ファイル取込み編
pythonでは、標準ライブラリだけでも様々な種類のファイルが取り込めるらしい。
ということで、今回はファイル取込み編。都度、ググった箇所を追記しておく形で残しておく。
gzip
pythonでは、gzipファイルのサポートをしており、解凍や展開をはじめとするgzipファイルの操作が可能らしい。
そもそもgzipって何?
.gz
という拡張子は見たことあるけど、そもそもzipと何が違うの?と思ってググった結果が以下。
- 圧縮形式の一つで、主にUNIX系OSでよく用いられる
- 拡張子は
.gz
または.gzip
- 主にテキスト形式のファイルが圧縮対象
- HTTPによるデータを送受信する際の標準圧縮方式として採用されている
- gzip自体は圧縮機能しかないため、複数ファイルをまとめたい場合は「アーカイバ」と呼ばれるプログラムが必要
- zipとの直接の互換性はない
zipのUNIX版的なイメージ?
4.があるからちょっと違うか。
あと、なぜpythonが標準でgzipをサポートしてるのかは分からずじまい。。。
どう使うの?
UNIXコマンドでも可能だが、ここではpythonでの使い方のみメモ。
ファイルを開く
gzip.open(filename, mode='rb', compresslevel=9, encoding=None, errors=None, newline=None)
mode
には、大きく「バイナリモード(b
)」と「テキストモード(t
)」の2種類があり、デフォルトは前者。
頭文字がr
は読み専、w
は書きかな。
後の引数はよく分からん。必要に応じて調べよ。。。
import gzip
file = gzip.open('hightemp.txt.gz', 'rt')
file
Out[4]:
<_io.TextIOWrapper name='hightemp.txt.gz' encoding='UTF-8'>
ファイルを読み込む
file.read()
Out[5]:
'高知県\t江川崎\t41\t2013-08-12\n埼玉県\t熊谷\t40.9\t2007-08-16\n'...
使い道がよく分からないが、今後使うことがあるのだろう、と自分を納得させてみる。
JSON
pythonでは、JSON形式で構造化されたデータを扱うことができるらしい。
JSON・・・あー、あれね。
よく聞くわりによくわかっていないJSON。
良い機会なので調べて見た。結果は以下。
・"JavaScript Object Notation" の略で、XMLなどと同様のテキストベースのデータフォーマット
・JavaScript専用のデータ形式ではなく、様々なソフトウェアやプログラミング言語間におけるデータの受け渡しに使えるよう設計されている
・WebAPIによく使われる
Web情報を扱うには必須の知識という程度の理解はした。
とりあえずJSONデータを取り込んでみる。
import json
f = open('jawiki-country.json', 'r')
json.load(f)
結果
Traceback (most recent call last):
File "/Users/TAKUGE/.pyenv/versions/anaconda3-2.5.0/lib/python3.5/site-packages/IPython/core/interactiveshell.py", line 2881, in run_code
exec(code_obj, self.user_global_ns, self.user_ns)
File "<ipython-input-4-676818aecd44>", line 1, in <module>
json.load(f)
File "/Users/TAKUGE/.pyenv/versions/anaconda3-2.5.0/lib/python3.5/json/__init__.py", line 268, in load
parse_constant=parse_constant, object_pairs_hook=object_pairs_hook, **kw)
File "/Users/TAKUGE/.pyenv/versions/anaconda3-2.5.0/lib/python3.5/json/__init__.py", line 319, in loads
return _default_decoder.decode(s)
File "/Users/TAKUGE/.pyenv/versions/anaconda3-2.5.0/lib/python3.5/json/decoder.py", line 342, in decode
raise JSONDecodeError("Extra data", s, end)
json.decoder.JSONDecodeError: Extra data: line 2 column 1 (char 27837)
怒られた。
どうやら、1行ずつ読み込めばいいらしい。
import json
f = open('jawiki-country.json', 'r')
temp = {i : json.loads(line) for i, line in enumerate(f)}
temp
結果
・・・
200: {'text': '{{Otheruses2|||日本 (曖昧さ回避)|日本国 (曖昧さ回避)}}\n{{基礎情報 国\n|略名 =日本\n|日本語国名 =日本国\n|公式国名 =\n|国旗画像 = Flag of Japan.svg\n|国章画像 = [[File:Imperial Seal of Japan.svg|85px|十六八重表菊]]\n|国章リンク = ([[日本の国章|国章(慣例上)]])\n|標語 = なし\n|標語追記 =\n|国歌 = [[君が代]][[File:Kimi ga Yo instrumental.ogg]]\n|国歌追記 =\n|位置画像 = Japan (orthographic projection).svg\n|公用語 = [[日本語]](事実上<ref>日本の公用語を日本語と定める法令は存在しない。詳しくは[[日本#言語]]および[[日本語#分布]]を参照。</ref>)\n|首都 = [[東京都]](事実上<ref>日本の首都を東京と定める法令は現存しない。詳しくは[[日本の首都]]を参照。</ref>)\n|最大都市 = [[東京都区部]](23区を一つの自治体と見なす場合。<ref>東京都にある[[特別区]]の集合体は地方自治法による[[地方自治法|地方公共団体]]ではない。</ref>)\n|元首等肩書 = [[天皇]]\n|元首等氏名 = [[明仁]]<br/>(125代目:[[今上天皇]])\n|首相等肩書 = [[内閣総理大臣]]\n|首相等氏名 = [[安倍晋三]]\n|面積順位 = 62\n|面積大きさ= 1 E11\n|面積値 = 377,961.73\n|水面積率 = 0.8%\n|面積追記 =\n|人口統計年 = 2012\n|人口順位 = 10\n|人口大きさ = 1 E8\n|人口値 = 1億2653万<ref>[http://esa.un.org/unpd/wpp/Excel-Data/population.htm United Nations Department of Economic and Social Affairs>Population Division>Data>Population>Total Population]</ref>\n|人口密度値 = 337\n|人口追記 =\n|GDP統計年元 = 2013\n|GDP値元 = 名目478兆3,680億<ref name="imf-statistics-gdp">[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2012/02/weodata/weorept.aspx?pr.x=73&pr.y=8&sy=2010&ey=2012&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=158&s=NGDP%2CNGDPD%2CNGDPDPC%2CPPPGDP%2CPPPPC&grp=0&a= IMF>Data and Statistics>World Economic Outlook Databases>By Countrise>Japan]</ref>\n|GDP元追記 =\n|GDP統計年MER = 2014\n|GDP順位MER = 3\n|GDP値MER = 4兆8460億<ref name="imf-statistics-gdp"/>\n|GDPMER追記 =\n|GDP統計年 = 2014\n|GDP順位 = 4\n|GDP値 = 4兆8350億<ref name="imf-statistics-gdp"/>\n|GDP/人 = 38,053<ref name="imf-statistics-gdp"/>\n|GDP追記 =\n|建国形態 = [[建国]]\n|建国年月日 = 諸説あり([[日本神話]]による初代天皇即位の日を[[グレゴリオ暦]]に換算すると[[紀元前660年|前660年]][[2月11日]]<ref>[[#建国をめぐる議論]]の節も参照。</ref>)。\n|通貨 = [[円 (通貨)|円]]\n|通貨コード = JPY\n|通貨追記 =\n|時間帯 = +9\n|夏時間 = なし\n|時間帯追記 =\n|ISO 3166-1 = JP / JPN\n|ISO 3166-1追記 =\n|ccTLD = [[.jp]]\n|ccTLD追記 =\n|国際電話番号 = 81\n|国際電話番号追記 =\n|注記 = <references/>\n}}\n\'\'\'日本\'\'\'(にっぽん、にほん<!--どちらの呼称も法定ではない。またどちらが有力かについてWikipediaの過去の議論(ノート・過去ログ)では明確な回答や出典は提示されていない。どちらを前に書き、後ろに書くべきかについて投稿者個々に思いいれがあるだろうが、以上の経緯を踏まえご配慮ください。より有用な議論があればノートでご紹介下さい。-->、{{lang-en|Japan}})、または\'\'\'日本国\'\'\'(にっぽんこく、にほんこく)は、[[アジア大陸]]の東方([[東アジア]])に位置する[[日本列島]]([[北海道]]・[[本州]]・[[四国]]・[[九州]]の四大島)と、[[南西諸島]]・[[小笠原諸島]]などから成る[[島国]]である<ref>[http://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC?dic=daijisen&oid=14065900 松村明ほか 『デジタル大辞泉』 小学館、2013。松村明ほか 『大辞林 第三版』 三省堂、2006。加藤周一ほか 『世界大百科事典』、日立ソリューションズ・ビジネス、1998。]</ref>。\n\n== 国号 ==\n[[File:Uji-bashi 03.JPG|thumb|right|日本の日の出([[三重県]][[伊勢市]] [[伊勢神宮]]・[[宇治橋 (伊勢市)|宇治橋]])]]\n「日本」という[[漢字]]による[[国号]]の表記は、[[日本列島]]が[[中国大陸]]から見て東の果て、つまり「日の本(ひのもと)」に位置することに由来しているのではないかとされる<ref>吉村武彦 『古代天皇の誕生』(角川書店、1998)</ref>。近代の二つの憲法の表題は、「日本国憲法」および「大日本帝国憲法」であるが、国号を「日本国」または「日本」と直接かつ明確に規定した法令は存在しない。ただし、日本工業規格 (Japanese Industrial Standard) では日本国、英語表記をJapanと規定。更に、国際規格(ISO)では3文字略号をJPN、2文字略号をJPと規定している。また、日本国[[外務省]]から発給される[[パスポート|旅券]]の表紙には「日本国」の表記と[[十六一重表菊]]<ref>外務省によると、1920年の[[国際交通制度改良会議]]で、パスポートの表紙に国章を記すように採択されたが、当時の日本に法定の国章がなかったため、1926年からデザイン化した菊の紋章が採用されたという。[http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/sonota_01.html 外務省 外交史料 Q&A その他]より。</ref>を提示している。\n\n== 由来 ==\n=== 概説 ===\n『[[旧唐書]]』・『[[新唐書]]』が記すように、「日本」国号は、日本列島を東方に見る国、つまり中国大陸からの視点に立った呼称である<ref>網野善彦『「日本」とは何か』(講談社、2000年)、神野志前掲書など。</ref>。[[平安時代]]初期に成立した『[[弘仁私記]]』序にて、日本国が[[中国]]に対して「日の本」、つまり[[東方]]に所在することが日本の由来であると説明され、平安時代に数度に渡って行われた『日本書紀』の講読の様子を記す『[[日本書紀私記]]』諸本においても中国の視点により名付けられたとする説が採られている<ref>神野志隆光は、日本の称が中国の世界観の中から生まれた可能性を指摘した上で、故に日本の国号が唐に受け容れられたのではないかと考察している。</ref>。\n\n日本では、[[大和政権]]が統一以降に自国を「[[ヤマト]]」と称していたようであるが、古くから[[中国]]や[[朝鮮]]は日本を「[[倭]]」と呼んできた。[[石上神宮]]の[[七支刀]]の銘や、中国の[[歴史書]](『[[前漢書]]』『[[三国志]]』『[[後漢書]]』『[[宋書]]』『[[隋書]]』など)や、[[高句麗]]の[[広開土王]]の[[碑文]]も、すべて倭、倭国、倭人、倭王、倭賊などと記している。そこで大和の代表者も、[[外交]]時には([[5世紀]]の「[[倭の五王]]」のように)国書に「倭国王」と記すようになった<ref>下中直人編 『世界大百科事典\u300021』 [[平凡社]]、387頁。</ref>。\n\nしかし中国との国交が約120中絶した後、[[7世紀]]初期に再開された時には、『[[日本書紀]]』に「東天皇」、『[[隋書]]』に「日出処天子」とあり、倭を自称することを避けるようになっていたらしい。中国側では『旧唐書』の「東夷伝」に初めて倭国と日本国とを併記し、「日本国は倭国の別種なり。其の国、日の辺に在るを以ての故に、日本を以て名と為す」「或いは曰く、倭国自ら其の名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本と為す」「或いは曰く、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併す」のように、倭から日本に変わった理由を紹介している<ref>前掲 『世界大百科事典』 387頁。</ref>。\n\nこの7世紀には、[[遣隋使]]に続いて[[遣唐使]]がしばしば派遣されているが、いつから「倭」に変えて「日本」を国号と変えたのかは明らかでない<ref>前掲 『世界大百科事典』 387-388頁。</ref>。使者の毎回の交渉について詳しく記述している『日本書紀』も、8世紀に国号としての日本が確立した後の[[書物]]であり、原資料にあった可能性のある「倭」の字を、国号に関する限りすべて「日本」と改めている。それ以外の文献では、733年(天平5年)に書かれた『海外国記』の逸文で、664年(天智3年)に[[太宰府]]へ来た唐の使者に「日本鎮西筑紫大将軍牒」とある書を与えたというが、真偽は不明である。結局確かなのは『[[続日本紀]]』における記述であり、702年(大宝2年)に32年ぶりで唐を訪れた遣唐使は、唐側が「大倭国」の使者として扱ったのに対し、「日本国使」と主張したという。『旧唐書』の「東夷伝」の記事も、この日本側の説明に基づいているようである<ref>前掲 『世界大百科事典』 388頁。</ref>。\n\n=== 詳細 ===\n『日本書紀』では日本の初代天皇の神武天皇は神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)と言われ、饒速日命は「虚空見つ日本の国」と日本を呼んだ。\n\n『[[倭・倭人関連の朝鮮文献|新羅本紀]]』では「670年、倭国が国号を日本と改めた」とされている。「倭」と「日本」の関係について、『日本書紀』によれば、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになり、やがて、その「ヤマト」に当てる漢字を「倭」から「日本」に変更し、当初はこれを「ヤマト」と読んだとする<ref>『日本書紀』巻之第一 神代上 第四段「日本、此云耶麻騰。下皆效此」(日本、ここにはヤマトと云ふ。下は皆これに効(なら)へ)</ref>。\n\n「日本」という国号の表記が定着した時期は、[[7世紀]]後半から[[8世紀]]初頭までの間と考えられる。この頃の[[東アジア]]は、[[618年]]に成立した[[唐]]が勢力を拡大し、周辺諸国に強い影響を及ぼしていた。[[皇極天皇|斉明天皇]]は[[658年]]臣の[[阿倍比羅夫]]に、外国である[[粛慎]](樺太)征伐を命じている。[[663年]]の白村江の戦いでの倭国軍の敗戦により、唐は使者を倭国に遣わし、唐と倭国の戦後処理を行っていく過程で、倭国側には唐との対等関係を目指した律令国家に変革していく必要性が生じた。これらの情勢を契機として、[[668年]]には[[天智天皇]]が日本で最初の律令である近江朝廷之令([[近江令]])を制定した。そして[[672年]]の[[壬申の乱]]を経て強い権力を握った[[天武天皇]]は、天皇を中心とする体制の構築を更に進め、[[689年]]の[[飛鳥浄御原令]]から[[701年]]([[大宝 (日本)|大宝]]元年)の[[大宝律令]]の制定へと至る過程において国号の表記としての「日本」は誕生したと考えられる。\n\n具体的な成立の時点は、史料によって特定されていない。ただし、それを推定する見解は2説に絞られる。\n\n(1) 第一説は、天武天皇の治世(672年 - 686年)に成立したとする説である<ref>熊谷公男 『大王から天皇へ 日本の歴史03』(講談社、2001年)、[[吉田孝]] 『日本誕生』(岩波新書、1997年)など</ref>。これは、この治世に「天皇」の号および表記が成立したと同時期に「日本」という表記も成立したとする見解である。例えば吉田孝は、689年の飛鳥浄御原令で「天皇」表記と「日本」表記と両方が定められたと推測する<ref>吉田孝 『日本の誕生』(岩波新書、1997年)</ref><ref>天武天皇は、飛鳥浄御原令が成立する以前の686年に没している。</ref>。\n\n(2) もう一説は、701年(大宝元年)の大宝律令の成立の前後に「日本」表記が成立したとする説である<ref>[[神野志隆光]]『「日本」とは何か』(講談社現代新書、2005年)など</ref>。例えば神野志隆光は、大宝令公式令詔書式で「日本」表記が定められたとしている<ref>神野志隆光『「日本」とは何か』(講談社現代新書、2005年)</ref>。但し『日本書紀』の[[大化]]元年([[645年]])七月条には、[[高句麗]]・百済からの使者への詔には「明神御宇日本天皇」とあるが、今日これは、後に定められた大宝律令公式令を元に、『日本書紀』(720年([[養老]]4年)成立)の編者が潤色を加えたものと考えられている<ref>古田東朔「国号」節(「日本」項、『国史大辞典』第11巻、吉川弘文館、1990年)</ref>。\n\n8世紀前半の唐で成立した『[[唐暦]]』には、[[702年]](大宝2年)に「日本国」からの遣使(遣唐使)があったと記されている<ref>『[[続日本紀]]』[[慶雲]]元年([[704年]])七月条に、[[粟田真人]]を執節使とする遣唐使が唐(大周)から帰国したとの記述がある。</ref>。後代に成立した『旧唐書』<ref>[http://www.hoolulu.com/zh/25shi/16jiutangshu/t-211.htm 『旧唐書』列傳第149「東夷」]、「倭國者、古倭奴國也。…日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰 倭國自惡其名不雅、改為日本。或雲 日本舊小國、並倭國之地。」</ref>、『新唐書』<ref>[http://www.hoolulu.com/zh/25shi/17xintangshu/t-236.htm 『新唐書』列傳第145「東夷」]、「日本、古倭奴也。…後稍習夏音、惡倭名、更號日本。使者自言、國近日所出、以為名。或雲日本乃小國、為倭所並、故冒其號。」</ref>にも、この時の遣唐使によって「日本」という新国号が唐([[武則天]]、大周)へ伝えられたとの記述がある。両書とも「日の出の地に近いことが国号の由来である」とする。国号の変更理由については「雅でない倭国の名を嫌ったからだ」という日本国側からの説明を記載するものの、倭国と日本国との関係については、単なる国号の変更ではない可能性について言及している。すなわち、『旧唐書』は「小国だった日本が倭国を併合した」とし、『新唐書』は、日本の使者は「倭が国号を日本に変えたとか、倭が日本を併合し国号を奪った」と言っているが疑わしいとしており<ref>これらの記述は、天武天皇が大友皇子の近江朝廷を滅亡させた壬申の乱を示すとする説がある。</ref>、同書でも、日本は、隋の開皇末(600年頃)に初めて中国と通じた国であり、古くから交流のあった倭国とは別と捉えられている。また、日本の王の姓は阿毎氏であること、筑紫城にいた神武が大和を征服し天皇となったことなどが記載されている。いずれにせよ、これらの記述により、702年に初めて「日本」国号が唐によって承認されたことが確認できる。\n\nこれまでに発見されている「日本」国号が記された最古の実物史料は、[[開元]]22年([[734年]]、日本:[[天平]]6年)銘の[[井真成]]墓誌である<ref>井真成墓誌は、[[中華人民共和国]]の[[陝西省]][[西安市]]内工事現場で発見されたと、2004年10月に発表された。</ref>。但し2011年7月、祢軍という名の百済人武将の墓誌に「日本」の文字が見つかったという論文が中国で発表された。墓誌は[[678年]]制作と考えられており、もしこれが事実であるならば日本という国号の成立は従来説から、さらに遡ることになる<ref>[http://www.asahi.com/culture/update/1022/TKY201110220586.html 「日本」呼称、最古の例か 678年の墓誌?中国で発見 - 文化] - 朝日新聞 2011年10月22日</ref>。\n\n『[[隋書]]』東夷伝に、倭王が[[隋]]皇帝への国書に「日出ずる処の天子」と自称したとあり、このときの「日出ずる処」という語句が「日本」国号の淵源となったとする主張もある。しかし、「日出ずる処」について、仏典『大智度論』に東方の別表現である旨の記述があるため、現在、単に文飾に過ぎないとする指摘もある<ref>東野治之『遣唐使と正倉院』(岩波書店、1992年)や神野志前掲書など。</ref>。\n\n=== 日本語での発音 ===\n「\'\'\'にっぽん\'\'\'」、「\'\'\'にほん\'\'\'」と読まれる。どちらも多く用いられているため、[[日本政府]]は正式な読み方をどちらか一方には定めておらず、どちらの読みでも良いとしている<ref name="kokkai171_570">[http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/171570.htm 第171回国会 質問第570号 日本国号に関する質問主意書] 衆議院公式サイト</ref>。[[雅語]]で「ひのもと」と読むこともある<ref>[[万葉集]]で[[枕詞]]「日の本の」は「大和(やまと)」にかかる枕詞。日の本の大和の国の鎮(しずめ)ともいます神かも(goo辞書「ひのもと-の」[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/164078/m0u/%E3%81%B2%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8/])。日の出る本の意味から日本の異名。「ひのもとの末の世に生まれ給ひつらむ([[源氏物語]])」(goo辞書「ひのもと」[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/164077/m0u/%E3%81%B2%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8/])。また「日の本の国」は日の本に同じ。「日の本の国に忍辱(にんにく)の父母あり([[うつほ物語|宇津保物語]])」横浜市歌(森鴎外作詞)に「わが日の本は島國よ」の歌詞あり。[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/164079/m0u/%E3%81%B2%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8/]</ref><ref>旧唐書には倭国・日本伝があり、「日辺にあるゆえに日本をもって名となす」(日本國者倭國之別種也、以其國在日邊、故以日本為名)とあり、これを「ニッペン」「ニッポン」の語源と推理する史家もいる。『律令時代の日本』今井欣一(PDF-P.194)<!--より適切な出典情報を求む--></ref>。\n\n『古事記』や『日本書紀』では「倭」「日本」として表記されている。 魏志倭人伝等の中国史書では日本(ヤマト)は「邪馬臺」国と借音で表記されている。また日本書記では「夜摩苔」とも表記されている。\n\n「日本」の国号が成立する以前、日本列島には、中国の王朝から「倭国」・「倭」と称される国家ないし民族があった。『日本書紀』は、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになり、時間と共に「倭」が「大倭」になり「大和」へと変化していく。その後に更に「大和」を「日本」に変更し、これを「ヤマト」と読んだとする<ref>『日本書紀』巻之第一 神代上 第四段「日本、此云耶麻騰。下皆效此」(日本、ここにはヤマトと云ふ。下は皆これに効(なら)へ)</ref>が、『旧唐書』など、これを疑う立場もある。\n\n同時に、7世紀の後半の国際関係から生じた「日本」国号は、当時の国際的な読み(音読)で「ニッポン」(呉音)ないし「ジッポン」(漢音)と読まれたものと推測される<ref>岩崎小弥太 『日本の国号』(吉川弘文館、1970)、吉田孝 『前掲書』。</ref>。いつ「ニホン」の読みが始まったか定かでない。仮名表記では「にほん」と表記された。平安時代には「ひのもと」とも和訓されるようになった。\n\n室町時代の謡曲・狂言は、中国人に「ニッポン」と読ませ、日本人に「ニホン」と読ませている。安土桃山時代に[[ポルトガル]]人が編纂した『[[日葡辞書]]』や『[[日本小文典]]』等には、「ニッポン」「ニホン」「ジッポン」の読みが見られ、その用例から判断すると、改まった場面・強調したい場合に「ニッポン」が使われ、日常の場面で「ニホン」が使われていた<ref>吉田東朔「国号」節(「日本」項 『国史大辞典』、吉川弘文館、1990)</ref>。このことから[[小池清治]]は、中世の日本人が中国語的な語感のある「ジッポン」を使用したのは、中国人・西洋人など対外的な場面に限定されていて、日常だと「ニッポン」「ニホン」が用いられていたのでは、と推測している<ref>小池清治 『日本語は悪魔の言語か? - ことばに関する十の話』 角川書店、2003。</ref>。なお、現在に伝わっていない「ジッポン」音については、[[#別称|その他の言語]]も参照。\n\n近代以降も「ニッポン」「ニホン」両方使用される中、[[1934年]](昭和9年)には文部省臨時国語調査会が「にっぽん」に統一して外国語表記もJapanを廃してNipponを使用するという案を示したこともあったが、不完全に終わった。\n\nその後、[[2009年]](平成21年)[[6月30日]]には、政府が「『にっぽん』『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」とする答弁書を閣議決定した<ref name="kokkai171_570"/>。\n\n現在、通商や交流の点で海外と関連のある[[紙幣]]、[[切手]]などに「NIPPON」と描かれ(紙幣発券者も「にっぽんぎんこう」である)、ほか[[日本放送協会]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]<ref>会社登記上の読み、および英字愛称。放送免許状の呼称および日本語での愛称は「にほん」を用いる。</ref>、[[ニッポン放送]]、[[日本武道館]]、[[全日本空輸]]、[[近畿日本鉄道]]、[[西日本鉄道]]、[[日本体育大学]]、[[日本郵便]]、[[東日本高速道路|NEXCO東日本]]・[[中日本高速道路|NEXCO中日本]]・[[西日本高速道路|NEXCO西日本]]<ref>英字社名。日本語での社名では「にほん」を用いる。</ref>、[[日本電気]]、[[日本電信電話]]などで「NIPPON」(にっぽん)表記を用いる一方、「NIHON」(にほん)表記を用いる例は、[[日本大学]]、[[日本航空]]、[[日本経済新聞]]、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]・[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]、[[日本ユニシス]]、[[日本相撲協会]]、[[日本交通 (鳥取県)|日本交通]]、[[日本オリンピック委員会]]などがある。\n\n(国会に複数の議席を有したことのある)[[日本の政党一覧|日本の政党]]名における読みは、次のとおり。\n; 「ニッポン」\n:* [[日本社会党]](1945-1996)、[[日本自由党 (1953-1954)|日本自由党]](1953-1954)、[[新党日本]](2005-)、[[たちあがれ日本]](2010-2012)、[[日本維新の会 (政党)|日本維新の会]](2012-)、[[日本未来の党]](2012)\n; 「ニホン」\n:* [[日本共産党]](1922-)、[[日本労農党]](1926-1928)、[[日本自由党 (1945-1948)|日本自由党]](1945-1948)、[[日本進歩党]](1945-1947)、[[日本協同党]](1945-1946)、[[日本農民党]](1947-1949)、[[日本民主党]](1954-1955)、[[日本新党]](1992-1994)\n\n=== 別称 ===\n古くから多様である。\n\n; 和語\n:* 「[[葦原中国]]」(あしはらのなかつくに)(『古事記』、『日本書紀』神代)\n:* 「豊葦原(とよあしはら)」\n:* 「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)」(『古事記』)\n:* 「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)」(『日本書紀』神代)\n: - 「葦原」は、豊穣な地を表すとも、かつての一地名とも言われる。\n:* 「秋津島」\n:* 「大倭豊秋津島」(『古事記』)\n:* 「大日本豊秋津洲」(『日本書紀』神代)\n: - 「秋津」は、「とんぼの島」の意。[[孝安天皇]]の都の名「室秋津島宮」に由来するとされる。\n:* 「師木島」(『古事記』)\n:* 「磯城島」「志貴島」(『万葉集』)\n:* 「敷島」\n: - 「しきしま」は、[[欽明天皇]]の都「磯城島金刺宮」に由来するとされる。\n:* 「大八島」\n:* 「大八洲」(『養老令』)\n:* 「大八洲国」(『日本書紀』神代)\n: - 古事記の国生み神話で、最初に創造された八個の島で構成される国の意。順に淡路島:四国:隠岐:九州:壱岐:対馬:佐渡:本州。\n:* 「磯輪上秀真国」「細矛千足国」「玉垣内国」(『神皇正統記』)\n:* 「大和」「大和国」\n:* 「瑞穂」\n:* 「浦安国」\n:* 「日出処」\n; 漢語\n: 「倭」「倭国」「大倭国(大和国)」「倭奴国」「倭人国」の他、[[扶桑]][[蓬莱]]伝説に準えた「扶桑」<ref>[http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?tpl_wid=WBPA130&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=173&tpl_hit_num=174&tpl_toc_word=+%C9%DE%B7%AC&tpl_jp_num=54009983&tpl_vol_num=00000&JP_NUM=54009983&VOL_NUM=00000&KOMA=160&tpl_search_kind=2&tpl_keyword=%C9%DE%B7%AC&tpl_sort_key=TITLE&tpl_sort_order=ASC&tpl_list_num=200&tpl_end_of_data= 寺島良安『和漢三才図会』]</ref>、「蓬莱」などの雅称があるが、雅称としては特に[[瀛州]](えいしゅう)・東瀛(とうえい)と記される<ref>宮崎正勝「海からの世界史」角川選書、68頁。瀛州は、蓬莱や[[方丈]]ともに東方三神山のひとつである。</ref>。このほかにも、「東海姫氏国」「東海女国」「女子国」「君子国」「若木国」「日域」「日東」「日下」「烏卯国」「阿母郷」(阿母山・波母郷・波母山)などがあった。\n: 「皇朝」は、もともと[[中原]]の天子の王朝をさす[[漢語]]だが、日本で天皇の王朝をさす漢文的表現として使われ、[[国学者]]はこれを「すめみかど」ないし「すめらみかど」などと訓読した。「神国」「皇国」「神州」「天朝」「天子国」などは雅語(美称)たる「皇朝」の言い替えであって、国名や国号の類でない。「本朝」も「我が国」といった意味であって国名でない。[[江戸時代]]の[[儒学者]]などは、日本を指して「中華」「中原」「中朝」「中域」「中国」などと書くことがあったが、これも国名でない。「大日本」と大を付けるのは、国名の前に大・皇・有・聖などの字を付けて天子の王朝であることを示す中国の習慣から来ている<ref>「有漢、皇魏、聖晋、大宋」等。例外として「大元・大明・大清」があり、この3例のみ二文字で正式国名。</ref>。ただし、「おおやまと」と読む場合、古称の一つである。「[[帝国]]」はもともと「神国、皇国、神州」と同義だったが、近代以後、"empire"の訳語として使われている。[[大日本帝国憲法]]の後、「大日本帝国」の他、「日本」「日本国」「日本帝国」「大日本国」などといった表記が用いられた。戦後の国号としては「日本国」が専ら用いられる<ref>日本国の公印である「[[国璽]]」では、明治時代に作製された「大日本國璽」が使用され続けている。</ref>。\n; 倭漢通用\n: 江戸初期の神道家である出口延佳と山本広足が著した『日本書紀神代講述鈔』<ref>[http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko01/bunko01_01786/bunko01_01786_0001/bunko01_01786_0001_p0003.jpg 『日本書紀神代講述』早稲田大学図書館蔵]</ref>に、倭漢通用の国称が掲載されている。\n{{colbegin|3}}\n* 「倭国」\n* 「和面国」\n* 「和人国」\n* 「野馬台国」、「耶摩堆」\n* 「[[姫]]氏国」、「女王国」\n* 「扶桑国」\n* 「君子国」\n* 「日本国」\n{{colend}}\n; その他の言語\n{{See also|:en:Names of Japan}}\n: 英語の公式な表記は、{{Lang|en|\'\'Japan\'\'}}([[ジャパン]])。形容詞は{{Lang|en|\'\'Japanese\'\'}}([[ジャパニーズ]])。略記は、{{Lang|en|\'\'JPN\'\'}}が用いられる。{{Lang|en-US|\'\'JAP\'\'}}([[ジャップ]])は、侮蔑的な意味があるので注意が必要である。{{Lang|en|\'\'Nippon\'\'}}(ニッポン)が用いられる例も見られ、具体的には、[[万国郵便連合|UPU]]等によるローマ字表記([[1965年]](昭和40年)以降)、[[郵便切手]]や[[日本銀行券]]などで{{Lang|en|\'\'Nippon\'\'}}表記を用いている。略称は、NPNが用いられる。\n: その他、各国語で日本を意味する[[固有名詞]]は、アン チャパイン({{Lang-ga-short|an tSeapáin}})、ヤーパン({{Lang-de-short|Japan}})、ジャポン({{Lang-fr-short|Japon}})、ハポン({{Lang-es-short|Japón}})、ジャッポーネ({{Lang-it-short|Giappone}})、ヤポニヤ({{Lang-pl-short|Japonia}})、ヤポーニヤ({{Lang-ru-short|Япония}})、イープン({{Lang-th-short|ญี่ปุ่น}})など、特定の時期に特定の地域の[[中国語]]で「日本国」を発音した「ジーパングォ」を写し取った([[#読み|日本語読み]]の「ジッポン」に由来するとの説もある)、[[ジパング]](Xipangu/Zipang/Zipangu)ないしジャパング(Japangu)を[[語源]]とすると考えられる。\n: [[漢字文化圏]]においては、リーベン({{Lang-zh-short|rìběn;日本}})<ref>「rìběn」表記は中国標準語(または[[北京語]])の場合。なお、中国語のアルファベット表記にはさまざまな形式があり、この場合の「ri(日)」も形式によって「rih」「jih」などとも表記される([[:en:Bopomofo#Comparison]]を参照)。つまり、この子音は「r」にも「j」にも似た音であり、特に[[巻き舌]]をしない地域([[台湾]]南部など)では「j」や「z」に発音が近い。一方、第2音節の「b」は「p」の[[有気音|無気音]]で、いわゆる[[濁音]]の「b」とは異なるが、アルファベットにはそれに相当する文字がないため、「b」が用いられる。「ě」は[[シュワー]]だが、[[英語]]などの\'\'\'曖昧母音\'\'\'とは性格が異なる、1つの独立した母音(「エ」と「オ」の中間のような音)である。この「bě」に相当する日本語の文字がないため、ここでは便宜上、「ベ」としてある。</ref>、イルボン({{Lang-ko-short|일본;日本}})、ニャッバーン({{Lang-vi-short|Nhật Bản;日本}})<ref>[[ベトナム]]は、[[フランス]]の[[植民地]]になるまで漢字を使用していた時代の名残。[http://www.vn-dic.com/sekai/01049.htm ベトナム語大辞典]などで実際の発音を確認できる。</ref>など、「日本」をそのまま自国語の発音で読んでいる。\n; 固有名詞の一般名詞化\n: 英語で[[陶器]]をチャイナというように、[[漆]]、[[漆器]]をジャパンという。\n; 欧州発行の古地図上での表記\n{{colbegin|3}}\n* 「IAPAM」1560年頃<ref>[http://dpg.lib.berkeley.edu/webdb/dsheh/heh_brf?Description=&CallNumber=HM+44 ハンティントン ライブラリー図書館所蔵「HM44」-2]</ref>\n* 「IAPAN」1567年頃<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con01.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-3]</ref>\n* 「IAPAM」1568年頃<ref>[http://www2.crb.ucp.pt/historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm カサ・ド・アルバ財団所蔵「1994:139」</ref>\n* 「JAPAN」発行年不明<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con27c.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-4]</ref>\n* 「IAPONIAE」1595年<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn02.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-5]</ref>\n* 「IAPONIA」1595年<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn03.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-6]</ref>\n* 「IAPONIÆ」1595年<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn04.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-7]</ref>\n* 「IAPONIA」1598年<ref>[http://www2.crb.ucp.pt/historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm カサ・ド・アルバ財団所蔵「1994:171」</ref>\n* 「IAPONIA」1598年<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn01.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-8]</ref>\n* 「IAPAO」1628年<ref>[http://www2.crb.ucp.pt/historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm カサ・ド・アルバ財団所蔵「1994:201」</ref>\n* 「Iapan」1632年<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con02b.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-9]</ref>\n* 「IAPONIA」1655年<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn05.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-10]</ref>\n* 「IAPON」発行年不明<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con15e.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-11]</ref>\n* 「Iapan」1657年<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con28c.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-13]</ref>\n* 「IAPONIA」1660年頃<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con10a.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-14]</ref>\n* 「NIPHON」1694年頃<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con03c.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-22]</ref>\n* 「JAPAM」1628年<ref>[http://www2.crb.ucp.pt/historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm カサ・ド・アルバ財団所蔵「1994:243」</ref>\n* 「YAPAN」1628年<ref>[http://www2.crb.ucp.pt/historia/abced%C3%A1rio/japao/cartografia.htm カサ・ド・アルバ財団所蔵「1994:197」</ref>\n* 「IAPON」17世紀<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con26c.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-23]</ref>\n* 「IMPERIUM IAPONICUM」18世紀初<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con04b.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-24]</ref>\n* 「IMPERIUM IAPONICUM」1710年頃<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con05c.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-25]</ref>\n* 「IAPONIA」18世紀初<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con25b2.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-26]</ref>\n* 「IAPON」1720-30年<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con22c2.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-27]</ref>\n* 「IMPERIVM JAPONICVM」1727年<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn06.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-28]</ref>\n* 「HET KONINKRYK JAPAN」1730年頃<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/jpn07.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-29]</ref>\n* 「JAPANIÆ REGNVM」1739年<ref>[http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/asia2/con12b.html 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-31]</ref>\n{{colend}}\n\n== 歴史 ==\n{{日本の歴史|LocationMapJapan.png}}\n通常、日本の歴史は、日本列島における歴史と同一視される。しかし、厳密な「日本」の成立は、[[#国号|国号]]にあるように7世紀後期であり、それまでは「倭国」と呼び記されていた。この倭国がどのような地理的範囲あるいは系統的範囲をもつ集団であるかについては史料に明確にされておらず、多くの学術上の仮説が提出されている。倭国と日本国との関係は諸説あり、「日本の歴史」と「日本列島の歴史」とを明確に区別して捉えるべきとする考えも示されている<ref>網野善彦『「日本」とは何か 日本の歴史00』(講談社、2000)など</ref>。\n\n時代の区分は、[[考古学]]上のものと[[歴史学]]上のものとがある。\n\n(1) 考古学上は、[[日本の旧石器時代|旧石器時代]](先土器時代)、[[縄文時代]]、[[弥生時代]]、歴史時代、とするのが一般的である。\n\n一方、(2) 歴史学上は、[[古代]]([[古墳時代]]から・[[飛鳥時代]]・[[奈良時代]]・[[平安時代]])、[[中世]]([[鎌倉時代]]・[[室町時代]]・[[戦国時代 (日本)|戦国時代]])、[[近世]]([[安土桃山時代]]・江戸時代)、[[近代]]([[明治維新]]から[[1945年]][[8月14日]]まで)および[[現代]](1945年[[8月15日]]以降)の五分法が通説である<ref>「[[広辞苑]]」([[岩波書店]]、2008年1月第6版発行)によれば、「近代」とは「広義には近世と同義で、一般には[[封建制]]社会のあとをうけた[[資本主義]]社会についていう。日本史では明治維新から[[太平洋戦争]]の終結までとするのが通説。」と、「現代」とは「日本史では太平洋戦争の敗戦以後または[[保守合同]]の1955年以降、世界史では19世紀末の[[帝国主義]]成立期以後、[[ロシア革命]]と[[第一次世界大戦]]以後、[[第二次世界大戦]]後など、さまざまな区分が行われている。」とそれぞれ定義されている。</ref>。\n\n[[日本列島における人類の歴史]]は、次第に人が住み始めた約10万年前以前ないし約3万年前に始まったとされる。当時の日本列島は、アジア大陸と陸続きで、西方の[[華北]]や北方の[[シベリア]]との文化交流も見られた。約1万2千年前の前後に[[最終氷期]]が終わると、大陸から分離した。この時期の住民が縄文人である。この後も列島と大陸との間に小規模ながらも広範囲に通交・交流が行われ、巨視的には、日本列島も中国を中心とする東アジア文化圏の影響下にあった。だが、東アジアの最東方に所在する大きな[[島国]]、という地理的条件により、黄河・長江流域の文明を中心に早期から発展していた他の東アジア地域と比べると、文明の発達度という意味では原始的な遅れた地域となっていた。\n\n[[紀元前8世紀]]頃以降、中国南部から[[稲作]]を中心とする文化様式を持つ弥生人が流入すると、各地に「クニ」と呼ばれる地域的政治集団が徐々に形成される。これらの地域的政治集団により、朝鮮半島南部から南西諸島までの範囲で海上交易で結びついた緩やかな倭人の文化圏が構成されていった。[[1世紀]]・[[2世紀]]前後に各クニが抗争を繰り返し、各地に地域的連合国家を形成した。中でも北九州から本州にかけて存在していた国家群から、最も有力であったヤマトを盟主として統一王権([[ヤマト王権]])が形成され、これが王朝に発展したとする説が有力である。\n\n朝鮮半島における覇権争いがヤマト王権の国家体制を変化させた。それまで、ヤマト王権は、同じ文化圏に属していたツングース系中国人の国家である[[百済]]や新羅に対して、度重なる出兵を行い[[朝鮮半島]]に影響力を持っていたが、663年、百済復興のために援軍を送った[[白村江の戦い]]で[[新羅]]・唐の連合軍に敗れて半島への影響力を失う。その後間もなくヤマト王権は「日本」国号と「天皇」称号を設定して、中国と対等な外交関係を結ぼうとする姿勢を見せ、中国を中心とする[[冊封体制]]からの自立を明確にした。これは、他の東アジア諸国と異質な外交姿勢であり、その後の日本にも多かれ少なかれ引き継がれた。日本は7世紀後半に中国の法体系・社会制度を急速に摂取し、8世紀初頭に古代国家([[律令国家]])としての完成を見た。\n\n日本は、東アジアの中でも独特の国際的な地位を保持し続け、7世紀に[[中華]]王朝に対して独自の「[[天子]]」を称し、8世紀には[[渤海使|渤海を朝貢国とした]]。[[武家政権]]成立後も、[[13世紀]]の[[元寇]]、[[16世紀]]のヨーロッパのアジア進出、[[19世紀]]の[[欧米列強]]の進出など、様々な事態にも対応して独立を維持した。\n\n成立当時の日本の支配地域は、日本列島の全域に及ぶものでなく、九州南部以南および東北中部以北は、まだ領域外だった。九州南部は、8世紀末に組み込まれた([[隼人]])が、抵抗の強かった東北地方の全域が領域に組み込まれたのは、平安時代後期に入ってからである([[延久蝦夷合戦]])。特に8・9世紀は、蝦夷の征服活動が活発化すると共に新羅遠征も計画されるなど帝国としての対外志向が強まった時期だが、10世紀に入り、こうした動きも沈静化した。\n\n[[10世紀]]から[[12世紀]]に掛け、旧来の天皇を中心とする古代の律令国家体制が大きく変質し、社会各階層への分権化が進んだ王朝国家体制、更に中世国家へと移行した([[荘園公領制]]・[[職の体系]])。12世紀頃(平安末期)から[[起請文]]などの古文書に「日本」や「日本国」の表記が見られ始め、「日本」や「日本人」の意識が強く意識されるようになったことの表れと考えられる。特に13世紀後半の元寇は、「日本」・「日本人」の意識が社会各層に広く浸透する契機となり、併せて「[[神国]]」観念を定着させた。[[網野善彦]]は、このような「日本」・「日本人」意識は、外国のみならず神仏などをも含む「異界」に対する関係性の中で醸成されたとしている<ref>網野善彦 『前掲書』。</ref>。室町時代までには、[[安東氏]]の活動を通じて「日本」の領域が[[北海道]]の南部まで及んだ。\n\n[[14世紀]]から[[15世紀]]までの時期には、社会の中世的な分権化が一層進展したが、15世紀後半頃から[[戦国大名]]勢力による地域国家の形成が急速に進んだ。この地域国家の形成は、中世社会の再統合へと繋がり、16世紀末に日本の統一政権が樹立されるに至り、近世へと移行した。日本の領域は、この時期にも変動している。16世紀末に[[蠣崎氏]]が北海道の南部に本拠を置き、北海道・千島・樺太を含む[[蝦夷地]]の支配権を得た。蝦夷地は、日本の領域とされることもあれば、領域外とされることもある、言わば「境界」とも言うべき地域だったが、[[17世紀]]に[[シャクシャインの戦い]]や[[ロシア帝国]]の進出によって北方への関心が強まると、日本の領域も「蝦夷が島」(北海道)以南と意識されるようになった。南方に目を向けると、中世を通じて[[喜界島|鬼界島]]・[[硫黄島 (鹿児島県)|硫黄島]]までが西の境界と意識された。17世紀初めに薩摩[[島津氏]]が[[琉球王国]]を侵攻して、[[奄美群島]]を直轄地にし、[[沖縄諸島]]および[[先島諸島]]([[宮古列島]]および[[八重山列島]])の琉球王府の支配地から米・砂糖を上納させた<ref>[[高柳光寿]]・[[竹内理三]]編『角川日本史辞典 第二版』([[角川書店]]、[[1974年]]12月発行)の「琉球王国」の項目によれば、「1609(慶長14)薩摩藩が大軍をもって征服し、以後薩摩は琉球の王国体制を温存し、奄美諸島を直轄地とし、琉球王国に貢納を課し、[[那覇市|那覇]]に在番奉行を置いた。」と記されている。</ref>が、その後も琉球王国は、日本・中国への両属を続けた。\n\n19世紀中葉に入り、欧米[[列強]]との接触が飛躍的に増えると、列強各国に対する他者意識の裏返しとしての「日本」・「日本人」意識がさらに強まり、ほぼ現代の「日本」・「日本人」意識と一致するまでに至った。[[大航海時代]]以降、アジア各国が欧米列強の植民地とされる中で日本が独立を長く保ったことは、後の[[国民国家]]意識にそのまま繋がる民族・国民意識の醸成をもたらし、結果として明治維新以降の[[近代国家]]建設がスムーズに行われる基礎となった。\n\n[[江戸時代]]末期の[[1867年]](慶応3年)に[[大政奉還]]がなされ、[[1868年]](明治元年)以降、[[明治維新]]に伴う[[近代化]]により、近代的な[[国民国家]]の建設を急速に進めた。同時に近隣国と国境の確定を行い、[[1875年]]([[明治]]8年)に[[樺太]]全域をロシア領とする代わりに[[占守島]]以南の[[千島列島]]全域を日本領とし([[樺太・千島交換条約]])、1876(明治9)年に[[小笠原諸島]]の領有を宣言<ref>前掲の「小笠原諸島」によれば、「1827(文政10)[[イギリス]]軍艦が探検、占領。その後[[アメリカ]]人が移住。」と記載されている。</ref>し、また、[[沖縄県の歴史#琉球処分|琉球処分]]を通じて[[南西諸島]]方面の実効的な支配に成功し、ここに一旦、近代国家としての日本国の領域が確定した。\n\n[[自由民権運動]]を経て[[1885年]](明治18年)に[[内閣制度]]を確立し、[[1889年]](明治22年)に[[大日本帝国憲法]]を制定し、[[1890年]](明治23年)に第1回[[衆議院議員総選挙]]を実施して[[帝国議会]]を設置した。こうして、アジアで初めて[[憲法]]と[[議会]]とを持つ、近代的な[[立憲国家]]となった<ref name="autogenerated2">『歴史、未来をみつめて』[[教育出版]]</ref>。\n\n19世紀後半から20世紀初頭の帝国主義的な国際情勢の中で、[[東アジア]]に一定の勢力圏を築く必要に迫られ、[[日清戦争]]や[[日露戦争]]を経て勢力圏の確保を進めた。日露戦争の勝因として1902年イギリスと[[日英同盟]]を締結したことが大きかった。両戦争を通じ、台湾・[[澎湖諸島]]および南樺太を領土に収め、[[関東州]]の[[租借]]権を獲得した。その後、[[1910年]](明治43年)に[[韓国併合]]が実施された。[[1919年]]([[大正]]8年)に[[パリ講和会議]]で[[人種差別撤廃案]]を提出した([[アメリカ合衆国]]などが反対)。また、発足した[[国際連盟]]からの委任を受けて[[南洋群島]]を統治することとなった。[[大正|大正時代]]に[[大正デモクラシー]]が起こり、[[政党政治]]や男子[[普通選挙]]が実現した。\n\n[[1930年代]]に[[中国東北部]]への侵略を強め<ref>高柳光寿・竹内理三編『角川日本史辞典 第二版』(角川書店、1974年12月発行)の「[[満州事変]]」の項目によれば、「1931年(昭和6年)9月18日の[[柳条湖事件]]によって開始された日本の[[満州]](中国東北部)侵略戦争。」と記されている。</ref>、「[[満洲国]]」を建国して一定の支配権を得るに至り、軍部が台頭した<ref>日中韓3国共通歴史教材委員会編『日本・中国・韓国共同編集 未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』([[高文研]]、2005年5月発行)の「第3章 侵略戦争と民衆の被害」の「1節 日本の[[中国東北部|中国東北地方]]への侵略」の「1 満州事変」の105ページの左上に掲載されている「[[リットン調査団|リットン調査書]](一部)」によれば、「満州の主権は中国に属する。日本軍の軍事行動は正当なる自衛行動とは認められない。([[満州国]])政府の指導者は名目上[[満州民族|満州人]]であるが、実権は日本の官僚と顧問が掌握している。現地の[[中国人]]の目には、[[日本人]]の道具になっていると映っている。」と記載されている。</ref>。1932年1月には朝鮮人による[[昭和天皇]]暗殺未遂事件([[桜田門事件]])が起こった。日本の対外志向は、特にアメリカ合衆国を始めとする欧米諸国の権益と真っ向から衝突し、最終的に1945年(昭和20年)の[[第二次世界大戦]]([[十五年戦争]]・[[アジア・太平洋戦争]]・[[太平洋戦争]]・[[大東亜戦争]])の敗北によって破局に至った。\n\nそして、アメリカ・イギリスなどの[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]により、史上初めて占領下に置かれ、日清戦争以降に獲得した領有権・統治権の総てを失った。占領下に国制の改革が進められ、[[憲法改正]]を行って[[日本国憲法]]を制定した。[[1952年]](昭和27年)の[[日本国との平和条約|平和条約]]によって全権を回復し、戦後、復興と共に[[1970年代]]半ばまでに目覚しい経済発展を遂げ([[高度経済成長#日本の高度経済成長]])、世界有数の[[経済大国]]となった。また、1952年(昭和27年)から[[1953年]](昭和28年)にかけて[[トカラ列島]]や奄美群島、[[1968年]](昭和43年)に小笠原諸島、[[1972年]](昭和47年)に[[沖縄県]]の施政権がそれぞれアメリカから返還された([[本土復帰]]、[[沖縄返還]])。\n\n1970年代以降は[[先進国]]の一員として国際的役割を果たし、多くの[[開発途上国|発展途上国]]で成長モデルとして目標にされた。[[21世紀]]に至り、[[少子化|少子]][[高齢化社会]]に伴う人口減少、国内産業の[[空洞化]]など先進国特有の問題が深刻化。[[中華人民共和国|中国]]・[[インド]]・[[ブラジル]]をはじめとする[[新興国|新興大国]]の政治的・経済的台頭のなか、[[欧米]]や日本などの先進諸国は相対的に不利な立場に立たされている。\n\n=== 建国をめぐる議論 ===\n[[File:Emperor Jimmu.jpg|thumb|left|150px|日本の初代天皇とされる[[神武天皇]]]]\n{{see also|神国|皇国史観}}\n国家としての日本、日本の民族・文化は、有史以前からの長い年月を経て段階的に形成されて来ていて、明確な建国の時期を示す記録は存在しない。[[建国記念の日]](旧[[紀元節]])は、[[記紀]]で[[神武天皇]]が即位したとされる日([[紀元前660年]][[1月1日 (旧暦)|1月1日]]〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)となっている。\n\n『[[日本書紀]]』神武紀に、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が[[辛酉]]年春[[1月 (旧暦)|正月]][[庚辰]][[朔]](1月1日)に即位したとの記述があり、古代以来、これが日本建国の画期と広く考えられていた。明治5年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]([[1872年]][[12月15日]])には、[[神武天皇即位紀元]]が[[西暦]]紀元前660年に始まると定められ、これを元年とする[[紀年法]]・「[[皇紀]]」が明治6年1月1日([[1873年]][[1月1日]])から使用された<ref>[[那珂通世]]は、『[[緯書]]』の[[鄭玄]]注に、1260年に一度([[干支]]一運の60年(「1元」)×21元=「1蔀」)の辛酉年には大[[革命]]が起こるとあり、これをもって[[推古天皇]]9年([[601年]])の辛酉年から1260年前で当たる紀元前660年に神武天皇が即位したとされたとする説を唱えた。なお、神武天皇に殺された[[長髄彦]]の兄[[安日彦]]が津軽に亡命したことをもって日本の建国とする古文書・古文献(『中尊寺文書』、『平泉雑記』など)が東北地方に伝わる。</ref>。\n\n公的には、この神武天皇即位紀元をもとに[[1957年]]頃から「建国記念日」制定に関する法案が9度に渡り提出されてきたが、歴史学の立場から見る神武天皇の即位は、当の記紀に何人もの人が100歳以上生きていたなどの記述もあることから神話と見られ事実でないとするのが戦後の大勢であったため、いずれも成立には至らなかった。しかし[[1966年]](昭和41年)[[s:建国記念の日となる日を定める政令|建国記念の日となる日を定める政令]](昭和41年政令第376号)により、2月11日が"建国されたという事象そのものを記念する日"として「建国記念の日」が定められた。神武天皇の存在については実在論もあり、議論は続いている。戦後、皇紀の使用は、一部を除き殆ど無くなった<ref>一部の現行法では有効。「[[閏年]]ニ関スル件」(明治31年勅令第90号)などの法律文書に記載されている</ref>。\n\n建国の時期として、この他に「日本」国号が定められた時期(飛鳥浄御原令ないし大宝律令の成立)や[[大政奉還]]がなされて近代国家の建設が始まった明治維新の時期などが挙げられることもある。しかし、国家としての日本は、長い歴史的な経緯を経て形成され、明確な建国の画期を見出すこと自体が困難と言え、主観的なものとなりがちである。\n\n== 地理・地勢・自然・地域 ==\n{{Main|日本の地理|日本の山一覧|都道府県の面積一覧}}\n[[File:Satellite image of Japan in May 2003.jpg|thumb|240px|日本の衛星写真]]\n[[File:Japan topo en.jpg|thumb|250px|日本列島の地形図。国土は6,852の島から構成され、約70%が山岳地帯である。]]\n日本は明治以来、憲法における領土規定がなく、これは比較法学の観点では特殊なものであった<ref>日本の憲法体系では、新旧憲法ともに領土規定が存在せず、比較法学の観点ではこれは異例である。[[明治憲法]]には領土規定がなく、[[ヘルマン・ロエスレル|ロエスレル]]案の段階においては、領土は自明のものであり、また国体に関わり議院に属さないものだとして領土規定は立ち消えたのであるが、実際にはロエスレルの認識とは異なり、日本の領土は北(樺太・北海道)も南(琉球)も対外政策は不安定な中にあった。この事情は明治政府にとって好都合であったことは確かで露骨なものとしては「我カ憲法ハ領土ニ就イテ規定スル所ナシ、諸国憲法ノ或ハ領土ヲ列挙スルト甚タ異レリ、サレハ我ニ在リテハ、領土ノ獲得ハ憲法改正ノ手続ヲ要セス」([[上杉慎吉]]「新稿・憲法述義」1924年P.143)と解されていた。*「憲法における領土」石村修(法制理論39pp158-185.2007-03.新潟大学法学会ISSN-0286-1577)[http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/6089/1/18_0028.pdf][http://jairo.nii.ac.jp/0018/00005050]*「植民地法制の形成-序説-」石村修(専修大学法科大学院 第6回東アジア法哲学会シンポジウム)[http://www.law.ntu.edu.tw/east-asia2006/EA-Home/PD/%E6%97%A5%E6%9C%AC/2006032608.pdf]</ref>。島嶼部についての領有宣言、あるいは周辺諸国との条約がおもに[[領土]]領陸の法規範であり、第二次大戦後は[[日本国との平和条約]](通称:サンフランシスコ講和条約)が主要な[[法 (法学)|法規範]]を形成している。\n\n=== 地理・地勢 ===\n日本の領土はすべて[[島]]から成っている。6,852の島([[本土]]5島+[[離島]]6,847島)から成る島国である。<ref>国土交通省サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識)[http://www.mlit.go.jp/crd/chirit/ritoutoha.html] {{リンク切れ|date=2014年1月}}</ref>\n\n[[アジア]]・[[東アジア]]の中でも特に東方にあり、[[ユーラシア]]の東端にあたるため、欧米から[[極東]]・[[東洋]]などとも呼ばれる。全体的に[[弓 (武器)|弓]]形状であり、領土[[面積]]は約37.8万[[平方キロメートル|km²]](日本政府が領有権を主張する領域)で世界第60位である。国土の約70%が山岳地帯であり、約67%の森林率である。\n\n[[太平洋]]の北西部にある領土は、[[本州]]・[[北海道 (島)|北海道]]・[[九州]]・[[四国]]などから成る日本列島を中心に、南に延びる[[伊豆諸島|伊豆]]・小笠原諸島、南西に延びる南西諸島([[沖縄本島]]など)、および北東に位置する[[北方四島]](北方領土)など、多くの島から成り、全体として[[列島#弧状列島|弧状列島]]を形成する。<ref>【参考】 [http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/200910/shima/shima.htm 平成21年10月1日時点の島面積] [[国土地理院]]</ref>\n; 最東端\n: 東京都[[南鳥島]] (北緯24度16分59秒・東経153度59分11秒)\n; 最西端\n: 沖縄県[[与那国島]][[西崎]] (北緯24度26分58秒・東経122度56分01秒)\n: 「日本の最〜端」のなかで唯一、公共交通機関で訪れることができる場所である。\n; 最南端\n: 東京都[[沖ノ鳥島]] (北緯20度25分31秒・東経136度04分11秒)\n; 最北端\n: 北海道[[弁天島 (稚内市)|弁天島]] (北緯45度31分35秒、東経141度55分09秒)(日本政府の[[実効支配]]下にある領域の最北端)\n: 北海道[[択捉島]][[カモイワッカ岬]] (北緯45度33分28秒・東経148度45分14秒)(日本政府が領有権を主張する領域の最北端)\n\n周囲を太平洋、[[日本海]]、[[東シナ海]]、[[フィリピン海]]、[[オホーツク海]]などの海洋に囲まれる。本州と四国との間の海は[[瀬戸内海]]と呼ばれる。地上の[[国境]]線が無く、[[ロシア]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、[[台湾]]、[[大韓民国|韓国]]、[[中国]]、[[フィリピン]]、アメリカと[[排他的経済水域]]が接している。また、南方に[[パラオ]]共和国、小笠原諸島の延長線上に[[ミクロネシア連邦]]があり、太平洋を挟んで[[アメリカ大陸]]がある。沖合を[[暖流]]の[[黒潮]]、[[対馬海流]]、[[寒流]]の[[親潮]]、[[リマン海流]]が流れる。\n\n[[領土問題]]のある地域が数箇所存在する([[#領土問題等]]を参照)。\n* [[北方領土]]\n* [[竹島 (島根県)|竹島]]\n* [[尖閣諸島]]\n\n自然地理的区分は、地質構造を基準に、本州中部を南北に縦断する[[糸魚川静岡構造線]]を境に、南西日本と東北日本とに大別される。付近では、[[ユーラシアプレート]]、[[フィリピン海プレート]]、[[太平洋プレート]]、[[北アメリカプレート]]がせめぎ合い、[[環太平洋造山帯]]・[[環太平洋火山帯]]・[[環太平洋地震帯]]と呼ばれる帯の一環をなしている。そのため、世界全体で放出される[[地震]]エネルギーのうち1割から2割が日本の周辺に集中すると言われているほど地震が頻発し、震度1や2クラス程度の地震なら、どこかで毎日のように起きている。また、[[火山活動]]が活発なことから火山性土壌が多く、これが日本列島の自然を豊かにした面もある。[[温泉]]が多いことも[[火山]]の恵みと言える。\n\n[[File:MtFuji FujiCity.jpg|thumb|250px|right|日本最高峰「[[富士山]]」(標高3,776m)]]\n山岳は、最高峰は[[富士山]](標高3,776m)の他、[[南アルプス]]、[[北アルプス]]など、2500m超えの山が本州中央に集中している。他、[[大雪山]]、[[磐梯山]]、[[阿蘇山]]などが有名である。富士山はその優美な風貌から数多くの芸術作品の題材とされることで芸術面でも大きな影響を与え、日本の象徴として広く世界に知られている。\n\n河川は、[[利根川]]・[[最上川]]などが代表的であるが、大陸河川と違い、源流から河口までの距離が大変に短いこと、[[海抜]]高低差が急なこともあり、比較的流れが速い。[[集中豪雨]]が発生すると堤防が決壊し、人家・田畑に甚大な被害を及ぼすという短所もあるが、比較的新鮮な水が取水しやすいのも特色である。\n\n周囲を海に囲まれた島国であることから、海上交易・[[漁業]]ともに盛んな[[海洋国家]]である。[[内海]]を含む[[領海]]を入れた領域の面積は約43万km²である<ref>{{Cite web|last=海上保安庁海洋情報部|title=日本の領海等概念図|url=http://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/ryokai/ryokai_setsuzoku.html|accessdate=2007年9月13日 }}</ref>。\n\n日本政府が主張する[[日本の排他的経済水域]]([[EEZ]])は領土面積の約12倍である約405万km²、領海とEEZを合計すると約447万km²であり世界では第6位となる<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.kaiho.mlit.go.jp/jpam.pdf|title= 海上保安庁パンフレット|publisher=海上保安庁|accessdate=2012-04-28}}</ref>。ただし本来なら日本の正当な領土であり韓国に不法占拠されている竹島と日本の正式な領土であり実効支配しているが近年になって中国が不当に領有権を主張、侵略まがいの行為を行っている尖閣諸島周辺海域についてはそれぞれの国家間で重要な外交問題となっている。また、九州西方と東シナ海の領域については中国と韓国が自国の領海から延伸する大陸棚に関して国際法を無視して権利を主張している。\n\nEEZとは別に[[国連海洋法条約]]において排他的な海底資源権益が与えられる法的な[[大陸棚]]については、[[2012年]]4月に国連[[大陸棚境界委員会]]が「四国海盆海域」、「小笠原海台海域」、「南硫黄島海域」、「沖大東海嶺南方海域」の4海域を日本の大陸棚と認定した<ref>{{cite news|title=日本の大陸棚拡張、国連が認定 沖ノ鳥島周辺など|author=|newspaper=日経新聞|date=2012/4/28|url=http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C889DE6E2EBE2E6E0E1E2E0EAE2E6E0E2E3E09C9CEAE2E2E2;at=DGXZZO0195570008122009000000|accessdate=2012-04-28}}</ref>。\n\n=== 気候・自然 ===\n[[File:Japan climate classification 1.png|thumb|250px|left|日本の[[気候区分]]]]\n; [[気候]]\n: [[ケッペンの気候区分]]によると、本州以南沖縄諸島[[大東諸島]]以北の大半が[[温暖湿潤気候|温帯多雨夏高温気候]](Cfa)[[宮古諸島]]・八重山列島([[石垣島]]・[[西表島]]・与那国島・[[波照間島]])・[[沖大東島]]などでは[[熱帯雨林気候]](Af))に属する一方、北海道などが[[亜寒帯湿潤気候|亜寒帯湿潤夏冷涼気候]](Dfb)を示す<ref>帝国書院編集部『新編標準高等地図 最新版』([[帝国書院]]、2003年9月発行)の「気候(二)」の「(2) 日本における[[ケッペン]]の気候区」(102ページ右上)による。</ref>。[[モンスーン]]の影響を受け四季の変化がはっきりしているものの、全般的には[[海洋性気候]]のため大陸と比較して冬の寒さはそれほど厳しくなく温和な気候である。[[飛び地]]や[[海外領土]]などを別にすれば、一国の領土内に[[熱帯]]から[[亜寒帯]]までを含む国家は珍しい。[[北半球]]では他にアメリカ合衆国と中華人民共和国ぐらいである。(標高の高さによる寒冷地域は除く)\n: 冬季は、[[シベリア高気圧]]が優勢となり北西の季節風が吹くが、その通り道である日本海で暖流の対馬海流から大量の水蒸気が蒸発するため、大量の雪を降らせる。そのため、日本海側を中心に国土の約52%が世界でも有数の豪雪地帯となる。太平洋側では、空気が乾燥した晴天の日が多い。\n: 夏季は、[[太平洋高気圧]]の影響が強く、高温多湿の日が続く。台風も多い。但し、北部を中心に[[オホーツク海高気圧]]の影響が強くなると低温となり、しばしば農業に影響を与える。\n: 比較的、降水量の多い地域である。主な要因は、日本海側での冬季の降雪、6・7月(沖縄・奄美は5・6月)に前線が停滞して起こる[[梅雨]]、夏季から秋季にかけて南方海上から接近・上陸する[[台風]]など。年間降水量は、約1,700mmで地域差が大きい。南鳥島を除く日本全域がモンスーン地域で、山がちな日本列島の西岸および南岸の周りを暖流が流れている為に雲が発達しやすく、日照時間は約1800時間程度と世界の他の温帯地域と比べても少なめである。\n; [[生態系]]\n: 南北に長く、また、[[森林限界]]を越える[[高山帯]]や広い海洋、四季の変化により、面積の広さに比べ、生息する[[動物]]や[[植物]]の種類が豊富である。[[津軽海峡]]以北の北海道の生態系は[[沿海州]]の生態系に似ており、[[ブラキストン線]]という境界が提唱されている。[[屋久島]]と南西諸島の間には、温帯と亜熱帯の生態系の境界である[[渡瀬線]]が提唱されている。このほか海峡を主にに複数の[[分布境界線]]が提唱されている。\n: 四方が海で囲まれているため、外部から新しい生物が侵入してくる可能性が低かった。それに加え、多くの離島があるため、その島独自の生態系が維持されてきた土地が多数ある。特に小笠原諸島や南西諸島は、古くから本土と比べて孤立した生態系を築いてきたため、その島に固有の動植物が多く生息している。小笠原諸島は、「東洋の[[ガラパゴス諸島|ガラパゴス]]」と呼ばれるほど特殊な生態系を持つ。南西諸島でも、西表島の[[イリオモテヤマネコ]]をはじめ、固有生物が島ごとに生息している例がある。だが、近年の開発や人間が持ち込んだ[[外来種|外来生物]]により、生態系は激変し、固有の動植物の生息が脅かされている場所が多い。\n; [[植物]]・[[森林]]\n: 熱帯のものから亜寒帯のもの、さらには高山[[ツンドラ]]に生育する[[高山植物]]に至るまで植物の種類が豊富で多様性に富む。降水に恵まれ、高湿度に適した植物が多く分布している。[[コケ植物]]や[[シダ植物]]などが特に豊富。大陸から離れた地形から、[[スギ]]などの日本固有種が広く分布する。慣習的に[[サクラ|桜]]と[[キク|菊]]が[[国花]]と同等の扱いを受ける。この他、各[[自治体]]でも独自の木や花を制定している。\n: 陸地の約3分の2が森林([[森林率]]66%<ref>1970年代以降、横ばい状況にある。ブラジル57%、[[カナダ]]51%など、減少傾向にある世界各国の森林率に比べると突出した数値である。</ref>・森林面積:2,512万[[ヘクタール|ha]]・2009年(平成21年)現在)である。[[亜熱帯]]から亜寒帯に渡る、どの地域でも年間の雨量が十分で、森林の成立が可能である。平地の[[植生]]は、南の約3分の2が[[常緑広葉樹林]]、いわゆる[[照葉樹林]]という型であり、北の約3分の1が[[落葉広葉樹林]]、[[ブナ林]]を代表とする森林である。標高の高い地域では、更に[[常緑針葉樹林]]、一部に[[落葉針葉樹林]]がある。南西諸島の一部は熱帯に属し、沿海の干潟には[[マングローブ]]が発達する。\n: この森林面積の内訳は、[[天然林]]が53%(1,335万ha)、[[人工林]]が41%(1,036万ha)、その他([[標高]]などの条件で未生育の森林など)が6%、となっている。内、人工林は、第二次世界大戦後の[[拡大造林]]の影響を受けたことから、スギ林が多数(452万ha)を占める。これは、高度経済成長期に木材需要の逼迫から大量の天然林が伐採され、木材の生産効率のみを考えたスギ・ヒノキ林に更新されたためである。その後海外からの輸入量が急増し、一転して木材の価格が暴落した結果、採算の取れない人工林の多くが取り残される結果となった。放棄されたスギ林では、下層植生が発達せず貧弱な生態系となり、防災や水源涵養の面でも問題が多い。\n<div style="text-align:center"><gallery>\nFile:Miharu Miharu-Takizakura Front 1.jpg|春の[[桜]] ([[福島県]][[三春町]] [[三春滝桜]])\nFile:Yonahamaehama Miyakojima Okinawa Japan02bs3s4592.jpg|[[与那覇前浜]] ([[沖縄県]][[宮古島市]])\nFile:Hogon-in.jpg|秋の紅葉 ([[京都府]][[京都市]] [[嵐山]]・[[宝厳院]])\nFile:Yamagata-zao ski 1 (200712).jpg|冬の樹氷 ([[山形県]][[山形市]])\n</gallery></div>\n\n; 動物\n:; [[哺乳類]]\n:: {{Main|日本の哺乳類一覧}}\n:: 100種強が生息し、その内、[[固有種]]が3割を超え、7属が固有属である。日本の哺乳類相は、北海道と本州との間にあるブラキストン線、また、南西諸島のうち、トカラ列島と奄美群島との間にある渡瀬線で区切られ、これらを境に異なる動物群が生息している。\n:: 大型哺乳類では、北海道の[[ヒグマ]]、[[エゾシカ]]、本州の[[ツキノワグマ]]、[[シカ|ニホンジカ]]、[[ニホンカモシカ]]などがいる。\n:: 固有種である[[ニホンザル]]のうち、[[下北半島]]に住む[[個体群]]は、世界で最も北方に棲息する[[サル]]である。[[ニホンオオカミ]]、[[エゾオオカミ]]、[[ニホンアシカ]]、日本の[[ラッコ]]個体群、および、[[ニホンカワウソ]]は絶滅。\n:; [[鳥類]]\n:: {{Main|日本の野鳥一覧}}\n[[File:Phasianus versicolor in field.JPG|thumb|160px|right|日本の国鳥の[[キジ]]]]\n:: 500種を越える鳥類が観察される。四方の海に加え、水源が豊富な日本では、河川や池、湖が多く、それに棲む[[水鳥]]の種類が豊富である。日本列島はシベリアで繁殖する鳥の越冬地であり、[[東南アジア]]など南方で越冬した鳥が繁殖する地であり、さらに北方から南方に渡る[[渡り鳥]]が通過する中継地としても重要で、季節によって多彩な渡り鳥を観察することができる。近年、乱開発による[[干潟]]の減少や、東南アジアの森林の破壊が、日本で見られる鳥類の存続の脅威となっている。水鳥の生息地として国際的に重要な[[ラムサール条約#日本の登録湿地|37の湿地]]が、[[ラムサール条約]]に登録され保護されている<ref>{{Cite web|url=http://www.env.go.jp/nature/ramsar/conv/2-3.html|title=日本のラムサール条約湿地|publisher=[[環境省]]|accessdate=2011-04-04}}</ref>。\n:: 渡りをしない留鳥としては、[[国鳥]]の[[キジ]]などがあげられる。人家の近くには、[[鴉|カラス]]、[[スズメ]]、[[ハト]]、[[ツバメ]]、[[ハクセキレイ]]などが生息し、古来より文化の中で親しまれてきた。最近では[[ヒヨドリ]]や[[ムクドリ]]が人家周辺に多い。\n:: 固有種は、[[メグロ]]などがある。[[トキ]]の個体群は、絶滅。現在、[[佐渡市]]で人工的に繁殖されているトキは、中国の個体群から借り入れたものである。\n:; [[爬虫類]]・[[両生類]]\n:: いずれも亜熱帯に種類が多く、南西諸島に半分以上の種が集中する。これは、島ごとの種分化が進んでいるためでもある。本土における島ごとの種分化は、さほど見られない。例外は、[[サンショウウオ]]類で、南西諸島に見られないが、本土の各地方での種分化が進み、多くの種を産することで世界的にも知られる。また、現存する世界最大の両生類である[[オオサンショウウオ]]は、日本を代表する両生類として世界的に知られる。\n:; [[魚類]]\n:: {{Main|日本の淡水魚一覧}}\n:: 近海の魚類は、種類、数、共に豊かで、[[三陸海岸]]沖から千島列島に掛けてが世界三大漁場の一つに数えられる。近海を暖流と寒流とが流れ、これらの接点である潮境で[[プランクトン]]が発生しやすいことや、周辺に広い大陸棚や多様で複雑な[[海岸]]を持つこと、などが好条件となっている。[[淡水魚]]の種は、大陸に比べて[[河川]]の規模が小さいため、多くない。[[古代湖]]である[[琵琶湖]]などに多彩な種が棲息するものの、[[アユ]]など食用に供される種の人為的な放流や[[外来魚]]の勢力拡大により、希少種の絶滅や淡水魚類相の激変が問題となっている。他方、雨量の多い気候のために河口域に[[汽水域]]が出来やすく、[[貝類]]も豊富である。\n:: また、2010年に海洋生物センサス(Census of Marine Life)が出した報告により、日本近海は、世界25箇所の代表的な海の中で最多となる、約3万3000種の海洋生物が生息していることが明らかとなった<ref>{{Cite web|date=2010-07-26|url=http://www.jamstec.go.jp/jcoml/reference/presentation01.pdf|title=日本近海は生物多様性のホットスポット、全海洋生物種数の14.6%が分布|format=PDF|publisher=[[海洋研究開発機構]]|accessdate=2010-10-16}}</ref>。これは日本の気候が南北に渡って非常に多彩であり、同時に大きな海流に恵まれ、海水が多くの栄養を持っていることを示している。例えば北海道は流氷の南限であるのに対し、南西諸島および小笠原諸島はサンゴ生育の北限である。\n:; [[昆虫]]\n:: 亜熱帯のものから亜寒帯のものまで種類が豊富で多様性に富む。森林が多いため、数も多い。[[都市]]部でも多くの昆虫が見られる。雨が多く、湿地や水田が各地にあるため、特に[[トンボ]]の種類が多い。また、[[カブトムシ]]など[[里山]]に暮らす昆虫も多く見られたが、暮らしの変化と共に少なくなった。江戸時代頃から[[スズムシ]]や[[コオロギ]]の鳴き声を楽しむために飼育が行われてきた。愛玩対象として昆虫を飼う文化は、世界的にも珍しい。[[オオムラサキ]]が国蝶。\n[[File:Mount Komekura Photovoltaic power plant Jan2012.JPG|thumb|left|メガソーラーとして建設された[[米倉山太陽光発電所]]]]\n; [[環境]]・[[公害]]\n: {{Main|日本の環境と環境政策}}\n: 1950-60年代、[[四大公害病]]を始めとした大規模な公害の発生から、[[1967年]](昭和42年)の[[公害対策基本法]]を始めに水質汚濁や大気汚染などの規制法が相次いで成立した。これを受け、日本企業は、[[オイルショック]]のためにマイナス成長下にあった[[1973年]](昭和48年)-[[1976年]](昭和51年)の前後に集中して公害の防止への投資を行い、1970年代以降、大規模な公害の件数が急速に減少した。また、この投資は、オイルショック下の日本経済の下支えの役割を果たしたため、「日本は[[公害対策]]と経済成長を両立させた」と言われる<ref>三橋規宏『環境経済入門』日経文庫:2007</ref>。\n: しかし、[[日本列島改造論]]が叫ばれた1970年代以降、地域振興を名目に道路建設や圃場整備などの[[公共事業]]、[[リゾート]]開発などの大型開発が盛んに行われ、日本固有の風致や生態系は大きく損われてしまった。また、ゴミ問題のために[[富士山]]の[[世界遺産]]登録を断念したことに象徴されるように、環境管理においても多くの課題を抱える。人工林の荒廃やダム建設などによって河川や山林の生態系が衰退していることにより、ニホンザルや[[イノシシ]]が市街地に出没するなど、人間の生活への影響も出ている。\n: [[高度経済成長期]]以降、日本人の食卓の変化や、海外の農産品の輸入増加、[[東京一極集中]]、天然林の伐採、地域振興における公共事業偏重など様々な要因により、農山村や農林水産業が衰退した。これに伴い、[[耕作放棄地]]の増加、人工林の荒廃、水産資源の減少などの問題が発生している。\n\n=== 地域区分 ===\n[[File:Regions and Prefectures of Japan (ja).svg|thumb|300px|日本の地方、および各都道府県の位置]]\n{{Main|日本の地域}}\n\n[[都道府県]](1都1道2府43県)という広域行政区画から構成される。但し、地域区分(地方区分)には、揺れが見られる。また、一部の[[市]]は、行政上、別途[[政令指定都市]]、[[中核市]]、[[特例市]]に定められている。他にも、[[市町村]]や、町村をまとめた[[郡]]がある([[全国市町村一覧]]参照)。\n; [[北海道地方]]\n: 1.\'\'\'北海道\'\'\'\n; [[東北地方]]\n: 2.\'\'\'[[青森県]]\'\'\' - 3.\'\'\'[[岩手県]]\'\'\' - 4.\'\'\'[[宮城県]]\'\'\' - 5.\'\'\'[[秋田県]]\'\'\' - 6.\'\'\'[[山形県]]\'\'\' - 7.\'\'\'福島県\'\'\'\n; [[関東地方]]\n: 8.\'\'\'[[茨城県]]\'\'\' - 9.\'\'\'[[栃木県]]\'\'\' - 10.\'\'\'[[群馬県]]\'\'\' - 11.\'\'\'[[埼玉県]]\'\'\' - 12.\'\'\'[[千葉県]]\'\'\' - 13.\'\'\'東京都\'\'\' - 14.\'\'\'[[神奈川県]]\'\'\'\n: 上記は「一都六県」。「[[首都圏]]」はこれに[[山梨県]]を、「[[広域関東圏]]」には関東地方1都6県に[[糸魚川浜名湖線|親不知浜名湖線]]以東の[[新潟県|新潟]]・[[山梨県|山梨]]・[[長野県|長野]]・[[静岡県|静岡]]の4県を、それぞれ加える。\n; [[中部地方]]<ref>[[谷岡武雄]]・[[山口恵一郎]]監修・三省堂編集所編『コンサイス日本地名事典 第3版』([[三省堂]]、1989年12月発行)の「中部地方」の項目によれば、「北陸・東山(中央高地)・東海の3地方に区分される」と記載されている。</ref><ref>『広辞苑』(岩波書店、2008年1月第六版発行)の「中部地方」の項目にも、「北陸・中央高地・東海の3地方にも区分される。」と記載されている。</ref>\n:; [[北陸地方]]<ref>谷岡武雄・山口恵一郎監修・三省堂編集所編『コンサイス日本地名事典 第3版』(三省堂、1989年12月発行)の「北陸地方」の項目によれば、「北陸3県:富山・石川・福井, 北陸4県:北陸3県に新潟県を加える。普通4県の総称。上代からの北陸道の地域。」となっている。</ref><ref>『広辞苑』(岩波書店、2008年1月第六版発行)の「北陸」の項目によれば、「(1)富山・石川・福井・新潟4県の総称。北陸地方。(2)北陸道の略」となっている。</ref><ref>高柳光寿・竹内理三編『角川日本史辞典 第二版』(角川書店、1974年12月発行)の「北陸道」の項目によれば、「愛発(あらち)の関以北の日本海に面した若狭・越前・越中・越後・加賀・能登・佐渡の7国からなる。」となっている。</ref>\n:: 15.\'\'\'[[新潟県]]\'\'\' - 16.\'\'\'[[富山県]]\'\'\' - 17.\'\'\'[[石川県]]\'\'\' - 18.\'\'\'[[福井県]]\'\'\'\n:: 福井県[[嶺南|嶺南地域]]を近畿地方に含める場合がある。\n:: 新潟県を北陸地方に含めず、長野県、山梨県とともに\'\'\'[[甲信越]]\'\'\'と称する場合も多い。\n:; [[東山地方]]<ref>谷岡武雄・山口恵一郎監修・三省堂編集所編『コンサイス日本地名事典 第3版』(三省堂、1989年12月発行)の「東山地方」の項目によれば、「岐阜・長野・山梨3県の地。地理的には岐阜県では北部の飛騨(ひだ)のみを含み, 南部の美濃(みの)は東海地方に属する。」となっている。</ref>\n:: 19.\'\'\'山梨県\'\'\' - 20.\'\'\'[[長野県]]\'\'\'\n:: 中央高地<ref>前掲の「中央高地」の項目によれば、「山梨・長野・岐阜3県にまたがる本州中央部の高地地域の称。(中略)地理区としては東山地方と同義で, 東海地方・北陸地方に対する。」となっている。</ref>ともいう。岐阜県[[飛騨国|飛騨地域]]を加える場合もある。\n:; [[東海地方]]\n:: 21.\'\'\'[[岐阜県]]\'\'\' - 22.\'\'\'[[静岡県]]\'\'\' - 23.\'\'\'[[愛知県]]\'\'\'\n:: 普通、「[[東海3県]]」というと、静岡県ではなく[[三重県]]を含めることが多い。なお、静岡県については関東甲信越各県と併せて広域関東圏とする場合も多い。\n; [[近畿地方]]\n: 24.\'\'\'三重県\'\'\' - 25.\'\'\'[[滋賀県]]\'\'\' - 26.\'\'\'[[京都府]]\'\'\' - 27.\'\'\'[[大阪府]]\'\'\' - 28.\'\'\'[[兵庫県]]\'\'\' - 29.\'\'\'[[奈良県]]\'\'\' - 30.\'\'\'[[和歌山県]]\'\'\'\n:: 但し、三重県は近畿地方に含めず中部地方もしくは東海地方に含まれることも多い。なお、近畿地方のことを「[[関西地方]]」と呼ぶ場合は通常、三重県を除く2府4県のことを指す(場合によっては三重県のうち[[伊賀国|伊賀地域]]を加えることもある)。\n; [[中国地方]]\n: 31.\'\'\'[[鳥取県]]\'\'\' - 32.\'\'\'[[島根県]]\'\'\' - 33.\'\'\'[[岡山県]]\'\'\' - 34.\'\'\'[[広島県]]\'\'\' - 35.\'\'\'[[山口県]]\'\'\'\n: 鳥取、島根、山口の一部で[[山陰]]と言い、岡山、広島、山口のほぼ全域で[[山陽]]という。また、山口県を[[九州地方]]と併せて九州・山口地方とする場合もある。\n; [[四国]]地方\n: 36.\'\'\'[[徳島県]]\'\'\' - 37.\'\'\'[[香川県]]\'\'\' - 38.\'\'\'[[愛媛県]]\'\'\' - 39.\'\'\'[[高知県]]\'\'\'\n: [[四国山地]]より北を[[北四国]]、南を[[南四国]]とする。また、中国地方と併せて[[中国・四国地方]]とする場合もある。その場合、山陽と北四国とを併せて[[瀬戸内]]と言う。\n; [[九州]]地方\n: 40.\'\'\'[[福岡県]]\'\'\' - 41.\'\'\'[[佐賀県]]\'\'\' - 42.\'\'\'[[長崎県]]\'\'\' - 43.\'\'\'[[熊本県]]\'\'\' - 44.\'\'\'[[大分県]]\'\'\' - 45.\'\'\'[[宮崎県]]\'\'\' - 46.\'\'\'[[鹿児島県]]\'\'\'\n: 山口県と併せて九州・山口地方とする場合や、沖縄県と併せて九州・沖縄地方とする場合もある。\n: [[奄美諸島]]は、歴史・文化・自然等の面において九州よりも沖縄に近い<ref>高柳光寿・竹内理三編『角川日本史辞典 第二版』(角川書店、1974年12月発行)の「琉球」の項目には「1609(慶長14)薩摩藩領として分割される以前の奄美諸島を含む。」と記されている。</ref><ref>柴田武編『世界のことば小事典』([[大修館書店]]、1993年6月初版発行)の「29 沖縄語」([[船津好明]]執筆)の「主な使用地域」によれば、「広い意味では奄美から[[八重山諸島|八重山]]までの、いわゆる琉球語圏を、狭い意味では首里を指す。」と記されるほか、114頁の地図によると、トカラ列島と奄美諸島との間に「言語境」が引かれている。なお、「ことばの背景」の冒頭には「沖縄語は日本語であり、共通語に対して方言として位置づけられます。」と明記している。</ref><ref>猪川倫好監修・三省堂編集所編『三省堂生物小事典 第4版』(三省堂、1994年2月発行)の「渡瀬線」の項目によれば、「哺乳類・両生類・爬虫類・シロアリなどについて調査した結果、旧北区と旧東洋区との分布境界線として提唱した[[奄美大島]]と屋久島の間の線」と記されている。</ref>ため、奄美諸島を沖縄県と併せて沖縄・奄美地方とする場合もある。\n; [[沖縄地方]]\n: 47.\'\'\'沖縄県\'\'\'\n: 沖縄県は九州地方に含む場合もある。九州地方に含める場合は九州・沖縄地方と呼称することもある。\n: 沖縄県は奄美諸島と文化的、自然的に近い<ref>例えば[[東京外国語大学]]語学研究所編『世界の言語ガイドブック 2 アジア・アフリカ地域』(三省堂、1998年3月発行)の「日本語」([[早津恵美子]]執筆)の「1 使用人口・分布地域」の294頁に掲載されている地図によれば、琉球方言は奄美・沖縄・先島の3方言から構成されている描き方となっている。なお、「2 系統・歴史」には「琉球諸島で話されている言語と本土で話されている言語とが同系であることは、言語学的には明らかだとされ、日本語の方言としてまず大きく、琉球方言と本土方言に分けるのが一般的である。」とも明記している。</ref><ref>帝国書院編集部編『標準高等地図-地図で読む現代社会-新訂版』(帝国書院、2004年1月発行)の「統計資料」のうち「(12)日本のおもな都市の月平均気温・月降水量」によると、「南西諸島の気候」の気候区として[[奄美市]][[名瀬市|名瀬]]と那覇が列挙されている。</ref>ため、奄美諸島と併せて沖縄・奄美地方とする場合もある。\n\n==== 都市 ====\n{{Main|日本の市の人口順位|都市圏 (総務省)|都市雇用圏}}\n<div style="text-align:center">\n{|class="wikitable sortable" style="font-size:90%;"\n|-style="line-height:1.4em"\n!順位<br/>!!都道府県<br/>!!市(区)<br/>!!法定人口<br/>!!推計人口<br/>!!増減率(%)<br/>!!種別<br/>!! style="text-align:left;padding-left:14px;"|推計人口の<br/>統計年月日\n{{citypop|特|東京都|特別区部|8949447|特別区部}}\n{{citypop|1|神奈川県|横浜市|3689603|政令指定都市}}\n{{citypop|2|大阪府|大阪市|2666371|政令指定都市}}\n{{citypop|3|愛知県|名古屋市|2263907|政令指定都市}}\n{{citypop|4|北海道|札幌市|1914434|政令指定都市}}\n{{citypop|5|兵庫県|神戸市|1544873|政令指定都市}}\n{{citypop|6|京都府|京都市|1474473|政令指定都市}}\n{{citypop|7|福岡県|福岡市|1463826|政令指定都市}}\n{{citypop|8|神奈川県|川崎市|1425678|政令指定都市}}\n{{citypop|9|埼玉県|さいたま市|1222910|政令指定都市}}\n{{citypop|10|広島県|広島市|1174209|政令指定都市}}\n{{citypop|11|宮城県|仙台市|1045903|政令指定都市}}\n{{citypop|12|福岡県|北九州市|977288|政令指定都市}}\n{{citypop|13|千葉県|千葉市|962130|政令指定都市}}\n{{citypop|14|大阪府|堺市|842134|政令指定都市}}\n{{citypop|15|新潟県|新潟市|812192|政令指定都市}}\n{{citypop|16|静岡県|浜松市|800912|政令指定都市}}\n{{citypop|17|熊本県|熊本市|734294|政令指定都市}}\n{{citypop|18|神奈川県|相模原市|717561|政令指定都市}}\n{{citypop|19|静岡県|静岡市|716328|政令指定都市}}\n{{citypop|20|岡山県|岡山市|709584|政令指定都市}}\n|}</div>\n\n{{日本の都道府県庁所在地}}\n{{日本の政令指定都市}}\n{{日本の中核市}}\n{{日本の特例市}}\n\n== 法・政治 ==\n[[File:Politics Under Constitution of Japan 02.png|thumb|300px|right|日本国憲法下の統治機構図]]\n{{Main|日本法|日本の刑事司法|日本の民事司法|日本の政治|日本政治史}}\n\n[[日本国憲法]]上、同憲法を最高法規とし、この下に、国会が制定する[[法律]]、内閣が制定する[[政令]]や[[日本の行政機関|各省庁]]が制定する省令などの[[命令 (法規)|命令]]、[[地方公共団体]]が制定する[[条例]]など、各種の[[法令]]が定められる。憲法上、裁判所は、全ての法令や[[行政行為]]などが憲法に適合するか否かを最終的に判断する[[違憲審査制|違憲立法審査権]]を有し、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]を終審裁判所とする。もっとも、いわゆる[[司法消極主義]]に基づき、国会や内閣など政治部門の判断への干渉は、控えられることが多い。\n\n=== 日本国憲法 ===\n{{seealso|ポツダム宣言}}\n第二次世界大戦の後、[[1946年]](昭和21年)[[11月3日]][[公布]]、[[1947年]](昭和22年)[[5月3日]][[施行]]。改正されたことはない。[[硬性憲法]]に分類される。\n\n[[日本国憲法]]は、憲法第13条・[[個人の尊厳]](個人の尊重)をその根本に置き、次の三つを三大原理とする。\n* [[自由主義]]。基本的権利の[[平等]]の両立を目指す、基本的[[人権]]の尊重。\n* [[国民主権]]。[[主権]]が[[国民]]に由来する。\n* [[平和主義]]。[[戦争]]の放棄、戦力([[軍隊]])の不保持を定める。\n\n統治機構は、憲法上、[[立法]]権を[[国会 (日本)|国会]]に、[[司法権]]を[[裁判所]]に、[[行政権]]を[[内閣 (日本)|内閣]]に、それぞれ分配する[[権力分立|三権分立]]を採る。また、内閣が国会の信任に拠って存在する[[議院内閣制]]を採用する。\n\n長らく、戦争の放棄、戦力の不保持を定めた[[日本国憲法第9条|9条]]を巡って[[憲法改正論議]]が行われている。なお、一部には、現行憲法の制定に法的瑕疵があったとして無効を主張し、今も[[大日本帝国憲法]]が有効であるとする者もいる。\n\n=== 天皇・皇室 (皇室制度) ===\n[[File:Akihito 090710-1600a.jpg|thumb|[[明仁|今上天皇]]と[[皇后美智子|美智子皇后]]]]<!--記述は写真の説明ではなく項目内で行う-->\n{{Main|象徴天皇制}}\n(一般には「皇室」。宮内庁による正式な名称は「皇室制度」。元は共産党が体制を指す造語だったが俗語として「天皇制」と呼ばれることがある。)\n天皇は、第二次世界大戦後から現在まで、日本国憲法に「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」([[日本国憲法第1条|憲法1条]])と位置づけられ、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とされる(同条)。その地位([[皇位]])は、[[世襲]]によって受け継がれ、国会の議決する[[皇室典範]]の定めるところによって継承される([[日本国憲法第2条|憲法第2条]])。憲法の定める[[国事行為]]のみを行い、国政に関する権能を有しない([[日本国憲法第4条|憲法4条1項]])。但し、国事行為の他、象徴たる地位に基づく[[天皇の公的行為|公的行為]]を行う。\nまた、[[日本国政府]]は「[[立憲君主制]]と言っても差し支えないであろう」としているが、日本国憲法には明記されていない<ref>1973年6月28日参議院内閣委員会、政府委員吉國一郎内閣法制局長官答弁</ref>。明治期に制定された大日本帝国憲法には、立憲君主制であることが明記されていた。\n\n=== 国政 ===\n[[国会]]は、[[衆議院]]と[[参議院]]との二院からなる[[両院制|二院制(両院制)]]の議会である。「国権の最高機関」であり、「国の唯一の立法機関」とされる([[日本国憲法第41条|憲法41条]])。衆議院・参議院は、いずれも全国民を代表する[[選挙]]された[[国会議員]]によって組織される。ただし、法律や[[予算]]、[[条約]]の議決、内閣総理大臣の指名、[[内閣不信任決議]]などにおいて、衆議院に参議院よりも強い権限が与えられている([[衆議院の優越]])。これは、[[衆議院解散]]があり、任期も短いため、より民意を反映しているため、と説明される。\n\n[[内閣]]は、首長たる内閣総理大臣と、その他の[[国務大臣]]からなる合議制の機関である。内閣総理大臣は、国会議員でなければならない。国会が指名した人物は、天皇により儀礼的・形式的に任命され、内閣総理大臣に就任する。国務大臣は、内閣総理大臣が任命し、天皇が[[認証]]する。国務大臣の過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。内閣総理大臣、その他の国務大臣は、[[文民]]でなければならない。内閣は、[[行政]]権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う一方、衆議院の実質的な解散権を持つとする見解が多数説となっている(日本国憲法7条3項および69条を参照のこと)。\n\n国会では、国会議員のみが法案提出権を持つ。国会で審議される法案の大多数は、内閣が提出する政府提出法案(閣法)であり、国会議員が発議する法案(議員立法)が少ない。政府提出法案は、内閣の下に置かれる[[日本の行政機関|省庁]]が国会の多数を占める与党との調整を経て作成するため、[[キャリア (国家公務員)|省庁の幹部公務員(キャリア官僚)]]の国政に対する影響力が強い。なお、政治家になる家系が代々しっかりとした地盤を持って選挙活動を行うため、[[世襲政治家]]が多い。そのため、必ずしも統治能力・資質のある人物が議員に選出されているわけではない。1970年代以降は[[中曽根康弘]]や[[小泉純一郎]]といった例外を除いて、内閣総理大臣の任期はせいぜい2年にとどまり、2006年以降は1年前後の任期が続いた。\n<div style="text-align:center"><gallery>\nFile:Diet of Japan Kokkai 2009.jpg|[[国会 (日本)|国会]] (立法)\nFile:PMO cropped.jpg|[[内閣 (日本)|内閣]] (行政)\nFile:Supreme Court of Japan 2010.jpg|[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]] (司法)\n</gallery></div>\n\n; [[55年体制]]とその後\n: 国会では、[[1955年]](昭和30年)に結党された[[自由民主党 (日本)|自由民主党]](自民党)が、一貫して最多の議席を占めていた。同年に統一された日本社会党(社会党)と共に、「55年体制」と呼ばれる政治体制を形作った。この体制は、自民党が[[与党]]として党の総裁を国会で内閣総理大臣に指名し、同党議員の中から国務大臣を任命して内閣を組み、社会党が野党として自民党と対立・協調しながら、国政を運営するものである。[[新自由クラブ]]と[[連立政権]]を組んだ[[1983年]](昭和58年)から[[1986年]](昭和61年)までの一時期を除き、[[1993年]](平成5年)までの約40年間、自民党の単独政権が続いた。\n: 1993年(平成5年)に自民党[[改革フォーラム21|羽田派]]が離党して[[新生党]]を結党し、[[非自民・非共産連立政権]]である[[細川内閣]]が成立したことで自民党が政権を離れ、55年体制が崩壊した。翌[[1994年]](平成6年)6月に自民党・社会党・[[新党さきがけ]]の[[自社さ連立政権]]である[[村山内閣]]が成立して自民党が政権に復帰。次の[[第1次橋本内閣|橋本内閣]]以後、自民党は連立相手を組み替えながら[[自由民主党総裁|総裁]]が内閣総理大臣に就く時代が再び続いたが、2009年(平成21年)8月の[[第45回衆議院議員総選挙|衆議院議員総選挙]]で大敗、衆議院第1党から転落し、翌9月に[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]・[[国民新党]]からなる[[民社国連立政権]]、[[鳩山由紀夫内閣]]が成立。民主党を中心とする連立政権は2012年12月の[[第46回衆議院議員総選挙|衆議院議員総選挙]]での敗北で終焉を迎え、自民党が再び政権に復帰した。\n\n=== 地方政治 ===\n[[地方自治]]は、基礎的な団体である市町村、広域的な団体である都道府県の二段階から成る、地方公共団体が担う。\n; 市区町村\n: 市が787、[[町]]が748、[[村]]が184、合計1719<ref>ロシアが[[北方地域|実効支配している6村]]は数に含まれていない。</ref>。他に、東京都に23の[[特別区]]([[2012年]](平成24年)1月4日現在)。\n: [[執行機関]]たる[[市町村長]]、[[議決機関]]たる[[地方議会|市町村議会]]<ref>[[町村総会]]の場合もある。</ref>が置かれ、いずれも住民から選挙される。\n: 財産を管理し、地域の事務を取り扱い、行政を執行する。法律の範囲内で条例を定める。特に規模が大きい市は、政令指定都市として、一部の権限が都道府県から委譲される。\n; 都道府県\n: [[都]]が1、[[道_(行政区画)#.E6.97.A5.E6.9C.AC|道]]が1、[[府]]が2、[[県]]が43、合計47。\n: 執行機関たる[[都道府県知事]]、議決機関たる[[地方議会|都道府県議会]]が置かれ、いずれも住民から選挙される。\n: 市町村を包括し、より広域的な行政を行う。法律の範囲内で条例を定める。\n\n現在、東京一極集中を緩和して[[地方分権]]を進めるため、都道府県を解消して更に広域的な道州を置く[[道州制]]の導入が検討されている([[日本の道州制論議]])。また、[[大阪都]]や[[中京都]]のように特別区をつくる運動もある。\n\n=== 法制 ===\n日本国憲法、[[民法 (日本)|民法]]、[[商法]]、[[刑法 (日本)|刑法]]、[[民事訴訟法]]、[[刑事訴訟法]]を総称して[[六法]]と称する。この六法が日本の法令の基本を成し、日本の[[法学]]の基本的な研究分野と考えられてきたことによる。商法のうち、[[企業]]に関する定めの多くは、[[会社法]]に分けられた。刑法には、[[日本における死刑|死刑]]、[[懲役]]、[[禁錮]]、[[罰金]]、[[拘留]]、[[科料]]、[[没収]]が[[刑罰]]として定められている。[[死刑存廃問題#日本での動き|死刑制度のあり方を巡っては、憲法の制定の当時から議論]]がある<ref>{{Cite web|last=法務省|title=犯罪白書>平成19年版の犯罪白書>第2編 犯罪者の処遇>第3章 裁判>第1節 終局裁判>1 裁判確定人員>2-3-1-1-表 全事件裁判確定人員|url=http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/54/nfm/mokuji.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref>{{Cite web|last=法務省|title=犯罪白書>平成15年版の犯罪白書>第2編 犯罪者の処遇>第3章 裁判>第1節 終局裁判>1 裁判確定人員>2-3-2-1-表 全事件裁判確定人員|url=http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/44/nfm/mokuji.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref>{{Cite web|last=法務省|title=犯罪白書>平成14年版の犯罪白書>第2編 犯罪者の処遇>第3章 裁判>第2節 終局裁判>1 裁判確定人員>2-3-2-1-表 全事件裁判確定人員|url=http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/43/nfm/mokuji.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref>{{Cite web|last=法務省|title=犯罪白書>平成9年版の犯罪白書>第2編 憲法施行50年の犯罪者処遇>第4章 裁判>第2節 終局裁判>1 全事件裁判確定人員>II-4表 全事件裁判確定人員|url=http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/38/nfm/mokuji.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref name="犯罪の世界を漂う1">{{Cite web|last=犯罪の世界を漂う|title=死刑執行・判決推移|url=http://www.geocities.jp/hyouhakudanna/number.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref>{{Cite web|last=法務省|title=犯罪白書>昭和35年版の犯罪白書>第2編 犯罪者の確定>第1章 犯罪の捜査、検察および裁判>第5節 終局裁判>1 死刑>II-37表 罪名別の死刑確定人員等|url=http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/1/nfm/mokuji.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref>{{Cite web|last=法務省|title=犯罪白書>昭和43年版の犯罪白書>目次>第3編 犯罪と犯罪者処遇の100年>III-7表 死刑執行人員(明治6 - 昭和42年)|url=http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/9/nfm/mokuji.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref name="犯罪の世界を漂う1"/>。\n\n=== 報道の自由 ===\n戦後、憲法によって[[表現の自由]]・[[報道の自由]]が保障され、建前上、[[報道]]に関する政府からの介入は存在しないことになっている。\n\n実際は、テレビ放送について政府が発行する免許が必要である。[[日本放送協会|NHK]]の予算は、国会の承認が必要である。[[新聞]]については、[[再販制度]]の存廃など、様々な形で事実上の介入が行われている。一方、テレビ・新聞の側においても、[[記者クラブ]]制度によって一部の大手マスメディアのみが政府からの情報を受けるメリットを享受している。また、収入源の広告料収入を大企業に頼る大手マスメディアは、かような大企業を批判することに慎重であり、また中国をはじめ大企業が依存する国家に対しても慎重な態度を取る。一方、無用な反発や軋轢を避けるため、「放送禁止用語」や「出版禁止用語」を定めて差別的な表現や下品な表現を「自粛」・「自主規制」することが行われている。また、現在進行中の誘拐事件など人命に関わる場合などにも「自主規制」の対象になる。\n\nなお、近年に発生した報道機関を狙ったテロとしては、未だ解決に至っていない[[赤報隊事件]]がある。[[国境なき記者団]]が作成する報道の自由度を示すランキングでは、52位の南アフリカ共和国に次ぐ53位(2013年)である。国境なき記者団は日本における課題として、記者クラブ制度により外国人ジャーナリストやフリージャーナリストによる情報のアクセスが妨げられていること、「[[東日本大震災]]で発生した津波や原発事故に関しての過剰な報道規制」などを挙げている。また2007年度の調査では「過激なナショナリストによる報道機関への襲撃の減少が見られる」と述べていた<ref name="annual_report_2007">[http://www.rsf.org/article.php3?id_article=20787 Reporters sans frontières - Japan - Annual report 2007]</ref><ref>[http://www.rsf.org/article.php3?id_article=24025 Reporters sans frontières - Annual Worldwide Press Freedom Index - 2007]</ref>。\n\n== 外交・国際関係 ==\n[[File:Diplomatic missions of Japan.png|thumb|250px|left|[[日本国在外公館の一覧|日本国在外公館]]が設置されている国]]\n{{Main|日本の国際関係|:Category:日本の国際関係史}}\n米国との関係を最も重視し、世界中の国と友好関係を築いているといわれている。[[外交]]の基軸として[[国際連合]]を中心に各国と幅広い外交を行い、援助や貿易を行っている。伝統的に地理的に近い東アジア各国と強い関係を保ってきた。更に、太平洋戦争敗戦後に日本の占領を担い、解除後も多大な影響力が行使されるアメリカ合衆国([[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約]])を最重視している。東南アジアやオーストラリア、西ヨーロッパ各国との関係も深い。\n<!--\nイギリスの[[BBCワールドサービス]]が2005年より毎年公表している、10前後の特定の国・地域が世界に与える影響の印象を尋ねる世界規模の[[世論調査]]では、日本が質問対象国となった2006年 - 2008年の各年いずれも「好影響を与えていると思う」との回答率が最も高い国の一つとなるなど、国際的に非常に高い評価を得ている<ref name="bbc">共同通信「世界に「好影響」日本1位 ワーストはイラン、アメリカ」2006年2月4日配信(この配信のインターネットソースとしてはTOKYO自民党ホームページなどを参照のこと、 [http://www.tokyo-jimin.jp/kobo/goikenban/goikenban5.html http://www.tokyo-jimin.jp/kobo/goikenban/goikenban5.html])、「[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080402-OYT1T00195.htm 日本『世界に良い影響』、独と並びトップ…BBC・読売調査]{{リンク切れ|date=2010年3月}}」『読売新聞』2008年4月2日。調査の実施は調査専門機関である GlobeScan および[[メリーランド大学]]国際政策観プログラム(PIPA)による。調査の詳細およびデータについては、GlobeScan, "[http://www.globescan.com/news_archives/bbc06-3/index.html Global Poll:Iran Seen Playing Negative Role," (BBC Poll:Attitudes towards Countries)] (n.d.[2006年]、最終アクセス2008年4月2日)、同 "[http://www.globescan.com/news_archives/bbccntryview/ Israel and Iran Share Most Negative Ratings in Global Poll]" (2007年3月6日、最終アクセス2008年4月2日)、同 “[http://www.globescan.com/news_archives/bbccntryview08/ Global Views of USA Improve]” (2008年4月2日、最終アクセス2008年4月2日)(いずれも英語)。</ref>。2006年公表の調査では、33カ国、約39500人に調査し、ヨーロッパに次いで最も「好影響を与えている」との回答率が高い結果となった。2007年の調査では、27カ国、28000人に調査し、日本はカナダ、EU諸国と並び、もっとも高い評価を受けている国の一つにあげられた。2008年の調査は、34カ国、17457人に調査し、日本は[[ドイツ]]と並んでもっとも「好影響を与えている」との回答率が高い結果となった。[[2010年]]に[[読売新聞社]]とBBC放送が共同実施した世論調査では、「日本は世界に良い影響を与えている」という評価が53%で、「悪い影響を与えている」の21%を上回り、「良い影響」が59%のドイツに次ぎ、日本は[[欧州連合]]と並んで2番目となった<ref>{{cite news\n|url = http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100418-OYT1T00861.htm\n|title = 「世界に良い影響」日本2位…BBC・読売調査\n|newspaper = [[YOMIURI ONLINE]]([[読売新聞]])\n|date = 2010-04-19\n|accessdate = 2010-04-19\n }}</ref>。\n-->\n\n=== 国際連合 ===\n{{UN}} :日本はかつて国際連盟を脱退し、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国(国際連合)]](United Nations)を相手に第二次世界大戦を戦い敗れたという経緯がある。国際連合は戦後も継続し、日本は[[敵国条項]]によって現在も敵国の位置づけである。[[1956年]](昭和31年)に[[ソビエト連邦|ソ連]]との国交を回復し、加盟を果たした。これまでに[[非常任理事国]]として最多選出されている。また、敵国の位置づけにありながら世界第2位の国連分担金を担うという矛盾した状態になっている。国連改革の一環としてドイツ、インド、ブラジルなどと[[常任理事国]]の拡大を訴えている。日本人職員の数は、少ない。日本の知識層の多くは、多大な貢献に比べ、恩恵や評価を受ける以前に敵国条項すら削除されないと指摘している。\n\n長く、国連の武力行使を支持しても、経済援助のみに関与する、という慎重姿勢を取り、[[湾岸戦争]]でも巨額の戦費負担をしたが、戦力を出さなかった。しかし、近年、[[国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律|PKO協力法]]などの成立に始まり、課題を残しつつも法的根拠が整った。[[イラク戦争]]終結後、自衛隊を派遣して復興支援活動に携わるなどの機会も増えている。\n\n=== アジア・オセアニア ===\n東アジアでは、古来、地理的に近い中国や朝鮮などを中心に外交が行われていた。日本は[[儒教]]・漢字文化圏の一角であり、伝統的な文化の中には、[[雅楽]]、[[水墨画]]、[[陶磁器]]、[[禅宗]]、[[書道]]など、東アジアをルーツに持つ物が多い。明治以降、西洋文化を取り入れて発展した日本の文化が逆に東アジアに伝播した。欧米を始めとする世界中との外交が盛んになるのは、明治維新以降である。かつて日本領であった台湾や韓国は、現在でも重要な貿易相手である。一方、北朝鮮に対しては、日本は国家承認しておらず、国交もなく、経済制裁を行っている。日本、韓国、台湾は、それぞれアメリカ軍と同盟関係・安全保障関係にあり、相互に緩やかな協力関係にある。一方、北朝鮮と中国とは同盟関係にあり、中国とロシアも協力関係にある。\n\n東南アジア諸国とは、基本的に友好関係を構築しており、[[タイ王国|タイ]]、フィリピン、[[マレーシア]]など経済的にも文化的にも関係が深く、互いの国民に対する感情も良いとされる。また、日本は、これら各国との[[自由貿易協定]](FTA)の締結を模索している。[[自衛隊]]の[[国際連合平和維持活動|PKO]]としての派遣も、初の派遣が[[カンボジア]]へ、また[[東ティモール]]へも派遣された。[[東南アジア諸国連合]](ASEAN)諸国との間で定期的に首脳会談を行い、関係を重視している。また、この海域(特に[[マラッカ海峡]])は、中東から輸入した[[原油]]の9割近くが通過するなど非常に重要なルートであるが、[[海賊]]が頻繁に出没する。その対策として、[[海上保安庁]]が各国の[[沿岸警備隊]]に対して指導・共同訓練を行っている。以下のように、各国との関係は基本的に良好な状態にある。\n\n[[オセアニア]]の中でも[[南洋諸島]]の各国は、かつて日本が[[委任統治]]領ないし占領地として統治下に置いていたこともあり、関係が比較的深い。ミクロネシア連邦では、日系人の[[トシオ・ナカヤマ]]や[[マニー・モリ]]が[[ミクロネシア連邦の大統領|大統領]]に選ばれている。パラオは、かつて日系の[[クニオ・ナカムラ]]が大統領に就任し、一部の自治体で日本語が公用語として採用されている(実際に日本語を日常的に使用しているわけでなく、象徴的な意味合いが強い)などの経緯もあり、官民とも非常に親日的である。\n\n{{PRC}} :日本は1972年[[日中共同声明]]および1978年[[日中平和友好条約]]締結にともない、中華人民共和国との国交を正常化した。[[改革開放]]政策の後、経済的な成長を遂げて多くの日系企業が生産拠点を持ち、また、[[2006年]](平成18年)より貿易総額でアメリカを上回って最大の貿易相手国となった<ref>台湾出身の[[黄文雄 (評論家)|黄文雄]]は、[[日中]]関係は「[[親善]]」ではなく「[[友好]]」であり、「[[呉越同舟]]」状態にあるという([http://www.geocities.jp/taiwan_assoc/bs01x25.html 支那の本質]より)。</ref>。[[靖国神社問題]]に関連して関係が悪化した。日本では、[[2005年の中国における反日活動]]なども盛んに報道され、また、[[2008年]](平成20年)6月、アメリカの民間調査機関[[ピュー・リサーチ・センター]]の調査では、中国を好ましくないと答えた割合が84%(前年比17%増)となり、調査した24カ国の中で最も高かった。また、日本人の中国への旅行者も減少した。一方、中国では、前年比から9%減少したが、それでも69%が日本を好ましく思っていないという調査結果となり、依然として両国民が相互に反発していることが明らかとなった。中国の報道は中国共産党の統制下にあり、一般国民に日本からのODAや謝罪などが周知されているとは言いがたいが、四川大地震に際しての国際緊急援助隊の救援活動など、中国人からの感謝の意が表れる出来事もある。2010年(平成22年)以降、経済規模で日本を抜いて成長し、無視できない存在となっている。\n\n軍事面では日本全土を射程に収める核弾頭を搭載可能な[[弾道ミサイル]][[東風21型]]を推定100発、精密攻撃が可能な[[巡航ミサイル]]東海10型・長剣10型を推定600発保有しており日本の脅威となっている<ref>http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36805?page=4</ref>。\n\n{{See also|日中関係史}}\n\n{{PRK}} :現在、国交が無い。北朝鮮は、韓国併合に対する評価や賠償問題・請求権問題、いずれについても決着していないとする立場である。日本政府は、[[日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約|日韓基本条約]]に基づいて韓国政府のみが朝鮮半島の正統な政府であるとの立場である。また、賠償問題も韓国との条約によって解決済みとの立場である。[[2002年]](平成14年)の日朝首脳会談では、賠償権を相互に放棄し、日本が北朝鮮へ経済協力を行う方法で合意したと発表されたが、その後、国交正常化交渉の停滞を招いている。背景には、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]や[[不審船事件]]などに対する日本の世論の反発や[[北朝鮮核問題]]などで孤立を深める北朝鮮の現状がある。日本は、現在これらを受けて[[経済制裁]]を北朝鮮に行っている。北朝鮮は、核カードを使ってアメリカから[[テロ支援国家]]指定の解除を引き出した。2012年4月北朝鮮は自国憲法に核保有国と明記した<ref>http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012053102000083.html</ref>。軍事面では西日本を射程に収める短距離弾道ミサイルの[[スカッド]]ERを推定350発、日本のほぼ全域を射程に収める[[ノドン]]ミサイルを推定200発保有しており、日本の安全保障上深刻な脅威となっている<ref>http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36805?page=2</ref>。\n\n{{See also|日朝関係史}}\n\n{{ROK}} :建国当初より[[反日感情]]が強く、[[朝鮮戦争]]中には韓国を支援するために掃海部隊や港湾労働者を韓国に派遣するとともに日本国内での韓国軍の軍事訓練を受け入れるなどしたが、1952年には韓国が一方的に[[李承晩ライン]]を宣言し竹島を占拠したことによって多くの日本人漁師が殺害・拿捕され、[[竹島問題]]が発生した。また、日本に潜入した工作員によって[[新潟日赤センター爆破未遂事件]]や[[金大中拉致事件]]などの事件が起こされている。[[李承晩]][[四月革命 (韓国)|独裁政権を打倒した]][[朴正煕]]は国民の反発を押しきって[[日韓条約]]を結び、日本との国交を樹立、日本から得た賠償金を経済成長の原資としたが、これを国民に隠していたために後に植民地支配の賠償をめぐる紛争が起きる原因となった。韓国では近年まで日本の大衆文化禁止政策が続けられていたが、[[金大中]]政権で日本の大衆文化の自由化が進められ、日本への親近感を持つ人々の増加も見られた。[[盧武鉉]]政権では当初は日本との融和姿勢を見せたものの、間もなく強硬な外交方針に転じ、日本との領土問題や歴史問題にも強い姿勢で臨んだ。2005年、盧武鉉大統領はアメリカに対して日本を仮想敵国として想定するように提案した<ref>http://www.j-cast.com/2012/07/03138027.html?p=all</ref>。政権時代後半には竹島問題などで「対日外交戦争」を公言し、[[小泉純一郎]]首相の靖国神社参拝などもあって日韓関係は冷え切っていた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/121222/kor12122210280003-n2.htm (下)「忍耐の人」朴槿恵 困難ではない、新たな対日決断]2012年12月22日 産経ニュース</ref>。[[李明博]]政権では、前政権で悪化した近隣諸国との関係を修復し、日本にも比較的穏健な姿勢で臨む方針を当初は見せたが、天皇への謝罪要求や知的財産や漁業権の侵害や竹島問題など根本的な改善の兆しは見えていない。[[韓国軍]]は日本全土を射程に収める巡航ミサイル玄武-3ミサイルを配備している。これに伴い[[韓国での日本大衆文化の流入制限]]も徐々に制限を緩和しつつある<ref>在大韓民国日本国大使館 [http://www.kr.emb-japan.go.jp/people/rel/meeting/meet_20060321_8.htm 韓国政府による日本文化開放政策] 2003.12.30</ref><ref>鈴木一司 [http://www.iist.or.jp/wf/magazine/0241/0241_J.html 韓国における日本大衆文化の開放] 2004年3月15日</ref>。2010年(平成22年)9月、SKE48が日本語で歌う姿が韓国の地上波で初めて生放送された。両国間で日韓[[犯罪人引き渡し条約]]を締結しているが、[[靖国神社]]に放火した犯人を政治犯として釈放したことについて、総理大臣安倍晋三は条約を無視する行為であると述べた<ref>http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130105/plc13010500230001-n1.htm</ref>。\n\n{{See also|日韓関係史}}\n\n{{ROC}} :台湾は、日清戦争で日本に割譲されて以来50年間の[[日本統治時代 (台湾)|日本統治時代]]を経験している。第二次世界大戦後は[[国共内戦]]で共産党軍に敗北した[[中国国民党]]が1990年代まで独裁を敷いてきた。かつて日本は中華民国を中国の代表政権と見なしていたが、1970年代の日中国交正常化の際、日本は中華人民共和国を正当な国家として認定し、かつ中華人民共和国に配慮し台湾を独立した国家とはみないことを約束した。日本政府は現在までこの中華人民共和国優先政策を対中台外交の基本姿勢としている。2011年現在も台湾を国家として承認しておらず、双方ともに大使館を配置しない代わりに民間の[[利益代表部]]を置く。1996年に[[総統民選期の中華民国|国民党一党独裁が解消され]]、その後は国民党と[[民主進歩党]]との二大政党である。日本統治時代を経験した多数派の[[本省人]]が親日的傾向が強いのに対し、政治的実権を握っていた少数派の外省人は、反日姿勢が強いと言われていたが、1990年代には本省人である[[李登輝]]が総統となるなど融和が進んだ。安全保障において台湾は、[[台湾関係法]]などを背景にアメリカ軍と密接な関係にあり、日米安保体制を持つ日本とも間接的な協力関係にある。1970年代以降、日台間でも尖閣諸島の領有問題があり係争も起きたが、深刻な対立に至っていない。人的・経済的な交流は、一貫して盛んで、特に近年は李登輝政権以降の[[台湾本土化運動]]の結果として国民の親日姿勢が強まる傾向にある。2011年の東日本大震災では台湾から世界最多となる200億円超の義援金が日本に送られた。海外で初めて日本の[[新幹線]]システムの一部を採用した。\n\n{{See also|日台関係史}}\n\n{{THA}} :[[チャクリー王朝|タイ王室]]と[[皇室]]との関係も良好で、日本とタイの貿易結合度は第一位となっており、世界とタイとの平均的な結合度の4倍となっている<ref>{{cite news|url = http://www.nikkei.com/news/topic/article/g=96958A9C9381959FE3E3E2E0848DE3E1E3E0E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;q=9694E0EAE2E1E0E2E3E2E5E0E4E4;p=9694E0EAE2E1E0E2E3E2E5E0E4E1;n=9694E0EAE2E1E0E2E3E2E5E0E4E2;o=9694E0EAE2E1E0E2E3E2E5E0E4E3|title = 日タイ貿易、日中に勝る緊密度(アジアBiz新潮流)|author=牛山隆一|newspaper = [[日本経済新聞]]|date = 2010-12-13|accessdate = 2010-12-14}}</ref>。\n\n{{See also|日泰関係史}}\n\n{{PHI}} :フィリピンの主要貿易相手国はアメリカと日本であるが、近年は中国や韓国との貿易も増えている。在日フィリピン人は、[[在日外国人]]として国籍別で第4位の人口を有する。\n\n{{VIE}} :ベトナムは、[[ベトナム戦争]]において日本と安全保障関係にあるアメリカ合衆国と交戦した共産党独裁政権であるが、ベトナム戦争終結前の1973年には日本との国交を樹立し、日本はベトナムに多額の開発援助を続けてきた。近年も日本の常任理事国入りをどのような圧力を受けたとしても支持すると表明するなど日本に協力的である<ref name="mofmachimura">[http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/g_machimura/bvc_05/gh.html 町村大臣のブルネイ、ベトナム及びカンボジア訪問 (概要と評価)] 外務省 </ref>。\n\n{{SIN}} :[[日本・シンガポール新時代経済連携協定]]を結び、日本にとって初の自由貿易協定締結国である。\n\n{{CAM}} :日本からは経済面での支援や[[地雷]]撤去の活動なども精力的に行われている。また、文化面でも[[クメール・ルージュ]]によって破壊・弾圧された仏教の施設や信仰の復興に、日本の仏教界が大きく貢献している。カンボジアは日本の常任理事国入りについて不変の支持を行っている<ref name="mofmachimura"/>。\n\n{{IDN}} :[[インドネシア独立戦争|独立]]の際に一部の日本人が関与したこともあり、親日派もいた一方、1960年代の政局の混乱のなか[[インドネシア共産党|共産党]]勢力の台頭に伴い中国等へ接近した。[[2001年]]の[[アメリカ同時多発テロ]]によって米国との関係が悪化し、2005年まで武器禁輸などの制裁を受けた。そのためロシアや中国との関係強化をすすめ、[[多極外交]]を展開している。日本との関係は良好で、[[LNG]]貿易をはじめ日系企業も多数進出し、また日本の[[政府開発援助]](ODA)はハード[[インフラ]]整備に加え、市民警察活動促進計画<ref>インドネシアの警察に対する市民警察活動促進プロジェクトは、日本の[[交番]]システムなどをインドネシアにも導入し成果をあげたといわれる。[[草野厚]]『ODAの現場で考えたこと』日本放送出版協会 (2010/04)</ref>など統治能力支援(ガバナンス支援)や[[法整備支援]]<ref>知的財産権総局を対象とした[[知的財産]]に関する法整備支援[http://www.jica.go.jp/publication/j-world/1005/pdf/tokushu_06.pdf]や、裁判所を対象とした法整備支援など(2009年まで)[http://www.moj.go.jp/housouken/houso_houkoku_indonesia.html インドネシア法整備支援]</ref>などソフトインフラ整備の支援も近年行っている。[[スマトラ島沖地震]]では、金額で国別3位の支援を早急に決めて拠出し、更に[[アチェ州]]へ[[海上自衛隊]]の艦艇を派遣した。[[防災]]システムの構築にも支援を行っている。\n\n{{USA}} :軍事・経済・政治すべてにおいて緊密な関係にある。[[黒船来航]]から始まる経済関係は、アメリカ合衆国の経済力を背景に大きなものであり続け、2006年(平成18年)まで最大の貿易相手国だった。太平洋戦争(第二次世界大戦)では、東アジア・西太平洋地域で4年間戦った末に降伏し、米軍を中心とした連合軍に占領された。アメリカ合衆国は[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]を通して7年の占領統治で中心的な役割を果たした。日本は[[日本国との平和条約|サンフランシスコ平和条約]]にもとづき[[主権回復の日|主権が回復]]するが、依然として米軍に安全保障を委ねる関係は続き、翌年には[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安保条約]]が締結され日米同盟が成立した。アメリカ合衆国にとっても本土から遠い極東に[[在日米軍|基地用地]]を提供し、多額の[[思いやり予算|駐留費用]]を負担する同盟国の存在は重要なものであり、強固な同盟関係が続けいてる。これについて反対運動、特に基地の地元住民の米軍基地反対運動と基地移転問題が外交問題に発展することもある<ref>沖縄などで米軍の事故や[[レイプ]]・強盗などの重大犯罪をきっかけに反対運動が加熱することがあり、しばしば政治的な課題として浮上する。日米地位協定第二十四条において、米軍の維持経費は「日本国に負担をかけないで合衆国が負担する」と規定されているが、2010年度の在日米軍活動経費の日本の負担分総額は7146億円http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-09-29/2010092901_01_1.html</ref><ref>http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116920080403016.htm?OpenDocument</ref>。日米関係は親密であるがゆえに時として摩擦も大きくなることがあり、[[ジャパンバッシング]]のような現象が起きることがある。そしてアメリカ合衆国政府の意向は、[[対日要望書]]などの形を通して日本に伝えられ、日本の政策決定に影響力を与える「[[外圧]]」となっているとされる。また、[[犯罪人引渡し条約]]を結ぶ数少ない国の一つである。\n\n{{See also|日米関係史}}\n\n{{AUS}} :オセアニアで最大の影響力を持つ[[オーストラリア]]と非常に緊密な関係を築いている。日米豪の防衛首脳会談が行われたこともあり、経済、軍事、外交などで共同歩調を取る。[[2007年]](平成19年)3月には、自衛隊と[[オーストラリア軍]]とが[[国際連合平和維持活動]](PKO活動)の共同訓練、反テロ活動、[[津波]]など地域災害に協力して当たることなどが盛り込まれた[[安全保障協力に関する日豪共同宣言]]に調印した。これにより、日本にとって安保分野で正式な協力関係を結ぶ(アメリカに続く)2番目の国となる。\n\n{{See also|日豪関係}}\n\n{{RUS}} :[[日露関係史|日露関係]]は断続的に関係が深まる時期をはさみつつも、対立の時期が長い。これはロシアが伝統的に[[南下政策]]を取り、太平洋への出口を求めたため、通り道の日本との間に地政学的な対立構造があるからである。満州・朝鮮半島の支配権をめぐって[[1904年]](明治37年)に始まった日露戦争や、1917年(大正6年)に起こったロシア革命に日本などの諸国が干渉して起こした[[シベリア出兵]]、終戦直前にソ連軍が[[日ソ中立条約]]を一方的に破棄して日本支配地域に侵攻した[[ソ連対日参戦]]などが起こってきた。日本の[[ポツダム宣言]]受諾による終戦後も南樺太と千島列島への侵攻を続け併合し、日本人を捕虜として連行して[[シベリア抑留]]するなどの行為が日本の人々の反感を生み、1956年(昭和31年)の[[日ソ共同宣言]]で一応国交が回復した後も、冷戦の中で緊張関係が続いてきた。1986年(昭和61年)以降に関係の改善が進み、現在の両国の間では、経済的な交流も盛んだが、領土問題やそれに起因する漁民銃撃・拿捕事件、資源問題([[サハリン2]]を参照)なども生じており、その関係は円滑ではない。\n\n{{See also|日露関係史}}\n\n=== ユーラシア ===\n[[南アジア]]各国とは友好関係を保っている。日本は被爆国であるため、核実験を行ったインドや[[パキスタン]]と距離を置いていた時期もあったが、近年、両国との関係が重視されるようになり、2006年(平成18年)に[[外務省]]アジア大洋州局に南部アジア部を新設した。\n\n[[中央アジア]]諸国は、かつて[[シルクロード]]経由で日本へも文化的な影響を及ぼしていたが、現在の人的な関係は乏しい。また、経済基盤の貧弱な国が多く、更に海に面していないために輸送コストなども掛かるなどの理由から、一部の希少な地下資源を除き、貿易などの経済的な関係も他地域と比べて活発と言えない状況にある。ただ、この地域に栄えた古代王朝や仏教遺跡の研究などの学術関係での交流は活発である。\n\n[[西アジア]]は主要な原油供給元であり、経済的に密接な関係を保っている。しかし文化的交流は比較的乏しい。但し、宗教的な対立要因が無いため、住民の対日感情は比較的良好とされる。\n\n第二次世界大戦以降、[[西ヨーロッパ]]を中心とする[[北大西洋条約機構]]諸国と間接的な同盟関係にある。また、皇室は、イギリスや[[オランダ]]、[[スウェーデン]]、[[ベルギー]]などの[[ヨーロッパ]]各国の[[王室]]と深い友好関係を築いている。一方、特にオランダなどには、第二次大戦で交戦したことによる悪感情が一部に残っているとも言われる<ref>松尾美江「オランダ日系2世、父捜し―インドネシア駐留兵の子ら 平戸で交流会」『朝日新聞』2008年9月10日付朝刊(長崎)、31頁。</ref>。\n\n{{IND}} :今後関係が特に親密になると期待されている国のひとつで、近年の著しい経済発展や、[[情報技術]]での実績が注目されている。日本とインドは[[G4]]として共に行動する立場であり、2008年(平成20年)10月には、両国首脳が日印安全保障協力共同宣言([[日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言]])に署名し、日本にとって、アメリカ、オーストラリアに次いで、安全保障分野で正式な協力関係を結んだ3番目の国となった<ref>{{Cite web|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081022/plc0810222023008-n1.htm|work=産経新聞|title=日印首脳会談、安保共同宣言に署名|accessdate=2008-10-22}}</ref>。さらに2010年、日本とインドは関税を段階的に撤廃するFTA(自由貿易協定)を柱としたEPA(経済連携 協定)を締結することで大筋合意した。これが達成されれば、日本からインドへの輸出の約90%、インドから日本への輸出では約97%に相当する物品で、10年以内に関税がゼロになる。\n\n{{PAK}} :[[1998年]](平成10年)の地下核実験から[[2005年]](平成17年)4月まで援助を停止していた。しかし、[[自衛隊イラク派遣]]などで、安全保障の観点から中東への影響力が強いパキスタンの協力が必要と感じた日本政府は、当時の[[小泉純一郎]]首相が訪問したのを機に有償資金援助を再開した。\n\n{{BAN}} :世界最貧国の一つとも言われ、日本は、経済、保健、自然災害対策など多くの面で援助を行っている。\n\n{{AFG}} :日本は、[[バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群]]の修復などに多額の援助を行っている。アメリカ合衆国が行った[[アフガニスタン侵攻 (2001)|武力攻撃]]を支持したが、部隊の派遣は、[[自衛隊インド洋派遣]]に留めている。\n\n{{IRQ}} :イラク戦争の後、自衛隊イラク派遣を行った。\n\n{{ISR}} :日本は、[[中東戦争|中東和平]]や[[パレスチナ問題]]に関して中立の立場であり、政府高官が訪問する際には、イスラエル・[[パレスチナ自治政府]]の双方と会談が設定される等、バランスが図られている。\n\n{{FRA}} :[[日仏関係]]は、政治・経済面よりも文化面での交流が深い点に特徴がある。フランス文化は、美術、音楽、食文化、文芸などの面で日本の近代化に大きな影響を与えた。\n\n{{GER}} :[[日独関係]]は、日本が近代化を進めるにあたって、イギリスおよびアメリカ合衆国との関係に次いで重要な役割を果たした。科学技術・音楽・法律・文芸などにおけるドイツの影響は、現在の日本にも色濃く残っている。第一次世界大戦で日本とドイツは交戦国となり、勝利した日本はアジア太平洋におけるドイツの利権を獲得する。第二次世界大戦で日本とドイツは対ソ連を意識して[[日独伊三国軍事同盟]]を結んだが、同盟はついに実効的なものとはなり得ず、両国は互いに不本意ながら米英を敵に回し敗北するという結末となった。戦後は、共に焼け野原から奇跡の復興を果たした経済大国として平和的な関係となり、重要なパートナーとしてイギリスやフランスを凌ぐヨーロッパ最大の貿易相手国となった。さらに、政治の面でも共に常任理事国を目指すG4のパートナーとして行動する。\n\n{{UK}}:[[日英関係]]は、江戸時代前期の[[三浦按針]]に始まり、途中日本の鎖国や第二次世界大戦による中断をはさみながら長く続いている。特に強調されるのは19世紀後半から20世紀初頭の日本の近代化に果たしたイギリスの役割であり、イギリスは経済・文化・学術・政治・軍事のあらゆる面において日本に最も強い影響力があった。1902年、両国はロシアへの対抗として日英同盟を結び、日露戦争や第一次世界大戦、シベリア出兵において相互に支援を行った。しかし、日中戦争と日独伊三国同盟によって両国は敵対することとなり、第二次世界大戦において交戦国となった。終戦後、イギリスは連合国の日本占領に参加した。占領終了後は経済・文化面でも深い関係を築いている。\n\n=== 中央・南アメリカ ===\n[[中央アメリカ]](中米)諸国とは、人的・文化的な交流に乏しいものの、経済的な関係を中心に平穏な関係を保つ。また、[[キューバ]]などの[[社会主義国]]とも経済・文化の両面で友好的な関係が築かれ、[[ペルー日本大使公邸占拠事件]]でも日本の要請を受けたキューバが[[ゲリラ]]の[[亡命]]受け入れを受諾するなど協力した。\n\n[[南アメリカ]](南米)は、地理的に[[地球]]の真裏に位置するが、下記のように19世紀の後半から[[ペルー]]や[[アルゼンチン]]と深い友好関係を有する。また、かつて日本からの移民を大量に受け入れた経緯もある。貿易関係では、[[チリ]]との関係が特に大きく、戦前からの友好関係が続くアルゼンチンや[[パラグアイ]]といった親日的な国も多い。\n\n{{MEX}} :中米諸国の中で最も関係が深い。明治の[[開国]]以降に結ばれた[[日墨修好通商条約]]は、それまで列強各国の[[不平等条約]]に苦しめられてきた日本にとって、初めての平等条約である。その関係で、数ある諸外国の[[大使館]]の中でも国政の中枢地区ともいえる[[永田町]]に在るのは、メキシコ大使館のみである。多数の日本企業が進出するなど経済的な関係も深い。\n\n{{PER}} :1872年(明治5年)に[[マリア・ルス号事件]]をキッカケに修交が始まった。多くの移民が渡り、ラテンアメリカで二番目に日系人口が多く、1990年代に日系人である[[アルベルト・フジモリ]]([[スペイン語]]で「フヒモリ」)が大統領に就任して急速に関係が緊密化したが、失脚の後、日本に亡命した。\n\n{{ARG}} :[[1898年]](明治31年)、ロシアとの戦争に備えて軍艦リバダビア、モレノをそれぞれ[[春日 (装甲巡洋艦)|春日]]、[[日進 (装甲巡洋艦)|日進]]として購入し、それらが日露戦争で活躍したことなどから本格的な関係が始まった。また、マルビーナス戦争([[フォークランド紛争]])の最中、アメリカやイギリスなどからの再三の要請にもかかわらず、アルゼンチンへの禁輸措置を行わないなどの日本の独自外交は、アルゼンチンの知日家から高く評価される。\n\n{{BRA}} :約180万人という海外で最大規模の日系人社会が築かれていることもあり、政治・経済のみならず、文化的な面からも非常に深い関係を保つ。特に、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]が始まって以降、ブラジル人選手が最多数の外国人選手であり続けている。また、G4として共に常任理事国を目指していることもあり、国際政治上で連携することも多い。\n\n=== アフリカ ===\n[[アフリカ]]諸国は、日本とは歴史的に関係が薄く、観光地としても[[エジプト]]などの一部を除いて大きな人気があるわけでもない。主に日本からアフリカ諸国への開発援助と、アフリカ諸国からの地下資源や農水産物の輸入と日本からの工業製品の輸出という貿易関係に終始している。\n\n1993年(平成5年)から、[[政府開発援助|ODA]]などの経済支援を含む経済的・人的な交流を深める目的で、日本、国際連合、[[アフリカのためのグローバル連合]]、[[世界銀行]]が共催し、[[アフリカ開発会議]](TICAD:Tokyo International Conference on African Development)を開始した。\n\n近年、アフリカ諸国に大使館を増やすなど関係強化に乗り出している。その背景として、中国が現地に在住の[[華僑]]などを活用してアフリカ諸国との関係強化を行っている情況がある。これは、資源確保や国連での票固めなどが目的であると指摘されている。\n\n[[サッカー]]などスポーツの分野においては、アフリカ諸国を日本に招いた試合が行われており、良好な関係を築いている。\n\n{{RSA}} :[[アパルトヘイト]]で世界から孤立していた時代にも、多くの日本企業が進出して比較的密接な関係を築いていた。このため、国際社会から厳しい非難を浴びていた時期に、日本人は同国から「[[名誉白人]]」(国連から非難決議を受けた)の扱いを受けていた。\n\n=== BBC国際世論調査 ===\n{|class="wikitable" style="border:1px black;float:right;margin-left:1em;"\n|-\n|<div style="width:380px;height:24px;font:11pt \'Meiryo\';text-align:center">日本の影響力について(2012 BBC Poll<ref name="bbc_pole_2012">http://www.globescan.com/images/images/pressreleases/bbc2012_country_ratings/2012_bbc_country%20rating%20final%20080512.pdf</ref>)</div>\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'"></div>\n|<div style="width:20px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000"></div>\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">肯定的</div>\n|<div style="position:relative;left:150px;width:20px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000"></div>\n|<div style="position:relative;left:150px;width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">否定的</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">ナイジェリア</div>\n|<div style="width:240px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">80</div>\n|<div style="position:relative;left:30px;width:30px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">10</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">インドネシア</div>\n|<div style="width:231px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">77</div>\n|<div style="position:relative;left:54px;width:15px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">5</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">アメリカ</div>\n|<div style="width:222px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">74</div>\n|<div style="position:relative;left:24px;width:54px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">18</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">カナダ</div>\n|<div style="width:216px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">72</div>\n|<div style="position:relative;left:36px;width:48px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">16</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">イギリス</div>\n|<div style="width:210px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">70</div>\n|<div style="position:relative;left:39px;width:51px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">17</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">ケニア</div>\n|<div style="width:204px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">68</div>\n|<div style="position:relative;left:51px;width:45px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">15</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">フランス</div>\n|<div style="width:198px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">66</div>\n|<div style="position:relative;left:30px;width:72px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">24</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:6pt \'Meiryo\'">オーストラリア</div>\n|<div style="width:195px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">65</div>\n|<div style="position:relative;left:36px;width:69px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">23</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">スペイン</div>\n|<div style="width:186px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">62</div>\n|<div style="position:relative;left:63px;width:51px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">17</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">ブラジル</div>\n|<div style="width:180px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">60</div>\n|<div style="position:relative;left:54px;width:66px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">22</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">ドイツ</div>\n|<div style="width:174px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">58</div>\n|<div style="position:relative;left:39px;width:87px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">29</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">チリ</div>\n|<div style="width:171px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">57</div>\n|<div style="position:relative;left:93px;width:36px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">12</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">ペルー</div>\n|<div style="width:171px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">57</div>\n|<div style="position:relative;left:87px;width:42px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">14</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">エジプト</div>\n|<div style="width:171px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">57</div>\n|<div style="position:relative;left:84px;width:45px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">15</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">ロシア</div>\n|<div style="width:162px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">54</div>\n|<div style="position:relative;left:108px;width:30px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">10</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">ガーナ</div>\n|<div style="width:144px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">48</div>\n|<div style="position:relative;left:126px;width:30px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">10</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">インド</div>\n|<div style="width:132px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">44</div>\n|<div style="position:relative;left:135px;width:33px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">11</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">メキシコ</div>\n|<div style="width:132px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">44</div>\n|<div style="position:relative;left:90px;width:78px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">26</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">日本</div>\n|<div style="width:123px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">41</div>\n|<div style="position:relative;left:150px;width:27px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">9</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">パキスタン</div>\n|<div style="width:123px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">41</div>\n|<div style="position:relative;left:126px;width:51px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">17</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">韓国</div>\n|<div style="width:114px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">38</div>\n|<div style="position:relative;left:12px;width:174px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">58</div>\n|}\n{|\n|-\n|<div style="width:60px;height:11px;font:7pt \'Meiryo\'">中国</div>\n|<div style="width:48px;height:11px;background:#3333ff;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#ffffff">16</div>\n|<div style="position:relative;left:63px;width:189px;height:11px;background:#ff7744;text-align:center;font:7pt \'Times New Roman\';color:#000000">63</div>\n|}\n|}\n\n[[英国放送協会|BBC]]による国際世論調査では、好ましい国の上位に挙げられている。2013年実施の調査結果では好ましい国の4位となっているが、[[大韓民国]]、[[中華人民共和国]]からの評価は低い<ref name="bbc_pole_2012"/>。\n\n=== 領土問題等 ===\n以下の[[領有]]を巡る領土問題等を抱える。\n\n; 日本政府が「解決すべき領土問題」と認識して国際的な了承を得ているもの\n\n; [[北方地域]]\n[[File:Hoppo.png|thumb|A.[[歯舞群島]]、B.[[色丹島]]、C.[[国後島]]、D.択捉島]]\n: {{Main|北方領土問題}}\n: 第二次世界大戦の終結が決定的となる日本によるポツダム宣言の受諾(1945年(昭和20年)8月14日)後、1945年(昭和20年)8月28日から9月5日にかけ、大戦前から日本が領有していた千島列島(ロシア名:クリル諸島)に日ソ中立条約の破棄を通告したソ連軍が侵攻し占領した。以後、ソ連を承継した[[ロシア連邦]]が現在に至るまで実効支配している。\n: ロシア(ソ連)は、戦争で獲得した領土と主張する。一方、日本は、北方地域([[歯舞群島]]・色丹島・国後島・択捉島)をその固有の領土として返還を求めている。ロシアは、歯舞群島・色丹島について日ソ共同宣言を根拠に日本への将来の返還を示唆している。日本は、択捉島・国後島を含む4島の一括返還を求め、これを拒否する。また、日本は、択捉島と[[得撫島]]との間での国境の確定にロシアが同意すれば、引き続きロシアによる統治を認める旨を提示したが、ロシアが拒否した。2007年(平成19年)にロシアが「面積二分割」案を提示した。現在、解決の目処が立っていない。樺太・千島列島を日本領と主張する有識者、団体も存在し、日本共産党は、千島列島の全域を日本の領土と主張する(ソ連による千島の占領が[[カイロ宣言]]等で示された連合国の「領土不拡大」原則に反し、違法であるとの理由から)ほか、一部では南樺太ないし[[樺太|樺太(全域)(サハリン)]]の返還も主張される。日本側は南樺太と千島全島はロシアとの間に領有権未定だと主張している。\n\n; 相手国政府は「領土問題」はないと認識しているが、日本政府が「解決すべき領土問題」と認識しているもの\n; [[竹島 (島根県)|竹島]](韓国・朝鮮名:独島)\n[[File:Shimane Goko-vill Takeshima.png|thumb|竹島(韓国名:独島)の位置]]\n: {{Main|竹島 (島根県)}}\n: 日本の島根県・[[隠岐島]]から北西約157km、[[大韓民国]]の[[慶尚北道]]・[[鬱陵島]]から約92kmに位置する、2つの岩礁からなる小島である。日韓が領有を主張(韓国を[[朝鮮民主主義人民共和国]]も支持)して対立する。\n: 韓国併合以前、[[大日本帝国]]と[[大韓帝国]]と、どちらの領土だったかを巡る議論に帰する。日本の国内法上、[[1905年]](明治38年)の[[閣議決定]]・島根県[[告示]]によって編入された。これについて韓国は、「秘密裏に、また強制的に行われたものであり、法的根拠は持たず無効である。」と主張するが、日本は、「[[国際法]]に則った適法な手続きがなされたものであり、また新聞などでも報道されており秘密裏に行われたとの指摘は当たらない」と主張する。韓国は、独立から間もなく李承晩ラインを一方的に設定し、その内に入った日本の漁船・漁民を[[拿捕]]して[[釜山広域市|釜山]][[収容所]]に抑留したのみならず、[[第一大邦丸事件]]など漁船を相次いで銃撃し、多数の死傷者を出した。その後の日韓国交正常化交渉で李承晩ラインの不当性や竹島の領有を日本が強く主張し、1965年(昭和40年)に李承晩ラインが廃止された<ref>1996年[[2月29日]]、[[毎日新聞]]記事より。</ref>。\n: [[1954年]](昭和29年)7月に[[大韓民国海軍|韓国海軍]]が占拠し、現在、[[独島警備隊]]が引き継いで駐屯する。これに対して日本は、韓国による不法占拠として抗議し続け、また、1954年と1962年に[[国際司法裁判所]]への付託を提案したが、韓国は、これに同意しない。\n: 韓国民にとって独立の象徴と考えられていること、周辺の海域が豊かな漁場であること、また、莫大な[[メタンハイドレート]]や海底油田の埋蔵が推測されること、などが解決を難しくしている。\n: 1965年の日韓基本条約の締結の際には日韓の実力者交渉で「竹島爆破」による領土問題の解消も囁かれたものの至らず、条約締結以降は外交的配慮で日本側からの提訴は控えられ、民主党政権では政府見解から「不法占拠」の表現が曖昧になるなど引け目になっていたが、2012年に李明博大統領による韓国トップとしては初の竹島上陸が強行されたことに対する世論の批判を受けた形で3度目の提訴が予定されている。\n\n; 日本政府は「領土問題はない」と認識しているが、外国から領有権の主張がなされているもの。\n{{Location map\n| Japan Ryukyu Islands\n| lat = 25.77\n| long = 123.53\n| label = 尖閣諸島\n| label_size =\n| position = right\n| background =\n| mark =\n| marksize =\n| width = 200\n| float =\n| border =\n| caption = [[尖閣諸島]]の位置(座標は[[魚釣島]])\n| alt =\n| AlternativeMap =\n}}\n; [[尖閣諸島]](中国名:釣魚台列島など)\n: {{Main|尖閣諸島問題}}\n: 1895年に、尖閣諸島を日本の領土に編入することを閣議決定している。第二次世界大戦後は、[[沖縄県|沖縄]]([[琉球諸島]]および大東諸島)の一部としてアメリカ合衆国の[[施政権]]の下にあった。沖縄返還時に、施政権が日本に返還されて以降、現在まで日本が実効支配するが、その他に中華人民共和国(中国)および[[中華民国]](台湾)が領有を主張する。日本政府は「日本固有の領土にして統治されている尖閣諸島に領土問題は存在しない」という見解を示している。上の経済水域の問題や中台間の問題も絡み、複雑化の様相を呈する。アメリカ合衆国との沖縄返還交渉および1970年代初頭の東シナ海における天然ガス発見を機に、表面化した。中台に対抗し、度々、日本の右翼団体が上陸して灯台を建設(現在、日本政府が管理)するなどした。2005年(平成17年)、台湾の漁民が海上保安庁による取締に対して海上で抗議デモを行った。2002年(平成14年)からは政府が私有地を借りる形で管理し2012年(平成24年)には国有化されており、許可なく民間人の立ち入りが出来ない状況であるが、近年の中国人活動家による領海侵犯・不法上陸に対する政府の対応の甘さを指摘する世論の反発を受けている。2010年9月、尖閣諸島周辺海域で海上保安庁の巡視船に衝突した中国漁船船長の身柄を拘束した際、アメリカ政府も日本政府に釈放圧力をかけた<ref>http://sankei.jp.msn.com/world/news/130607/amr13060722460012-n2.htm</ref>。\n\n; その他\n: 領土問題に準じる、いくつかの問題がある。\n:; 日中間の排他的経済水域\n[[File:East China Sea natural gas field problem (China - Japan) NT.PNG|thumb|1.平湖ガス田<br/>2.断橋ガス田<br/>3.天外天ガス田<br/>4.春暁ガス田<br/>5.日本が主張するEEZ境界線<br/>6.中国が主張するEEZ境界線]]\n:: {{Main|東シナ海ガス田問題}}\n:: 中華人民共和国(中国)との間における、東シナ海で両国が主張する排他的経済水域の範囲の違いに起因する。日本は、両国の国境の中間線を境界線として主張し、中国は、ユーラシア大陸の大陸棚部分を自国の領域と主張する。国際的には、日本の主張が優勢であるが、中国と同様の主張をする国も存在し、現在、平行線を辿る。\n:: 近年、この問題が重要化したのは、この海域の地下に豊富な[[天然ガス]]の存在が明らかになったためである。中国は、天然ガスを採掘するプラント(春暁ガス田)を日本が主張する境界の近辺(中国側)に建設するなど強硬な姿勢を取る。これに対して日本は、日本側の資源も採掘される可能性があるとして抗議し、また、この海域での[[鉱業権#鉱業権の種類|試掘権]]を設定し、日本の企業が取得した。日本が国際司法裁判所に判断を委ねようとする立場なのに対し、これに同意しない中国は、両国での共同開発を提示するが、日本は、これを中国に有利な条件と認識するなど、依然、解決の糸口が見えない。\n\n:; [[沖ノ鳥島]]\n:: 日本政府は1931年7月の[[内務省 (日本)|内務省]]告示以来沖ノ鳥島を島として支配しそれを継続していること、また国連海洋法条約において島の定義が存在しないことを理由として、沖ノ鳥島を「島」であるとしている<ref>{{Cite web|date=|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/hodokan/hodo1001.html|title= 報道官会見記録(要旨)(平成22年1月)|publisher= 外務省|accessdate=2012-04-28}}</ref>。それに対して中国および韓国は、沖ノ鳥島に関する日本の権利を認めながらも、国連海洋法条約121条3項における「岩礁」の定義に基づいて沖ノ鳥島は岩礁であると主張しており、沖ノ鳥島を起点に設定される日本のEEZについてもを認めていない。\n:; [[日本海]]の呼称\n:: {{Main|日本海呼称問題}}\n:; 与那国島上空の[[防空識別圏]]\n:: {{See also|与那国空港#防空識別圏問題}}\n:: 与那国島の西2/3が、[[アメリカ合衆国による沖縄統治|沖縄のアメリカ統治期]]に東経123度線に沿って設置された防空識別圏(ADIZ、アディズ)を引き継いでいるため、中華民国(台湾)の管理下にある。現在、両国の関係が良好であるために情報の交換もスムーズだが、[[台湾有事]]において防衛上の重要な問題となる可能性が高い。2005年(平成17年)末から2006年(平成18年)にかけて台湾が防空識別圏から与那国島を外して運用していたことも判明しているが、特に両国で取り決められたわけでもなく、曖昧なままである。\n:: 2010年[[6月25日]]、日本は防衛省訓令改正により防空識別圏を与那国上空にも広げた。台湾には外交ルートを通じて説明した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100526/plc1005261712008-n1.htm 与那国島沖に拡大 防空識別圏、台湾に説明 - [[産経新聞]]]{{リンク切れ|date=2011年3月}} 2010年5月26日</ref>が、台湾の外交部は「事前に我々と十分な連絡をとらなかった」として遺憾の意を表明<ref>[http://www.asahi.com/international/update/0529/TKY201005290262.html 台湾が「遺憾」 与那国島付近の防空識別圏見直し - [[朝日新聞]]]{{リンク切れ|date=2011年3月}} 2010年5月29日</ref>、日本の決定を受け入れないとしている。\n:; [[南樺太]]・千島列島の放棄後帰属問題\n:: 南樺太および千島列島は、大日本帝国時代、「内地」であったが、[[サンフランシスコ平和条約]]で日本は領土を放棄した。しかし、ソ連・ロシアとは[[北方領土問題]]のみ解決などから領有権を認めず、「未帰属」後として扱った。しかし、ロシアが実効支配しており、マスコミでも日本語名称は使われなくなりつつある。(樺太→サハリン、豊原→ユジノサハリンスク、等)\n:: ロシアの対日宣戦布告が違法とする立場や、ソ連(ロシア)がサンフランシスコ平和条約を批准していないことを根拠に、「主権残留説」も出ており、一部の論者はこれらの地域の領有権を主張している。また、それとは別に[[日本共産党]]が千島列島返還を主張している。[[維新政党・新風]]は南樺太と千島列島の全域が日本領であるとしている。\n::日本政府はこれらの問題について、「未帰属」(=未解決)としており、ロシアとの平和条約が結ばれた後で解決するとしている。\n:;[[台湾]]の放棄後帰属問題\n::日本は台湾の領有権を放棄したが、いまだに[[中華人民共和国]]の領土とは、認めていない。一時は[[中華民国]]に割譲したが、今の日本政府は中華民国を「合法政府」とは認識しておらず、台湾の地位については、「発言する立場にない」としている。\n::台湾の主権が日本に残留している、あるいは、台湾の帰属は台湾住民の意思によって決定するべきである、という意見もある。\n:;韓国の反日過激派による[[対馬]]の領有権主張問題\n::大韓民国には、対馬は韓国領であると主張する、一部の過激派が存在する。\n::しかし、韓国政府もそのような主張は、決して承認しておらず、日韓の右派団体同士による衝突を除けば、国際問題にはなっていない。\n\n<!--\n北方領土や竹島の例は、武力による国際紛争の解決を憲法で放棄したことの理不尽さと無力さを証明する良い例である。実際に、単に主張して話し合いしているだけでは、主張が平行線のままで、半世紀以上たっても解決できていない。おそらく、今後も解決することはないだろう。尖閣諸島の実効支配について過激に反応する人がいるが、一度外国に実効支配を許してしまえば、現在の憲法下では、返還を実現することが著しく困難であることが背景にある。\n-->\n\n=== 渡航する日本人 ===\n; 安全\n: 近年、海外への渡航の増加に伴い、犯罪に巻き込まれるケースも増えている。特に[[アメリカ同時多発テロ事件]]以降、爆破や拉致・監禁事件なども多発し、有名な例としては、[[イラク日本人人質事件]]、[[アフガニスタン日本人拉致事件]]、[[アルジェリア人質事件]]では武装勢力に殺害される事件も2013年(平成25年)に起きた。また、2002年(平成14年)に[[ニューカレドニア]]のリゾート地で現地の風習・文化をよく知らずに[[聖地]]とされる場所に無断で侵入したために地元民に殺害される事件も発生した。\n: 世界的に最も良い方である[[日本の犯罪と治安|日本の治安]]、例えば殺人の発生率が低い順に第3位([[2000年]]〔[[平成]]12年〕)であることなど、日本人が日本での治安の感覚と同じように海外で行動すると、その感覚の大きな隔たりから犯罪に巻き込まれることがある。\n; [[マナー]]\n: 米最大手の旅行サイトである[[エクスペディア]]が行ったアンケート調査で、「行儀がいい」、「礼儀正しい」、「物静かで慎ましい」、「クレーム・不平が少ない」の各分野で1位を獲得するなど、2位のアメリカ人を大きく引き離して1位となった<ref>{{Cite web|url=http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0705/29/news077.html|work=ITmedia|title=日本人は「世界一歓迎される観光客」|accessdate=2007-5-29}}</ref>。\n: 一方、以下のような事例も存在する。\n:* タイやフィリピンなど東南アジアで日本人を含む先進国からの[[旅行]]者による[[児童買春]]が問題視される。日本では、国内外を問わず5年以下の懲役などを科す[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律]]が制定されているが、国外での行為が現地における日本・日本人に対する[[イメージ]]を大きく損なっている。\n:* 2008年(平成20年)[[11月26日]]、[[北海道栄高等学校]]の生徒21名が修学旅行中に立ち寄った[[ロサンゼルス]]の空港にある免税店で高級ブランド品の集団万引きを行い、アメリカのメディアで大きく報道された。\n\n== 治安維持 ==\n=== 対内 ===\n[[File:Jidai Matsuri 2009 004.jpg|thumb|国内の治安維持活動を行う[[日本の警察|警察]]]]\n{{Main|日本の警察|日本の犯罪と治安|日本の刑事司法}}\n[[警察]]の機構は、[[内閣府]]の一機関たる[[国家公安委員会]]・[[警察庁]]、そして各都道府県の[[公安委員会]]・[[警察本部]]による二層構造であり、後者の下部組織たる[[警察署]]、更に日本から発祥の[[交番]]の存在が地域の安全を担う。[[特殊急襲部隊|SAT]]等をも擁する文民警察である。\n\n他に、[[沿岸警備隊]]たる[[海上保安庁]]が[[国土交通省]]の[[外局]]として、また、[[国境警備隊]]たる機能の一部を担う[[法務省]][[入国管理局]]([[入国警備官]])や[[財務省 (日本)|財務省]]の[[税関]]([[税関職員]])、あるいは、特に[[薬物乱用|薬物犯罪]]を専門に管轄する[[厚生労働省]]の各[[地方厚生局]][[麻薬取締部]]([[麻薬取締官]])などが、それぞれ設置されている。\n\n[[銃砲刀剣類所持等取締法]]により、[[銃]]・[[刀剣]]などの[[武器]]の所持を厳しく規制している。[[国際連合薬物犯罪事務所]]の統計によれば、国連加盟192国の内、犯罪・刑事司法の統計を報告している国の中で、殺人、誘拐、強姦、強盗などの暴力犯罪の発生率が著しく低い<ref>{{Cite web|last=UNODC|title=Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Fifth Survey (1990 - 1994)|url=http://www.uncjin.org/Statistics/WCTS/WCTS5/wcts5.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref>{{Cite web|last=UNODC|title=Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Sixth Survey (1995 - 1997)>Sorted by variable|url=http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/Sixth-United-Nations-Survey-on-Crime-Trends-and-the-Operations-of-Criminal-Justice-Systems.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref>{{Cite web|last=UNODC|title=Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Seventh Survey (1998 - 2000)>Sorted by variable|url=http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/Seventh-United-Nations-Survey-on-Crime-Trends-and-the-Operations-of-Criminal-Justice-Systems.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref>{{Cite web|last=UNODC|title=Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Eighth Survey (2001 - 2002)>Sorted by variable|url=http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/Eighth-United-Nations-Survey-on-Crime-Trends-and-the-Operations-of-Criminal-Justice-Systems.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref><ref>{{Cite web|last=UNODC|title=Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Ninth Survey (2003 - 2004)>Values and Rates per 100,000 Total Population Listed by Country|url=http://www.unodc.org/unodc/en/data-and-analysis/Ninth-United-Nations-Survey-on-Crime-Trends-and-the-Operations-of-Criminal-Justice-Systems.html|accessdate=2008年8月26日 }}</ref>。その理由については、制度的な要素、社会的な要素、日本人の遵法意識の高さなど諸説あるが、その一つとして厳しい[[銃規制]]も挙げられる。但し、[[イギリスの銃規制]]に見られるように日本と同等ないし罰則だけなら日本よりも厳しいのにもかかわらず、殺人事件に占める銃の使用される比率が日本の倍を超える国が存在するなど、銃規制のみが治安維持に貢献しているわけではない。\n\n=== 対外 ===\n{{Main|日本国憲法第9条|日本の軍事|有事法制|防衛省|自衛隊|自衛隊法|日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米地位協定}}\n<!--ページ軽量化のため一部上項目へ移転しています-->\n\n日米安全保障条約に基づき、[[在日米軍]]が駐留する<ref>日本有事の際米軍は自動参戦ではない。米軍はアメリカ大統領命令により軍事行動を開始するが、大統領命令から二ヵ月を経過した場合、米軍の活動継続には米国議会の同意が必要となる。最初の大統領命令、そして二ヵ月経過後議会の同意がなければ、米軍による日本の防衛は行われない。 田母神俊雄 『田母神国軍』ISBN 978-4819111164</ref>。また、事実上の軍隊<ref>憲法との兼ね合いから正式な国軍化がされておらず、政策的な制約が多く存在する。憲法が特別裁判所の設置を禁じているため、軍法会議も有しない。しかし、ハーグ陸戦条約が定めるところの交戦資格を持つ団体の条件を有しており、国際的に軍隊として扱われる。装備や編成も軍隊に準じており、各種制約を加味しても事実上の軍隊と見做されている</ref>自衛隊は、[[陸上自衛隊]]・[[海上自衛隊]]・[[航空自衛隊]]から構成され、内閣総理大臣および[[防衛大臣]]による[[文民統制]]の下、[[防衛省]]によって管理される。また、事実上の[[準軍事組織]]として沿岸警備隊たる[[海上保安庁]]が存在するが、海上保安庁に対処が困難な事態が発生した場合、主に海上自衛隊が担当する。\n\n大日本帝国憲法の[[統帥権]]を根拠に旧[[日本軍]]が政治に深く関与したことへの反省から、自衛隊法第7条により、内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮監督権を持つと規定され、文民統制に注意が払われている。また、同じく戦前への反省から[[自衛隊海外派遣]]は長らく行われてこなかったが、[[自衛隊ペルシャ湾派遣]]や[[自衛隊カンボジア派遣]]を契機に開始された。現在では、海外派遣任務は自衛隊の主要任務となっている。\n\n第二次世界大戦後、日本の部隊は、その所属にかかわらず、一切の直接の[[戦闘]]を経験していない。連合国軍の占領下にあった[[1950年]](昭和25年)、朝鮮戦争で海上保安庁の機雷掃海部隊([[日本特別掃海隊|特別掃海隊]])が派遣されたことがあり、死傷者も出している。公開演習などを通じて高い練度を評価されることも多いが、他国の軍隊や[[民兵]]組織と交戦に至った経験はなく、実際の戦闘においての能力は、未知数である。\n\n(イギリスの経済紙・[[エコノミスト]]の調査部門である[[エコノミスト・インテリジェンス・ユニット]]が平和の指標として24項目を数値化する)「[[世界平和度指数]]」の2009年(平成21年)度版によると、戦争・内戦・テロ、それによる死傷者が無く、軍事費のGDP比が低く、犯罪率が低いことなどから、[[ニュージーランド]]、[[デンマーク]]、[[ノルウェー]]、[[アイスランド]]、[[オーストリア]]、スウェーデンに次いで7位に評価され、2010年には3位とされている<ref>[http://www.visionofhumanity.org/gpi/about-gpi/methodology.php Vision of Humanity>Global Peace Index - Methodology and Data Sources] 2009年10月6日閲覧</ref><ref>[http://www.visionofhumanity.org/gpi/results/rankings.php Vision of Humanity>Global Peace Index] 2009年10月6日閲覧</ref>。ただ、この指標にはアメリカに防衛を依存している日本などに対し有利な計算方法との指摘が出ている。\n<div style="text-align:center"><gallery>\nFile:JGSDF 22nd Inf. official.jpg|[[陸上自衛隊]]\nFile:US Navy 051115-N-8492C-125 The Japan Maritime Self-Defense Force (JMSDF) destroyer JDS Kongou (DDG 173) sails in formation with other JMSDF ships and ships assigned to the USS Kitty Hawk Carrier Strike Group.jpg|[[海上自衛隊]]\nFile:Mitsubishi F-2 landing.JPG|[[航空自衛隊]]\n</gallery></div>\n\n==== 要員・装備・予算 ====\n以下のような政策・傾向を継続している。\n# 防衛費の絶対額では世界上位。しかし、国の経済力に対する防衛費の割合は、著しく低水準に抑えられている。\n# [[兵士|兵員]]・[[戦車]]・[[作戦機]]・[[軍艦]]の数などに見られる規模の小ささを、質の向上や同盟国([[アメリカ合衆国]])の能力によって補完する。\n# 近年は財政状況の悪化により、仮想敵国や周辺諸国との協調的な[[軍縮]]でなく、単独で一方的・自主的に軍縮する。\n\n[[ストックホルム国際平和研究所]](SIPRI)の統計によると、以下の通りである。\n# [[国内総生産]](GDP)に対する軍事費の割合ランキングは、世界の150位前後である<ref>[http://milexdata.sipri.org/ SIPRI>Databases>sources and methods>SIPRI military expenditure database on line>SIPRI Military Expenditure Database] 2009年10月6日閲覧</ref>(これは、アメリカ[[中央情報局]](CIA)の発行する CIA World Factbook の統計においても同様である<ref>[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/rankorder/2034rank.html?countryCode=ja&rankAnchorRow=#ja CIA>World Factbook>Country Comparison>Military expenditures] 2009年10月6日閲覧</ref>)。\n# 2008年(平成20年)度の防衛に関連する予算の総額は、為替レートベースで463億(アメリカ)ドルであり、1位のアメリカ合衆国、2位の中華人民共和国、3位のフランス、4位のイギリス、5位のロシア、6位のドイツに次ぎ、世界7位である<ref name="major-miritary-spender">[http://www.sipri.org/research/armaments/milex/resultoutput/15majorspenders SIPRI>Military Expenditure and Arms Production>data on military expenditure>The 15 major spender countries in 2008(table)] 2009年10月6日閲覧</ref>。\n# [[1999年]](平成11年) - 2008年(平成20年)の10年間の軍事費の増減率は、中国が194%増、ロシアが173%増、韓国が51.5%増、日本が1.7%減であり、周辺諸国に対して相対的に低下している<ref name="major-miritary-spender"/>(これについてはアメリカからも懸念が示されている<ref>同盟国米による指摘と是正要請[http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080520AT2M2001H20052008.html シーファー米駐日大使、防衛費の増額を期待(産経新聞2008年5月20日配信)]{{リンク切れ|date=2010年3月}}[http://www.japantoday.com/category/commentary/view/japan-unlikely-to-follow-us-on-defense JapanToday版] </ref><ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2010072701123 米国防次官補「防衛予算や思いやり予算を増やすべき」時事通信2010年7月27日]</ref>)。\n\nこのように GDP に対する割合の順位(世界の150位前後)に比べてドル換算した絶対額の順位(世界7位)の方が格段に高い理由として、以下が挙げられる。\n# GDP そのものが大きく、国力が高い。\n# 円が[[国際通貨|強い通貨]]である。\n# 広大な領海・[[排他的経済水域|EEZ]]と長大なシーレーンを抱える。\n# 周囲を軍事大国に囲まれる。\n# 規模が相対的に小さい故に、質の高い要員・装備を目指しているため、装備調達や訓練にコストがかかる傾向にある。\n# 人件費が高く、予算の大きな部分を占める。\n# 装備の国産化を指向するにもかかわらず、[[武器輸出三原則]]で輸出を自粛していたため、購入単価が下がらない(しかし、2014年4月第二次安部内閣によって防衛装備移転三原則へと移行したため改善する可能性もある。)。\n; 要員\n: {{Main|自衛官|即応予備自衛官|予備自衛官|予備自衛官補|防衛省職員|自衛隊員|防衛書記官|防衛部員}}\n: 2009年(平成21年)における自衛官の定員(千人未満を四捨五入)は、陸自が約15万2千人、海自が約4万6千人、空自が約4万7千人、合計24万8千人、実数は、陸自が約14万4千人、海自が約4万3千人、空自が約4万4千人、合計23万3千人である。特徴として、[[予備役]]に相当する予備自衛官等が約4万8千人であり、現役と比べての割合が非常に少ない(通常、予備役の数は現役の数を超える)。\n: 防衛省の文官は、2万2千人である<ref>[http://www.mod.go.jp/j/library/archives/yosan/2009/yosan.pdf 防衛省>法令、予算及び決算>防衛予算関連文書>我が国の防衛と予算>平成21年度予算の概要>PDFの27ページ、文書の24ページ] 2009年10月6日閲覧</ref>。\n: [[徴兵制度]]は第二次大戦以降、廃止されている。\n; 装備\n: {{Main|陸上自衛隊の装備品一覧|海上自衛隊の装備品一覧|航空自衛隊の装備品一覧|武器輸出三原則}}\n: 定評ある海外製の兵器や、それと同等ないしさらに高性能と見られる国産装備を多く保有する。高い基礎工業力を生かし、車両や艦船の多く、そして航空機の一部が独自開発である。ただし、それらの輸出は武器輸出三原則によって自粛してきた。また、他国の製品であっても[[ライセンス生産]]を行うなど、可能な限り、国内で調達する傾向がある。これによって、自衛隊の調達する兵器の多くは海外の同等のものよりも高コストとなっているが、他国の意志に左右されず兵器本体および保守部品の生産ができ、兵器の製造ノウハウを蓄積することによって、保守・運用の効率を高め、ひいては稼働率を高く保つことを狙っている。\n; 予算\n: かつては防衛費をGNPの1%以下に抑える[[防衛費1%枠]]という閣議決定があり、現在は撤廃されているが、現在でもこの割合が基本となっている。\n: 2008年(平成20年)度の GDP に対する防衛費の割合は、SIPRI の統計による世界全体の GDP に対する軍事費の割合2.4%に対し、0.94%である<ref>[http://www.sipri.org/research/armaments/milex/resultoutput/trends SIPRI>Military Expenditure and Arms Production>data on military expenditure>Recent trends in military expenditure] 2009年10月6日閲覧</ref><ref>[http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/qe091-2/jikei1.pdf 内閣府>統計情報・調査結果>SNA>2. 統計表一覧>法令、予算及び決算>1-2. 時系列表(GDP・雇用者報酬) (2) 時系列表 I. 国内総生産(支出側)及び各需要項目>名目暦年>PDFの31ページ] 2009年10月6日閲覧</ref><ref>[http://www.mod.go.jp/j/library/archives/yosan/2008/yosan_gaiyou.pdf 防衛省>法令、予算及び決算>防衛予算関連文書>我が国の防衛と予算>平成20年度予算の概要>PDFの32ページ、文書の30ページ] 2009年10月6日閲覧</ref>。\n: 2009年(平成21年)度の防衛に関連する予算の総額は、4兆7741億円(本体予算4兆7028億円+沖縄に関する特別行動委員会費112億円+米軍再編関係費602億円)、前年比で55億円(0.1%)減で、2002年(平成14年)度をピークに[[2003年]](平成15年)度から2009年(平成21年)度まで7年連続で微減傾向である<ref>[http://www.mod.go.jp/j/library/archives/yosan/2009/yosan.pdf 防衛省>法令、予算及び決算>防衛予算関連文書>我が国の防衛と予算>平成21年度予算の概要>PDFの31ページ、文書の28ページ&PDFの36ページ、文書の33ページ] 2009年10月6日閲覧</ref>。2012年に民主党政権から自民党政権へ政権が交代され尖閣諸島問題など緊迫する情勢から2013年度防衛予算ではおよそ11年ぶりである300億円の増額が決定された。また自衛隊員の増員も検討されているが、今のところ目途は立っていない。\n\n==== 情勢・脅威 ====\n[[冷戦]]の時代、[[ソビエト連邦]]が最大の[[仮想敵国]]であり、自衛隊の部隊も北海道など北方に重点が置いて配置されていた。冷戦は[[ソ連崩壊]]によって終結し、現在は軍拡を続ける中国、水際外交や国家犯罪を繰り返す北朝鮮の脅威の方が増している、これらへの対抗から部隊の西方への移転が進められている。[[防衛白書]]も、近年は中国・北朝鮮に対する脅威を主張している。しかし、根拠地の移転には広大な敷地や大規模な工事が必要なこともあり、あまり進んでいない。\n; アメリカ以外との[[安全保障]]協力\n: 2007年(平成19年)3月にオーストラリアとの間で安全保障協力に関する日豪共同宣言が、続けて2008年(平成20年)10月にインドとの間で日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言が、それぞれ調印された。\n; [[核抑止]]\n: {{See also|日本の原子爆弾開発|非核三原則}}\n: 日本は[[アメリカ軍]]の[[広島市への原子爆弾投下|広島]]・[[長崎市への原子爆弾投下|長崎]]への原爆投下によって無辜の一般市民が大量[[虐殺]]された経験から、国民レベルでは[[核抑止|核抑止論]]に対する抵抗・反発の感情が強い。しかし日本政府は「非核三原則」を標榜しつつも[[非核地帯]]宣言はせず、事実上の核抑止論の立場に立っており、アメリカの「核の傘」に頼っている。周辺諸国ではアメリカ、ロシア、中国が[[核兵器]]の大量保有国である上、北朝鮮が核兵器の開発の成功を発表している。それらに対し、独自の核保有もしくはアメリカとの[[ニュークリア・シェアリング]]を検討すべきという民間レベルの議論もあるものの、政府および国会に議席を持つ全ての政党が核兵器の開発・保有に反対している。\n; [[シーレーン]]防衛\n: 日本は、第二次大戦中に連合軍の通商破壊戦によってシーレーンを遮断され、物資が極度に窮乏する状況に追い込まれた。さらに1980年代より[[海洋国家としての日本|日本の海洋国家論]]の高まりと同時に、軍事のみならず、[[経済]]・食糧・[[エネルギー]]・環境などの[[総合安全保障]]の概念が認識されるようになった。漁業の安全や世界中との[[貿易]]での立国を維持する上でシーレーンの防衛([[海戦]]や[[通商破壊]]などの危険回避)が重要であるものの、グローバルに広がるシーレーンの全ての防衛を独力で完遂することは、現実的にも困難であり、憲法第9条の制約もある。よって、同じく海洋国家として「海洋の自由」を標榜し、グローバルに軍事展開するアメリカと協力することで、コストを抑制しての有効な海洋の安全を図っている。一方で、マラッカ海峡などの海賊や[[テロ]]も、東アジア全域のみならず、グローバルな共通の危機となり、[[非対称戦争]]に対応した[[国際]]的な警察力の強化、[[紛争]]予防も重要な課題となっている。\n; [[中華人民共和国]]\n: 21年連続で国防費の2桁成長という急速な[[軍拡]]を続け、軍事力の近代化を進めている。その実態や将来像、意思決定の過程が不透明であることが脅威である<ref>中国の軍事力を脅威にしがちな要因の1つは、その軍事態勢の秘密性にある。[http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35486 古森 義久(ジャパンビジネスプレス2012.06.20掲載)]より引用</ref>上に、文民統制が不十分で軍部の暴発すら心配される<ref>[http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37015 阿部純一『人民解放軍暴走の不安が消えない理由』中国における「文民統制」の虚構(ジャパンビジネスプレス2013.01.31掲載)]</ref>。日本とは海を挟んで接しているが、中国は[[第一列島線|外洋艦隊の建設によって海洋権益を拡張する姿勢]]を強めており、周辺国と[[南沙諸島|係争]]や[[西沙諸島の戦い|紛争]]を行っている。中でも[[台湾問題|台湾の併合(台湾回収)]]は国是<ref>「台湾は、中華人民共和国の神聖な領土の一部である。祖国統一の大業を完成することは、台湾の同胞を含む、全中国人民の神聖な責務である。」中国の憲法(国宪)序文より引用</ref>となっており、[[反分裂国家法|独立の動きがあれば武力侵攻することを示唆]]している。しかも中国の主張によれば台湾には沖縄県尖閣諸島が含まれており、[[尖閣諸島問題|中国の領有を主張している]]。さらには、中国の論壇にみられる[[中国人による沖縄県への認識|沖縄県の独立もしくは併合(琉球回収)]]の主張に対して、一部の軍人が同調する発言すらみられる。今後は南西諸島ないしは太平洋北西部(フィリピン海)に[[中国人民解放軍海軍]]が強い影響力を及ぼすことが懸念される。このような情勢の下で日本は、中国との対話を続ける一方で、中国の軍事力に対抗する抑止力を整備し、日米安全保障態勢の維持・強化を図る。\n\n== 経済・産業・交通 ==\n[[File:Bank of Japan 2010.jpg|thumb|left|[[日本銀行]]は、日本の[[中央銀行]]である(東京都[[中央区 (東京都)|中央区]] 日本銀行本店)]]\n[[File:Tokyo stock exchange.jpg|thumb|200px|left|[[東京証券取引所]]は、日本の証券取引所の中枢的存在である(東京都中央区)]]\n{{Main|日本の経済}}\n\n=== 規模・位置 ===\n資本主義・[[市場経済]]を採用する[[工業国]]であり、2010年時点で、国内総生産 (GDP) が[[国の国内総生産順リスト (為替レート)|USドル時価換算]]の[[為替レート]]で世界第3位([[国の国内総生産順リスト (購買力平価)|購買力平価 (PPP)]] で世界第3位)に位置する経済大国である。一人当たり GDP は2010年時点で、USドル時価換算で世界第16位、購買力平価 (PPP) で世界第24位である。\n\n{{See also|国の国内総生産順リスト (一人当り為替レート)|国の国内総生産順リスト (一人当り購買力平価)}}\n\n[[通貨]]である円 (¥, yen, JPY) は、高い[[信認]]を有する[[国際通貨]]の一つである。日本人は、その信認の高さから現金決済や貯蓄を好む傾向がある。[[1964年]](昭和39年)に[[経済協力開発機構]](OECD)に加盟し、サミット([[主要国首脳会議]]・当時のG5・後にG7・現在のG8)にも[[1975年]](昭和50年)の第1回から参加している。\n\n=== 経済史 ===\n明治以来、西欧型の[[民法典論争|民法典]]を導入し、[[財産権]]を基礎とした資本主義を経済の基本とする。第二次世界大戦時の[[戦時体制]]を経験した後、[[物価統制令]]や[[傾斜生産方式]]、[[外貨準備]]に伴う割当制など、[[経済産業省|通産省]]や[[大蔵省]]が主導する[[護送船団方式]]により、[[製造業]]を軸に[[高度経済成長]]を果たした。1968年(昭和43年)、[[国民総生産]] (GNP) ベースでアメリカ合衆国に次いで第2位の規模の資本主義国となった。他の資本主義諸国と比較して[[失業率]]も低く、「[[日本型社会主義|最も成功した社会主義国家]]」と言われた時代もあった。1974年(昭和49年)のオイルショックを機に[[安定成長期]]に入り、自動車、電化製品、コンピュータなどの軽薄短小産業(ハイテク産業)が急成長する[[産業構造の転換]]が進んだ。[[円高]]が進む中、比較劣位の産業のいくつかは、競争力を喪失して衰退し、[[自動車産業]]など、[[比較優位]]で[[競争力]]の高い[[輸出]]産業は、円高の波を乗り切り、基幹産業として世界でも最高水準の競争力を持つに至った。しかし、製造業では生産拠点が海外に流出する空洞化が進行している。 [[1990年代]]前半に[[バブル景気]]が崩壊したことによる不況で、「[[失われた10年]]」と呼ばれる長期不況に苦しんだ。日本の経済成長率は、高度成長期はもちろんのこと、安定成長期にも欧米を上回っていたが、1990年代以降は欧米や東アジア諸国を大幅に下回っている(1991年から2009年までの日本の平均経済成長率は0.8%)。日本は継続的に[[アメリカ国債]]を購入し、2012年3月時点で1兆830億ドル分を保有し中国に次ぐ世界第二位の保有量となっているが、近年のドル安で約40兆円の為替差損が発生している。アメリカ国債からは毎年14.5兆円が償還されるが、償還金をアメリカ国債再購入に充てている<ref>[http://www.treasury.gov/resource-center/data-chart-center/tic/Documents/mfh.txt\u3000MAJOR FOREIGN HOLDERS OF TREASURY SECURITIES(in billions of dollars)HOLDINGS 1/ AT END OF PERIOD]</ref>。\n\n; [[所得]]\n: 高度経済成長を遂げた日本では、「国民総中流」と呼ばれる[[貧困]]層が存在しないかのような意識が浸透していたが、近年、貧困層の存在が広く知られ、[[貧富の差]]が拡大しているという意識が広まった。経済協力開発機構 (OECD) の統計によれば、2005年(平成17年)度の[[貧困率]]は、OECD加盟国(30ヶ国のうち、貧困率を統計する17ヶ国<ref>旧共産圏や韓国、メキシコ、トルコなどは含まれない</ref>)の内の第2位、15.3%である。この原因としては、高齢化社会による年金生活者や[[賃金]]の低い[[非正規雇用]]の増加が挙げられる。\n; [[雇用]]\n: 戦後の日本企業では1980年代までは長期継続雇用が主流だったので、社会構造の変化による衰退産業・衰退企業や、経営破たん企業による、解雇や人員削減以外には、失業が社会問題化することは例外であり、経済成長率が高く、成長産業・成長企業による求人が豊富だったので、失業者も再就職による職業や生活の立て直しは困難ではなかった。1990年代以後の[[グローバリゼーション|グローバル化]]の進行、GDPのゼロ成長、[[デフレーション|デフレ]]、非正規雇用の増大により、不安定雇用、低所得、貧富の格差の拡大、失業、再就職の困難などが社会問題化した。また、2008年以降の[[世界金融危機]]によって完全失業率は戦後最悪水準の5.0%にまで悪化している<ref name="失業率">{{cite web|url=http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.htm|title=総務省統計局〈2〉(就業状態、完全失業者数、完全失業率等)|accessdate=2009-5-30}}</ref>。\n; [[債務]]\n: 1990年代以降における[[財政政策]]により、公的債務(国・地方の合計)が1100兆円以上となっているが、その殆どは国内で消化しており、外国に対する債務は5%程度と低い。\n; [[政府]]\n: [[OECD]]がまとめたデータに基づいて作成されたデータによると、[[OECD]]諸国中において、日本は人口に占める[[公務員]]の比率が低く、経済に占める[[公営企業]]の規模も小さい<ref name="OECD諸国の公務員数">http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5192.html</ref>。なお、租税負担率においては、日本はOECD諸国中下から6番目である<ref>[http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/238.htm\u3000OECD諸国の国民負担率(対国民所得比) : 財務省]</ref>。\n\n=== 農林水産業 ===\n[[File:Minamiuonuma Paddy.jpg|thumb|[[米]]は、日本では主食として重要な農産物である。現在では、[[減反政策]]が行われている(新潟県[[南魚沼市]])]]\n; [[農業]]\n: 他国と比較して生産量が多い[[農産物]]は、[[絹|生糸]]、[[キャベツ]]、[[イネ]]([[米]])、[[サツマイモ]]、[[タロイモ]](主に[[サトイモ]])、[[茶]]、[[ホップ]]などである。\n:* 米は、日本人の[[主食]]であるが、他に米を主食とする諸国も多いため、1100万トン(世界シェア1.9%)の生産量に止まる。\n:* キャベツ、タロイモ栽培は、世界第5位である。\n:* [[畜産業]]([[畜産]])では、[[養鶏]]が盛んであり、[[鶏卵]]の採取量は、世界第3位である。\n: <!-- バグ回避のための行 -->\n; [[林業]]\n: [[1970年]](昭和45年)以降の[[木材]]の輸入自由化により競争力を喪失し、一部のブランド木材の産地を除き、既に壊滅状態に追い込まれている。\n; [[水産業]]・[[漁業]]\n: 漁獲高は、2002年(平成14年)時点で世界第5位(440万トン)である。\n; 貿易([[輸入]]・[[輸出]])\n: [[食料自給率]]は、60%を世界各地からの輸入に頼るため、約40%と低い。近年、[[食の安全]]への関心の高まりから国産ブランドの需要が回復し、一部の農産物は、高級食材として輸出される。また、中国での[[魚介類]]を消費する習慣の広がりにより、[[水産物]]の輸出が急増している<ref>{{cite web|last=農林水産省国際部国際政策課|title=農林水産物輸出入概況(2005年)|date=2006-05-23|url=http://www.maff.go.jp/toukei/sokuhou/data/yusyutugai2005/yusyutugai2005.pdf|format=PDF|accessdate=2007年9月13日 }}</ref><ref>{{cite web|last=日本銀行函館支店|title=最近の水産物の輸出急増とその背景(2005年)|url=http://www3.boj.or.jp/hakodate/kouhyou/siryou/suisan1708.pdf|accessdate=2010-02-10}}</ref>。\n; 従事者\n: {{要出典範囲|高齢化が進み、将来の[[人材]]の育成が課題とされている。|date=2011年4月}}\n\n=== 鉱工業 ===\n[[File:Lexus LS-h 1001.jpg|thumb|日本は世界有数のメーカーを数多く有し、技術も世界最高水準である([[レクサス]]・[[レクサス・LSハイブリッド|LSハイブリッド]])]]\n[[File:Honda ASIMO Walking Stairs.JPG|thumb|日本は[[ロボット]]先進国でもあり、[[産業用ロボット]]を初め様々な分野で活用されている([[ホンダ]]・[[ASIMO]])]]\n; [[鉱業]]\n: [[地下資源]]は、全体としての産出量が概して少ないものの、埋蔵される[[鉱物]]の種類が非常に豊富で、俗に「鉱物の博物館」<ref>日本地質学会 地質全般Q&A[http://www.geosociety.jp/faq/content0002.html]Q25.</ref>と呼ばれる。鉱業の中心を占めるのは、世界第5位(2001年〔平成13年〕)の320万トンを産出する[[硫黄]]、そして、世界第2位(2005年〔平成17年〕)の6500トンを産出する[[ヨウ素]]である。その他、産出量では、天然ガスの101千兆ジュールや[[石炭]]の302万トンが目立つ。少量ながら、原油をも産出する(約37万キロリットル・2001年(平成13年)時点)。[[金属]]資源は、[[亜鉛]]の4万3000トンを筆頭に、[[鉛]]、[[銅]]を産出する。この3金属は、いずれも[[非鉄金属]]として非常に重要である。しかし、いずれも国内消費量の4%、6.8%、0.02%しか賄えない。かつて大量に産出していた金や銀も採掘されるが、現在いずれも世界的なシェアが0.5%以下(金8.6トン・銀81トン)である。国内需要を賄うだけの産出量がある地下資源は、[[石灰岩]](セメント原料)、[[珪石]](水晶/ガラス・レンズ・光ファイバー・建築材料の原料)など、ごく僅かである。\n: 現在、あまり資源として活用されていないが、メタンハイドレートが近海に多く眠ることが分かっている。これは、採掘の手法が未だ確立していないが、将来的に石油が枯渇した際における[[新エネルギー]]として注目を浴びている<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/7571652/「メタンハイドレート」について~日本が資源大国に変わる日~\u3000]\u3000[[マイナビニュース]]\u30002013年04月07日17時20分 </ref><ref>[http://www.zaikei.co.jp/article/20140228/180628.html\u3000“100年分のエネルギー”\u3000三井造船がメタンハイドレート掘削へ\u3000英紙も注目\u3000\u3000財経新聞\u30002014年2月28日 12:00 </ref>。近年では、[[都市鉱山]]という考え方も普及し、日本に蓄積される[[貴金属]]や[[レアメタル]]の埋蔵量が世界有数であるとの研究があり、廃棄される[[家庭用電気機械器具|家電]]や[[電子機器]]などから、これらを[[リサイクル]]する事業活動も広がりを見せる。\n; [[工業]]\n: 基幹産業であり、特に[[素材]]・[[金属加工]]・[[造船]]・[[土木工学]]・[[機械工学]]・[[電気工学]]・[[電子工学]]などの製造業は、世界最高水準の[[技術]]を維持する。原油・[[ゴム]]・[[鉄鉱石]]などの[[原材料]]を輸入して[[自動車]]、[[電気製品の一覧|電気製品]]、電子機器、[[電子部品]]、[[化学工業|化学製品]]などの[[工業製品]]を輸出する[[加工貿易]]が特徴であるが、近年、大韓民国や中華民国からの電子部品や電子機器などの[[半製品]]の輸入も増大し、輸出品、輸入品、共に電子機器が最大である。\n: [[トヨタ自動車]]や[[日産自動車]]、[[本田技研工業]]などを筆頭に世界有数の自動車産業を擁し、世界第3位の新車販売、世界第2位の保有台数を記録する<ref>2004年[http://www.jama.or.jp/world/world/world_2.html]</ref>。\n: {{See also|日本車}}\n: 一方、[[航空宇宙産業]]([[航空宇宙工学]])・[[医薬品化学]]・[[バイオテクノロジー]]・[[情報技術]]などの新しい産業の分野においては、最高水準と言えず、また、全体としての製造業は、中国や韓国、台湾などの[[新興国]]の成長に押され、1980年代をピークに収益率も下落を続ける。そのため、[[ナノテクノロジー]]や民生用の[[ロボット工学]]、[[生物工学]]、[[金融工学]]、[[情報技術]]などに活路を見出そうとしている。\n\n=== 通商・金融 ===\n[[File:Tokyo Skyline.jpg|thumb|left|[[東京]]は世界最大の[[世界の都市的地域の人口順位|都市圏人口]]および[[域内総生産順リスト|経済規模]]を兼ね備えた世界一の[[メガシティ]]である。]]\n2002年(平成14年)時点の主要な輸出の相手国は、金額ベースで28.9%を占めるアメリカ合衆国、中華人民共和国 (9.6%)、大韓民国 (6.9%)、[[香港]] (6.1%)、[[シンガポール]] (3.4%)である。アメリカ合衆国、東アジア、東南アジアへの輸出を合わせて55%を占める。輸入の相手国は、アメリカ合衆国 (18.3%)、中国 (17.4%)、韓国 (4.6%)、[[インドネシア]] (4.2%)、オーストラリア (4.2%) であり、以上で48.7%を占める。[[国際収支統計#貿易収支|貿易収支]]は、黒字([[2004年]](平成16年)に約14兆円)である。主要な輸出品は、金額ベースで自動車 (22.3%)、機械類 (21.6%)、電気機械 (20.5%)、鉄鋼 (3.7%)、化学薬品 (3.1%) の順である。主な輸入品は、電気機械 (12.2%)、機械類 (11.2%)、原油 (10.8%)、衣類 (5.2%)、天然ガス (5.2%) である<ref>矢野恒太記念会編『日本国勢図会』2004/05年版(第62版)、2004年6月、ISBN 4-87549-132-8 </ref>。\n\n日本の産業は、発展の過程で[[間接金融]]による[[資金調達]]を広く用いたため、[[銀行]]が経済に与える影響が大きい。銀行は、[[融資]]で[[土地#資産としての土地|土地資産]]を[[担保]]に取ることが多かったため、土地が経済に与える影響も大きい。しかし、バブル景気の崩壊後は、[[直接金融]]や[[市場型間接金融]]への転換が進められている。[[金融機関]]では、バブル時期の焦げ付き、いわゆる[[不良債権]]問題が長引き、1990年代初頭に[[金融危機]]を引き起こした。しかし、政府主導で大[[合併]]が行われて[[公的資金#日本の金融機関への公的資金の注入|公的資金を注入]]しての強引な解決が図られ、その後は、[[ゼロ金利政策|超低金利政策]]の下、高収益を上げるようになった。[[日本銀行]]は、2006年(平成18年)に[[ゼロ金利政策|ゼロ金利]]を解除したが、未だ金利の水準が低く推移し、個人[[消費]]の伸びも見られないなど、経済回復が明確でなく、2007年(平成19年)現在、それ以上の金利引き上げに至っていない。\n\nまた、継続的な経常黒字により、世界最大の[[債権]]国であり、[[世界経済]]からの[[配当]]や[[利子]]の受け取りが次第に増大している。2010年現在、日本の対外資産残高は563兆5,260億円、対外負債残高は312兆310億円で、差し引き対外純資産残高は世界最大の251兆4,950億円である<ref>{{Cite web|url=http://www.mof.go.jp/international_policy/reference/iip/22_g3.pdf|title=平成22年末 本邦対外資産負債残高の概要(参考3)|format=PDF|publisher=財務省|accessdate=2012-4-18}}</ref>。\n\n日本としては世界最大の黒字国であるが、日本政府は歳入の47.9%が公債で賄われている状況である(平成23年度一般会計予算)<ref>{{Cite web|url=http://www.mof.go.jp/budget/fiscal_condition/related_data/sy014_23.pdf|title=日本の財政関係資料|format=PDF|publisher=財務省|accessdate=2012-4-18}}</ref>。しかしながら、[[日本国債]]のほとんどは国内保有であり、日本国内の資産となっている。\n\n=== 交通 ===\n{{Main|日本の交通}}\n{{See also|日本の企業一覧 (空運)|日本の企業一覧 (陸運)|日本の企業一覧 (海運)}}\n\n古くから北太平洋および[[北東アジア]]の[[交通]]の要所として[[海運]]や[[航空]]において重要な位置を占め、世界的に有数の規模の[[海運#日本の海運会社|海運会社]]や[[航空会社の一覧#日本|航空会社]]が存在し、各国を結ぶ。また、アジアにおいて最も早く[[鉄道]]を導入した国の一つであり、世界初の[[高速鉄道]]である新幹線を導入し、[[私鉄]]による鉄道網が全国を網羅している。また、高度経済成長以降、[[モータリゼーション]]が進み、[[道路]]網・高速[[自動車専用道路]]網が発達している。\n; [[航空]]\n[[File:ILA_2010_Samstag_250.JPG|thumb|[[MRJ]]は、最新鋭の国産小型旅客機として開発が進められている次世代[[リージョナルジェット]]である([[三菱航空機]])]]\n: {{See also|日本の航空機産業}}\n: [[1950年代]]以降、日本航空が日本の[[フラッグ・キャリア]]として国内外に路線を広げ、アフリカを除く全大陸へ就航し、現在もアジアのみならず世界でも有数の規模を誇る[[航空会社]]として知られていたが、2010年、[[会社更生法]]の適用を受けた。また、[[1980年代]]まで国内線のみを運航した[[全日本空輸]](ANA)は、現在、アジア圏を中心に欧米へ国際線を運航する。\n: 1990年代以降の[[規制緩和]]を受け、[[スカイマーク]]や[[北海道国際航空]](エア・ドゥ)、[[スカイネットアジア航空]]などが[[新規参入]]し、国内[[航空券|航空運賃]]の引き下げに寄与した。\n: 地方を中心に[[空港]]インフラが充実し、国内に98もの空港を有する。一方、都市部における空港インフラは、整備途上で慢性的な容量不足であり、航空充実の足かせとなっている。\n; [[鉄道]]\n[[File:Shinkansen N700 z15.jpg|thumb|[[新幹線]]は、大都市間を結ぶ[[JR]]の高速幹線鉄道である([[新幹線N700系電車|N700系]])]]\n: {{Main|日本の鉄道|日本の地下鉄|日本のモノレール}}\n: 明治維新以降、1872年(明治5年)[[10月14日]]の[[新橋駅]](のちの[[汐留駅]]) - [[横浜駅]](現・[[桜木町駅]])間の開通を皮切りに、[[国策]]として全国に鉄道網が急速に敷設され、[[日本国有鉄道]](国鉄)や他の数多くの私鉄へと発展した。1970年代までに私鉄、国鉄ともに多くの[[鉄道の電化|路線が電化]]され、世界に例を見ない規模で分刻み・秒単位のスケジュールで運行され、その規模、技術、運営ノウハウ共に世界最高水準と言われる。\n: 1964年(昭和39年)に国鉄(現在のJR)によって導入された新幹線は、都市間を結ぶ世界初の高速鉄道として空路に並ぶ地位を築き、[[在来線]]と規格が異なるので全国で開通していないが、整備が続く。[[都市圏]]では、それに[[地下鉄]]や[[モノレール]]が加わる。更に、近年の[[環境問題]]の意識から[[路面電車]]が見直され、[[富山ライトレール|富山県などでライトレール]]が導入されている。\n: 2003年(平成15年)8月の[[沖縄都市モノレール線]](ゆいレール)の開通によって全ての都道府県に広がり、2004年(平成16年)の時点での全国における総全長は、23,577 kmである。\n; [[道路]]\n[[File:Satta yukei.jpg|thumb|富士山と日本の大動脈の夕景。山側の[[国道1号]]と海側の[[東名高速道路]]([[静岡市]][[清水区]][[薩埵峠]])]]\n: {{Main|日本の道路|日本の高速道路|日本における自動車}}\n: 高度経済成長以降、自動車産業の保護を目的に、国内における[[運送#陸運|陸運]]の主力を[[貨物自動車|トラック]]にする政策が採用されたことなどから、全国的に道路・[[高速道路]]の整備が進められた。しかし、近年、都市部を中心に慢性化した[[渋滞]]や通行料の高さ、[[駐車]]スペース確保の困難さ、環境問題への対策として、鉄道や航空機などの公共輸送、船舶輸送などが見直されている。\n: 2004年(平成16年)時点での[[舗装]]された道路の全長は、1,177,278 kmである。\n; [[海運]]\n: {{See also|海運#日本の海運会社|造船#日本の造船史}}\n: 四方を[[海]]に囲まれ、欠かせない[[運送]]手段であり、沿岸部に[[工業地域|工業地帯]]や[[人口]]が集中する理由でもある。[[日本郵船]]や[[商船三井]]などの世界有数の規模を持つ船会社が19世紀の後半から各国との間に[[貨物船]]や[[旅客船]]を運航してきた。現在、[[中東]]や東南アジアから[[石油]]や天然ガスなどの[[資源]]が輸入され、ヨーロッパやアメリカ合衆国へ電化製品や自動車などが輸出される。国内航路においても大小の船会社によって多数の[[貨客船|貨客]][[フェリー]]や[[高速船]]が運航される。また、造船分野においても、その技術力の高さから世界有数の規模を保つ。<br/>\n\n== 生活・文化 ==\n{{Main|日本の文化}}\n\n=== 生活史・文化史 ===\n縄文時代以前のはるか昔、日本人の祖先が北方から渡来して以来、近隣の[[文化]]を取り入れつつ独自に発展した。文化については南方からの伝播も想定され、日本の基層文化には北方系とみられる要素と南方系とみられる要素が混在している。\n\n[[4世紀]]頃から[[9世紀]]頃まで、[[渡来人]]により、大陸の文化が伝わった。日本も[[遣隋使]]・[[遣唐使]]や留学生を派遣し、積極的に中国の文化を取り入れた。朝鮮半島や[[渤海 (国)|渤海]]との交流も続いていた。\n\n大陸との往来が減った10世紀頃から、これらの輸入された東アジア文化が在来の文化と融合し、日本に特有の[[国風文化]]へと発展する。平安時代の文化は貴族や寺院によって担われていたものが現代にまで伝わり、王朝文化の中から生まれた[[和歌]]や[[王朝物語]]は後世の文芸の規範として大きな影響を残した。平安時代末期には[[仏教]]信仰の深まりを背景に「[[幽玄]]」などの中世的な美意識が生まれた。\n\n12世紀頃、[[北宋]]との貿易によって紹介された禅宗が[[禅]]に発展し、喫茶の習慣も禅宗の寺院から上層階級に定着する。工芸や建築などの技術も宋からもたらされた。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]には戦乱の世を背景に華麗で奇抜な美を尊ぶ「[[ばさら]]」が流行した。室町時代には、武士と貴族の文化が融合した[[北山文化]]や[[東山文化]]が花開く。「[[雅]]」や「[[わび・さび]]」といった日本的な美意識が確立し、[[猿楽]](現在の[[能楽]])や茶の湯(現在の[[茶道]])、[[枯山水]]などの[[日本庭園]]や[[書院造]]などの建築が生み出された。地方文化が発展し、京都の文化が日本各地にもたらされた。\n\n16世紀の半ばからポルトガル人や[[スペイン]]人などヨーロッパの人々が来航し、キリスト教や鉄砲が伝えられた。日本の文化は初めて西洋文明に直接接触し、これを[[南蛮]]趣味として日本的な形に変化させ、旺盛な消化力を示した。しかし、後の鎖国により西洋文化の受け入れは[[出島]]を通じたオランダとの交易に限定された。17世紀以降の江戸時代には、中世の戦乱の時代が終わり、鎖国による閉鎖された環境の中で再び独自の文化が発展した。文化の大衆化が進み、京都・大阪・江戸の三大都市を中心に庶民的な都市文化([[歌舞伎]]、[[浄瑠璃]]、[[戯作]]、[[俳諧]]、[[浮世絵]]、[[大相撲]]など)が繁栄する。また、[[国学]]により日本独自の価値観や文化を見直す風潮も生まれた。この間、[[アイヌ]]の文化は日本の周縁文化圏として独自の様相を見せる。また、[[琉球]]は本土との交流を持ち続けつつも、日本の他の地域とは異なった独自の道を歩む。この状況は、明治維新によって一応の区切りがつく。\n\n明治維新の後、近代的な独立国家としての体裁を整えた。[[廃仏毀釈]]や[[文明開化]]に見るように国策として伝統文化が抑圧され、欧米の文化が急速に取り入れられた。特に都市部で衣服、食事、建築などさまざまなものの欧米化が進み、庶民の生活に大きな影響を与えた。一方、日常生活では、伝統的な生活習慣もまた根強く残り、特に地方では依然として伝統的な文化が維持されていた。それが解体されるのは、第二次世界大戦後の高度経済成長以降である。大正期には、経済の好景気などを受け、アメリカ合衆国の文化を取り入れた[[映画]]や[[スポーツ]]などの享楽的な文化が流行した。[[昭和]]にかけて都市部では洋風の生活習慣も浸透していく。しかし、第二次世界大戦の戦時下では欧米風の文化が厳しく制限され、伝統文化も政府に統制された。\n\n1945年(昭和20年)に政府がポツダム宣言を受諾すると、アメリカ軍を中心とした[[連合国軍最高司令官総司令部]]が日本の政治改革を進め、それと共にアメリカ文化も日本人に受け入れられた。冷戦下の[[日本国との平和条約|独立]]とともに[[西側諸国]]に組み入れられた日本は、アメリカ流の生活・文化を目標とするようになる。\n\n高度経済成長期に至ると、従来の生活習慣も大幅に変わり、伝統的な文化の多くが日常の場から姿を消していったが、自信をつけた日本人は、自らの文化を再評価するようにもなる。例えば、1970年(昭和45年)の[[日本万国博覧会]](大阪万博)の[[太陽の塔]]は、縄文の芸術をモチーフにしたものとされる。[[日本映画]]、[[ポピュラー音楽]]、[[大衆小説|大衆文学]]などの大衆文化の輸出も盛んに行われ、東アジア諸国や欧米の文化に大きな影響を与えるようにもなった。特に日本製の工業製品、あるいは[[漫画]]や[[アニメ]]や[[コンピュータゲーム]]などが世界に発信され、様々な摩擦を乗り越えながら、若い世代を中心に広がっている。\n{{colbegin|3}}\n* [[日本文明]]\n* [[日本神話]]\n* [[和服]]\n* [[日本髪]]\n* [[:Category:日本の食文化|食文化]]\n* [[日本建築史]]\n* [[日本伝統芸能]]\n* [[武芸 (日本)|武芸]]\n* [[武道]]\n* [[古武道]]\n* [[日本刀]]\n* [[日本文学]]\n* [[日本美術]]\n* [[歌謡曲]]\n* [[日本映画]]\n* [[日本お笑い史|演芸]]\n* [[囲碁]]\n* [[将棋]]\n* [[日本におけるゲーム機戦争|ゲーム]]\n* [[日本の漫画|漫画]]\n* [[アニメ]]\n* [[アイヌ文化]]\n{{colend}}\n<div style="text-align:center"><gallery>\nFile:Ch5 wakamurasaki.jpg|『[[源氏物語]]』は、平安時代中期に成立した長編小説である。\nFile:Hina matsuri display.jpg|[[雛祭り]]は、[[上巳]]の[[節句]]に女児の幸福や成長を祈る行事である。\nFile:Sumo ceremony.jpg|[[相撲]]は[[神道]]に基づく日本古来の神事であり、[[国技]]と認知されている(東京都[[墨田区]] [[両国国技館]])\nFile:Odori Keiyō Edo-e no sakae by Toyokuni III.jpg|[[歌舞伎]]は、江戸時代に誕生し発達した演劇・伝統芸能である。\nFile:Geisha at Asakusa (DORONKO) 001.jpg|[[芸妓]]は、舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性である。\nFile:Carp streamer.jpg|[[こいのぼり]]は、[[端午]]の節句に男児の出世を願って飾られる縁起物である(神奈川県[[相模原市]])\nFile:Red Fuji southern wind clear morning.jpg|[[富士山]]は標高3776mの日本最高峰かつ日本の象徴とされる([[葛飾北斎]])\n</gallery></div>\n\n; [[日本の世界遺産]]\n: [[国際連合教育科学文化機関]]の世界遺産リストに登録された14件の[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]、4件の[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]がある。\n\n=== 祝祭日 ===\n{{Main|国民の祝日|国民の祝日に関する法律|国民の休日|振替休日}}\n{|class="wikitable" style="margin:0 auto"\n|-\n!日付!!日本語表記!!備考\n|-\n||1月1日||[[元日]]||\n|-\n||1月第2月曜日||[[成人の日]]||移動祝日\n|-\n||2月11日||建国記念の日||\n|-\n||3月21日前後||[[春分の日]]||移動祝日(黄道上で太陽が黄経0度・春分点を通過する日)\n|-\n||[[4月29日]]||[[昭和の日]]||旧:[[みどりの日]]( - 2006年)\n|-\n||5月3日||[[憲法記念日]]||\n|-\n||[[5月4日]]||みどりの日||旧:[[国民の休日]]( - 2006年)\n|-\n||[[5月5日]]||[[こどもの日]]||\n|-\n||7月第3月曜日||[[海の日]]||移動祝日\n|-\n||[[8月11日]]||[[山の日]]||2014(平成26)年制定、2016(平成28)年に施行\n|-\n||9月第3月曜日||[[敬老の日]]||移動祝日\n|-\n||9月23日前後||[[秋分の日]]||移動祝日(黄道上で太陽が黄経180度・秋分点を通過する日)\n|-\n||10月第2月曜日||[[体育の日]]||移動祝日\n|-\n||11月3日||[[文化の日]]||\n|-\n||[[11月23日]]||[[勤労感謝の日]]||\n|-\n||[[12月23日]]||[[天皇誕生日]]||\n|}\n\n=== 宗教 ===\n[[File:Naiku_03.JPG|thumb|[[皇大神宮]]([[伊勢神宮]] - [[三重県]][[伊勢市]])]]\n[[File:Daibutsu of Todaiji 3.jpg|thumb|[[東大寺]][[東大寺盧舎那仏像|盧舎那仏像]] ([[奈良県]][[奈良市]])]]\n{{Main|日本の宗教|神道|日本の仏教|神仏習合}}\n[[御霊信仰|怨霊信仰]]・[[言霊|言霊信仰]]・[[穢れ|ケガレ忌避信仰]]は日本黎明期から存在する伝統的宗教観であり、日本の全ての事物がこれらとなんらかの関係を有している<ref>井沢元彦『逆説の日本史』第1・3・4巻</ref>{{信頼性要検証|date=2012-11}}と言われる。[[神道]]はこの三者から発展的に生じた日本独自の宗教である。仏教は[[世界宗教]]であるが、日本では[[鎮護国家|怨霊鎮魂の手段として国家的に用いられてきた]]経緯がある。\n\n日本の宗教の信者数は[[文部科学省]]の宗教統計調査では、神道系が約1億700万人、仏教系が約8,900万人、キリスト教系が約300万人、その他約1,000万人とされている。\n\n日本では黎明期より御霊信仰が一般的であり、平安時代には[[言霊]]信仰と[[穢れ|ケガレ]]忌避信仰が貴族の間で一般的に行われた。日本思想の特徴である「わ(環・和)」の考えは、御霊信仰・言霊信仰・穢れ忌避信仰・[[談合|話し合い至上主義]]を包摂するが、既に7世紀の時点で[[聖徳太子]]が[[十七条憲法]]で指摘しており、戦後に於いても[[山本七平]]が同様の内容を指摘している。\n\n外来思想の仏教は怨霊鎮魂のために広く信仰され、「わ」から発展した神道と半ば融合した[[神仏習合]]として分業的に共存した。神道と仏教は明治維新後の[[神仏分離]]を経て明確に区別されたが、神仏習合は各地に残る[[山岳信仰]]などにその名残をとどめている。[[カトリック教会|カトリック]]や[[プロテスタント]]など[[キリスト教徒]]も存在するが、洗礼を受けた正式な信者は総人口の1%を超えない。一方、キリスト教を背景とした[[文学]]や[[思想]]は西欧文化の移入の過程で広く受容されており、社会的影響は必ずしも小さくない。クリスマスなどいくつかの儀式・祭礼は世俗的な年中行事として広く受容されている。[[ムスリム|イスラム教徒]]や[[ユダヤ教徒]]は在日外国人を除けばわずかである。\n\n戦後憲法の元では[[政教分離]]が厳格に運用されている国の一つであり、宗教団体や教団が政治や社会に与える影響力は限定的である。\n\n=== スポーツ / マスメディア ===\n; [[スポーツ]]\n: {{Main|日本のスポーツ}}\n: 19世紀後半にアメリカ合衆国から伝わった[[野球]]が国民的なスポーツとしての地位を得た。1934年(昭和9年)に[[大日本東京野球倶楽部]]が結成され、[[1936年]](昭和11年)に国内初の[[プロフェッショナルスポーツ]]である[[日本野球連盟 (プロ野球)#沿革|日本職業野球連盟]]が発足した。以降、最大のメジャースポーツとしての地位を確立した。\n: 長く[[日本プロ野球]]が一強に君臨する時代が続いたが、1993年(平成5年)の[[日本プロサッカーリーグ]]が発足して以降、サッカーもメジャースポーツの1つとして認知されるに至る。2001年(平成13年)より、全てのスポーツを振興するための資金の捻出を目的とし、[[スポーツ振興くじ]]が全国で開始された。\n: また、[[公営競技]]として日本に発祥の競輪や[[競艇]]、[[オートレース]]、そして外来である[[競馬]]が存在する。[[日本の競馬]]の最大の主催者である[[日本中央競馬会]]の売り上げは世界一であり、平均的な賞金も非常に高い。\n; [[マスメディア]]\n: {{Main|日本の新聞|日本のラジオ放送局|日本のテレビジョン放送局|日本における衛星放送}}\n: 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞が三大紙である。[[専門紙#経済紙|経済紙]]である日本経済新聞は、[[株価]]欄を始めとする経済に関連する記事の比重が高い。更に、産経新聞を加えた5紙が[[全国紙]]である。\n: [[放送]]は、[[国営放送]]が存在せず、[[公共放送]]を担う日本放送協会 (NHK)、および多くの[[民間放送]]により、成り立っている。主に[[電波法]]、[[放送法]]などによって規制される。[[衛星放送]]は、官民が協力して複数の[[放送衛星]]・[[通信衛星]]を利用している。[[ケーブルテレビ]]は、衛星放送に比べると普及していないが、近年、[[インターネットサービスプロバイダ|ISP]]([[日本のインターネット]])や、[[VoIP]]技術を用いた[[IP電話]]を中心とする[[直収電話]]など、[[電気通信役務]]を提供する[[電気通信事業者]]としての面をも有する。\n: [[プレート]]や火山が混在し、また、台風の通り道に位置するなど、常に[[災害]]と隣り合わせだった風土から、これらの[[自然災害]]を未然に防ぐため、[[緊急警報放送]]が普及し、実情に合わせて緊急度の見直しが度々なされている。特に、地震や津波などの報道においては、([[津波警報]]、[[津波注意報]]、[[津波予報]]など)[[津波情報]]の速報体制が敷かれる。\n\n=== 食文化 ===\n<!--日本の食文化として独立させた方が良いかもしれません-->\n{{Main|:Category:日本の食文化|日本料理|和菓子|日本の郷土料理}}\n[[File:Breakfast at Tamahan Ryokan, Kyoto.jpg|thumb|250px|伝統的な[[日本料理]]]]\n\n世界有数の豊かな[[漁場]]が近海にあり、また肥沃な[[農地]]や良質で豊富な[[飲料水]]に恵まれる。食文化は伝統的な[[和食]]の他にも世界中の[[食文化]]を取り入れており、世界でもっとも多様な食文化に接することのできる地域のひとつとなっている。一方で耕作可能面積や交易条件、政府の食糧管理政策などによりコメ以外の主要穀物はほぼ全量を輸入に頼っており、カロリーベースでの食料自給率は低く食料輸入国である<ref>世界中から食料を輸入しているのでいわゆる[[フードマイル]]の長さが国際標準より際立って長くなっている事が問題として指摘されることがある。ただし、輸入は主に効率のよい海運によってなされており、運送距離が長いそれすなわち良くないことであるというのは一面的な見方でもある</ref>\n; 主食・[[惣菜|副食]]\n: 日本人は、主食・副食(おかず)の区分の意識が強く、両者を別々に容器に盛り、同時に食べるのが一般的である。それによって各人のペースで主食と様々な副食との割合を調整する。代表的な主食は、米を炊いた[[飯]]である。また、[[パン]]や[[麺]]も大きな地位を占める。[[芋]]は、かつて[[救荒食]]として重要な地位にあったが、現在は主食として扱われることはまずない。主要穀物では米のみ、ほぼ国内で自給し、[[コムギ]]、[[トウモロコシ]]、および[[豆]]類は、大半を海外から輸入している。副食は、[[出汁]](だし)と呼ばれる[[うま味|旨味]]の味付けが重視される。\n; 海産物\n: 四方を海に囲まれ、漁業が特に盛んであり、利用される魚介類も実に多い。[[ナマコ]]、[[ホヤ]]、[[クラゲ]]などの世界的に珍しい物をも含めて多様な海産動物を利用し、[[コンブ]]などの[[海藻]]も重要な位置を占める。ただ、近年は魚介類も海外から輸入するケースが増えている。[[調理法]]も多様で、[[寿司]]・[[刺身]]による生食も広く行われる。\n; [[食肉]]\n: [[平野]]が少なく[[牧草]]地に恵まれず、[[五戒|殺生]]を忌む仏教の影響から[[家畜]]の肉を食べる習慣も一般的でなかった(ただし、[[野生動物]]や鳥類はしばしば食べられていた)。しかし、日本国外の食文化の流入に伴い、肉食は完全に一般化した。学校給食などの影響から、[[乳製品]]を利用する習慣も定着している。現在は乳製品、鶏卵、[[鶏肉]]の自給率が比較的高いが、[[牛肉]]、[[豚肉]]は、輸入が過半を占め<ref>独立行政法人産業技術総合研究所暴露係数ハンドブック[http://unit.aist.go.jp/riss/crm/exposurefactors/documents/factor/self-sufficiency/ss_meat.pdf]</ref>、国産の肉は、主に産地ブランドなどで高級品を志向する。[[飼料]]は大半を輸入に依存する。\n; [[野菜]]など\n: 伝統的に人[[糞]][[尿]]を[[肥料]]として栽培されてきたため、生食の習慣がなかったが、戦後、清潔な野菜が供給されるようになり、[[サラダ]]などの生食も一般化した。海外からの輸入も増えているが、[[農薬]]が残留した野菜が少なからず輸入され、問題になることもある。\n; 携帯食・[[保存食品]]\n: 伝統的に、[[おにぎり]]や[[弁当]]、[[漬物]]、さまざまな[[乾物]]などが利用されてきた。現在、[[インスタント食品]]や[[冷凍食品]]などの加工食品、パンや[[ビスケット]]類など、多様な食品が利用される。\n; [[嗜好品]]\n: 伝統的に[[緑茶]]や[[和菓子]]、[[米菓]]が親しまれてきた。現在、世界中の茶飲料が飲まれるようになり、[[コーヒー]]や[[紅茶]]、[[ココア]]や[[烏龍茶]]など多様な[[ソフトドリンク]]が日常的に飲まれ、[[洋菓子]]も広く親しまれる。菓子類や[[清涼飲料水]]は、[[自動販売機]]や[[コンビニエンスストア]]などで簡単に購入できる。また、[[喫茶店]]も広く営業されている。\n; [[酒]]類\n: 伝統的に米を原料とする[[日本酒]]に加え、米や[[イモ]]、[[麦]]などの多様な作物を原料とする[[焼酎]]が飲まれてきた。現在、[[ビール]]や[[ワイン]]、[[ウイスキー]]なども一般化するなど、世界中の酒類を購入できる。ただし[[酒税法]]により、酒類を自家生産することができない。\n; [[外食産業]]\n: [[蕎麦]]、[[うどん]]、寿司などの伝統的な和食の[[ファーストフード]]の他にも、日本人の好みに変化した[[洋食]]や[[中華料理]]が非常に発達している。また、1970年代以降、アメリカから進出したファーストフードなどが普及したほか、アジアやヨーロッパの食文化も流入し、大都市では世界中の料理を食べることができる。持ち帰り惣菜・弁当などの[[外食産業#中食・その他|中食産業]]も発達している。また、日本の外食産業の特徴として専門性に富んでいることが挙げられる。[[寿司]]、[[天ぷら]]、[[カレー]]、[[うどん]]、[[ラーメン]]など料理の種類によってそれぞれ専門店が存在し、細分化されている。「日本料理」を冠する店も多くあるが提供される料理は[[会席料理]]([[懐石]])、あるいは食材や調理法を現代流にアレンジした[[和食]]が中心であり、伝統的な御殿料理や宮中料理(饗応料理)、[[本膳料理]]のようなものが提供される店は一般的ではない。\n\n== 社会 ==\n=== 社会保障 ===\n[[File:japan-socialexpendure.svg|thumb|right|300px|日本の社会的支出(兆円)。緑は医療、赤は年金、紫はその他<ref>[http://www.ipss.go.jp/site-ad/index_Japanese/security.html 社会保障費用統計], 厚生労働省</ref>]]\n{{Main|日本の福祉}}\n; 戦前\n: 主に[[家族]]や[[地域社会]]における[[相互扶助]]によるものとされたが、[[軍人]]をはじめ公務員に特有の[[恩給]]制度があった。[[1942年]](昭和17年)に戦費の調達を目的に発足した[[労働者年金保険]]が、日本の[[社会保障]]制度の始まりである。[[1944年]](昭和19年)に[[厚生年金保険法]]が制定されたのを契機に民間労働者の[[厚生年金]]も普及した。並行して民間企業における熟練労働者の[[終身雇用|長期雇用]]、[[年功序列|年功賃金]]、[[企業年金]]、[[退職金]]といった、戦後の[[日本型福祉]]社会を担う[[企業福祉]]も普及した。\n; 戦後\n: [[日本国憲法第25条]]が定める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、すなわち[[生存権]]の実現を目指した。政府は、「最低限度の生活を営む」ための[[児童]][[保育]]、[[学校教育]]、[[職業訓練]]、[[雇用保険]](1974年(昭和49年)までの失業保険を継承)、[[障害者]][[介護]]・[[自立支援]]、[[生活保護]]といった[[福祉]]サービスを提供しつつ、企業福祉を充実させる[[社会政策]]を採用した。その過程で[[被用者保険]]から外れた対象を[[救済]]するため、[[1958年]](昭和33年)に官庁や企業に組織化されない対象のために地域保険となる[[国民健康保険]]制度が発足し、[[1961年]](昭和36年)年以降、ほぼ\'\'\'国民皆保険\'\'\'([[ユニバーサルヘルスケア]])が実現した。また、[[1959年]](昭和34年)年に企業年金や職域年金から外れた対象のために[[国民年金]]も発足した。\n; 近年から現在に至る課題\n: [[#少子高齢化|少子高齢化]]による[[医療費]]負担の増大に伴い、財政の逼迫した[[健康保険組合]]が増え、\'\'\'組合管掌健保\'\'\'や\'\'\'[[全国健康保険協会|協会けんぽ]]\'\'\'の保険料率や国庫負担率の引き上げが議論される。現在、毎年のように国民年金保険料や厚生年金の負担率が引き上げられて[[現役世代]]への負担が増し、[[公的年金]]の[[世代間格差]]が問題になっている。\n: 生活保護制度も数々の[[生活保護問題]]を抱えている。当初より不正受給などの問題があったが、不況の長期化により受給者が増加し続けており財政負担が無視できないものになっている。また[[デフレーション|デフレ]]の進行に伴う賃金の低下や非正規雇用の増加は、相対的に生活保護の生活水準を引き上げることになった。これにより国民年金のみや低賃金労働で生活するよりも、生活保護を受けたほうが良い暮らしをできるという可能性が、自立を目指さないというモラルハザードを生むのではないかという批判を強めることになった。\n\n=== 保健 ===\n{{Main|日本の健康|日本の医療}}\n\n2009年のOECD対日審査報告では、医療制度改革に一節が割かされている。日本はGDP増加を上回るペースで医療費が増加しており、老人医療費の上昇に対して若者世代の負担を抑えながら対応するかが鍵であるとOECDは報告している<ref name="OECD2009"> {{Cite report |publisher=OECD |date=2009-08-13 |title=OECD Economic Surveys: Japan 2009 |doi=10.1787/eco_surveys-jpn-2009-en |isbn=9789264054561 }}</ref>。\n\n; [[平均余命]]\n: 2012年(平成24年)度の平均寿命は、男性79.44歳、女性85.90歳である<ref>{{Cite web|last=厚生労働省|title=日本人の平均余命|url=http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life06/index.html|accessdate=2008年4月9日 }}</ref>。また、例年、女性の平均の[[長寿]]は世界第1位であったが、今年は2位に転落し、香港が1位となった。男性も昨年4位から8位に下がった。これは、[[2011年]]に起こった東日本大震災が原因と考えられる。<ref>{{Cite web|last=[[世界保健機関]](WHO)|title=Data and statistics|url=http://www.who.int/research/en/|accessdate=2008年4月9日 }}</ref>。また、[[健康寿命]]では、男性72.3歳、女性77.7歳(2001年〔平成13年〕)と、世界一の長寿である。\n; [[日本の健康#日本の死因|主な死因]]\n: 終戦直後まで[[結核]]などの[[感染症]]が多かったが、平成24年現在では、一に[[悪性腫瘍|悪性新生物]](癌)、二に[[心臓病|心疾患]]、三に[[脳血管障害|脳血管疾患]]と、[[生活習慣病]]を中心とする[[慢性疾患]]が主である。\n; [[保健]]([[健康]])への支出\n: GDP に占める比率が7.8%、政府が負担する比率が81.3%で、一人当たりの GDP が20,000ドル以上の国々の中における標準的な水準である<ref>{{Cite web|last=WHO|title=Data and Statistics>World Health Statistics 2007 - Health systems expenditures in health|url=http://www.who.int/whosis/whostat/2007/en/index.html|accessdate=2008年5月4日 }}</ref>。\n: 急速に進む[[出生率]]の低下・[[労働世代]]人口の減少・高齢化社会への対応として、公的医療保険料の増額、医療費自己負担分の増加、[[後期高齢者医療制度]]の導入など、一連の[[日本の医療#医療制度改革|医療制度改革]]により、負担が増加する傾向にある。\n; [[医療制度|医療供給体制]]\n: [[医療従事者]]の人数は、2013年OECD統計では医師が人口1000人あたり2.2(OECD平均は3.2)であり、一方で看護師は人口1000人あたり10.0(OECD平均は8.8)であった<ref name="OECDhealth2013" />。\n: 一方で[[病床]]数では供給過剰が指摘されており、人口あたりの病床数は世界1位でOECD平均の2倍以上、また患者の平均入院日数もOECD各国中で1位であった<ref name="OECDhealth2013">{{Cite report|publisher=OECD |date=2013-11-21 |title=Health at a Glance 2013 |doi=10.1787/health_glance-2013-en }}</ref>。そのため[[社会的入院]]などの問題が指摘されている。\n; [[過剰診療]]\n: 日本の医療は過剰診療が指摘されており、人口一人あたりの受診回数はOECD平均の2倍(OECD各国で2位)、医師一人あたりの診療回数についてはOECD各国で2位であり<ref name="OECD2009" />、そのため患者から寄せられる共通した苦情は「3時間待ちの3分診療」であった<ref name="OECD2009" />。\n; [[検疫]]など\n: 近年、大学の[[医学教育]]や[[医学#基礎医学|基礎医学]]研究の場における感染症や[[寄生虫病|寄生虫症]]の扱いが後退し、[[麻疹]]の輸出国として非難されている。また、[[海外]]からの[[病原体]]の移入や[[海外旅行]]者が帰国した後の感染症・寄生虫症などの発症に対しての態勢にも危惧が抱かれている。\n\n=== 少子高齢化 ===\n[[File:Population pyramid of Japan.svg|thumb|300px|日本の[[人口ピラミッド]]]]\n[[File:Population of Japan since 1872.svg|thumb|right|300px|[[日本の人口統計]]。現在(1872-2009)と将来予測(2010-)]]\n現在、いわゆる[[少子高齢化]]が進む。高齢社会白書では「我が国は世界のどの国も経験したことのない高齢社会を迎えている」と述べられている<ref>{{Cite journal|publisher=内閣府|title=高齢社会白書 |date=2013 |url=http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/index-w.html }}</ref>。\n\n; [[少子化]]・[[育児]]・[[子育て]]\n: 一時は、明治以降の近代化の過程で、乳児の[[死亡率]]の低下や国力の上昇によって人口の激増が起こった他、戦後の[[ベビーブーム]]([[団塊の世代]])により、若年層ほど多いピラミッド状の構成となった。しかし、高度経済成長以降、一人の女性が生涯に産む数([[合計特殊出生率]])も世界最少レベルの1.3近くまで低下した。その原因として、以下などの複合的な要因が指摘される<ref>山田昌弘『少子社会日本―もうひとつの格差のゆくえ』(岩波新書、2007年)</ref>。\n:* [[医学]]・医療の向上による、死亡率の減少。\n:* [[教育]]水準の向上による、[[学費]]負担の増大。\n:* 公的な育児支援の不足。\n:* 長時間[[労働]]による育児のための時間の不足や、仕事と育児との両立の困難さ。\n:* [[核家族]]化による、祖父母からの扶助の減少。\n:* 地域社会における相互扶助の希薄化。\n:* 育児以前に、[[結婚]]すら出来ない低所得者層の増大。\n: 政府は、出生率の低下を深刻な問題とし、現在の人口を維持できる2.0〜2.1前後までの増加を理想とするが、有効な対策が成らず、その見通しも立たない。2010年(平成22年)4月より、[[子ども手当法]]が施行されたばかりである。\n; [[高齢化社会]]・[[介護]]\n: 経済的に豊かになったことや医学・医療の向上により、[[平均寿命]]・平均健康寿命が世界で最も高い国になったが、同時に、介護が必要な[[高齢者]]人口の増加にも至った。(育児と同様、)時間の不足や仕事との両立の困難さ、核家族化による祖父母の世代との別居や高齢者のみ(夫婦2人や1人)世帯の増加、地域社会における相互扶助の希薄化などが複合的な要因となり、伝統的に行われてきた家族による高齢者の介護が困難となったことから、2000年(平成12年)に[[介護保険]]が創設され、家族・行政・地域社会の協力による政策に転換した。しかし、不十分な経験や、激務に比して低額な介護報酬ゆえに事業者や従事者が十分な収入を得られないこと、行政の必要十分な予算の不足などの複合的な要因により、様々な需要に対する必要十分なサービスの提供に至らない。\n\n=== 自殺 ===\n世界保健機関(WHO)の統計(2010年〔平成22年〕)によると、WHOに自殺統計を報告する104か国の中における[[自殺]]率の順位は、高い方から第6位であり、人口一人当たりのGDPが20,000ドル以上の国々の中では、第1位である([[国の自殺率順リスト]])。\n\n自殺の原因については、宗教・[[死生観]]など日本人の様々な[[精神]]性が仮説として提示されるが、依然として解明されていない。政府は、先進国でも極めて高いこの自殺率を重要な問題と認識し、2006年(平成18年)に[[自殺対策基本法]]を制定したが、基本的な枠組みを規定するにとどまった<ref>{{Cite web|last=法令データ提供システム|title=自殺対策基本法|url=http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%b5&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=H18HO085&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1|accessdate=2008年6月19日 }}</ref>。\n\n== 教育・科学・技術 ==\n{{Main|日本の教育|日本教育史|教育基本法}}\n\n=== 義務教育・初等教育・中等教育 ===\n{{Main|義務教育#日本|初等教育|中等教育}}\n\n[[1990年]](平成2年)時点の[[識字]]率は、99.8%(男99.9%、女99.7%)。<!--http://www.uis.unesco.org/profiles/EN/GEN/countryProfile_en.aspx?code=3920\n初等教育の在学率は、100%とされる。UNESCO のデータに基づく総務局の報告では、統計値が示されていない。 -->[[日本国籍]]を有する6歳から15歳までの9年間([[学齢]])を対象とする[[義務教育]]が実施される。一般には、[[小学校]]6年間、[[中学校]]3年間。[[特別支援学校]]については、小学部6年間、中学部3年間。[[中等教育学校]]については、前期課程3年間。なお、中学校を卒業した内の約96%が[[高等学校]]に進学する。\n\n=== 生涯学習・教育訓練 ===\n{{Main|生涯学習|教育訓練}}\n{{節stub}}\n\n=== 高等教育・基礎科学 ===\n{{Main|高等教育#日本における高等教育|基礎科学}}\n{{See also|日本人のノーベル賞受賞者}}\n{{節stub}}\n\n=== テクノロジー研究開発・応用科学 ===\n[[File:Kibo PM and ELM-PS.jpg|thumb|日本はアジアで唯一の[[国際宇宙ステーション]]計画参加国である ([[JAXA]]・[[きぼう]])]]\n{{See also|テクノロジー|研究開発|応用科学}}\n\n世界的にも多くの分野で高水準の[[テクノロジー]]を有する。[[国際特許]]の出願数は、アメリカ合衆国に次ぐ世界第2位、特許収入もアメリカに次ぐ世界第2位の黒字国である。\n; [[環境]]・[[エネルギー]]に関連する技術\n: 世界的にも高水準の技術を有する。[[ディーゼルエンジン]]の[[特許]]の出願数は、世界第1位である。[[原子力発電]]システムを独自開発する技術を持つ国のひとつ。世界的に最も高水準の[[二次電池]]技術を有し、[[ハイブリッドカー]]や高性能な携帯情報機器の基盤となっている。[[バイオ燃料]]や[[燃料電池]]、[[太陽光発電]]など新エネルギーの研究も盛んだが、普及面で言えば諸外国に立ち遅れている。\n; [[情報技術]]\n: [[マイクロプロセッサ]]設計に関しては高水準の技術を有し、[[マイクロコントローラ]]開発ではアメリカ合衆国に次ぐ開発拠点となっている。日本企業は[[半導体]]デバイスの製造装置で高いシェアを有するが、[[ハードディスクドライブ]](HDD)、[[フラッシュメモリ]]や[[液晶ディスプレイ]]の生産では、近年の円高により韓国や台湾に押されている。近年、電子機器を始めとする機械産業において日本を脅かす韓国の技術は、日本人技術者を強引に獲得することによって奪われたものである。[[光ファイバー]]や結晶引上技術など素材に関する研究に厚みがあり、その基礎技術は、依然として優位である。ソフトウェア分野では、[[組み込みシステム]]の技術者層が特に厚い。\n; 原材料・[[ナノテクノロジー]]\n: [[特殊鋼]]、[[合成繊維]]、[[セラミックス]]など幅広い分野で世界的にも高水準の技術を有している。特に[[複合材料]]を得意とし、自動車産業・造船・航空宇宙・[[軍需産業|防衛産業]]などを支える。\n; 先端計測技術\n: [[磁力]]や近接場[[マイクロ波]]、[[中性子]]の利用技術、複合計測技術などは、高い水準にあるが、[[イオン]]や[[レーザー]]利用技術などは、低水準である。\n; ライフサイエンス([[生命科学]])\n: アメリカ合衆国、そしてヨーロッパ全体に次ぐ3番手の位置にある。[[幹細胞]]に関連する技術についても[[人工多能性幹細胞]](iPS細胞)の技術で世界を先行するが、幹細胞に関連する技術の全体で言えば、特許の出願数の半分以上がアメリカ合衆国で、以下、EU、日本と続く。\n; [[宇宙開発]]\n: {{Main|日本の宇宙開発|宇宙航空研究開発機構|宇宙基本法}}\n: 1970年に[[糸川英夫]]率いる東京大学宇宙航空研究所(現在の[[宇宙科学研究所]]の前身)が日本初の人工衛星「[[おおすみ]]」を打ち上げ、日本はソ米仏に続き世界で4番目に衛星を自力で打ち上げた国となった。以来世界有数の衛星打ち上げ国であり、現在では[[H-IIA]]・[[H-IIB]]ロケットや[[M-V]]ロケットなどの純国産化に成功したロケットの打ち上げがされている。2013年夏には[[M-V]]ロケットの後継機となる新型の固体ロケット[[イプシロンロケット]]の打ち上げが予定されている。近年では2010年に小惑星探査機[[はやぶさ]]が世界初となる月以外の天体からの[[サンプルリターン]]に成功し国内外から多くの注目を集めた。自国による有人宇宙飛行はまだ実現しておらず諸外国には立ち遅れている一方、[[毛利衛]]宇宙飛行士が1992年に[[スペースシャトル]]で宇宙に旅立って以来8名の宇宙飛行士が宇宙へ飛んでいる。[[国際宇宙ステーション]]計画には日本がアジアで唯一参加しており、独自の研究棟を保有している。[[宇宙ステーション補給機]]の開発・運用により宇宙ステーションへの物資運送の一翼を担っており、宇宙開発分野における国際貢献が進んでいる。\n\n== 国民 ==\n=== 人口 ===\n{{Main|日本の人口統計|都道府県の人口一覧}}\n\n<!--*126,925,843人([[国勢調査]] 2000年〔平成12年〕10月) -->\n* 128,057,352人(国勢調査 2010年10月1日)\n* 約127,724,000人(総務省統計局「人口推計月報」2007年〔平成19年〕3月1日確定値<ref>{{cite web|last=総務省統計局|title=人口推計月報|date=2007-01-22|url=http://www.stat.go.jp/data/jinsui/tsuki/index.htm|accessdate=2007年9月13日 }}</ref>)\n* 127,433,494人 ([[CIAワールドファクトブック]]、2007年7月<ref>{{cite web|last=Central Intelligence Agency, "Japan"|title=The World Fact Book Online ed.|url=https://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/ja.html|accessdate=2007年9月13日 }}</ref>)\n* 約128,100,000人(2010年〔平成22年〕[[6月]]現在)\n* 127,066,178([[総務省]]による[[住民基本台帳]]に基づく人口の調査 2008年7月31日)\n* 日本国籍を持つ者の割合:98.9%(2010年〔平成22年〕8月現在)\n; 年齢構成\n: 日本は1950年以降急速な少子化、[[高齢化社会|高齢化]]が進行している。そして、1970年に\'\'\'高齢化社会\'\'\'(65歳以上の人口割合が7%から14%)に、1994年に\'\'\'[[高齢化社会|高齢社会]]\'\'\'(65歳以上の人口割合が14%から21%)になり、2007年には\'\'\'[[高齢化社会|超高齢社会]]\'\'\'(65歳以上の人口割合が21%以上)となった。\n: {{日本/5歳階級別人口}}\n; 地域別分布\n: 日本の各地方の人口は次の通りである。2010年10月1日に実施された国勢調査の速報値による<ref>『平成22年国勢調査 人口速報集計結果 全国・都道府県・市区町村別人口及び世帯 統計表』([[総務省統計局]]、2011年2月25日発表)による。</ref>。\n:* [[南関東]]地方(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県):35,623,327人\n:* [[関西]]地方(滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県):20,900,288人\n:* [[東海地方|東海]]・東山地方(山梨県、長野県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県):18,124,940人\n:* [[九州・沖縄地方]](福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県):14,596,977人\n:* 東北地方(青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県):9,335,088人\n:* 中国地方(鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県):7,561,899人\n:* [[北関東]]地方(茨城県、栃木県、群馬県):6,984,049人\n:* 北海道地方(北海道):5,507,456人\n:* 北陸地方(新潟県、富山県、石川県、福井県):5,444,797人\n:* [[四国地方]](徳島県、香川県、愛媛県、高知県):3,977,205人\n\n100万人規模以上の人口を有する大都市が各地方に点在している。国民の多くは、これらの大都市、または、その周辺部で生活する。国土全体を対象とした[[人口密度]]調査においても領域国家として世界有数の高さを示すが、沿岸の平野部に都市部が集中していて、国土の1割に人口の9割が住む。また、日本海側に比べて太平洋側に人口が集中している。中でも特に[[東京都区部|東京]]を中心とした南関東の人口は、日本の人口の約4分の1を超え、世界最大の都市圏を構成する。そのため、都心部では土地の値段が高騰化し、[[ドーナツ化現象]]などの問題も起きている。しかし近年では、特に首都圏では、東京都心部の土地の値段が下落し[[都心回帰]]の現象も見られる。\n\n2010年10月1日に行われた国勢調査の速報数を集計した結果、人口総数が500万人を超過する上位9都道府県は次の通りである<ref>前掲による。</ref>。\n:* 東京都:13,161,751人(6,018人/km²)\n:* 神奈川県:9,049,500人(3,744人/km²)\n:* 大阪府:8,862,896人(4,679人/km²)\n:* 愛知県:7,408,449人(1,434人/km²)\n:* 埼玉県:7,194,957人(1,895人/km²)\n:* 千葉県:6,217,119人(1,206人/km²)\n:* 兵庫県:5,589,177人(666人/km²)\n:* 北海道:5,507,456人(70人/km²)\n:* 福岡県:5,072,804人(1,019人/km²)\n\n=== 民族・国籍 ===\n{{Main|日本人|大和民族|日本の民族問題|日本の外国人}}\n{{bar box\n|title=民族構成(日本国)<ref name="CIA-JP">{{Cite web|date=2012-03-06|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ja.html|title=The World Factbook|publisher=[[中央情報局|CIA]]|language=英語|accessdate=2012-3-25}}</ref>\n|titlebar=#ddd\n|float=left\n|barwidth=250px\n|bars=\n{{bar percent|[[大和民族|日本民族]]|yellowgreen|98.5}}\n{{bar percent|[[在日韓国・朝鮮人|朝鮮人]]|red|0.5}}\n{{bar percent|[[在日中国人|中国人]]|yellow|0.4}}\n{{bar percent|その他|blue|0.6}}\n}}\n\nヤマト王権の側から書かれた古代史には、九州地方に[[熊襲]]、東日本に[[蝦夷]]など、文化を異にする部族がいたという記録がある。彼らは、徐々に大和朝廷に臣従しながら大和民族と同化していったとされる。[[アイヌ語]]と日本語との[[比較言語学]]的な関連が見出せないことから、アイヌと大和民族との関連について様々な議論があるが、遺伝学や考古学的証拠から大和民族との関係を重視する学説が有力になり、大和民族に同化しきらなかった蝦夷が、[[オホーツク文化]]などの影響を受けつつ、徐々に中世頃から分化したものと考えられている。\n\n==== 外国人・帰化人 ====\n日本国籍を有さない外国人が200万人程在住し<ref name="autogenerated2000">[http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2000/final/hyodai.htm#20 人口統計]{{リンク切れ|date=2010年3月}} および[http://www.moj.go.jp/TOUKEI/t_minj03.html 帰化統計] 日本国 総務省 統計局</ref>、現在{{いつ|date=2011年3月}}、在住人口の約1.5%が[[外国人登録制度|外国人登録者]]である。中国籍、韓国籍、朝鮮籍、台湾籍、ブラジル国籍、フィリピン国籍の順に多く、韓国・朝鮮籍を除けば増加傾向にある。近年{{いつ|date=2011年3月}}の外国籍の増加の背景には、1990年(平成2年)の[[出入国管理及び難民認定法|入管法]]改正でブラジルなどに移民した日本人の子孫の日本での就労が自由化されたことが大きく、更に[[国際結婚|結婚の国際化]]などもある。\n\n全人口の98.5%が日本民族とされるが、日本政府は日本国籍を有する者を日本民族としてみなしているため、アメリカ合衆国やイギリス、カナダなど移民の多い国で一般的に調査される、民族・人種調査は国勢調査では行われていない。そのため、アイヌ人などの少数民族、渡来人や[[日本のロシア人|亡命ロシア人]]の子孫、外国からの帰化人や国際結婚の配偶者、さらにはその子どもなども98.5%の日本民族という項目に含まれている。これらの政策が[[単一民族国家]]的な価値観に基づいた[[同化主義]]であるという見方もある。\n\n韓国籍、朝鮮籍、および台湾籍については、戦前の旧・日本領の出身者、および両親のうちいずれか(あるいは両方)がその出身である者の子孫が多く、[[中国残留孤児]]や家族の永住帰国もいる。更に、韓国籍、朝鮮籍に関しては、戦後になってから朝鮮戦争や貧困・圧政から逃れて渡来してきた難民<ref>「朝鮮戦争と日本の対応」庄司潤一郎(防衛研究所紀要第8巻第3号2006.3)[http://www.nids.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j8_3_03.pdf]2章P.44以降に詳しい</ref>が一部含まれている。\n\n[[1895年]](明治28年)に台湾を、1910年(明治43年)に朝鮮半島を併合後、太平洋戦争敗戦まで日本の一部として、[[台湾人]]、[[朝鮮人]]にも日本国籍を与えていたため、これらの地域にルーツを持つ人々が多く、順次、経済的に豊かであった本土に移住してきた者も少なくない<ref>ここからの記述について『書評:安井三吉著:帝国日本と華僑-日本・台湾・朝鮮』陳来幸(現代中国研究第19号2006.10.7)[http://modernchina.rwx.jp/magazine/19/chin.pdf][http://ci.nii.ac.jp/naid/40015153225]から起筆した。</ref>。明治の日本は西欧人の居住や移動、営業に関しては領事裁判権を認める代わりとして居留地制による制限を設けていたが、朝鮮人や中国人については制限がなく、日本国内の各地での雑居が認められていた。1899年に西欧各国との領事裁判権の撤廃が成り、居留地制度は一律に廃止され(内地雑居)たが、中国(清・中華民国:支那)人を含む外国人労働者には居住・就労の制限が設けられた(勅令第352号<ref>明治32年勅令第352号「条約若ハ慣行ニ依リ居住ノ自由ヲ有セサル外国人ノ居住及営業等ニ関スル件」</ref>)。これはおもに華人(支那人)を規制する目的のもので朝鮮人には実質的に適用されなかったとされる<ref>陳来幸2006.10.7によれば「韓国人には慣行により内地雑居が容認されてい(た)」(P.75、PDF-P.3)</ref>。台湾人もまた併合後は帝国臣民であり居住に制限はなかったが、台湾・朝鮮とも戸籍(台湾戸籍、朝鮮戸籍)の離脱は認められず、あくまで内地での[[寄留]]であった。台湾人の移住は戦前は少なく<ref>在日台湾人は1930年代に入るまでは少なく、しかもその大半は留学生であったといわれている。「近代日本と外国人労働者」山脇啓造(明石書店1994)P.11</ref>、日本在住の台湾人は総じて学歴があり、華人(支那人)や朝鮮人とはことなりオランダや[[鄭成功|明遺臣]]、清朝の植民支配の歴史的経験があり、民族的な屈託がなく日本語(や外国語)に通暁しよく働くので厚遇された。華人(支那人)は[[三把刀|三刀]](料理・理髪師・仕立屋)が、朝鮮人は労働者が中心で、移住規模も多かった<ref>「第二次世界大戦前後の日本における台湾出身者の定住の一過程」黄嘉琪 (海港都市研究 神戸大学文学部 海港都市研究センター2008.03)[http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81000036.pdf][http://www.lib.kobe-u.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000003kernel_81000036]</ref><ref>1920年代の東京在住中国人労働者については「1920年代の東京府における中国人労働者の就業構造と居住分化」阿部康久(名古屋大学人文地理第51巻第1号1999年)[https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/14223/1/j_51_1.pdf][https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/handle/2324/14223]が詳しい。</ref>。\n\n朝鮮人労働者の日本内地への移動は[[日韓併合]]の1910年に2600人であった移動者が1923年には13万人あまりと増加傾向にあり、1919年4月の「朝鮮人の旅行取締に関する件」(警務総覧部第3号)により朝鮮人の日本渡航への直接規制(旅行証明書制度)に転換し、移動制限を口実に実質的な居住規制に方針が転換された<ref>朝鮮領域の外に出るものは居住地所轄警察署ないし駐在所が証明書を下付することを規定した。旅行届出許可制。朝鮮籍臣民は日本への旅行(あるいはその名目での転出)は大幅に制限されたが、満州への旅行はほとんど制限がなく、税関審査程度での渡航や旅行が認められていた。『植民地朝鮮における朝鮮総督府の観光政策』李良姫(北東アジア研究第13号2007年3月 島根県立大学北東アジア地域研究センター\n)[http://www.u-shimane.ac.jp/36near/41kenkyu/file/13_09_lee.pdf][http://ci.nii.ac.jp/naid/40015705574/]</ref>。朝鮮半島領域では実施されていなかった参政権も[[普通選挙法]](1925年)施行後の内地では認められており、希望を持ち移動し定住した者も多かったが生活は決して恵まれたものではなかった<ref>これは戦時中に[[隣組]]の一員として認めてもらうことができず、[[配給]]が受けられないなどの具体的な困難として現れた。</ref>。大戦中には軍人・[[軍属]]、あるいは就業目的として渡海した。また徴用労働者として800名以上が渡海した。\n\n終戦の後、彼らの多くが[[祖国]]へ引き上げたが、各人の判断や事情によって日本に留まった者もいる。また、戦後相当の数の朝鮮人が祖国の混乱(朝鮮戦争)(国連による難民認定がされている)や韓国軍による虐殺([[済州島四・三事件]]、[[保導連盟事件]]など)を逃れて日本に渡った。その後、[[日本国との平和条約|サンフランシスコ平和条約]]締結によって彼らは日本国籍を喪失し[[朝鮮籍]]となったが、そのまま[[特別永住者]]として日本に在住し続けた。現在では、日本生まれが多数派であり、[[帰化]]して日本国籍を取得する者も多く<ref name="autogenerated2000"/>、在日コリアンは減少を続けている。近年では朝鮮籍から韓国籍に登録を変更する者が多数となっている。\n\nアイデンティティと国籍の問題は明治の開国以来、日本が否応なく直面することになった人権問題であり、戦前から華僑・[[印僑]]の人々や様々な移住者、戦後ながらくは台湾・中国系日本人コミュニティの間で葛藤を生んできた。近年{{いつ|date=2011年3月}}では日系移民2世3世の出稼ぎ労働や、東南アジア・中国からの「研修労働者」、不法入国(滞在)労働者の人権問題などが発生している。\n\n==== 起源 ====\n{{see also|日本人}}\n日本人の起源は、ユーラシア大陸から長年にわたって移住した人々[[弥生人]]と、古くから定住していた人々[[縄文人]]が融合して形成されたものである。移住してきた経路は時代によって異なる。主な経路としては、サハリンなどの北方経路、朝鮮半島を基点とする日本海経路、南西諸島を経由する南シナ海経路である。最も古い系列は、モンゴロイドのグレイト・ジャーニーの時期に北方経路で大型獣を追ってやってきたと推測される。\n\n最初に主流になったのは、沖縄・南九州・東北地方に多い[[縄文時代|縄文人]]である。この時期、日本海経路で小規模ながら交易がおこなわれていたことが出土品から証明されている。その後、稲作文化とともに大陸からやってきた人々が、北九州から中部地方に多い[[弥生時代|弥生人]]の基盤となった。日本列島に移住してきた経路や、規模、時期の詳細については、定かでない部分が多く、諸説ある。縄文系と弥生系では身体的特徴に違いがある。縄文系は、目が大きい、彫りが深い、骨太で筋肉質、二重まぶた、歯は短い、耳垢が湿っている、体毛が濃い、などの特徴を持つ場合が多い。弥生系は、目が細い、彫りが薄い、長身ですらっとした体格、歯が長い、耳垢が乾いている、などの特徴を持つ場合が多い。\n\n島国という地理的な特性から、小規模な移住が何度も繰り返された結果として、複数の民族が互いに混血し、文化を取り込みながら発展したと推測される。それらの中から最大勢力として発展してきたのが自称として「和人」、あるいは近代的な民族意識の下で「[[大和民族]]」あるいは「日本民族」である。\n\nなお、アイヌ民族は、和人との交流の中で、中世から近世にかけて成立したとされるが、成立の詳細な過程については不明な点が多い(詳細はアイヌを参照)。\n\n古墳時代、北東北地方を除く本州・四国・北九州の人々は、[[奈良盆地|大和盆地]]を本拠地とするヤマト王権のもとに連合し、[[倭人]](和人)としての文化を形成する。飛鳥時代の[[律令制|律令国家]]の確立に伴い、和人の文化的一体性が確立された。その後、朝廷の支配下に入るのが遅れた北東北(蝦夷)・[[南九州]](熊襲)の人々を同化しながら文化圏の拡大を続け、平安時代までに本州・四国・九州の全域が和人の生活範囲となった。江戸時代には、薩摩藩による琉球への侵攻、[[松前藩]]のアイヌ支配の確立により、北海道・南西諸島を含む日本列島の全域が和人の勢力圏に置かれた。\n\n「蝦夷地」と総称された現在の北海道・千島列島・樺太南部に居住したアイヌや、琉球王国を樹立した南西諸島の人々は、弥生時代以降、本土と交流を持ち続けつつも、江戸時代まで政治的には本土の政権の支配下には入らず異なる歴史を歩んだ経緯がある。現在、アイヌ語を第一母語とする人々は極めて少ないが、[[アイヌ文化振興法]]が制定されてアイヌ文化の保存・再興が図られている。なお、アイヌと共に南樺太にいた[[ウィルタ]]や[[ニヴフ]]の多くは、ソビエトの侵攻・占領の後、北海道や本州へ移住した。また、小笠原諸島には、19世紀初頭にハワイからの移民団が史上初めて定住し、[[欧米系島民]](ヨーロッパ系アメリカ人やハワイ人)による小規模なコロニーが形成されたが、明治維新の後に日本による領有が確定すると順次、彼らも日本国籍を取得して日本人社会に溶け込んでいった。\n\n=== 言語 ===\n{{Main|日本の言語|日本における漢字|国語国字問題|日本語|日本語の表記体系|日本語の方言}}\n[[File:Japanese dialects-ja.png|thumb|300px|[[日本語族]]の方言区分例]]\n\n日本には[[公用語]]を明示する法令が存在しない<ref>[[裁判所法]]74条では、「裁判所では、日本語を用いる。」と定められている。</ref>が、日本語がほぼ全ての国民の[[母語]]であり、慣習に基づく事実上の公用語である。全土で均質化された日本語による義務教育が行われている。[[識字率]]は極めて高い。日本に定住する外国人も多くは日本語を理解する。国会では、アイヌ語などの使用も認められている<ref>[[1994年]][[1月24日]]に[[萱野茂]]によって第131回国会内閣委員会の中でアイヌ語による質問が行われている。[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/131/1020/13111241020007c.html 参議院会議録情報 第131回国会 内閣委員会 第7号]</ref>が、憲法や法律は、日本語で記したものが正文である<ref>外国語を正文とする条約は、日本における国内法的効力に注目すれば、「外国語で記された日本法」ということになる。</ref>。\n\n近代以前の日本語は、[[文語]]と[[口語]]との乖離が大きかった。口語では[[京言葉|京都方言]](江戸時代中期以前)および[[江戸言葉|江戸方言]](江戸時代後期以降)が中央語と意識され広く通用したが、地域や階層による[[方言]]差が大きかった。明治維新による近代的な国民国家の創設に伴って[[言文一致]]運動が起こり、口語に近い文章語の確立が朝野の双方から推し進められた。[[東京方言]]を基盤に整えられた新しい文語や口語([[標準語]]・[[共通語]])は、教育・報道・行政・軍隊などを通じて国民に広く浸透し、国民的一体感の形成に寄与した。共通語の浸透に伴い各地の方言は衰退・変容を余儀なくされた。近年、地域文化・アイデンティティーとして見直す機運が高まり、教育現場においても共存が図られるようになったといわれる<ref>{{Cite web|author=文部科学省|coauthors=|date=1995-11-01|url=http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19951101001/t19951101001.html|title=第二〇期国語審議会 新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)|language=|accessdate=2009-12-29}}</ref>。\n\n日本は漢字文化圏に属し、日本語の表記には[[漢字]]とそれから派生した[[仮名 (文字)|仮名]]を主に使用する。第二次世界大戦後、GHQの指導などもあって、政府は漢字の全廃を決定し、全廃まで当面使用できる漢字をまとめた「[[当用漢字|当用漢字表]]」を告示して漢字の使用を制限した。しかしその後、当用漢字よりも緩やかな「目安」として「[[常用漢字|常用漢字表]]」が制定され、漢字全廃の方針は撤回された。そうしたなかで、一部の漢字は[[正字体]](旧字体)から[[新字体]]に簡略化された。固有名詞は別扱いであることから、人名・地名などでは旧字体や異体字の使用が続いており、異体字の扱いは現在もしばしば問題となる。仮名の[[正書法]]に関しても、終戦後、従来の[[歴史的仮名遣]]から[[現代仮名遣い]]に変更された。近年、コンピュータの普及などに伴い、漢字の使用に関する制限は緩められる傾向にある。\n\n日本語以外には、アイヌが用いるアイヌ語や、樺太から移住した少数住民が用いた[[ニヴフ語]]・[[ウィルタ語]]がある。現在ではニヴフ語・ウィルタ語の母語話者によるコミュニティは消滅し、アイヌ語も母語話者が10人以下に限られる[[危機に瀕する言語]]であるが、アイヌ語再興の取り組みも活発である。[[琉球語|琉球列島の伝統的な言葉]]は本土方言と違いが大きく、本土方言とともに日本語の二大方言の一つである[[琉球方言]]か、日本語とは系統の同じ姉妹語(「琉球語」)か、その位置づけには議論がある。琉球方言(「琉球語」)内部でも地域差が大きく、複数の言語の集合として「琉球語派」や「琉球諸語」と位置づける場合がある<ref>[[石井米雄]]編『世界のことば・辞書の辞典 アジア編』(三省堂、2008年8月発行)の「琉球語」([[高江洲頼子]]執筆)の冒頭に、「琉球語は奄美大島から[[与那国島|与那国]]まで距離にして約1,000キロメートルにわたる[[琉球列島]]の島々で話されてきた言語の総称である。大きくは奄美・沖縄方言群(北琉球方言)と宮古・八重山方言群(南琉球方言)に区分され, 両者はまったく通じないくらい異なっている。さらに方言は島ごとに異なり, 細かくは村落共同体の字ごとに異なるといわれてきた。」と記載されている。</ref><ref>[[梶茂樹]]・[[中島由美]]・[[林徹 (言語学者)|林徹]]編『事典 世界のことば141』(大修館書店、2009年8月初版発行)の「2 沖縄語」([[西岡敏]]執筆)の「どんな言語?」には、「ウチナーグチは琉球諸方言の1つで[[沖縄方言]]とも呼ばれ、北琉球方言群に属します。同じく北琉球方言群に属するのは[[奄美群島|奄美諸島]]の[[奄美方言]]で、こちらは行政的に鹿児島県に属します。この行政区分は、17世紀はじめ、日本の薩摩藩が琉球を攻めて、奄美諸島を直轄地に、沖縄諸島以南を琉球王国の支配に任せたことに由来します。沖縄と奄美が言語的に近いのに比べ、同じ沖縄県に属している宮古・八重山の言語は[[沖縄本島|沖縄島]]の言語と通じ合わないほど異なり、南琉球方言群を形成しています。」と記載されている。</ref>。\n\nその他の言語は、日本語に単語として取り入れられた[[外来語]]を除き、日本人同士の意思疎通にはほとんど用いられず、高等教育の[[教授言語]]としても常用されない。日本人にとって最も身近な外国語は[[国際語]]である英語であり、実務上での便益や諸外国人への配慮から、国際取引や学術研究の場で使用が奨励されることがある。義務教育の中学校の必修科目である外国語科では[[英語 (教科)|英語]]を扱うことが圧倒的に多く、それ以降の高等教育機関でも多くの日本人が英語を学ぶ。とはいえ、多くの日本人にとって、日本語から遠い系統の言語であるため習得が難しく、また日常生活や職務上での必要性が低いことなどから、帰国子女など特殊な例を除き、英語に堪能な者は非常に少ない。\n\n[[大学]]で学ぶ第二外国語としては、主に[[ドイツ語]]・[[フランス語]]が選択されてきたが、近年は中国の経済発展に伴って中国語の選択が増えた。[[朝鮮語]](韓国語)は日本人にとって比較的習得が容易な言語であるが、韓国朝鮮系の住民を除いて学習者は多くなかった。近年、韓国の大衆文化が盛んに輸入されていることに伴い、学習者が増加傾向にある。[[ロシア語]]の学習者は多くないが、冷戦崩壊後、[[極東|極東ロシア]]との貿易が活発化しているため、北海道や日本海側の都市で外国語表記に取り入れられるなどしている。安全保障上の理由から学ばれている言語は、米軍との意思疎通を図るための英語と、仮想敵のロシア語・中国語・朝鮮語が主である([[予備自衛官補]]の語学技能枠で一般公募もされている)。\n\n外国籍の住民および帰化外国人、日本に定住する外国人が用いる主な言語には、[[在日韓国・朝鮮人]]の一部が用いる朝鮮語([[在日朝鮮語]])、[[在日中国人]]・[[在日台湾人]]を中心に約60万人が用いる中国語・[[台湾語]]、[[日系ブラジル人]]を中心に約30万人が用いる[[ポルトガル語]]、[[フィリピン人]]・欧米人を中心に約25万人が用いる英語などがある。\n\n== 脚注 ==\n{{脚注ヘルプ}}\n{{Reflist|2}}\n\n== 参考文献 ==\n* 谷岡一郎、仁田道夫、岩井紀子『日本人の意識と行動』東京大学出版会 ISBN 978-4-13-056101-3\n* 井沢元彦、『逆説の日本史』シリーズ\n* 内閣官報局編『法令全書』東京\n\n== 関連項目 ==\n{{ウィキポータルリンク|日本|[[File:Flag of Japan.svg|32px|border]]}}\n{{Multimedia|日本の画像}}\n\n* [[日本の観光]]\n* [[大日本帝国|大日本帝国憲法下の日本]]\n* [[連合国軍占領下の日本]]\n* [[日本語]]\n* [[日本学]]\n* [[先進国]]\n* [[倭]]\n* [[和風]]\n* [[日本の順位]]\n\n== 外部リンク ==\n{{Sisterlinks|日本}}\n\'\'\'政府\'\'\'\n* [http://www.kunaicho.go.jp/ 宮内庁]\n* [http://www.cao.go.jp/ 内閣府]\n* [http://www.kantei.go.jp/ 首相官邸]\n* [http://www.stat.go.jp/ 総務省統計局]\n* [http://www.gov-online.go.jp/ 政府広報オンライン]\n* [http://nettv.gov-online.go.jp/ 政府インターネットテレビ]\n\n\'\'\'観光\'\'\'\n* [http://www.jnto.go.jp/jpn/ 日本政府観光局]\n\n{{日本関連の項目}}\n{{アジア}}\n{{G8}}\n{{OECD}}\n{{CPLP}}\n\n{{DEFAULTSORT:にほん}}\n[[Category:日本|*]]\n[[Category:島国]]\n[[Category:君主国]]\n[[Category:G8加盟国]]\n\n{{Link FA|ar}}\n{{Link GA|de}}\n{{Link GA|es}}\n{{Link GA|fi}}\n{{Link GA|lt}}\n{{Link GA|no}}',
'title': '日本'},
201: {'text': '{{参照方法|date=2012年2月}}\n{{基礎情報 国|\n 略名 =シンガポール|\n 日本語国名 =シンガポール共和国|\n 公式国名 =\'\'\'{{Lang|en|Republic of Singapore}}\'\'\'{{en icon}}<br/>\'\'\'{{Lang|ms|Republik Singapura}}\'\'\'{{ms icon}}<br/>\'\'\'{{Lang|zh|新加坡共和国}}\'\'\'{{zh icon}}<br/>\'\'\'{{Lang|ta|சிங்கப்பூர் குடியரசு}}\'\'\'{{ta icon}}|\n 国旗画像 =Flag of Singapore.svg|\n 国章画像 =[[File:Coat of arms of Singapore (blazon).svg|85px|シンガポールの国章]]|\n 国章リンク =([[シンガポールの国章|国章]])|\n 標語 =\'\'{{Lang|ms|Majulah Singapura}}\'\'<br/>マジュラ・シンガプーラ(マレー語: 進めシンガポール)</small>|\n 地図画像 = Singapore montage.png|\n 位置画像 = Singapore in its region (zoom).svg|\n 公用語 =[[英語]]、[[マレー語]]、[[中国語|標準中国語(北京語)]]、[[タミル語]]|\n 首都 =シンガポール|\n 最大都市 =シンガポール|\n 元首等肩書 =[[シンガポールの大統領|大統領]]|\n 元首等氏名 =[[トニー・タン]]|\n 首相等肩書 =[[シンガポールの首相|首相]]|\n 首相等氏名 =[[リー・シェンロン]]|(李顕龍)\n 面積順位 =187|\n 面積大きさ =1 E8|\n 面積値 =707.1|\n 水面積率 =1.5%|\n 人口統計年 =2012|\n 人口順位 =113|\n 人口大きさ =1 E6|\n 人口値 =5,410,000|\n 人口密度値 =7,612.68|\n GDP統計年元 =2008|\n GDP値元 =2,574億<ref name="economy">IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2009/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=94&pr.y=12&sy=2008&ey=2008&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=576&s=NGDP%2CNGDPD%2CPPPGDP%2CPPPPC&grp=0&a=])</ref>|\n GDP統計年MER =2008|\n GDP順位MER =44|\n GDP値MER =1,819億<ref name="economy" />|\n GDP統計年 =2008|\n GDP順位 =43|\n GDP値 =2,387億<ref name="economy" />|\n GDP/人 =51,142<ref name="economy" />|\n 建国形態 =[[独立]]<br/> - 日付|\n 建国年月日 =[[マレーシア]]より<br/>[[1965年]][[8月9日]]|\n 通貨 =[[シンガポールドル]] (S$)|\n 通貨コード =SGD|\n 時間帯 =(+8)|\n 夏時間 =なし|\n 国花 =蘭|\n 国歌名 =進めシンガポール|\n ISO 3166-1 = SG / SGP|\n ccTLD =[[.sg]]|\n 国際電話番号 =65|\n 注記 =\n}}\n\n\'\'\'シンガポール共和国\'\'\'(シンガポールきょうわこく)、通称\'\'\'シンガポール\'\'\'は、[[東南アジア]]の[[マレーシア]]に隣接する[[シンガポール島]]と周辺の[[島嶼]]を[[領土]]とする[[共和制]][[国家]]。シンガポール市を中心とし、後背地を持たない[[都市国家]]かつ、[[イギリス連邦]]加盟国である。\n\n== 国名 ==\n[[ファイル:Merlion_statue,_Merlion_Park,_Singapore_-_20110723.jpg|thumb|250px|[[マーライオン]]を前景とした[[w:Downtown Core|ダウンタウン・コア]]]]\n国名は[[サンスクリット語]]で「[[獅子]]」を意味する「[[シンハ]](simha)」に由来する。\n\n通称は\'\'{{Lang|en|Singapore}}\'\' (英語)<ref group="※" name="US"/><ref group="※" name="UK"/>、\'\'\'{{Lang|zh|新加坡}}\'\'\'、\'\'\'{{Lang|zh|星加坡}}\'\'\'(中国語、旧称:星洲、南洋)、\'\'{{Lang|ms|Singapura}}\'\' (マレー語)、\'\'{{Lang|ta|சிங்கப்பூர்}}\'\' (タミル語)。漢字表記は\'\'\'新加坡\'\'\'だが、略称では\'\'\'星\'\'\'となる。新だと[[ニュージーランド]]と同じになり紛らわしいのと、以前、音訳で「\'\'\'星港\'\'\'」と表記されていたころの名残である。<br/>\n[[第二次世界大戦]]で交戦国イギリスの領土であったシンガポールを占領した日本は「\'\'\'昭南\'\'\'(島)」と命名し、“昭”と略す場合もあった。他には星加坡、新嘉坡、星港などとも書かれる。\n\n尚、公用語が4言語あるので正式名称も各言語ある。\n* {{Lang|en|Republic of Singapore}} ([[英語]]:リ\'\'\'パ\'\'\'ブリック・オブ・\'\'\'スィン\'\'\'ガポア<ref group="※" name="US"><small>[[アメリカ英語]]発音:</small>{{IPA-en|ˈsɪŋəˌpɔr|}}\u3000\'\'\'スィ\'\'\'ンガポア</ref><ref group="※" name="UK"><small>[[イギリス英語]]発音:</small>{{IPA-en|sɪŋəˈpɔː|}}\u3000スィンガ\'\'\'ポー\'\'\'</ref>)\n* {{Lang|zh|新加坡共和国}}([[中国語]]:シンジァーポー・ゴンホーグォ)\n* {{Lang|ms|Republik Singapura}} ([[マレー語]]:リプブリク・スィンガプラ)\n* {{Lang|ta|சிங்கப்பூர் குடியரச}}([[タミル語]]:スィンガップール・クディヤラク)\n\nマレー語の「スィンガプラ(Singapura)」を直訳すると「\'\'\'ライオンの町\'\'\'」となる。また、シンガポール原産の[[ネコ]]の種類名、“[[シンガプーラ]]”はマレー語の発音が由来である。\n\n== 歴史 ==\n{{main|シンガポールの歴史}}\n\n== 地理 ==\n{{main|{{仮リンク|シンガポールの地理|en|Geography of Singapore}}}}\n[[東南アジア]]のほぼ中心、[[赤道]]直下の[[緯度|北緯]]1度17分、[[経度|東経]]103度51分に位置する。北の[[マレー半島]]([[マレーシア]])とは[[ジョホール海峡]]で隔てられており、マレーシアとは[[経済]]交流も盛んである。[[シンガポール・チャンギ国際空港]]は島の東端に位置する。シンガポール島の南に隣接する[[セントーサ島]]は、[[リゾート]]地としての[[開発]]が進んでいる。\n\n63の島からなり、もっとも大きな島は[[シンガポール島]](東西42km、南北23km)である。国土の最高地点はシンガポール島にある[[ブキッ・ティマ]](163m)。シンガポール島には[[沖積平野]]が広がる。他の島はいずれも小さく、44の島は面積が1平方kmを下回る。国土面積は世界175位で、東京23区とほぼ同じ広さである。[[人口密度]]は世界第2位である(第1位は[[モナコ|モナコ公国]])。\n\n以前は[[シンガポール川]]沿いには放棄された[[倉庫]]が立ち並び、[[貿易]]港として栄えた時代の名残となっていたが、現在は[[レストラン]]街に改装されており、[[観光]]客だけではなく、地元民も多く立ち寄る地域となっている。 シンガポールには[[山]]と呼べる高さの山はないため、川の流れは非常に緩やかで、人々が川で[[蟹]]や[[魚]]を採る光景をみかけることもあるが、流れが緩やかなこともあり、[[水質]]はあまりよくない。\n\n=== 気候 ===\n[[赤道]]直下に位置するため、一年を通じて高温かつ多湿である。[[モンスーン]]地帯に含まれるが、[[雨季]]と[[乾季]]の区別ははっきりしないものの、北東モンスーンの影響により、11月から3月にかけて[[降水量]]が多い。5月から9月は南西モンスーンのために、1回当たりの雨量が増え、強風に見舞われる。この南西モンスーンに乗って、隣国[[インドネシア]][[スマトラ島]]の[[焼畑農業]]や[[山火事]]の煙が流れ込み、[[ヘイズ]]と呼ばれる[[煙霧]]になることがある。インドネシアの乾期にあたる4月~10月ごろになると[[大気汚染]]が特に酷くなり、健康への被害が懸念されるレベルとなっている<ref>{{cite news |title=マーライオンの目\u3000煙霧にかすむ街 |newspaper=[[産経新聞]] |date=2013-6-20 |url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/130620/asi13062003330002-n1.htm | accessdate=2013-6-20}}</ref>。\n\n[[ケッペン]]の[[気候]]区分によると、乾季のない[[熱帯雨林気候]] (Af) に分類される。首都シンガポールは[[標高]]5mであり、年平均[[気温]]は27.4度、1月の気温は26.4度、7月は27.9度である。11月から1月にかけては比較的すずしい。年平均降水量は2087.1mm。\n{{Singapore weatherbox}}\n\n=== 水資源 ===\n[[File:Singapore-Johor Causeway.jpg|thumb|シンガポール側から見る[[ジョホール海峡]]を渡る[[ジョホール・シンガポール・コーズウェイ|コーズウェイ]]。コーズウェイ脇には3本の水道管が並設されている。]] \n高低差の少ない狭い国土では[[水源]]に乏しいため、国内の多数の[[貯水池]]と隣国マレーシアからの輸入した原水で水の需要に応じてきた。[[水道]]水は国内の貯水池だけでは到底賄い切れないため、隣国マレーシアより[[ジョホール海峡]]を渡る[[パイプライン輸送|パイプライン]]で原水を購入している(パイプライン3本中2本がマレーシアからの原水で、1本が[[浄水]]後マレーシアへ供給される水道水)。\n\n必ずしも良好な関係とはいえない隣国のマレーシアが、[[1998年]]には「シンガポールへの水の供給を停止する」という威嚇的な発言で圧力をかけてきたことや、[[21世紀]]に入ってからは「水の価格を100倍へ上げる」との要求に対応を迫られるなど、マレーシアからの水輸入の契約期限である2061年に向け、水問題はシンガポールの大きな[[アキレス腱]]となっている。\n\n政府はこうした問題への根本的な解決策として、[[2003年]]から日本の[[逆浸透膜]]を使った高度濾過技術を導入して国内の[[下水]]を再生処理し、飲用水にも利用可能とする「ニューウォーター」([[:en:NEWater|NEWater]])計画を開始しており、[[2011年]]には国内の水需要の30%をこの再生水で賄うとしている。NEWaterの工場は[[マス・ラピッド・トランジット (シンガポール)|MRT]]・[[チャンギ車両基地]]に隣接しており、見学ツアーも設けられている。マリーナ湾の湾口をせき止めて[[海水淡水化|淡水化]]し、将来飲用に供するための[[可動堰]]式[[ダム]]・「[[:en:Marina Barrage|マリーナ・バレッジ]]」も完成した。この[[貯水池]]ではシンガポールの水需要の1割を賄うことを目標にしている。\n\n== 政治 ==\n{{See also|シンガポール法}}\n[[1957年]]に「[[シンガポール市民権法]]」が成立し、18歳以上に選挙権が与えられる。投票は義務制。[[1959年]]には初の[[普通選挙]]が行われ、この年の総選挙から無理由の棄権には罰金が科された。義務制は現在(2000年代)も継続している。1959年から1984年総選挙まで小選挙区制であったが、1988年から小選挙区制に並列してグループ選挙区制度が導入された<ref>田村慶子「選挙制度」/田村慶子『シンガポールを知るための60章』明石書店\u30002001年 237-238ページ</ref>。\n\n民族暴動を機にマレーシアから追い出されるように独立した経緯から国内民族問題に敏感であり、民族対立を煽るような言論・表現は{{仮リンク|煽動法|en|Sedition Act (Singapore)}}や{{仮リンク|宗教調和維持法|en|Maintenance of Religious Harmony Act}}などによって厳しく取り締まられる。\n\n煽動法では人種憎悪にとどまらず政府への不満表明も刑事規制対象とされ、5年以下の懲役または5000[[シンガポールドル|ドル]]以下の罰金、出版差し止めが科される。\n\n=== 一党優位 ===\n{{See also|シンガポールの首相|シンガポールの政党一覧}}\n建国以来、一貫して[[人民行動党]]が議会議席の大多数を占めており[[一党優位政党制|一党優位]]である。このため、シンガポールは[[開発独裁]]国家であるといわれ、典型的な[[国家資本主義]]体制であるともいわれる。[[シンガポール労働者党|労働者党]]などの[[野党]]の存在は認められているが、その言論は大きく制限され、国政への影響力は少ない。21歳以上の全国民が[[選挙権]]・[[被選挙権]]を持つ[[普通選挙]]制だが、野党候補を当選させた[[選挙区]]民は、[[徴税]]面、[[公団住宅]]の改装が後回しにされるなどの報復的な措置を受けることがある。このように一党支配である一方、経済的に豊かで表向きには華やかなことから、[[朝日新聞]]に「明るい[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]」と評されている<ref>[http://www.asahi.com/airtravel/column/fromsingapore/TKY201010300220.html 『シンガポールから、羽田にただいま!』朝日新聞\u30002010年11月2日付]</ref>。\n\n政府による選挙干渉や[[ゲリマンダー]]は日常化しており、選挙は外国からの批判をかわすための形式的な制度という色合いが濃い。一般[[市民]]の政治への関心は低いが、経済的・政治的安定を享受しているため不満は少ないとされている<ref>対外経済政策総合サイト [http://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/asia/singapore/index.html シンガポール]</ref>。\n\n[[民主主義指数]]によると、シンガポールは[[民主制]]と[[専制]]の中間にある「ハイブリッド」と評される。一方、[[腐敗認識指数]]によると、公職における[[汚職]]の少なさでは世界トップクラスであり、欧米以外では最も政治腐敗の少ない国とされる。{{仮リンク|フリーダム・ハウス|en|Freedom House}}は、自由度について「部分的に自由」、[[報道の自由]]については「自由でない」とし、民主選挙は行われていないとしている。\n\n=== 国会 ===\n[[ファイル:Parliament_House_Singapore.jpg|thumb|[[国会 (シンガポール)|シンガポール国会議事堂]]]]\n[[国会 (シンガポール)|国会]]は[[一院制]]。任期5年。解散あり。定数は選挙区選出83、非選挙区選出0-6、任命9。非選挙区選出は野党懐柔のために設けられた枠で、選挙区選出枠以外は、[[憲法]]改正案、[[予算]]案の[[議決権]]を持たない。\n\n選挙区は当初は単純[[小選挙区制]]であったが、現在は小選挙区9、定数5-6の集団選挙区14(75議席)となっている。[[集団選挙区]]は[[中選挙区制]]の一種だが、各政党は定数一杯の候補を立てる必要があり、[[少数民族]]を候補者に含める必要がある。有権者は政党に投票するため、無所属での立候補はできない。さらに、最多得票を獲得した政党が議席を総取りする[[勝者総取り方式]]で、人民行動党にとって有利な制度となっている。\n\n=== 選挙 ===\n[[1968年]]から[[1981年]]までの13年間は、国会の全議席を[[人民行動党]]が占めていた。その後の総選挙でも[[1984年]]定数79で人民行動党77・野党2、[[1988年]]定数81・人民行動党80・野党1、[[1991年]]定数81・人民行動党77・野党4であった<ref>田村慶子「人民行動党」/田村慶子『シンガポールを知るための60章』明石書店\u30002001年 235ページ</ref>。\n\n[[1997年]]総選挙ではチェンサン選挙区(定数5)で野党が45.2%の得票を集めたが、政府はすかさず[[ゲリマンダー]]を行い、選挙区割りを変更、野党の得票を分散させた。集団選挙区は野党が定数一杯の候補者を揃えられずに擁立を見送る選挙区が多い。[[少数民族]]を候補に含めることは、表向きは少数民族の保護だが、少数民族の候補を確保しにくい、野党の擁立を妨害する作用もある<ref>山本隆史 {{PDFlink|[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/g-vol2/08yamamoto.pdf シンガポールにおける下からの民主化の可能性]}}</ref>。そのため、2001年総選挙では人民行動党が過半数の55議席で[[無投票当選]]を決めている。選挙のたびに小選挙区は削られ、集団選挙区の割合が増えている。集団選挙区の定数も3から4、そして現行の5-6と増やされている。\n\n[[供託金]]は候補者1人当たり13000[[シンガポールドル]]で、供託金没収点は有効得票÷定数の8分の1である。\n\n==== 2001年総選挙 ====\n[[2001年]]総選挙は9月28日には選挙人名簿の縦覧を開始。[[10月18日]]に議会の解散が行われ、[[10月25日]]総選挙が告示された。投票日は9日後の[[11月3日]]であった。日程は野党の選挙態勢を整わせないよう極めて慌ただしく進められた。結果は、人民行動党82、労働者党1。野党議席が3に満たなかったため、非選挙区選出枠からシンガポール民主連合1人が選出された。人民行動党は得票率75.29%で98.80%の選挙区議席を獲得している。\n\n==== 2006年総選挙 ====\n2006年5月6日、総選挙が投開票された。与党・人民行動党 (PAP) が全84議席のうち82議席を獲得した。得票率は2001年の総選挙より8.7ポイント低下し、66.59%であった。投票率は94%で、有権者数は122万人。37議席は人民行動党候補が無投票当選。選挙が行われた47議席中人民行動党が45議席を獲得した。野党は1988年以来過半数を上回る候補を立てられず、政権を争うという意味では選挙前から「不戦敗」の状況が続いてきたが、回避した。労働者党が1議席(ラウ・アキアン書記長)、シンガポール民主連合が1議席(チャム・シートン新人民党書記長)を獲得した。\n\n与党の得票率は、2001年の前回75.29%、2006年の今回は、8.7ポイント下がって66.59%。野党の2人はいずれも前回よりも得票率を伸ばした。人民行動党は1965年のシンガポール独立以来、単独政権を維持してきた。\n\n==== 2011年総選挙 ====\n[[2011年]]5月7日、総選挙が投開票された。野党は、立候補届け出が遅れて受理されなかったタンジョン・パガー選挙区(定数5)を除いて候補を擁立し、全87議席のうち82議席で選挙戦となった。[[インターネット]]での選挙活動が解禁された。\n\nその結果、与党・人民行動党(PAP)が全87議席のうち81議席を獲得したものの、野党・労働者党(WP)が1集団選挙区で勝利して過去最多となる6議席を獲得した。同集団選挙区では外務大臣[[ジョージ・ヨー]]が人民行動党のグループを率いており、現役閣僚が落選するという与党には厳しい結果となった。集団選挙区で人民行動党が敗北するのは史上初。野党・シンガポール人民党(SPP)は改選前の1議席を守れず議席を失った。\n\n人民行動党の得票率は60.1%と、過去最低だった1991年総選挙時の60.9%を下回った。投票率は93.06%であった。\n\n==== 2012年補欠選挙 ====\n[[2012年]][[5月27日]]、野党労働者党議員の不倫発覚後、国外逃亡して2月に自動失職したホーガン選挙区(定数1)の補欠選挙が行われた。結果は与党人民行動党が圧倒的有利にも関わらず、野党労働者党の候補が6割以上の得票率で勝利した。争点が野党の不祥事より移民政策の方が大きくなり、外国人を積極的に受け入れている政権与党が否定的な野党に敗北した格好となった。\n\n=== 法律 ===\n{{main|シンガポール法}}\nシンガポールの[[法]]体系は[[イングランド法]]を基礎としている。主要な法分野(特に[[行政法]]、[[契約]]法、衡平法および[[信託]]法、財産法、[[不法行為]]法)は、その一部が立法により修正がなされたものの、主に判例法の体系によっている。[[刑法]]、[[会社法]]、[[家族法]]を含む他の領域は、その性質上主として[[制定法]]となっている。\n\nシンガポールにおける[[判例]]がない場合はイギリスにおける判例法を参照するか、シンガポールの法律のモデルとなったイングランド法の解釈を援用することがある。最近においては、イギリス本土のアプローチが不適当であるときに、同じ[[英連邦]]の主要国である[[オーストラリア]]や[[カナダ]]の判例を参照する傾向が強い。一部のシンガポールの法律は、イギリス法を継承したものではなく、他の法体系に起源を有するものがあり、それらの法律は最初の立法時の経緯を斟酌し母国法を参照する。例えば、証拠法や一部の刑法の取り扱いは[[インド法]]に基づいて解釈されることがある。憲法解釈については、他国の例を参照することを嫌い、シンガポール国内の政治的・社会的状況を斟酌し解釈される。\n\n刑事法や取締法規については一般的にいって厳格であり、[[裁判所]]の許可のない[[拘留]]を認めることや、イギリス植民地時代に制定された、組織について政府が管理権を有する[[結社]]法が未だに存在し、[[身体刑]]と[[死刑]]が実施されている。\n\n=== 死刑制度 ===\n{{main|シンガポールにおける死刑}}\n世界的にも厳しい[[死刑]]制度を維持している。人口あたりの死刑執行件数は正確な統計がある国としては最も高い。特に、[[麻薬]]に関する犯罪に死刑が適用されるため、外国人の麻薬密売業者が死刑になる事例があり、死刑廃止国とのあいだで外交問題に発展したことがある。死刑の方法はイギリス式の[[絞首刑]]であり、[[死刑執行人]]が存在する。\n\n=== 同性愛に関する法律 ===\n{{See also|シンガポールにおけるLGBTの権利}}\n[[ゲイ|男性間の同性愛]]行為は違法とされ、最高で無期刑が科されることとなる。[[レズビアン|女性の同性愛]]については特に禁止されていない。\n\n=== 仲裁 ===\n国際取引に関する紛争の解決方法としては、一般に[[訴訟]]よりも[[仲裁]]が広く用いられているが、[[アジア]]ではシンガポールの[[仲裁]]が広く利用されている。このことは、シンガポール、さらには[[英国法|イギリス法]]系の法律家にとって、巨大なリーガルマーケットを意味しており、シンガポールにとっては、国家的な戦略と位置付けられる<ref>[http://www.moj.go.jp/housouken/housouken05_00046.html 栗田哲郎「アジアにおける外国仲裁判断の承認・執行に関する調査研究」]</ref>。\n\n== 行政区画 ==\n{{Main|シンガポールの行政区画}}\n\n== 警察 ==\n* 警察 ([[:en:Singapore Police Force|Singapore Police Force]])\n** 特殊部隊 ([[:en:Police Tactical Unit (Singapore)|Police Tactical Unit]])\n** 戦術部隊 ([[:en:Special Tactics and Rescue (Singapore)|Police Tactical Team]])\n* [[:en:Singapore Police Force Good Service Medal|Singapore Police Force Good Service Medal]]\n* [[:en:Singapore Armed Forces Military Police Command|Singapore Armed Forces Military Police Command]]\n* [[:en:Police K-9 Unit (Singapore)|Police K-9 Unit]]\n* [[:en:Singapore Police Force Crisis Negotiation Unit|Singapore Police Force Crisis Negotiation Unit]]\n\n== 情報機関 ==\n* [[シンガポール]]\n** JID (Joint Intelligence Directorate) - 統合情報本部\n** G2-Army\n** ISD (Internal Security Department) - 内務省国内公安部\n** SID (Security and Intelligence Department) - 公安・情報部\n\n== 軍事 ==\n{{main|シンガポールの軍事}}\n[[File:US Navy 100716-N-0995C-155 The Singapore navy guided-missile frigate RSS Steadfast (FFG 70) and the corvette RSS Vigilance (90) are underway during Cooperation Afloat Readiness and Training (CARAT) Singapore 2010.jpg|thumb|海軍の[[フォーミダブル級フリゲート]]及びヴィクトリー級コルベット]]\n兵力は[[陸軍]]50,000、[[海軍]]9,000、[[空軍]]13,500の計72,500名。[[徴兵制]]により[[男子]]に2年間の[[兵役]]を義務付けており、兵役終了後は[[予備役]]に編入され、[[有事]]の際は[[戦時体制|総動員体制]]となる。[[2006年]]の軍事予算は100.5億シンガポールドルで、全[[歳出]]に占める割合は22.5パーセントである。\n\n陸軍は[[イギリス]]製[[センチュリオン (戦車)|センチュリオン戦車]]約100両(旧式)、および[[ドイツ]]製[[レオパルト2]]戦車(現在132両)を保有している。海軍は、チャレンジャー級[[潜水艦]]([[スウェーデン海軍]]の旧[[シェーオルメン級潜水艦|シェーオルメン級]])を4隻、[[ラファイエット級フリゲート|ラファイエット級]]をベースとして[[設計]]されたフォーミダブル級[[フリゲート艦|フリゲート]]を6隻、ヴィクトリー級ミサイルコルベットを6隻、フェアレス級ミサイル艇6隻、[[哨戒艇]]を23隻、そして戦車[[揚陸艦]]4隻を保有する。空軍は[[アメリカ合衆国|米国]]製[[戦闘機]][[F-5 (戦闘機)|F-5]]を45機、[[F-16 (戦闘機)|F-16C/D]] (Block52) を62機、[[F-15E (航空機)|F-15SG]]を保有し、[[2010年]]以降は第五世代の[[ステルス機|ステルス戦闘機]][[F-35 (戦闘機)|F-35]]が順次導入され、F-5を置き換えていく予定である。\n\n国土が狭小なこともあり、演習・訓練はオーストラリア等の国外地域でも積極的に行われている<ref name="boueihakusho25">[http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2013/2013/index.html 平成25年防衛白書\u3000第I部\u3000わが国を取り巻く安全保障環境\u3000第5節\u3000東南アジア]</ref>。[[タイ王国|タイ]]や[[インドネシア]]、[[フィリピン]]などの近隣諸国のように反政府[[ゲリラ]]などによる攻撃は存在しないが、その質、数とともに国土に対して十分である。\n\n=== 対外軍事協力 ===\nイギリス[[植民地]]時代に同国の[[要塞]]であった歴史的経緯から、現在も[[イギリス軍]]と密接な関係にある。イギリスは[[1967年]]に[[スエズ]]以東からの撤退を宣言したが、これに対応するための枠組みとして、[[1971年]]にシンガポール、マレーシア、[[ニュージーランド]]、[[オーストラリア]]とともに[[五ヵ国防衛取極め]]を締結した。当初は、[[防空]]システムに関する協力から始まったが、後に空軍だけではなく、海軍の合同[[演習]]も行われるようになった。\n\n[[冷戦]]を通じて[[アメリカ軍]]との関係も深まっており、[[1990年]]にはアメリカ軍によるシンガポール国内施設の使用に関する[[覚書]]を締結した。シンガポール軍の装備も、アメリカ製が多い。特に空軍の歴代主力戦闘機は、アメリカ製で占められてきた。F-35戦闘機の開発計画([[統合打撃戦闘機計画]])においても、最も低いレベルではあるが、優先的に輸出枠を確保できる“Security Cooperation Participation”として参加している。また、2013年にはアメリカ海軍の最新鋭艦艇である[[沿海域戦闘艦]]のローテーション配備が発表されている<ref name="boueihakusho25"/>。\n\nこのほか、[[台湾]](中華民国)との間で「星光計画」と呼ばれる協力関係が[[1975年]]以来続いている。これは、シンガポールの国土が狭いため、当時の[[リー・クアンユー]][[首相]]と[[蒋経国]][[総統]]の間で、シンガポール陸軍部隊の訓練を台湾国内で行うことなどを取り決めたものである。台湾と対立を続ける[[中華人民共和国]]もシンガポール軍に[[海南島]]の訓練施設の提供を申し出たが、シンガポール側はこれに応じていない<ref>[http://www.libertytimes.com.tw/2005/new/mar/10/today-fo14.htm 「『星光』重要性不如以往」]『自由時報』台湾2005年3月10日</ref>。さらに、シンガポールと[[フィリピン]]が「台湾有事」の際に、台湾の防衛に協力するという「敦邦計画」が存在するとの報道もある<ref>[http://www.asiatimes-chinese.com/2004/07/0727rep2.htm 江雨航「李顯龍訪問台灣(下):星建構新戰略思維回應中國崛起」]『亞洲時報在線中文版』2004年7月27日</ref><ref>[http://www.chinaaffairs.org/gb/detail.asp?id=45559 「敦邦計劃 動台菲星互訪 漢光演習元首後撤境外作戰?」](中国事務論壇)</ref>。\n\n近年は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[フランス]]、[[ブルネイ]]、オーストラリアからも同様の協力を取り付けているが、「星光計画」(Starlight training program)も継続・拡大され、[[戦車]]部隊や防空システムの演習や両国海軍艦艇の相互訪問も行われるようになった。\n\n== 国際関係 ==\n{{main|{{仮リンク|シンガポールの国際関係|en|Foreign relations of Singapore}}}}\n[[File:Lee Kuan Yew Cohen.jpg|thumb|2000年、[[ウィリアム・コーエン]]米国国防長官と会談を行う[[リー・クアンユー]]上級相及びチャン・ヘン・チー駐米大使]]\n旧[[宗主国]]の[[イギリス]]や、[[太平洋]]地域での有力国である[[日本]]・[[オーストラリア]]などと貿易を通じ密接な関係を持つ他、隣国である[[マレーシア]]や[[インドネシア]]、[[タイ王国]]などの[[ASEAN]]諸国とも密接な関係を持っている。\n\n=== 対マレーシア関係 ===\n{{main|{{仮リンク|マレーシアとシンガポールの関係|en|Malaysia–Singapore relations}}}}\n隣国で元々は同じ国であった[[マレーシア]]とは、[[領土]]や開発問題、[[欧米]]諸国へ対する姿勢などでたびたび衝突しており([[軍事]]的な衝突ではなく、あくまで[[外交]]上のもの)、心理的・物理的に密接ながら複雑な関係といえる。\n\n[[ASEAN]]の一員でありながら、欧米諸国(と日本)との[[貿易]]や[[金融]]に過度に依存した都市国家である故に、主な「顧客」である欧米諸国([[キリスト教]]国)におもねる言動を取ることが多いため{{要出典|date=2012年7月}}、マレーシア以外のほかのアジア諸国(おもに[[イスラム教]]国)とも、幾度にわたり外交的な衝突を繰り返している。\n\n=== 対日関係 ===\n{{main|日本とシンガポールの関係}}\n[[日本]]との外交関係はおおむね良好である。シンガポールは日本にとって初めての[[自由貿易協定]]締結相手国でもある([[日本・シンガポール新時代経済連携協定|JSEPA]])。日本-シンガポール間の貿易について、シンガポールを原産地とする[[貨物]]については特別な[[関税]]率が適用されており、将来的には関税撤廃スケジュールに基づいて両国間の関税は撤廃される予定である。[[2006年]]は外交関係樹立40周年であった。\n\n== 経済 ==\n{{main|{{仮リンク|シンガポールの経済|en|Economy of Singapore}}}}\n[[ファイル:Raffles Place.jpg|thumb|シンガポールは[[2014年]]、ビジネス、人材、文化、政治などを総合評価した[[世界都市#世界都市指数|世界都市ランキング]]において、世界9位の都市と評価された<ref>{{PDFlink|[http://www.atkearney.com/documents/10192/4461492/Global+Cities+Present+and+Future-GCI+2014.pdf/3628fd7d-70be-41bf-99d6-4c8eaf984cd5 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook]}}(2014年4月公表)</ref>。]]\n[[国際通貨基金|IMF]]の統計によると、[[2013年]]のシンガポールの[[GDP]]は2957億ドル(約30兆円)であり<ref>[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2014/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=65&pr.y=1&sy=2013&ey=2019&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=576&s=NGDPD%2CNGDPDPC&grp=0&a= IMFの統計]</ref>、[[神奈川県]]とほぼ同じ経済規模である<ref>{{PDFlink|[http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/pdf/gaiyou1.pdf 内閣府による県民経済計算]}}</ref>。同年の一人当たりのGDPは54,775ドルであり、世界でも上位に位置する。[[競争力|国際競争力]]が非常に強い国であり、[[2011年]]の[[世界経済フォーラム]]の研究報告書において、世界第2位の国と評価された<ref>[http://www.weforum.org/issues/global-competitiveness 世界経済フォーラム 国際競争力レポート]</ref>。[[富裕層|富裕世帯]]の割合が世界で最も高く、およそ6世帯に1世帯が金融資産100万ドル以上を保有しているとされる<ref>[http://www.bcg.com/expertise_impact/publications/PublicationDetails.aspx?id=tcm:12-107081 BCG Global Wealth 2012]</ref>。2013年の勤労者世帯の平均世帯月収は10,469シンガポールドル(約85万円)であり<ref>[http://www.singstat.gov.sg/publications/publications_and_papers/household_income_and_expenditure/pp-s20.pdf Key Household Income Trends, 2013] DEPARTMENT OF STATISTICS SINGAPORE 2014年7月7日閲覧。</ref>、[[東京都]]の勤労者世帯の平均を大きく上回っている<ref>[http://www.toukei.metro.tokyo.jp/seikei/sb-index.htm 都民のくらしむき(東京都生計分析調査報告)]東京都の統計 2014年7月7日閲覧。</ref>。\n\n[[通貨]]は[[シンガポールドル|シンガポール・ドル]]が使用されている。[[東南アジア諸国連合|ASEAN]]の原加盟国で、[[2002年]]には日本と「新時代経済連携協定」に調印し、関税の撤廃と両国間における物品・人・[[サービス]]・[[資本]]・[[情報]]の移動の自由度向上をはかっている。[[20世紀]]末から急速な[[経済成長]]が続いており、熱帯地域では珍しく経済力がある地域である。\n\n[[2013年]]9月、アメリカの[[ダウ・ジョーンズ]]などが公表した[[金融センター#国際金融センター発展指数|国際金融センターランキング]]において、[[ニューヨーク]]、[[ロンドン]]、[[香港]]、[[東京]]に次ぐ、世界第5位と評価された<ref>{{PDFlink|[http://www.sh.xinhuanet.com/shstatics/images2013/IFCD2013_En.pdf Xinhua-Dow Jones International Financial Centers Development Index (2013)]}}(2013年9月公表)</ref>。\n\n=== 租税 ===\n[[法人税]]と個人[[所得税]]の両方はほかの多くの国と同様に累進税率方式を採っている。[[住民税]]や[[事業税]]のような[[地方税]]は存在せず、すべて[[国税]]となる。\n\n==== 法人税 ====\n[[法人税]]は日本のような自己申告課税方式ではなく賦課課税方式であり、納税額の確定は納税者の提出する申告書類などによって税務当局が行うため、確定までに通常は2-3年、納税額に疑問があればさらに数年を要する。税務調査官が実地調査することはほとんどない。シンガポールでは、[[交際費]]は[[損金]]として認められている。\n\n==== 個人所得税 ====\n個人[[所得税]]は前年分の課税を当年に行うため、所得期間と賦課年度はそれぞれ前年と当年となって1年ずれて表記される。個人所得税の[[源泉徴収]]制度はないが、[[企業]][[従業員]]が前年度の収入分に対して当年での分割納付を行う場合は、税務当局が企業に指示を出して[[給与]]から控除される制度が存在する。\n\n==== GST ====\n[[2003年]][[1月1日]]に、[[消費税]](付加価値税、\'\'\'GST\'\'\'、Goods and Service Tax)は4%から5%に上げられ、2007年7月1日からはさらに7%になった。日本のような記帳方式ではなく[[送り状|インボイス]]方式を採っているため、課税業者はすべての取引について「Tax Invoice」と呼ばれる税額票を発行する。[[住宅]]用[[不動産]]の売買、金融商品サービスの提供、輸出取引、サービスの輸出、企業そのものの売買、三国間取引、保税倉庫内取引、(S$1百万/人以下の)個人間の取引を除くすべての売買について課税される。\n\n外税表示方式と内税表示方式が混在しているために、[[旅行]]者などの[[外国人]]は物品やサービスの購入時に注意が必要である。\n\n==== 固定資産税 ====\n[[不動産取得税]]は存在せず、不動産の所有に対して比較的高率での[[固定資産税]] (Property Tax) が毎年課税される。不動産取得時には印紙税が1-3%程度かかる。\n\n==== パイオニア企業への優遇税制 ====\n[[1967年]]から何度か改訂されてきた経済拡大奨励法 (Economic Expansion Incentives Act) に基づき、シンガポールにとって特に有益な事業への企業の新規参入と投資を奨励するために「[[パイオニア]]企業」(Pioneer Industries)といった分類を設けて、税制上での優遇措置が図られている。これは最初の生産開始日から起算して5-10年間の全額[[租税]]免除という適用企業にとっては極めて有利なものである。\n\n==== 中央積立基金 ====\n老年[[年金]]および医療貯蓄として、{{仮リンク|中央積立基金|en|Central Provident Fund}}が強制的に個人の収入などより徴収される。たとえば、50歳以下では毎年の給与と賞与の総額に対して雇用者14.5%と従業員20%、計34.5%の掛金を政府に払い込まれ、個人ごとのCPF口座に貯蓄される。この貯蓄からは[[シンガポールの医療|医療費]]支払い、住宅購入などの特別な用途の原資となり、残りは[[退職]]後の生活安定に使用される。\n\n==== メイド税 ====\n都市国家のシンガポールでは、多くの家庭で外国人[[メイド]]を雇用している。\n\nメイドの雇用には雇用主が毎月200-295シンガポールドルの[[メイド税]]を払う義務がある。この金額は多くの場合、メイドが受け取る給料よりも高い。 外国人メイド控除という制度があり、就業している女性などが外国人メイドを雇用した場合、[[メイド税]]の2倍に相当する額を所得から控除することが出来る。\n\n== 産業 ==\n[[東南アジア]]と[[東アジア]]、[[ヨーロッパ]]や[[中東]]、[[オーストラリア]]を結ぶ交通の要衝であるため、東西貿易の[[拠点]]となって古くから繁栄し、[[海運]]産業や[[航空]]産業が発達した(ゆえに国内最大の企業は[[シンガポール航空]]である)。[[独立]]後は積極的な[[外資]]導入により、[[重工業]]を中心とする工業化政策をとり、東南アジアでは最大級の[[工業国]]に成長している。\n\n都市国家であるため、国内の人口や[[消費]]の規模は小さいものの、[[英語]]や[[中国語]]の話者の多さから、[[香港]]と並び欧米諸国の[[多国籍企業]]の[[アジア太平洋地域]]の拠点が置かれることが多く、近年は東南アジアの[[金融センター]]として不動の地位を保っている。\n\n=== 地元企業 ===\n地元の世界的[[企業]]としては[[シンガポール・テレコム]]や[[シンガポール航空]]などがある。近年は政府を挙げて[[情報技術|IT]]分野と[[観光]]分野の振興に力を入れているものの、「見た目とは違って借入れが多く、経済的に困窮している企業も少なくない」と[[中華民国]]の元総統である[[李登輝]]は分析している{{要出典|date=2012年10月}}。\n\n=== 観光 ===\n「ガーデン・シティ」とも呼ばれる美しい国土と、海運上極めて重要な[[マラッカ海峡]]のそばにある上、東南アジア各地を結ぶ[[シンガポール・チャンギ国際空港|チャンギ空港]]も[[ハブ空港]]として非常に重要な役割を果たしているため、観光面ではアドバンテージがある。[[2012年]]に[[マスターカード]]が公表した統計によると、[[ロンドン]]、[[パリ]]、[[バンコク]]に次いで、世界で4番目に外国人旅行者が多く訪れる都市である<ref>{{PDFlink|[http://newsroom.mastercard.com/wp-content/uploads/2012/06/MasterCard_Global_Destination_Cities_Index_2012.pdf MasterCard Global Destination Cities Index 2012]}}</ref>。[[ラッフルズ・ホテル]]や[[グッドウッド・パーク・ホテル]]、[[ザ・フラトン・ホテル・シンガポール]]などの世界的に有名な[[ホテル]]も集積している。\n\n政府と民間の協力のもと人工的な観光資源開発を進めており、一環として、[[セントーサ島]]に[[テーマパーク]]『[[ユニバーサル・スタジオ・シンガポール]]』や、「[[リゾート・ワールド・セントーサ]]」が建設されることが決定し、完成した部分から逐次開業している。「リゾート・ワールド・セントーサ」の投資額は52億[[シンガポールドル]]に上るとされる。\n\n2010年2月1日には、「リゾート・ワールド・セントーサ」のショッピングモールが開業し、2月14日にシンガポール初となるカジノが、3月18日には『ユニバーサル・スタジオ・シンガポール』が同施設内にオープンした。他にも、世界最大となる[[水族館]]\'\'Marine Life Park\'\' が2010年中には完成する予定で、2011年には美術館、ウォーター・パークなどが完成する予定である。\n\n[[マリーナ・エリア]]では、[[世界最大]]の[[観覧車]]「[[シンガポール・フライヤー]]」が2008年3月に完成し、巨大カジノリゾート施設「[[マリーナベイ・サンズ]]」が2010年4月に開業した。2008年9月には市街中心部の[[公道]]を利用して[[フォーミュラ1|F1]][[シンガポールグランプリ]]が開催された。これはF1初の夜間開催のレースでもある。\n\n政府公認の売春街としても知られる[[ゲイラン]]地区は、その性質から避ける観光客も多いが、1970年代からほとんど再開発が行われていないために、昔ながらの歓楽街、カラオケ、安宿街、外国人労働者居住地区などが集まっており、ゴミひとつ落ちていないマリーナ・エリアとは全く違った東南アジアらしい街並みが残っている。\n\n=== 建築 ===\nシンガポールの[[建築]]は非常に多種多様である。国土が狭く、慢性的に土地が不足していることから、歴史的な建造物は都市部にわずかに残る程度であるが、それらがより新しく、より大きく立て替えられていく過程で現代建築の中心地となった。歴史的に土地の高度利用の需要は、ビジネス・ディストリクトやセントラル・ビジネス・ディストリクト(CBD)に集中しており、数十年続いた開発の末、多くの[[高層建築|高層ビル]]が林立する結果となった。[[マリナ湾]]とラッフルズ広場の海岸沿いに高層ビルを浮き立たせた輪郭線を描き、その景観はシンガポールを代表する観光地であり、象徴する景観にもなっている。建造物の高さは280mに制限されているため、シンガポールで最も高い[[リパブリック・プラザ (シンガポール)|リパブリック・プラザ]]や[[UOB Plaza]]及び[[OUB Centre]]の高さはいずれも280mである。しかし、2016年に完成予定のTanjong Pagar Centreはそれを超す290mであり、三十年ぶりに最も高いビルが更新される予定になっている。\n\n==== 主な観光地 ====\n{{colbegin|2}}\n* [[マーライオン公園]]\n** [[マーライオン]]\n* ラッフルズ像\n* エスプラネードシアター・オン・ザ・ベイ\n* オーチャードロード\n* オランダ村(Holland Village)\n* [[チャイナタウン]]\n* リトルインディア\n* [[セントーサ島]]\n** [[マーライオンタワー]]とマーライオンウォーク\n** [[アンダーウォーターワールド]]と[[ドルフィンラグーン]]\n** カールスバーグ・スカイタワー\n** [[シロソ砦]]\n** [[ユニバーサル・スタジオ・シンガポール]]\n* [[ジョホールバル]]([[マレーシア]])\n* [[ラッフルズ・ホテル]]\n* [[シンガポール・フライヤー]]\n* [[グッドウッド・パーク・ホテル]]\n* [[シンガポール動物園]]\n* [[ナイトサファリ]]\n* [[リバーサファリ]]\n* [[シンガポール植物園]]\n* [[シンガポール国立博物館]]\n* アラブストリート\n* イクィノックス\n* クラーク・キー\n* 国立蘭園\n* 国会議事堂\n* 最高裁判所\n* 日本庭園・中国庭園\n* 歴史博物館\n* [[日本占領時期死難人民記念碑]]\n* [[バトル・ボックス]]\n* [[スリ・マリアマン寺院]]\n* [[:en:Sri Veeramakaliamman Temple|Sri Veeramakaliamman Temple]]\n* [[:en:Masjid Sultan|Masjid Sultan]]\n* [[富の泉]] (Fountain of Wealth)\n* [[サンテック・シンガポール国際会議展示場|サンテック・シティー]]\n{{colend}}\n\n== 交通 ==\n{{Main|シンガポールの交通}}\n[[ファイル:ERPBugis.JPG|right|thumb|left|ブギス・ジャンクション付近の[[ERP (シンガポール)|ERP]]]]\n=== 自家用車 ===\nシンガポールにおいて市内の[[渋滞|交通渋滞]]は深刻な[[社会問題]]であり、政府もその対策には腐心しており、[[自家用車]]の保有、および利用には厳しい制限がなされている。\n\n;車両割り当て制及び諸税\n:国内の道路整備状況により自動車の新規登録可能件数が定められ、[[車両購入権]](COE:Certificate of Entitlement、拥车证)の価格は[[入札]]により決定される。新車を購入する際には[http://www.onemotoring.com.sg/publish/onemotoring/en.html インターネットを通じて行われる入札]に応じる必要がある。価格は車種によって変わり、時期による変動もある。たとえば、中型車(排気量1600cc以下)については、2008年頃まで、S$10,000-15,000程度で推移していたが、2008年末から2009年初めの世界同時不況の余波をうけた時期にはS$5,000前後まで暴落、しかし、2009年夏には景気回復を受けS$19,000前後まで急上昇、以降上昇S$100,000に達するなど乱高下を続け、2014年現在でS$60,000前後(排気量1600cc以上はS$70,000前後)に到っている。購入に際し、[[輸入]][[関税]]・[[消費税]]・[[ナンバープレート (自動車)|登録料]]・追加登録料・道路税が課せられ、上のCOEも合わせると車両価格の4-5倍程度を支払うこととなる(但し、COEについては、廃車時に市場価格で売却することができ、譲渡時には譲渡価格に上乗せして売却される)。\n;渋滞抑制政策\n:一定地域への車両の流入を抑制するため、特定地域への立ち入りに際しては[[クーポン]]購入を義務付ける[[ロードプライシング]]を早くから導入。[[1998年]]3月から世界で初めて[[プリペイドカード]]を利用した電子式道路料金徴収システムである[[ERP (シンガポール)|ERP]](日本の有料道路の[[ETC]]を一般道に適用したものを想像すると理解しやすい)を導入している。\n;その他\n:道路が左側通行で、アジア圏ということもあり、[[日本車]]が多数を占める。なかには日本から非正規[[輸入]](並行輸入)されたため、日本の[[低排出ガス車認定制度]]シール、[[車庫証明]]シール、[[自動車ディーラー]]のシールが張られた車も走っている。[[ジョホール海峡]]を挟んだ隣国マレーシアの[[ジョホール州]]とは2つの道路([[ジョホール・シンガポール・コーズウェイ]]、[[マレーシア・シンガポール・セカンドリンク]])で結ばれている。ガソリン価格がシンガポールに比べて圧倒的に安い、隣国マレーシアへ給油のために国境を越える者があとを絶たなかったため、国境を越える際、ガソリンメーターが4分の3以上ない場合は罰金を科す「3クォーター・タンク法」が存在する(マレーシアナンバーの車は対象外)。\n\n=== バス ===\n[[公共交通機関]]の[[バス (交通機関)|バス]]は[[SBSトランジット]]と[[SMRTバス]]の2社が事業展開をしており、[[路線]]は市内のほとんどを網羅している。[[運賃]]は一般路線で乗車距離によりS$1.00-1.90となっている([[EZ-link]]を使用した場合、S$0.69-1.65に割引)が、通勤時間帯に運行される着席保証の「プレミアムサービス」や「[[バス・プラス・サービス]]」、SMRTバスが運営するセントーサ島行きの「RWSサービス」、一部停留所を停車しない急行サービスや「NR」というサービスナンバーがつくいわゆる深夜バスでは均一価格制や割増料金などが設定されており、多彩な運賃構造を持つ。乗り継ぎ割引についても、地下鉄連絡やバス同士の乗り継ぎにおいて例外となるパターンがごく一部しかなく、3乗車目、4乗車目と連続した場合であっても、個別に条件を満たせば割引が適用されるなど柔軟な運用がなされている。\n\n=== タクシー ===\nシンガポールの[[タクシー]]は、初乗り(1.0km)料金がS$2.50、その後は175-210mごとにS$0.10が加算されていく仕組みになっており、日本と比較すると料金は安い。車種は[[日産・セドリック営業車|日産・セドリック]](Y31型セダン)や[[トヨタ・クラウンコンフォート]]が多いが、同車種をよく使う日本や[[香港]]と違い、[[自動ドア]]ではない。\n\n[[グレード]]の高い車種になると初乗り料金が少し高く、[[ヒュンダイ・ソナタ]]はS$3.00、[[メルセデス・ベンツ]]E200などはS$3.20となっている。\n\nメーター料金以外にも、条件に応じて様々な料金が加算される。\n* ピークアワー:S$2.0\n* [[祝祭日]]:S$1.0\n* [[深夜]]および[[早朝]]:メーター料金の10~50%増し(時間帯で変動)\n* [[チャンギ国際空港]]からシティへ向かう際の特別加算:S$3.0-5.0(時間帯で変動)\n* 市内中心部特別通行料:S$0.50-4.50(概算、時間帯により変動)\n* 電話予約:S$2.50(平常時)、S$3.50(ピークアワー)\n\n=== 鉄道 ===\n{{main|シンガポールの鉄道}}\n[[ファイル:Kawasaki c751 eunos.jpg|thumb|[[マス・ラピッド・トランジット (シンガポール)|マス・ラピッド・トランジット]] (MRT)]] \n;[[マレー鉄道]]\n:シンガポール国内で旅客扱い駅は、[[ウッドランズ・トレイン・チェックポイント]]しかなく、隣駅は[[ジョホール海峡]]を[[土手道]]([[ジョホール・シンガポール・コーズウェイ]])で越えた[[マレーシア]]の[[JBセントラル駅]]である。かつては、これより先に、列車のすれ違いが可能な[[ブキッ・ティマ駅]]([[信号場]]扱い)と、終着駅の[[タンジョン・パガー駅 (マレー鉄道)|タンジョン・パガー駅]]があったが、2011年6月30日をもって、シンガポール領内の大半の路線が廃止された。\n;[[マス・ラピッド・トランジット (シンガポール)|MRT]]([[地下鉄]]・[[高架橋|高架]]鉄道)\n:4路線(厳密には5路線: EW line Joo Koon-Pasir Ris間、支線 Changi airport-Tanah Merah間、NS Line Jurong East-Marina Bay間、NE Line Harbour Front-Punggol間、C Line Harbour Front-Dhoby Ghaut間)ある。<!--運賃は60セント~1ドル60セントとなっており、-->乗車券は非接触型[[ICカード]]となっており、下車駅の自動改札で回収されない。このため、初回[[乗車券]]購入の際に表示された[[運賃]]には[[シンガポールドル|S$]]0.1の[[デポジット]]料金が含まれており、最大6回まで繰り返し使用することができる(デポジットは、一定回数以上乗車すると、乗車券購入時の運賃と相殺)。\n* [[ライト・ラピッド・トランジット|LRT]](Light Rapid Transitの略、[[新交通システム]])\n\n=== 船舶 ===\n* [[ハーバー・フロント]] 国際旅客ターミナル (IPT)\n*: マレーシアの[[ペナン島]]や[[クアラ・ルンプール]]への[[クルーズ]]船が就航している。\n* [[ハーバー・フロント]] リージョナル・フェリー・ターミナル (RFT)\n*: インドネシアの[[バタム島]]などとの間に、[[高速船]]が就航している。\n* [[タナ・メラ・フェリー・ターミナル]] (TMFT)\n*: インドネシアの[[リゾート]]地である[[ビンタン島]]・[[バタム島]]との間に、高速船が就航している。\n* [[チャンギ・フェリー・ターミナル]]\n*: マレーシアのジョホール州[[タンジュン・ブルンコール]]との間に、[[カー・フェリー]]が就航している。\n* [[チャンギ・ポイント・フェリー・ターミナル]]\n*: [[ウビン島]]との間に、小型船(Bumboat)が就航している。マレーシアのジョホール州[[タンジュン・プングリ]]との間に、小型船 (Bumboat) が就航している。\n[[File:singapore port panorama.jpg|thumb|center|800px|[[セントーサ島]]を背景としたシンガポール港。コンテナ貨物取扱量で同港は上海に次ぐ世界第2位である<ref>[http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110610/mcb1106100503011-n1.htm シンガポール、コンテナ取扱量で上海に抜かれ2位]</ref>。]]\n\n=== 航空 ===\n* [[シンガポール・チャンギ国際空港]](\'\'Singapore Changi International Airport\'\')\n* シンガポール島東部にあり日本からの直行便も就航するこの空港は、東南アジア有数の[[ハブ空港]]として多くの航空便が乗り入れており、国営航空会社の[[シンガポール航空]]や[[ジェットスター・アジア航空]]の本拠地でもある。\n*: ヨーロッパ各地と[[オーストラリア]]を結ぶ「[[カンガルー・ルート]]」の経由地の1つでもある。\n\n== 国民 ==\n{{main|{{仮リンク|シンガポールの人口統計|en|Demographics of Singapore}}}}\n[[File:Chinese New Year market.jpg|thumb|[[春節]]のチャイナタウン]]\n[[File:The Sultan Mosque at Kampong Glam, Singapore (8125148933).jpg|thumb|シンガポールのスルタンモスク]]\n[[File:A day of devotion – Thaipusam in Singapore (4316108409).jpg|thumb|タミル人によって執り行われるヒンドゥー教の祭り、タイプーサム]]\n住民は、[[華人]](中華系)が76.7%、[[マレー系]]が14%、インド系([[印僑]])が7.9%、その他が1.4%となっている。華人、マレー系、インド系からなる[[多民族国家|複合民族国家]]のため、公共[[マスメディア|メディア]]、[[文化]]一般に3系統の文化が共存するが、共生しながらもそれぞれ異なる[[コミュニティー]]を形成している。\n\n先述の通り、シンガポール政府は民族問題に敏感であり、例えば、国民の9割以上が暮らすHDB(Housing and Development Board)住宅では、ブロックごとに住民の民族比率がシンガポールの民族比率と同じようになるよう、民族別に入居者数が配分されており、特定の民族同士で固まらないよう配慮されている。\n\nシンガポールは、世界でも[[少子化]]が進んでいる国の一つであり、政府は[[労働力]]確保のため、[[移民]]を推進している。しかし、国民からの反発は根強く、一党独裁であるシンガポールでは異例の抗議集会が開かれる騒ぎとなっている<ref>{{cite news |title=シンガポール政府の移民増に抗議集会 |newspaper=[[NHK]] |date=2013-2-17 |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130217/k10015572141000.html |accessdate=2013-2-17}}</ref>。\n\n=== 言語 ===\n{{bar box\n|title=シンガポール人の第一言語<ref name="singstat1">{{cite web|url=http://www.singstat.gov.sg/pubn/popn/c2010sr1/t47-57.pdf |title=Census of Population 2010 |year=2010 |accessdate=19 February 2011}}</ref>\n|titlebar=#ddd\n|left1=言語\n|right1=第一言語の割合\n|float=left\n|bars=\n{{bar percent|[[中国語]]|yellow|49.9}}\n{{bar percent|[[英語]]|blue|32.3}}\n{{bar percent|[[マレー語]]|gray|12.2}}\n{{bar percent|[[タミル語]]|green|3.3}}}}\n[[公用語]]は[[英語]]、[[マレー語]]、[[華語]](標準[[中国語]]=[[北京官話|マンダリン]])、[[タミル語]](インド系に[[母語]]とする者が多い)である。これらの言語は平等に扱われ、学校[[教育]]でも、各民族語が英語とともに必須科目として教えられている。[[シングリッシュ]]、[[:zh:新加坡式華語|シンダリン(シンガポール式華語)]]など、それぞれの言語で、独特の発音や他言語の語彙・文法の混用などが見られる。\n[[File:Changi Airport Arrival Sign in Transit Area.JPG|thumb|right|シンガポール・チャンギ国際空港。案内板は英語の表記である。]]\n[[華人]]の間では、[[ビン南語|閩南語]]や[[広東語]]、[[潮州語]]<!-- 以上国勢調査の人口順 -->、[[客家語]]など中国語の各[[中国語#方言|方言]]も母語としている人がいる。中国語は[[簡体字]]で表記されるが、[[繁体字]]の使用も見られる。簡体字の導入当初は、シンガポール特有の字体も見られたが、1976年以降[[中国大陸]]と同じ字体が実施されている(詳細は[[シンガポールにおける漢字]]参照)。1979年から華語普及運動([[:zh:講華語運動|講華語運動]]、[[:en:Speak Mandarin Campaign|Speak Mandarin Campaign]])が始まり、これ以降に育った若い華人には祖父母世代とのコミュニケーションに若干の困難を伴うことがある。シンガポール統計局によると、5歳以上の華人が家庭で最もよく使う言語として華語を挙げた割合は1990年には30.1%<!-- http://www.singstat.gov.sg/pubn/popn/c2000adr/chap4.pdf -->であったが、2000年には45.1%、2010年には47.7%<!-- http://www.singstat.gov.sg/pubn/popn/c2010sr1/cop2010sr1.pdf -->に上った。中国語と英語を公用語とする点で共通する香港とは異なりシンガポール華人の名前は、日本語のマスメディアでは通常英文表記から音訳された片仮名で表記される。氏名の英文表記は必ずしも華語の発音によるものとは限らず、それぞれの祖先の出身地での発音が基になっていることが多い(「[[陳 (姓)|陳]]」を「Chen」ではなく「Tan」と表記するなど)。\n\nマレー語が憲法上[[国語]]とされているが、儀礼的なもので、シンガポールがかつてマレーシア連邦の一員だったことの名残でもある。公式の場でもマレー語はほとんど用いられず、[[ビジネス]]、[[行政]]などでは英語が広く使われ、公共の場の表記や放送も主に英語が使用されている。空港や駅などの案内板、地下鉄の車内放送は英語をメインとし、場所により中国語、マレー語、タミル語が併用されている。日本人観光客の多い場所では案内板に日本語が併記されている場合もある。華人やインド系でも英語を[[母語]]とする者(英語系華人など)がおり、教育でも初等教育から各民族語以外は英語中心に行われている(大学教育はほぼ英語のみ)。若い世代は大多数が[[多言語|バイリンガルあるいはトライリンガル]]であるが、古い世代では中国語などの民族語しか話さない者も多い。政府発行の公文書は基本的に英語だが、国語はマレー語、国歌もマレー語である。英語を表記する際には、イギリスの植民地であったことから、\'\'colour\'\'や、\'\'centre\'\'など、[[イギリス英語]]が用いられる場合が多い。しかし高等教育を受けていても英語を流暢に話せる人は少なく、独特の英語(シングリッシュ)を話す。2000年以降、これが問題として取り上げられ、論争が行われている。\n\n\n\n==== シングリッシュ ====\n{{Main|シングリッシュ}}\nシンガポールで話される[[英語]]は、独特の発音や用語法があり、\'\'\'[[シングリッシュ]]\'\'\'(Singlish)と呼ばれる。[[マレー語]]、[[普通話|標準中国語]]、[[ビン南語|閩南語]]が混ざった英語であり、[[ピジン言語]]の一種とされる。発音の面から見ると、シングリッシュにおいて、「[[R|r]]」を「[[L|l]]」として発音することが多く、例えば「very」「already」がそれぞれ「vely」と「oleddy」になる。英語にない語彙もある<ref group="※">\'\'si beh\'\'=福建語で「非常に」、\'\'lobang\'\'=マレー語で「穴」を意味する。しかし、シングリッシュでは\'\'lobang\'\'とは「何か良いものを紹介して欲しい」を意味する。</ref>。語彙のみならず、他言語の文法もそのまま英語に編入され、独特のシンガポール英語ができている<ref group="※">例えば、文の後に「lah」「leh」「mah」をつけたり、動詞の時制を変換しなかったり、be動詞を省略したりする。ほかに、Yar?=Yes.、No lah=No.、Think what?=What do you think?.、OK lah =OK.、You like that think meh? =Do you think like that?、Haiya, Never mind one lah. = It\'s okay, don\'t worry.、Can or not? =Can you do it?など。</ref>。\n\nシンガポール政府は「シングリッシュ」に対して否定的であり、正しい英語を話すことを国民に求めている。大学には、シングリッシュ[[矯正]]講座もある。[[2000年]][[4月]]には「{{仮リンク|正しい英語を話す運動|en|Speak Good English Movement}}」を開始し<!-- 、『シングリッシュ-イングリッシュ辞典』が出版され -->た。\n\n=== 宗教 ===\n{{main|{{仮リンク|シンガポールの宗教|en|Religion in Singapore}}}}\n{{bar box\n|title=シンガポールの宗教\n|titlebar=#ddd\n|left1=宗教\n|right1=割合\n|float=left\n|bars=\n{{bar percent|仏教|yellow|33}}\n{{bar percent|キリスト教|blue|18}}\n{{bar percent|無宗教|orange|17}}\n{{bar percent|イスラム教|green|15}}\n{{bar percent|道教|red|11}}\n{{bar percent|ヒンドゥー教|black|5.1}}\n{{bar percent|その他|pink|0.9}}\n}}\n主な[[宗教]]は、[[仏教]]、[[道教]]、[[イスラム教]]、[[キリスト教]]、[[ヒンドゥー教]]などである。\n\n* 仏教は主に[[華僑]]系により、中国[[浄土教]]系が信仰され、全人口の32.5%を占める。華僑系は、道教の信仰者も多い(約8%)。\n* イスラム教は、主にマレー系住民(中華系・インド系も少なくない)により信仰され、全人口の約14%の信者を有する。\n* ヒンドゥー教は、主にタミル系住民により信仰されている(約4%)。\n* 民族にかかわらずキリスト教が広く信仰されており、全人口の15%程度の[[信者]]を有し、[[カトリック教会|カトリック]]と[[プロテスタント]]が1:2の割合となっている。\n\n=== 保健 ===\n{{main|シンガポールの医療}}\n世界でも最高水準といわれる[[医療制度]]を誇り、世界各国から[[医療観光]]者が訪れる。[[ユニバーサルヘルスケア]]が達成されており、公的医療保険は賦課方式ではなく個人別の積立方式であり、[[#中央積立基金]]がMedisaveとして運営している。シンガポールの[[医療制度]]の効率性は、2000年のWHO調査にて世界6位と評された。\n\n政府が管掌する公的[[病院]]と自由診療の民間病院が存在するが、公的病院は政府により、誰もが安心して受診できるような安価な診療費を設定することが目標とされている。サービスの質を落とさぬよう、病院の運営組織は地域別に2分割され、競争原理が働くよう考慮されている。同一内容の診療でも、[[永住権]]を持たない滞在者には高めの費用が設定されている。\n\n=== 罰金の国 ===\n[[トイレ]]の水流し忘れや、紙屑一片の[[ポイ捨て]]にも[[罰金]]が科せられるような公衆政策は、ときに「ファインアンドファイン」「ファインシティ」「Singapore is fine country」とも揶揄される。罰金([[英語]]:Fine)と[[綺麗]](同:Fine)を意味する。又、国内での[[ガム]]の販売は、ポイ捨てする人がいる事から(医療目的を除き)禁止されている。\n\n== 文化 ==\n{{main|{{仮リンク|シンガポールの文化|en|Culture of Singapore}}}}\n=== 食文化 ===\n[[食生活]]は[[外食]]中心であり、シンガポール人が[[自炊]]をする事はあまり無い。以前から[[商業]]都市であり、男女関係無く毎日仕事に明け暮れるシンガポール人が多いため、自然と時間のかかる自炊よりも外食で済ますことが好まれるようになったからである。\n\n外食文化が非常に発達しており、多数の[[フードコート]]や、「[[ホーカーズ]]」と呼ばれる、[[大衆]]向け外食広場が存在している。一部の観光客向けホーカーズを除けばフードコートやホーカーズで提供される食事の値段は手ごろで、1食分の値段が3~5S$程度で済むメニューが多い。\n\n==== シンガポール料理 ====\n{{main|{{仮リンク|シンガポール料理|en|Singaporean cuisine}}}}\n混合文化圏らしく、[[潮州]]・[[福建]]を起源とする華人料理、[[南インド]]系の料理、マレー系の料理に大別される。以下に代表的なものを挙げる。\n\n[[肉骨茶]](バクテー)\n: 骨付きばら肉等をニンニクや漢方系ハーブで煮込んだ[[スープ]]。\n[[海南鶏飯]](ハイナンチーファン)\n: 海南風チキンライス(現地では、単にチキンライスという)としても有名な料理。鶏のスープでゆでた米飯に蒸し鶏又は茹で鶏を添えるもの。タイ料理のカオマンガイ等と同系。\n[[フィッシュヘッドカレー]]\n: 大型の魚の頭部を煮込んで作った[[カレー]]。解体後の余り物を用いたのが起源。\n\n=== 娯楽 ===\n[[File:Theatre and Concert Hall, Esplanade – Theatres on the Bay, Singapore - 20110528.jpg|thumb|[[エスプラネード・シアターズ・オン・ザ・ベイ]]]]\n[[英語]]と各種[[中国語]]、[[マレー語]]という[[東南アジア]]の主要言語を揃って使用することのアドバンテージを生かし、東南アジアの主な情報発信地の一つとしてポピュラー[[音楽]]や[[ファッション]]などで存在感を見せている。\n\n土地が狭いことや、政府の規制が厳しいためもあり、国内に娯楽施設は少なく、若い世代は[[映画]]、[[クラブ]]や[[ビリヤード]]、スヌーカー、[[カラオケ]]に興じることが多い。特に[[ビリヤード]]場は都市部のそこかしこで見かけることができる。最近では[[インターネットカフェ]]が増加している。\n\n中東部の[[ゲイラン]]地区には国公認の[[売春]]地区がある。[[トランジット]](飛行機乗り換え)で立ち寄る[[西洋人]](主にアメリカ系)が中国本土や[[ロシア]]東部の女性目的に立ち寄ったり、日本人が顧客の接待で立ち寄ったりするが、基本的にはローカルのシンガポール人が一番多い。[[トップレス]]ダンスショーを披露する[[パリ]]の[[キャバレー]]「クレージーホース」を政府当局が誘致したが、客足が伸びず、開業からわずか1年あまりで閉店される事となった[http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070129i314.htm]。\n\n=== 結婚 ===\n中国文化圏であることから、結婚の際は[[夫婦別姓]]である。\n\n=== スポーツ ===\n{{main|{{仮リンク|シンガポールのスポーツ|en|Sport in Singapore}}}}\n[[File:Stadium-Closing-Ceremony-Panorama.jpg|thumb|[[ナショナルスタジアム (シンガポール)|ナショナルスタジアム]]]]\n国内では比較的[[サッカー]]と[[バスケットボール]]が人気である。\n\n* [[2008年]]より[[フォーミュラ1|F1]][[シンガポールグランプリ]]が行われており、F1史上初めてのナイトレースが行われている。\n* [[2010年]]にスタートする[[シンガポールユースオリンピック|ユースオリンピックの夏季大会の第1回大会]]の舞台である。\n\n==== サッカー ====\nシンガポールには[[Sリーグ]]と呼ばれるプロサッカーリーグがあり、日本からは[[アルビレックス新潟・シンガポール]]が参戦している。\n\n=== 祝祭日 ===\n{| class="prettytable" style="font-size:85%;margin-left:1em"\n!日付!!日本語表記!!英語!!中国語!!マレー語!!タミル語!!備考\n|-\n|[[1月1日]]\n|[[正月]]\n|New Year\'s Day\n|lang="zh"|元旦\n|Tahun Baru\n|புத்தாண்டு\n| \n|-\n|[[1月10日]]\n|[[ハリ・ラヤ・ハジ]]\n|Hari Raya Haji\n|lang="zh"|哈芝节\n|Hari Raya Haji\n|ஹஜ்ஜிப் பெருநாள்\n|移動祝祭日([[イスラム暦]])\n|-\n|1月29日-1月30日\n|[[春節]]\n|Chinese New Year\n|lang="zh"|春节\n|Tahun Baru Cina\n|சீனப் புத்தாண்டு\n|移動祝祭日([[太陰暦]])\n|-\n|4月14日\n|[[聖金曜日]]・受難日\n|Good Friday\n|lang="zh"|受难节\n|Jumat Agung\n| \n|移動祝祭日([[教会暦]])\n|-\n|[[5月1日]]\n|労働者の日・[[メーデー]]\n|Labour Day/May day\n|lang="zh"|劳动节\n|Hari Buruh\n| \n| \n|-\n|[[5月12日]]\n|[[ウェーサク祭]]\n|Vesak Day\n|lang="zh"|卫塞节\n|Hari Vesak\n|விசாக தினம்\n|移動祝祭日(仏教の暦)\n|-\n|8月9日\n|独立記念日\n|National Day\n|lang="zh"|国庆日\n|Hari Kebangsaan\n|தேசிய தினம்\n| \n|-\n|[[10月21日]]\n|[[ディーパバリ]]\n|Deepavali\n|lang="zh"|屠妖节\n|Deepavali\n|தீபாவளித் திருநாள்\n|移動祝祭日\n|-\n|[[10月24日]]\n|[[ハリ・ラヤ・プアサ]]\n|Hari Raya Puasa\n|lang="zh"|开斋节\n|Hari Raya Puasa\n|நோன்புப் பெருநாள்\n|移動祝祭日(イスラム暦)\n|-\n|12月25日\n|[[クリスマス]]\n|Christmas\n|lang="zh"|圣诞节\n|Krismas\n|கிறிஸ்துமஸ் பண்டிகை\n| \n|-\n|[[12月31日]]\n|[[ハリ・ラヤ・ハジ]]\n|Hari Raya Haji\n|lang="zh"|哈芝节\n|Hari Raya Haji\n|ஹஜ்ஜிப் பெருநாள\n|移動祝祭日(イスラム暦)\n|}\n[[日曜日]]が祝日の場合は[[月曜日]]に振り替えられる。移動祝祭日については2006年の日付である。\n\n== 通信とメディア ==\n<!--== ラジオ ==\n* Safra Radio\n** 住所:Defence Technology Towers Tower B, 5 Depot Rd #12-04,Singapore 109681\n{|class="wikitable"\n!周波数(MHz)!!放送言語!!放送時間(JST)\n|-\n|88.3||中国語||24H\n|-\n|98.0||英語||24H\n|}\n\n* BBCシンガポール中継所\n** 住所:51,Turut Track,Sigapore 718930.\n{|class="wikitable"\n!周波数(MHz)!!放送局名!!放送言語!!放送時間(JST)\n|-\n|88.9||BBC Singapore 88.9FM||英語||24H\n|}\n\n* その他\n{|class="wikitable"\n!周波数(MHz)!!放送局名!!放送言語!!放送時間(JST)\n|-\n|89.7||Ria 89.7FM||マレー語||7:00-03:00\n|-\n|90.5||Gold 90FM||英語||24H\n|-\n|92.4||Symphony 92FM||英語||7:00-01:00\n|-\n|93.3||Y.E.S 93.3FM||中国語||24H\n|-\n|93.8||938Live||英語||7:00-01:00\n|-\n|94.2||Warna 94.2FM||マレー語||24H\n|-\n|95.0||Class 95FM||英語||24H\n|-\n|95.8||Capital 95.8FM||中国語||7:00-03:00\n|-\n|96.3||Int. Channel||フランス語, ドイツ語, 日本語||08:00-01:00\n|-\n|96.8||Oli 96.8FM||タミール語||24H\n|-\n|97.2||Love 97.2FM||中国語||24H\n|-\n|98.7||987FM||英語||24H\n|-\n|99.5||Lush 99.5FM||英語||24H\n|}\n-->\n=== 性的表現に対する規制 ===\n性的表現に関しては上記を除いては全体的に厳しく、例えば[[雑誌]]の[[ヌード]][[グラビア]]掲載は厳しく規制されている。そのため、日本のグラビア付週刊誌などは、ヌード写真がある場合はそれを切り取った上で販売されている。\n\n=== 報道規制 ===\n[[人民行動党]]による独裁体制の弊害の一つとして、各種[[報道機関|マスコミ]]に対する報道規制がある。一例として、[[非政府組織]](NGO)「[[国境なき記者団]]」が毎年実施している[[報道の自由]]度調査の結果、シンガポールは毎年きわめて低い評価を受けている。\n\n* [[2002年]] (調査対象外)\n* [[2003年]] 166の国・地域で144位\n* [[2004年]] 167の国・地域で147位\n* [[2005年]] 167の国・地域で140位\n* [[2006年]] 168の国・地域で146位\n* [[2007年]] 169の国・地域で141位\n* [[2008年]] 173の国・地域で144位\n* [[2009年]] 175の国・地域で133位\n* [[2010年]] 178の国・地域で136位\n\n実際、過去に政府に対する批判的な報道を行った記者が投獄された他、同じく批判的な報道を行った外国人記者が国外追放になるなど、自称「先進国」らしからぬ前時代的な報道規制が内外から大きな批判を浴びている。[[普通話|標準中国語]]([[マンダリン]])以外の中国語の方言をメディアに載せることは基本的に禁じられている。そもそも、[[リー・シェンロン]]首相の妻が社長を務める政府保有投資会社[[テマセク・ホールディングス]]が、地上波報道局Channel News Asiaなどを保有する[[メディアコープ]]の100%株主であることなどからも、政府に対して批判的な報道は規制されていると言える。\n\n2013年6月には、[[インターネット]]のニュースサイトに対する免許制を導入する。この免許制については、シンガポール国民の間で、政府による検閲だと反発する動きがあり、デモなどが行われている<ref>{{cite news |title=ニュースサイト免許制度に反対デモ、シンガポール |newspaper=[[TBSテレビ|TBS]]|date=2013-6-9 |url=http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5353121.html | accessdate=2013-6-9}}</ref>。\n\n== 脚注 ==\n{{脚注ヘルプ}}\n=== 注釈 ===\n{{Reflist|group="※"|}}\n \n=== 出典 ===\n{{Reflist}}\n\n=== 参考文献 ===\n* 「アジア諸国の税法」第4版(監査法人トーマツ編 ISBN 4-502-91370-7) \n* 「{{PDFlink|[http://www.clair.or.jp/j/forum/series/pdf/j13.pdf ASEAN諸国の地方行政]}}」(自治体国際化協会2004年)\n\n== 関連項目 ==\n* [[シンガポール関係記事の一覧]]\n* [[シンガポール日本人学校]]\n* [[アジアエックス]]\n* [[シンガポールグランプリ]]\n\n== 外部リンク ==\n{{Commons&cat|Singapore|Singapore}}\n* 政府\n** [http://www.gov.sg/ シンガポール共和国政府] {{en icon}}\n** [http://www.istana.gov.sg/ シンガポール大統領府] {{en icon}}\n** [http://www.pmo.gov.sg/ シンガポール首相府] {{en icon}}\n** [http://www.mfa.gov.sg/tokyojpn/ シンガポール大使館]\n* 日本政府\n** [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/singapore/ 日本外務省 - シンガポール]\n** [http://www.sg.emb-japan.go.jp/index-j.html 在シンガポール日本国大使館]\n* 観光\n** [http://www.yoursingapore.com/content/traveller/ja/experience.html Your Singapore](シンガポール政府観光局)\n** [http://www.singapore-dine.sg シンガポール料理] {{en icon}}\n* その他\n** [http://www.moj.go.jp/housouken/housouken05_00046.html 栗田哲郎「アジアにおける外国仲裁判断の承認・執行に関する調査研究」] - 国際取引の主要な紛争解決方法である[[仲裁]]の中心地であることは、シンガポールにとって重要な国家戦略となっている。\n\n{{アジア}}\n{{アジアの首都}}\n{{イギリス連邦}}\n{{ASEAN}}\n{{ユースオリンピック開催都市}}\n{{DEFAULTSORT:しんかほる}}\n[[Category:シンガポール|*]]\n[[Category:島国]]\n[[Category:共和国]]\n[[Category:イギリス連邦]]\n[[Category:アジアの首都]]\n[[Category:都市国家]]\n[[Category:アジアの港町]]\n{{Link GA|fi}}',
'title': 'シンガポール'},
202: {'text': '{{基礎情報 国\n|略名 =マレーシア\n|日本語国名 =マレーシア\n|公式国名 =\'\'\'{{lang|ms-Arab|مليسيا}}\'\'\'<br />\'\'\'Malaysia\'\'\'<!--<br />{{lang-zh|马来西亚}}<br />{{lang-ta|மலேசியா}}--><!-- 必要無い -->\n|国旗画像 =Flag of Malaysia.svg\n|国章画像 =[[ファイル:Coat of arms of Malaysia.svg|100px|マレーシアの国章]]\n|国章リンク =([[マレーシアの国章|国章]])\n|標語 =\'\'{{Lang|ms|Bersekutu Bertambah Mutu}}\'\'<br />(マレー語: 団結は力なり)\n|位置画像 =Malaysia (orthographic projection).svg\n|公用語 =[[マレー語|マレーシア語]] <sup>注1</sup>、[[英語]]\n|首都 =[[クアラルンプール]] <sup>注2</sup>\n|最大都市 =クアラルンプール\n|元首等肩書 =[[マレーシアの国王|国王]]\n|元首等氏名 =[[アブドゥル・ハリム]]\n|首相等肩書 =[[マレーシアの首相|首相]]\n|首相等氏名 =[[ナジブ・ラザク]]\n|面積順位 =66\n|面積大きさ =1 E11\n|面積値 =329,847\n|水面積率 =0.3%\n|人口統計年 =2012\n|人口順位 =\n|人口大きさ =1 E7\n|人口値 =29,330,000\n|人口密度値 =84\n|GDP統計年元 =2013\n|GDP値元 =9,845億<ref name="imf201404">{{Cite web|url=http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2014/01/weodata/weorept.aspx?sy=2012&ey=2014&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=548&s=NGDP%2CNGDPD%2CNGDPDPC%2CPPPGDP%2CPPPPC&grp=0&a=&pr.x=35&pr.y=14|title=World Economic Outlook Database, April 2014|publisher=[[国際通貨基金|IMF]]|language=英語|date=2014-04|accessdate=2014-10-04}}</ref>\n|GDP統計年MER =2013\n|GDP順位MER =35\n|GDP値MER =3,124億<ref name="imf201404" />\n|GDP統計年 =2013\n|GDP順位 =29\n|GDP値 =5,257億<ref name="imf201404" />\n|GDP/人 =17,747<ref name="imf201404" />\n|建国形態 =成立\n|確立形態1 =[[イギリス]]より[[独立]]\n|確立年月日1 =[[1957年]][[8月31日]]<ref>英国の規程法データベース: [http://www.statutelaw.gov.uk/content.aspx?LegType=All+Primary&PageNumber=72&NavFrom=2&parentActiveTextDocId=1118475&ActiveTextDocId=1118475&filesize=15776 連邦マラヤ独立法1957年の (c. 60)]</ref>\n|確立形態2 =マレーシア成立\n|確立年月日2 =[[1963年]][[9月16日]]<ref>[http://untreaty.un.org/unts/1_60000/21/36/00041791.pdf 国連条約第10760, 契約は、グレートブリテン及び北部アイルランド、マラヤ連邦、北ボルネオ、サラワク、シンガポールのイギリスの間、マレーシアに関連する]</ref>\n|通貨 =[[リンギット]]\n|通貨コード =MYR\n|時間帯 =[[UTC+8|+8]]\n|夏時間 =なし\n|国歌名 =ナガラク(我が国)\n|ISO 3166-1 = MY / MYS\n|ccTLD =[[.my]]\n|国際電話番号 =60\n|注記 =注1: 2007年より[[マレー語]] (Bahasa Melayu) から[[マレーシア語]] (Bahasa Malaysia) に変更された。<br />\n注2: 連邦政府各庁舎および連邦裁判所は[[プトラジャヤ]]へ移転。連邦議会議事堂は移転せず、法律上の首都はクアラルンプールのままである。\n}}\n[[File:Agreement Relating to Malaysia between UK, N. Borneo, Sarawak and Singapore.djvu|thumb|250px|英領北ボルネオ、サラワク、およびシンガポールのマラヤ連邦との統合を定めた英国・マレーシア関係合意文書]][[File:Malaysia Act 1963.pdf|thumb|160px|マレーシア法1963(文書)]]\n\'\'\'マレーシア\'\'\'は、[[東南アジア]]の[[マレー半島]]南部と[[ボルネオ島]]北部を領域とする[[連邦]][[立憲君主制]][[国家]]で、[[イギリス連邦]]加盟国である。[[タイ王国|タイ]]、[[インドネシア]]、[[ブルネイ]]と陸上の国境線で接しており、[[シンガポール]]、[[フィリピン]]と海を隔てて近接する。[[東南アジア諸国連合|ASEAN]]の一員。<!-- 戦中以来の[[親日国家]]としても知られる。 -->\n\n== 国名 ==\n正式名称は、[[ジャウィ文字]]: ڤرسكوتوان مليسيا、[[ラテン文字]]: {{Lang|ms|Malaysia}}。(<small>[[マレー語]]:</small> {{IPA|[məˈlεɪʒə]}})。\n\n公式の英語表記は {{Lang|en|Malaysia}}({{IPA|[məˈlεɪʒə]}} または {{IPA|[məˈleɪziə]}})。\n\n=== 国外での表記 ===\n[[日本語]]の表記は\'\'\'マレーシア\'\'\'あるいは\'\'\'マレイシア\'\'\'である。他に\'\'\'マレーシャ\'\'\'、\'\'\'マレイシヤ\'\'\'などの表記もある。また、連邦制国家であることに鑑み\'\'\'マレーシア連邦\'\'\'とされることもある。[[漢字]]による[[当て字]]では\'\'\'馬来西亜\'\'\'と表記し、\'\'\'馬\'\'\'と略す。\n[[中国語]]表記は马来西亚<small>([[簡体字]])</small> / 馬來西亞<small>([[繁体字]])</small>。略称は大马<small>([[簡体字]])</small> / 大馬<small>([[繁体字]])</small>。\n\n=== 名称の由来 ===\nマレーシアとは「『ムラユ (Melayu)』の国」の意味だが、この「ムラユ」という言葉自体は、サンスクリット語で「山脈のある土地」を意味する「マラヤドヴィパ (Malayadvipa)」を語源としている<ref>Himansu Bhusan Sarkar (1970). Some contributions of India to the ancient civilisation of Indonesia and Malaysia. Calcutta: Punthi Pustak. p. 8.</ref>。[[古代インド]]の時代には、交易商たちが[[マレー半島]]を指すときに使う言葉であった。その後、7世紀の[[唐]]の僧侶の[[義浄]]による記録に現れる[[スマトラ島]]に存在した[[シュリーヴィジャヤ王国]](3世紀 - 14世紀)の他称『{{仮リンク|ムラユ王国|en|Melayu Kingdom}}』として継承され、近代に入ってからフランス人の探検家[[ジュール・デュモン・デュルヴィル]]によって\'\'\'マレーシア\'\'\'という言葉が生み出される<ref>D\'Urville, Jules-Sébastien-César Dumont; Isabel Ollivier, Antoine de Biran, and Geoffrey Clark. "On the Islands of the Great Ocean". The Journal of Pacific History (Taylor & Francis, Ltd.) 38 (2). http://www.jstor.org/stable/25169637.</ref>。もっとも、当時は現在のマレーシアのみならず、[[東インド諸島]]全体を指し示していた。そのため、現在の[[フィリピン]]が独立する際、国名をマレーシアとする案もあったとされる<ref>Sakai, Manako. Reviving Malay Connections in Southeast Asia.</ref>が、フィリピンよりも先に[[マラヤ連邦]](現在のマレーシア)が先に自らをマレーシアと呼称するようになり、現在に至る。\n\n== 歴史 ==\n{{main|マレーシアの歴史}}\n\n* 13世紀 アラブ商人やインド商人と共にイスラム教が伝来し、仏教とヒンドゥー教の時代が終わった。\n* 1400年 [[マラッカ王国]]成立\n* 1511年 [[ポルトガル]]、[[マラッカ]]を占領(ポルトガル領マラッカ、[[1511年]] - [[1641年]])\n* 1542年 [[ムラカ州|マラッカ]]からポルトガルの鉄砲が日本に伝来した。([[鉄砲伝来]])\n* 1549年 イエズス会の[[フランシスコ・ザビエル]]がマラッカを出発し、日本到着。\n* 1641年 [[オランダ]]、マラッカを占領({{仮リンク|オランダ領マラッカ|en|Dutch Malacca}}、[[1641年]] - [[1825年]])\n* 1777年 隣国[[シャム]](現在の[[タイ王国|タイ]])の[[ソンクラー県|ソンクラー国主]]に[[福建省]][[ショウ州市|漳州府]][[竜海市|海澄県]]出身の[[華僑]]・\'\'\'呉譲\'\'\'が就任。以後、ソンクラー国を拠点としてシャム軍が[[パタニ王国]]、{{仮リンク|クダ・スルタン国|en|Kedah Sultanate}}への侵略の動きを見せ始める。\n* 1786年 シャムの攻撃を恐れたクダ・スルタン国は、非常時における[[イギリス]]による兵力援助の約束と引き換えに、[[イギリス東インド会社]]に[[ペナン島]]を賃貸した。イギリス東インド会社は、中国やインドからの移民増加政策を行った。\n* 1791年5月1日 シャムが隣国の[[パタニ王国]](現在の[[タイ王国|タイ]][[深南部 (タイ)|深南部三県]])まで攻めて来たため、イギリスに派兵を要求したが断わられた。ここにクダ・スルタン国は{{仮リンク|フランシス・ライト|en|Francis Light}}に5年間騙されていた事が発覚した。クダ・スルタン国は10000人からなる大軍によるペナン島回復戦を計画したが、事前にフランシス・ライトに察知され、ペナンを取り返すどころか対岸の拠点{{仮リンク|セベラン・ペライ|en|Seberang Perai}}を奪われてしまい、ペナンを正式にイギリスに明け渡した([[ペナンの歴史]])。\n* 1795年 [[イギリス]]、マラッカを獲得。\n* 1805年 [[トーマス・ラッフルズ]]がペナンに派遣され、ペナンで積んだ経験が後のシンガポール建設の参考となった。\n* 1819年 トーマス・ラッフルズがシンガポールの地政学上の重要性に着目、[[ジョホール王国]]の内紛に乗じてシンガポールを獲得した。\n* 1821年 クダ・スルタン国はシャムに征服され、統治された。\n* 1824年 イギリス・オランダ両国にて、マレー半島(マラッカ海峡)を中心とする地区の勢力範囲を定めた[[英蘭協約]]を締結(イギリスは[[スマトラ島]]西海岸のベンクーレン({{仮リンク|ブンクル|en|Bengkulu (city)}})とオランダの[[マラッカ]]を交換し、[[ペナン]]・[[シンガポール]]・[[マラッカ]]のマレー半島に英領[[植民地]]を得る。)\n* 1826年 イギリスとシャムが{{仮リンク|バーニー条約|en|Burney Treaty}}を締結し、[[海峡植民地|イギリス領マラッカ海峡植民地]]成立\n* 1836年 フランシス・ライトの息子でペナン出身の[[ウィリアム・ライト]]が[[南オーストラリア]]の[[アデレード]]建設を開始\n* 1840年 {{仮リンク|ジェームズ・ブレマー|en|James Bremer}}率いる英国極東艦隊が[[海峡植民地]][[シンガポール]]から[[阿片戦争]]へ出撃。[[ジェームズ・ブルック]]がサラワクの反乱の鎮圧に協力\n* 1841年 [[サラワク王国]]が[[ブルネイ|ブルネイ・スルタン国]]から独立\n* 1842年 [[ジェームズ・ブルック]]がサラワク王国の国主となる\n* 1855年 イギリスとシャムが通商貿易に関する{{仮リンク|ボーリング条約|en|Bowring Treaty}}(不平等条約)を締結。\n* 1874年 [[イギリス領マラヤ]]成立\n* 1882年 阿片戦争で有名な{{仮リンク|ランスロット・デント|en|Lancelot Dent}}の{{仮リンク|デント商会|en|Dent & Co.}}のデント兄弟が[[イギリス北ボルネオ会社]]による北ボルネオ([[スールー王国]]と[[ブルネイ|ブルネイ王国]])の統治を開始\n* 1888年7月 イギリス北ボルネオ会社により統治される{{仮リンク|北ボルネオ|en|North Borneo|label=イギリス保護国北ボルネオ}}が成立\n* 1909年 {{仮リンク|英泰条約 (1909年)|label=英泰条約|en|Anglo-Siamese Treaty of 1909}}によってクダ・スルタン国はイギリスに移譲されイギリス領マラヤになる。[[:en:Unfederated Malay States|Unfederated Malay States]]\n* 1941年 [[日本軍]]が[[コタバル]]近郊に上陸([[マレー作戦]])。[[太平洋戦争]]の開戦。\n* 1942年 日本軍がマラヤ全域を占領({{仮リンク|日本占領下のマラヤ|en|Japanese occupation of Malaya}})。\n* 1946年 [[マラヤ連合]]と改称。[[サラワク王国]]が[[サラワク州|イギリス領サラワク]]になる。\n* 1947年 [[マラヤ連邦]]、イギリス領植民地の集合体として結成\n* 1948年 戦後、イギリスに返還されていた[[クダ州]]がマラヤ連邦に加入。[[:en:Malayan Emergency|Malayan Emergency]](1948年 – 1960年)。\n* 1957年 マラヤ連邦(初代国王トゥアンク・アブドゥル・ラーマン、初代[[首相]][[トゥンク・アブドゥル・ラーマン]])独立。\n* 1962年 - 1966年 {{仮リンク|インドネシアとマレーシアの対立|en|Indonesia-Malaysia confrontation}}。\n* 1963年 [[シンガポール]]、[[北ボルネオ|イギリス保護国北ボルネオ]]、[[サラワク州|イギリス領サラワク]]がマラヤ連邦と統合し、\'\'\'マレーシア\'\'\'が成立。\n* 1965年 シンガポールがマレーシアから独立。\n* 1968年 - 1989年 {{仮リンク|共産主義者の反乱 (マレーシア)|label=共産主義者の反乱|en|Communist Insurgency War}}。\n* 1969年 5月10日、[[1969年総選挙 (マレーシア)|1969年総選挙]]実施。5月13日、マレーシア史上最悪の民族衝突であるマレー人と中国人の間の衝突[[5月13日事件]]が起きる。\n* 1970年 7月[[ブミプトラ政策|緊急条例]]発布。9月、ラーマン首相辞任。第2代首相に[[アブドゥル・ラザク]]就任。\n* 1974年 [[クアラルンプール]]を連邦の[[首都]]に定める。\n* 1975年 ラザク首相、急死。[[フセイン・オン]]、首相に昇格。第3代首相に。\n* 1981年 [[マハティール・ビン・モハマド|マハティール]]首相就任( - 2003年)\n* 1984年 [[サバ州]]沖合の[[ラブアン]]島が連邦直轄領になる。\n* 1999年 首相官邸がクアラルンプール郊外の新行政都市[[プトラジャヤ]]に移転。首都機能が2010年までに移転される。\n* 2003年 [[アブドラ・バダウィ|アブドゥラ・ビン・アフマッド・バダウィ]]首相就任\n* 2007年 [[国語]]表記を、[[マレー語]]から[[マレー語|マレーシア語]] (bahasa Malaysia) に定めた。\n* [[2008年]][[2月13日]]、[[アブドゥラ・ビン・アフマッド・バダウィ|アブドラ首相]]は、連邦議会下院を解散すると発表した。憲法の規定により解散後60日以内に総選挙が行われる。同時に[[サラワク州]]を除く12州議会に解散するよう要請した。\n* [[2008年]] 3月の総選挙で国民戦線は3分の2議席を確保できなかった。\n* [[2009年]] 前年の総選挙で与党連合が歴史的敗北を喫し、アブドラ首相が責任をとって二期目の任期4年を残し辞任。[[4月3日]]、マレーシア与党連合・国民戦線の中核政党の統一マレー国民組織 (UMNO) の新総裁[[ナジブ・ラザク|ナジブ]]が第6代首相に就任した。\n* [[2013年]][[2月11日]] {{仮リンク|ラハダトゥの対立 (2013年)|label=ラハダトゥの対立|en|2013 Lahad Datu standoff}}。\n\n== 政治 ==\n<!-- \'\'詳細は[[マレーシアの政治]]を参照\'\' -->\n[[File:MalaysianParliament.jpg|thumb|250px|国会議事堂]]\n[[File:Perdana Putra building 2005.jpg|thumb|250px|首相官邸]]\n[[政体]]は[[立憲君主制]]である。\n\n=== 元首 ===\n{{main|マレーシアの国王}}\n国家[[元首]]たる[[国王]]は13州の内9州にいる[[スルターン]]([[首長]])による互選で選出され(実質的には輪番制)任期は5年。世界でも珍しい、世襲ではなく選挙で選ばれかつ終身制ではない国王である。\n\n=== 行政 ===\n{{main|マレーシアの首相}}\n行政府の長は[[首相]]であり、国王は[[内閣]]の補佐を受けて行政を担当する。\n{{節stub}}\n\n=== 立法 ===\n{{節stub}}\n{{main|マレーシアの国会}}\n* [[元老院 (マレーシア)|元老院]] - マレーシア議会上院\n* [[代議院 (マレーシア)|代議院]] - マレーシア議会下院\n\n=== 司法 ===\n{{節stub}}\n\n=== 列柱社会 ===\n{{See also|ブミプトラ政策}}\nマレーシアは、人口の6割をマレー系、3割を華人系、1割をインド系が居住する国家である。居住の形態は、伝統的にはそれぞれのエスニシティが集団で居住する形式をとっていた経緯があり、また政治の支持基盤も民族毎であるという特色がある。\n\n; 与党勢力({{仮リンク|国民戦線 (マレーシア)|label=国民戦線|en|Barisan Nasional}} (Barisan Nasional))\n: [[統一マレー国民組織|UMNO]](マレー系)、[[マレーシア・インド人会議|MIC]](インド系)、[[マレーシア華人協会|MCA]](華人系)、[[グラカン]](華人系など)\n; 野党勢力({{仮リンク|人民連盟 (マレーシア)|label=人民連盟|en|Pakatan Rakyat}} (Pakatan Rakyat))\n: [[全マレーシア・イスラーム党|PAS]](マレー系)、[[人民正義党|Keadilan]](マレー系)、[[民主行動党 (マレーシア)|DAP]](華人系など)\n{{See also|マレーシアの政党}}\n\nセグメントごとの支持基盤、エスニシティ間の対立を回避するために、国民戦線では、エスニシティのリーダー間の協調が図られている。先述の[[5月13日事件]]がその契機となった。\n\n== 軍事 ==\n{{main|マレーシア軍}}\n兵力は正規軍10万人(陸軍8万人、海軍1万2000人、空軍8000人)、他に予備役が4万1600人。予算は2003年に20億5300万ドル。\n\n[[2003年]]より、マハティールの提唱で制定された「\'\'\'国民奉仕制度\'\'\'」が施行された。これは、「軍への兵士としての入隊」では無いために一般的な意味での[[徴兵制]]とは言えないが、国民の団結を図る目的で「抽選で選ばれた18歳の男女が\'\'\'国防省の管理下\'\'\'で6ヶ月間の共同生活を行う」という内容であり、強制的に国民へ課せられる義務である。\n\nまた、安全保障協定として、1971年に[[イギリス]]、[[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]]、[[シンガポール]]と[[五ヵ国防衛取極め]] (the Five Power Defence Arrangements) を締結しており、各国軍との連携を図っている<ref>[http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2013/2013/index.html 平成25年防衛白書\u3000第I部\u3000わが国を取り巻く安全保障環境\u3000第5節\u3000東南アジア]</ref>。\n\n== 国際関係 ==\n旧[[宗主国]]の[[イギリス]]や、[[日本]]、[[オーストラリア]]などと貿易を通じて密接な関係を持つ他、隣国である[[タイ王国]]や[[シンガポール]]、[[インドネシア]]などのASEAN諸国とも密接な関係を持っている。近年は、[[中国]]・[[韓国]]との関係も強化している。また、[[イスラーム教国]]であることから[[中東]]諸国との結びつきが強い。なお、現在も[[イギリス連邦]]の一員である。\n\n{{See also|ルックイースト政策}}\n\n=== シンガポールとの関係 ===\n隣国で一時は同じ国であったシンガポールとは人種や領土、開発に関する問題、欧米諸国への姿勢などで度々衝突しており(軍事的なものではなく、あくまで外交上のものである)、地理的・心理的に密接ではあるが複雑な関係と言える([[トゥンク・アブドゥル・ラーマン]]および[[リー・クアンユー]]の項参照)。しかし中国系住民同士の結婚は盛んである。また、マレーシアにとってシンガポールは、最大の輸出先でもあり、輸入元でも第2位となっており、経済的な結びつきも強い<ref>{{cite news |title=マレーシア1月の輸出、前年同月比で12.2%の増加…前月比2.7%減 |newspaper=[[Response.]] |date=2014-3-7|url=http://response.jp/article/2014/03/07/218716.html |accessdate=2014-3-8}}</ref>。\n\n=== 中国との関係 ===\nマレーシアは東南アジア諸国としてはシンガポールに次いで華僑の割合が高く[[中国文化]]の影響が強いために[[中華圏]]扱いされる事があり、[[中華料理]]店がよく見られる。多くの中国系マレーシア人が芸能人として中国・香港・台湾・シンガポールなどの中華圏で活躍している。\n\n近年経済台頭する中国に対し、マレーシアは国内に住む華僑住民とのつながりを生かして[[中国]]に接近している。[[ナジブ・ラザク]]首相は、就任から2ヶ月で中国を訪問し、1年後に訪日したのとは対照的であった。中国も留学生の誘致に積極的であり、マレーシアの大学内部に中国語を学ぶ「[[孔子学院]]」を中国政府の予算で設置、近く奨学金を設ける予定である。すでにマレーシア企業から社員向け中国語授業の依頼があり、これは中国とのビジネスのために、高い中国語能力を企業が求めているからである。中国の存在感が大きくなる一方、日本の存在感は相対的に薄くなっているとも言われる<ref name="kyounosekai">[[NHKBS1]]「[[きょうの世界]]」2010年4月19日放送回より</ref>。\n\nマレーシアと中国は、伝統的な友好国である。中国は近年、[[東南アジア]]各国が自国領としている[[南シナ海]]の島などを中国領土と主張しており、東南アジア各国と軋轢を強めている。マレーシアも例外ではなく、中国はマレーシアの[[排他的経済水域]]にある[[ジェームズ礁]]を「最南端の領土」と主張しており、中国の地図上ではジェームズ礁は[[九段線]]の内側になっている。マレーシアは中国と経済的な関係を重視しているため、[[フィリピン]]などと異なり、中国の行動に[[安全保障]]上の懸念を表明することはなかった。しかし、2013年3月には中国軍艦がジェームズ礁近海に入り、マレーシア側に威嚇発砲を実施、2014年1月には中国の[[揚陸艦]]1隻と[[駆逐艦]]2隻がジェームズ礁近辺で主権宣誓式を実施するなど、中国側は動きを強めており、マレーシア側も中国に対する反発を強めつつある<ref>{{cite news |title=焦点:南シナ海で狭まる「中国包囲網」、友好国マレーシアも態度硬化 |newspaper=[[トムソン・ロイター|Reuters]] |date=2014-3-1 |url=http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA2000020140301 |accessdate=2014-1-28|author = Stuart Grudgings}}</ref><ref>{{cite news |title=中国艦3隻、マレーシアのEEZに侵入\u3000「主権宣誓式」を強行 |newspaper=マレーシアナビ! |date=2014-3-1 |url=http://www.malaysia-navi.jp/news/?mode=d&i=2831 |accessdate=2014-3-8|publisher=株式会社アジアインフォネット}}</ref>。\n\n=== 日本との関係 ===\n対日関係については、「[[ルックイースト政策]]」を掲げたマハティール政権、それを継承したアブドラ政権の下で緊密な関係が維持されてきた。\n\nマレーシアの大学には日本への留学生向けの日本語コースが設けられ、30年以上続けられている。奨学金は日本・マレーシア両政府が支給している。留学を終えて帰国した学生は、これまでマレーシア政府や企業の中枢に入り、国を率いてきた。しかし、近年は日本語コースの定員割れが起きており、毎年応募者が600人を上回っていたのが、2008年には200人に減少した。理由として、中国が経済的に台頭し、日本に対する関心が薄れ、学生の意欲と学力が低下したという見方もある<ref name="kyounosekai"/>。\n\n日本政府も中国の攻勢に対して、マレーシアの地方や各地の高校・大学生を対象にした日本語セミナーを開催、2003年に合意された日本・マレーシア国際工科院も2011年にようやくに開校し、マレーシアにいながら日本の電子工学や環境技術などを教えている<ref>[[NHKBS1]]「ワールドWaveトゥナイト」2012年10月10日放送回</ref>。\n\n=== 「マハティール以降」の外交 ===\n[[マハティール・ビン・モハマド]]時代、特に[[1990年代]]以降、同首相の[[ユダヤ]]人に関する論評やイギリスや[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[オーストラリア]]などの[[白人]]主体の[[キリスト教]]国に対する挑発的発言からこれらの国との関係が悪化したが、2003年のマハティールの退任後は関係が回復しつつある。しかし国内でのマハティール路線はほぼ維持されており、「事実上の緩やかな独裁」状態であることからは脱していない。\n\n[[アブドラ・バダウィ]]政権では、イスラーム教国という特色を生かして、中東と東南アジアのビジネス・ハブを目指す戦略を掲げた(ハラル・ハブ政策)。\n\n== 地理 ==\n[[File:My-map.png|thumb|400px|マレーシアの地図]]\n[[File:Kota kinabalu peak.jpg|thumb|right|[[キナバル山]]頂上]]\n\n[[マレー半島]]南部(国土の4割)と[[ボルネオ島]]北部(同6割)を領土とする。マレー半島で[[タイ王国|タイ]]と、ボルネオ島で[[インドネシア]]、[[ブルネイ]]と接する。領海は[[シンガポール]]、[[フィリピン]]、[[ベトナム]]と接する。\n\n* [[インドネシア]]とは[[ボルネオ島]]で広く隣接する。ほぼ同じ言語の国であり、ともに最大の宗教が[[イスラム]]である(ただし、マレーシアではイスラムは国教となっているがインドネシアではそうではない)。なおボルネオ島はインドネシアではカリマンタン島と呼ばれている。\n* [[シンガポール]]とは[[ジョホールバル]]の南から[[ジョホール・シンガポール・コーズウェイ|コーズウェイ]]([[土手道]])で、また[[ジョホール州]]西部からは[[マレーシア・シンガポール・セカンドリンク|セカンドリンク]]と呼ばれる大橋で結ばれており経済的なつながりが強いが、政治的には衝突することが多い。\n* [[ブルネイ]]とはボルネオ島の[[サラワク州]]で国境を接し、同じ言語、宗教の国である。なおブルネイには[[テンブロン地区|飛地]]があり、マレーシアとの国境線は2本ある。\n* [[フィリピン]]とは海域で接している。[[フィリピン諸島]]とボルネオ島の間に連なる[[スールー諸島]]にかつては[[スールー王国|王国]]が存在した。\n\n一般的には[[マレー半島]]の部分が「マレーシア半島(地区)」(Semenanjung Malaysia)、ボルネオ島の部分は「東マレーシア(地区)」(Malaysia Timur) と呼ばれる。また、マレー半島とボルネオ島間の往来は、マレーシア国民であっても[[パスポート]]を必要とする。マレー半島部分は南北740km、東西320kmで、ティティワンサ山脈が走る。ボルネオ島の[[キナバル国立公園]]には[[国際連合教育科学文化機関|UNESCO]][[世界遺産]]に登録され、マレーシア最高峰の[[キナバル山]](標高4,095m)が聳える。\n\n熱帯気候だが海に囲まれるため気温は余り高くないが、1年を通じ湿度は高い。4月から10月の南西モンスーンと11月から3月の北東モンスーンの影響で年間降水量は2,500mmに達する。\n\n== 地方行政区分 ==\n{{main|マレーシアの行政区画}}\n13の州と3つの連邦直轄領から構成される<ref>(財) 自治体国際化協会 (編) 『ASEAN諸国の地方行政』([http://www.clair.or.jp/j/forum/series/pdf/j13.pdf PDF版])、2004年。</ref>\n\n=== 主要都市町村 ===\n{{main|マレーシアの都市の一覧}}\n[[File:Putrajaya January 2007.jpg|thumb|250px|[[プトラジャヤ]]は、マレーシアの行政新首都として開発中の[[連邦直轄領 (マレーシア)|連邦直轄領]]で、首都クアラルンプールの南方約25kmに位置する。]]\n* [[クアラルンプール]]\n* [[ジョホールバル]]\n* [[ジョージタウン (ペナン州)|ジョージタウン]]\n* [[イポー]]\n* [[コタキナバル]]\n* [[ムラカ]](マラッカ)\n* [[バターワース (ペナン州)|バターワース]]\n* [[アロースター]]\n* [[クラン (セランゴール州)|クラン]]\n* [[サンダカン]]\n* [[ミリ (サラワク州)|ミリ]]\n* [[クチン]]\n* [[クアラ・トレンガヌ]]\n[[File:KL-Skyline Night HDR.JPG|thumb|center|500px|首都[[クアラルンプール]]はビジネス、文化、政治などを総合評価した[[世界都市#世界と指数|世界都市格付け]]で53位の都市と評価された<ref>[http://www.atkearney.com/documents/10192/4461492/Global+Cities+Present+and+Future-GCI+2014.pdf/3628fd7d-70be-41bf-99d6-4c8eaf984cd5 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook](2014年4月公表)</ref>。]]\n\n== 経済 ==\n[[File:Petronas Panorama II.jpg|thumb|マレーシアの急速な経済成長の象徴とも言える[[ペトロナスツインタワー]]]]\n[[国際通貨基金|IMF]]によると、マレーシアの[[2013年]]の[[国内総生産|GDP]]は3,124億ドルであり、一人当たりのGDPは10,548ドルであり、[[シンガポール]]には遠く及ばないものの、一人当たりのGDPが世界平均10,000ドル以上という熱帯地域では珍しく高い方である<ref name="imf201404" />。\n\nイギリスの植民地時代からの[[ゴム]]の[[プランテーション]]や[[錫]]の採掘、[[天然ガス]]の掘削など、特定の[[農作物]]や[[鉱物]]の生産が盛んであるが、[[マハティール・ビン・モハマド]]首相の指導の下、従来の農作物や鉱産物の輸出、[[観光]]業に依存した体質からの脱却を果たし、[[2020年]]に[[先進国]]入りするとの目標「ワワサン([[マレー語]]でvisionの意)2020」を掲げた。\n\n多くの東南アジア諸国が欧米列強の植民地支配の影響のため発展が遅れ、社会主義での失敗や工業化が進まない中で、マレーシアは約170年間植民地支配されていたにも関わらず[[日本]]を手本に工業化と経済成長を達成した事で、[[シンガポール]]と共に『東南アジアの優等生』と呼ばれている。しかし民族間での貧富の格差も大きいなど課題もある。\n\n人件費が中国やタイと比べて高く、日本企業の進出は頭打ちの状態が続いていたが、尖閣諸島を巡って対立する中国や洪水や政情不安が続くタイと比較して近年マレーシアに注目が集まっている。\n\n=== 工業化の成功 ===\n[[ファイル:Proton Suprima S Front Three Quarter Facing Left.jpg|サムネイル|左|[[プロトン (自動車)|プロトン]]車。]]\nマハティール首相時代に様々な分野において国産化を推進する政策を打ち出した。なかでも国産車 (National Car) については、日本の[[三菱自動車]]の技術を導入した自動車メーカー「[[プロトン (自動車)|プロトン]]」(その後三菱との資本提携を解消し、[[ドイツ]]の[[フォルクスワーゲン]]社と包括提携交渉を進めるも、個別案件での協力関係を模索することとなり、一方で再び三菱との技術提携を進めている)や、同じく日本の[[ダイハツ工業]]の技術を導入した小型車メーカーの[[プロドゥア]]を設立し、政府の手厚い保護もあって国内シェアの約6割を両社で占めている。また、アジアやヨーロッパ諸国への輸出も行われている。\n\n他にも[[ルノー]]や[[デルコンピュータ]]などの外国企業の工場の誘致、港湾の整備、[[空港]]や[[鉄道]]などの各種交通[[インフラストラクチャー|インフラ]]の充実など、主にインフラ整備と[[重工業]]の充実を中心とした経済政策を積極的に行い、一定の成果を結んでいる。\n\n=== IT先進国政策 ===\n特に近年は、[[アジア]]における[[情報技術|IT]]先進国となるべく、ITインフラの整備や国内企業への支援などをはじめとする様々な経済政策を推し進めて来ており、インフラ整備が高く評価されて[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[デル|デルコンピュータ]]のアジアにおける生産拠点としての位置を確保した他、地元の関連産業が次々誕生するなど一定の成果を結んでいる。\n\nその代表的なものとして、首都[[クアラルンプール]]周辺に建設された最新のITインフラが整備された総合開発地域[[マルチメディア・スーパーコリドー]]の建設が挙げられる。このマルチメディア・スーパーコリドーには、中核となるハイテク工業団地「[[サイバージャヤ]]」と、首相官邸や各省庁舎が立ち並ぶ行政都市「[[プトラジャヤ]]」、クアラルンプールの新しい空の玄関となる[[クアラルンプール国際空港]]、さらには同空港敷地内に[[フォーミュラ1|F1]][[マレーシアグランプリ|マレーシアGP]]も開催される[[セパン・インターナショナル・サーキット]]などが建設された。\n\nまた、クアラルンプール市内では、20世紀までの高層建築としては世界で最も高いビル・[[ペトロナスツインタワー]]の建設などが行われた他、あわせて各種インフラの強化が行われた。\n\n=== 天然資源 ===\nマレーシアの鉱業は[[スズ]]鉱の採掘が中核となっている。2002年時点の採掘量は4215トン<!-- 万トンではない -->であり、世界シェア8位 (1.7%) を占める。主な鉱山は、クダ州、ヌグリ・スンビラン州に点在する。スズ以外の鉱物資源としては、金鉱(サラワク州、パハン州)、鉄鉱、[[ボーキサイト]]鉱(ジョホール州)、などが有力である。有機鉱物資源では、石炭、原油、天然ガスを産し、石炭以外は世界シェアの1%を超える。いずれもブルネイ・ダルサラーム国に近いサラワク州北部の浅海から産出する。日本が輸入する天然ガスの約20%はマレーシア産である。\n\n=== リゾート開発 ===\n[[File:Tanjung bunga.jpg|thumb|ペナン島北部のビーチ]]\n古くから世界的に有名であったペナン島などのほかに、近年ではボルネオ島やランカウイ島の[[リゾート]]開発などが行われている。これらの開発は、かねてからの主要産業の1つであった観光産業の振興にも貢献しており、[[政府観光局]]や[[航空会社]]との協力関係をもとに各国からの観光客の誘致に国を挙げて取り組んでいる。\n\nリゾート地には、以下のものがある。\n* [[ペナン島]]\n* [[ランカウイ島]]\n* [[ティオマン島]]\n* [[パンコール島]]\n* [[レダン島]]\n* [[ボルネオ島]]([[コタキナバル]]近郊ほか)\n* [[キャメロンハイランド]](キャメロン高原)\n* [[ゲンティンハイランド]](雲頂高原)\n\n=== 民族間の経済格差 ===\nマレーシアは人種別に一人当たりのGDPが異なる。2012年の統計の民族別の世帯平均月収は、華人が6,366リンギ、インド系が5,233リンギ、マレー系が4,457リンギだった<ref>[http://response.jp/article/2013/04/11/195720.html]</ref>。華人が最も豊かなのは、マレーシア経済において支配的な立場にあるためだが、[[ペトロナス]]や[[プロトン (自動車)|プロトン]]といった政府系企業においては、[[ブミプトラ政策]]の影響でマレー系が独占的な立場<ref>[http://www.iti.or.jp/kikan65/65onozawa.pdf]</ref>を有する。ただし、縁故採用の常態化といった問題から、すべてのマレー系住民が同政策の恩恵を受けているわけではない。結果として、マレー系コミュニティにおける経済格差は他民族と比較して極端に大きく、経済格差の規模は東南アジア最大である<ref>[http://www.bk.mufg.jp/report/ecorevi2010/review20100129.pdf]</ref>。\n\n都市部と農村部の経済格差問題もあり、マレーシア国内で月収が1,000リンギ以下の世帯が全体の8.6%にあたる49万8,800世帯に上っているという<ref>[http://www.indochannel.jp/economy/s_asia/malaysia3.html]</ref><ref>[http://www.asiax.biz/news/2008/07/14-093703.php]</ref>。政府は、2013年より最低賃金制度を導入し、低所得者層の収入の増加を図ろうとしている<ref>http://www.jetro.go.jp/biznews/500deee56fd10</ref>。\n\nマレーシアで有力な経済人は華人系が圧倒的に多く、個人総資産額の上位の大半が華人系で占められている<ref>経済誌『マレーシアン・ビジネス』による。[http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=39839&type=1]</ref>。代表例としては、製糖事業で財を成した[[ケリーグループ]]を率いる[[ロバート・クォック]](郭鶴年)やパーム油(マレーシアの主要輸出品)関連事業を手掛ける[[IOIグループ]]の最高責任者[[リー・シンチェン]]、シンガポールに拠点を持つ不動産業大手[[ホンリョングループ]]総帥[[クェック・レンチャン]]が挙げられる。また、華人系実業家の多くは、[[シンガポール]]や[[香港]]と関係が深く<ref>[http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/tyousa/tyou019.pdf]</ref>、マレーシア政府との結び付きが弱いことに特徴がある。マレーシア企業でありながら拠点が国外([[シンガポール]]や[[香港]]など)にあったり、事業の主要な収益源が海外である場合も少なくない。\n\n一方、マレー系実業家の多くは政府と癒着関係にあり、官製企業の主要役職を務めていることが多い。例えば、プロトン社長の[[サイド・ザイナル・アビディン]]やペトロナス[[CEO]]にして原油輸出に関する国営企業{{仮リンク|AET (企業)|label=AET|en|AET (company)}}の会長を務める[[シャムスル・アズハル・アッバス]]などである。\n\nインド系は概して貧しい傾向にあるが、通信大手[[マクシス・コミュニケーションズ]]の買収に成功した投資家にして国内第2位の富豪である[[アナンダ・クリシュナン]]のような例外も存在する。また、印僑の父とポルトガル系マレー人([[マラッカ]]の少数民族)の母を持つ[[トニー・フェルナンデス (実業家)|トニー・フェルナンデス]]([[エアアジア]]代表)のような人物も存在する。\n\n== 交通 ==\n=== 鉄道 ===\n{{Main|マレーシアの鉄道}}\n[[マレー鉄道]]が[[タイ王国|タイ]]国境(西線。東線は国境付近まで)からシンガポール(マレー鉄道のシンガポール国内区間はマレーシアの権益)まで縦断している他、クアラルンプール周辺では高架電車や近郊通勤列車、[[モノレール]]が整備されている。\n\nマレーシアではペナンとバターワースを結ぶリニアモーターカーの建設プロジェクトがあり、クアラルンプールとクアンタン、クアラルンプールとジョホールバルを結ぶ時速350キロの高速鉄道建設プロジェクトも検討されており、マレーシアの鉄道は近代化し高速化もする見込みである<ref>[http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=38643]</ref>。\n\n=== 自動車 ===\nイギリスの植民地時代から道路が整備されていたが、特に近年は都市部を中心に道路の整備が進んでおり、[[高速道路]]網の整備は非常に進んでいる。市街地では国産車・[[プロトン (自動車)|プロトン]]を使った[[タクシー]]や[[バス (交通機関)|バス]]路線網が発達しているが、一部整備状態の悪い車両もあり、またタクシーにおいては不当請求が常態化するなどの問題もある。\n\n=== 航空 ===\n[[File:KLIA MTB&Tower.jpg|thumb|left|[[クアラルンプール国際空港]]]]\n{{Main2|空港|マレーシアの空港の一覧}}\n\n国内の主要都市は、「ナショナル[[フラッグ・キャリア]]」の[[マレーシア航空]]や[[格安航空会社]]の[[エアアジア]]などの航空会社により結ばれている他、これらの航空会社が諸外国との間を結んでいる。\n\n特に東南アジアのハブ空港の1つとして[[1996年]]に完成した[[クアラルンプール国際空港]]は、[[ヨーロッパ]]と[[オーストラリア]]との間を結ぶ「カンガルー・ルート」の中継地の1つとして利用されている。\n{{Clearleft}}\n\n== 国民 ==\n=== 多民族国家・民族構成 ===\n三つの主要民族と地域の歴史が複雑に入り混じって並存するマレーシアは、\'\'\'民族構成が極めて複雑な国\'\'\'の一つであり、[[多民族国家]]である。単純な人口比では、[[マレー人|マレー系]](約65%)、[[華人|華人系]](約24%)、インド系([[印僑]])(約8%)の順で多い。\n\nマレー系の中には、サラワク州の[[イバン族]]、[[ビダユ族]]、サバ州の[[カダザン族]]、西マレーシアの[[オラン・アスリ]] (orang asli) などの先住民も含まれ、各民族がそれぞれの文化、風習、宗教を生かしたまま暮らしている。マレー半島北部([[深南部 (タイ)|タイ深南部]]の国境周辺)では、かつて[[パタニ王国]]が存在したことから、同地域にはタイ系住民のコミュニティが存在する。ただし、これらの住民は「タイ王国に出自を持つマレー人」といった存在であり、一種の政治難民である(cf. [[パタニ連合解放組織]])。もっとも、隣国同士だけに一般的な人的交流も盛んであり、主な大都市に存在するタイ系コミュニティは上記の歴史的経緯と特に関係はない。\n\n他にも、先住民ではない少数民族として民族間における混血グループが複数存在し、華人系の混血(主に華人系とマレー系)([[ババ・ニョニャ]])やインド系とマレー系の混血([[チッティ]])、旧宗主国などのヨーロッパ系移民とアジア系の混血([[ユーラシアン]])が少数民族集団(マイノリティグループ)を形成している。\n\n==== 華僑系住民 ====\n華人系やインド系がそれぞれ「[[華僑]]」や「[[印僑]]」と称されることも多いが、その大半がイギリス統治下において奴隷的な立場で連れられてきた\'\'\'賃金労働者の子孫\'\'\'(cf. [[苦力]])<ref>http://www.tanakanews.com/980608hindu.htm</ref>である。また、華僑としての出自を持つ華人系の多くは、シンガポールを拠点に貿易業を営んでいた者や[[清|清朝]]崩壊(あるいは[[中国国民党]]の追放)後の\'\'\'政治難民が多い\'\'\'(cf. [[浙江財閥]])。事実、華人系マレーシア人の多くが話す中国語は、[[広東語]]や[[福建語]]、客家語、潮州語(まれに[[上海語]])といった南方系方言であり、中国本土で一般的に使われる[[普通話]](北方系方言)とは異なる。但し多くの華人系の子女は中華系の学校に就学し、北京語(華語、Mandarinと呼称される)を学ぶので、北京語をベースとした普通話との意思疎通は可能である。一方、\'\'\'プラナカン\'\'\'(海峡華人)のように中国語がまったく話せない華人系住民も少なくなく、また中国語での会話はできるが漢字が読めない華人系は多数存在する。\n\nちなみに、かつてマラッカ海峡を拠点とした海賊([[倭寇#後期倭寇|後期倭寇]])の末裔もいるとされるが、統計的に言えば「華人系」のカテゴリに吸収される。\n\n華人系には極少数であるがイスラム教徒もいる<ref>http://www.mlit.go.jp/common/000116964.pdf</ref>。\n\n===== プラナカン(海峡華人) =====\n華人系の中には英語のみを母語とする家系が存在する。これら英語話者の華人系住民は、英国統治下の時代に「英国人」として[[海峡植民地]](ペナン、マラッカ、シンガポール)において支配階層(英籍海峡華人公会<ref>http://www.oshima-k.ac.jp/kakari/tosho/kiyou/kiyou39/contents/18-17%20Miyaoku.pdf</ref>)を形成していた華僑の末裔であり、出稼ぎ労働者として移り住んだグループ(\'\'\'トトック\'\'\'と呼ばれる<ref>http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81001743.pdf</ref>)と区別して\'\'\'プラナカン\'\'\'(海峡/英語派華人<ref>http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/3942/1/12022165-01.pdf</ref>)と呼ばれる<ref>http://peranakan.tuzikaze.com/Peranakan.html</ref>。その多くが旧宗主国に忠誠を誓ったため、故郷(中国本土)との関係が希薄となった。現在でも本土との関わり合いはほとんどなく、逆にシンガポールやインドネシアに住む華人グループとの結び付きが深い。例えば、シンガポールの[[人民行動党]]は、独立以前のシンガポール周辺地域におけるプラナカン系の[[民族政党]]という出自を持ち、現在でもマレーシアの華人系政党([[民主行動党 (マレーシア)|民主行動党]])と友好関係にある<ref>http://homepage3.nifty.com/ryuota/kakyo.html</ref>。ちなみに、シンガポールの初代首相[[リー・クアンユー]]は、プラナカンの代表的な人物である。\n\nプラナカンとマレー人や英国人などの他の民族との混血のことを\'\'\'ババ(男)・ニョニャ(女)\'\'\'と呼ぶ。いずれも華人系であり、混血化が起きてからかなり経つ場合もあるため、プラナカンとババ・ニョニャの区別は曖昧<ref>http://www.icis.kansai-u.ac.jp/data/jisedaipaper01/08.pdf</ref>なこともある。\n\nなお、旧日本軍が第二次世界大戦の[[マレー作戦]]および[[シンガポール華僑虐殺事件]]で殺害したほとんどは、イギリスの戦略の元で抗日ゲリラ戦を担った、もしくはそれを疑われた華人(あるいは華僑)である。マレー人とインド人はほぼ全く殺されていない{{要出典|date=2012年10月}}。\n\n==== インド系住民 ====\n「[[印僑]]」とも呼ばれることのあるインド系は[[南インド]]出身者([[タミール]]人)が多く、マレーシアにおけるインド文化もタミール人の風習を色濃く受け継いでいる。ただし、かつては[[アーリア系]]の[[北インド]]出身者も少なくなく、高い社会的地位を享受していた<ref>http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/ras/04_publications/ria_ja/21_14.pdf</ref>。しかし、70年代を通してマレー系の地位が飛躍的に向上したことから、富裕層であった北インド出身者の帰国が相次ぎ、結果として貧困層が多い南インド系が主流となったといわれる<ref>[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/ras/04_publications/ria_ja/21_14.pdf]</ref>。\n\n現在は[[サイバージャヤ]]といった地域でIT系の技術者として働くために本土から移民してきた新世代も増えつつある。ごく小規模だが、[[パンジャーブ人]]([[シク教徒]])のコミュニティも存在し、弁護士・会計士などの職業についているものも多い。\n\nタミール系移民がイスラムに改宗した「{{仮リンク|ママック|en|Mamak}}(あるいはママッ)」と呼ばれる民族グループもある。ママックは「{{仮リンク|ママック・ギャング|en|Mamak Gang}}」で知られる通り、インド系に横たわる貧困問題を背景としてマフィア化が進んでいる<ref>http://www.geocities.jp/koji_777_win/column/column78.htm</ref>。「ママック」は蔑称とされることもある<ref>http://www.mlit.go.jp/common/000116964.pdf</ref>。\n\nなお、マハティール元首相は母親がマレー系、父親がインド南部のケララ州からの移民であり、「マレー系」であるのか「インド系」であるのか出自問題が議論されたこともある。\n\n==== 混血系住民 ====\n\'\'\'ユーラシアン\'\'\'とは「ヨーロッパ (Euro-) とアジア (Asian)」を意味する少数民族のことであり、旧宗主国からやって来たヨーロッパ人とマレー人あるいはアジア系移民との混血系を指す。\n\n他に、ポルトガル系とマレー系の混血を{{仮リンク|クリスタン|en|Kristang people}}と呼称し、オランダ系あるいは英国系との混血のみをユーラシアンとする考え方もある<ref>http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/education/pdf/m02/21.pdf</ref>。これらユーラシアン系の大半はマラッカおよびペナン周辺に居住区を構えている。\n\nまた、華人系とインド系の結婚もみられ、両民族間で生まれた子どもを\'\'\'チンディアン\'\'\'<ref>Daniels, Timothy P. (2005), Building Cultural Nationalism in Malaysia, Routledge, p. 189, ISBN 0415949718</ref>と呼ぶ。\n\n==== 民族対立 ====\nマレーシア史上最大の民族対立事件である[[5月13日事件]]以降、華人系とマレー系の対立構造が鮮明となった。\n{{Main|5月13日事件}}\n\nマレー系の保守政治家の一部が「他民族が居座っている」または「間借り人である」といった趣旨の差別発言することがあるが<ref>[http://www.malaysia-navi.jp/news/100204064534.html]</ref><ref>[http://www.malaysia-navi.jp/news/080908075623.html]</ref>、マレーシア建国時(憲法上「\'\'\'マレーシアの日\'\'\'」と呼ぶ<ref>[http://thestar.com.my/columnists/story.asp?file=/2008/9/17/columnists/reflectingonthelaw/2042679&sec=Reflecting%20On%20The%20Law]</ref>)の協定(1957年制定マレーシア憲法第3章<ref>[http://www.commonlii.org/my/legis/const/1957/3.html]</ref>)において、マレー半島およびボルネオ島の該当地域で生まれたすべての居住者に国民となる権利が認められているため、正確な理解とは言えない。この発言にも見られるように、マレーシアは多民族社会とはいえ、その内情は必ずしも平和的なものではなく、民族間の関係は常に一定の緊張をはらんだものとなっている。\n\n実際、各民族の居住地域は明らかな偏りがあり、例えば華人系は[[ジョホール・バル]]や[[クチン]]、[[ペナン]]([[ジョージタウン (ペナン州)|ジョージタウン]])、[[イポー]]、[[コタ・キナバル]]といった都市部に集団で居住していることが多く、インド系は半島南部やボルネオ島西部の農村部、あるいは大都市圏のスラム化した地域に多い。唯一、最大都市クアラルンプールのみが国全体の民族比率に準じているが、生活習慣の違いといった理由から、民族間の交流はあまり盛んではない。\n\n2008年には、住民を起訴なしで無期限拘束できる\'\'\'国内治安法\'\'\'に対する大規模な反対集会が開かれ、翌年にも同様のデモが行われた<ref>[http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2333106/2501068]</ref><ref>[http://www.afpbb.com/article/politics/2626884/4417284]</ref>。\n\n=== 言語 ===\n[[国語]]および[[公用語]]は「[[マレーシア語]](Bahasa Malaysia バハサ・マレーシア)」である([[1967年]]まで[[英語]]が公用語)。マレー語は広義では[[インドネシア語]]などを含む場合があり、政府が「マレーシアの国語としてのマレー語」を「マレーシア語」と表記することを定め、[[2007年]]より正式に使われている。\n\nイギリス植民地時代の公用語である[[英語]]は、現在は準公用語として広く使用されマレーシア語とともに各民族間の共通語の役割を担っている。\n\n* マレー人はマレーシア語を[[母語]]にしているが、東マレーシアのサバ州・サラワク州では[[イバン語]]、[[ビダユ語]]、[[カダザン語]]などを母語とする先住民もいる。マレー語は固有の文字を持たなかったため、[[アラビア文字]]を改良した[[ジャウィ文字]]が使用されていた。現在ではローマ字表記が用いられているが、ジャウィ文字もごく一部で使用されている。一部のマレー系民族主義者のグループから道路標識などを全面的にジャウィ文字にすべき、などといった主張もされることもあり、中華系からの反発を呼んでいる。\n\n* 華人は、かつて中国南部から移ってきた人びとが多く、[[広東語]]、[[福建語]]([[ミン南語|閩南語]])、[[潮州語]]、[[客家語]][[潮州語]]などの地方語が母語になっているが、[[中国語]]の[[学校教育]]は[[北京語]]に近い[[普通話]]で行われているのでこれが[[共通語]]になっている。[[漢字]]は[[繁体字]]も[[簡体字]]も使用されているが、学校教育では簡体字、[[商店]]や商品の包装では繁体字が主に使用されている。\n\n* インド人は多くが[[タミル語]]を母語としている。\n\n英語を母語とするマレー人、華人、インド人も多く、また中国地方語の種類も多く、世界でも有数の[[多言語|マルチリンガル]]が多い環境となっている。\n\n近年、華人以外も中国語教育が盛んで、少なくともホテルや観光地、ビジネスでは中国語だけで事足りるほどであり、これは同じく華人の多い隣国タイとは大きな違いである。\n\n=== 宗教 ===\n[[File:Around-Kota-Bharu-(19).jpg|thumb|{{仮リンク|カンポン・ラウ・モスク|en|Kampung Laut Mosque}}]]\n[[イスラム教]]が国教であり、マレー系を中心に広く信仰されている。中国系は[[仏教]]、インド系は[[ヒンドゥー教]]徒が多い。また、イギリス植民地時代の影響でキリスト教徒もいる。[[東アジア]]の非イスラム教国に住む[[ムスリム]](イスラム教徒)は、一般にマレーシアの見解に従うことが多い。\n\nなお、マレーシア政府は先住民族を原則としてムスリムとして扱い、イスラム以外の信仰を認めていない([[ブミプトラ政策]]の影響)。しかし、実際には無宗教であったり、伝統宗教([[アニミズム]])やキリスト教を信仰する先住民も存在する。\n\nイスラム教徒と婚姻関係を結んだ場合、[[イスラム法]]の関係で非ムスリムも必ずイスラムへ改宗し、イスラム風の名前を名乗らなければならないため、ムスリムであることが法的義務とされるマレー系住民と結婚する他民族は少ない<ref>[http://www.daito.ac.jp/gakubu/kokusai/asia21/mariage/malaysia.html]</ref>。ただし、オラン・アスリと呼ばれる先住少数民族は、登録上はマレー人とされるが必ずしももムスリムではない<ref>[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/593PDF/fujimaki.pdf]</ref>こともあり、特にサラワクでは華人系との婚姻が珍しくない。\n\n近年では、非イスラム関連の出版物において神を「[[アラー]]」と表記できるかどうかが国民的な議論<ref>[http://www.malaysia-navi.jp/news/080104071249.html]</ref>を呼び、政府がその使用を禁じたことから、キリスト教の司祭(カトリック関連雑誌の編集者)が政府を相手取って裁判を起こす事態にまで発展した<ref>[http://www.malaysia-navi.jp/news/080506100653.html]</ref>。結果として、クアラルンプール高等裁判所が政府の見解を退けたが、これに国内のムスリム勢力が反発、カトリック教会を襲撃する事件が相次いだ<ref>[http://www.malaysia-navi.jp/news/100111065937.html]</ref><ref>[http://www.malaysia-navi.jp/news/100112062113.html]</ref><ref>[http://www.malaysia-navi.jp/news/100114060848.html]</ref>。また、今度はその報復と見られる[[モスク]]に対する嫌がらせが続発しており<ref>[http://www.malaysia-navi.jp/news/100118055516.html]</ref><ref>[http://www.malaysia-navi.jp/news/100122055234.html]</ref><ref>[http://www.malaysia-navi.jp/news/100128065649.html]</ref>、宗教間における対立も激しさを増している。\n\n=== 教育 ===\n{{出典の明記|date=2013年1月|section=1}}\n{{See also|マレーシアの大学}}\nマレーシアの公用語はマレーシア語であるが、タミル語と中国語、英語も[[教授言語]]となっている。小中学校では、民族別にマレーシア語、中国語、タミル語が教える学校によって異なって使用されており、いずれの学校でもマレーシア語と英語が必修科目になっている。\n\n教育制度はかつてイギリスの植民地であったことからイギリスとよく似ている。教育制度は小学校6年(primary school、またはSekolah Rendah Kebangsaan・Standard 1~6)、中等学校3年と高等学校2年(secondary school、またはSekolah Menengah Kebangsaan・Form 1~5)、大学進学課程2年(Lower 6とUpper 6)、大学3年~6年。マレーシア教育省は学問修了の国家的な試験を実施しており、小学校修了時はUPSR、中等学校Form 3でPMR、高等学校Form 5でSPM、その後の高等教育過程学年のLower 6にてSTPM、Upper 6にてSTTPMなどの試験を受ける。複雑なのは、マレー系の小学校を修了しUPSRを受験したものは、試験の結果に関わらずそのまま中等学校のForm 1に進級できるのだが、中国系またはインド系の小学校の修了試験でマレー語の科目で成績が悪い場合はForm 1に進級することはできず、1年の予備学年 (Peralihan/Remove Class) を履修してからでなければ、Form 1には進級できない。Form 5終了時のSPM試験の成績優秀者は、新聞の全国版に大々的に発表される。\n\n公立の中国語学校は小学校までしかないので、卒業後は一般の(マレー後主体の)公立学校や、私立学校に進むことになる。公立の学校の中には、数は少ないが中国語を課外授業として選択できる学校や、正規の授業として中国語を取り入れている学校(華中と呼ばれる)もある。現在、華中は人気があるため、UPSRの結果がよくなければ入学も困難である。\n\n中国系の私立学校は独立中学校 (Chinese Independent High School) と呼ばれ、マレー風の名前の付く私立学校の5年間のKBSMとは別の6年間の中国語を主体とした教育を行っており、そこに通う子供たちはSPM PMRの中国語版とも言える「独立中学統一試験」を受けることになる。この試験は台湾や日本やアメリカなどマレーシア以外の国で高校の卒業資格として認められるため、卒業後は台湾を初めとする海外の大学に留学する子供の割合が多い。\n\n華僑には教育熱心な家庭が多く、シンガポールに隣接するジョホールバルでは、より高度な教育を受けさせるために、子弟をシンガポールに越境通学させる家庭もある(朝夕にはシンガポールに通う学生のための通学バスや、学生専用の税関レーンまで存在する)。\n\n== 文化 ==\n{{Main|マレーシアの文化}}\n=== 食文化 ===\n[[File:Nasi Goreng in Bali.jpg|thumb|マレー料理の[[ナシゴレン]]]]\n{{Main|マレーシア料理}}\nイスラム国家ではあるが、華人や外国人は飲酒も可能、豚肉も食べたりと非常に食の自由度が高い(マレー系はムスリムであり、酒や豚肉を口にしない)。特に中華系移民の間から発祥したマレーシアでしか味わえない食べ物もある。中でも[[肉骨茶]](バクテー)は人気が高い。南国なので[[フルーツ]]は非常に多彩であるが、多くが国外からの輸入である。マレーシアの[[食料自給率]]は高いとはいえない。有名な[[ドリアン]]は最もポピュラーな果物の一つであり、屋台などでも容易に購入できる。\n\n大量の[[唐辛子]]・香辛料・海老のペーストをミキサーにかけ煮詰め、ココナッツミルクを入れ更に煮詰め、[[ビーフン]]・太麺をゆで、[[ビーフン]]・太麺・ゆで卵の上にペーストをかけるニョニャ・ラクサ(Nyonya Laksa、母の麺)という料理が存在する。\n\nマレー料理の代表として、ココナッツミルクで炊いたご飯に油で揚げたにぼし・ピーナッツ、ゆで玉子・きゅうりを乗せ辛いソースを添えた[[ナシレマッ]]があげられる。\n\nインド系料理の代表として、[[ロティ]]やトサイという米粉や小麦粉をクレープ状に焼いたものに、カレー風味のソースをつけて食べる朝食がある。\n\nマレーシア人は良く[[魚類|魚]]を食べており、[[魚介類]]消費量は1人当たり年56.5[[キログラム|キロ]]と[[日本]]より多い。一方で、マレーシアの漁獲高は年を追うごとに減り続けており、[[世界自然保護基金]]はこのままだとマレーシアの水産資源は2048年に枯渇するとしている<ref>{{cite news |title=魚の声を聞くマレーシア伝統漁、風前のともしび |newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2014-9-12 |url=http://www.afpbb.com/articles/-/3025836 |accessdate=2014-9-13|author= Shannon TEOH}}</ref>。\n\n=== 音楽 ===\n西欧の[[現代音楽]]シーンとは係わり合いがなさそうに思えるが、21世紀以降、[[タズル・イザン・タジュッディン]]、[[キー・ヨン・チョン]]、[[アエノン・ジャエン・ルー]]、[[ジィ・アーヴィ]]などの新世代は海外で積極的に評価され、国際的にトップレベルの水準に達していることで知られる。\n\n=== 世界遺産 ===\n[[ファイル:Mulu.JPG|thumb|[[グヌン・ムル国立公園]]]]\n{{Main|マレーシアの世界遺産}}\nマレーシア国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の世界遺産リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が2件、[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が2件存在する。\n\n=== 祝祭日 ===\n{| class="wikitable"\n\n! 日付\n! 日本語表記\n! 現地語表記\n! 備考\n|-\n| [[1月1日]]\n| 正月\n| Tahun Baru\n|\n|-\n| 旧暦[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]・[[1月2日 (旧暦)|1月2日]]\n| 旧正月\n| Tahun Baru Cina\n|\n|-\n| [[ヒジュラ暦]]第3月12日\n| ムハンマド誕生日\n| Maulidur Rasul\n|\n|-\n| 5月1日\n| メーデー\n| Hari Pekerja\n|\n|-\n| 5月の満月\n| 釈迦誕生日\n| Hari Wesak\n|\n|-\n| [[6月]]第1[[土曜日]]\n| 国王誕生日\n| Hari Keputeraan Agong\n|\n|-\n| [[8月31日]]\n| 国家記念日\n| Hari Kebangsaan\n|\n|-\n| [[9月16日]]\n| マレーシア・デー\n| Hari Malaysia\n| 2010年から施行\n|-\n| ヒジュラ暦第10月1日・2日\n| イスラム断食明け\n| Hari Raya Puasa (Eid Al-Fitr)\n|\n|-\n| ヒンドゥー暦[[6月]]\n| ディーパバリ\n| Deepavali\n|\n|-\n| ヒジュラ暦第12月10日\n| メッカ巡礼祭([[犠牲祭]])\n| Hari Raya Haji (Eid Al-Adha)\n|\n|-\n| ヒジュラ暦第1月1日\n| イスラム新年\n| Awal Muharam (Maal Hijrah)\n|\n|-\n| [[12月25日]]\n| キリスト誕生日\n| Christmas\n|\n|}\n\n上記祝日以外に、州毎に[[スルタン]]の誕生日を祝う祝日、[[タイプーサム]]([[ヒンドゥー教]]の祭日。州による)、2月1日は連邦領記念日(連邦領のみ)が、地域に応じた祝日となっている。祝日が日曜に重なるものは、翌日が振替休日となる。\n\n== 脚注 ==\n{{reflist|3}}\n\n== 関連項目 ==\n* [[マレーシア関係記事の一覧]]\n* [[ジム・トンプソン]]\n<!--\n* [[マレーシアの通信]]\n* [[マレーシアの交通]]\n* [[マレーシアの軍事]]\n* [[マレーシアの国際関係]]\n-->\n\n== 外部リンク ==\n{{Commons&cat|Malaysia|Malaysia}}\n* 政府\n** [http://www.gov.my/ マレーシア政府] {{en icon}}\n** [http://www.pmo.gov.my/website/webdbase.nsf/w?OpenForm マレーシア首相府] {{en icon}}\n* 日本政府\n** [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/malaysia/ 日本外務省 - マレーシア] {{ja icon}}\n** [http://www.my.emb-japan.go.jp/Japanese/ 在マレーシア日本国大使館] {{ja icon}}\n* 観光\n** [http://www.virtualmalaysia.com/ マレーシア観光省] {{en icon}}\n** [http://www.tourismmalaysia.or.jp/ マレーシア政府観光局] {{ja icon}}\n** [http://kotakinako.wordpress.com/ 東マレーシア・ボルネオ・サバ州政府観光局・オフィシャルブログ]\n* その他\n** [http://www.jetro.go.jp/world/asia/my/ JETRO - マレーシア]\n** [http://www.asean.or.jp/ja/asean/know/country/malaysia 日本アセアンセンター - マレーシア]\n<!-- 商業サイトは不要。宣伝の場ではありません -->\n\n{{マレーシアの州}}\n{{アジア}}\n{{ASEAN}}\n{{イギリス連邦}}\n{{OIC}}\n{{Link GA|en}}\n\n{{DEFAULTSORT:まれえしあ}}\n[[Category:マレーシア|*]]\n[[Category:イギリス連邦]]\n[[Category:君主国]]\n[[Category:連邦制国家]]',
'title': 'マレーシア'},
203: {'text': '{{基礎情報 国\n|略名 =サハラ・アラブ民主共和国\n|日本語国名 =サハラ・アラブ民主共和国\n|公式国名 =\'\'\'{{lang|ar|الجمهورية العربية الصحراوية الديمقراطية}}\'\'\'<small>(アラビア語)</small><br/>\'\'\'{{Lang|es|República Árabe Saharaui Democrática}}\'\'\' <small>(スペイン語)</small>\n|国旗画像 =Flag of Western Sahara.svg\n|国章画像 =[[ファイル:Coat of arms of the Sahrawi Arab Democratic Republic.svg|85px|サハラ・アラブ民主共和国の国章]]\n|国章リンク =([[サハラ・アラブ民主共和国の国章|国章]])\n|標語 ={{lang|ar|حرية ديمقراطية وحدة}}<br/>([[アラビア語]]: 自由、民主主義、団結)\n|国歌名 =Yābaniy Es-Saharā\n|国歌追記 =<br/>(ああ、サハラの息子よ)\n|位置画像 =Location Western Sahara AU Africa.svg\n|公用語 =[[アラビア語]]、[[スペイン語]]\n|首都 =本文参照\n|最大都市 =\n|元首等肩書 =[[西サハラの大統領|大統領]]\n|元首等氏名 =[[ムハンマド・アブデルアジズ]]\n|首相等肩書 =[[西サハラの首相|首相]]\n|首相等氏名 =[[アブデルカデル・タレブ・オマール]]\n|他元首等肩書1 =\n|他元首等氏名1 =\n|他元首等肩書2 =\n|他元首等氏名2 =\n|他元首等肩書3 =\n|他元首等氏名3 =\n|面積順位 =暫定83\n|面積大きさ =1 E11\n|面積値 =266,000\n|面積追記 =\n|水面積率 =極僅か\n|人口統計年 =2010\n|人口順位 =暫定162\n|人口大きさ =1 E6\n|人口値 =667,000\n|人口密度値 =2.50\n|人口追記 =推定\n|GDP統計年元 =\n|GDP値元 =\n|GDP元追記 =\n|GDP統計年MER =\n|GDP順位MER =\n|GDP値MER =\n|GDPMER追記 =\n|GDP統計年 =\n|GDP順位 =\n|GDP値 =\n|GDP/人 =\n|GDP追記 =\n|建国形態 =[[独立]]\n|確立形態1 =[[スペイン]]から\n|確立年月日1 =[[1976年]][[2月27日]]\n|確立形態2 =\n|確立年月日2 =\n|確立形態3 =\n|確立年月日3 =\n|確立形態4 =\n|確立年月日4 =\n|確立形態5 =\n|確立年月日5 =\n|通貨 = [[サハラ・ペセタ]]\n|通貨コード = コード無し\n|通貨追記 =\n|時間帯 =+0\n|夏時間 =無し\n|時間帯追記 =\n|ISO 3166-1 =EH\n|ccTLD =[[.eh]]\n|ccTLD追記 =\n|国際電話番号 =\n|国際電話番号追記 =\n|注記 =\n}}\n\'\'\'サハラ・アラブ民主共和国\'\'\'(サハラ・アラブみんしゅきょうわこく)は、[[北アフリカ]]の[[西サハラ]](旧[[スペイン領サハラ]])の領有権を主張し、独立を宣言している[[国家]]である。指導組織は[[ポリサリオ戦線]]。\n\nただし、主張する領土については[[モロッコ]]が領有権を主張しており、その大半はモロッコによって占領・実効支配されている。国際的にはモロッコによるこの地域の領有権主張は認められていない。ただし、[[アメリカ合衆国]]、[[ヨーロッパ]]諸国や[[日本]]はサハラ・アラブ民主共和国の独立も認めていない。\n\n== 国名 ==\n正式名称はアラビア語で、{{lang|ar|\'\'\'الجمهورية العربية الصحراوية الديمقراطية\'\'\'}}(<small>ラテン文字転写</small> : Al-Jumhūrīyya al-`Arabīyya aṣ-Ṣaḥrāwīyya ad-Dīmuqrāṭīyya)、スペイン語で、\'\'República Árabe Saharaui Democrática\'\'。\n\n== 歴史 ==\n{{main|西サハラの歴史}}\n{{seealso|西サハラ問題}}\n\n== 地方行政区分 ==\n{{seealso|西サハラの行政区画}}\n[[ファイル:Westernsaharamap.png|300px|right|thumb|赤い線が「砂の壁」]]\nサハラ・アラブ民主共和国が主張する領土は、モロッコが一方的に建設した「[[砂の壁]]」によって分断されている。壁の西側はモロッコによる占領地、東側は[[ポリサリオ戦線]]による「解放区」となっている。\n\n===首都===\nサハラ・アラブ民主共和国の名目上の首都は[[スペイン領サハラ]]の行政首都であった[[アイウン]]とされている。しかしアイウンは砂の壁の西側、つまりモロッコの実効支配地域にあるため、臨時首都とされている{{仮リンク|ビル・ラルフー|en|Bir Lehlou}}や、[[ポリサリオ戦線]]の本部がある隣国[[アルジェリア]]の都市[[ティンドゥフ]]が事実上の首都となっている。\n\n== 国際関係 ==\n{{main|:en:International recognition of the Sahrawi Arab Democratic Republic}}\n2011年2月現在、サハラ・アラブ民主共和国は[[アルジェリア]]、[[南アフリカ共和国]]、[[メキシコ]]、[[ベトナム]]など85ヶ国と国際的承認の少ない[[南オセチア共和国]]から承認を受けている。[[国際連合]]はサハラ・アラブ民主共和国を承認していないが、同国は[[アフリカ連合]](AU)に加盟している。\n\n一方、大多数の欧米諸国や[[日本]]はモロッコを承認しているため、サハラ・アラブ民主共和国の国家承認をしていない。一方でそれらの諸国はモロッコの西サハラ領有主張も認めてはいない。したがって、それらの国々ではモロッコ側にもサハラ・アラブ民主共和国側にも組しない中立的表記を採用し、この地域を「西サハラ(Western Sahara)」という地域名称で呼んでいる。\n\n== 祝祭日 ==\n{| class="wikitable" \n! 日付 !! 日本語表記 !! 現地語表記 !! 備考\n|-\n|[[2月27日]]||独立記念日|| ||\n|-\n|[[5月10日]]||ポリサリオ戦線設立の日|| ||\n|-\n|[[5月20日]]||5月20日革命|| ||\n|-\n|[[6月5日]]||失踪者の日|| ||\n|-\n|[[6月9日]]||殉教者の日|| ||\n|-\n|[[6月17日]]||[[ゼムラ蜂起]]|| ||\n|-\n|[[10月12日]]||国民団結の日|| ||\n|-\n|移動祝日||[[ハッジ]]|| ||イスラム暦による\n|-\n|移動祝日||[[イド・アル=フィトル]]|| ||イスラム暦による\n|}\n\n== 関連項目 ==\n* [[西サハラ問題]]\n* [[モロッコ]]\n* [[モーリタニア]]\n* [[アフリカ連合]] (AU)\n* [[西サハラの国歌]]\n* [[ラユーン・ハサン1世空港]]\n* [[ソマリランド]]\n* [[エリトリア]]\n* [[事実上独立した地域一覧]]\n* [[独立主張のある地域一覧]]\n\n{{アフリカ}}\n{{EH-stub}}\n{{DEFAULTSORT:さはらあらふ}}\n\n[[Category:西サハラ]]\n[[Category:共和国]]',
'title': 'サハラ・アラブ民主共和国'},
204: {'text': "{{基礎情報 国\n| 略名 = 南オセチア\n| 日本語国名 = 南オセチア共和国\n| 公式国名 ='''{{Lang|os|Хуссар Ирыстон}}'''<small>(オセット語)</small><br/>'''{{Lang|ka|სამხრეთი ოსეთი}}'''<small>(グルジア語)</small><br/>'''{{Lang|ru|Южная Осетия}}'''<small>(ロシア語)</small>\n| 国旗画像 = Flag of South Ossetia.svg\n| 国章画像 =[[画像:Coat of arms of South Ossetia.png|80px|南オセチアの国章]]\n| 国章リンク =([[南オセチアの国章|国章]])\n| 標語 =なし\n| 国歌 =[[南オセチアの国歌]]\n| 位置画像 = Asia location South Ossetia (with Georgia and Abkhazia).png\n| 公用語 =[[オセット語]]、[[ロシア語]]\n| 首都 = [[ツヒンヴァリ]]\n| 最大都市 = [[ツヒンヴァリ]]\n| 元首等肩書 =[[南オセチア共和国大統領|大統領]]\n| 元首等氏名 =[[エドゥアルド・ココイトゥイ]]\n| 首相等肩書 =[[南オセチア共和国首相|首相]]\n| 首相等氏名 =[[ヴァディム・ブロフツェフ]]\n| 面積順位 =???\n| 面積大きさ =1 E9\n| 面積値 =3,900\n| 水面積率 =\n| 人口統計年 =2013\n| 人口順位 =???\n| 人口大きさ =1 E5\n| 人口値 =51,547\n| 人口密度値 =13.2\n| GDP統計年 =\n| GDP順位 =???\n| GDP値 =\n| GDP/人 =\n| 建国形態 =[[独立]]<br/> - 宣言<br/> -[[ロシア]]より承認(最初の承認国)\n| 建国年月日 =[[グルジア]]より<br/>[[1991年]][[11月28日]]<br/>[[2008年]][[8月26日]]\n| 通貨 =[[ルーブル]]\n| 通貨コード =RUB\n| 時間帯 =+3\n| 夏時間 =\n| ccTLD =\n| 国際電話番号 =\n| 注記 =\n}}\n\n'''南オセチア'''(みなみオセチア)は、[[グルジア]]の北部に位置する[[オセット人]]の居住地域。\n\n== 概要 ==\n[[File:South Ossetia overview map.png|250px|thumb|right]]\nグルジアの[[行政区画]]での[[シダカルトリ州]]とその周辺だが、'''南オセチア「[[ソビエト連邦の自治州|自治州]]」'''は1920年から1991年までの[[ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国]]及び[[グルジア・ソビエト社会主義共和国]]の時代に置かれた自治州で領域はシダカルトリ地区北半とその周辺だった。グルジア独立で「南オセチア自治州」が消滅したことにオセット人が反発して自治権を要求した[[南オセチア紛争]]で「南オセチア自治州」が再設立され、同じ領域をもって'''南オセチア共和国''' ({{Lang|os|Республикæ Хуссар Ирыстон}}、[[首都]]は[[ツヒンヴァリ]]) として[[独立]]を主張し、グルジアからの分離、[[ロシア|ロシア連邦]]への加入を目指している。ただし、独立は国際的には[[国家の承認|承認]]されていなかった。南オセチアと南オセチア自治州・南オセチア共和国の領域の相違は、[[コーカサス|カフカース]]の民族分布図と「南オセチア自治州」詳細図及び[[グルジアの行政区画]](シダカルトリ地区)を参照。\n\nかねてから一部地域はグルジアの支配が及ばない状態が続いていたが、[[2008年]][[8月8日]]、[[グルジア軍]]が「州」政府支配地区に侵攻、[[ロシア連邦軍]]が反撃し、その帰属をめぐって対立状態にあった[[グルジア]]と[[ロシア]]が[[戦争|戦争状態]]に入った。<!--グルジアとロシアの戦争詳細についてはこの節内ではなく、後ろの「歴史」-「グルジア軍による武力攻撃」節か、独立記事「南オセチア紛争 (2008年)」に記述してください。-->2008年8月26日、ロシア連邦の[[ドミトリー・メドヴェージェフ|メドヴェージェフ]]大統領は、南オセチアの独立を承認する大統領令に署名した<ref>{{lang|ru|[http://www.kremlin.ru/text/docs/2008/08/205758.shtml Президент России <nowiki>|</nowiki> Указ «О признании Республики Южная Осетия»]}}(ロシア政府公式サイト、2008年8月26日。2008年8月27日確認)</ref><ref>{{lang|en|[http://news.bbc.co.uk/2/hi/7582181.stm BBC NEWS <nowiki>|</nowiki> Europe <nowiki>|</nowiki> Russia recognises Georgian rebels]}}([[BBCニュース]]、2008年8月26日。2008年8月27日確認)</ref>。同年9月には[[ニカラグア]]、2009年9月に[[ベネズエラ]]<ref>{{Cite web|date=2009-09-11|url=http://www.cnn.co.jp/world/CNN200909110021.html|title=CNN.co.jp:訪ロのチャベス大統領、南オセチアとアブハジアの独立承認と|publisher=CNN|language=日本語|accessdate=2009-09-19}}</ref>、12月に[[ナウル]]が独立を承認している。コーカサス研究の[[廣瀬陽子]]によれば、南オセチアはロシアによる[[ロシア化]]が進められていると指摘している<ref>[http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2168?page=4 プーチンがメドヴェージェフを切る? ロシア指導部に「亀裂」] wedge.ismedia.jp, 2012年9月15日閲覧。</ref>。\n\n== 地理 ==\n[[画像:Ossetia-map.png|left|thumb|グルジアの行政区画図に記した「南オセチア自治州/共和国」の位置。北辺はロシア連邦の[[北オセチア共和国]]と接する]]\n[[カフカース山脈]]の南斜面に位置する。最高点はハラツァ山(海抜3,941m)。面積は3,900平方km(埼玉県とほぼ同じ)で、海抜1,000m以上の土地が国土の89.3%を占める。カフカース山脈により北風から守られているため、[[北カフカース]]地域よりも温暖である。平均気温は、1月で+4.5℃、7月で+20.3℃である。年間平均降水量は、598mm。\n\n== 住民 ==\n[[画像:Caucasus-ethnic ja.svg|left|thumb|[[カフカース]]の民族分布図]]\n住民の多くは[[オセット人]]であり、その外、[[ロシア人]]、[[グルジア人]]、[[ウクライナ人]]、[[アルメニア人]]等もいる。人口は、1989年のデータで9万9千人だった。\n\n主要言語は、[[オセット語]]。現在、[[ロシア]]の[[北オセチア共和国]]に倣い、[[キリル文字]]を使用している。\n\n== 歴史 ==\n=== ソ連時代 ===\n{{基礎情報 過去の国\n|略名 = 南オセチア\n|日本語国名 = 南オセチア自治州\n|公式国名 = Хуссар Ирыстоны автономон бӕстӕ (オセット語)\n|建国時期 = 1922年\n|亡国時期 = 1990年\n|先代1 =\n|先旗1 =\n|次代1 = 南オセチア\n|次旗1 = Flag of South Ossetia.svg\n|位置画像 = Soviet caucasus1922.png\n|位置画像説明 = 1922年時点のカフカース地方\n|公用語 = [[オセット語]]<br/>[[グルジア語]](1989年より公式決定)\n|首都 = [[ツヒンヴァリ]]\n|面積測定時期1 = 1983年\n|面積値1 = 39,000\n|人口測定時期1 = 1926年<ref>[http://www.ethno-kavkaz.narod.ru/rnsossetia.html 南オセチアでの国勢調査 1926-1989] (ロシア語)</ref>\n|人口値1 = 87,375\n|人口測定時期2 = 1939年\n|人口値2 = 106,118\n|人口測定時期3 = 1959年\n|人口値3 = 96,807\n|人口測定時期4 = 1979年\n|人口値4 = 97,988\n|人口測定時期5 = 1989年\n|人口値5 = 98,527\n|変遷1 = 設置\n|変遷年月日1 = [[1922年]][[4月20日]]\n|変遷2 = 独立宣言\n|変遷年月日2 = [[1991年]][[11月28日]]\n|通貨 = [[ソビエト連邦ルーブル]]\n}}\n[[File:Alania 10 12.png|250px|thumb|北オセチアと南オセチア|right]]\n[[ロシア革命]]後、オセチアは南北に二分され、南オセチアはグルジアに編入され、1922年4月20日、南オセチア自治州が誕生した。この時、北側は1924年に[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]]の[[北オセチア自治州]](その後、北オセチア自治州は1936年に[[北オセチア自治ソビエト社会主義共和国]]となり、1993年にロシア連邦[[北オセチア共和国]]となる。)\n\n自治州とされたが、ソ連時代を通じてグルジア人優先の政策が遂行された。例えば、1939年には、これまでラテン文字を使用していたオセット人にグルジア文字が強制され、グルジア語の教育が必須とされた。様々な抑圧策の結果、南オセチアの人口は、戦前の10万7千人から1989年の9万9千人にまで減少した。\n\n=== 独立闘争 ===\n1980年代末から、グルジアではグルジア民族主義が勃興し始め、非グルジア民族は危機感をつのらせた。1989年、南オセチアでの公用語をグルジア語とすることが決定されると、南オセチア自治州人民代議員会議は、南オセチア自治州を自治共和国にすることを要請した。しかし、グルジア最高会議は、この決定を違憲として却下した。\n\n1989年11月23日、グルジアの政治家[[ズヴィアド・ガムサフルディア]]は、自分の支持者(3万~6万人)を引き連れ、南オセチアの中心都市[[ツヒンヴァリ]]で示威行進を行った。平和的な集会だと宣伝されたが、数百人の武装兵が随行し、負傷者400人、死者6人を出した。\n\n1990年4月、グルジア最高会議は、共産政権時代に採択された全法律の無効化を決定し、このことは、事実上、南オセチアの自治権の無効化を意味した。これに対して、南オセチア自治州人民代議員会議は、主権宣言、ソ連時代の憲法・法律の有効、共和国への昇格等を決定した。11月、ガムサフルディアがグルジア最高会議議長に選出されると対立は更にエスカレートした。\n\n1990年は、南オセチア最高会議の任期満了の年だったが、グルジアは選挙日を公示しなかった。12月9日、南オセチアは独自に選挙を実施したが、12月10日、グルジア最高会議は、南オセチア自治州の廃止を全会一致で決定した。12月11日、ツヒンヴァリ市とドザウ地区に戒厳令が施行された。\n\n1991年1月5日、ツヒンヴァリに警官隊とガムサフルディアの親衛隊が投入され、オセット人に対する大規模な弾圧を始めた。オセット人は、自警団を結成してこれに対抗し、ツヒンヴァリからグルジア人を追い出すことに成功した。武装闘争は、ロシア・グルジア・オセチア混成の平和維持軍が導入された1992年7月14日まで継続した。\n\n1991年1月29日、南オセチア最高会議議長トレズ・クルムベゴフが交渉のためグルジアに向かったが、その場で逮捕された。2月1日にはエネルギー供給が遮断され、4月29日には大規模な地震も発生し、住民の生活条件は極度に悪化した。事態打開のため、南オセチア代議員会議は、共和国から自治州への復帰を決議した。しかしながら、グルジア人武装勢力の攻撃は止まず、6月8日までに70の村落が焼かれた。9月1日、南オセチア代議員会議は、自治州への復帰を取り消し、共和国を復活させた。\n\n1992年1月19日、南オセチア共和国の独立に関する住民投票が行われ、92%以上がこれに賛成した。2月、ツヒンヴァリ周辺にグルジアの砲兵と装甲車両が配備され、砲撃を開始した。\n\n1992年3月8日、[[エドゥアルド・シェワルナゼ]]がグルジアの指導者となったが、南オセチアに対する政策は変わらなかった。\n\n1992年5月29日、南オセチア共和国最高会議は、国家独立法を採択した。\n\n=== 紛争調停と独立 ===\n[[画像:SO2.jpg|right|thumb|2007年6月時点での「南オセチア自治州/共和国」詳細図]]\n\n1992年6月24日、ロシア、グルジア、南北オセチア4者による紛争調停の原則に関する協定が署名され、7月14日、平和維持軍が導入された。\n\n1993年11月2日、最高会議は憲法を採択し、この日は南オセチアの独立記念日とされている。1995年5月5日には、国歌を制定。1996年11月10日、南オセチア最初の大統領選挙が行われた。\n\n2006年11月12日、大統領選挙が行われ、95%の得票で[[エドゥアルド・ココイトゥイ]]が再選し、同時に行われた調査で、99%の住民が独立に投票した<ref>http://www.newsru.com/world/12nov2006/vaz.html ニュースリリース</ref>\n\n[[2008年]][[2月17日]]の[[コソボ]]独立宣言を受け、ロシアなど[[独立国家共同体|独立国家共同体(CIS)]]、[[国際連合]]に対し、近くグルジアからの独立承認を求める方針を明らかにしたと報道されている。\n\n=== グルジア軍による武力攻撃 ===\n{{main|南オセチア紛争 (2008年)}}\n[[2008年]][[8月8日]]、グルジア軍が侵攻し、[[ミヘイル・サアカシュヴィリ]][[大統領]]は同日の記者会見で、同地域の大半の制圧と州都・[[ツヒンヴァリ]]の包囲を宣言、[[予備役]]を緊急招集した。\nまた、南オセチア展開における過程で、平和維持軍として駐屯していたロシア軍基地に対するグルジア軍の攻撃も発生。これに対し、同州の後ろ盾となっている[[ロシア]]政府は同州に増援部隊を派遣した。\n\n== 政治 ==\n{{seealso|南オセチア共和国大統領}}\n南オセチアは、独立国家を自認しているため、独自の政治制度を有している。\n\n大統領は、直接選挙で選出され、任期5年。議会は、5年の任期で選出される。内閣は、大統領の提案を基に議会が承認する。\n\n2001年、[[エドゥアルド・ココイトゥイ]]が大統領に選出。2005年、[[ロシア人]]の[[ユーリー・モロゾフ]]が首相に就任。\n\n=== 行政区分 ===\n[[File:RSOLocatorMap.png|250px|thumb|right]]\n{{seealso|南オセチアの行政区画}}\n3つの地区と1つの直轄市から成る。\n* ドザウ地区\n* ズナウル地区\n* レニンゴル地区\n* [[ツヒンヴァリ]]直轄市\n\n=== 外交 ===\n[[ロシア]]の[[北オセチア共和国]]と[[モルドバ]]のガガウズ・ソビエト社会主義共和国(消滅・[[ガガウズ自治区]])が、南オセチアを独立国家として承認した。\n\n2006年6月14日、国際的に未承認の[[アブハジア]]、南オセチア、[[沿ドニエストル共和国]]の3か国の大統領が、スフミで会談を行い、共同声明の形で'''[[民主主義と民族のための共同体]]'''の設立を宣言した。2008年9月17日、ロシア連邦は南オセチアとの友好協力条約に調印した。\n\n南オセチアが承認している事実上独立した地域では、アブハジア共和国と沿ドニエストル共和国、同じ旧ソ連であり隣国アゼルバイジャンの[[ナゴルノ・カラバフ共和国]]、そして[[アフリカ]]の[[西サハラ]]に領有権を主張している[[サハラ・アラブ民主共和国]]がある。\n\n==== 国家承認している国 ====\n* {{RUS}}\n* {{NIC}}\n* {{VEN}}\n* {{NRU}}\n\n※{{BLR}}は承認していないが、独立の支持をしている。\n\n==== 国家承認している事実上独立した地域 ====\n* {{flagicon|Transnistria}} [[沿ドニエストル共和国]]\n* {{flagicon|Abkhazia}} [[アブハジア|アブハジア共和国]]\n\n==== 承認している地域 ====\n* [[File:Flag of Gagauzia.svg|25px]] ガガウズ・ソビエト社会主義共和国→[[ガガウズ自治区]]\n* [[File:Flag of North Ossetia.svg|25px]] [[北オセチア共和国]]\n\n==== かつて承認していた国 ====\n* {{TUV}}は、[[2011年]][[9月]]に承認したが<ref>{{Cite web|date=2011-09-23|url=http://www.rferl.org/content/tuvalu_recognizes_abkhazia_south_ossetia/24338019.html|title=Tuvalu 'Recognizes Abkhazia, South Ossetia'|publisher=Radio Free Europe|accessdate=2011-09-26}}</ref>、[[2014年]][[3月]]にグルジアとの関係から撤回している<ref>http://www.ge.emb-japan.go.jp/files/weekly_reports_2014/weekly_report%2013.pdf 在日グルジア大使館(2014年4月11日) 2014年8月28日閲覧。</ref>。\n\n=== 軍事 ===\n軍事力としては、現役兵3千人を有し、最大1万5千人までの予備役が動員可能である。詳細は、[[南オセチア共和国軍]]を参照。\n\nその他の軍事力としては、[[南オセチア内務省|内務省]](OMON2個大隊、SOBR)、[[南オセチア国家保安委員会|国家保安委員会]](国境警備隊)、国家警護庁が存在する。\n\n== 脚注 ==\n{{脚注ヘルプ}}<references/>\n\n== 関連項目 ==\n* [[北オセチア共和国]]\n* [[オセット人]]\n* [[アブハジア]]\n* [[事実上独立した地域一覧]]\n\n== 外部リンク ==\n* [http://www.cominf.org/english/ 南オセチア共和国国家情報・出版委員会](英語)\n* [http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/hikounin/ossetia.html 非公認の国々 南オセチア]\n{{アジア}}\n\n{{East-europe-stub}}\n{{DEFAULTSORT:みなみおせちあ}}\n[[Category:南オセチア|*]]\n[[Category:グルジアの地理]]\n[[Category:カフカス]]\n[[Category:オセット]]",
'title': '南オセチア'},
205: {'text': '#転送 [[アイルランド共和国]]', 'title': 'アイルランド'}}
JSONファイルは、取り込むと、辞書式のデータが格納されたシーケンスになるという理解?
(今回の場合、text
というラベルとそれに対応する値、title
というラベルとそれに対応する値 の2つ)
結局なぜ怒られたのかが分からん。。。