「あなたの事を一言で表すと?」と問われると自分の特徴なんかを抽出する作業を楽しんで回答しますが、自分や他人の事を一言で表せるわけなんてないってことは誰しもわかっていることだと思います。
それと同じように、それ以上にアジャイルの事を一言で表すのは難しすぎるし無理だしそもそも理解していないほど端的に伝えようとしてしまうものなんだろうなと確信しはじめた矢先、ウォーターフォールと対比させてどっちとかそういうものではなく私にとってのアジャイルは仕事そのものというか「ビジネスガイド」なんだなとしっくりくる一言を見つけてしまい。
アジャイルライクな業務歴はまだ一年程度なのですが、会社に向かう道中や家までの帰り道はずっとボーっとアジャイルやスクラムのことを考えるくらいにハマっていて、最近は妄想ばかりでインプット疲れといいますか溜め疲れといいますか、そこに自身のアジリティの低さが表れているので少しづつでも書いてみたいなと。
大きな方向性というか、書きたいこと、目的ですが、
システムの現場だけでなく世の中全体がアジャイルというものを知って一人でも多くの人が仕事を楽しめるようになると良いなと。そのためには汎用性のあるアジャイルの要素を抽出、発信することで、それを受け取った各自が持ち帰り小さく一人でも実践し始めれる、再現性ある情報提供をしてみたい。といった感じです。
例えばですが、私がアジャイルに触れて最初のころに見た絵です。
これ、システムや製造の現場だとイメージしやすいのですが、販売、営業、医療や介護、運送、事務などの職種だとピンときづらいと思ってるんですね。少なくとも私は「メリットがわたったとて、実際に活用することはできないだろうな・・」と思ってました。
理解力のある方はここから事の本質を捉え良い部分を手元に適用できるかもしれませんが、そうじゃなければ理解がここで止まってしまって「自分には関係ないや」と思わせてしまってるんじゃないかなという印象です。もしそうだとすると非常に勿体ない。
またシステム開発目線においても、もしこの絵がせめて4のバイクで止まっていたらより良い絵になりそうだなと。「結局5で似たような車がゴールならウォーターフォールでもええやん」とまでは思わなかったものの、初めてこの絵を見つつアジャイルの説明を受けた時にその大きなメリットの一部分しか理解できていなかったように思います。
下側(Like This!)の絵の本当のメリットは早期の段階にあり、1や2の時点でズレがあれば
- 引き返しやすい
- 方向転換しやすい
- リスタートしやすい
- 中断しやすい
ズレがなければ
- 後期で話が覆りにくい
- 確信を持ちながら前に進める
- 段階的でわかりやすく集中しやすい
- 目的を見失いにくい
などなど。細かくすれば他にも色々あるでしょう。
こう考えるとどんな仕事にも共通していて「責任者の指示で部下が実行する」という、従来型の基本的な仕事のプロセスにおいても適用可能、
- まず必要最低限の動きを取ってみる
- 早い段階でそれで良いかを確認する
という至ってシンプルな話で、仕事の世界で昔から普通にやっている日報とか週報はまさにインクリメンタルでフィードバックを得るレビューや振り返りだとも思っています。これは単なるスコープの話で成果物を柔軟に定義できるかがポイントではあるのですが。
私にとってのアジャイルは「昔からやってることとそう変わらないが、これまで曖昧だった仕事というものの共通点を整理し定義化したもの」。もう少しだけ具体的に言うと「ズレを防ぐために小さく刻み周囲と協調しつつ進める それこそがチームワークであり仕事」というような。ここにアジャイルの本当の魅力を感じています。
アジャイルやスクラムの話になると二の次に日本企業の衰退とセットで「不確実性」という言葉が飛び出してきますが、そもそもインターネットが存在しなかった時代の方がみんな手探りで藻掻いてて遥かに不確実だったような気もしますし、また、「不確実だから~」とか「小回りが利くように~」というのも確かにそうなんですが、対"世の中の産業情勢"な説明を受けると、途端にアジャイルがプロダクト単位またはそれ以上の大きな括りに思考が持って行かれてしまう感じが否めず。そうなると現場で実践!個人でも実践!からは遠ざかってしまう気がします。
というように、ウォーターフォールvsアジャイルといった新旧対決!昭和vs令和、みたいなわかりやすい紹介がもたらす誤解というか副作用はなかなか大きいなと。
私がアジャイルに関心を持っている別職種の方へ話をするときは、次の絵の方を先に見せるほうが良いなと、この記事を書きながら思いました。そろそろ長くなってきているので、この辺で「1」とさせていただきますね。アジャイルスクラム本当面白いです。コメントフィードバックお待ちしております。