注意
この記事では 量子計算機のことは1mmも出ててきません1。量子情報で扱う確率のさわりを扱います。
流行の断熱計算機とかCIMとかの話ではなく、夢成分もほとんどないのであしからず。
確率の復習
難しい定義はありますが、今回は高校生(++)ぐらいの定義でやります。
要素の個数$N$が無限でない集合$S$が与えられているとします。例えば、サイコロの目だったら
S = \{1, 2, 3, 4, 5, 6\}
ですし2。数字でなくてもコインの裏表なら
S = \{H, T\}
とかでも良いです。とにかく、離散的(飛び飛び)で有限な集合を考えます。
確率とは、この集合の要素に対する重みで、足したら1になるもののことを言います。
特に確率質量関数とは集合の要素を食べて、その重みを返す関数です。pythonで例をあげる3と、例えばこんな感じになります。
def pmf(s):
if s in S:
return 1 / len(S)
else:
raise Exception
数学的には$p: S \to [0, 1]$かつ$\sum_{s \in S}p(s) = 1$を満たす写像$p$を確率質量関数と呼びます。
さて、ここで大事なのは、例えば「コインを投げる」などといった試行を行うと、得られる値(測定値)は「H」や「T」といった$S$の中の値ということです。この「実際に値が得られた」ということを事象、イベントといい、$\{X = H\}$と書いたりします。ここで$X$は確率変数と呼ばれます。
本当に数学的にやろうとすると、$X$の身分はなんだー、とかそもそも{}ってどういう意味だー4とか色々あるのですが、ここでは「まだ止まっていないスロットマシーンのようなもの」が$X$で止まったというイベントを$\{X = H\}$と書くと理解してください。そして、このイベントの重み(確率)を $\rm{Pr}\{X = H\}$と書いたりします。
コイン投げと偏光板
前節では例でコイン投げを出しました。コインは投げてみる(測定する)ことでその値を確定させます。そして、その値がでる確率はコインによって決まっていると考えるのが妥当でした。しかし、量子の世界だと測定の方法によって確率が変わるということがよくあります。
例えば、縦方向に偏光した光子5を考えます。この光子が縦方向の偏光板を通り抜ける確率は1です。それを90度回転した偏光板を通り抜ける確率は0です。一方45度回転した偏光板を通り抜ける確率は1/2でそれを90度回転した偏光板を通り抜ける確率も1/2になります。
このように、ある角度の偏光板を光子が通り抜ける確率はある意味コイン投げのように考えられます。つまりある光子がある角度の偏光板を通り抜ける確率を$H$、通り抜けない確率を$T$とすれば、コイン投げとみることができるのです。
状態と測定
量子情報では、上記の性質を光子の状態とそれに対する測定と別々に定義します。ここで、ある光子の状態を$\rho$と表記し、測定を
M = \{M_s\}_{s \in S}
と表記することにします。状態 $\rho$ が準備された時にそれを$M$で測定した時に、その測定値が集合$S$の中のどれかの値をとるとするのです。ここで測定は同じ測定値集合$S$をとったとしても別の測定 $N = \{N_s\}_{s \in S}$ を考えることができることに注意してください。
ここで、状態$\rho$と測定$M$が与えられたもとで測定値が$s$である確率を
{\rm Pr} \{X = s|\rho, M \}
と書くことにしましょう。この確率は$\rho$と測定$M$が(複素)正方行列6として、
\rho \geq 0 \\
{\rm Tr} [\rho] = 1, \\
\forall s \in S, M_s \geq 0, \\
\sum_{ s \in S} M_s = I
を満たすとする。つまり、状態$\rho$は半正定値7であり、トレース8が1であり、測定$M$は各要素が半正定値であって、その総和が単位行列9であったとして、
{\rm Pr} \{X = s|\rho, M \} = {\rm Tr} [\rho M_s]
と表現されます10。
例
例として、
\rho = \left[
\begin{array}{cc}
1 & 0\\
0 & 0
\end{array}
\right],
M_T = \left[
\begin{array}{cc}
1 & 0\\
0 & 0
\end{array}
\right],
M_H = \left[
\begin{array}{cc}
0 & 0\\
0 & 1
\end{array}
\right]
とすると、
\begin{align}
{\rm Pr} \{X = H|\rho, M \} & = {\rm Tr} [\rho M_H] \\
& = {\rm Tr}\left(
\left[
\begin{array}{cc}
1 & 0\\
0 & 0
\end{array}
\right]
\left[
\begin{array}{cc}
1 & 0\\
0 & 0
\end{array}
\right]
\right)\\
& = {\rm Tr}\left(
\left[
\begin{array}{cc}
1 & 0\\
0 & 0
\end{array}
\right]
\right)\\
& = 1
\end{align}
\begin{align}
{\rm Pr} \{X = T|\rho, M \} & = {\rm Tr} [\rho M_T] \\
& = {\rm Tr}\left(
\left[
\begin{array}{cc}
1 & 0\\
0 & 0
\end{array}
\right]
\left[
\begin{array}{cc}
0 & 0\\
0 & 1
\end{array}
\right]
\right)\\
& = {\rm Tr}\left(
\left[
\begin{array}{cc}
0 & 0\\
0 & 0
\end{array}
\right]
\right)\\
& = 0
\end{align}
となります。一方、測定を変更して、
N_T = \frac{1}{2}\left[
\begin{array}{cc}
1 & 1\\
1 & 1
\end{array}
\right],
N_H = \frac{1}{2}\left[
\begin{array}{cc}
1 & -1\\
-1 & 1
\end{array}
\right]
とすると、
\begin{align}
{\rm Pr} \{X = H|\rho, N \} & = {\rm Tr} [\rho N_H] \\
& = \frac{1}{2}{\rm Tr}\left(
\left[
\begin{array}{cc}
1 & 0\\
0 & 0
\end{array}
\right]
\left[
\begin{array}{cc}
1 & 1\\
1 & 1
\end{array}
\right]
\right)\\
& = \frac{1}{2}{\rm Tr}\left(
\left[
\begin{array}{cc}
1 & 1\\
0 & 0
\end{array}
\right]
\right)\\
& = \frac{1}{2}
\end{align}
\begin{align}
{\rm Pr} \{X = T|\rho, N \} & = {\rm Tr} [\rho N_T] \\
& = \frac{1}{2}{\rm Tr}\left(
\left[
\begin{array}{cc}
1 & 0\\
0 & 0
\end{array}
\right]
\left[
\begin{array}{cc}
1 & -1\\
-1 & 1
\end{array}
\right]
\right)\\
& = \frac{1}{2}{\rm Tr}\left(
\left[
\begin{array}{cc}
1 & -1\\
0 & 0
\end{array}
\right]
\right)\\
& = \frac{1}{2}
\end{align}
となります。状態が同一なのにも関わらず、測定によって確率が変わりました。
その他の話題
この記事では量子情報においては状態と測定を分けて考え、状態が同じでも測定が変わると確率が変わるということを説明しました。実はこれだけでは、量子の面白い話はまだ登場していません。
例えば、「測定の直後に同じ測定をすると確率1で同じ測定結果を返す」ということが知られていますが、これは状態が測定によって変化するということをさします。また、量子系特有の相関のような話題にエンタングルメントというものがあり、これを元にすることによって、superdense codingや量子計算が記述されます。これらを話すためにはテンソル積の概念が必要なのですが、というような発展的な話題は、少し難しいですが、
石坂ら「量子情報科学入門」http://amzn.asia/d/0osk0V9
を読んでみるのを勧めます11。
以上、読んでいただきありがとうございました。
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出とるやん。っていう自己言及的なところは除く。 ↩
-
画像を用意したかったけど、それっぽいので著作権的に大丈夫そうなのが見当たらなかったため数字。 ↩
-
Qiita的にプログラミングっぽいところも出してみた。 ↩
-
詳しくは測度論を勉強してください。 ↩
-
すごーく弱くした光で、粒子として考えられるものです。 ↩
-
正確には、作用素 ↩
-
エルミート行列(実行列であれば、転置行列)であり、固有値が非負の行列 ↩
-
対角成分の和 ↩
-
恒等作用素 ↩
-
これが確率の要件、$p: S \to [0, 1]$かつ$\sum_{s \in S}p(s) = 1$を満たすことを証明するのは良い演習問題です。 ↩
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もともと所属していた研究室の先生が一部を書かれているので(売れても私には一切お金は入らないけど)宣伝も兼ねて。 ↩