ポエムを書こうと思った
ポエムである。巷を賑わせているポエムである。技術ポエムと限定してもよい。
技術的、専門的なことを書いている振りをしているが、実はひとりごとでしかなかったり、根拠がなかったり、検証されていなかったり、感想文だったりする奴のこと……か?
そもそも技術ポエムというのは、技術の記事ですらないのではないだろうか。
よくわからない。
よく分からないので、それでは、ポエム専門で記事を書いてみようと思った。
金にならない執筆なので、ポエムと割りきればよいだろう。
ここでいきなり、カーネルとかデバイスドライバとかプロトコルスタックとか、もう少し上位のソフトウェア開発の話とか、あるいはシステム設計・構築の話をはじめてもおもしろいのかもしれないが、そんなものはもっと優秀な人が書いているので、僕が書くまでもない。
では、ポエムを書こう。
ポエムってなんだ?
さて、ポエムとは何であろうか?
まずおそらく、客観的であってはならない。主観的でなければならない。
たとえば、今これを書いているIMがAnthyなんだけど、最近変換がおかしくなってきていて、何かアップデートの時に辞書の構築に失敗しているのではないか、みたいな話は、「ではないか?」で終わっており、実に主観的かつ反技術的である。
「ではないか?」と思うのなら、調べてから結果だけ記事にすればよい。
プロセスは面白いかもしれないが、まあ必要ない。
たとえば、学術論文を書く場合、その論文の範囲の結論に必要なことを書くものであり、試行錯誤のプロセスは書かない。試行錯誤の途中結果が論文の結論であれば、その途中結果を導き出すために必要なものを書く。試行して失敗した場合、失敗したという結論の論文であれば失敗を記述する必要があるが、そうでなければ途中の失敗は書かない。
そう考えると、ポエムというのは、プロセスを書くとよいのではないだろうか。
たとえば、今書いている思考のダダ漏れみたいなものだ。
ちらしの裏に書けばよい種類のことだ。
加えて、おそらく結論は書かないほうがよい。結論が導出できたとしても、あえて書かないほうがよい場合もあるし、非合理的な結論を導出して書いた後に、「なーんちゃって、てへぺろ」などと書くというのも味わいがある。
おそらくポエムは、熱くなってはいけない。熱いポエムもあるかもしれないが、島本先生レベルの熱さがないと、ちょっと空回りする。
空回りしても恥ずかしくないよという雰囲気を醸し出すのも、ポエムもコツかもしれないし、だからこそポエムはうざいのかもしれない。
ポエムを書く技術
先日、ヘルスケア系キュレーションサイトの低品質記事が問題になり、サイト自体が閉鎖された騒動があった。
これらのサイトは、クラウドソーシングで相場の1割以下の原稿料で素人同然の人に記事を書かせて、それを素材としてSEO対策をしていたのだが、ライター側からの意見というのが、以下に掲載された。
「1円ライターから見た、キュレーションサイト「炎上」の現場」
http://magazine-k.jp/2016/12/08/writing-for-curation-media/
この記事はなかなか秀逸であると思った。
まず、「普段は別名義で、小説家、ライターとしてほそぼそと活動しています。」と自己紹介している。プロの書き手であることを臭わしている。
その一方で、到底プロにはなれない人が相互に助け合いをしながら超低価格のライティングをしている「優しい場所」について説明します。この箇所になると、筆致がふわっとした感傷的なものになるのが印象的である。
その上で、「自分のことを筆力のある人間だと思っています。真剣に努力すれば、高級ライターになれるだろうと信じています。」と述べて、自分は彼女らとは違うというある種の間運ティングをしながらも、「優しい場所」の今後について憂いている。
具体的な事案やクラウドソーシングのサービスの名前を出しながらも、本論は実にふわっとしている。もちろん、問題提起の一部である「子供を抱えながら金銭的に苦しい人ができるアルバイトが必要なのだ」という点は、間違ってはいないし、専門職である記事執筆という仕事が子供を抱えながらとか何かしらのハンディキャップがあってもできるべきだとは思うが、それは能力があればという前提だと思う。
なぜなら、専門職なのだから。
優しい場所が必要な人の受け皿として、専門職の業界は適切とは言えない。
なぜなら、専門職は専門家集団であるべきなのだから。
……まあ、この部分は僕の主張なので、ここでこの記事を引用した本来の目的に戻ると、自分は問題空間から少し距離を取りながら、その問題空間をふわっとした表現でまとめてしまうこの筆者の書き方というのは、ある種の技巧を感じると同時に、そういった技巧の集大成が何の根拠もない医療・ヘルスケア情報サイトなのではないかとも思う。
これはヘルスポエムと呼んでも良いくらいだ。
おそらくポエムを書くには技術がいる。その技術は、ポエムを好んで読む人に受け入れられるための技術であり、そこで受容されることにより、技術は強化され洗練される。
かくしてポエムが真実だと信じて生きるクラスタができあがる。
もちろん、このロジックに根拠はない。「なんとなくそんな気がする」から書いてみたのであり、これこそまさにポエム的である。
といった種類の技巧を駆使しつつ、このアカウントではポエムを書き散らしていきたい。
もう少し技術よりのポエムにはしたいとは思う。
そしてポエムに溺れて幸せにひたることのできる諸氏を、溺れさせてしまいたい。
僕のポエムで、みんなを溺れさせたい。