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前書き

 致知出版社[『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』][1]の一節の感想文である。
[1]:https://www.amazon.co.jp/1%E6%97%A51%E8%A9%B1%E3%80%81%E8%AA%AD%E3%82%81%E3%81%B0%E5%BF%83%E3%81%8C%E7%86%B1%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B365%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B%E3%81%AE%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8-%E8%97%A4%E5%B0%BE%E7%A7%80%E6%98%AD/dp/4800912474

 今日読んだ記事。沖縄から菓子職人を目指し上京し、独立後、多くの職人の師として慕われ、日本スイーツ業界の父と称された人の話である。
 自らの経験を経て、「試練」を「快感」に感じるようになったという。マゾでは無さそうである(失礼)
 不器用だけど「情熱」そして「人間力」のパワーが半端ないなと思って感銘を受けた。
 現在のエンジニアにも必要なヒントが書かれてあると思ったので紹介します。

本題
【6月7日】耐え抜くところから信用はついてくる 比屋根 毅 エーデルワイス社長

比屋根毅。実業家。尼崎市で洋菓子店エーデルワイスを創業し、数々の職人を育て日本の洋菓子業界の発展に寄与した。
日本スイーツ業界の父と呼ばれる。この本の5月3日の記事の著者、牧野も比屋根の愛弟子である。
1937年生まれ。2020年、82歳没。

比屋根が語るのは、自らの菓子職人としての修行時代からエーデルワイス創業時の経験。
自らの経験がエーデルワイスの社是となり、社員への訓示へも繋がっているという。
冒頭、修行時代を振り返る。

『当時の大阪の菓子屋では職人が自分で作った菓子を、喫茶店とかパン屋さんなんかに直接売りにいったんです。
 売れ残ったら給料から引かれます。必死でした。ベテランは得意先を持っているからいいですが、僕にはあてなんかないから
 いつも売れ残ってしまう。』

って冒頭から衝撃だ。現在でいうところのフランチャイズチェーン店のオーナーか。
菓子職人が、若手時代から、自分で売り先を見つけ、売りにいって、売れ残ったら給料から天引き。
そりゃ必死になるだろう。ていうか、いくら菓子職人としての腕があっても、経営者感覚がなければ続かない。

『そこで実は生活が苦しかったもので空手を教えに行っていたんですが、その弟子がたくさんいる。
 こいつらを使ってうまく売る方法はないだろうかと考えたんです。』

なるほど。比屋根は沖縄出身。沖縄は空手の発祥地だ。現在でいうところの副業ってところか。
いや、もしかしたら空手の先生の方が儲かっていたのかもな。弟子がたくさんいるって。
比屋根は、大阪の戎橋の上で、パン箱にケーキをずらっと並べてその弟子たち売らせたという。
これが大当たり。最高の売り上げを上げたという。
その後、比屋根は独立した。だが、自ら創業した経営は芳しくなかったらしい。

『この時のことを思い出した。「そうだ、あの時のように外に売りにいこう」と思ったわけです。
 これで買いに来なかったら、もう店を閉めようと、捨て身の覚悟でしたね。』

そしてこの作戦が功を奏したという。一流企業がお客さんへの土産に使ってくるようになり、そこから運が広がっていったという。

『お客さんがお客さんを呼ぶというのでしょうか。一、二年する頃には売上百億の店を目指そうと思い始めました。
 まだ売上何千万の頃です。菓子業界で、明治とか森永のようなところは別として一職人が独立して百億の店を経営しているところは
 ありませんでした。』

なんか、現在のユーチューバーみたいだな。扱う商品は違うけど。個人が企業なみの売上をあげる感じ。
昭和40年ごろ、1960年代の話である。比屋根がもし現在の若者だったとしたら、もしかしてユーチューバーでも大成していたかもな。

『どうしてそんなことを思いついたかといいますと、本田宗一郎さんとかソニーの創業の頃の話を書いた本を読んでいたんです。
 ソニーの盛田さんとか多くの偉大な人たちが「成功するためには大きなことを言わなければいかん。有言実行だ。
 大きな風呂敷を広げることが必要なんだ」と言っているんですね。そういうことに刺激を受けて当時の日記に、
 「菓子屋のソニーになるんだ」と書いているんですよ。』

なるほど。先人の創業者の本を読んでいたのか。先人の教えから学ぶ姿勢。本には先人が先に経験している叡智が詰まっているもんな。
だが、ビジネスの規模が大きくなればなるほど、高い目標を持てば持つほど、その難易度は高くなる。橋の上で路上販売をするのとは訳が違う。
比屋根はシステムの勉強を始め、アメリカやヨーロッパに行ったり本を読んだりして事業拡大に取り組んだ。
年間の売上に匹敵するような研究所を借金して建てた。心労で円形脱毛症になり、頭は禿げ、顔には黒い斑点がたくさんできたという。

『”弱り目に祟り目”と言いますが、その頃に営業は売上金を持ち逃げするわ、経理は不正をするわで悪いことが一時にどっと起こりました。
 しかしこういう時に支えになったのは、僕が育てた職人たちです。彼らは一人も裏切らなかった。
 僕は試練にあった時にいつも思うことがあるんです。「神様は僕を一回りも二回りも大きくなれよということでいまこの試練を与えてくれているんだ」と。
 そう思った瞬間から試練を快感に感じるんですよ。うちの会社の社是は「忍耐と信用」ですが、耐えて耐えて耐え抜くところから信用はついてくるのでは
 ないかと思います。社員に一番口やかましくいうのは「苦しみの中からしか人間としての成長はないんだ。楽をしようとしたら駄目だ。
 神様は絶対にいいことは与えてくれない」ということです。』

ふむ。沖縄から菓子職人を目指して上京し、修行時代から厳しい試練にあい、その試練を乗り越えて乗り越えて自ら成長していった比屋根。
円形脱毛症になりながらも、部下である営業や経理に裏切られながらも、自ら育てたという職人たちの存在が心の支えになったという。
そして、また、弟子の職人たちも比屋根を慕う。それは以前読んだ【5月3日】の牧野の記事からも読み取れる。

不器用だが、菓子作りに情熱を注いだ比屋根の人徳であろう。その比屋根が辿り着いた境地が「試練を快感に感じる」こと。
自らが注ぐものへの情熱。その情熱のパワーが強いからこそ、試練はどんどん訪れるのだろうし、そしてそれを乗り越えた時、また一歩成長するのだ。
だから比屋根は「快感」に感じるようになったのだろう。
あと「快感」のもう一つの要素もあるな。それは弟子たちからの「信用」だ。自らの情熱に基づく行動に対して、試練に立ち向かう行動に対して、
自らを慕ってくれている、信用してくれている人たちがいる。決して裏切らない、固い絆で結ばれた「信用」を築き上げることができるのだ。

(参考)
日本スイーツ業界の父・比屋根 毅さんが100人を超える弟子たちに伝え続けたもの ―致知出版社 
https://www.chichi.co.jp/web/20200609_hiyane/

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