はじめに
首都圏を中心に2回目の緊急事態宣言が発令されましたが、生活様式の変化や働き方の変化、それに伴う引越しなどで心身ともに疲れ果てていわゆるコロナうつ≒適応障害を患ったメンヘラプログラマーが休職へ至るまでのポエム体験談です。今、辛くても頑張っている人が立ち止まってみることを考えるきっかけとなったり、メンタル疾患や制度について知りたい、罹患した人への接し方などについて情報発信ができればと思い記事にします。
- 一個人の見解・事例だと思って読んでください。
- 気になる点があれば専門医へ相談してください。
- 会社や特定個人を批判する意図はありません。
- 治療の過程で診断名が変わる可能性があります。
2022/04/03 「病気になった際に使える制度について」を追記しました。
プロフィール
- 年齢: 26歳
- 職業: 会社員
- 職種: Webエンジニア
- 経験年数: 5年
- 職場環境: リモートワーク
- 出社頻度: 3ヶ月に1回以下
- その他: 既婚
コロナ禍でエンジニアは病みやすくなる?
エンジニアは元来病みやすい生き物だと信じていますが、コロナ禍での日常はエンジニアに限らず以下のような要因でメンタルバランスを崩しやすくなるのかなと思います。
- 自宅が仕事場となることにより運動不足となったり、オン・オフの境界が曖昧になることでリラックスできず、自律神経が乱れてしまう
- レジャーや趣味の制限、遊びに行くことに後ろめたさを感じたり、「多少調子悪くても(在宅勤務だし)休まなくていいか」となるなどして休息やストレスの発散の機会が失われる
- 日常的に顔を合わせる人や会話の機会が減り、体調の変化に気づかれず、本人も不調を過小評価した結果、重症化するまで放置してしまう
適応障害 とは
適応障害(てきおうしょうがい、英: Adjustment disorder:AD)とは、はっきりと確認できるストレス因子によって、著しい苦痛や機能の障害が生じており、そのストレス因子が除去されれば症状が消失する特徴を持つ精神障害である。
適応障害 - Wikipedia より引用
私の患った適応障害とは特定のストレス因に曝され続けるとうつ病と似たような症状が出る心因性の病気です。ストレス因から離れることで多くは6ヶ月以内によくなると言われています。うつ病との違いとして、うつ病は中高年発症の多い内因性の病気で原因がはっきりしないという差があります。
症状や発症から回復までの経過が似ているので、うつ病と診断された方にも参考になるかと思います。一般的には適応障害の方が回復までの期間が短く、うつ病の方が長いとされています。
適応障害・うつ病の経過
大きく分けて以下の4つの経過をたどります。
- 初期
- 急性期
- 回復期
- 再発予防期
記事では初期~回復期までの経過について記載します。
適応障害になるとどんなことが起こるの?
私の場合、特定のストレス因があったわけではないですが、自責的な性格や環境の変化、社会不安に伴う陰気で刺々しい雰囲気が原因となり、1度目の緊急事態宣言終了前後から気分の落ち込みや発熱や消化器の不調等の身体症状が現れました。10月頃より下記のような症状が強くなり、だんだんと無視できない程になりました。特に思考能力の低下はプログラマーである私にとって致命的で、それ自体がストレス因となり、急速に症状を加速させました。
- 不安・抑うつ状態
- 注意力・思考能力の低下
- 会話の内容が頭に入ってこない
- 文字が読めない
- 集中できない
- ケアレスミスの増加
- 意欲の低下
- 仕事に手が付かない
- 身の回りのことができない
- 身体症状
- 動悸
- 吐き気
- 過呼吸
- その他
- 記憶障害
働き続けることは危険?
結論から言うと休職してよかったと思いますし、多くの場合、無理に働き続けることは危険なんじゃないかなと思います。休職という手段に限らずとも、主治医と相談しながら、業務量の調整を相談したり、時短勤務や1週間休んでみるなど働きながら心と身体を休める方法もあるかなと思います。
なぜ危険?
休職に至る体験談から3つ理由を挙げてみました。
- 病状の悪化やそれに伴い回復に時間を要する可能性があること
- リモートワークや外出自粛による人との関わりの希薄さが要因となってセルフネグレクトに陥る可能性
- 自殺のリスクが上がる可能性があること
病状の悪化やそれに伴い回復に時間を要する可能性があること
意欲の低下やケアレスミスが増えたことにより、生産性が下がった結果、稼働が増えたりタスクをこなせず溜まってゆく焦燥感から眠れなくなるなどし、肉体的にも精神的にも疲れ、日に日に状態が悪化しました。
リモートワークや外出自粛による人との関わりの希薄さが要因となってセルフネグレクトに陥る可能性
無気力状態になってから食事やゴミ捨てなど、身の回りのことからできなくなりました。
本人は大丈夫なつもりでいるので、自分が一人暮らしをしていたらあっという間にセルフネグレクト状態に陥っていただろう。なんて…。振り返ってみれば想像がつきます。
自殺のリスクが上がる可能性がある
衝動的に死のうと思った瞬間が何度かありました。
気分が悪くて少し風に当たるつもりが気がついたら窓枠に手をかけていたなんてこともありました。
仕事や活動をした直後は気分が高揚していたりするので、「死にたいと思ったときに実行に移しやすくなる」ような気がします。
退職を第一選択にしない
置かれている状況や雇用形態、就業規則などにもよりますが、基本的に退職や転職を第一選択にすることは推奨できません。理由として以下の4つが挙げられます。
- いきなり辞めた場合、傷病手当金の受給条件を満たさなくなる場合がある
- 病気を理由に退職した場合、すぐには失業保険を受給できない場合があり、受給額の上限も設定されている
- 失業保険は次の就職先が見つかるまでのつなぎとしての位置づけであるため、本来、就職が困難な場合には受給できない
- 不安・抑うつ状態では正常な判断ができない
- メンタル系の疾患は再発しやすく、すぐには治らない
傷病手当金は診断書があれば確実に出ます。将来的に転職するにしても復職するにしても、別の選択を選ぶにしても「(言い方は悪いですが…)一旦は休職という形でお茶を濁しつつ」判断能力の回復を待ってから考えた方が後悔は少ないかと思います。
病気になった際に使える制度について
休職含む在職中、退職後に使える制度についてまとめます。 (2022/04/03追記)
傷病手当金
一番お世話になる制度です。インフルエンザなどでも使えます。
私傷病で就労が不能であると診断された場合、支給開始日から通算して1年6ヵ月間に渡り、月額報酬の2/3が受け取れる制度です。
3日間の待機期間(4日以上連続で休む必要がある)が必要となるため、突然退職してしまった場合や、引き継ぎなどを理由に退職日当日に出勤してしまった場合など待機期間が完成せず受給することが困難となる場合があります。(意地の悪い会社だと意図的に出社させて受け取らせないなんて噂も…)
健康保険組合からの支給されます。在籍中であれば事業者側の記入欄があるため会社を通しての申請となりますが、退職後は健康保険組合へ直接申請することになると思います。
通常であれば、休職に入る時や退職時に会社から説明があるかと思います。
開始日より1年6ヶ月でしたが、令和4年4月1日より通算となりました。令和4年4月1日以前により受け取っている方も対象となっています。(嬉しい!)
健康保険の任意継続
やむを得ず退職する場合、通常であれば社保から国保に切り替えると思います。
社保の任意継続が出来る場合、国保より安く済む場合があるので、会社もしくは保険組合に相談してみると良いです。
自立支援医療制度
治療をしながら働く、休職中でも使える制度に自立支援医療制度があります。
定期的な通院にかかる医療費(精神通院医療)の自己負担額が1割負担となる制度です。
申告した医療機関(薬局含む)のみでの適用となり、変更の際は最寄りの保健センター等で再申請が必要なため、近場で通いやすいクリニックを見つけてから申請するのが良いと思います。
失業保険の受給期間延長
通常失業保険は離職日の翌日から1年間が失業保険を受け取れますが、心の療養に1年以上かかる事も珍しくありません。
病気やケガなどでやむを得ず働けない状態が30日以上続く場合、ハローワークへ申請することで離職日の翌日から4年以内まで受給期間を延長することができます。
念のため申請しておくと良いと思います。
高額療養費制度
ひと月に医療機関等でかかった医療費の自己負担額が一定額を超えた場合に、その超えた金額が支給される制度です。
所得や年齢に応じて医療費の上限額が定められているため、申請時などに役所の窓口で確認しましょう。
うつ状態で思い詰めていると、つい魔が差してしまうかもしれません。これは私が医療保護入院となった際に利用しました。
詳細な経過
詳細な経過を書くことはQiitaの本質ではないとは思いますが参考になればと思い記載します。
※後日別サービスに切り出すかもです。
1. 初期
初期症状をまとめると「ミスが増えてきたり、アウトプットの質や量が落ち始めたら」病気を疑い始めるサインかなと思います。休息をとっても改善しない、抑うつ気分や疲れが抜けない等があれば医師の診察を受ける目安かなと思います。空元気なため、かえって仕事が捗るのもこの頃だったりするので、早めに異変に気づけるように普段から体調に目を向けることが大切です。「不安や抑うつ気分が何日も続く」、「眠れない」、「希死念慮」などが出てきたらすぐにでも診察を受けるべきです。
休職2ヶ月前
薄々調子の悪さには気づきはじめたのはこの頃でした。
会話の内容や資料の文字がすっと頭に入ってこないことを感じました。
インプットの希薄さからか新しいタスクに手を付け始めるのに普段より時間を要するようになりました。
集中力はまだあり、特に開発中は気が紛れるので、仕事に打ち込んでいたりしました。
休職1ヶ月前
仕事への影響を確実に感じ始めたのはこの頃でした。
アウトプットに時間がかかるようになり、不注意によるミスが増えてきました。
ちょっとしたコーディングミスと操作ミスが重なってデータベースを破壊する事故を起こしてしまいました。ステージング環境であったため、幸いにも影響は少なく済みましたが、自分のコードを信頼できなくなり、テストやレビューを通すことに恐怖を感じるようになりました。
休職2週間前
アウトプットの質や量が落ちたことにより、叱責されるんじゃないかという恐怖に支配され、Slack の通知が来る度に動悸がしていました。
全部から逃げたくて睡眠薬をOD(過量服薬)して路上で倒れていたところを警察に保護され、翌朝、妻に精神科へ連行されました。この時点で医師から休職を勧められましたが、「職場に迷惑をかけてしまう」、「まだ働ける」、「お金はどうするの」、「休んだら(自分の)価値がなくなる」などの考えがよぎり「考えておきます…。」と答えてその日は帰りました。
2. 急性期
医療機関にかかって日数が経ち、自分の中で症状を受け入れることが出来たためか、急速に症状が悪化してきました。不安や抑うつ状態が強く寝込む日が多かったです。
会話をすることすら辛く困難で、画面や音の刺激で発作的に気分が悪くなる症状が出てきました。
この辺りの記憶はかなり曖昧です。
休職1週間前
初期症状にあった「情報がすっと頭に入らない」状態が悪化して長期記憶がROM(Read only memory)状態となりました。会議で話し合った内容もその場では覚えているものの数時間後には殆ど忘れている状態となりました。
幸か不幸かReadは可能だったので、過去の記憶と資料やメモを頼りにギリギリ仕事ができていました。
また、処方された薬の副作用でとにかく眠けが酷く、就業時間中にもかかわらず横になっていることがありました。一方で薬がないと起き上がることも会話することも困難でした。
休職を決めた日
机の前に座っていることはできましたが、記憶をたどってもメモを読んでも連続的に情報を組み立てることが出来ず離散的に単語が廻って過ぎ去るだけで何をしたら良いのかも何をしているのかも理解できず、誰かにそれを聞く言葉も思い出せず、真っ白な頭で8時間画面をボーッと見つめていました。
この日の夜、妻へ不安や不甲斐なさなどいろんな感情を伝えているうちに過呼吸を起こし、絞り出すように「休職したい」と言い出すことができました。職場への迷惑とかお金のことがどうとか承認欲求がどうとかよりも限界でした。
休職後
休職直後はマラソンを走りきった直後のようにまだ多少の元気が残っており、休めた余裕からかニュースや連絡の確認、外出も可能でしたが、日が経つにつれ抑うつ状態が重くなり、日中は殆ど泥のように眠っていました。
テレビの音やSNSの通知音などで気分が悪くなるため、通知が煩いアプリはアンインストールし、スマホは目の届かない場所に置くようにしました。
あらゆる情報が刺激となり、電車の自動アナウンスやカラフルな広告も刺激となりパニック発作を起こすきっかけとなったので、通院のために電車に乗るときも妻に付き添ってもらって目的地まで目を瞑っていたり、特急を利用したりしていました。
この頃の記憶は殆ど無いです。
3. 回復期
抗うつ薬が効いてきた頃から落ち込みの深さが浅くなってきたような気がしました。
抗うつ薬は効くまでに時間が掛かり、特に飲み始め、飲み忘れ時の副作用があり、訳があり食後に薬ごと吐いて翌日副作用で吐いて寝込むこともありましたが、結果的には飲み続けてよかったなと思います。
まだ回復の過程にありますが、一人で買い物ができるようになったり読書ができるようになったのは回復を確信させてくれて復職への意欲や自信をつけてくれました。
このようにして文章を書けるまでになったのも大きな進歩です。
休職中の過ごし方
小学生の夏休みみたいな生活を意識して実践してみると回復が早まるかなと思います。
家族と過ごすであったり、規則正しく生活するであったり、好きなことをしてみたり、近所の公園を散歩するだったりを徐々にできるようになることが回復の一歩であるように思います。
一人にならない(一人にしない)
自分の場合、家事など身の回りのことが一切できなくなったので、休職中は一人にならない(しない)工夫が必要かと思います。
家族がいるのであれば家族。実家へ帰れるのであれば実家へ帰る、事情があって身内を頼れない場合などは、恋人や友人、ストレスにならない範囲で近くに住む同僚などに訪ねてきて貰うなど、客観的に生活について指導ないし面倒を見てくれる人がいるとセルフネグレクト状態になることは回避できるかなと思います。
また、急性期は思考能力が奪われて書類仕事が出来なくなっている場合もあると思うので、休職届や傷病手当等の各種申請書類の作成を家族に代行してもらったり手伝ってもらったりすることも必要になってくるかなと思います。
生活リズムを整える
生活リズムを整えることは、治癒までの一番の近道かなと思います。
休職した直後は布団から出られない状態になっていたりするかもしれませんが、余裕が出てきたら生活リズムを整え、自律神経を整えると良いです。
当たり前の内容かとは思いますが、私が実践していた内容を記載します。
- 毎朝同じ時間に起きてカーテンを開けて朝食を摂る
- 余裕があれば日中散歩する
- 日付を越える前には処方薬を飲み床へつく
- カフェイン・ニコチン・アルコールなど中枢神経を刺激する物質の使用を控える
- 私の場合お酒は薬の副作用が強く出るのか異常なほどハイになることがあったので危ないと思いました。「この世界はユートピアだ〜!」とか言いながら街を徘徊していたりしたので普通にヤバい人…。
仕事のことを考えない
休職してすぐは、キャリアのこと、やり残した仕事のことなどが気になって落ち着きませんでした。
気になるので、SlackやTeamsは確認していたのですが、1〜2週間ほどしてアカウントがロックされました。情報がシャットアウトされ、次第に仕事への執着や関心が薄れていきました。
ここらへんで初めて心の休息が始まったのかなという感覚はあります。
また、仕事関係の人たちとの連絡は避けたほうが無難かなと思います。
最低限連絡を取らなければならない場面もあるかと思いますが、その際も家族に連絡を代行してもらったり、「病状により返信が遅くなる」ことを伝えた上でメールを利用するのが良いと思います。
罹患者本人への接し方について
家族など身近な人
基本的には会話すること自体が辛いです。
どん底状態の時は思考能力がゼロというかCPU使用率100%
みたいな状態なので、応答なしのウィンドウを操作しているようなものだと思って貰えると助かります。
その状態で話しかけられても音を聞くだけで精一杯か聞く余裕すらないかのどちらかです。視覚的にわかる「今話しかけないで」サインがあるとお互い疲れずに済むかと思います。うちは「髪留めをしている場合」また、本当に余裕がないときに突然話しかけられた際には「「シーッ」のジェスチャーをする」ことで余裕がないことを表現しました。
わがままかもしれませんが「今話しかけても大丈夫?」と一言質問してくれるとすごく楽です。
回復期の他愛もない会話の中でも、判断を委ねられるような場面は辛かったりします。
例)「今晩カレーとパスタどっちがいい?」
自己肯定感が落ちるところまで落ちていて感情もないので決められません。「自分は寝ることしかしていないのに食事を作ってもらってなんて情けないんだ、掃除もしてなくて散らかったままだし、それもこないだ片付けてもらったばかりなのに………(以下無限ループ)」や「パスタの方が作るの楽だよね…でもカレーが食べたかったらどうしよう…(以下無限ループ)」な思考に陥って落ち込むことや、感情がなくて心底どっちでもよい場合など「こんなことも決められない自分って…でもどっちでもいいは失礼だよな…」みたいな思考に陥ることもあるので、判断を委ねるような質問は避けた方が無難かなと思います。確認を求めるような内容であれば比較的負担なく答えられるかなと思います。
例)「今晩パスタ食べたいんだけど、パスタでいい?」
環境面ではちょっとした刺激も辛かったりするので、夜は部屋を暗くするやテレビの音量を下げるなどしてもらえると安心できました。急性期は特に言葉でのコミュニケーションは負担が大きいので、手を握る、横に座る、添い寝するなどのスキンシップが一番安心感がありました。
職場
立場や関係値、ストレス因などにもよりますが、本人と近しい関係の人ほど連絡をしないであげてください。
ただ、心配してくれているという気持ちが伝わるのはすごく嬉しいので人事の担当経由や、家族が窓口であれば、家族経由などで一言添えてもらうような感じだと本人の負担も少ないかなと思います。
業務上致し方なく本人と連絡をしなければならないような場合は、電話よりメールを使用してあげてください。SlackやLINEなど直ぐに返信しなきゃいけない文化が根付いているようなツールは避けてください。
最後に
休職してすぐに「この経験を記事にしたい」という気持ちはあったのですが、気力が湧かなかったり文章を書く能力が低下していたりして叶いませんでした。一生このまま治らないんじゃないかと不安になったりもしましたが、記事にするまで回復できました。
休みたいと言い出すのはとても勇気がいることでしたが、休みなくして快方へは向かわなかったと思います。心は時間をかけて壊れていきますが、治癒するにも同じかそれ以上の時間が必要だと感じました。
会社、家族すべてから叱責されるんじゃないかと恐怖を感じていましたが実際に叱責をするような人はどこにも居らず、病気をきっかけに、色んな人の優しさや温かさを感じ、人に支えられて生きていることを再確認できたのは得られたものの一つでした。自分の気持ちや周りの人をぞんざいに扱ってきたことを反省し、自戒とできるのであれば成長の機会だったのだと前向きに捉えられます。
主観的には強くあることが求められる世の中に見えますが、強くない自分を受け入れられると少しは楽に生きていけるのかなと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。