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「一隅を照らす」ー仕事が嫌になったときのサプリ

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前書き

**「一隅を照らす」**とは、天台宗の開祖・伝教大師最澄さんのことば。
日課の今日の記事で、天台宗の座主さんが解説していたのを読んで感銘を受けたので共有したい。
今の仕事が嫌になった時、やっている仕事の意味を見失った時とかのサプリメントになるのではないかと思って。

【10月27日】 一隅を照らすとは、仕事に全力を注ぐこと 山田恵諦 比叡山天台座主

山田恵諦(やまだ えたい)。日本の天台宗の僧侶。第253世天台座主。
第253世天台座主を20年つとめ、「比叡山宗教サミット」を開催、また一隅を照らす運動を推進した。
行動的だったので「空飛ぶお座主」といわれた。
1895年生まれ。1994年、98歳没。

「一隅を照らす」とは、天台宗開祖・伝教大師最澄のことば。最澄の記した『山家学生式』に出ている。
山田は、比叡山天台座主として、この「一隅を照らす」の教えを世の中に広める運動を推進した。

山田が語るのは、その「一隅を照らす」の教え。

伝教大師は、「どのように愚かな人でも、十二年間、同じ仕事に熱中すれば、必ず他の人のまねのできない力を発揮するようになる」とお経に説かれてあるのを見て、比叡山に学校を開かれました。
そして、その特性を大別すると、三つあると申されています。
 「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて国宝と為す。故に古人の言く、径寸十枚是れ国宝に非ず、一隅を照らす此れ則ち国宝なりと。
  古哲又言く、能く言いて行うこと能わざるは国の師なり。能く行いて言うこと能わざるは国の用なり。能く行い能く言うは国の宝なり」。

すなわち、言うこともできれば行うこともできる人は国の宝であり、言うことは上手であるが、行いのできない人は国の師匠だと。
行いのほうは立派であるが、言葉のほうが上手でない人は国の働きだと、これらの三人はすべての人が尊敬しなければならないとおっしゃているわけです。

「一隅を照らす」が記載されている『山家学生式』の一文である。
 「社会の一隅に居ながら、社会のためになることをする人たち、そのために自ら修行するひとたち(⇒道心のある人)は国の宝なのだ。金銀宝石が国の宝ではない。
  その国の宝の人たちは大別して三種類に分けられる。
   ・自分で出来るが、人に教えるのも出来る人(⇒宝)
   ・自分では出来ないが、人に教えるのは出来る人(⇒師匠)
   ・自分では出来るが、人に教えるのは苦手な人(⇒働き)
  である。」
 現代文に訳せばこんな感じか。この三種類の人間は国の宝だから、皆で尊敬しなければいけないといっているのだという。

「一隅を照らす」ということは、結局、自分の仕事に全力を注ぎなさいということです。自分の持てる力のすべてを任務の上に遂行しなさいということです。
職業に貴賤(きせん)はありまえん。ですから、一人ひとりが、それぞれの持ち場で仕事を天職としてしっかりやることです。
企業における上司と部下、家庭における親子の関係、すべてにおいて一隅を照らすことを自分の使命と考えることが人間としての基本です。
その一隅を照らすことを使命とすると同時に、その仕事をするにおいては忘己利他(もうこりた)でなければならない。
自己の利益を顧みず、他のために全力を尽くせば、誰でも「あの人は立派な人や」ということになる。
たとえ口には出さんでも、皆、感謝の念を持って後から付いていこうとするでしょう。

ふむ。「一隅を照らす」か。
毎日の日課として「一日一話」を呼んでいるが、この本に出てくる偉人、成功者たちに共通する生き方を突いているコトバかもしれない。
皆、それぞれの場所で、克己として、自分の道を突き進んでいる。
そして、山田は『 忘己利他(もうこりた)でなければならない。』と付け加える。
自分の利益を顧みず、他人のために尽くせば、皆に感謝される人物になると。
それは社会のために自らの仕事で奉仕するという「道心ある人」であるための基本なのだ。

『かがみになることです。人の心の光になれということです。
 平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)(彫刻家)さんは、
 「わしがやらねば、だれがやる。今やらねばいつできる。五十、六十、洟垂(はなた)れ小僧、七十、八十、花盛り、九十でお迎え聞こえません」
 と言って、まだ作品を作り続けられたといいます。こういう気概でなければ長生きしている意味がないと思うんですね。』

田中さんのコトバ、好きだ。五十、六十歳でもまだまだ鼻垂れ小僧であるらしい。元は渋沢栄一のコトバのようである。
山田は締めくくる。

一番大切なことは、肉体を生きることではなくて、仕事に生きることでなければならんと思うんだ。
生きるということは産むということだから、女性が子供を生む。男性は仕事を生み落とすよりほかに方法がない。
その仕事というのは千差万別やが、できれば後世の人のためになるものを残したい。
形や物は残せなくても、仕事の仕振りは残せるはずや。姿で示すことが大切ですね。
また。お金は一銭も残らんでも、立派な子供を育て上げれば、立派な仕事をしたことになる。
それが人間の生きがいなのやね。

なるほど。天台宗の座主さんに使う言葉としては恐れ多いが、共感できる。日々の仕事を一生懸命頑張ろうと思える、いい話である。
ここでいう仕事とは、自分が生活するために働くことをいっているのでないな。
社会のために奉仕すること、周りのために奉仕すること。そして、願わくば、その仕事が後世の人のためになるようなこと。
1000年以上前に書かれた、天台の教え「一隅を照らす」は、現代の我々にもウェルビーイングな生き方のヒントを教えてくれている。
個人としても、企業としても、国家としても、もしかして世界平和と人類繁栄のための普遍的な教えを導いていると感じた。

山田が行動的な活動で「空飛ぶお座主」と呼ばれていた理由が分かるような気がする。山田も社会のために「一隅を照らす」活動をしていたのだ。

(参考)

後書き

ちなみに私自身が今仕事が嫌になってる訳ではないです。日々一生懸命働かさせていただいております。
「一隅を照らす」って、もともと聞いたことはあったのですが本家天台宗の座主さんの解説はさすがに深いなと感じました。
あれこれ未来のことを心配したり、周りと比較してもしょうがない。 **「今の自分の仕事を一生懸命やる」**ってことが何よりも大事なのかなと思います。

以前紹介した記事ですが、作家の宮本輝さんもいい事を書いていました。こちらもサプリになるかも。

以上、皆様のお役に立てば幸いです。

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