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最近のGoogle検索、もといネットの劣化原因の考察 ~「無料サーバで無料SSL?そんなウマい話あるわけないでしょ」が、Webを殺した。~

Last updated at Posted at 2019-03-07

※モーレツに伝えたい事を勢いで書いているので文がまとまってない可能性がござります。悪しからず。ですますの統一もされておりませぬ。ご容赦を。
※Webサイト名は敬称略とさせていただく。
※2019/05/07:記事の内容がWeb全般にわたり、内容がSSL云々だけではなくなったため、旧タイトルを副題とし、新タイトルを付けた。長え。非エンジニアにも読んでもらう為あえて大衆的な語を入れたので、「ネット」と「Web」の厳密な意味の違いとか指摘しないでね。

日本のWebについて日々思ってることをね、ここにワーーッと書いておくよ。

↓以下本文↓

要約、背景

日本の各種無料レンタルサーバが無料SSLに対応しないことが、
世界のWebのSSL化を妨害するどころか、
日本のWeb体験の質低下をも招いている件。(例えば、Google検索結果の質低下。)

だから、無料サーバでも無料SSLが使えようになることが必要なのだ。

むしろWeb上の無料空間が、素敵な文化活動空間としてのWebをかつて支えてきた。
Webは電子版文化祭会場だった。

なのに、今はその形が崩れてしまった。Webは変わってしまった。
昔に比べて栄え、みんな元気ならいい。でも今のWebはそんなじゃない。
Webで元気そうにしてる人の元気さは、みんな嘘くさい。
いいね。シェア。再生回数。バズり。炎上。不寛容社会。インフルエンサー。カリスマ。
こういうのばっか。何これ。
昔に比べて検索結果はイヤな感じ。何を失ってしまったんだろう。

文化だ。文化的なものがさびれてしまったんだ。これを甦らせたいんだ。

そのためには、Webインフラの提供者(レンタルサーバ等)に、
無料であることの大切さを解らせてやらなきゃいけない。

漠然と、原因はSNSなんじゃないか、とも思える。実際、原因の殆どはそうだろう。
でも、レンタルサーバという観点から新しい視点でこれを考えてみたい。

※忙しい方は最後の「まとめ」だけでも読んでね。

夢の無料2コンボ(3コンボ)

2019年3月7日現在。
日本にある無料レンタルサーバに、無料でSSL化ができるものは1つも存在しない。

最近では「無料SSL」を謳うレンタルサーバが増えたものの、
よく見よう。どれも「サーバプラン自体」は有料だ。

「無料サーバ」、つまりサーバプラン自体も無料なサービスは、
いつまでたっても古の技術「HTTP」に依存している。

  • ドメイン代がかかる方法も勿論有料とみなす(独自ドメインは除外)。無料サーバに無料でついてくる初期ドメインがSSL対応している例は、存在しないのだ。
  • つまり、正確に言えば、日本にある無料レンタルサーバで、サーバを使うと無料で付いてくる初期ドメイン無料でSSL化ができるものは1つも存在しない。無料が3つ揃うものは存在しない。
  • 無料独自ドメインなるものもあるらしいが劣悪と聞くため除外。 (2019/12/06追記: 但し、.tkドメインだけは、信頼と実績があるようだ。検討の余地あり。)
  • 2019/04/18 追記2019/05/07追記も参照。

しかし、このようなサービスがいつまでも残ってると、
Googleなど世界中の人々が推し進めたいと思っているインターネットの完全HTTPS化が実現しない。
Webが安全になるためには必要なのに…

きっと、レンタルサーバ側にはこんな風な事情があるのだろう↓

「SSL化は運営にお金がかかる。サーバ証明書には質の良いものと悪いものがある。安く払ってリスクを負うぐらいなら払わない方がマシだ」

「SSLはリッチな技術で、それが有料サービスの売りの1つ。これは無料版との差別化になっている。だから無料サービスではSSL提供してやらない。」

残念。そいつは古い考え方だ。 というか、心の中でF●CK!!!!!

その理由をつらつらと書いていく。

SSL完全無料提供の必要性

まず結論。
HTTPSはリッチなオプション機能ではない。もはや標準インフラである。
そういう時代なのである。

よって、

  • 無料か有料かの差別化の基準に、SSLか否かを使ってはいけないのである。
  • 無料サービスと区別する理由にしてはいけないのである。
  • レンタルサーバーの性能比較表に、「SSLか否か」の項目は要らないのである。売りにしてはいけないのである。SSL化はどのレンサバ社も前提であるべきだからだ。

もっとも、数年前まではSSLはリッチだったからそれがまかり通ってたかもしれない。

だが、今となっては無料でSSL化できるLet's Encryptが登場した以上、
リッチな「オプション」として限定提供されるべきではなくなった。
むしろ、Let's Encryptこそ、そのような状況を打開すべくして生まれたものだ。

HTTPSをいつまでも有料でしか提供してあげないのは、
今や人生に必須になった義務教育を、
いつまでもお金払わないと受けられないようにしているようなもん
なのだ。

日本のWebが失ったもの

そもそも何故、「無料」サーバで、提供される「無料」初期ドメインを「無料」SSL化できること、
つまり「無料」が3つ揃うことに ここまでこだわるか?

それは、それがWebの質維持と発展に必要だと私が痛感してるからだ。

個人サイト(テキストサイトとか)隆盛時代、その大半は危険なHTTPだっただろう。
そして、その運営者の大半は、
お金はないけど面白コンテンツ作ることには本気な、学生や若者たちだったはずだ。
※↑ソース:NHKの「平成ネット史(仮)」と、私自身の体験。

そういうサイト作りに情熱あった人が、
無料レンタルサーバの無料Webスペースに救われていた。

その結果、

などなど…あんなに素敵な文化空間が、Webには生まれた!!!!

しかし今はどうだ。

お金持ちビジネスマンだったり、収益の事ばかり考えてコンテンツの質に力を注がない人が運営するようなサイトばかりが優先的にSSL化されていった
そして、GoogleがSSLサイトを優遇した。

その結果が、これ↓である。

「最近のネット検索、欲しい情報手に入らなくなってる説を提唱したい」
https://twitter.com/riko3_/status/1045933455643561986

個人的経験ではあるが、
このツイートで問題になっているような質の悪いWebサイトはどれも、HTTPSなのである。
検索結果上はSSLサイトが増えてめでたしめでたし、と思いきや、
そのSSLサイトの質が軒並み悪いのである。

※個人的な体験も書く。(クリックで開く)

例えば私はビルとか建築が好きなので、
昔、「スカイツリー 建設現場」とかでググって、日に日に変わる様子を楽しみにしてた。
近くに住んでる方がほぼ毎日写真を上げて、個人的な思いとかを綴っていた。
平和だった。面白かった。良かった。

で、時は流れてこないだ、葛西の観覧車乗ったんや。
隣になんか謎なコンクリート迷路みたいな建物造ってるのが見えて、
あの頃の感覚で「ウオー!!!なんだありゃ!なんの建物じゃ!!!知りたい!見たい!!」
ってあの頃みたいに調べてみたくなったんや。

葛西 観覧車 隣 工事
ダイヤと花の大観覧車 隣 工事
とかでググったよ。
当時の感覚なら、これで情報手に入る。

でもあれ?

Google「施設のご案内」(公式サイト)
Google「ダイヤと花の大観覧車へ行く前に!見どころをチェック - トリップアドバイザ...」
Google「【葛西臨海水族園の楽しみ方完全ガイド】観光やデートにおすすめの情報や...」

オオオオオオオオイィィ!!!!!!!:rage:
なんだこの企業じみた検索結果は! 私的個人空間はどこ行った!!!
こんのトリップアド●イザーてめえ!!!!

ていうかおいおい、みんな、こういうのはもうサイトに書かないんか!?
そうか、最近のみんなは工事現場とか目撃したらまず個人サイトやブログじゃなくてSNSに書くんだもんな… でもどっぷり浸りたい。SNSの浅くて短いページはなんだかなー。

しかも「25年もかけて育てた葛西臨海公園の自然を、5日間のオリンピックカヌー競技のために壊さないで!」的なの引っかかったし。最近のWebこういうのばっかやな。建築まで炎上ネタにしちゃうんかい…。

(それに)

(建設地、元々駐車場・下水処理場・野球場だった場所だから大して自然破壊してないし。国土地理院の航空写真確認しろし。いや、野球場の芝とか端っこの木々とか刈られちゃうのつらいけどさ、まるで敷地内がかつて園内の森のような場所でそれが丸ごと潰されるかのような書き方してて印象操作(後述)もいいとこよね)

そしてなんだかんだ、あれが「カヌー・スラロームセンター」だと判明しーの、
満を持して、今度こそ。建設現場レポ見たい!!!

カヌー・スラロームセンター 建設現場」 っと。

Google「カヌー・スラローム会場の整備状況」(公式サイト)
Google「海の森、カヌー会場は7割完成 東京五輪施設を報道公開...」
Google「五輪会場の工事現場を公開~一部で遅れ | OurPlanet-TV...」

ウウウウウウオオオオオオオオイィィィィイィィイィィイィィ!!!!!!!:rage:
ニュース記事!!!記事形式サイトめコンノ野郎:rage::rage::rage:

個人が書いた建設現場探訪記とかどこ行ったの?! もうそういうサイトって無いの!?!? それともGoogleが載せてくれないの!?!?!?!? なんでこう、記事形式サイトばかりなの!?!?!?!?!? しかもヤな感じのばかり…

記事形式サイトや印象操作等については後述

無料というものが、どれだけWebを発展させる原動力になったことか。
それを軽視し続けた結果が、このザマなのだ。

巡り巡って、私たち自身のWeb体験の質を落としているのだ。
レンタルサーバ各社はこのことの重大さをわかっているのか?

あの頃のサイトを作った人は今どこへ?

お金はないけど、サイト作りに情熱のある人々をWebから追い出した結果。
その殆どは

  • SNS
  • ブログ
  • 投稿サイト(YouT●be、pix●v、カ●ヨム、comi●oとか)

などという閉じた巣に移り住み、こもることになった。

それらは無料で作品(画像や文など)を載せられる上に、
無料で自分の作品をSSL越しに公開できるので、Google的にもよろしい。
作品が検索に引っかかるのでアクセスもしやすい(見て/読んでもらいやすい)。

※しかし、SNSや投稿形式サイトには別の問題がある。(クリックで開く)

SNSや投稿サイトには数値評価通知といった機能があり、それらには特有の中毒ストレスがある。
Webコンテンツ提供者(クリエイター)にとって精神的に良くない。
投稿サイトやSNS一辺倒となったWebは、人々の心共々ますます衰退、orささくれる。
こんなの今時誰もが感づいてるのに、中毒性ゆえにやめない。
↑で「閉じた巣」と言ったのは、この中毒性ゆえ。SNS見出したら他のサイト見に出て行かなくなるでしょ。人によっては「検索」というと「Twit●er検索」を指すようになっちゃった、って人もいるぞ。

ストレス社会の一翼を担ってしまったWeb。そこでは重い作品は避けられやすい。軽いノリの薄い作品か、即効性のある猛烈な神作品が受ける。ただ、神技術は簡単には手に入らないため殆どは軽い作品となる。SNSはそんな気の短い人々にピッタリだ。例えば、LI●Eスタンプの素敵路線の少なさ、シュール路線の多さよ。質の低下、というか、作風の偏り。

光る腕を持った一部クリエイターか、Web(ネット)から適度な距離を取って心を落ち着かせることに成功できた一部の人だけが、コンテンツの質を維持できる。多くの素敵なイラストレーターがTwi●terから垢を消してきたのも、その例だ。個人サイト時代なら、数値なんて付かなかったし、耳を傾けなくてもいい余計な声や意見は無視できた。自分らしくいられた。アンチが沸いてもそれは2●hとか別サイトに沸くことが殆どで、そのサイトを見さえしなければよかった。SNSは自分に直接通知される。通知切っても、自分の作品表示欄の直下にコメントが一緒に表示されることが殆ど。どうしても目に入ってしまう。コメントなくてもいいねRT数は消せないし、不安も残る。

ブログも、フォロー機能とかブログランキングとかいうものがあり、SNSや投稿サイトと似た現象が起こっている。ブログは雛形に書き込むあたり文投稿サイトとも言えるし、アフィリエイトなんてのもあるから、「収益の事ばかり考えてコンテンツの質に力を注がない人」の温床にもなっている。記事ばかり量産して、調査不足の間違った内容を掲載しても、アクセス多ければそれでよしとかザラである。質のいいブログも多いけど、検索結果があれだけ偏るほどに悪いものも多いのだ。

※正確には、SNSや投稿サイトは、ユーザが増えすぎた場合に↑のようになるのであって、ユーザ数が少ないうちは、質の高い個人サイトと同じような性格を見せることが多い。初期のTwit●erもそんなだったようだ。投稿サイトが小さければ、ユーザは、不特定多数という名の魔物の相手なんてしなくてよい。より少ない相手と節度のとれたコミュニケーションができ、精神的にも落ち着くので、投稿者も作品制作に打ち込め、結果的に質が維持されるのだ。人数少なく濃い集まりは、個人サイトの独りに比べて居心地が良い。SNSや投稿サイトは、本来それが欲しくて開設されたもののはずだが、ユーザが増えすぎるとその役割は破綻する。当初はマニアックなネタを内輪で楽しむ愛されし某2525動画も、ニュースやら政治やら「メジャー」(←→マニアック)なものに首突っ込みすぎたがために、ユーザ離れを起こしている。とにかくWebサイトというのは、「何でもポータルサイト」を目指してはいけないのである。創設時に欲しかったもの、テーマ、ジャンルを見失ってはいけない。

※2019/4/23追記:Instagramがいいね数の公開をやめることを検討しているらしい。Instagramはとても賢いと思う。英断。まだ決まってはいないが、Webコンテンツの質問題やSNS精神被害問題にプラスになるに違いない。これを嫌がるような人は、(後述するが)Webを発言力や影響力・資金のために使いたがるような人間のクズだけだ。

ざっくり言うと、SNSや投稿サイト・ブログは、人々の精神を病ませ、これが結果的に上記Web衰退の後押しをする。
そしてこの衰退が、ビジネスサイトを蔓延させるスキを与える。 スキだらけである。

レンサバ的原因(SSLに手が届かないクリエイターをSNS等に追い込んだこと)が量産サイト蔓延に繋がっただけでなく、
SNS的原因(SNSが精神衛生や色んな意味でよろしくない空間であること)も量産サイト蔓延に繋がっているのだ。
ニワトリか卵か、双方の原因が互いに働き合い、負のスパイラルである。

ゲルマン人もびっくり、Web民の大移動(大偏動)

表現力は素敵なのに、SSLに手が届かない(レンサバ各社によって手を届かなくさせられた)クリエイター達を、
広いはずのWeb全体から、SNSや投稿サイトという偏った空間に追い込んだ事。

入れ替わりに、
それで空いた空間をチャンスとばかりに埋めに来たビジネスサイト、記事量産サイト。

日本のWebが、なんだか良くなくなったなーと思う原因は、大体こういうところにあるんでないか??

見事にWeb民が大移動。偏り、層が入れ替わってしまったよな。

「このサイト、今時SSL非対応かよ」と言う前に

どうやら外国では日本の↑のようなことがあんまり起こってないようだし、
セキュリティ的にSSL化は推奨されるべきなので、Googleは悪くないのだよ。SSL化は時代の流れだ。
まあ、Googleが日本のWebのこういう特殊事情を知らず、日本のレンサバに強く働きかけることなく外国同様にSSL化強行しちゃった点は、Googleにも非があるけども。

SSL化できていないサイトを責めてはいけない。
質がいいのにSSL化してないせいで潰れていくサイト。SSL化したいのにできない。彼らは被害者だ。
後述するように、Webは文化祭会場であり、趣味や出し物の感覚でサイトを運営したい人々がいるのだ。
むしろ、そういう人々のおかげで、Webはかつて栄えたのだ。

出し物や創作活動は大抵、利益度外視である。これは、コミケなどリアルの同人活動においても同様だ。殆どの創作サークルは利益度外視で冊子やグッズを販売している。創作活動そのものが好きだからだ。
趣味や文化を大事にするというサイト運営方針にとって、お金をかけるというリスクは選択肢にできないのだ。

(1度きりの支払いならまだ耐えられる。同人誌印刷に払うお金は出せる。でも、SSLサーバは毎月お金がかかる。サイトが続く限り永遠に払い続けなきゃならない。そんなの選択肢にできるはずがない。)

HTTPサイトの運営者は、世界のWebのSSL化を妨害したくてしている訳ではないのだ。

本当に妨害している、一番悪いのは…
レンサバ各社、お前やーーーーー!!!! (某Flashボイス)

日本で無料サーバ運用している各社。
X●REE(旧Xd●main)、FC●無料ホームページ、忍●ホームページ(無料版)…
どいつもこいつも Chrome「保護されていない通信」。
各社とも考え方が古い。

無料サーバプランでも無料SSL始めなさい。

さっさと始める!はい!!
コスト?Let's Encrypt使えや!
古いサーバの設定全部直すの面倒? じゃあなんで広告表示方法とか各種無料サーバ仕様変更の手間は惜しまない?
無料サーバの提供自体やめちゃいたい? Webの文化衰退の話聞いてた?そもそもなんでこれまで無料で提供してきてくれたの?SSLはインフラなんだよ。豪華オプションじゃねえ。逃げんじゃねえ。

ゴホン…すみません。

※2019/05/07追記:どうやら忍者ホームページはサービス全体がSSL対応してくれたらしく、無料版の無料初期ドメインでもSSLできるらしいが、使ったことないので言い切れはしない
静的コンテンツ限定なので、スペック的にはGithub Pages(後述)と同じ括りか

※2019/10/02追記:どうやらFC2の無料版もSSL対応してくれたらしい。案の定忍者と同じく静的サイト限定。元々XF●EE向けにこのQiita書き始めたとこあるからXF●EEは相変わらずですねって感じ

「Webサイト制作」という行為は、創造的キャンバスから、ビジネス的専門職へと変わってしまった

Webの隆盛は、Webサイト制作によって支えられてきた。
そもそも、Webはサイトの集まりなのだから。
それなのに…

かつては

「Webサイト制作は、情熱さえあれば素人個人にも作れ、素人にも敷居が低く、しかも文化的に栄えている!Webは誰でも参加できる文化祭!」

こんな風潮だったはず。が、今では

「Webサイト制作は宣伝や金のやり手かビジネスマンが担当する専門職で、金銭やりくりの素人はオリジナルのサイトなんか作らず既存の投稿サイトかブログかSNSへGo」

なんていう風潮に変わってしまった。これが上記の文化的衰退あれそれに繋がる。

日本のWeb上の文化、コンテンツの栄枯盛衰は、貴方達レンサバ各社にかかってるのだよ。
文化の土壌背負っているという自覚を持ちなさい。

Webは電子文化祭会場

Webはビジネス現場だけではない。Webは文化祭でもある。個人的にはそう思っている。そうであってほしい。
(むしろ、人生自体が壮大な文化祭では?)

今でも、当時のようなWeb隆盛魂を感じられる素敵サイトが幾つかある。なくなった訳じゃない。 このニッチな感じが好きなんだ

※注(クリックで開く)

※この混沌Web時代に、ぜひ知名度の上がってほしいサイトであり、幾つか名前を敬称略で挙げさせてもらっている。Qiitaには建設的な議論を愛する真面目な方が多く、これらサイトの運営者に迷惑をかけないものと信じている。
※なるべく幅広く選ぼうとしているが、サイト選びには知名度の限界や一個人の趣味嗜好が混入することはご容赦を。参考までに。 これが全部じゃないし、人によって好きなサイトは違う。それがいい。↑は私にとっての例なのだ。
※日本のWebについての話なので、海外サイトは挙げない。

だがこれらは、その魂を貫くために、または善意で、SSL化という有料ハードルを頑張って自前で超えたか、素敵な有志達の寄付によって存続しているものが殆どだろう。中には、未だにSSL化できていないものもある。

日本のWebの歪みというハンデにありながら、それらサイトは頑張ってくれているのだ。アフィ優先とか質の悪い量産サイトの管理に明け暮れる人々の多い中、頭が上がらない。
炎上による閲覧増加を目的としていない点も、好印象だ。本当に楽しい(好きな)空間をWeb上に作りたくて、または支援したくて、作っている所がステキなのだ。愛を感じるのだ。(ぉ

一方、

のような、SNSや投稿サイト(コメント欄)・記事作成(後述するが、SNS民は記事との距離も近い)との相性の良いサイトばかりが賑わい、Webの人の流れは極端に偏っている。

これらのサイトも質が高く、面白いがゆえに賑わっているのだから、サイト自体には何の問題はないのだが、
これらのようなSNS親和サイトはどれも、軽いノリでも楽しめる薄い内容を扱っていることが多い。例えば、短い入力に対し短い出力をするジェネレータ系・大きな作品を時間かけて表現するのではなく小さな表現の蓄積系など、そのタイプは画一的だ。
(※マシュマロは、文化活動している小さな作家さんにもファンの声を届けたいという素敵な願いで出来たサイトなので方向が違うが、SNS民との距離が近いという点でここに書いている)

前述のように、SNS民は軽いノリのコンテンツしか消費したがらない。よって、このようなサイトは絶好のSNS民ホイホイとなった。

これによって、
SNSで扱いづらい話題ジャンルのサイト、つまり、軽いノリでは脳で読み取り切れないような、どっぷり浸る系のサイトの存在を、人々が忘れかけているという問題が起こっている。
(たとえ存在を知っていたとしても、アクセスを殆どしないのでは、知らない人とやってる事は同じである。)

でも・・・!!!

SSL化とサーバ代の無料化で、サイト運営負担を少しでも軽減できれば、
またあの頃のような大小クセの強い面白サイトだらけのWeb(=文化祭)が実現できるはずなんだ!

Googleのハンデを抜け、量産アフィサイトやビジネスサイトを追いやってやろうじゃないの!
魂があるのに、SSL化したくてもできない弱小サイトがごまんとあると思うともったいなさすぎる。

ていうか、「一億総活躍社会」とかいう言葉作っといて、こういうの支援する気さらさらないどころか知る気もない国会のオッサン達なにやってんのほんと。一億総活躍ってまさしくこういう文化活動でしょ。素敵なサイト作って活動してるのって、殆どが学生や有志達で、ビジネスマンなんかじゃないよ。お金儲けじゃないっつーの。ていうか文化活動が元気になって初めて、生きてよかった、とか心が元気になって、それが少子化も食い止めたりするだろうし、文化って本当に人間の存在意義だよ。政府もこういうとこの知見積んでよね。レンサバとかに圧力かけてよね。

かつての文化祭来訪者は今どこへ?

Webはかつては盛大な文化祭会場で、今でも一部のサイトは前述のように文化空間をWebに構えている。本当に素敵なことだ。

しかし、素敵サイトへのアクセスが昔よりも少ない感はぬぐえない。では、昔は来ていたが今は行方をくらました訪問者は、今どこへ何を見に行っているのだろう。

あの頃のサイトを作った人は今どこへ?」で述べた通り、
作品(コンテンツ)を作って提供する側の人々(生産者)は、SNSや投稿サイトへ流れていった。
では、文化的サイトへ作品を見に来ていた側(消費者)は、どこへ消えたのだろう。

・・・もちろん彼らの行先も、殆どはSNS(や投稿サイト)と、その拡張たるSNS親和サイト(診断メーカー等)だ。
(但し、生産者と違い、消費者のアカウントの殆どはROM専垢や日常垢だろう。bio欄(自己紹介欄)に、「好きな○○をただひたすら眺めるだけのアカウント」などと書いてあることが多い。)

つまり、作品を作る側も見る側も、共々、SNSや投稿サイトにいることになる。こうして、Web民の大半がSNS民となったのである。本来、Web民とSNS民は違うものを指していたが、今はもはや、「Web(インターネット)をやっている人間≒SNSをやっている人間」と言えるほどにまでSNS空間が巨大化してしまった。うん、知ってた。

でも実は、他にも行先がある。

もちろん、昨今のWebの惨状を憂いてインターネット自体を辞めた人々、つまりWebの外へ消えた人々もいる。しかし、それとはまた別の行先もある。どこか。

記事形式サイトである。
ビジネスサイト、記事量産アフィリエイトサイト。
つまり、資金力でHTTPS化したサイトである。
文化隆盛のためではなく、資金や名声(影響力、発言力)のためにHTTPS化したサイトである。
本当はこんな汚い言葉を使いたくはないが、人間のクズ共のサイトだ。彼らは文化祭キラーだ。

話が繋がっただろう。これは、「日本のWebが失ったもの」「Web民の大移動(大偏動)」で述べた話に繋がる。資金の力は恐ろしいほど絶大で、あれほどまでGoogle検索結果を占領する。そんな化け物みたいな規模のサイト群に、Web民が流れ込まないはずがない。

コンテンツ制作側(生産者)がSNS(投稿サイト含む)に流れた一方、
コンテンツ閲覧側(消費者)は、SNSと記事形式サイトの双方へ流れたのだ。

制作側は、不用意に自分の作品や自分自身の事を他人に報道されたくない(語られたくない)ため、記事サイトに対してある程度警戒心を持っている。そのため、記事形式サイトから距離をとることが多い。
しかし、閲覧側は無知だ。自分が作品を作らないだけに、記事サイトに自分の事を報道された時のことを考えてないのだ。そのため、記事サイトへの警戒心が薄く、記事サイトを見に行ってしまう。そして、言いなりになってしまうのだ。

さっき、記事形式サイトの主を「文化祭キラー」と言ったが、なぜ、キラーと言えるのか。
それは、ノリの軽いSNS民を操るからだ。
Web民の大半がSNS民であり、それを操るのが彼らだ。
Web自体を操ってるようなものだ。

何度も言うが、SNS民は「ノリが軽い」という特徴がある。

SNS民の「軽い」というのは、「深く考えない」「脳みそをあまり使わない」という意味でもある。そのため、感情に訴えかけ思考を放棄させるような扇動的な投稿も絶好のSNS民ホイホイである。

そういうコンテンツの温床こそが、資金力でゴリゴリ記事量産する記事形式サイトなのである。例えば、企業のニュースサイトや、個人運営のアフィリエイトサイト、カリスマブログなど。もちろん、文藝s[検閲]やニコニ●ニュース、各種キュレーションサイト、WELQやヘルスケア大学等自称健康情報サイト(健康の不安を煽る点で扇動的と見れる)もその1つ。Qiita界隈では、侍エンジ●ア塾とかいうドクズヘドロも有名だろう(プログラミング初心者を不安に陥れ入塾を煽る点で扇動的と見れる)。

こういうのはWebが出来る前から既にこの世にあったが、主に紙の有料雑誌や新聞だったため避けることが出来た。しかし、SNS民という軽い人々に支配されたWebに、無料で放たれたそれらが、広まらないわけがない。そういうサイトは、前述のように炎上(バズり)による閲覧増加(による収益増加)を狙っているため、今後も記事の更新やSNSへの発信をやめないだろう。情報の真偽を確かめず勢いで大挙して味方に付く(or敵に回る)SNS民は、彼らにとって美味しいのである。フェイクニュースだって同じだ。

※また、前述の「SNS親和サイト」(既存のSNSをベースにして拡張したようなサイト)には「軽い内容が多い」と言ったが、それのみならず、扇動的投稿の温床となっているSNS親和サイトもある。その典型例が、Togetterだ。タイトルからして煽る気満々の投稿ばかり、コメント欄でも喧嘩ばかり。問題解決のための議論と喧嘩をはき違えやすい空気が、サイト内には根付いてしまっている(議論と喧嘩の違いについては数段落後に後述)。

お金の為なら、人々の心を荒ませてもお構いなし。なんという無情だろう。彼らは人でなし。

最近のニュース記事サイトは特に酷い。
最近ますます、ニュース記事のサムネイルが人の顔写真ばかりになってきているような気がするのは私だけだろうか。いや、絶対増えている。
人は元々顔に強く反応する本能(顔ニューロン)があるから、風景写真や乗り物のサムネよりも政治家やタレントの顔写真の方がリンクが踏まれやすく、炎上の素質がある。それを分かって堂々とサムネ作ってるあたり、本当に醜い。また、タレントが結婚しただの、社会全体で人関連の話題ばかり挙がっているのも原因だろう。例えば「新発明」「新発見」のようなサイエンス技術的なニュースが少ない。前述のアストロアーツのような、人以外のロマンを追ってくれる良質な記事サイトが恋しい。

(というか、最近は「L●NEニュース」にしろスマホ版Chromeの「おすすめ記事」にしろ、アプリレベルでもどんどん記事出すようになってきて本当にやめてくれって感じ。Twit●erのモーメント(現・「話題を検索」)だって、あれ絶対Twit●er内にニュース記事サイトを作るために実装したやつだ。モーメント1つ1つが記事だ。アプリ提供大企業まで、むしろ大企業こそ、ニュース記事大好きなクズなのだ…なんてこった…)

TV(テレビ)も同じように人関連に偏ってクソ化してきていて、文化趣味的なロマンをくれるのはサイエンス系N●Kスペシャルとかマツ●の知らない世界とかブラタ●リとか月曜か●夜更かしとか、数えるほどしかなくなってしまった。かつては文化的で面白かったはずのナニ●レ珍百景も、いつの間にか人間ドラマばかり取り上げるようになった。旅番組も、旅先の良さよりも誰が旅するかのキャスティングばかり重点を置くようになっている(※ブラタ●リが例外的に良いのは、番組内ではキャスティングはサブで、メインはあくまで旅先の良さをしっかり捉えてどっぷり浸らせてくれる内容だからだ。タモリさん自身が良質な文化趣味人であることも大きい)。 どうしてこう、人関連ばかりになったかな。まあ原因は察しの通りクソサイトと同じで、いいものが作りたいからじゃなくて見てほしい(バズ/視聴率)がために作るようになったから。そりゃTV離れるわ。ネットも同じくらい汚染されてるけど、ネットはこっちに選択権がある以上、素敵サイトを見に行くことができる。だからこそ、まだWeb文化祭が蘇る可能性があるのだ。そのためにこのQiitaを書いている。TVは放送側の一方向のため、このようなことは実現できない。

※ニュース記事サイトがいかにクソなのかは、後ほどクラウドファンディングの章でまた触れることになる。

情報だらけのこの時代、ネットリテラシーとしてよく言われる教訓、
「受け取った情報が正しいかどうかを自分の頭で考え、取捨選択しなさい」。

増殖するクソ記事サイトから脳を、文化を守るには、この教訓が欠かせない。
しかし悲しいかな、この世界、これを実践できている人はどうやら少数派のようだ。殆どの人はこれを知ってても、実践できないのだ。「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」も、概ね同じような意味だ。
せっかくの情報選択権だ。TVは選択できないが、ネットは選択させてくれる。それを活かさず流されるだなんて、TVと同じだ。勿体ない。

この「自分の頭で考え」っていうのが大事で、例えばレビューサイト(星付けるやつ、評価3.8、★★★☆☆みたいなやつ)なんかも同じことが言える。レビューサイトも言ってみれば「評価」の「投稿サイト」で、自分の頭で考えないSNS民は「他人がイイ!と言った映画しか見たくない」「多くの人が称賛してる店にしか行きたくない」ってなる。みんながみんなそんな情報の選び方ばかりしてるから、レビューサイトやら記事サイトやらばかりが栄えて文化的サイトが寂れる。その向かいにあるリアルの文化活動そのものも寂れる。それに、見たり書いたりした人の精神も貧弱になる。「評価」という名の皮を被った私怨だったりするし。あれは参考になるから大事だが、マジになって見たり書きこんだりしちゃ駄目だよ。自分でその映画を見なきゃ、自分で店に行かなきゃ、分かんないだろ!せっかく素敵なのに、みんながレビューサイト基準で考えてるから知られることなくor一部のアンチレビューで誤解されて潰れてく店とか解散してくグループとかがある。レビュー第一じゃなくて、あれは補助であって、自分自身の嗜好を頼りに「開拓する」っていうのを覚えてほしい。

※この「自分の頭で考える」というのは、「自己決定感」というれっきとした専門用語にもなっている。学術的な研究もされているようなので、調べてみるといい(但し、自己啓発まがいのクソサイトをたくみに避けながら調べなければならない)。「やりたいことを自分で決めた」感、「好きなものを自分で選んだ」感。自己決定感の欠如は、SNS疲れ等精神的悪影響だけでなく、実は肉体的健康にも関わるようだ(ソースはビジネスめいた記事サイトのため、半信半疑でかかっても良いが、参考にはなるだろう。但し、周辺の「新着記事」「アクセスランキング」等は一切見ない事。クソ記事のオンパレードだ。本文だけを見よう)。

※おそらく、Web黎明期(1990's~ゼロ年代)にはこの辺のリテラシーをわきまえてる人が大半だったからこそWeb文化が栄えた、とすら言えるかもしれない。扇動的雑誌や新聞、他人の評価(レビュー)などに踊らされるような低俗な人々がまだWebを使っていなかったからだ。

※方向は間違ってなくても、極端に誇張された情報も嘘の一種である。
(Qiita民なら聞いたことがあるかもしれない「JSON風評被害騒動」も、JSONが誇張された情報によって風評被害を受けた例の1つだ。危うく、無知な大勢のSNS民によってJSONが悪者扱いされるところだった。エンジニアからすればとんでもない話。情報発信元に悪気が無かったとしても、日本語のワードチョイスが誤ったイメージを植え付けた。初耳の方は、「JSON、気味の悪い、聞いたこともない拡張子」でググるといいだろう。但し、「JSONの風評被害という過ちを繰り返さないために、JSON騒動について知りたい。そのためには、ググるしかない。でも、ググると記事サイトばかり引っかかるからググってもカス」という、盛大な自己矛盾と皮肉がもれなくついてくる。)

また、いわゆる印象操作も誇張情報の1つだ。(クリックで開く)

例えば、「The Cove」という映画が日本の捕鯨文化を悪いものとしてかなり印象操作した件があったが、韓国の犬食を「犬を虐待してから食べるとんでもない風習」とか言って批判している日本人もいる。両者ともやってることは同じで、印象操作を通して感情を煽りたいだけだ。解決する気などさらさらない。本当に問題を解決したいなら、印象操作や扇動なんていう方法をとらずに、話し合いをするだろう。

※↑ここで扇動的テーマの具体例が今ちょこっと飛び出したが、捕鯨とか犬食の件を読んで、ちょっとでもイライラ…ってしちゃったそこのあなた。駄目だ。怒ってはいけない。感情に流されるな。今さっき、扇動話題にすぐ飛びついて騒ぎになるSNS民の過ちを教えたばかりだろう。
 こういうのは大抵、専門家(例えば捕鯨や食文化・民俗学者等)だけが向き合っていればいい話題だ。このQiitaの読者の大半(執筆者含む)は、部外者だ。すぐ怒るような、しかも専門知識を持っていない民間人は、首を突っ込んではいけない。冷静に考えられる人だけが、喧嘩ではなく話し合いで解決していくべき話題だ。
 冷静な人は、自分の意見を持っている。自分の意見を持てるからこそ、話し合いができる。感情に流される人は、他人が仕向けた怒りの火種に綺麗に乗っかって敵味方についているだけで、そうして得た意見は自分自身のものではなく、火種を蒔いた人のものだ。そういった人は、喧嘩はできても話し合いはできないのだ。そういう場合、あなたが自分の意思で怒ることを選んだのではなく、他人に怒らされているということに気付こう。「議論」という便利な言葉があるが、これと喧嘩をはき違える人が多い。議論しなさい=喧嘩してもいいということではない。「話し合い」ができる=自分の意見を持っている=他人の扇動で感情が高ぶらない冷静さを持っている人だけに、参加権がある。そういった参加権を持つのは大抵、その問題に普段から取り組んでいる専門家だ。

扇動的な話題に首を突っ込みたくなったら、こう言い聞かせよう。
「本当に私は、この話題について当事者なのか?」
当事者ならば、その話題について頭に浮かんだ意見はあなた自身のものだ。それならば、首を突っ込んでもいいだろう。しかし大抵の場合、あなたは部外者だ。それは他人が言った意見だ。他人が書いた記事だ。他人が作った会社にしぶしぶ所属しているだけだ。立ち止まってよくよく考えてみれば、自分の人生にとってどうでもいいことがわかるだろう。貴方が捕鯨イベントの主催者だとか、鯨料理が大好物だとか、その専門店の経営者とかでない限り。
自分にとってどうでもいいことがわかったら、こう言い聞かせよう。
この件に関しては部外者だ。」
この世に飛び交う言説は大抵、首を突っ込まなくていい事案なのだ。

 それでも、「これは絶対に自分が当事者だ」と言い張りたい時があるだろう。そういう時は、占いのカラクリを思い出そう。占いで、あたかも自分自身に当てはまるかのように感じられる有名な心理効果がある。意見を書いた扇動主は、占い師と同じようなテクニックを使って、あなたを当事者だと思い込まさせている場合がとても多いのだ。
何度でも言おう。この世に飛び交う言説は大抵、あなたは部外者だ。

 例えば、総武快速線が人身事故で止まったとして、SNSや扇動サイト上で「人身事故を起こされた家族の気持ちにもなってみろ」「人身事故なんか起こさずに勝手に一人で自殺すればいいだろ」「迷惑なんだよ」と感情に任せた書き込みが飛び交ってるとしよう。この時貴方は総武快速線ではなく、京成本線のユーザーである。いちいち怒ってたらやってられないし、部外者であるはずの他線ユーザーがいちいち首突っ込むから、必要以上に事態が深刻化し、かえって社会が殺伐とするのだ。それに、その人を自殺に追い込んだ遠因が、みんなで人身事故についてブイブイ言う社会の風潮にあるかもしれない。本当に人身事故を無くせる実力を持つのは、専門家だ。専門家は、喧嘩をせずに話し合いをする。JR社員という専門家は、人身事故に対して怒るのではなく、「人身事故を防ぐにはどうしたらいいんだろう」と話し合って色んなジャンルの専門家と相談して、ホームドアを作ったり、青いライトを設置したりする。精神医学や有志の専門家は、自殺志願者の心の世界に寄り添って、そもそも自殺したくならない社会はどうすれば作れるかを本気で考える。専門家は、怒るのではなく、解決のために行動する。 だったら、専門家に任せようではないか。 私たち民間人は大抵、部外者なのだ。私たち民間人は、本当に人身事故を無くせる実力を持たず、怒ることしかできない部外者なのだ。むしろ、怒ることでかえって事態は悪化する。だったら、怒らずに各々の自分の人生を悠々と過ごしている方が遥かに有益だろう。(このような、「"問題解決"ではなく、"悪者作り"という無意味な行動に走ってしまう」ことをスケープゴートというらしい。)

※まったく同じことは、外交問題にも言える。外交では、この「話し合い」を「対話」と呼ぶことが多いが、殆ど実現できていないだろう。大半の外交が、「やられたらやり返す」「敵を潰し味方を守る」という原始的でSNS的な思考回路の事しか行われていない。「経済制裁」で「やり」、「ミサイル発射」で「やり返す」。核開発に一緒に反対してくれる「味方」国だからという理由で、その国の企業を「優遇」する。「報復」「経済協力」とかいうそれっぽい大人語が使われることが多いが、結局は単なるやり返しとか味方守りのことだ。「バーカ!」「バカって言った方がバカなんだよバーカ!」とか、「パパはお菓子くれたから好き。ママはお菓子くれないから嫌」とかいう小学生の会話と同じくらい低レベルのやり取りしか、外交では行われていないのだ。せっかく「思考」できる能力を持つ高等生物なのに、それを放棄し、感情に流される獣へと退化している。表面の言葉遣いや振る舞いだけ大人語でそれっぽく誤魔化されているが、中身はただの「やられたらやり返す主義」「敵だから潰す、味方だから贔屓する主義」でしかない。野生の獣と同じ思考回路だ。よく使われる「牽制」という大人語も、ただの威嚇。「遺憾の意」も、対話と歩み寄りを放棄し、ただ嫌悪の感情を示しただけ。獣でもできることだ。 人類は全く学べていない。「やられたらやり返す」という最も愚かな方法に、一番頼っているのだ。生物として低水準で原始的なコミュニケーション方法しかとれていないのだ。
 SNSによりあまり頭を使わなくなった人々は、IS●S過激派組織のサイトの演出に流されてメンバーになるとか、みんなの扇動の勢いにのまれてEU脱退選んじゃうとか、某トラ●プ大統領を選んじゃうとか、人類の思考回路が世界的にSNS化していて非常にまずい。
 (話は逸れるが、これでは、高度文明を持った宇宙人が地球を発見した時、獣しか住んでいない星と見なされても仕方ない。個体1つ1つ(=一人ひとり)のレベルでは、何体かが高水準な思考と対話を実現できていても、ヒトという生物全体の振る舞いとしては、宇宙から見ればライオンやハイエナ、虎などと同類の生物にしか見えないのだ。恥ずかしくないか?いい加減、個々の自分の頭で、有益な思考をしてほしい。全員がそれを心がければ、過激派も、行き過ぎたナショナリズムも対立も、外交問題もなくなり、既存の国は地域でしかなくなり、地球全体が1つの文化国になり、人類が文化に力を注げるようになるだろう。)
 政府や偉い人同士の仲良し関係が、そのまま国民同士の仲良し関係だと思い込んでる人も多いが、本当に愚かなことだ。たとえA国政府と自国が緊張関係にあろうが、A国政府が非道な事をしようが、それでA国人の友達が政府と同じく非道な人だということにはならないし、自分との友達関係や文化交流とは無関係だろう。自分は特に捕鯨について考えもこだわりもないし食べてもいないのに、「捕鯨賛成国に住んでるから」という理由で外国人の友達から絶交されたら心外だし、理不尽だろう?そういうことだ。「A国人だから/A国人じゃないから」という理由で仲良くする人間を選ぶのは、「黒人だから」「男/女だから」などといった理由で人を選ぶのと同じくらい愚かだ。文化人は、例えば素敵なイラストレーターがいくらA国にいようが、その人の作品が好きならばその人のことを尊敬するし、交流する。果たして、それを見て「A国人なんかと友達を作るな」などとぬかす馬鹿がいていいだろうか?そういう人間のクズが本当に多いのである(うちの父とか)。多くの人がそんな考え方するから戦争も差別もなくならないし、文化も衰退するんだろう。本当に他人に流されすぎる。
 外交問題をふっかけてくる人間は、文化人・文化コミュニティにとってはそれこそ部外者なのだ。政教分離の次は、政文分離だ。若者はそれを望んでいる。だから中国にも韓国にも、若者の間でボカロや同じ趣味のイラスト、音楽などのファン層が出来ている。中国や韓国は、大切な文化仲間のいる場所なのだ。bilibili動画も、「ニコニコ動画のような素敵な文化空間をぜひ中国にも」という有志によって立ち上げられたサイトだ。あんなにありがたい縁のある素敵な文化国を、腐った扇動活動家の意見1つで誤解し、向こうの国にいる文化的誠意や熱意を踏みにじるなど、許されることではない。かなり後で後述するが、昨今の「ニュース」というものは、政府や偉い人同士の仲良し関係を見せつける洗脳機へと成り下がっており、文化人は「ニュース」というものから距離をとっている。

惑わされてはいけない。自分を捨てるな。


Web民の大半がSNS民となってしまった昨今。

・・・このようにして、
Web民の大半が、SNS親和サイト(診断メーカーとか)か、資金力でゴリゴリ記事量産するクソサイトのどちらかしか見なくなってしまったのだ。
SNSを本拠地とし、そこからの行先として、「SNS親和サイト」と「記事サイト」の二択しか足を運ばなくなったのだ。

SNSと親和サイトを行ったり来たり。SNSと記事サイトを行ったり来たり。
なにこの不毛な二択。

Web文化祭は、こうしてSNS勢に押され、衰退し、破壊された。

※これをリアルの文化祭会場で例えるとこんな感じ。(クリックで開く)

初めは文化祭の敷地内は出店であふれ、訪問者も多く、多くの作品が生まれたり出逢ったりしていた。しかし、敷地の周りに高層ビルやタワマンが建ち始め、四方を囲まれる。日陰になった文化祭会場。いつの間にか、かつての来場者は四方のビル群へ流れ、会場は閑散とした。

そんなところに、立ち退き宣言が出された。文化祭会場を潰し、敷地を再開発したいと言うのだ。付近住民や通勤民のために、大型モールやオフィスビルをここに建てたい、と。こうして、文化祭の出店側は渋々立ち退き、会場跡地には、七本木ヒルズという大型複合施設が建った。そこは、新しい街の一部として溶け込んだ。

立ち退いた文化祭出店者は、臨海部の埋立地に新しく建てられた巨大ホール、“大エスエヌエス国際展示場”への引っ越しを促された。確かにそこは栄えていたが…空港も近く、国際展示場なだけあって、外国人も多い。というか外国人が出店規制を行っている。誤BANされそうだ。しかも人が多すぎる…殺伐としすぎていた。有名どころばかり大挙して押し寄せる客。私の出店ブースは空いていたが、私の隣が大物サークルらしく、私のブースの前の通路を、隣のブースの長蛇の列が塞いでいた。私のブースへは物理的にも行きづらくなった。ここは確かに来場者は多く、栄えてるように見える。でも、これまでの私設文化祭のお客さんと違って、ここの客たちはマナーというか、空気が悪すぎる… まるで無法地帯だ。

聞いた話だと、あの跡地に建った七本木ヒルズは栄えてるらしく、ここの客も、「このイベントが終わったらみんなで七本木ヒルズのモールに行こう!あそこ写真映えするし、高いけど素敵なカフェ一杯あるんだよ!」とか言ってる。平日は七本木ヒルズの社員、休みはここに来る、なんて人も多いようだ。

なんというか、どうしてみんな同じ場所にばかり大勢で行くんだろう、と思った。七本木ヒルズのカフェは確かに素敵だけど、巨大企業が大金払って有名カフェブランドと協力したんだよね。そりゃそのブランドも手を抜かなかっただろうけど、元から有名じゃん。七本木ヒルズに行かなくたって、そこらの小さな街にも、無名でも素敵なカフェはいっぱいあるよ。私も昔は私設文化祭っていうのをやっててね、そこにも素敵な個人カフェいっぱいあったよ、末期には忘れられて、今は潰されたけど… とも、思った。

個人がWebサイトを制作・運営する文化はどうして廃れた?

サイト制作はそれ自体が相当な作業量であり、HTMLやプログラミングが自分にとって趣味のように好きな人でない以上、難しいのは確かだ。専門職化してしまうのは無理もない所もある。

でも、絵だってそうだよね?作曲だって、執筆だってそうだよね?めっちゃ労力かかるよね?
全部が専門職じゃん。作曲だって、めちゃ敷居高いやん。楽器買う?DTM?それでもやりたいという情熱があるからみんな曲作る。絵描く。好きな事だから労力を苦に感じない。

つまり、個人サイトが廃れた理由にHTMLやCSS・JavaScript等コーディングの敷居の高さを挙げるのは間違いだ。
確かに労力はすごいが、Webサイトだって、れっきとしたアートじゃん。だったらWebサイト制作でも他ジャンルと同じようなことやればいいじゃん。
Webにだって、「好きな事なら労力を苦に感じない」タイプの人々いるでしょ?他の創作ジャンルが栄えてWebサイト制作というジャンルだけが廃れるってヘンじゃん。別の原因絶対あるじゃん。

そう。原因はズバリ、これまで話してきた通りだ!!!

【原因1】 多くのWebサイトクリエイターが、SNS・ブログ・投稿サイトという一部のサイトにこもり、偏ってしまったから。(=Webサイト制作者の減少、新たなサイトが生まれにくい、作られない)

【原因2】 かつて作られたり、最近も少数の素敵な人によってせっかく作られた素敵サイトが、Google検索に引っかかりにくくなったから。記事サイト共が検索結果を占領したせいで。(=せっかく生きてるサイトも埋もれている、見つけにくい)

【原因3】 多くのWeb閲覧者がSNS民に転じ、記事サイト共の相手をするようになったり、SNS親和サイトしか見なくなったから。(=そもそも閲覧側が素敵サイトの存在を忘れた)

この3つだ。

どの原因が最初かは分からないが、今はこの3つが絡み合っている。
【原因3】のせいで閲覧の殆どがSNSに移行、【原因2】のせいでGoogleにも載らなくなった今、「今更サイトに戻っても…」という状況だ。
この状況で、かつてのサイト制作者はサイト閉鎖か放置を選ぶ。
制作者がサイトをやめ、SNS等に移住した【原因1】の原因が、お金のリスクだったりする。初めからリスクを選び、維持(運営)にお金がかかるサイトを作ってしまった人は、サイトを閉鎖する。初めからリスクを避けて無料を選んだ製作者は、閉鎖せずとも負担にならないが、【原因2】や【原因3】を考えるとそのサイトを復活させる気にもなれない。【原因2】の克服にはお金がかかる(SSL化等)。よって、放置を選ぶ。

個人Webサイトが栄えてなければ、先例作品が少ないから、「真似して同じようなサイトを私も作りたい!」ってなる人減るじゃん。

侍魂が栄えた頃、真似サイト一杯生まれたでしょ。Web漫画もそう。今は、そういう個人サイト自体が減ってしまったから、新規に個人サイト作りたいって人が減って、それで衰退。逆に、SNSや投稿サイトに載った作品は数多くあるから、それに触発されて、「私もこんな絵描きたい曲作りたい」って人が出てきて、絵や曲文化は栄えるじゃん。人多いから。

文化や芸術は、真似が育むのだよ。触発。先例。憧れ。
みんながやってると「いいな私もやりたいな」ってなるもの。
それが人間だろう???

じゃあどうすればいい?
個人サイトまた作ろうよ。→そのためには、今の時代SSLが必要なんだよ。でもそういう情熱ある人々はお金を持っていないことが多いから無料レンサバしか選択肢ないじゃん。SSLできないじゃん。(以下ループ)

※別に当時の型(キリ番ゲット、隠しリンク, etc.)を踏襲しなくていいのだ。逆にしたければすれば良き。素晴らしき自由。

※ クラウドファンディング:文化活動費を得ることについて(2019/09/26 追記)

近年、クラウドファンディングというものが登場し、流行りつつある。(クリックで開く)

これは、全くの個人が一般大衆からお金を寄付してもらえるというものだ。
これまでは、どうしてもお金のかかる活動は、お金持ちビジネスマンや大企業・既存の有名人くらいしかできなかった。
しかし、そのチャンスが個々人にも平等に広げられたのだ。

これは、お金のリスクが理由で潰れる文化サイトを救ってくれる可能性を持っている。

さっき、
「有志で文化的なサイトや個人サイトを作りたい(文化空間作りたい) → SSLがいい → お金がない → 非SSLしかない → 他に選択肢がない。詰み。サイト閉鎖、放置。 → 文化衰退負のループ」
と言ったが、
クラウドファンディングというこの新しい方法は、この負のループを抜けられる貴重な選択肢になる。
つまり、「文化的情熱はあるのにお金がない人々」を救ってくれるかもしれない。
(これまでは即売会や通販くらいしかなかったし、それらは先に対価として商品を作れていなければならずレベルが高い)

実際、前述のghostpiaなどは、この方法が上手く機能して、文化が華開いた良い例だ。
制作元の超水道さんは、資金調達にクラウドファンディングを有効活用したそうだ(「ノベルアプリ"ghostpia"をこれからも無料でリリースしたい!」を参照)。
お金が無事集まって本当に良かった。

ところで、前述のOfuseは、投げ銭サイトだ。投げ銭サイトには他に、Ci-enpixivFANBOXなどもある。これらは、有志の支援者から資金を調達してもらえたお陰で悲願の活動が動き出したり、ファンにとっても大好きな作家さん等に「振り込めない詐欺」が防げるなどという点で、クラウドファンディングと似ている。

サイトを放置・閉鎖しなくても、活動をやめなければ報われるチャンスがある。
文化活動家(作品制作者)が報われるチャンスというのは、文化空間に必要だ。

クラウドファンディングや投げ銭サイトは、そんなチャンスをくれる。
お金がなく弱い文化人に、資金調達してもらえるチャンスをくれるのだ。
あっぱれである。

一番有名なものはCAMPFIREだが、他にも大小、同様のサービスがある。これらのサイト運営者も、文化活動する人々を支えたいと思ってのことかもしれない(だとしたらとてもありがたく素敵なことだ)。

しかし、だからと言ってこの方法を選べばいいという訳ではなく、クラウドファンディングや投げ銭をするかどうかは慎重に考えないといけないようだ。むしろ、クラウドファンディングなんか敢えてしたくないという活動者もいる。しない方がいい例もある。
そこら辺の事情を、これから述べていく:

まず、お金が絡むこととなると、人々は慎重になる。
自分が嫌う価値観やコンテンツに対して間違えてお金を払ってしまわないように、慎重になる。
人々は、自分のお金を守るために、社会を常に監視し、自分が嫌う対象かどうかを厳しくジャッジするのを繰り返す。
「ああ、こんなものは偽善」「こんなのは裏がある」「あれは穴場だから払っていい」「これはあとで無駄になる」「こんな奴に払いたくない」→「だから私は払わない。」「だから私は払った。」
そんなのを常に頭の中ぐるぐるさせるだけの生活が延々と続く。脳内の「払うもんかリスト」ばかりが増えていく。
そして、そんな人々は大抵、SNSや記事サイトを覗く。そこでは、皆が皆でお金の使い道を叩き合ったり、「無駄」というパワーワードが跋扈していたり、勝手な決めつけやレッテル貼りで沢山の人々が否定し、否定し合う。覗いていて、ろくなものではない。
そんなものばかり見て心を荒ませ、記事に書いてある意見に流された人々は、「"お金を払って応援/感謝したい素敵な人や物"探し」を忘れ、「"自分の懐を守るために、お金を払ってはいけない嫌悪対象"探し」ばっかりしている。
そういう人々ばかりである。

すると当然、クラウドファンディングや投げ銭サイトにもそういう人々が沢山沸くことになる。
そのサイトでは、誰かが文化活動/作品制作のためにクラウドファンディングを始めると、どうしても
「この人はクラウドファンディングをする価値があるか」「この人は私達からお金を取れる程の制作活動経歴があるのか」「お金とるの?なんでこの人はバイトじゃなくてクラウドファンディングで制作しようとするの?」などという必要以上に手厳しい考えを持つ人が現れてしまう。
毎日毎日お金の事ばかり考えて慎重になりすぎるせいで、嫌悪対象を間違える。

つまり、作品制作者がクラウドファンディングを始めたら、「お金取るな」と叩かれるリスクがあるのだ。
そういった悲劇は、作品名は出さないが、現実に起こっている。
払わないべき対象を厳しく選別するのだけど、その厳しさの矛先が間違っているのである(正しい矛先は後述する)。

そうなる根底に、「え?お金とるの?」がある。

SNSや扇動記事などに汚染された社会では、文化作品に対して「え?お金とるの?」という考え方が向けられがちだ。
人々は、お金を払うべきでない対象を厳しくふるいにかけている。
しかし、ここで声を大にして言いたい。支払いを拒むべき相手はそこじゃない。

文化は、人間に必要なものだ。文化のために必要にお金は、本当に必要なものなのだ。
文化人は、作品が評価されてお金持ちになって、「ハッハッハ、自分、勝ち組」とか言いたいためにお金を欲しがっているのではない。本当に必要だから欲しがっているのだ。

むしろ、扇動記事サイトの運営費(それこそ扇動記事サイトのSSL化費等)こそ、この世に一番必要のないお金だ。

扇動記事サイトの作成者こそ、「ハッハッハ、自分、勝ち組」という腐った考えを持っている。
「○○党は売国奴だ!私は正しい意見を自分の記事サイトで主張しているのだ!この私の意見が世に受け入れられれば、私は勝ち組だ!しかも○○党は苦しむ。私に批判する奴は負け組だ!なんと気持ちいい!!」とか考えてる奴らだ。たとえその○○党とやらが本当に悪質な党だとしても、批判サイト運営してる貴方も同じくらい悪質だし、同類だ。
それが明らかに個人運営なサイトだったらまだかわいいけど、各種有名新聞サイトや雑誌サイトとか、巨大な看板掲げたサイトの記事が同じスタンスで書かれてたりする。
【衝撃】あのユーチューバー○○は、過去に部活で暴力沙汰を起こし、○○高校を中退していた!?」とか書いてあったとしよう。それが真っ赤な嘘や偏見だったとしても、SNS民はコロッと引っかかってしまい、炎上する。記事主が広告費で儲かる代償として、そのユーチューバーは風評被害を受け、社会の人間不信風潮は高まり、一部の人は「高校中退者は劣っている」というとんでもない偏見(決めつけ)を持ち、そういう人が人事部に就いて、高校中退者が報われない世の中が出来上がっていく。
扇動コンテンツ制作者は、自分が儲かる上に、クソ社会まで作ってくれるクソOFクソなのだ。

なのに、そういうクソ扇動コンテンツ制作者へとお金が流れ込むシステム(広告アフィリエイト等)に限って整っていて、そのシステムに対してSNS大衆から「お金とるの?」な反応はあまりない(むしろ黙認されている)くせに、
文化活動がしたい人々へお金を流し込むシステム(投げ銭やクラウドファンディング等)が登場した時に限って、しばしば作家さんに対して「お金とるの?」「無料で見せて/聴かせてくれないの?」という声が出てしまう

本当に必要な文化活動費に限って社会は「お金とるの?」と言い、
本当に不要な扇動コンテンツ運営にお金が流れ込む状況に対してはそう言わない。

どれだけひどい社会か、気づいただろう。
はっきり言って地獄だ。悲劇だ。とても許せる状況ではない。
たち悪いことに、「お金とるの?」の方が炎上してしまい、作品制作者が被害を受けることもある。

なぜ、こうなってしまうのか。
原因の一つに、無料作品への慣れがある。SNSや投稿サイトには、沢山の神作品が無料で公開されているため、無料に慣れてしまい、それが当たり前だと思ってしまうのだ。だから「お金とるの?」な考え方になってしまう。

しかも、原因はそれだけではない。
文化活動というのは、その表現内容自体に対して好き嫌いの感情がはっきり表れやすい、という特性があり、これも原因だ。

例えば、同人作家さんがクラウドファンディングや投げ銭サイトをやっているのを見かけた時、その作風が貴方にとって「下手」に感じるかもしれない。「自分の方が画力が上なのに、どうしてあの人が投げ銭してもらえて、自分は全然報われないのだろう」とか思うかもしれない。また、その作家さんの作風が「苦手」かもしれない。例えば貴方がバッドエンド作品が苦手で、いつもバッドエンドの作品ばかり書いている作家さんが寄付してもらってるのを見ると、反感を抱くかもしれない。

しかし、クラウドファンディングや投げ銭サイトにそういう否定的な人々が多いと、
作品制作側も、「私(達)は、人々が額に納得する程の高い制作スキルも持っていないし、人々からお金を取れる権利なんてないよね」と、萎縮してしまう。
クラウドファンディングがしづらくなる。
これは文化空間にとっても、制作者の心にとっても、ファンにとっても、マイナスでしかない。

(そもそもそれ以前に、苦手な作品に対して攻撃せず「自衛」するということを覚えてほしい。)

だから、作品制作費に対して「お金を払いたくない」という気持ちが浮かんでしまったら、
そのたびにこれを思い出してほしい:クソ扇動コンテンツなんかと比べて、どっちが本当に必要のないお金?

相手は、曲がりなりにも文化活動をしている。それだけでも、本当に素敵なことなんだと。本当に責められるべきは作家さんではなく、扇動活動家、文化祭キラーだと。

よりにもよって文化祭キラーがクラウドファンディングをやっているのを見かけた時にこそ、心の底からそいつを憎んで忘れてやればいいのだ。(※相手はしちゃ駄目。相手は炎上すら食い物にするから、相手することで自分が炎上の火付け役になっては自分は心が荒む挙句、相手の知名度がかえって上がってしまう)。

そういうのを心がけていけば、投げ銭やクラウドファンディングとの向き合い方が変わってくるはずだ。

また、文化的Webサイト内に広告を見つけた時も同じだ。

社会がこんなだから、本当に素敵な文化サイトを作りたい制作者は、自分の作品を載せるWebサイト内に広告をなるべく貼りたがらないし、貼ったとしても「広告を貼ってすみません、ご理解ください」と頭を下げている事が多い。クラウドファンディングだってやりづらい。

それ以上に広告は、自分が実現したい素敵な文化空間自体を汚す。
繊細で詩的な文体の小説や漫画・イラストを載せたページに、「FX始めるなら?」とか書いてあったら、「雰囲気壊しやがって!!」ってなるだろう。それを一番嫌っているのは、文化サイト主自身だ。

だから制作者は大抵、肩身の狭い思いで広告を貼っている。自身の文化的制作活動のために必要だからしぶしぶ貼っている。高収入が欲しいから貼っているのではない。

そこを責めてしまったら、どうだろう。
素敵で真面目な文化サイト運営者ほど、更に肩身が狭い思いを強いられる。
一方、クソ記事サイトは広告収入・高収入こそが目的だから堂々と広告を貼る。クソサイト運営者ほど元気に生活している。

だから、文化的なWebサイト内の広告は、矛先を向けるべき対象ではないのだ。
それを見て、「お金取ってるの?」と思ってはいけないのだ。
文化的なWebサイトが広告を貼っている時は、それを責めないでほしい。同じ「広告」だからと言って記事サイトの広告と一緒にしてはいけない。

・・・ここで、ちょっと振り返ってみよう。

これまで、事あるごとに「お金とるの?」を感じてきてしまったそこの貴方。貴方は悪くない。SNSや投稿サイトが普及しすぎてしまったこの風潮では、そうなってしまうのも仕方ない。風潮のせいだ。悪気があってそう感じたんじゃないのだから。
今日このQiitaを読んだのをきっかけに、これから考え方を変えていけばいいのだ。

※同じことは、Webに限らず現実の職にも言える。この手の誤解(お金とるの?)を最も受けやすいのが、イラストレーターだ。「全身像の場合、数万円から依頼を受け付けています。」と言って、「あり得ない」と批判してくる依頼者が多いという。紙とペンさえあれば始められる手軽さ、旧石器時代から壁画として存在する原始的なジャンル、無料作品への慣れや、好みから来る感情を受けやすい等、「お金とるの?」に繋がってしまうあらゆる原因が、揃っている。同じような職種は、他にもあるだろう。

作品制作・文化活動は、とても大変だ。だから、一番お金に換算される価値がある。なのに、そういう人々に限って殆どお金は流れていかない。
代わりに、
作品を創れないくせに扇動コンテンツで発言力を得た人々にばかり、お金が集まっていく。

そういう扇動サイト制作者に対してこそ、こう言ってやろう。
あんた、こんなクソ記事サイト運営するために、広告貼ってお金とってるの?お前のせいでクソ社会が出来上がるんですけど。」「広告会社どもはこんなクソサイトにお金あげてるの?

扇動コンテンツは、意見を語ってばかりいて、素敵な芸術的体験をくれない。
ゲーテの言葉「芸術家よ、創れ! 語るなかれ!」が、とても響く。
これを拡張して、「人間よ、創れ!語るなかれ!」とでも言いたい。

多くの人々がこれを心がければ、投げ銭やクラウドファンディングはもっとちゃんと機能する。報われるべき制作者へ、お金が届く。
そうすることで、文化祭キラーを投げ銭/クラウドファンディングサイトから追い出そう。好きな制作者がクラウドファンディングを始めたら、「お金とるの?」なんて思わないようにしよう。払える余力があれば払おう。払えないなら、応援さえしていればいい。払えないことに罪はない。貧乏であることに罪はない。制作者も貴方も誰も悪くない。お金の廻り方を悪くしている文化祭キラーが悪いのだ。

貧乏暮らしをしていると、「お金とるの?」な気持ちになりやすい。しかし、その気持ちを、制作者のせいにしてはいけない。貴方を貧乏にさせているのは、決して貴方の努力不足のせいではないし、制作者への散財のせいでもない。文化活動をしたい私達からお金を巻き上げている文化祭キラーのせいなのだ。
とかくビジネス人間に汚染された社会は、持っている額を努力や価値の結果だと標榜し、文化的努力を惜しまないのに貧乏暮らしをしている若者たちを平然と「努力不足」とけなす所がある。そんなビジネス人間の言い分に惑わされるな。洗脳されるな。自分のしてきた努力を疑うな。卑下するな。あれだけ頑張って絵を描こうとしてきたし、サイトを作ろうと努力してきたじゃないか。本当の価値がどこにあるのか、私たちは知っている。文化だ。

※全く同じことが、ブラック企業や就活、ブラックに洗脳される若者に対しても言える。ここに、いわゆる「若者の貧困」の原因が隠れている。良質なサイトや、Web非Web関わらず文化芸術的な価値を生もうと努力する人々の大半は、「お金はないけど文化的な情熱を持った若者」だ。もし、本当にこの世界に生まれた価値が正しくお金に換算されているならば、そういった若者たちは貧困になり得ないはずだ。しかし、実際には文化活動をする人の殆どが、貧困である。一方、文化活動を諦め、スーツを着て8時間以上働いた人間の方が、(正社員という理由だけで)多くの額を貰えている。正社員を諦め、時短やバイトで労働時間を縮めないと作品制作にはうまく打ち込めない場合が殆どだが、その事情を分かってくれる人は、ビジネス社会(文化軽視社会)には殆どいない。この国は遅れていて、最低8時間働かないと正社員になる資格がないようなので、8時間ですら長く感じる文化人にとっては論外なのだ(実際、バカンスもないし、長すぎる)。その8時間すら守られないことの多い現状では、この国の文化は潰れても無理はない。ビジネス社会人を納得させるには、初めから神絵や神曲なり神作品を作ってアピールできる状態でなければならず、時間を確保して上達してからでないとアピールできない多くの発展途上な技能の若者にとっては、この社会は過酷すぎるのが現状だ。これが、「才能」とかいうキツい概念を生んでしまう。また、遊びたいからではなく文化のために必要だから自分の時間を確保したいという意味で「休日が欲しい」と言っても、それを「努力しない」「遊びたがる」「だからお金がたまらないのだ」と解釈しがちなビジネス社会に、人情などない。 若者はそんな社会の異常さに感づいているため、洗脳されないために、貧困になってでも文化的制作時間を確保しようとする人が多い。文化にお金を与えようとしない「お金とるの?」なこの社会では、彼ら若者は貧困となりやすいのだ。 (そもそも文化のために力を尽くすことこそ立派な「努力」なのだが、ビジネス社会人は、賃金になる労働やバイト、又は定番なジャンル(例えばサッカー選手になるための努力や、目の不自由な子供がボランティア活動に尽力する姿など24時●TV的な努力)しか「努力」と認めたがらない。何が「努力」で何が「遊び」なのかの認識自体が違うのだ。サッカーへの努力を「努力」と認めるくせに、ゲームへの努力は「依存症」扱いする例など、その異常さは度々指摘されている。本来、困難から逃げずに継続する行為は全て立派な努力であり、例えば「努力家」というイメージの全くない身近な家族や知り合いだって、何かしらの努力家である可能性が高いのだ(人に打ち明けていないだけで)。しかしビジネス社会では、努力具合を評価する際に、前述のような腐った先入観が使われてしまうのだ。)

※一見、課金ゲー依存ような例(FG●等)は、自分自身の散財が原因のように思えるが、慢性的な社会的抑圧から来る精神不調が依存へ至らせた可能性、課金ゲーがビジネス戦略をもって演出されたもの(表向きは魅惑のくせに本当の目的はビジネスという、お酒のようなもの)である可能性等を考えれば、結局はビジネス優先社会(文化軽視社会)が遠因と言えるのだ。つまり、課金依存すら文化祭キラーのせいだ。文化祭キラーは、社会どころか精神まで汚染するのだ。 (しかし、課金しようと意思決定したのは本人であり、その事実は揺るがない。そのため、ビジネス社会はその弱みを突き、「自己責任だ」「依存した貴方が悪い」と文句をつけ、ビジネス社会を擁護する自分達が遠因であることを棚に上げるのがお得意だ。それっぽい大人語を使い、課金依存に陥った側だけが全面的に悪いかのような結論で話を終わらそうとする(「息子が課金依存したせいで家計が傾いた」「社会復帰しましょう」「社会人として云々」等)。本当に解決・育成すべきは依存者のメンタルヘルスや人権、尊厳、そして文化的精神であるはずなのに、それを放棄する。北欧のような福祉社会なら、こうはならないだろう。もっと寄り添いがあるはずだ。)

(脱線したが、)
もう一度言おう。

作品制作費に対して「お金を払いたくない」「お金とるの?」という気持ちが浮かんでしまったら、そのたびにこれを思い出せ:
クソ扇動コンテンツなんかと比べて、どっちが本当に必要のないお金?

サイト制作者が、自サイト管理以外にできること

絵は描けないけど曲は大好きで素敵な曲作れる人が、絵師さんからMVイラストを提供してもらって動画を作成する。協力し合って動画を作る。助け合いだ。

それと同じように、サイト制作技術者とコンテンツ制作技術者が共同で素敵サイトを作り上げるという試みがあってもいいのである。個人サイト再興

特に、そこんところ工房辺りは超好例だ。ゲーム・サイト制作者とイラスト担当者が協力し合って1つのサイトを実現している。
また、お金を出してサイトを作ってもらうとしても、作品やWebを応援し、良い場を作りたいという本当の気持ちがあれば、額はべらぼうに高くなったり安くなったりしないはずで、お金が少ない作品制作者にも優しく、協力しあえる着地点に行きつく。揉める場合は全部、お互いか片方に下心がある場合のみだ。
Web上にはいくらでも素敵空間を生み出すことができる。whoo official websiteのように!gemiのように!

しかも、SNS越しに見る絵と個人サイト内で見る絵。個人サイトの方が、没入できる。落ち着く。素直になれる。いいね数とか余計な情報が表示されてない。
SNSや投稿サイトにはない良さだって、ちゃんとあるじゃんねえ!

Webはまだ捨てたもんじゃない。SSL化の壁と、「サイト制作は専門職」という先入観さえなくなれば。

※一方…

tumblr「ワイもおるで」
tumblrっていう選択肢もあるなあ。投稿サイトのような、ブログのような、それでいて個人サイトのような、もちろんSSL。おそらく今のところ最強のWeb空間。素敵なクリエイターが個人サイトやSNSから消えた際、引っ越し先に選ばれることも多い気がする。

ただ、どのサービスも、ユーザが増えすぎると節度が乱れかねない。質の悪いユーザが流れ込まないであってほしい上に、
仮にtumblrが大流行して誰のサイト見てもみんなtumblr製になってもなぁ。そのうちみんな「タンブラ映え」とか言い出すで。「リブログ数がどーのこーの」とか言い出すで。結局SNSに似た風が吹き始め、偏りの問題は解消されない。

SNS民が一斉にtumblrに押し寄せでもしたら、せっかくのtumblrの静かで素敵な空気が台無し。「閉じた巣」からの移行先には、もっと選択肢が欲しい所。それが、個人サイト再興ってわけよ!

※2019/04/20追記:どうやらtumblrもだんだん人が増え始め、運営が脱エロコンテンツを掲げ、AIを使ったBANを始めたようだ。だが、AIの精度が悪く、誤BANの嵐という。Twit●erかな?

※他方…

マストドンという特異なものもある。だが、あれは個人サイトとしてはカウントできない。というのも…(クリックで開く)

マストドンはSNSの一種。
マストドンは、今の所まだ雰囲気はいい。なぜなら、ユーザがまだ少ないからだ。ユーザが少ない場合、SNSは個人サイトよりも居心地の良い場所となる(SNSの項参照)。
しかし、マストドンはしょせんSNS、しかも機能はTwi●terに酷似している。むしろ、マストドンはあえてTwit●erをモデルに設計されたのだから当然だ(Twit●erの代替サービスを目指して誕生した)。今の所いい場所だが、今後の使われ方次第でTwi●terの単なる二の舞に終わる可能性が多々ある。

マストドンの長所は、Twi●terのような中央集権問題が解決される、という点だ。しかし、よく考えよう。人々は強者へと偏りやすいのだ。結局、強大インスタンスと弱小インスタンスの差が生まれ、強者インスタンスへの中央集権という似た状況に陥りやすいのだ。今の所それは極端には起こっていないが…既に知名度の差が生まれつつある。君はmstdn.jpPawoo以外のインスタンスをどれだけ知ってるだろうか?人は、沢山は覚えたくないものである。結局、人は偏った場所に集中する生き物なのだ。東京一極集中、札幌一極集中のように。

(それに、PawooQiitadonも、元からある有名サービスの名を借りてマストドンブームに乗じたものだ。知名度格差はこの時点で生まれているし、既存サービスの拡張でしかない。要る? いや、使えるとしても、他の名を借りただけのインスタンスって結局、外部で形成された既存サービスの雰囲気をマストドン内にそのまま流し込んで同じ色に染めてるだけで、何の新しいものも生まれないというか… 新規性がないと、別サービスから特に乗り換えるべき理由が無い。実際、これがマストドンユーザが少ない原因だったりして。)

それでも、マストドンにはまだ光がある。それは、人々が「安易に有名所のインスタンスを選ぶのはやめよう!マイナーなインスタンスを探して、僕に私にぴったりのインスタンスに入ろう!」と心がけることである。人は一極集中する時、自身に「私も一極集中を起こしている一員だ」という自覚がない(これを多元的無知(参考1,参考2)という)。自覚するだけで、全然違う。そう意識するだけで、マストドン内がプチ文化祭会場のようになるのだ。

後は、インスタンスの運営側が個人サイト並みの個性を発揮できるかが問題となる。トゥート内容のジャンルが違うだけであとはUIも雰囲気も同じ、だったらどうだろう。それは「僕に私にぴったりのインスタンス」だろうか。ぴったりのが見つからないとなれば、わざわざマイナーなインスタンスに登録する理由は無くなり、有名インスタンスに行きつく人が出るだろう。するとまた、一極集中である。

文化祭で言えば、みんながみんな、出店内容が「縁日」「食べ物売り」「お化け屋敷」と定番だらけだったらどうだろう。誰がやっても同じじゃね?ってなる。生の文化祭ならリアルの友達関係があるからそれは補正されるし、絆のある仲で同じ事に取り組むのはどんな出店内容だろうとドラマになるからまだいい。
だが、どのインスタンスでも会えるのは赤の他人だろう。そういう補正はない。

それに、生の文化祭が面白いのは、一部のクラスや部活が独特な出店をするからこそでもあろう。「漫研が神本を出してるかもしれない」、「A年B組が今年はヤバいらしい」。話題に尽きない。それなら、その学校に友達がいない部外者が訪れても楽しいだろう。

それと同じくらいインパクトのあることをインスタンス運営でやらねばならない。あの雛形踏襲空間で、果たしてどこまでできるか。今後に期待はある。

「神ユーザ」なら、ちらほらいるだろう。どんな場にも、誰かしら神はいるものである。だが、「神インスタンス」と呼べるものは、果たしてどれほどあるだろうか。
これは、ユーザ単位の話をしてるのではない。インスタンス単位の話をしてるのだ。ユーザ単位で考えるなら、結局普通のSNSとなんら変わらない。何のためにマストドンに乗り換えた?ってなる。
「神インスタンス」なるものが生まれればいいのだが…神サイトのように。そういう土壌が育てばいいが…。

※神インスタンス=マストドン隆盛魂を感じられる素敵インスタンス≠強大インスタンス
 神サイト=Web隆盛魂を感じられる素敵サイト≠強大サイト

こうして考えると、マストドンはウェブの縮図のようなもの、ともとれる。

・素人でお金もないけど素敵なサイト作るのには本気な人々。そして、その訪問者たち。
・素人でお金もないけど素敵なインスタンスを運営するのには本気な人々。そして、その登録ユーザたち。

・もし彼らが追い出されると…
・もし彼らが追い出されると…

・アフィやビジネスを通して強大サイトばかりが成長。検索結果や人の流れがSNSやアフィブログへ集中。
・有名所やインフルエンサーが運営するインスタンスばかりが成長。ユーザ登録もそこへ集中。

・サイト作りが専門職化。一方、文化的なサイトは衰退。
・インスタンス運営が専門職化。一方、文化的なインスタンスは衰退。

・Webオワタ\(^o^)/
・マストドンオワタ\(^o^)/

…なーんてことになりかねないのである。
同じ型に当てはめることができるのだ。

サイト運営してないワイらにも何かできる事ない?

できる事その1: お勧め(布教)

おもろいor素敵なサイト見つけたら、とにかく人にオヌヌメすること。(お勧めすること)
要は、俗にいう「布教」である。
但し、あの個人サイト隆盛時代の感覚を忘れずに。友人に教える感覚がいい。

その時代を知らない世代にも通じるように言い換えると:(クリックで開く)

例えば小学時代、4年2組のある朝。
クラスメイトがシュールで面白い本を持って来て、その子の周りがワイワイし出したとしよう。

「うわーなにそのドリルw ウ●コばっかじゃんww」
「えー、うちも欲しい」「俺らのせんせーもこれで宿題出してくれりゃいいのに。」
(めっちゃ気になるけどオレ、あいつと喋ったことねーな…スマホで調べよっと。
 … スッゲー!!!めっちゃ欲しいぞこれ!!!)

その放課後、1組の友達の所に行き、
「ねーねー、ウ●コ漢字ドリルって知ってる?」
「え、知らない、何だそれ」
「あのねー、オレのクラスのあいつが持っててさー。知りたい?」
「何だよー早く教えろよー!ズルいぞ!!」
「しゃーねーな! ホイ!」(スマホを見せる)

「スッゲー!!!何これ、こんなんで真面目に勉強したことになんの!?神じゃね??」
「だろ!!」

このドリルを友達に教える時、貴方は何を思ってお勧めしただろう。

友達と2人でそのドリルをやって、
一緒に面白く楽しい時間を過ごしたくて、お勧めしただろう。
いつか、
「お前このドリルどこまでやった?」
「オレここまで!」
「●ページの(3)の例文さ、神じゃね!?!?」
「な!それ思った」
みたいな会話がしたくて、お勧めしただろう。

決して、
「このドリルはもっと世に広まるべきだ!オレの友達は物を見る目があるから、きっとこのドリルをオレと同じように好きになってくれるだろう!ていうかなってくれなかったらあいつを疑うわ。ドリルの制作者さんも悲しむだろうな。オレって見る目ある~」
だとか、
「ググってみたら、あのカリスマVTuberも取り上げてるじゃん。うわー今までコレ知らなかったわ。こんな神ドリル、今だに知らないやつとかクソ真面目陰キャかよw オレは今知ったからセフセフ」
だとか、そんなやたら壮大で偽善的な、またはいやらしく下心ズブズブなことは考えてなかっただろう。

つまり、そういうことだ。
人に物をお勧めする時は、やたらソーシャルな視点になってはいけない
人間の脳は、元々ソーシャルで壮大な物事をうまく考えられるようにできていない。
身の回りで起こるローカルな出来事の方が、自然に脳が回る。

自分が個人としてそのサイトが好きで、誰かと一緒にそれを楽しみたいと素直に感じたものを、お勧めしよう。
もっとざっくり言うと、
オープンな「ツイート」や「投稿」に書くような内容ではなく、
普段DMやL●NEで友達に個人的に直接送るような内容をお勧めしろ
、ということだ。

見つけてしまったマイナーな神サイト、潰れてほしくないサイトを、メモアプリに書き残しただけで温存、誰にも教えてない… なんてこと、よくあるだろう。「こんなのが好きなのか」なんてバレたくないから教えられない、好みが合う友達がいない… わかる。だが、勿体ない。そういうのを、少しでもお勧めし合えるような仲、交流、出会いが生まれればいい。家族は無理でも、ひそかにSNSで知り合った「同志」に、恥ずかしがらずに教えてみたら、意外と相手もそのサイト好きになるかもしれない。いや、自分の名さえ気づかれなくていい、相手が自分の推しサイトを知ってくれるだけで嬉しいのなら、マシュマロにでも推しサイトを書けばいいのだ。お勧めしないことには、何も始まらない。

お勧めは世直しではないし、他人にどう思われるかでもない。
自分達の生活を彩る楽しみ=文化だ。 「お勧め」という行為も、文化の営みの一部なのだ。

そして、「自分はこのサイトが好きなんだ」という気持ちに自信を持つこと。

しかし、SNSでお勧めするのなら、相手は友人でなく不特定多数という名の魔物であることが多く、およそ人間的ではない反応をされることがあるため、勝手が違う。
SNSの場合、お勧めの仕方に熱が入ってるかどうかで効果が変わる。おすすめしたい情熱が自分の中で弱いのなら、しない方がいい。
「このサイト、(不特定多数に)届け~~」「今日のおすすめサイトN選!」
みたいな書き方をすると、胡散臭く、無視されるだろう。そのノリの軽さはSNSや昨今のWebの惨状にはお似合いだが。「こいつほんとにこのサイトが好きなのか?」と反感さえ持たれるだろう。というか私は持つ。軽いノリでお勧めするな。

逆に、情熱が強いならぜひお勧め投稿をSNSにでもぶち込もう。SNSの強い広報力(拡散力)を使わない手はない。
但し、SNSは前述の通りかなり汚染されている。不特定多数の中から一部の優良ユーザーの目に留まりやすい投稿にせねば、効果はない。あの個人サ(ry感覚を心がけねばならない。

さっき「その時代を知らない世代にも~~」で言ったように、本来、お勧めというのはオープンな場でうまく行うことは難しい。
しかし、本当に強い情熱で書き込まれたお勧め内容は、どんなにオープンで不特定多数が見る場だろうと、良質な結果をもたらす。
例えば、いつだったか(2018~19?)誰かが宮城県図書館の綺麗な緑を撮り、宮城県図書館を本気でお勧めする内容をツイートした所、あまりに写真が綺麗だったためバズったことがある(恐らく本家ツイートは消えている)。ツイート本人としては、あまりにも広がりすぎて怖くなり消しても無理はないが、そのツイートのお陰でその図書館を知ることができた人々が多くいたのも事実だ。それはつまり、これまで宮城県図書館を素敵な場にするために尽力してきた人々(図書館員や街づくりをした人、設計者など)、そして図書館そのものの価値が、広く知られることで認められ、報われたことを意味する。また、ツイート本人の情熱が本物だった(下心などなかった)からこそ、その情熱が写真に宿り、良質な写真となったのだ。他にも、マニアックな趣味や同人文化の界隈で、ちょくちょく本気お勧めツイートがバズった状態で回ってくるのを見たことがあるだろう。 それはどこかの無名な飲食店だったり、個人的に好きな本だったり、センスの良い布教写真と共に「○○はいいぞ」と添えられていたり。 ああいうツイート(投稿)のことを言っている。 もし、そのツイート主が活動家めいていたり、大量相互フォローするような垢ならば、それは胡散臭く見えるだろう(ステマやパクツイ疑惑、つまり下心の塊)。しかし、件(くだん)のような本気ツイートの場合、バズらせるつもりがなかった一個人の日常アカウントや、本気で文化を愛する趣味人(同人作家等)であることが多い。そこに、信憑性を感じるのだ。

同じことを、サイトのお勧めでもできたら良いぞ、ということだ。
(但し、当然バズりに精神的耐性がある人だけがすればいい。)

金銭的支援は出来ずとも、お勧めによる知名度アップは、サイト運営の背中を押すだろう・・・
(もちろん支援方法が用意されてて支援したい願いもあるならするに越したことはない)

※「おもろいor素敵なサイト見つけたら」と言っても、そもそもこの現状じゃまず見つけるのが大変だ。同人活動関係ならその活動家のSNSや同人誌の巻末、名刺などからWebサイトへのリンクが貼られていることはあるが、そもそも広い(はずの)Web全体からもっと幅広く埋もれたサイトを発掘したい、というのもある。そんな時は前述のノイズレスサーチをお勧めしたい。

※ところで、この世界にはこの「布教」自体が上手な人もいるもので、例えば、(サイトの布教ではないが)ライフゲームの世界という動画を見てみよう。あまりに構成や演出がうまく、多くの人がライフゲームの虜になるだろう。しかも、ライフゲームを布教することで、ライフゲーム関連のサイトへの注目度も上がる(実際、ライフゲームを自ら実装した個人サイトもある)。そう考えれば、間接的にネット文化にもプラスになるのだ。ネットはリアルの延長にあり、文化の世界は繋がっている。布教の形は、なにも友達伝達やSNSに限らない。このように動画制作で布教することだってできるし、サイトで別のサイトを布教することだってできる。このような様々な布教活動自体も、立派な文化活動だ。

できる事その2: 文化軽視物(クソコンテンツ)の総無視

これまで、かつての文化祭来訪者は今どこへ?クラウドファンディングの章等で説明してきた通り、この社会には文化を軽視する強大な勢力がある。

彼ら人間のクズは、ビジネス優先・文化軽視な社会をお金儲けのチャンスとして大いに歓迎し、お金儲けのために扇動コンテンツを量産し、自分達が原因で潰れていく文化を屁とも思わない。その上、賛同者を増やすための洗脳をも辞さない(例えば、文化活動のために時短勤務しかしない人を「やる気がない」と叩き、長期休暇無しのフルタイムを「やりがい」「努力」等と美化・称賛することで就活生をビビらせ誘導、挙句自身の残業まで正当化)。

これら悪質な人間が生み出すコンテンツを、「文化軽視物」とでも呼ぼう。もっと直感的に「クソコンテンツ」と呼ぶこともできるが、何がクソなのかはっきりさせるためにこう呼んでみる。扇動サイトやクソ広告・ニュースも、ガヤガヤしてていいね数にうるさいSNSも、否定的な意見のぶつけ合いなコメント欄、人間のクズが汚染したGoogle検索結果も、全部、文化軽視物であり、クソコンテンツだ。


そして、私達にできる事は、素敵なものの布教だけではない。
こうした文化軽視物(クソコンテンツ)の存在無視だ。

ただ無視するだけではない。存在そのものを、この世にそんなものなど初めから存在しないかのような生活を送る。

そのためにはまず、頭の中に文化軽視物が舞い込んでこないように、ガードしよう。
以下は、ガード方法の例。

 敢えて、「ニュース」や「記事」と名乗るものをなるべく見ないようにする。Chromeの「おすすめ記事」は勿論非表示、ブラウザを開いたときに最初に表示するページは、ニュース以外のもの。自分の好きなページや、空っぽな「新しいタブ」ページ。AdBl●ck Plus等広告ブロッカーは、文化軽視物に心が乱されるのを和らげてくれる。ブロッカーの要素ブロック機能を使い、Twit●erのフォロー数欄などを非表示にできる。2525動画の再生欄の上部も、扇動記事がしつこい。こいつもブロッカーでブロックだ。「ミュート」と「RTをオフにする」も駆使。そもそも、Twi●ter公式はクソコンテンツ遭遇率が高いため、好きな情報の純度を高めるために、TweetDeckを利用するのも手。平和なマストドンに移住するのも手。
 うちの親はニュース番組を見るのがとにかく好きなので、その場で同席して食事をとらねばならない場合、通勤列車の中のように、仏になったように無視する。親は新聞も大好きなので、よくテーブルに置いてある。読む記事は、小説のお勧め記事や4コマ漫画・文化施設の取材記事などに留める。大体悪いニュースばかりな1面は、目についてしまっても、読むのは太字タイトルだけに留める。新聞の広告欄は年寄り向けのクソ広告ばかり(例えば青汁、腰の痛み,etc.)なので、一切見ない。部屋の隅にどける。 大体、1面に乗ってる気分悪いニュースは、自分は首突っ込む必要のない部外者であり、自分の人生にはどうでもいいニュースだ。株価?●●大臣の失言?貴方は当事者ではない。税率が変わるとかなら貴方も当事者だから把握しよう。しかし、それ以外の大半のクソニュースは、知る必要はない。文化的な作品を作る上で、そういうのは脳内世界の妨害にしかならない。「時事問題が解けるようにしっかりニュースを把握しておけ」「最新の世間の動向を把握できる立派なビジネスマン」とかいう文句は、悪質な教師やビジネス社会による洗脳だ。人々がそんなスケールの大きいニュースをいちいち把握していなかった江戸時代の方が、日本文化が華開いていただろう。いい加減、ニュース史上主義から目を覚ませ。確かに、「今●●では内戦が起こってる」程度のことは知るべきではある。文化活動がてら、自作のファンタジーゲームに登場する遺跡のモデルにしようと、何も知らずにパルミラへ向かえば、銃で撃たれるだろう。しかし、感情を高ぶらせられてまで、必要以上に知ろうとニュースに首を突っ込む人があまりに多い。それ以上知って何になる。身の安全や情報の有効活用の為に知ることは必要だが、感情を高ぶらせる必要はない。当事者じゃないだろう。不穏なニュースを読んで、「辛い世の中になったねえ」と、この世に対する先入観を固めているだけではないか。ニュースの言説にただなぞらえるだけの思考回路になるな。自分の頭で考えることを放棄するな。むしろ、自分の好きな世界のニュースを追え。アストロアーツには天文ニュースが、車好きなら高速道路開通/建設状況ニュースが、同人活動が好きな関東人なら、「同人誌即売会がいつものビッグサイトから青海(あおみ)へ一時的に移転するよ!因みにこれは青梅(おうめ)とは違うよ!」というニュースが、貴方の欲しい情報だろう。ニュースは自分で選べ。最近のニュースメディアが好んで使う「あなたへのおすすめ」という言葉が真っ赤な嘘であることくらい、感づいてるだろう。メディア側が一方的に見てほしいものを勝手に選んだのを、よくも平然と「あなたへの」と大嘘つける。ニュース(=新しい情報、欲しい情報)は、自分で選ぶものだ。メディアに選ばせるな。

それぞれが自分なりの方法で、文化軽視物をガード、無視していけば良い。

・・・但しこのガード、やろうとすればするほど難しいことに気付く。
その原因に、皮肉過程理論(俗称:シロクマ効果)がある。
何かを無視しようと、忘れようと、考えないようにしようとすればするほど、かえって頭の中がそれで一杯になる現象である。

それを防ぐ方法が、1つある。それは、「他の事を考える」。
特に、自分の好きな物事を考える

「シロクマの事を考えないようにして下さい」と指示されたとして、

「シロクマの事を考えないようにしよう」

と思うと、余計シロクマの事が頭から離れない。しかし、

「本屋で見つけたあの本のことを考えよう」
「あの曲と絵を脳内再生しよう」

とすれば、脳の中はそれで染まる。
シロクマの事はどこかに吹っ飛ぶ。

つまり、文化軽視物(クソコンテンツ)ガードについても、同じだ。

「ニュースを見ないようにしよう」
「いいね数なんか気にしないようにしよう」

では、余計ニュースやSNSの存在が気になる。
そのため、逆にこうしよう(※以下は一例):

 高校時代以前から好きな本(漫画も含む)は、絶対に捨てない。当時から好きなサイトは、URLを忘れない(閉鎖しないよう、声を届けてもいい。「貴方の載せる絵が好きだ」など)。好きになった曲も、忘れないようメモする。その頃好きになったものは、自分が本当に好きなものだ。とにかく、一生、それを掘り返せ。それを一生、読み、見、聴き続ける。
※ なぜ高校以前が良いか: 大学以降に好きになったものは、「素で本当に好きになったもの」と、「友達の価値観や空気・風潮、または背伸びしすぎた憧れ・なりたい自分像に無理やり合わせようと、自己暗示で好きになったもの」が混在してくる。流行りの曲やアプリ、女性/男性らしいアイテム、いつの間にかいいね数目的で描いてる絵などがその例だろう。その判別が難しいうちは、高校以前に出会ったものに絞った方が確実性がある。但し、人によっては小中学以前まで遡らなければならない人もいるだろう。個人差はある。どこまで遡れば本当の自分に戻れるのか、記憶を掘り返す=自分と向き合うのもいいだろう。「本当に私は、●●が好きなんだろうか?」
 好きな文化を見つける
 1人がいいなら、そういうジャンルを始める。本を読む。曲を聴く。夕方、自転車で街を散歩してみる。塾や職場の窓からの景色は思ったより綺麗かもしれない。ブラインドを上げる。早く帰る。写真を始める。同人・公式問わず、好きな作家を見つける。小説のみならず、漫画でもイラストでも、そのどれにもはまらない形態ものもでも。この世には、意外と色んな種類の美術館がある(東洋文庫ミュージアムホキ美術館等)。
 文化的賑わいが欲しくなったら、文化のイベントへ参加する。同人誌即売会(コミティアゲームマーケット、小規模な「○○オンリー即売会」等)のみならず、都内で頻繁に開催される無料な音楽会、ライブ等へ行く。リアル脱出ゲ●ム(地下謎等)も、文化的イベントの1つ。
 また、何かを応援するファンになる(※但し、熱狂的になりすぎたり承認欲求にまみれる事で自分自身が「人間のクズ」にならないよう気を付ける。例えば、「アイドルを好きな事」と、「アイドルについて博識な事」「アイドルにどれほど多くの額を貢いだか」は違う。チケットの転売もしてはいけない。「人間のクズ」の意味合いは、この記事を読み返そう)。
 自分を制御できないと思ったら、Twi●terアプリを消す。断食ならぬ断SNSする。その間、何か1つ作品を作ってみる。サイト作ってみる。完成後公開した時の反応を考えない。なんなら一生、SNSに作品を載せない。個人サイトや同人誌のみに載せる。SNSは、サイトや同人誌の告知のみに使う。発表の場としては使わない。

つまり、好きなものとずっと向き合い続ける
これは、いわゆるヲタになれと言っているのではない。好きなものを文化的に愛せる人になれ、と言っているのだ。文化人とはこのことだ。

好きなものと向き合い続けている間、貴方の頭の中にクソコンテンツが入り込む余地はない。いつの間にか、そんなもの初めからこの世に無かったようにすら思える。
こうして結果的に、文化軽視物(クソコンテンツ)無視が実現するのである。

あとはこれを、全員がしよう。この世の全員が文化人になり、クソコンテンツのことを総無視してやるのだ。うまくいけば、クソサイト運営者に広告費が入らなくなり、消えてもらえる。
「消えろ」と願うことなく、自然消滅させる。「消えろ」と願うこと自体、クソコンテンツの相手をすることになるため、願えば願うほどかえって脳がそのことを考える。だから、願いすらしない。

※何度か触れているように、就活にまつわるコンテンツも、文化人を洗脳・軽視しようとする文化軽視物の温床だ。夢物語のようだが、もしも新規就活生が現状のビジネス優先社会に対して総無視をきめ、ワークライフバランス(=プライベートな文化活動(家庭生活も文化に含む)と仕事の両立、学校で言うと部活と勉強の両立に相当する)を大事にしてくれる時短勤務やホワイト企業のみに流れていけば、管理職の世代交代も進み、文化的価値へ払われるべき額が払われるようになり、社会は浄化され、ひいては少子化さえ和らぐだろう。このレベルの盛大な浄化をしないと、実は少子高齢化は解決しない。そこまで実感できている政治家は、おそらく存在しない。

まとめ

  • SSL化は標準インフラであり、セキュリティ的理由だけでなく、Web文化の隆盛のためにも当たり前であるべきなのだ。本来、SSLか否かがサイトの価値を決めてはいけないのだ。各サイトは、インフラ面では同じスタートラインに立たせ、内容(コンテンツ)でのみ価値が測られるべきなのだ。

  • サービスの無料化は必ずしも質の低下には繋がらないどころか、逆に有料化が質の低下を招くこともある。また、無料がかえって発展を促すこともある。SSL有料提供による昨今の日本のWebの惨状がその好例。レンサバ各社には今後のWebのためにも無料サーバの無料SSL化を考えてほしいものである。(SNSがここまで栄え、Webを衰退させたのも、SNSが無料な上SSLだから。そういう側面も大いにある。SNSつよい)

  • 人類みんな趣味人であれ。Webは文化祭会場だ。なんなら、絵師と作曲家が協力して1つの動画を作るように、サイト制作技術者とコンテンツ制作技術者が共同で素敵サイトを作り上げるという試みがあってもいいのである。SNSばかり栄えると、こういうのがないがしろにされ、廃れる。SNSにばかり首突っ込んでないで、こういう空間をもっと作ろうよ。SNS民は、軽く浅い。そんな民でいるのは卒業しよう。 ※SNSは辞めなくていい。ただ、軽く浅い人間でいるのを辞めよう。自分の頭で考える人間になろう。

  • 心の底から良い!と感じたものを見つけたら、誰かにお勧めしよう。布教しよう。また、趣味人を応援したい気持ちを、支援という形で届けよう。そして、文化を軽視する悪いもの(扇動物やSNSいいね主義、批判・否定のぶつけ合い等)を見つけたら、皆で総無視しよう。無視すれば、文化人のコミュニティや心に平和が訪れるし、扇動物を作るやつらに広告費も入らなくなり、消えてもらえる。

  • これからのWebに幸のあらんことを。


2019/04/18 追記

おそらく日本製サービスで完全無料SSLが使える唯一のWebスペースを見つけた。

XREAというレンタルサーバのXREA Freeというプラン。(クリックで詳細)
  • 但し、無料独自SSLはドメイン代がかかる(上記)ので除外。
  • そのため、共有SSL(勿論無料)という方法をとるのだが、XREAの共有SSLはURLが「 https://ss1.xrea.com/ID.サーバ名.xrea.com/ 」とめちゃ長い。「.xrea.com」が2つもあって冗長。
    • さくらのレンタルサーバーの共有SSLは短いが、有料サービスなので除外。
  • その上、非SSLからのリダイレクトの設定方法がトリッキー(唯一ネットに載ってた方法:XREAの標準提供ドメインを常時SSL化する)なので、今後も使えるか不安。
  • しかも、URL直後(ルート)のスラッシュの有無を.htaccessで判定できないので、どちらかに統一する方法が存在しない。( https://ss1.xrea.com/ID.サーバ名.xrea.comhttps://ss1.xrea.com/ID.サーバ名.xrea.com/ の区別ができない)。わりと致命的。ルートのindex.htmlをURLに入れない、とかやろうとすると詰む。「ルートなのにドメイン直後ではない」という異様な条件のせいで、こういうことが起こるのかなあ…。日本製無料Webスペースの限界か。

ウーン…問題山積だ。

じゃあ、ぼくら趣味人がWebで実現したいこと(SSLで、全部無料で、↑のような不安要素もないオリジナル個人サイト)は叶わないの?もちろん、tumblr以外で。

…海外に目を向ければまだ望みがあるっぽい。

出でよ、GitHub Pages!!!!!!(クリックで詳細)
  • 公式サイト: https://pages.github.com/
  • ありがたいハウツー記事:GitHub Pagesで静的サイトを簡単に作る
  • おお!URLがhttps://ユーザ名.github.io/と、充分短い!
  • 使うの無料!ドメインも取らなくていい!最初から↑のURLが付いてくる。サブドメイン形式ではあるが、これだけ短ければ覚えやすさに難はないだろう。独自ドメインなんていう上っ面の体裁を死守したがるのは、量産記事サイト(ビジネスとかアフィとか)の運営者くらいだ。コンテンツの質の方を大切にしたい文化勢は、そんなもののためにお金の不安を抱えたくない。お金を払わせてくる「ドメイン」なんてものは気にしたくない。かつて栄えた個人Web漫画サイトのURLだって、「何とか.web.fc2.com」とかだったりしたはずだ。URLは、べらぼうに長すぎて覚えにくいとかじゃない限り、サイトの人気には関係ない筈だ。
  • もちろんSSLじゃん!しかも非SSLでアクセスしてもリダイレクトしてくれるから常時SSL。神かよ。
  • 静的コンテンツ限定(例えばPHPとかは使えない)だが、例えば絵を載せるとかならそれで充分だったりする。

2019/05/05 追記

SSL対応かつ無料の海外製サービス(どうやら日本語対応)には、

WIX.comというのもある。(クリックで詳細)
  • URLはhttps://何とか.wixsite.comで、条件は充分。
  • 恐らくこちらも静的コンテンツ限定。
  • HTMLとかわからなくても簡単にお洒落なWebサイトが作れるとあって、イラストレーターさんや高校文化祭サイトなど、文化的サイトとしての採用率が高い気がする。
  • 欠点は、サイト上部にでかでかとこのホームページは、WIX.comを使って作成されました。あなたも無料で作ってみませんか?(今すぐはじめる)というヘッダーが表示される点。これさえ妥協できれば、この選択肢も有りかもしれない。

スペック的に殆ど同じ(静的コンテンツ限定&SSL対応&無料&コーディング不要, etc)サービスに、Jimdoというのもあるようだ。

また、「『このサイト、今時SSL非対応かよ』と言う前に」の追記にも書いたが、忍者ホームページやFC2も無料版で無料SSL対応したかもしれない。ただ、これもやはり静的コンテンツ限定。


追記のまとめ

完全無料でSSLが使えるWebスペースはあるにはあった。

今や、「Webサイト制作」という行為が、創造的キャンバスから、ビジネス的専門職へと変わってしまった。でも、専門と言っても絵や曲と同じだ。みんなもっとこういうの(GitHub Pages、Jimdoとか)に手を出してもいいと思うんだ、栄えろ。

欲を言えば…(クリックで開く)

でも正直なところ、SSL対応無料Webスペースの殆どが静的コンテンツ限定という点は、サイトをより理想に近づけるには痛い所もある。

音楽やイラスト等、サイト制作以外の畑にいる人々がサイトを作るには静的コンテンツ限定で足りるかもしれない。でも、それでも、サイト内で検索したいとか、作品が増えたから絞り込みたい、タグ付けたい、とかも出てくる。自分でそれを作らなくても、便利ツールが配布されている。静的コンテンツ限定サーバだと動かないツールや機能も多い。

また、そもそもの自分の畑自体がコーディング(プログラミング)な人が自作ゲームを置くサイトとかだと尚更、動的なことをしたい。それも文化活動の一つだから。だから、今のWebインフラは、文化活動をするにはまだ貧弱だ。SSLにしたいなら静的コンテンツ限定サーバ、動的にしたいなら非SSLサーバしかない、という風に、片方しか用意されていない。もっと、無料空間が整備されないとWebは栄えない。

※「サイト内で検索したい、作品が増えたから絞り込みたい、タグ付けたい」と言っても、同じ機能は支部や音雲等投稿サイトで使える。でも、この記事を隅々まで読んだなら分かるように、SNSや投稿サイトには精神衛生上良くないものが多く、個人サイト形式の方が理想の場合も多い。鍵垢で事足りる場合もあれど、鍵だとかえって面倒な駆け引きがあったりする。以前繋がってた人から「なんで鍵かけたの」と詮索されたり、陰口だとか、グチ垢と化したりとか、コメント欄とか、「この人には私の作品を見せる・この人には見せない」とか振り分けたり、色々… 文化のためには気にしてはいけない無駄な事が、沢山気になるようになる。

それに、個人サイトでしかできないこともある。例えば、手前に小説、背景で動画を流すとか。字の色、背景、フォント変えるとか(勿論、fontタグとかそういうのは駄目なんだけども)。おしゃれにできるし、Webフォントとかもある。思った以上に自在だ。投稿サイトしか知らない世代には試してほしい。背景動画の設置方法は私も知らないが、簡単に背景動画できる雛形とか出てくれれば栄えるよ。

まあでも、動的コンテンツが欲しいかどうかはこだわり次第というか好き好きだから、大した問題じゃないかもしれない。

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