ランニングしながらAudibleで聴いた本の感想です。
本のまとめというより、自分が心に残ったことを3つだけ書いてます。
とりあえず思ったことをメモするのが大切と思い、なるべく30分以内で書き上げています。
引用で書かれている内容は、本書の要約です
読んだ本
夜と霧 新版
ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田 香代子 (翻訳)
ナチスの強制収容所の実体験記録です。前半はグロテスクな話が多いですが、極限状態であるからこそ、「真の人間の姿」のようなものを感じ取ることができます。
個人的には名著だなと感じました(個人的満足度3/3、一般的なおすすめ度3/3)
心に残ったこと
環境次第で人は堕落するが、環境に抗って自分を貫く人もいる
強制収容所では、多くの被収容者(≒投獄された人)が自己中心的で堕落した醜い人間性であった。普段は温厚な人間でも、そういう状態になる者もいた。
ただし、そういう環境で人間の100%が堕落するのではなく、それに抗って自己の信念を貫いた人もいた。そういう人間は、「未来への希望」を持っていることが多かった。
今の時代、何か悪いことが起きても、「人間が悪いのではなく、環境・システムが悪い」と思うことが多い世の中だと思います。
それはそれで正しいのですが、ごく一部、環境・システムが悪くても、それに抗って「自分が思う正しい自分」を貫いて、這い上がってくる人もいます。
この社会的性質を、筆者は強制収容所で目にしています。
おそらくですが、他人に強いるときは「環境が悪い→人間が悪い」をベースとしつつ、自分の中での信念は「環境が悪い→人間が悪いとはならない」を持っておくとよいのかなと思いました。
立場が人を決めるのではなく、人間を見る必要がある
被収容者を監視する役割の監視兵は、多くの被収容者を手下のように扱うため、残虐・非合理的・自己中心的な人が多かった。そういう人間だからこそつける立場なのであろう。
ただし、その中でも、身銭を切って被収容者のために薬を買ってきたり、心温かい者もいた。
現代社会でも「部長だから偉い」「社長だから偉い」という立場への概念は薄れてきて、「どういう人間で、何をしているか」が重要になってきているかと思います。
もちろん、傾向としては「こういう人が、こういう立場につくことが多い」ということはありますが、それは傾向であり、その人の人間性は実際に触れてみないとわからない、ということを述べていると思います。
未来への希望は人から奪えない
人間がどんな環境にあろうが、未来への希望と、過去の経験というものは奪えない
強制収容所で、着ているものを全部取られ、毛髪も全部剃られ、睡眠不足で過酷な労働に従事させられるような状態でも、例えば「生きて帰って、家族の顔を見る」というような希望を強く持っている者は、生命力が高かったそうです。
私も、仕事で上長がどんどん休職していったような辛い時期に、数カ月後の東京マラソンの予定を想像し「この日を健康で迎えたい」という思いで病まずに過ごすことができた、という経験がありました。
なお、過去の経験は宝物と述べていますが、これに固執しすぎると良くない、というような内容を同時に述べています。
未来への希望を無くしたものは急激に抵抗力をなくし亡くなった
たとえば、「3月で戦争が終わる」という夢を見た者は、3月が終わるにつれて体調が悪くなっていき、3月31日に亡くなった
未来への希望の反動で、それが無くなると、抵抗力が無くなるという側面もあります。
そのため、確度の低い希望は、あまり強く抱かないほうが良いのかなと思いました。。
その他
苦しみは他人が引き受けて解決したりできない。自分の中にあるものを見つめ直して解決するしかない
収容所で医者として働いた経験から、筆者はこう述べています。
強制収容所には様々な心身的に不健康な人がいますが、最終的には、本人の中にある「悪い状態」をその人が解消することでしか、健康になることはできず、医師や周囲の人が「代わりに引き受ける」などはできない、と述べています
残酷な環境は解放された後も大変だった
収容所では親切だった人が、収容所を出た途端「こんな大変な経験をしたから多少の悪は問題ない」と豹変して、例えば他人の畑の真ん中を歩いて作物をダメにしたり、家庭内暴力を振るったりしたものもいたそうです。
環境が人を変える面はありますが、良い環境になるから良い人間になるとも限らないのです。
強制収容所のような劣悪な環境は、そのときは生きながらえてもその後に悪い影響をもたらすため、やっぱり無い方が良いなと思いました。
戦時下の東ドイツの話であるが、日本でも全くの他人事ではない
あとがきで述べられています。
この話は全くの他人事ではなく「日本では全く無かった」とも言えないですし、過去の話ではなく、戦争が起きれば再発する(している?)可能性もあります。