反響にびっくり
先日、「Lispの現代における意義」という小文を投稿しました。これは思いのほか反響がありました。英語版のreddit/lispで公表したところ、多数の意見とアップボートをもらいました。では日本語圏ではどうだろう?と思い、日本のQiitaに投稿してみたところ、トレンド入りし、多くの方に閲覧され、「いいね」もたくさんいただきました。
これはどういう現象なのでしょう?私は考え込みました。何が共感を生んだのでしょうか?
学校は苦手だった
私の個人的な経験ですが、学校という場所が心底苦手でした。特に高校生の頃はひどかったです。勉強はひどくつまらなく、私は大好きなロックミュージックに没頭していました。今でもエレキギターの腕前には自信があります。
ではなぜ、学校の勉強がつまらなかったのか?教科書通りのことをひたすら暗記し、訓練されるだけ。点数で競わされ、点数が取れないと教師からバカにされる。間違いや失敗は許されず、嘲笑される。学生時代は、勉強とは嫌なものをただひたすら我慢して凌ぐ訓練のようなものだと感じていました。会社の命令に絶対服従する企業戦士を育てるための予備校のように思えてなりませんでした。私は精神的にドロップアウトしていました。
Lispは自由の象徴
そんな私が20歳くらいの頃にパーソナルコンピューターに出会い、それは知的なショックでした。そこには自由がありました。コンピューター上で思いつく限りのプログラミング実験を行い、気が付けば朝になっていたこともしばしばありました。題材の選択や解決方法はすべて自分次第で、自由そのものでした。我流ゆえに多くの失敗もしましたが、その失敗から多くを学びました。そこには一切の強制はなく、学ぶことが楽しいと初めて感じた瞬間でした。
そして、なかんずくLispはその自由の象徴でした。どんなプログラムを書こうとも、誰からも文句を言われません。Lisp処理系はひたすら私の疑問に答えてくれました。それが、今でもLispが大好きな理由です。
日本の未来は?
私には二人の息子がいます。私は彼らを育てるにあたり、できるだけ自由を重んじました。どんな職業につくのかも、すべて自由に選ばせました。「やりたいことをやりなさい」と言い続けてきました。
しかし、親子であっても個性は違うのかもしれません。彼らに聞いてみると、「特にやりたいことはない」のだそうです。それでも、普通に学校を卒業し、普通に社会人になりました。私が感じたような自由への渇望や、反骨精神でロックミュージックに熱中したような気持ちは、彼らにはないようです。そして、多くの日本の若者たちも同じようです。彼らは従順に組織に従い、どうせ政治なんて変わらないと思って選挙に行かない若者が多数います。
この状況に少し悲観的になることもありますが、まあ、なんとかなるのでしょう。Lispに出会ってから40年以上が経ちました。私にとってLispとロックミュージックは自由の象徴です。古臭いと言われながらも、Lispの普及活動に奔走しています。私は、いつかその努力が実を結ぶと信じています。