なぜ植物に物理数値シミュレータを使うと面白いのか
物理数値シミュレーションとは?
SiCroFとは、Simulator for Crop in Fieldの略称で、植物科学や栽培、育種に係る現象の予測を行うことに特化した物理数値シミュレーションソフトウェアです。
物理数値シミュレーションとして有名な例に、航空宇宙産業や自動車産業で使われるCAE(Comuputer Aided Engineering)と呼ばれるものがあります。CAEは、部品や機体を設計する際に、それらの強度や安定性を検討したり、より合理的なデザインを検討するために使用されます。CAEでは、部品や機体をコンピュータ上で再現し、負荷をかけたり、形状を修正するなどして、実際の材料を消費することなく試行錯誤ができるため、ものづくり産業においては必須のツールとなりつつあります。
筆者の専門分野である農業土木分野でも、土構造物(ダムや堤防など)の設計施工から維持管理に渡って、この物理数値シミュレーションが活用されるようになり、土構造物の耐震性や安定性の検討を、実際の構造物を破壊することなく行うことができつつあります。より具体的には、土構造物の変形や、構造物内の水の流れ、溶質の流れ、温度の分布、空気の流れなどが予測されます。
植物に物理数値シミュレーションを適用すると何が嬉しいか?
筆者はまた、耐倒伏性の高いダイズを育種するべく、2013年からダイズ育種に取り組んでいます。倒伏は、多くの穀実作物において減収や作業効率低下の主たる要因となり、世界中で発生して農業者を困らせています。ダイズの倒伏は、開花・成熟期に台風が襲来し、水田転換畑で作付けを行うことの多い本邦では特に多発し、毎年のように雑草害を助長し、減収を引き起こし、管理・収穫作業を阻害する要因となっています。倒伏は力学現象であるため、力学現象を解ける物理数値シミュレーションにより予測し、よりよいデザインを検討できるのではないか?と考えたことが、SiCroF開発の最初の動機となりました。
蒸発散や光合成、シンク・ソース間の物質輸送といった現象もまた、物理数値シミュレーションにより予測できそうな問題です。そして、シミュレータの上で葉の形態やよりミクロな形質をあれこれと変えて理想形質を探してみたり、または逆に大量のフェノタイプデータを入力して、特徴的な物理量を抽出して品種間差や処理間差を検討することができれば、より効率的な育種や、より合理的な栽培方法が見つかるかもしれません。
加えて、物理数値シミュレータを基盤にして、その中の反応方程式の制御パラメータとして遺伝的要因を導入できれば、ほ場試験を計算機内で一部代替することも可能になるかもしれません。非常に夢があります。
こうしたモチベーションのもと、植物のミクロからマクロまでを繋ぐ物理数値シミュレータとして、SiCroFは開発されています。
より具体的な例
物理数値シミュレーションには、2つ必要なものがあります。
一つは、メッシュデータと呼ばれる、多くの場合2次元や3次元の形状データです。一例として、イネ科草本の葉のメッシュデータを示します。
二つめは、シミュレータです。例えば、葉の最初の温度分布が分かっている状態で、与えられた環境下で、数秒後、数分後にどのような温度分布へと移り変わるのかを予測したい場合、熱拡散のシミュレータが必要になります。このメッシュデータをもとに、シミュレータによって温度変化の移り変わりを予測すると、例えばこのようになります。
このシミュレーションの説明は一旦省きますが、このように、実際の葉を用いることなくその温度分布を予測するのがシミュレータの役割となります。
植物用物理数値シミュレータに要求されるものは、工業用と何が違うか?
この、メッシュデータの生成とシミュレータによる解析は、しばしば別々のソフトウェアを用いて行われます。
特に、CADとよばれる(多くの場合有償の)メッシュデータ加工ソフトウェアを用いてメッシュデータを手動で作成し、高額な商用シミュレータを用いて解析するという方法はよく行われます。ところが、植物を対象に物理数値シミュレーションを行う場合、両者が切り離されていることと、両者が商用であり経済的な負担が大きいことは問題となります。植物を対象とする場合、
- スキャナで撮影された2次元または3次元のデータを、
- ほとんど手作業を行うことなく(1データあたり数分程度)メッシュデータに変換し、
- メッシュデータをほとんど加工することなく(1データあたり数分程度)シミュレータに通して、
- できるだけ高速かつ大量のデータを処理(1データあたり数分程度)できる
ようにしたいものです。
また、変形、熱、水輸送、溶質輸送、光合成といった、植物の特性を理解する上で重要なシミュレーションについて一通りシミュレータが完備してあることが必要である一方で、電磁気や高速流体、衝突解析といった、工業分野でよく用いられるが植物においてはあまり重要でないシミュレータがあります。
SiCroFは何が特徴か?
そこで、SiCroFは、植物の物理数値シミュレーションに特化したソフトウェアとして開発されています。
メッシュデータは、
- スキャナーにより撮影された画像データをほぼ直接メッシュデータに加工可能
- 初期条件や境界条件の設定はコマンド1行ずつで完了
シミュレータは、
- jupyter-notebookのテンプレートが用意されており、プログラミング不要でクリックだけでシミュレーションが動かせる
- PythonとFortran2003によるAPIを備え、大量データの同時処理に対応
- MPIに対応し、ワークステーション、サーバー、スーパーコンピュータなどのマルチコア環境での並列化に対応
- 変形、熱拡散、物質輸送、流体計算に対応し、幅広い生理現象の理解に役立つ
- 成長シミュレーションも実装予定
SiCroFはオープンソース・ソフトウェア(OSS)であり、GPLv2ライセンスのもとで自由に改変、再配布が可能です。
また、商用。非商用を問わずどなたでも無料でご利用いただけます。
あなたも、SiCroFのユーザーや開発者になってみませんか?
次回は、(1)環境構築とインストール方法を解説いたします。
次項: (1)環境構築とインストール