IT営業は全員元ギタリストだ
世の中の全てのIT営業が学生時代にバンドでギターを弾いていたことは疑う余地もない1が、同時に彼ら彼女らには必ず一人は憧れのギターヒーローがいる、という点については忘れられがちだ。
例えばエリック・クラプトン2とか
例えばヌーノ・ベッテンコート3とか
例えばパコ・デ・ルシア4とか
例えば今 剛5とか
そうした学生時代を過ごし、無事入りたい会社に入社することがきまり、営業職として数年が立ち、日々の難しい意思決定の場に直面した際、しばしば憧れのギターヒーローたちの言動を参考にすることになる。
かの有名なジミ・ヘンドリックス6はこう言った。
もし僕が自由だとすれば、それは常に走り続けているからだ。
「私は少なくとも走り続けている、だから、今はこれでいいのだ。いいよね?」ジミヘンの言葉を思い返しながら、こう考えたりして営業のわたしたちは日々をなんとか生き抜いている。
この記事は、世のIT営業の方々がエンジニアの方と少しでも共通の話題で盛り上がれる情報を提供したい、と言うモチベーションで書かれています。
エンジニアヒーローと言う存在
これから説明するような方々を一括りに表現する言葉は、今のところ無いと言っていい気はする。
が、私の言葉の引き出しの中であえて言語化するなら「エンジニアヒーロー」という表現に落ち着くのではないかと思い、少なくとも当記事内においてはそのように、表記する。
IT営業がギターヒーローを信仰するように、エンジニアにも同様に憧れる存在というものがやっぱりいて、その憧れの存在である彼らは、IT業界にインパクトを与えるいくつもの偉大なる業績を残してきただけではなく、惚れ惚れするような生き様や思想や価値観をITの世界に今も刻み続けている。
目を見張るような、まるで天から授かったような天才的な技術の裏に見え隠れする非常に魅力的な人間性、ここに当記事では着目したい。
とはいえこのような「エンジニアヒーロー」たちの存在に触れたのは私にとってもこの1年前後の短い期間ではあるが、普通にかっこいいと思えるエピソードがいくらでも出てくる界隈のため、本記事のタイトルに興味を持ってくれるような非エンジニアの方々にとってほんの少し新しい世界を知って頂きたいとおもう。
いや、ほんとこのような情報はなかなかきれいにまとめられていない、もしくはあってもただの名前の羅列しかないのだ。
エンジニア版ギター・マガジン的な本があれば少なくとも今の私は、買う。
以降、エンジニアの方にとっては何を今更というような記事になります。
「DHH」
営業職のわたしがエンジニアヒーロー達に興味を持ち始めた最初の一人。
デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン7。DHHは頭文字を取った彼のニックネームだ。
流石に営業でも聞いたことくらいはあるであろうRuby on Railsの生みの親である。ただ、この記事ではRuby on Railsというフレームワークが世の中に与えたインパクトについては解説しない、というかできない。
ただし私のようなゴリゴリの文系営業に刺さった彼のアウトプットとして、37signalsこの彼の作った会社の、名前の通り37の信号(標語、メッセージといってもいいかおしれない)が非常に素晴らしいのである。以下にお気に入りのSignalの一つ示す。8
21.Know no
“No” is no to one thing. “Yes” is no to a lot of things.
野暮だが、訳す
「Noは一つのことに対してのNoで、Yesはたくさんのことに対してのNoだ」
このレベルのインサイトが37Signalsからは次々と得られ、ときにロックでときにラブ&ピースなのだ。私もそれ以降仕事に対する考え方に多少なりとも変化があった。なのでこの記事を書いているのだと思うが、冒頭で名言を引用したジミ・ヘンドリックスさながら、業績を残すだけではなく、人の価値観に影響を与えている。
間違いなく彼はエンジニアヒーローの一人なのだ。
「Linus Torvalds」
私がわざわざ粒立ててこのような方々を紹介して行く必要なんて今更あるのか?レベルの知名度の人しかいないじゃん、と挫けそうになるも、いやいや私だって少し前までは知らなかったのだから誰かのインプットを助ける情報であると信じて立ち直ってみる。くらいの葛藤がおきるレベルにはすでに世の中から承認を受けきっているこちらの方もまた、エンジニアヒーローの一人である。9
彼はLinuxの生みの親であり、何度もこすられてきた偉大なる有名なエピソードがある。
ワタシハリナックスチョットデキル
というカタカナのプリントが入ったTシャツを来てLinuxの生みの親がある日突然現れたのだ。
この日を境にIT業界では「チョットデキル」はその領域を極めているどころか、同じような製品を1から作れるレベルの仕上がりの状態の方の謙虚さからくる自己評価コメントとして扱われるようになり、誰も自分のことをチョットデキルと言えなくなったのだ。
このエピソードを受けて、当社では社内のエンジニア教育の研修のタイトルを
「◯◯チョットデキル研修」として、上記のエピソードを知っているかどうかで非常に受け取り方の変わる研修コンテンツとして稼働している。
このような謙虚なエピソードを見聞きして営業の皆様であればジェフベックを思い出したはずだ。
彼もまたギターヒーローの中で最も謙虚な人間であることは忘れてはならない。
「川口耕介」
もちろん日本人で世の中に爪痕を残しているエンジニアヒーローも何人いる。
Rubyの生みの親であるまつもとひろゆき氏であるとか、Winnyの金子氏であるとかこちらも枚挙に暇がないが、ここではJenkinsの生みの親である川口氏に触れたいと思う。10
じつは川口氏は当グループ会社の技術顧問として、まれに社員向けに接点を設けて頂けることがあるのだ。
もちろん彼の作り出したToolが世の中に与えたインパクトというのは計り知れないものであるが、実際に直接社内で講義を受けた私が率直に思ったこととしては、なんて魅力的な人間性を持った方なのであろう、ということだ。
講義の中でこんな質問が出た
「何かを選択するとき、どのように決めてこられたか?」
おそらく質問の背景には
偉大な業績を残しているような方々は、人生の転機と言ってもいいような節目、
例えば進学or就職
例えば転職or継続
例えば企業する?
というような状況でどれだけ深く考え、材料を集め
正しい意思決定、判断をしてきたのだろうと興味が湧いたのだろう。
そんな質問者にとって川口氏の回答は耳を疑うものだったであろう。
「適当に決めてきました」
彼は言う、
選択に間違いなど無いと
彼は言う、
どちらを選んでいたとしてもそれなりになんとかなっていたはずだと
彼は言う、
正解を選ぶことができると思っている時点でおこがましいと
確かに、過去予想して想像して決めてきたことが
その後自分の思い通りになったことがいくつあっただろうか。
この日以来悩むことが馬鹿らしくなってしまった私は
楽観的に物事を判断するようになってきた。
そのようなスタイルで行くことを選択した。
それが正解か間違いかはわからないが選んだのだ。
注意
当日の記憶を頼りに書いている為多少誇張表現になっている可能性を否定できませんが、素晴らしい演説は記憶の中で自然と脚色されるものだと思いませんか。
ギターをおいて営業になった皆様へ
列挙していくとこのようなエンジニアヒーロー達はいくらでも出てくるのだが
数を紹介したいのではなく、エンジニアヒーローという存在をまずは営業の皆様がたに理解してほしかった。IT営業として、ものづくりを担うエンジニアの方々とのいつもよりも一歩踏み込んだ会話ができるように、その最低限の導入としてはここまでで十分だと判断し、IT営業同志諸君の今後の活躍の祈願を締めくくりとする。
そして願わくばエンジニアの方は最後まで読んでいないことを信じております。
もし読まれていたとすると、例えば、まるでワイン農家にぶどうを語るような愚かさと言うか、気恥ずかしさを感じることだろう。
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かくいう私ももちろん高校生の際にギターを弾いていた、今思い出しても名前もわからないような赤いボディのストラトスタイルギターに、セイモアダンカンのJBモデルのハムバッカーに載せ替えて、いい音だとか言っていた。 ↩
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エリック・クラプトンは左手がゆっくりしか動いてないのに速弾きすることからスローハンドと呼ばれていた。 ↩
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ヌーノ・ベッテンコートはワッシュバーンのギターを愛用しており、ヘッドがパット見レフティーモデルに見えるが普通に右利き用のギターを弾いているでおなじみ。 ↩
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当時やっていることが新しすぎて未来から来てるなど言われていたが、ジミ・ヘンドリックス自身は、ただ今この瞬間を一生懸命だったに違いない ↩
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ビジネスには戦争の比喩となる単語が非常に多く出てくることにアンチテーゼを投げかけたり、一日の時間の過ごし方を示唆したり、幅広いのである。 ↩
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完全に理解したり、何もわからなくなったりして、チョットデキルようになるのは今では全エンジニア共通の認識 ↩
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SHIFTグループの技術顧問を長年勤めてくださっており、端的に言って非常に助かっている ↩