初めに
私が初めて Linux に触れたのはバージョン 2.2 から 2.4 に切り替わる頃でした。当時は Windows 9x 全盛期で画一的なデスクトップ環境で飽き飽きしていた所に、自由にカスタマイズ出来るX11のデスクトップ環境に感動していたものでした。この頃の Linux は特に進化が激しくて、USBが使えるようになったりDVDの読み込みができるようになったりと、興味が絶えなかったことを覚えています
Linux を始め、それを取り巻くソフトウェアはオープンソースで自由に使えることの可能性に魅力を感じ、いつかは自分もそれに貢献したいと思ってたのです
それから20年程経過して、いつの間にかあの頃の情熱はすっかり冷めきってました
- 仕事が忙しくなった
- 結婚してライフスタイルが変化した
いや、多分そんなことではない。何故だろうと、考え込んで眠れなくなった時がありました
帰りの電車の中でこの記事を見つけました
なぜ“デスクトップLinux”は普及しなかったのか?
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1811/19/news029.html
ちょうど自分も同じことを考えてました。この記事を見るまでは、なぜ流行らなかったのか理由を述べている記事は目にしなかったので、自分の単なる思い込みで、この思いを世の中に発信した所で何になるんだろうと悩んだままで、メモしたままお蔵入りになってました
お断り
一応、本記事に述べることは私個人的な妄想も含まれ、事実に反する事もあるかもしれません。また、所属組織による見解も含まれていません。あまり本気に捉えず、あくまでポエムとして読み流して頂ければと思います。
デスクトップLinuxが流行らなかった理由
よく言われている理由としては
- アプリの使い勝手がWindowsと変わってしまう
- プリンタなどの周辺機器が使えない
- UIの見た目が悪い
などと言われて、普段Windowsを使っていた一般ユーザーが試しに使って見たものの、思うような使い方ができなくて結局戻ってしまったことが挙げられています
個人的にはこれは本質ではないと思ってます。それであれば iOS や Android は流行らないはずで、Windowsスマホが消えるはずがありません。写真加工や動画編集、簡単な文書作成など昔はPCで行っていたことが iOS 、Androidで可能でアプリの使い勝手が変わったとしても、プロ用途でなければ大体使えてます。プリンタなどの周辺機器もスマホに対応したものが数多くあります。UIもAndroidバージョン2の頃はキザギザした見た目の悪いフォントで、いかにもオタク向けな印象だったと思います
だからなぜ流行らなかったか
「ユーザーに寄り添うことができなかった」これに尽きると思います
オープンソースソフトウェア(OSS)が発展した理由として、誰もが自由に開発できる点があります。これは、かつての市販ソフトと同等な機能の物が手軽に使え、開発のスピードが一つの会社で作るよりも早くできるといった利点がある反面、出来上がったものが開発者視点の物になってしまいます
例: vim-jpの議論
vim がファイル末尾に改行文字を勝手に付けていることを最近知りました。検索してみると、同じ事で悩んでいた人がいて掲示板のやりとりを読んでみると、とあるコマンドを入れれば改行を入れないで保存できるとあるのですが、知りたいことは、 他のエディタで普通にできることがなぜ実現できないのか?
ということでした
例: ubuntu の謎なエラー
ubuntu はデスクトップ環境が充実していて、とても使いやすいと思います。しかし、いつの間にか起動時に必ず謎なエラーが出るようになりました
こんなエラー出たら正直怖いです。何度再起動しても現れるんだけど、PC壊れてるの?問題って何を報告するの?個人情報抜かれるの?年賀状をワードで作るくらいのやっと使えるくらいの両親、兄弟には勧められません
- 今でもLinuxを使っている人 (少数派)
- 変わりゆく環境に適応できている
- vi や emacs を使いこなせる
- 使わなくなった人 (多数派)
- 思うように使えないと感じた人
我々が当たり前だと思っている事でも、多くの人は知らないこと
- 「洗えるゆかた」が大ヒットしたらしいけど、服が洗えるのは当たり前
- 「ライザップ」はボクサーの減量トレーニングなので、痩せて当たり前
よく「ググレカス!」と言われますが、一般ユーザーには通用しないし、ドキュメント作っても読まれません。何かトラブルが起きて「コマンド入れて」とか「ログ見て」とか言われても苦痛なだけです。好きじゃないと勉強できないし、解析する気は起きません
ケータイショップの店員が Line や Facebook の設定など手厚いサポートをしていったからスマホユーザーが増えたなんてこともあるようです (根拠は知らないけど)
OSSの意義
上の記事でも挙げられてましたが、結局は「開発者の作りたかった事」と「ユーザーが求めている事」とのギャップがあったことが流行らなかった理由になるでしょう。とはいえ、「OSSなんだから色んな文化があって良いと思う」のが個人的な考えです
ギャップが埋まればそれに越したことは無いと思いますが、多様な文化があるが故に難しいことだと思います
将来的な問題
とはいえ、この先もこのままで良いのか?となると心配な事があります
開発者の高齢化です
最近では、リーナス・トーバルズ氏の休養の話もあるように、OSS開発者の今後が気になる所です。メーリングリストでも訃報が流れたり、身近な所では大学時代の教授が定年になったりもしています
後継者がいないと、折角育ってきたOSSが無くなってしまいそうで、誰もメンテしないまま放置されていくのではないかと気がかりです
開発する人の中には、単に自分が作りたいからという理由でやっていることもあるかもしれませんが、やっぱり、利用者が増えないとモチベーション維持は難しいのではないでしょうか?自由に開発できる反面、続けることに対しての責任はない面もあります。だからこそ継続できる状況が大事だと思います
結局
結論は無くモヤっとした文章だと思います。だからお蔵入りだったのですが、こういった状況の中で、どうなればいいのか、自分は何したいのか答えがないままです
こんなの書いて、誰が読んでくれるんだろうって思いながら、結構な時間になってしまいました。最後まで読んでくれた人がいるならば貴重な時間を使って読んで頂きありがとうございます