概要
いよいよ、終活を進めて行かなくてはならない時期にきた。
健康保険証が後期高齢健康保険証になつた。この年齢(75才)になると、いろいろなところで年齢による生活面でのパスポートに条件が課される。
先日、銀行系のカードローンが契約期限が来て解約になった。
一定の年齢に達するとカードローンも契約できなくなるらしい。年金だけの収入では許可されないらしい。
銀行も冷たい。今でも電気・ガス・水道などの引き落としは銀行口座から落としているのに。貢献はしているつもりだが。
行政側の仕事として、たとえ高齢者でも返済能力のある人へはカードローンの契約を許可させてほしい。高齢者が安心して生活できるように、銀行への行政指導をきちんとしてほしい。
終活内容
まず、家の中の整理・片づけをしなくてはならない。
不要なものは捨てる。断捨離する。
ここで、曽野綾子さんの書籍2017年12月発行 興陽館(¥1,100)「身辺整理 わたしのやり方」を参考にする。
(1) 身辺整理
本日、郵送でこの本がとどきました。(全238ページ)人生の後始末には納得させられました。身軽になって逝きたいものです。何も残さずがベストです。本に書いてあることすべてに納得させられました。私もそのように逝きたいと思います。最後は野垂れ死にでもいいという、究極の思いでいれば怖いものはありません。それでいいと思います。身辺整理は何も残さないことと教えていただきました。すべて捨て去ることです。それでいいと思います。ものを残して逝くことはしない方がいいと思いました。
(2) 遺産相続
特にこれといった遺産はないが、自宅と墓、車、少額の共済保険ぐらい。
生命保険は加入していない。株式も所有していない。預金もほとんどない。
唯一の救いは借金がないこと。息子、娘家族には迷惑をかけたくない。
葬儀費用も大して用意していないので、家族だけの、直葬でも構わない。
写真ひとつ飾って火葬してくれればよれでよい。
(3) 葬儀・墓地
葬儀費用も大して用意していないので、家族だけの、直葬でも構わない。
写真ひとつ飾って火葬してくれればよれでよい。
墓は10年ほど前に購入した。二人とも元気なうちに購入しておこうと決めた。しかし、時代が変わって、これからはもっとシンプルな形になってゆくかもしれない。檀家にはなりたくなかった。お寺との付き合いが大変なのがわかっていた。個人で持つのではなく、市の合同墓地という墓もこれからは一般的になってくるかもしれない。墓は不要という人もいる。戒名もいらない。これからの時代はまったく、不透明である。
(4) 介護(老老介護)
こればっかりはどちらが先に逝くかわからない。
(5) 年金と生活
この年になると働くことはできない。老老介護ではまして働くこともままならない。したがって、年金で生活しなければならない。
わずかな年金だが、知恵を絞って夫婦二人が生活しなければならない。
食費を削るのがせいぜい。預金に回す金も残らない。孫に渡す小遣いだけはなんとか工面してあげたい。現役時代はまさか、こんなに年金がすくないのとは思ってみてもいなかった。悠々と第二の人生が送れるとおもっていた。
当時は、年金で十分海外生活もできるとのふれ込みで、海外で行った人もいたが。あれは何だったのか。
(6) 健康・病気
健康でポックリ逝くのが最上ですが、なかなか難しいと思います。家内の母はそのような逝く方だった。風呂で亡くなっていたとのことです。
それまでは元気でいたので、おそらく心臓麻痺かなんかだったのだろう。
本人は苦痛も感じなかったかもしれません。
(7) その思いを断ち切るには
この本は残したいとか、この写真は残したいとか思っているといつまでたっても身辺整理はできない。どうやってその思いを断ち切るかが身辺整理で一番の難題。
結局残していても残りわずかな時間に果たして見るかをよく考えてみる。
パソコン、スマホなど日々使用しているものは無理としても、日常生活では使用していないものは捨ててもいいと思わなければならない。そのうち使うかもしれないと思っているものはまず一番に捨てる。
日曜道具がたくさんある。電動の機械類、趣味のもの、高価なカメラや三脚、望遠レンズ、イタリアで買ったベネチヤのワイングラス、健康器具、
この10年間、全く使用していない。
(8) 交際関係を断つ
現役を退くと人との交際はなくなってしまう。仲間と飲みに行くこともなくなる。そして毎日が日曜日状態になり、老いて行く。昔の同窓会には行きたくない。自慢話が始まると面白くない。豊かな生活をしている人はいいが、そうでない人は行きたくないだろう。
(9) 車の処分をいつやるか
これが困っている。今はできない。介護で近くの医院へ通うにも車が必要で、自分ひとりなら無くてもいいかと思うが。
行き帰りにいちいちタクシーを呼ぶのも億劫だし。
(10) 悔いはなかったか
これといった高い望みをもっては生きてはこなかった。ただ普通に生きてきた、流れに乗っていただけかもしれないが、多少の山谷はあった。これまでの人生を振り返ってみると、瀬戸際で滑り込みセーフという人生だったと思う。窮地に陥った時もなんとかクリアできた。運がよかったのかもしれない。ただ一回、若い時に九死に一生の場面があった。もうだめかとあの時は思ったが、運よく生還できた。ありがたいことに二人の子にも恵まれて、二人とも家族をもって暮らしていることがなによりもうれしい。
家内の介護もこれも運命かなと。老老介護が悪いこととは思わない。
あとがき
終活を書いているとグチぽっくなります。こんな人生だったのかと。
情けない。若い頃は、希望にあふれ、老後のことなんかちっとも考えていなかった。人生を閉じるにあたっては、思い残すこはないことにする。あれもしたかったとか、やり残したとかということではなく、たとえ中途半端のままでも、ああ、十分生きた、これで悔いはないとして逝きたい。足跡、痕跡は残さないで。