし、お金の話や挫折の話を盛り込んだ方がより役に立つ情報を提供できるのではないかと思い、普段あまり話さない、お金の話や、各キャリアで感じた葛藤なども盛り込んで執筆したいと思います。
2万8千文字を超える長文となっていますので、年末年始の暇つぶしにでも読んで頂けると幸いです。
どんな人に読んで欲しいか?
この記事は、主に以下のような方に読んで頂きたと思っています。
- キャリアの構築について悩みを持っている全ての方
- 就職に悩んでいる大学生の方でデータサイエンスが選択肢にある方
- 新しくデータサイエンティストの道に進んで壁にぶち当たっている方
- 今の仕事に全然歯が立たなくて挫折しそうになっている方
- これからデータサイエンティストを目指そうと思っている方
- データサイエンスのスキルを身に付けて今後の仕事に活かそうと考えている方
一言で言うと、「データサイエンスをこれからキャリアに取り込もうとしている人たち」に向けた文章です。データサイエンスに限ったことはあまり出てこないので、キャリアに悩んでいる方にも参考になるかと思います。
キャリアの概要と年収推移
まず、皆さんが一番興味ありそうな年収の推移ですが、以下のような感じとなります。(※1)
時期 | 会社 | 主な業種 | 年収 |
---|---|---|---|
2012年03月~2012年07月 | 中小SIer | SIer、プログラマ | いくらだったか覚えてないですが、月収20万前半だったと思います |
2012年10月~2013年12月 | データ分析受託会社1 | データサイエンティスト | 200万弱(時給1000円程度のフルタイムアルバイト) |
2014年1月~2015年11月 | マーケティングツールベンダー | Webエンジニア、ブリッジSE | 300万円+ストックオプション(行使できず) |
2016年1月~2017年9月 | データ分析受託会社2 | データ分析PM | NDAに抵触する可能性があるため記載不可(※2) |
2017年9月~2018年5月 | 個人事業主 | データ分析コンサルタント | 月単価100万円 |
2018年5月~ | 株式会社データラーニング設立 | 経営者、データ分析コンサル | 役員報酬なので給与という概念はなくなりました |
※1 上記に関しては、まだ給与テーブルや評価制度が整備されていなかったり、当時の市場状況を反映している給与、報酬なので、あくまで村上個人の相対的なステップアップに対する基準値であり、特定の会社の給与水準の参考に使用するのはお控えください。
※2 自分の年収情報を機密情報として指定された場合に効力あるのでしょうか?詳しい人がいれば教えて頂きたいです。(同時に受かった会社から提示された年収は後で提示しておきます。)
これを公開することで何が言いたいかというと、
「新卒4ヶ月で退職してしまって、茨の道でしかなかった。でも、へこたれずにちゃんとやれば挽回できる。」
ということを伝えたいんです。
最初の分析受託会社が結構有名な所なので、今はそこのOBという錯覚資産をフル活用して使わせて貰ってますが、その実態は実はアルバイトでした。詳しいことは後ほど書きますが、どんな仕事をしていてもアルバイトはアルバイトです。正社員じゃないというだけで同じ業務をしていたとしても、評価して貰えなかったり、職務経歴書に書けなかったりします。
他の方に自分の経歴を話すときにアルバイトという経歴をどう位置づけるのか、ずっと悩んできました。そこで得た経験、知識は自分の財産として誇りに思っています。でも、その名前を堂々と出して良いかと言われると、何か騙しているんじゃないかという後ろめたい気持ちになります。
これをあえて公開するかどうかは悩んだのですが、そこで得た経験は間違いなく血肉となっているので、肩書を隠さず、堂々と公開することにしました。似たような立場で苦しんでいる方の励ましになれば嬉しいです。
自分のキャリアとしての全体の流れとしては、受託分析企業でアルバイトをしながらスキルを身に付け、Webエンジニアとして転職、その後PMスキルを身に付けた後にコンサルとして独立という流れとなっています。
約1年~2年の間に次のキャリアに転職して、収入は概ね1.5倍~2.5倍程度の年収に上げての転職を繰り返しています。
年収ベースだけで見ると最初の退職後のアルバイト時代以降は順調に年収を伸ばし、非常に上手く行っているように見えます。でも、正直、キャリアの前半戦はお金の面でも、キャリア設計の面でも、非常に悩みましたし、しんどい思いも、悔しい思いも山のようにしました。
そんな苦しい時代を乗り越えたという背景があるから、分析コンサルとしても途切れることなくお仕事が頂けたり、7月に立ち上げたデータラーニングギルドが無事100人の参加者を突破したりという結果を得られたのではないかと考えています。
「苦しんだ過去があるから今がある」というような話は、おっさんぽくてあまり好きではないのですが、やっぱり、苦しみや挫折を乗り越えて、一つ一つの積み重ねてきたから今の結果があるのだと思います。
では、今までのキャリアに関して改めて振り返ってみようと思います。そこで得た知見から、キャリアに悩んでいる人に対するアドバイスなんかもできたらと思っています。
高校時代
俺のキャリア構築はどこからスタートしたのか、それは恐らく高校時代だろう。
IT系で起業していた叔父の影響もあって、自分は情報系の高校に進んで、プログラミングや情報に関する勉強を高校からスタートした。
中学校の頃から将来の夢に「社長になる」など書いていたように、独立志向が強かった。なので、「何かやるなら自分で作れた方が良い」という考えて情報科のある高校を選択した。
どんなことがあったか?
高校2年生で初級シスアドと基本情報を取得
高校の始業式、終業式などで大会などで入賞した人が表彰される時間があったかと思う。
そこで初級シスアド(現ITパスポート)、基本情報の試験に受かった人が表彰されていたので、「これを取れたらカッコいい」という安易な発想でチャレンジすることにした。
その結果、高校2年の時に初級シスアド、基本情報を取ることができた。高校の3年の時に「ソフトウェア開発技術者」の試験を受けたが、ネットワーク周りがチンプンカンプンで、結局大学1年のときに応用技術社試験になって試験要領が変わるまで合格できなかった。
でも、そういった所でしっかりと勉強を積み重ねていた所が、「IT基礎力」のような形で後々効いてきたんだと思う。
指定校を蹴って岡山大学を受験、結果関東に出ることに
その高校の情報科に立命館大学に対する指定校推薦の枠が1枠あり、その枠を貰えるという話があったが、初級シスアドに受かったり、基本情報に受かったり、科内のテストでも優秀な成績を残していたりしたので調子に乗って指定校の枠を蹴って岡山大学の推薦を受けることにした。
しかも、滑り止めすら受けないという、完全に調子に乗った受験スタイルで受験した。その結果推薦入試には惨敗した。入試の結果が出てからでもギリギリ推薦が受けられる東京電機大学という大学があったので、そこを受けることで、なんとか浪人は避けることができた。
その後一般入試で指定校を蹴った立命館や同志社をも受けたのだが、これも惨敗だった。正直めちゃくちゃ悔しかった。
その経験を踏まえたアドバイス
取り組むのが早ければ早いほど差別化につながる、そして今始めるのが一番早い
実際にデータ分析やIT系の教育をしていくに当たって、「一般の人たちとITに関する基礎力が違うなぁ」と感じることが多々ある。
アルゴリズム、プログラミング、その他基本情報で出題されるような基本的なIT知識など、高校から始めているので、自分の中で常識だと思っていることを案外みんな知らなかったりしてビックリする。
プログラムやSQLが身に付きにくい人も一定数いて、「この差は何なんだろうなぁ?」と考えてみたことがあるのだが、素養の部分もあるが、「経験年数」が一番大きいのではないのかという結論に至った。
自分は、15歳でHello Worldを書き始めてからもうそろそろ15年が経つ。才能も影響はして来るが、やっぱり長年の経験者はカバーしている範囲が広いように感じる。
そして、この経験年数という壁は、相手が続けている限りは縮めることはできない。結局先に始めた方が有利な勝負だ。
でも、相対的な比率では距離を縮めることができる。例えば、経験年数1年と4年の場合、4倍もの経験値の差があるが、そこから2年続けることで、3年と6年となる。4倍も差があったものが2倍まで距離を縮めることができる。
何をするにしても、経験者が続けている限り経験者との差を詰めることはできない。やるかやらないかと迷っている間に他の誰かが始めるかもしれない。誰でも最初は初心者だし、今始めるのが一番早い。
迷っていることがあるなら、今日、今から始めよう。
その結果を成功に変えろ
上記の大学受験の結果を見れば、「調子に乗って大学受験に失敗した」という捉え方をする方も多いかもしれない。
しかし、「第一志望の大学に受からなかった」という結果があるだけであって、そこからの将来が上手く行くかどうかは、そこからの行動次第だ。つまり、その時点でははまだ失敗ではない。例えば、岡山出身の人が普通は関西より東に行くことは少ない。だけど、志望校に受からず、「IT最先端の首都圏に出られる」という結果を手にした。当時はそんなに重要なことだとは考えていなかったが、その価値は非常に大きいものだったと今になって感じる。
第一志望の大学に行けはしなかったが、大学時代に勉強したことは今も業務で活用しているので、大学では有意義な時間を過ごすことができた。もし立命館に入ったらレベルが高すぎて最初から置いて行かれて学んだことが身に付かなったなんてこともあったかもしれない。データサイエンスというキャリアにも出会わなかったかもしれない。
ここまでの事を考えて整理すると、指定校推薦で立命館に行くより良い結果を得られている可能性が十分あるということだ。そう、「第一志望校に受からなかった=失敗」というラベル付けをする必要はないのだ。
望んでいない結果が待ち受けていたり、困難な状況に陥ることは人生において何度もある。でも、その困難を乗り切ってしまえば、それは通過点の一つに過ぎなくなる。
その結果が失敗かどうかはあなたが決めるんだ。結果を成功に変えろ。
自分を信じて挑戦しろ、
「高校2年生で基本情報に挑戦する」とか、「高校でソフトウェア開発技術者試験に挑戦する」とか、「指定校を蹴って推薦を受ける」とか、「一般入試向けの勉強をしてないのに残り1ヶ月半程度で一般入試に切り替える」とか、そういった挑戦は、多くの人が無謀だと思うだろう。
でも、そんな無謀な挑戦でも、信じて挑戦することで上手く行って結果が出ることもある。上手く行かないこともたくさんあるけど、そこで得た経験は間違いなく糧になる。その後の人生に活きてくる。
自分を信じて挑戦しろ。困難な挑戦を選べ。
成長できるチャレンジを選べ
何かに挑戦するときには、「その挑戦をすることで自分は成長できるか?」と自分に問いかけろ。その答えが「Yes」なら迷わず挑戦しろ。
仮にどんな結果になったとしても、その挑戦は自分を成長させてくれる。次の挑戦での成功率を高めたり、もっと高い目標にチャレンジできるようになったりして、気づけば昔は上手く行かなかった挑戦も難なくこなせるようになる。
自分が通っていた高校の情報科はほとんどの人が推薦入試しか受けない。なので、基本的な5教科の能力が低くなりがちだ。でも、俺は一般入試にチャレンジした。だから、受験で使った数学、英語、物理の学力を大幅に上げることができた。大学生活が始まってから、基礎学力が低くて苦しむことは無かった。もし推薦入試だけで入学していたら、大学基礎教養レベルの数学で苦戦していただろう。
何か物事を決めるときに成長を基準に置くことで、その挑戦を無駄にせずにすむ。今の所、人生において「努力が無駄になった」と感じたことは一度もない。
成長できるチャレンジを選べ。
大学時代
大学では、理工学部の情報システム学系という学系に所属した。そこでは、情報、数学を中心に学んだ。
どんなことがあったか?
返金なしの奨学金を目指してガチで勉強した大学1年生
大学に入ってもチャレンジは続いた。大学に入ってから、「返金なしの奨学金」というものがあることを知りました。
正直、お金はそこまでたくさんある方じゃなかったので、「中途半端にアルバイトするくらいだったらこれを目指して勉強するのが良いんじゃないか?」と考えて、学校内でたったの数名しか通らないような奨学金にチャレンジするという目標を立てた。
残念ながら1位になれなかったが、結果としては二百数十人いる学年の中で、学年3位という成績を取ることができた。データサイエンティストは幅広い知識が必要とされる仕事なので、大学の基礎教養を本気で取り組んでおいて、今、本当に助かっている。
ギャンブルに没頭した大学2年以降
1年の時に学年1位を目指して勉強をしながら集団授業の塾講師のアルバイトをしていたので、大学1年はかなりハードだった。2年に上がったときに若干ペースダウンしてしまった。今思えばそのまま勢い付けてガッツリ勉強しておけば良かったと思うが、狙っていた奨学金に落ちたのもあり、勉強に対するモチベーションが切れてしまった。4年次院編入を目指すという選択肢もあったが、ギリギリ目指せなくもないレベルで難しそうだった。そこでは弱気になってしまった。
それからというもの、麻雀、スロットなどのギャンブルにドはまりした。もともとテーブルゲームや確率を扱う問題が好きだったのもあり、雀荘でバイトを始めた。
麻雀が好きな人の集まりなので、雀荘で働いているメンバー同士で、「このシーンではこっちを切った方が良かった」とかいう議論になることが結構あった。でも、結論の出ない水掛け論になることが多かった。そこで出会ったのが、「科学する麻雀」という本だった。その麻雀本の中では、統計的な数値に基づいてで麻雀が語られていた。水掛け論ではない、統計的な根拠に議論ができることに胸をワクワクさせて読み込んだ。
そうやって科学する麻雀を読み進める中で、「麻雀を分析して戦わせるアルゴリズムを作りたい。」という考えを持つようになり、統計学を学び始めた。
就職活動
独立思考は依然強かったというのと、就活生に良くありがちな、「大企業と新卒一括採用に疑問を持つ」という病に陥っていた。そんな背景もあって、就職する企業はベンチャー企業に絞って、数社受けた。内定は貰えなかった。
数社受けてみて、
「面談するばっかりだと、ひたすら時間を浪費するだけだし、成長もあんまりない。不毛じゃないか?スキルを付が分かる結果を出してそれを元に雇って貰った方が効率が良い。」
という考えを持つようになった。また、高校からずっとプログラミングをやっているので、そこそこプログラミングには自信があった。(今思うとただの思い上がりだった。)
なので、プログラミング課題の提出が必須な入社試験や、会社でサマーインターンなどをすることで、スキルを付けながら就活するようなスタイルを取った。その結果としてインターン先の企業に後々拾って貰うことができたので、この選択はやっておいて良かったと思う。
それでも、なかなか就職先は決まらなかった。大学4年の夏頃にそろそろ就職先を決めないとという状況になり、「経験はどこでも積める」、「どうせ数年後には独立するつもりだ」という理由から最初に受かった会社に入社を決めた。
その経験を踏まえたアドバイス
基礎力を鍛えよう
データサイエンティストという仕事は数学を取り扱う。日常的に数学的なロジックを追いかけていなくても、ビジネス要件を数学的に解ける問題に落とし込んだりする必要がある。また、統計モデルがおかしな挙動をしたときに当たりを付ける必要もある。この辺りは、「数学的な感覚」が物をいう。何か新しいことを始める際に数式を読み解かなければいけないこともままある。
そういった業務を行っていくにおいて、「大学基礎教養レベルの数学ができること」というのは圧倒的なアドバンテージなのである。基礎に関する理解がしっかりしていれば、そこからの導出なので、後はなんとでもなる。応用力ができる。
大学では、情報やプログラミングに関しても、汎用性の高い技術を多く学んだように思う。
ここで何が言いたいかというと、「基礎を疎かにするな」という当たり前のことである。
スポーツで例えると、基礎力は、体力と筋力であるように思う。一方で、応用技術はテクニックだ。
ある程度の体力と筋力があれば、最低限のテクニックを身に付ければあとは力業でそこそこにプレイできる場合が多い。
一方で、何かのジャンルでテクニックだけあっても、他のスポーツをやったらてんで戦力にならないだろう。
基礎力は賞味期限が長く、全ての土台を作ってくれる貴重なものだ。すぐに結果が出なかったとしても、時間を見つけて基礎力を上げるような訓練をしよう。
ハマったものを突き詰めろ
自分は大学時代に麻雀にハマった。これがその後のキャリアを左右したと言っても過言ではない。
ただ普通に麻雀にハマっただけだと、良くある大学生のパターンだろう。でも、自分はそれを突き詰めようとした。統計学の解析を学び、大学では卒業研究のテーマに麻雀を選ぼうとした。(麻雀は難しすぎたのでポーカーになったが。)
麻雀について深く考えるためには、ゲーム理論や確率論を学ばなければならなかった。麻雀というゲームをゲーム理論的に考える方法などを自分なりに模索したりした。そういった中で、「事象を抽象化してモデルに落とし込む」という力が養われて行ったように思う。経営判断に使うような損得勘定、サンクコストに対する理解と対応に関しても麻雀を通して身に付けた。
ただハマって何度もやるだけでは足りない。その対象を深く理解しようとする必要がある。突き詰めようとすると、何かを深く学ばないと先に進めなくなる瞬間が来る。その瞬間に真剣に向き合って、どうやって乗り越えて行くかを考えるのが大事だ。それがどんな種類のものであっても、今まであなたが持っていなかった何かをもたらしてくれる。
自分は麻雀だったが、何だっていいん。スポーツでも、グルメでも、旅行でも何だって良い。
ハマった物を突き詰めろ。
中小SIer
新卒で入った会社は、いわゆる中小SIerと呼ばれる会社だった。2週間の新人研修が終わったあとに開発部署に配属された。スマホのセンサ周りのシステムを開発する部署だった。
炎上に巻き込まれて、疲弊して、そして会社を辞めた。
どんなことがあったか?
入社2ヶ月目で炎上案件に突入
他の現場が大炎上したらしく、ある程度コードが書けた自分は、戦力になりそうということで炎上案件に突っ込まれた。
ただ進捗を聞いて回るだけの進捗どうですかおじさんが登場したり、内輪で口裏合わせるためのメッセージをこともあろうかクライアントのいるグループにぶん投げる事故が発生したり、人月の神話を地で行っていたり、設計書は開発リーダーの頭の中にだけあります的な状況が発生したり、アンチパターンのオンパレードのようなカオスな現場だった。
増え続ける人、一向に上がらない生産性、ひたすら続く謎のエクセルキャプチャエビデンスを撮る作業、そんな中でみんな精一杯働いていた。残業時間は150時間を突破した。
「なんなんだこれは?」、
「この現状に疑問を持たないのか?」、
「みんな何故こんな作業しながら毎日働いているんだ?」、
「サマーインターンした企業の人は誇りを持って仕事をしていたのに、ここにいる人たちは全然違う」
そんな考えが頭の中をぐるぐる回った。吐いた。体と心がぶっ壊れた。そんな葛藤を抱えた中上長にあたる課長に、最後の期待を込めてこう聞いた、
「なんでみんなこんなに頑張ってるんですか?」
その時の回答が、こうだった。
「仕事だからしょうがないんじゃない?」
もっと、仕事に対する熱意、志を語って欲しかった。心が折れた。5次受けにもなると、もはや仕事があるから仕事をしているのだ。
「ここにいちゃいけない。」
そう思った。
窮地に指す一筋の光
精神も相当まいっていて、Twitterにかなりネガティブなことを書き込んでいたように思う。Tweetからでも伝わるくらいヤバい状況になっていたのだろう、大学の頃にインターンしていた先の方から、
「うちに来なよ」
という旨のメッセージを頂いた。
「行きます!何でもやります!吸収力には自信があります!!」
くらいついた。焦っていた。とにかく必死だった。話を聞くと、
「アルバイトで良ければ仕事はお願いできる」
との話だった。実際にインターンをしていたから、働いているメンバーはプロ意識を持って仕事に当たっていて、業務としても非常に魅力的で可能性がある、圧倒的に良い環境だということは分かっていた。辞めた後のことは考えていなかったので、二つ返事でOKを出した。
「雀荘に努めれば50万円以上は稼げるし、好きなことして生きるのもありかな。」
なんて考えも浮かんでいたので、自暴自棄にならなくて本当に良かったと思っている。
その経験を踏まえたアドバイス
死ぬな、自分の心が一番大事だ
これは人生において一番大事なことかもしれない。精神的にも、物理的にも死なないこと。自分の心を守ること。全てはまずそれからだ。心を削ってまでやらなきゃいけない仕事なんてない。
心が折れそうになる予兆をしっかりと感じ取って、心が折れてしまう前に、死んでしまう前に、環境を変えよう。
自分の心以上に構うことなんかない。もうあと一歩で心が潰れてしまいそうになったとき、仮に目の前のことから逃げ出したとしても、それはあなたの責任なんかじゃない。誰にもあなたを責める権利なんかない。
生きろ。
逃げ出してもいい、でも、投げ出すな
逃げ出してもいい。でも、投げ出すのはダメた。休んでもいい。止まってもいい。でも、また歩き出せ。仮に目の前が真っ暗に思えたとしても、その道はきちんとどこかに繋がっている。
真っ暗な時は誰かに導いて貰おう。とにかく、どんな手を使ってもいい。その先に可能性があるのであれば、希望があるのであれば諦めないこと。続けることが大事だ。続けることでしか、少しずつ積み重ねることでしか成長はない。
成長が無いと感じたらすぐにでも辞めろ
新卒で入った会社をたったの4ヶ月で辞めた。でも、全く後悔はしていない。むしろ、炎上した現場に入れられたことで早く辞めることができてラッキーくらいに思っている。緩く育てられて、数年同じ会社に所属していた時の状況を想像するとかなり怖い。
自分の望んでいない状況に陥ったのであれば、できる限り早く損切りをするに越したことはない。辞めるのを先延ばしにした所で、茨の道に突入するのがちょっと早くなるか遅くなるかというだけだ。
苦労を先延ばしにするな。
「いい人」に流されるな
最初の職場の人は皆「いい人」だった。
「あの人が頑張ってるから自分も頑張ろう」
そんな考え方ができる素敵な人だった。
「もし自分がこの仕事を投げ出したら他の人に迷惑がかかる」
そんな考えを持った、責任感のある人たちだった。そんな方たちの人間性は好きだ。
でも、それは良くない状況を引き起こす。そうやってブラック労働が常態化して行く。プロジェクトが炎上しているのはプロジェクトマネージャーの責任であり、そのプロジェクトマネージャーをアサインした経営者の責任である。
あなたが責任を取る必要はない。仮に定時に強引に帰ったとしてもあなたは何も悪くない。もちろん、会社とマネージャーのために頑張って働くという選択肢もある。選ぶ権利はあなたにある。
「いい人」に流されるな。
成長材料は自分で作り出せ
最初の会社では、勤めていた期間がたった4ヶ月ではあったし、技術的な成長は正直ほとんどなかった。でも、そこでの経験があったから身に付けることができた考え方や視点がある。
IT業界の歪な多重下請け構造を体感することができたし、様々なアンチパターンを身を持って学習することができた。エンジニアリングの教科書や組織論の教科書を読む際の、アンチパターンに対する理解を早めることができた。
自分の世の中の理想と現実とのギャップも思い知った。色んな組織があり、色んなモチベーションで仕事をしている人がいることを学んだ。
どんな現場であっても、成長に繋げる材料は手に入れることができる。
成長材料は自分で作り出せ。
データ分析受託会社1
そして、それから約1年3カ月程度データ分析の受託会社で働いた。当時は30人くらいの規模だったと思うが、今では業界を代表するデータ分析会社である。
ここから自分のデータサイエンティストとしての職業人生が始まった。アルバイトであることを除けば、一般的な新卒と同じように仕事を進めていたように思う。
どんなことがあったか?
データサイエンティストとしてのキャリアを支えるベースとなった
データサイエンティストに必要な能力を、1から10まで教えて貰ったように思う。機械学習の使い方であったり、レポーティングの仕方、グラフの作り方や見せ方、分析に関する観点など、様々なことを教えて貰った。
データサイエンティストのスキルに関することだけではなく、プロフェッショナルとしての仕事の進め方、社会人としての基礎的なスキル、ドキュメンテーションに至るまで、ありとあらゆるものを教えて貰った。
今では自分で会社を立ち上げていたり、事業会社でマネージャーポジションになっていたり、大学の助教となっていたりと、一流の技術を持っている方々と一緒に働かせて頂いた。
就業後や休日には勉強会に積極的に参加したり、主催したり、技術書をしっかり読んで勉強したりなどといった習慣を当たり前のようにこなしている人たちだった。自然とそういった習慣が身に付いていった。エンジニアチームのやっている勉強会にも参加させて貰ったりして、プログラミングの勉強などもできた。
そういった方たちと触れることで、自分のどんな能力を伸ばして行けば良いのか、何が得意で何が足りていないのかといったことを考えることができた。
自分は分析が好きだった。数学もそこそこにできた。数学や統計をキャリアの主軸に置くのもありだと思っていた。そこで、ある人がアルバイトとして入って来た。社会人を辞めて、「統計をしっかりと学びたい」と、大学院に入り直した人だった。圧倒的な専門性の差に、「これは適わない」、「統計学や解析といった専門性ではない何かに可能性を見出さなければいけない」と感じさせられた。
どんなキャリアを目指すべきか考えた。自分は、数学や分析以外にもプログラミングもそこそこできた。周りを見回すと、あまりシステム部署とデータ分析の部署の連携が上手く行っていないように見えた。
「データサイエンティストとエンジニアの橋渡し的なポジションはニーズがあるのではないか? そこを目指してみよう。」
そう決意した。
全く嬉しくないゴールデンウィーク
仕事内容に関しては、全く苦ではなく、非常に楽しく充実していた。ただ、金銭面では苦しかった。
時給1000円、給料は月に20日稼働しても16万円だ。
家賃が5万円、水道光熱費が1万円程度、食費が4万円程度、携帯代が8000円程度(当時はSIM freeなんてなかった)、奨学金の返済が1万4000円。
ギリギリだった。貯金なんか残りやしない。かろうじてあった100万円程度の貯金を切り崩しながら、生活をしていた。外食でラーメンを食べるのを真剣に悩むレベルだった。
長期連休がある月は厳しい。5日間休むと単純計算で4万円も給料が減る。大打撃だ。休んだところで使えるお金もろくにない。長期連休が素直に喜べなかった。
趣味なんてろくに持てない。唯一の趣味と言えば、雀荘に入り浸って麻雀をするくらいだった。めちゃくちゃシビアに麻雀をして、なんとか場代とトントンかちょい勝ちくらいの成績を残していた。雀荘で出されるサービスのフリーフードを食事にすることで食費を浮かしていた。
「逆にお金儲かるくらいで、良い趣味だよね。」
なんて言っていたが、意地を張っていただけだ。お金が無くなるのは苦しい。
このままでは続けたくても続けられない状況になってしまう。社員にしてもらうべく、がむしゃらに頑張った。
どんどんと減って行く貯金残高、タイムリミットはもうそこまで迫っていた。
それでも社員になれなかった
でも、社員にはなれなかった。今振り返っても、未熟な所は多くあれど、それなりには結果を出していたように思う。悔しかった。何がダメなんだと思った。
周りのメンバーとの対比がさらに追い打ちをかけた。その会社で初の新卒採用をしたのだ。俺の一つ下の代のメンバーが新卒で入社した。自分と同じ部署だ。今振り返っても、自分の方がスキルもあったし、アウトプットも出していた。でも、俺はアルバイトでその人は正社員だった。その事実は覆らない。
中途で入って来た人のOJT的な部分も何故か俺が担当した。アルバイトが中途入社の社員をOJTするというのは、なかなか歪な光景だったと思う。
でも、会社ってそういうもんだ。自分も今経営をしてい痛感する。
「その人がどんな結果を残すのかは予測できない。」
人を雇うのは難しい。正しく評価したいし、良い人を採用したい。でも、分からないことがたくさんある。成長に期待を込めて雇ってみても全然その通りにならないことはある。
当時上長だった人に話を聞くと、自分が社員になれるように掛け合ってくれていたらしい。その話を聞いたときに、肩の荷が下りたような気がした。ちゃんと自分の頑張りは届いていたんだと。
業務経験4ヶ月
タイムリミットが迫って来ていた。これは流石に第二新卒枠で就職できないとマズいと思い、エージェントに登録した。そこで、キャリアアドバイザーの人にこう言われた。
「アルバイトの経験は職務経歴に書けない。」
意味が分からなかった。今自分がその現場でどれだけ頑張ったとして、それは職務経歴として残らない。つまり、新卒入社4ヶ月で辞めたフリーターと全く扱いが同じだったのだ。そんな経歴のやつに、ろくな仕事なんてあるはずがない。
正攻法で転職するのを諦めた瞬間だった。
サードドアを探した
それからは、エージェント経由での転職を諦めて、結果を残して別の道で生計を立てられるように努力した。サードドアというやつだ。
結果を残して、直接雇ってもらうしかない。そう思って、勉強会で勇気を出して発表する機会を貰った。その際に勉強会で報告したスライドがこちらだ。
バンディットアルゴリズムという比較的マイナーなトピックにも関わらず15万ビューもされている。これだけのアウトプットを出せるのであれば、雇ってくれる会社はそれなりにいただろう。
でも、その時の自己評価はボロボロだったし、焦っていたのもあり、そのアプローチは上手く行かなかった。
そして、副業的にクラウドワークスでPHPの開発案件を受けるようになった。運よく案件を受けることはできた。
PHPの案件でシステムを開発していた所、クラウドワークスで案件を受けていた会社の社長に共通の知人がいるということが分かった。その知人経由で、アルバイトで契約で仕事をしているという話を聞きつけ、
「うちにエンジニアとして来て欲しい。」
と声をかけて貰った。サードドアが見つかった瞬間だった。
その経験を踏まえたアドバイス
ギリギリな時は他人の脛をかじれるだけかじればいい、自分が成長してから返せばいい
「100万円の貯金を食いつぶした」という話をしたが、大学生のうちにそんな貯金を溜めていた訳ではない。これは、祖父母が卒業祝いにくれたものだ。これがあって、本当に助かった。
どうしようもなくなったら、親でも良い、知人でも良い、彼氏でも彼女でも良い、脛をかじれ。プライドなんて投げ捨てろ。大きな借りを作れ。そして、責任を持って成長するんだ。その後で何倍にもして返せばいい。あなたのことを大事に想ってくれているなら、何らかの形で助けてくれるだろう。
人生の挽回が困難になってしまう前に泣きつくんだ。
最悪なんとかなる状況は作っておけ
「雀荘で働けば月50万円は稼げる」
これは多分自分にとっては事実だ。12時間労働で麻雀打ちっぱなし、座りっぱなしという過酷な労働条件ではあるが、間違いないだろう。
雀荘の例は極端だが、本当にどうしようもなくなった時に、「これをやれば最悪生活はなんとかなる」という仕事を探しておくのは最後までチャレンジする上では重要だ。
ギリギリまでやって、ダメだったら雀荘で働きながらお金を貯めよう。
割と本気でそんな選択肢を頭の中に入れていた。でも、それがあったから、残高がギリギリになるまで頑張れたんだと思う。
例えば、期間工などの仕事を数か月住み込みでやれば纏まったお金が作れる。纏まったお金を作ることができれば、新しく挑戦することも可能だろう。
ヤバくなっても、最悪なんとかなる状況は準備しておこう。
優秀な人のいる組織になんとかして入り込め
ここでの経験は、自分のキャリアにとっての財産だ。金額に換算するのは難しいが、今後の人生において、数千万円~数億円の価値をもたらしてくれる。そんな経験だったと思う。
アルバイトという立場で給料は安いかもしれないが、正社員で働いていたとしても、たかだか数百万円しか変わらないだろう。
一流の人と一緒に働くことで得られた経験、ノウハウ、知識、人脈は財産であり、その後の人生を良いものに変えてくれる。プログラミングスクールで勉強するのなんかより何倍も、何十倍も価値があるだろう。そんな経験がお金を貰いながらできるのできるんだ。どんな形でも、なんとかして入り込むべきだ。
しっかりと形を見せられる成果物を作った上で、「最低賃金のアルバイトでも良いので働かせてくれ」とお願いしたらOKしてくれる企業は案外多くあるだろう。
優秀な人のいる組織になんとかして入り込め。
目先のお金に流されるな
確かに生活は苦しかった。でも、安易な道には行かなかった。中途半端に給料の良いアルバイトなども選ばなかった。なぜなら、そこには成長が無いからだ。
経験がないなら、目先の出費を躊躇ったり、安い給料に何に躊躇したりするな。転職した後も今の給料を維持しようとするな。3年後に今の給料より高い給料を貰えるように成長を設計しろ。
自分は、ラーメンを食べるの悩んだが、勉強すべき技術書は躊躇なく買った。技術と経験には金を惜しむな。
目先のお金に流されるな。
結局やれることは、今目の前にあることに真剣に取り組むことだけだ
新卒4ヶ月で会社を辞めて、窮地に立たされた。でも、希望は全く失っていなかった。むしろ、これから何を学んで、どうキャリアをデザインして行くかにワクワクしていた。
こなせることを一つ一つこなした。与えられた仕事は何でも真剣に取り組んだ。自分にできることは何か無いかと依頼されていない仕事に関しても自分から探して取り組んだ。
データサイエンスの勉強も、プログラミングの勉強も地道に取り組んだ。即効性はないし、近道もない。全然検討違いの方向に行っていることもある。それでも、やったことは積み重なるし、進む方向が間違っていたとしても方向感覚はどんどん良くなっていく。
やれることは、今目の前にあることを真剣に取り組むことだけだ。
現状を受け入れろ、全てはまずそれからだ
社員にして貰えなかったのは本当に悔しかった。アルバイトが職務経歴として認められないのも納得が行かなかった。悩んだ。葛藤の日々だった。でも、文句を言ったって、不満をあらわにしたって、何も変わらない。まずは、自分が置かれた現状を、厳しい状況を、正確に把握することが大事だ。
その現状を受け入れた上で、その上で自分がどうやってその状況を乗り切るか真剣に考える。状況は厳しいかもしれない。でも、可能性がない訳じゃない。やれる方法はいくらでもある。なくなった選択肢に囚われても仕方がない、自分で新たな選択肢を作ってそれを選べばいいんだ。
現状を受け入れろ、全てはまずそれからだ。
マーケティングツールベンダー
次に入った会社は、CMSとMAを一体化したようなツールを開発しているマーケティングツールベンダーだった。
社員としては大体10人目、エンジニアとしては2人目の入社だった。
どんなことがあったか?
周りは優秀なエンジニアばかり
ここでは主に、以下のような業務を担当した。
- 分析用のデータ収集システムの開発
- 社内用の支援ツールの開発
- ベトナムオフショア開発に対するブリッジSE
- Railsでのアプリケーション開発
一緒に働いているエンジニアのメンバーは、メガベンチャー出身のバリバリコードが書ける人であったり、今ではCTOをしている人であったり、複数社で技術顧問をしているような人であったりと、優秀なエンジニアばかりだった。
高校、大学でプログラミングをかじっていたので多少やれる自信はあったが、社内ではずっと底辺のエンジニアだった。でも、優秀な人から多くのことが学べるので楽しかった。
気付けばベトナムとやり取りをしていた
そして、気付いたら、国内でのサービス設計経験もないのに、なぜかベトナムへのオフショア開発をするに当たってのブリッジSEのようなことをやることになっていた。
右も左も分からないながらも、経験のある方にアドバイスを貰いながら、機能設計、サービスの利用フローの設計、画面設計、画面遷移設計、UI設計、ベトナムへの指示出し、ディレクション業務など一通りをやった。
途中で大手SIer出身の方が入って来が、あるべき論を語るだけで、プロジェクトの着地に向けた建設的な提案はされなかったように思う。現状と正論の板挟みにあった。朝起きれなくなった。いや、朝起きれないということにして、その状況から逃げ出したかっただけかもしれない。
要件が複雑だったのもあり、なかなか開発が前に進まず、プロジェクトは頓挫した。相手方のCTOが心臓発作で亡くなって、コードごと正式にプロジェクトを引き取ることとなった。
コードレビューなどをきちんとやっていなかったので、開発したコードのメンテナンスは全くできる状況ではなく、一度コードを全て捨てて作り直すことになった。
急上昇からの急降下
まさにスタートアップという感じで、在籍中に数億円規模の調達をして、最初は10人程度だった社員はメンバーは70人程度まで増えた。
そしてキャッシュがショートした。
70人まで増えた社員の半分程度がリストラされた。幸か不幸か、自分はリストラの対象にはならなかった。
残されるものの苦しみと葛藤
キャッシュがショートして多くの同僚がリストラされる。それは、イグジットが遠のいたということだ。この時点で配布されていたストックオプションは価値を失ったと言ってもいい。給料も10%カットされた。
残された側の身としては、「リストラされた人の分まで、頑張ろう。」そんな気持ちで頑張ろうと思った。でも、倒産スレスレの低空飛行は、非常に暗く、重い空気を作りだす。
勢いに乗っていた時だけの記憶がある分、リストラされた側の方が気楽なんじゃないかとも思った。
そんな状況に陥りつつ、未経験者枠で入社してから1年半が経っていた。最初は経験がないからそこそこの給料でも仕方ないかと思っていたが、エンジニアと言っても怒られないくらいにはスキルは上がっていた。
評価制度はできないし、できたとしても、つい先日まで給料が10%カットされている状況でそんなに給料が上がるとも思えない。むしろ、いつ倒産するかも分からない状況だ。
小さな会社だと、なかなかデータサイエンスのバックボーンを持っていることが活きてこない。そこに付加価値は無かった。
「自分の市場価値ってどの程度なんだろうか?」、
「今の自分の給料は妥当じゃないんじゃないか?」、
「流石にそろそろ次のステップに進むべきなんじゃないか?」、
「本当にこの会社に今のポジションで数年間コミットする価値はあるのか?」
そんなことを考え始めて、転職活動をしてみることにした。
やっと市場で認められた
Wanteadly経由でスカウトのあった会社に対して応募をしてみた。動画制作系のスタートアップとニュースメディア系のスタートアップだった。
その2社とも無事に合格することができた。そして、なにより嬉しかったのは、そのうち一社が、年収の提示をするまでこちらの年収を聞いてこなかった点だ。
その結果として、前職の1.6倍の給料である480万円を提示されて内定を受けることができた。皆が知っているスタートアップに内定を貰え、「自分は技術者としてやって行っていいんだ。一人前になれたんだ。」と思って嬉しかった。
内定を貰った会社への転職を決めようとしていた所、タイミング良く勉強会でお世話になった方から連絡が来た。
「転職が決まりました。」
と近況の報告をしたところ、
「今人を探している会社があるので、会うだけ会ってってみる?」
という話を頂いて、面談をしてみることに。話を聞いてみると、自分に欠けている部分である大企業に対する理解、コンサルティングという所が身に付きそうだったので、そちらの会社に入ることに決めた。
会ってその日のうちくらいに条件を諸々調整して、入社することを決めたような記憶がある。どこで何がある変わらないものだ。
その経験を踏まえたアドバイス
一番の下手くそでいよう
先ほど話した「優秀な人のいる組織になんとかして入り込め」という話に被るが、ここでは、Chad Fowlerの「情熱プログラマー」からこの言葉を借りようと思う。
その時、自分は間違いなくそのスタートアップで一番の下手くそだった。「エンジニアに向いていないんじゃないか?」、「なんとかして追い付かなければ。」そんなことを考える日々だった。
必死に食らいついた。先輩エンジニアの書いたコードを読んで、少しでもその考えを吸収しようとした。フレームワークに関する技術書から、エンジニアリングに関する幅広い領域に至るまで、技術書も読み込んだ。チャンスがあれば今まで使ったことが無い技術を使おうとした。
圧倒的にエンジニアとしてのスキルが離れている諸先輩方から学ぶことで密度高く成長できた。たったの2年弱の経験で、平均的なエンジニアのレベルに達することができたように思う。
データサイエンティストとという専門スキルとWebエンジニアという専門スキルの両刀使いが完成したのである。
一番の下手くそでいることで、圧倒的な成長を手にすることができる。
だから、一番の下手くそでいよう。
定期的に市場に出て答え合わせをしよう
前職の時には箸にも棒にもかからなかった転職市場に出てみた。その時の転職活動では、俺に人材としての需要があることが分かった。
「自分は本当はもっと評価されていいはずだ。過小評価されている。」
そう思っているあなた、果たして、本当にそうか?
それは市場が決めることだ。もし今の自分に自信があるのであれば、市場に出て答え合わせをしよう。今よりいいオファーが貰えたからといって、すぐに転職しろという訳ではない。今いる職場で成すべきしっかりと成してから、改めて交渉のテーブルに付けばいい。
また、評価と報酬はイコールではない。会社にお金が無ければ、仮に会社が、上長がその人の市場価値を認めていても十分な支払うことはできない。覚悟決めてその状況を是とするのか、新しい新天地に可能性を求めるのかは、あなた次第だ。
市場に出ることで、あなたの不満が妥当なものか測ることができる。
定期的に市場に出て答え合わせをしよう。
結局最後は運と人の縁だ
この会社に入ったきっかけとなったのは、共通の知人がたまたまクラウドソーシング先の社長だったからだ。
転職活動は最後の一週間でひっくり返った。転職活動をしている瞬間にちょうど話した人が転職先を紹介してくれた。
こんなの、コントロールのしようがない。結局最終的には運なのである。たまたまの巡りあわせによって人生を左右する転職というアクションに繋がったのだ。
今も、過去の色んなご縁が繋がって仕事をさせて頂いている。誰がどんな形で縁をつないでくれるか分からない。
月並みな意見ではあるが、出会った人を大事にしよう。一つ一つのことを真剣に取り組もう。その姿勢は伝わる。見てくれている人は必ずいる。
あなたにとっての最善を選ぶんだ
転職先の選択肢は、みんなが知っているような有名スタートアップと、無名の受託分析会社の選択だった。有名スタートアップは技術力も、労働環境も、文化も、何を取っても申し分ない環境だったろう。でも、無名の受託分析会社に入ることを選んだ。大企業に対して上流からコンサル、PM業務をする経験を積める可能性が高かったからだ。
自分の経歴上、エンジニアリングはまだまだ伸びしろはあったが、それなりにできる自信はあった。一方で、最初2社は基本的に内勤で、クライアントと接することが無かった。大企業の動きなどを知らず、世間知らずだった。
大企業のプロジェクトに参画してコンサル・PM業務をすることで、データサイエンティストで必要とされる、データサイエンス、エンジニアリング、ビジネスの3領域の足らないパーツである「ビジネス」素養を手に入れることができる。そう判断した。
多くの人にとっては有名スタートアップの方が魅力的な選択肢かもしれないが、その時の自分にとっては、分析受託企業に入るのが最善の選択だった思う。
なんだってできるさ
「ベトナムと開発するから、設計、ディレクションやり取りお願い」
と任せられて、二つ返事でOKが出せるだろうか? 自分は二つ返事でOKを出した。
全く経験はなかった。協力者としては、ちょっとした相談役がいるくらいだった。ユーザーストーリーを作って、カスタマージャーニーを書いて、画面設計を作って、UI、UXを設計して、ドキュメントに起こした。要求を聞いて要件に落とし、ベトナムと英語でのやり取りをするという業務を一通り行った。
全てが初めてだった。でも、できると思って挑戦した。そして、成功した。と言えればかっこいいのだが、先ほど書いた通り、リリースには至らなかった。
もっとミニマムな機能からスタートして徐々に大きくするというようなプロセスを取るべきだった思う。
でも、その経験から、ディレクション、サービス設計、UI、UXデザインなどの要件整理のレベルが格段に上がった。今やりなおしたら、きっと上手くハンドリングできるだろう。
自分にはできないと思ってチャレンジを躊躇ってないか?
やろう。
できるさ。
失敗だってするかもしれない。
でも、次はもっとうまくなっている。
次の次には成功するかもしれない。
いつか必ずできるようになる日が来る。
データ分析受託会社2
そんなこんなで、データ分析の受託会社に転職した。大企業のデータ分析プロジェクトにアサインされた。
東京ではない大企業とのやり取りになかなか苦戦をした。スムーズにプロジェクトを進行するために入社3カ月後には橋渡し的な存在として、長期出張をして現地入りする決意した。
どんなことがあったか?
高機能何でも屋さん
かなりマルチに動いていたように思う。会社間の橋渡しやプロジェクトのPM業務、分析業務はもちろんとして、簡易なツール開発、クラウドサービスの技術検証、データの収集と整備、タグの実装と管理、果てはデバッガーのような業務に至るまで何でもやった。落ちているボールを拾って、ボトルネックを塞いだ。
前職では自社の開発業務でサービスリリースの目途が立たず、価値提供できていないことに悶々としていたので、クライアントの課題解決をダイレクトに解決できるようになって非常に心地良かった。
案件はなかなかタフだったが、やりがいがあった。
時代に置いて行かれる危機感
ただ、東京を離れて生活をしていると、
「今自分の向かっている方向正しいのか?」、
「新しい技術に対するキャッチアップが遅れているんではないか?」
といった危機感が募って来る。それなりに成果を残して、現場でのポジションは獲得しつつあった。ただ、高機能雑用になりつつあった。
「このままズルズル行くと、永遠に抜け出せなくなる」
焦りは日に日に大きくなって行った。2年~3年を目途に東京に帰るべきだと朧げに考えていた。
当初と完全に変わった評価制度と報酬制度
そして、退職を決定的にした出来事があった。「評価制度の導入」だった。
入社当初に話していた評価と報酬制度とは全く違ったものになった。
実際に1年間やって、当初の話をベースに考えると大幅に年収が上がるような結果を残した。しっかり成果も上げたにも関わらず、微々たる年収上昇しかなかった。
大企業に要求される、多くのステークスホルダーが関わる中での要件の整理と実行に落とし込むような推進力を身に付けていた。大企業のネームという強力な錯覚資産も手に入れたので、その時点で間違いなく需要があることを確信していた。
入社2年を区切りに転職するべく、改めて転職活動を再開した。
そして個人事業主、法人登記へ
そして、転職ではなく、個人事業主になるという選択をした。個人事業主になるに当たっては、色々とあった。色んな方に迷惑をかけたし、色んなトラブルや衝突にも見舞われた。流石にここには書けない。
紆余曲折あったが、100万円/月の報酬で案件を受けることができた。報酬が貰えることは嬉しかったが、自分が信じて進んできたキャリアが身を結んだと思えて嬉しかった。
もともとあまりお金を使う方ではなかったが、収入を上げてみて改めて、「お金はそんなにいらない」ということを実感した。「人生はお金じゃない」と語る権利を得たように思う。
どちらかというと、周りの人に自分と同じように稼がせる環境を作ることにモチベーションがあることに気づいた。もともと仲の良かった友達とどんどん話が合わなくなっていくのは悲しい。できることなら一人で突っ走るのではなく、共に鼓舞しながら成長したい。
その後、教育事業を展開すべく、2018年5月にデータラーニングを設立した。
その経験を踏まえたアドバイス
なんでもやれ、全て価値提供の上に成り立つ
俺、データサイエンティストとしてアサインされた。でも、職種に拘らずに、やる人がいなければ、どんな役割でも担当した。
データサイエンティストの単価に見合った仕事ができるに越したことは無い。でも、何も価値提供できてなければ、あなたの価値はゼロだ。仮にその単純作業の先に付加価値の高い仕事が待っているのであれば、どんな仕事だって、あなたがやる理由はそれだけで十分だ。
Excelファイルをかき集めろ、テーブル定義を作れ、デバッグしろ、テストをしろ。
そして付加価値の高いデータ活用のプロジェクトの土台を作れ。
それがあなたの仕事じゃないって、誰が決めたんだ?
誰がその仕事をやっちゃいけないと止めたんだ?
価値を提供しろ。全てはまずそれからだ。
アンカーと権威を作れ
これは、正直打算にまみれているアドバイスだ。セコい。
この現場に入った一番の理由は「経歴作り」だ。正直、今までの2社の経験から、ある程度やれる自信は持っていた。でも、仮に実力があったとしても、経歴や実績が無いとどうにもならないということを、最初の転職活動で痛いほど感じていた。実力を見られる人なんてそんなにいない。
だから、ビッグネームの会社でコンサルをしていたいう実績が欲しかった。そして、目論見通りこれは独立後に非常に役に立った。
「月単価100万円で仕事を請けていた」という実績は、これから to Cを巻き込んでいくような事業をやるにしても、コンサルをやるにしても、半端じゃない効果がある。前例主義が基本の日本においては、最初に高単価が取れてしまえば、それ以降はそこを基準に案件が取りやすい。不思議なものだ。
非常にセコく打算的であるが、「自分を凄そうに見せる材料」を集めておくことは重要だ。実力を正しく評価するというのは困難を極めるので、発注者は、信頼のおける人の紹介であるとか、実績であるとか、分かりやすい結果を求める。
これは世の常だ。割り切って実績を作って行こう。
場合によっては強行突破が必要なときもある
この現場から抜けた時、実は結構揉めた。色んなタスクを抱えていて、引き継ぐ先がいなかったからだ。そういう時には、以下のようなニュアンスの事を言われることが多いかと思う。
「代替の人がいないから、抜けられたら困る。今やっている仕事はどうするんだ?」
代替の人がいない、見つからないというのは、つまり、
「あなたは市場の希少性が非常に高いんです」
と言っているのと同義だ。そういう人を引き留めるのは難しい。他の人をリクルートするのが難しい条件で、そのまま留まっている必要はない。代わりの人が見つかるまで待っている必要もない。
あなたがいなくなって困ることはあるかもしれないが、会社がなくなったりはしない。
プロジェクトが無くなって受託チームやフリーランスが困るかもしれないが、そういうリスクと裏表だ。だから単価が高い。そこで文句を言うくらいだったら、別のビジネスをやるべきだ。
自分が東京に戻りたいという旨は既に伝えていた。でも、いつ頃まで残って欲しいとかそういう握りをするような時間は設けられなかった。もし、マネージャークラスの人であれば、そこの話は有耶無耶にしておくのではなく、きちんと話をするべきだと思う。
1年間以上継続的に役務を提供して欲しいのであれば、1年契約の契約を交わすべきだ。そうなっていないのであれば、相手に引き留める権利はない。
そんな理由から、独立に向けて、半ば強引に辞めた。もちろん数か月前に共有して、引き継ぎは行った。
法人登記から現在に至るまで
データラーニング立ち上げから今に至るまでは、今回は割愛するが、これらの話を圧縮してひとまとめにしたくらいの精神的な負担がかかっている。
Hard Thingsの一節である「苦闘」に関する文章が心に突き刺さって共感するくらい苦しい日々を過ごした。
苦闘とは、そもそもなぜ会社を始めたのだろうと思うこと。
苦闘とは、あなたはなぜ辞めないのかと聞かれ、その答えを自分もわからないこと。
苦闘とは、社員があなたはウソをついていると思い、あなたも彼らがたぶん正しいと思うこと。
苦闘とは、料理の味がわからなくなること。
苦闘とは、自分自身がCEOであるべきだと思えないこと。
苦闘とは、自分の能力を超えた状況だとわかっていながら、代わりが誰もいないこと。
苦闘とは、全員があなたをろくでなしだと思っているのに、誰もあなたをクビにしないこと。
苦闘とは、自信喪失が自己嫌悪に変わること。
苦闘とは、苦しい話ばかり聞こえて、会話していても相手の声が聞こえないこと。
苦闘とは、痛みが消えてほしいと思うとき。
苦闘とは、不幸である。
苦闘とは、気晴らしのために休暇を取って、前より落ち込んでしまうこと。
苦闘とは、多くの人たちに囲まれていながら孤独なこと。苦闘は無慈悲である。
苦闘とは、破られた約束と壊れた夢がいっぱいの地。
苦闘とは冷汗である。
苦闘とは、はらわたが煮えくり返りすぎて血を吐きそうになること。
苦闘は失敗ではないが、失敗を起こさせる。特にあなたが弱っているときにはそうだ。弱っているときは必ず。ベン・ホロウィッツ 2015 「Hard Things 」
ここら辺の話は、時が来たら、またどこかで執筆しようと思う。
まとめ
皆が皆それぞれ色んな苦労をしていると思うので、自分が特段苦労したと言うつもりはが、こうやって振り返ってみたら、悩んだり、苦しんだりしながら、しっかりと投げ出さずに積み重ねられたんじゃないかなと思う。
それでは、最後にこれらの経験を総合したアドバイスを送りたいと思う。
全ての会社を踏まえたアドバイス
悪者なんていない
あなたにとって悪者に見える人がいるかもしれない。でも、それぞれの価値観や信条に基づいて、最善を尽くそうとしているだけなのだ。単に利害が一致しないだけであったり、組織や環境、構造的な問題によってその選択をせざる得ない状況に陥っている可能性がある。
例えば、最初の会社でアルバイトという契約形態に苦しんだ。
経営者になってみて思うのは、「人を雇う」という意思決定が非常に重たい。
「その会社に所属している限り、その人の人生に責任を持つ。」という宣言に近い。かなりの覚悟が必要となる。
気持ちとしては雇いたくても、実態としては雇えない場合もあるだろう。
アルバイトで安価に働いてくれているからなんとか全体の利益としてバランスしていてたりすることもあっただろう。何度か経営がギリギリになったことがあったと聞いたことがある。
経営者だって、雇っている従業員にたくさん給料を払って、幸せに生活して欲しいと思っている人が多いだろう。正社員として雇えなかったり、給料が払えなかったり、上げれなかったり、リストラを余儀なくされたりするときには、何か理由がある。
ただ失敗しているだけだったり、上手く行っていないだけで、悪意がある訳ではない。決して誰も悪くない。
悪役を作って責める相手がいた方が楽だ。でも、世の中はそんな簡単じゃない。
それぞれの会社で納得が行かない結果になったから転職や独立という選択を選ぶことになったが、入社した時点では、申し分ない条件であったし、新卒で入った会社以外は、もう一度同じタイミングで同じチャンスが巡ってきたら躊躇なく選択するだろう。
それぞれの現場で、尊敬する先輩、同僚に恵まれ、成長することができた。その機会を与えてくれたことに感謝をしている。
ただ単に自分の成長に組織の成長が間に合わなかったり、評価制度がマッチしなかっただけだ。
悪者なんてどこにもいない。
泥だらけになりながら、進め
有名コンサルに入ってキャリアを積んで、転職をしてその後独立。キャリアなんて、そんなにキラキラした物じゃなくたっていい。失敗したっていいんだ。むしろ失敗した方がいいかもしれない。その方が味が出る。趣が出る。
誰も通ったことのない道を進むしかない。道なんてないかもしれない。自分の後ろに道を作るんだ。
自分の理想と全然違ったっていい。かっこ悪くたって良い。プライドをかなぐり捨てろ。茂みをかき分けながら、転んだり怪我をしたりしながら、泥だらけだっていいんだ。何度でも立ち上がって、時には道に迷って後退したりしながら。
進め。
とにかく前だけを見て、進むんだ。
どれだけ苦しかったとしても歩みを止めるな。
自分の武器を作れ
俺の武器は、エンジニアリングとデータ分析とコンサルティング、そしてその組み合わせだ。あなたの武器は、なんだ?
これからの時代は、スペシャリティが無いと厳しい。武器を獲得しろ、そして磨け、使い方を練習しろ。市場に聞きながら、周りの人を参考にしながら、周りの人と比較しながら、重宝される武器を身に付けろ。
未来を見よう
私はDr. Stoneが好きだ。テクノロジーの偉大さと壮大さ、地道な積み重ねが描かれたジャンプの漫画だ。科学技術、テクノロジーは素晴らしい。自分の手で実験して、何か新しいものを生み出すことにワクワクする。テクノロジーのニュースが出て来るたびに、どんどん進化して行くテクノロジーに胸躍る。
これからテクノロジーが発展して、AIがどんどん実装フェーズに入って行って、VR世界で生活するような世界観がもうすぐそこまで来ている。
そんな世界を早く見たいし、その世界を実現するために微力ながら貢献したい。いや、嘘をついた。微力なんかじゃ全然足りない。俺が時代を劇的に変えてやりたい。そんな野望を、情報科に入学した高校時代からずっと持っている。
一人の力では限界がある。テクノロジーの進化に対して圧倒的に担い手が足らない。だから、できる人を増やそうと思った。それが俺のモチベーションだ。まずはその手始めとして、ギルド型組織による株式会社のアップデートがしたいと思っている。
あなたのモチベーションは何だ?
人生において何を成し遂げたい?
人生100年時代、もしかするともっと長くなるかもしれない。時間は有限ではあるが、きっと、その中でやれることはたくさんある。
もちろん、俺がそうだったように、まずは自分の生活を安定させることが第一だ。でも、未来からの視点は外すな。
未来を見よう。未来を描こう。
今何をしているか?
今はデータラーニングという会社を経営している。主な事業は以下の3つだ。
データ分析・コンサル受託
もともとの仕事の延長線上で、データ分析の受託コンサルのようなことをやっている。クライアントの問題を言語化し整理し、解決することは、やりがいがある。
世の中には、データ活用によって解決できることが山のようにある。AI・機械学習のブームは若干落ち着いてきたが、価値提供できる範囲はまだまだ山のようにある。これから本格的な実装フェーズに入って行くだろう。
エンジニアリングとデータ分析を掛け合わせて、しっかりと実装まで繋げて行きたいと思う。
データ分析スクール事業
データ分析の人材が圧倒的に足りない。モデルの作り方を覚えたくらいじゃなかなか実務でデータサイエンティストとして活躍できるようなレベルにはなかなかならない。
そこで、より実践的なデータ分析スクールを始めることにした。データ分析の下地である思考プロセスから、ビジネスの進め方までカバーするようなカリキュラムを作っている。
データラーニングギルド
データ分析人材の相互補助組織として、データラーニングギルドという組織を運営している。今風に言うと、オンラインサロンだ。
現在100人程度のメンバーが所属しており、月1回のオフ会を始めとして、kaggleに参加したり、ギルド主催のデータ分析のコンペをやったり、分からないことを教え合ったり、情報を共有したりといった活動をしている。このAdvent Calendarもその企画の一環だ。
今後、このコミュニティを中心に仕事が回って行くようなエコシステムも作って行きたいと考えている。
これからどうして行くのか?
人材としてのこれから
これからのキャリア構築には、大きく、3つの軸がある。
一つ目の軸が、「データサイエンスにおけるストラテジスト」という方向性だ。エンジニアリング、データサイエンスへの理解を主軸に置きつつ、コンサルとしてクライアントのデータ活用プロジェクト推進をサポートするような立ち位置を目指す予定だ。顧問的な動きも増やして、企業間アライアンスの締結といった企業戦略的な部分でのサポートも実施して行きたい。
コンサルとしてプロジェクトを立ち上げつつ、データラーニングギルドと連携して、適切なタイミングで適切なスキルをもったスペシャリストをアサインできるような環境を整備して行きたい。
二つ目の軸としては、「データ分析における教育者」だ。自分が苦労してきたという背景もあるので、これからデータの世界に飛び込んでくる人に、きちんと武器を与えてあげたい。みんながみんな、こんあ茨の道を歩む必要はない。
大学や各種プログラミングスクールなどが次々とデータサイエンスに関する教育に踏み出している状況があるので、そこで学んだ人がぶつかる実践における課題などをカバーできるような、そんな教育スキルを身に付けて行きたい。
最後に三つ目の軸が、「経営者」だ。ここに関しては、まだ他の二つと比べると具体性が低いが、理想を掲げるだけじゃなくて、きちんとお金が回る仕組みを作れる、エコシステムを構築できるようになりたいと考えている。そのためには、経営に関するスキルは必須になって来ると考えている。ここに関することはまだまだ知識も経験も足りないので、勉強して、実践をしてスキルアップを図ろうと思う。
何を成して行くか?
まずは、データラーニングギルドを「ギルド」として成立させることが全ての第一歩だと考えている。正社員中心の流動性が低い働き方は、限界を迎えているように感じる。副業やフリーランス中心でプロジェクトベースでチームを構成するような流動性の高い働き方をデザインしたいと思っている。そこで組織を飛び越えたコラボレーションを生み出したり、複数の企業に所属することで相乗効果を生み出すような、新しい働き方の形を実現して行きたい。
そして、データラーニングギルドで育った人たちが、3年後、5年後のイノベーション、ムーブメントを作れるようなメンバーになれるよう、成長をサポートして行きたい。
そこでどんなプロジェクトが立ち上がるかはまだ想像もできないが、その時に、きちんとストラテジストとして戦略を描けるように、テクノロジーに追い越されないようにキャッチアップしておきたいと思う。
データラーニングギルドは多くの人に依存して成長をして行くので、予想が付かない。どんな成長が待っていて、ギルドがどんな方向に進むのか、非常に楽しみである。これから、どんな人たちが参加してくれるのか、非常に楽しみだ。
最後に
文字数をカウントしてみたら、2万8千文字にも達していました。こんな盛大なポエムを、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございます。
もし、何か一つでも引っかかること、参考になることになることがあれば嬉しいです。
私自身や、データラーニングギルドに興味を持って頂けた方がいたら、初月無料ですので、是非データラーニングギルドのコミュニティに遊びに来てみてください。
それでは、最後までお付き合い頂きありがとうございました。あなたの人生が良いものになることを心より願っています。
メリークリスマス!!