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具体⇔抽象に生きる

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はじめに

「具体⇔抽象」トレーニング 思考力が飛躍的にアップする29問

読んで学びが多かったので、重要だと思った箇所を記載する。

本書の目的としては、抽象化と具体化によって発想を豊かにし、またコミュニケーションギャップ(不毛な議論、仕事上の依頼主と被依頼主の関係、日常の些細なコミュニーション等)を解消すること。具体と抽象の重要性(Why)、それらは何なのか(What)、具体的にどのように使うのか(How)について解説されている。

自分用のメモとして整理したので、文脈が足りないところもあると思う。気になった人は実際に読むことをオススメする。

前提

心構え、また前提知識について。

正解の捉え方

「問題には正解があり、知識量のみが優劣を決める」という価値観から抜け出す。

知識伝授型の教育では、正解を持っている先生とそれを教わる生徒という構図が根本にある。そこで力を持つのは、正解を知っている知識豊富な指導者と豊富な情報量を持った教科書や文献になる。人生における基本的な知識や考え方を一通り学ぶ機会としては有効である一方、その弊害として上記の価値観が一生に渡って植え付けられてしまう。

身の回りの生活や仕事におけるほとんどの場面では、そもそも絶対的正解などなく、「これを解として先に進んでよいのだろうか?」という自問自答のみ。様々な条件下において「最善だと思う選択肢」のみがあり、それをどこまで信じられるかどうかで「正解」になるかが決まる。重要なのは、自分が下した意思決定を行動に移す場面において「全て正解」だと思えていること。自分がコントロールできない他人の人生に対して「それは不正解だ」と口をはさむのはほとんど意味がない。

鍵となるのは「能動性」

自然な思考の流れと逆行するためには、意志の力が必要になる。

後述するように、物事は「川の上流→下流」のように「抽象→具体」の順番を辿る。具体的に考えるほうが楽で自然であり、抽象概念を操ることは意識しないとなかなか実践できない。例えば、比較的疲れている時、勉強の対象として、抽象度の高い数学の問題を解くことよりも、「そのまま暗記する」英単語や歴史の年号の勉強を選ぶことが多いのではないだろうか。

関連して、抽象レベルが高い事象になればなるほど理解できる人の数も少なくなる。例えば、高度な抽象化能力を要する数学を理解できる人は少ない。具体的にすればするほど、理解できる人の数は増える。一方で、多数派の人を相手にして「数を稼ぐ」必要があるマスメディアや、ページビューを稼ぐ必要のあるネット広告や記事などは「具体的でわかりやすく」することが求められる。

また、能動性が成否を決める世界では、「残酷な二極化」が進展する。能動的か受動的かという姿勢は四六時中各個人の行動を決めるために、あっという間に大きな差がついていく。端的には、様々な仕組みに対して、「使う側」になるか「使われる側」になるかが決まっていく。ネットや動画をはじめとする「簡易な表現(構造が不明瞭な断片的な情報)」の普及によって、加速されつつある。

Why: 何故「抽象化と具体化」が大切なのか

何事についても何かを学ぶためにはその必要性が起点となる(好きでやっている状態が理想ではあるがそうでない場合において)。

より効率的に学ぶために

抽象化と具体化という形で発想することで、一から十を学ぶことができる。

知の発展は、2つの軸の相乗効果によって進んだ。具体的には、「知識や情報」による「量的」な拡大と、「具体と抽象」による「質的」な拡大。後者について具体的に言うと、「法則の発見」であり、また「言葉や数といった抽象概念の発展」を指す。抽象化によって生まれた概念を、再び具体化することで、どちらの方向性も拡大する。進化の例として「お金」があり、その本質は、「価値」や「信用」、あるいは「貸借関係」といった抽象概念の尺度や保存のためのツール。もともと物々交換から始まったといわれる私たちの経済活動が、魚や肉や野菜という「具体的な個別のもの」から「貝殻や石」といった「象徴的なもの」から、それが「金銀銅」といった「劣化・陳腐化しにくいもの」によって時間軸の普遍性が上がり、それが「紙幣や硬貨」という形でさらに抽象化され、今では「電子データ」にまで形を変えてきた。

具体の世界(「家は家」「ソフトウェアはソフトウェア」「洋服は洋服」)だけで考えるのではなく、抽象化と具体化を繰り返すことでより多くのことを学ぶことができる。例えば、「持ち家か賃貸か?」について、発想を膨らましていく。単に「住む場所」の話ではなく、同じような構図の話が住居 以外 にもないか考える。この議論を「何かを購入して所有するのか、購入せずに都度払いにするのか?」という風に抽象化して考える。これはソフトウェアをパッケージで買うのか、月額払いのサブスクリプションで利用するのかの違いと「ほぼ同じ構図」であり、様々なメリット・デメリットが明らかになる。この「所有から利用へ」という流れをさらに抽象化すれば、経済学などで語られる「フローとスタック」という概念に繋げられる。ここで次は具体化として、社員を「サブスクリプションの商品」として捉えた場合、自身の価値を高めるのに必要な要素を、自分が顧客として使っている魅力的なサブスクリプションサービスから類推できる。また、この組織と人の関係性に関する問題を、友人知人や夫婦関係などにも適用していく。

偏りによる弊害に陥らないために

抽象病

具体化の側面が不足し、口だけでアクションに繋がっていないこと。

他人の行動、とりわけ失敗に対して一般的な理想論で批判・アドバイスする。ネットやSNSによって発信者が飛躍的に増えたことで、満たされない欲求の吐口として一気に増えた。

自分については「抽象的目標」を立てるだけ。例えば、様々な目標設定において、このような組織では「〜の徹底」「〜の強化」「〜の最適化」のような言葉が多用される。その背景にあるのは、減点主義で「失敗しないこと」が最大の目的関数になっている。何を持って「徹底」「強化」「最適化」できたというのか、結果次第でいくらでもストーリーを作り上げることができる。

結果として、抽象レベルのみで展開される「抽象→抽象」という「机上の問題解決」しか出来ない。官僚主義的な組織でありがちな「顧客ニーズの把握ができていないので適宜迅速に対応策を強化していきたい」といったような「精神論」の域を出ない。

具体病

抽象化の側面が不足し、思考停止した状態のこと。

「ルールや線引き」に従うだけで一切の応用が利かない。一度ルールが設定されると、それを絶対的なものと信じて疑わず、環境の変化に適応出来ない。

言われたことを そのまま実行することしか出来ない。例えば、「部屋を片付けて」に対して「それはつまり『本は本棚に返して、お皿は食器棚に戻して、椅子と机は倉庫に返して、文房具は総務部に持っていって、飲み物は冷蔵庫に持っていって……』ということですか」と返して確認を取らないと実行できない。

結果として、「具体→具体」というように、抽象レベルがない「表面的な問題解決」しか出来ない。その背景、根本的な課題を追求しない状態で、問題解決を行おうとしている。例えば、顧客から「値段が高い」と言われたので値下げするといったような。前例があるからその通りにやるといった形で、過去の成功体験をそのままいまに当てはめることに囚われる。

What: 抽象と具体について

様々な観点から言及されているが、個人的に問題解決する上で重要に思ったものを抜粋。

抽象化

対象物に付随する様々な特徴のうち、ある目的に合致した特徴のみを抜き出すこと。

抽象化の視点は複数あるが、重要なのは、必ず「その場の目的によって異なる」こと。その上で、表現自体は様々あり、ごく少数の言葉や図形で森羅万象を説明すること、異なるものをひとまとまりにすること、あるグループと別のグループの間に「線を引く」ということ、不要なものを捨てることなど。

「目的」によって抽象化の方向性が決まるため、一つの具体から複数の抽象化の方向性が考えられる。例えば、一人のAさんという男性は様々な具体的な属性(性別、身長、体重、特技、趣味、国籍……)を持ってる。抽象化は一通りでなく、複数の切り口がある。例えば、洋服のサイズを選ぶ場面では「身長・体重という体形」での抽象化、入国審査や出国審査においては「国籍」での抽象化など。

その目的によって「系」が定まる。系とは、一つの問題やプロジェクト、組織など、問題解決のための一つの単位のことを指す。なので、プロジェクトであればそのプロジェクトが達成すべき目的であり、会社等の組織であれば達成すべきミッションになる。

また、抽象である程自由度が大きい。例えば、 「タンメンを食べに行こう」よりは、「ラーメンを食べに行こう」「中華料理を食べに行こう」「何か食事しに行こう」の順番でメニューの選択肢が増えていく。抽象化することによって、選択肢が増える。

具体化

定められた系(抽象化によって定められた枠)の中において、相違点を明確にして選択肢を絞り込んでいくこと。

重要なのは、「いかようにも解釈できる」という状態を回避させ、実践的であること。具体的には、「固有名詞」と「数字」に落とし込まれている。なので、例えば「規則正しい生活」は具体化されているとは言えず、実現性がないことを意味する。知識とはある意味で違いを明確にすることであり、それは物事を具体的かつ詳細に観察することで成り立つ。例えば、両生類と爬虫類の違いなど。

問題を解決するフェーズでは、変数を固定し、決められた変数をいかに最適化するかが重要になる。具体化するにあたって、情報量が重要な役割を占める。「抽象→具体」という下向きの矢印は発散、つまり情報量が増えていく。ここで必要なのは、抽象というインプットから具体レベルにつなげるための情報や知識の量になる。

また、具体である程自由度が小さい。例えば、「人」といえば 80 億近くの人という選択肢があるが、これを「女性」と具体化すれば約半数に絞られ、「日本人の女性」とすれば数千万人になり、最後には特定の人物に識別される。

How: 具体⇔抽象を実践する

ここまでの知識を活かす際のノウハウとして。

原則

常に意識したい立ち返りポイントとして。

「具体と抽象」という軸を持つ

そもそも「具体と抽象という視点を持てるかどうか」、そして「その中でいま行われていることがどこにマッピングできるか」を確認する。

問題発見すれば、その問題は解決したも同然なように、「具体化や抽象化ができるかどうか」の前提として、まず 認識する 必要がある。そして、それぞれの役割に応じて使い分ける。

例えば、「本を読む」という行為について、具体と抽象という視点から考察する。まず本が伝えたいメッセージが抽象的・具体的か、そして、読者側も読んだ内容を抽象レベル・具体レベルで活用したいのか。提供者側(本)と受益者側(読者)の2通りを組み合わせて、読者の具体的な活用場面(ユースケース)で想定する。

読者側/提供者側 抽象 具体
抽象 抽象を抽象で活用するケース。アカデミックな書籍(哲学や数学の本など)を理論として活用し、理論をさらに展開する。「何の役に立つのか?」という視点では眺めず、単に知的好奇心を満足させるため、純粋な概念操作のためとして活用する。 具体を抽象で活用するケース。具体的なストーリーから抽象度の高い人生訓のようなメッセージを導き出す。小説などを読む場合、作者がその具体的なストーリーを通して伝えたいメッセージを、自分の人生に当てはめてみる。上記のケースと同じように、「能動的に抽象化する」ことで、ページ内容の利益を増やすことが出来る。
具体 抽象を具体で活用するケース。抽象モデルを自分の世界に当てはめて具体的に活用する。理論的な本や抽象度の高い本を読み、抽象→具体という具体化を常に読者の側で行うことで、自らの行動につなげていく。ただ情報を受け取るのではなく「能動的に具体化する」ことで、ページ内容の利益を増やすことが出来る。 具体を具体で活用するケース。抽象化や具体化をしなくても「そのまま使える」具体的な情報が求められる。いわゆるハウツー本。「一つ成功例があるからその通りにやりなさい」という強引な論理展開になっていないか注視する必要がある。

前提条件を明確にすること

「どういう条件の下で」「どのような目的で」といった前提条件を明確にしてから物事を進める。

抽象化とは「都合の良いように切り取ること」であり、その前提となる切り取り方によって異なる。両者がそれに気付いていない場合、それがコミュニケーションギャップの大きな要因になる。典型的な誤解が生じるパターンは「言葉の定義の違い」によるもの。言葉の定義を行わずに、「正しい」「間違い」の議論を始めるのは、そもそも議論になっておらず、「自分の正しさを証明する」ためのものでしかない。

例えば、近年話題になることの多い AI に関する議論は、どこまでを AI と定義するかによって方向性が大きく変わる。特定の問題解決のみに焦点を当てたアルファ碁のような特化型 AI と、人間の知能の代替になるような汎用型 AI を想定しているのとでは、議論が全くかみ合わない。

まず言葉を定義して、その意味するところを合わせる必要がある。切り捨てた結果としての抽象にはどんなメッセージが込められていて、そこにはどんな前提条件があるのか、ここを明確にすればこのような齟齬は減らせる。

川の流れをイメージする

世の中の物事は時間の経過と共に、あたかも川の流れのように「川上から川下へ(抽象から具体へ)」と流れていく。

例えば、何かの報告書や提案書などの書類を作る場合には、概ね抽象度が高いところから徐々に具体的にしていく。まずはその報告書の目的ともいえる、対象者へのシンプルな「キーメッセージ」を確定させたのち、全体の骨格である構成や目次を決定する。次に、実際の内容である文章の作成を行い、最後に誤字脱字のチェックで終わるという全体の流れがある。

また、一人の人間の一生、誕生から死までについて。生まれたばかりの赤ん坊には「無限の可能性」があり、何者になるのか、また何を成し遂げるのかなど、可能性=自由度は限りなくある。それが成長し、教育を受けたり職業に就いたり家族を持ったりということによって、具体的な行動や成果が出てくる反面で、将来の可能性=自由度は良くも悪くも狭まっていく。

問題解決の流れを、川上から川下に向かっての抽象から具体への変換プロセスとして捉える。広義の問題解決は大きく二つ、「そもそも問題は何なのか?」という前半の問題発見と、「その問題をどうやって解決するか?」という後半の(狭義の)問題解決に分けられる。問題発見と問題解決では、向かう方向が、抽象化する「上向き」か、具体化する「下向き」」かという点で異なっている。問題発見に必要なのは、様々な具体的事象から本質的な課題を抽象化して抽出すること。問題解決に必要なのは、定められた枠組みの中で最適化を図ること。

応用

上記を踏まえて、実生活に活かしていく際のノウハウ例として。

コミュニケーション

まず『違うものを見ていないか』を確認するところから始める。

コミュニケーションギャップの根本原因は、私たち一人ひとりの経験や知識、あるいは思考回路が異なることによって、『違うものを見ていることに気づいていない』ことにある。事例を見ながら、どのようなメカニズムでギャップが発生し、それがどのように問題となり、どのようにすれば解決できるか考える。

例えば、総論賛成各論反対(客観的な一般論に対しての主観的かつ個別論からの反論)について。SNS 上でよく見られる、A「加害者の人権も認めるべきだ」B「お前は自分の家族が被害者でも同じことが言えるのか?」のような会話。他にも会社で言えば、本社と現場のコミュニケーションが上手くいかないケースなど。この「不毛な議論」に潜んでいる「根本的課題」は、具体と抽象のレベルの異なっているためにそもそも議論になっていない、そして、この状態に両者がきづいていないこと。はじめの「加害者の人権も認めるべきだ」というのは良くも悪くも一般論、つまり抽象度の高い話であり、これに対する「反論」の「お前は自分の家族が被害者でも同じことが言えるのか?」というのは、当然個別・具体的な話をしている。まずはお互いの姿が見えるよう、抽象化された意見には、どんな前提条件があるのかを明確にする。お互いの姿が見えていない状態での空中戦になっていることを確認することから始める。

その他にも、仕事を依頼したりされたりする場合。具体的/抽象的に依頼する/されるパターンを、上司と部下の両方の立場から考えてみる。パターンとしては、単純な組み合わせ。具体的/抽象的な指示を期待する部下に、上司が具体的/抽象的な指示をする。実際の指示と期待する指示の抽象度が一致していない場合、何らかのコミュニケーションギャップが生じる。具体的な依頼と抽象的な依頼を分ける要素として、最も重要なのが「自由度の違い」になる。抽象的な依頼というのは良くも悪くも自由度が高く、具体的な依頼というのは自由度が低くなり、結果の期待値コントロール具合にも関わる。ちなみに、「プロの仕事」と言えるレベルの高い仕事は、顧客の抽象的依頼に幅広い具体的な業務知識をもって「ベストの着地点を示せる」こと。もし、顧客が不自然に具体的な依頼をしてきた場合には、あえて抽象度の高い本来のニーズに一度戻した上で、再度ベターな解決策を示してあげられる。

また、他人とのコミュニケーションにおいて、「自分のことは一般化して考え、他人のことは個別かつ具体的な詳細までを考慮する」という逆のバイアスを意識する。前提として、他人のことは一般化して抽象レベルで捉える(他人にレッテルを貼る)が、自分のことは特別視して具体レベルで捉えてしまいがち。私たちはいとも簡単に、苦しんだり失敗したりした他人に対して「あるべき論(一般論・理想論)」をふりかざしてしまう。一方で、自分に対してそのような矛先が向いたときには、「自分のケースは特別だからあてはまらない」という言い訳を必要以上にしてしまう。

言葉の定義

言葉の定義は、その後の議論を不毛なものにしないためにも重要。

例えば、「考えるだけでなく行動しなければ意味がない」 「いつまでも時間をかけて計画していないで、早く行動に移せ」、ここでいう「行動」とは何を意味するのか?「行動とは実際に体を使って動くことである」という定義だけだと、まだ抽象度が高いために、みな自分勝手に解釈をして、よくあるコミュニケーションギャップのパターンに陥る。

言葉の定義を明確にする手法としては、具体化→抽象化していく。まず「〇〇は行動だが、××は行動ではない」と表現する。例えば、「家で本やネットを読んだり見たりしているだけ」「無人島で毎日エクササイズをしている」「イベントを開催する」「匿名で他人のネットの発言の揚げ足をとっている」「ベッドで寝た切りの状態で、YouTube動画で発信して数万人の登録を集める」「上司に言われた通りに商品を顧客に届けてくる」場合は、どちらか考えてみる。次に、言葉を定義する「軸」(○○であるかないかという視点)を捉える。「無人島で体を動かす」ことは、ここでいう「行動する」には値しない。「ベッドで寝た切りでも登録を集める」ことは、ここでいう「行動する」に値する。つまり、「他人に影響を与えるかどうか?」が一つの判断基準の軸になる。「匿名で他人の揚げ足を取る」ことは、ここでいう「行動する」に値しない。「イベントを開催する」ことは、ここでいう「行動する」に値する。ここから「能動的か受動的か」という軸が考えられる。「能動的になる」ことは、リスクが発生することを指す。まとめれば、行動というのは「自ら能動的にリスクを取ることで他人に影響を与えること」と定義できる。
他にも様々な言葉に対して活用できる。「きれい」と「可愛い」、「頭が良い」と「勉強ができる」、「結婚したい」と「恋人にしたい」、「オヤジ」と「おじさん」、「天才」と「秀才」、「考える」と「悩む」、「戦略」と「戦術」、「公平」と「平等」など。

「軸」は、二項対立的なものを選ぶ必要がある。ここでの目的は、あくまでお互いの認識を揃えるためであって、世の中の人を「黒か白か」の2種類に「レッテル貼り」をしたいわけではない。例えば、「世の中がほとんどがグレーである」ならば、「黒か白か(振り切れた両極)」という判断基準を設けて初めて、その「グレー度合い」を評価できる。「0 点」と「100 点」を定義することで初めて「30 点」や「60 点」が明確に位置付けられる。そこで必要になるのが「振り切れた両極」になる。軸が対立型になっていない場合、また別の言葉の定義の罠に入り込んで、さらに誤解が広がっていくことになる。例えば、科学の本が好きなのが理系で、小説が好きなのが文系と定義した場合に、SF小説をどう捉えるのか等。

アナロジー

アナロジーとは日本語でいう「類推」で、「類似のものから推し量る」こと。

つまり、似ているものから新しいアイデアを得ること。それは、具体的な類似点ではなく、抽象度の高い類似点であること。例えば、「自動車の座席」と「年末に配られるカレンダー」の共通点は? 共通点探しに対する考え方のヒントとしては、「特殊性が高い」(一般性が低い)ほうに着目して、その共通点が他の一方にも当てはまらないかをチェックしてみる。この場合で言えば、「年末に配られる」というより限定的なワードの入っている後者から考える。「実は使われていないもの」という共通点に着目していくと、様々な社会問題の解決に繋がっていく。

身の回りで何らかの「構造」を一つ捉えると、ありとあらゆる分野にそれが応用可能になる。例えば、成功と失敗の関係性から「折り曲げの法則」を捉える。両者は対極の関係(つまり直線の両端)にあり、その真ん中が「成功でも失敗でもない」という中間の状態になるが、この軸を真ん中を折り目にして、両端を合わせる形で「折り曲げて」みると、両極端だった「成功」と「失敗」が同じ場所で重なり、その対極が「どちらでもない」という構図になる。これが示すのは、成功と失敗があるのではなく、あるのは「やる」か「やらないか」であり、しかも失敗とはあくまでも成功に至るまでのステップでしかないので、挑戦をやめさえしなければ永遠に失敗と成功とは重ね合わせたものである、という考え方。

そのように物事を見ると、先のような世界観とは全く違った世界観が現れる。「愛と憎しみ」、「星五つ(☆☆☆☆☆)と星一つ(☆)」、「会社において最も評価が高い・低い人」等。一見ネガティブなモノの見方を変えることで、ポジティブなアイデアに変換出来る。

抽象化の注意点

抽象化の限界について認識しておく。

「複数の事象をまとめて扱ってしまう代わりに、個別事象の特殊性を一切無視する」ことにより「抽象化のゆがみ」が生じる。

例えば、補助金や税の優遇制度などを策定するとして、対象者について「年収○○万円以上・未満」という線引きを行った場合。「2000 万円の貯金がある年収 500 万円の人」も「2000 万円も借金がある年収 500 万円の人」も同じ扱いになる。具体レベルの特殊性を見る人からは、これは「ブーイングの嵐」ということになる。具体派の人たちは「一度引いてしまった線は絶対的なものである」と思ってしまう。環境変化等によってこのような「ゆがみ」が増えてきた段階で、「再度線を引き直すタイミングである」と判断する必要がある。

自分に都合の良い性質だけを取り出して解釈してしまう。誰かの意見に対して「それはことの本質ではない」という発言は、単に認知バイアスが働いていて、自分にとって都合の良いことを前提に意見を言っている可能性がある。人は皆それまでの経験などからくる個別の理由によって物事を客観的に見ることができず、何らかの偏りをもって見てしまう。抽象化の性質とあいまって「都合の良いように」この因果関係の線の有無や線の太さを解釈してしまう。同様に「あいつはバカだ」というときの「バカ」という言葉も、都合の良いように使われる言葉。このように使われる場合の「バカ」という言葉は、「自分にとって当たり前に知ったり理解したりしていることを理解していない人」のことを指す。「自分で勝手に限定した(自分が得意な)特定の領域で、あいつは自分に比べて著しく劣っている」ことを示しているだけであって、この定義に従う限り、人の数だけバカの定義が違うということ。視野を広げれば、「自分が他人にとっては大バカである」領域がどれだけ広いかわかる。

おわりに

いわゆる原則を学ぶ本だった。抽象と具体という視点を駆使することによって、一から十を学べる。抽象に複数の具体が紐づくイメージがわかりやすいけど、別の見方をすると「抽象化はその目的によって異なる」という、具体に複数の抽象が紐づくという説明は新鮮だった。物事を進める際の流れ(Why→What→How)を川の流れに例えているのがわかりやすいし、実践する時に想起しやすくて良い。

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