PHPStanの作者は言わずと知れたOndřej Mirtesさんです。Ondřejはチェコ在住ですが、この人名の綴りは日本では馴染みがなく、なんと発音すればいいのかわからないということがたまに聞かれます。
この記事ではこのOndřejという人名の発音について考察します。
PHP界隈でOndřejといえば、Debian開発者でPHPパッケージをメンテナンスしているOndřej Surýさん(deb.sury.org, ppa:ondrej/php)もいますが、もちろん別人です。
チェコ語の音声と人名について
ヨーロッパの各言語では、キリスト教の聖人ペトロに由来する名前が英語ではピーター、ロシア語でピョートルのように変化するということはよく知られています。このOndřejという名前は、キリスト教の聖人アンデレに由来する名前で、英語ではアンドルー、ロシア語ではアンドレイに相当する名前です。
チェコ語は名前の通り、現在のチェコ共和国を中心に居住するチェコ人の言語です。歴史的にはロシア語と同じくスラヴ語派の言語ですが、チェコ語は英語と同じくラテン文字 (いわゆるアルファベット) を用いて表わされます。
ラテン文字は26文字… と思うかもしれませんが、これは英語アルファベットの話で、ラテン文字の組み合わせは時期や言語によって大きく異なります。
チェコ語の正書法では以下の46種類のアルファベットが定められています。
-
A
Á
B
C
Č
D
Ď
E
É
Ě
F
G
H
Ch
I
Í
J
K
L
M
N
Ň
O
Ó
P
Q
R
Ř
S
Š
T
Ť
U
Ú
Ů
V
W
X
Y
Ý
Z
Ž
-
a
á
b
c
č
d
ď
e
é
ě
f
g
h
ch
i
í
j
k
l
m
n
ň
o
ó
p
q
r
ř
s
š
t
ť
u
ú
ů
v
w
x
y
ý
z
ž
英語では ch
gh
th
ph
wh
のような二重音字を別カウントしていない、外国語からの借用語を除いてダイアクリティカルマークの使用が一般的ではないなど、英語の「26文字」というカウントとは基準が異なっています。
この中でチェコ語に特徴的なのが、řという文字です。これはIPAという発音記号では [r̝]
という字で表わされる「歯茎ふるえ摩擦音」を表わす文字で、歯茎ふるえ音(いわゆる巻き舌)と摩擦音を同時に出す音だとのことです。
この音を含む発音の有名人に、チェコ出身の作曲家のドヴォルザーク(Antonin Dvořák)がいます。もちろん英語にこのřの発音はないので、アメリカなどチェコ国外では「ドヴォージャック」のように「ザ」か「ジャ」のように置き換えるか、ダイアクリティカルマークを外した標準的な英語発音で「ドヴォラック」のように発音されることになるかと思います。そうです。キーボードのDvorak配列はチェコにルーツを持つアメリカ人のオーガスト・ドヴォラックに由来しますが、アメリカ移民のDvorakさんは標準的なアメリカ発音で名乗っているようです。
Ondřej
改めてOndřejですが、あえて正確性を度外視したカタカナで単純に書き表すならば「オンドジェイ」のようになるでしょうか。ただし、原語のdには日本語の「ド」のように母音が含まれないので、かなり違った雰囲気の音になります。
話が変わりますが、日本語ローマ字のヘボン式を提案したのはアメリカ出身のJames Curtis Hepburn博士です。現代日本ではHepburnという綴りは「ヘップバーン」「ヘプバーン」のように綴られることが一般的になっていますが、これもカタカナで読むと原語とかけはなれた音になってしまいます。
ヘボン式ローマ字は従来の「日本式ローマ字」(現代の訓令式に引き継がれる)よりも英語発音との整合性をとった規則として知られていますが、博士自身は日本語話者にも発音しやすく英語にも近い音としてHepburnをヘボンと表記していました。
外国語の名前を別の言語で表記する際に、現地語での発音を忠実に反映することを優先するか、原語とかけはなれるとしてもアルファベット表記を日本語発音的にカタカナ転写するべきかというのは本当に悩ましいことです。
究極的には人の名前をどう呼ぶべきかというのは呼ぶ人と呼ばれる人の間で決めることではあります。つまり、呼ぶ人が呼びやすく、呼ばれる人が違和感なく自分のことだと識別できればよいのです。
ということで、実際にどのように自称しているのか、呼ばれているのかを見てみましょう。
phpdayはイタリアで開催されたカンファレンスです。
司会者は「オンドレイ・ミルテス」のように発音して紹介しています。
チェコのイベントのようですが英語で、自己紹介で名乗っています。
かなり早口ですが、「オンジェー・ミルテス」のように聞こえます。
結局どうすればいいの
ということで、実際に呼ぶことになったら以下の2通りのどちらかになりそうです。
- 一般的な英語発音風に「オンドレイ」と呼ぶ (Dvorak→ドヴォラック式)
- 原語と完全に同じではないが、近似的な音で「オンジェー」と呼ぶ (Hepburn→ヘボン式)
名字は日本語発音で「ミルテス」と呼んでも伝わるのではないでしょうか。
普通に普通の結論になってしまった。
それでもしっかり発音してみたい人向け
「歯茎ふるえ音」という音は、早口で「さっぽろらーめんとろろいも」とか「べらんめえ」と連呼していると出てくるトゥルルみたいな感じの舌が震える感じの音です。
それと同時に喉の方でも音を出せれば「歯茎ふるえ摩擦音」になるはずなのですが…
実際にコミュニケーションとる上ではそんな小賢しいことをするより一息に「オンジェー」と言い切っちゃった方がそれっぽく聞こえると思うよ!
追記
Ondřejの綴りの最後のjですが、これはチェコ語を含むいくつもの言語でヤ行の子音(半母音)を表す文字です。IPAの[j]
も硬口蓋接近音を指しています。そもそもi
とj
は形の似た文字ですが、歴史的にはどちらもギリシャ文字のι(イオタ)から派生した文字で、i
が母音を、j
が半母音を表すように派生して書き分けられるようになったようです。
Ondřejをオンジェーと発音するとき、あくまでdřej
が連続する部分が縮まって日本語で「ジェー」のような音になるのであって、最後のj
だけを英語風に「ジェイ」と発音しているわけではありません。
ej
だけだとあくまで「エイ」のような音で、「ヤ行のイを子音(半母音)として発音する」というのはわれわれ日本語話者にはやや想像のしにくいところですが、日本語の音節のようにはっきりと「エ・イ」とはっきり発音するわけではなく、英語の音節のようにřej
を一塊で一気に発音しきる感じです。