前の記事が不完全燃焼でしたので、再挑戦しました。
前回のあらすじ
コミュニケーションコストの中でも心理的コストを減らしたい!
そのためには安全な場を作るとか、信頼感を築き上げることが必要なんだぜ!
で、それってどんな行動?
実証主義
いきなりなんの脈絡もないように思われそうだけれども、私は多くの物事を考えるときには実証主義的な立場を取ることが多いです。
コミュミニケーションに対しても同じことを考えており、わかりやすく言えば<聖人が行う誠実な言動>と<打算的な動機をもとに行われる誠実な言動>を区別することはできないという立場です。1
もちろん、両者の間に継続性などの差がない前提での話ですが。
つまり、心構えや動機がいくら高尚であっても、言動が伴ってなければなんの役にも立たないと考えているため、前回の記事には自分自身の記事ながら価値をほとんど見いだせないものでした。
どのような人は安全か
こういう価値観に言及するような話をする際には、とっかかりとして少し極端なことを考えてみましょう。
目的は厚い記述にしていくことです。2
したがって、まずはあなたにとって身体的に安全な相手を思い浮かべましょう。
1. 攻撃手段のない人
もっともわかりやすいのは、そもそも攻撃が不可能な人です。
当然の話ですが、警察が逮捕するときには武器を奪い、手錠で自由を奪い、相手からの攻撃ができないように拘束して安全性を高めます。
相手が素手であれば、壁越しとなれば安全と考えて良いでしょう。
2. 攻撃力がない人
攻撃力がない人もかなり安全です。
新生児や幼児が素手であなたの命を脅かすことはないでしょう。3
歯に衣着せず言えば、あなたよりも弱者である人です。
3. 敵の敵は味方
打ち倒すべき敵がいて、そこに向かっていっしょに戦っている仲間であれば、それなりの確度をもってあなたにとって安全であると考えるでしょう。
余り良くない例えですが、戦時に目の前に敵が迫っている状態で、味方が裏切ることを恐れて武器を奪い合うことは少ないでしょう。
4. 攻撃する意志のない人
前項とまとめようか悩んだのですが、単純化するためにも分離しました。
家族であったり、普段からいっしょに過ごしていたり、人となりを理解している(と思っている)相手で、その言動から彼・彼女に自分に対する攻撃の意志がないと考えていれば、当然あなたは彼・彼女を安全な相手であると判断するでしょう。
5. 関わらない人
不謹慎な話ですが、地球の正反対で戦争が起こっていても当面はあなたにとって安全でしょう。
これは空間的・時間的に関わりがなければ安全であるということです。
もちろん、覇王としての振る舞いが有名な織田信長も、すでにこの世を去っていますので、現代を生きるあなたにとっては安全です。
心理的に安全な行動・環境とはどうなるか
前節で見た内容はそのまま心理的安全性の話につながるでしょうか。
私はつながると考えています。
身体的な安全性は命を継続できる期待値とするならば、心理的安全性とは、あなたの望んだ生活を継続できる期待値、と言えそうだからです。
次は、その前提で、先の5条件を満たすような、職場の中で心理的に安全な行動・環境を考えてみます。
1. 攻撃手段のない人
これは行動でどうにかなるものではないため、環境的なアプローチが必要と考えています。
例えば、人事考課に全く影響を与えることができなければ、一つの攻撃手段が削がれていることになります。
あるいは、罵倒するための時間や場所がないのも、結果的に攻撃手段がありません。
また、間接的ではありますが、攻撃したら別の強権で当人に不利益が与えられれば、攻撃手段を奪おうという動きでもあります。
ただ、人と人が関わる限り、心理的な攻撃手段をゼロにすることは難しいでしょう。
多くの会社は賞罰で個人の攻撃手段を弱めることを考えているのではないでしょうか。
必ず第三者がフィルタに入り、1対1のやりとりをしない関係ができあがると、この問題が解決するかもしれません。
例えば、AさんとBさんが業務上関わるのであれば、都度ランダムで選ばれる第三者が仲介をする仕組みです。
この場合に業務はメッセージのみで仲介者を介して行われ、AさんとBさんの間に軋轢は生まれないだろうし、仮に激昂した内容が送信されても、どちらにとっても利害関係のない仲介者によって柔らかく翻訳されます。
現実的ではない、一つの理想型の話です。
2. 攻撃力がない人
これは環境よりも行動のほうが効果があると思われます。
要はあなたが無害であること、あなたが無力であることを示せばいいのです。
これは失敗談や恥ずかしい話、弱みを開示することにつながります。
立場や地位にかかわらず、同じように悩み、失敗し、欠点も持っている人間であれば、あなたを脅威と見なす確率は減ります。
さらに、あなたが弱みとした部分が相手にとって得意なところであれば、哀れみすら得られるかもしれません!
3. 敵の敵は味方
敵は必ず定めましょう。
ただし、敵は人ではありません。あなたの業務にとっての課題が敵です。
プログラマにとってはバグであったり、移りゆく仕様であったりします。
事務職であれば書類かもしれません(事務職の方々がどんなお仕事をしているのか、想像すらうまくできないのでチープな表現ですみません^^;)
ここではき違えてはならないのは、バグも仕様も人が作るもの、として攻撃を人に向けることです。
せっかく敵を人から非生物へ向けたのに、もう一度人を敵にしてしまうことは絶対に避けなければなりません。
あなたとチームメンバーはにっくき敵を殲滅するための協力者です。
それを常に言葉にして、何が敵であるのか、何をゴールとするのかを、メンバーと認識を合わせましょう。
このときに手段まで限定するのはNGです。
手段を限定するというのは、味方の武器を奪う行動につながるからです。
チームがすべきことはいっしょに敵を見定めること、メンバーがすべきことは敵を殲滅するために己の力を振り絞って立ち向かうこと、です。
4. 攻撃する意志のない人
これは口先だけで、「メンバーを害するつもりはない」と言っていても仕方ありません。
あなたに攻撃の意志があるかないかを判断するのはメンバーです。
それは口調だったり、会話の頻度だったり、距離感だったりするのかもしれません。
しかし、それらは関わる人のパーソナリティによって異なるため、具体的な行動として何が良いとは言い切れないでしょう。
例えば、毎日いっしょにランチを取ることは、距離感を近く持ちたい社交的な人にとっては親愛の証としても、私のようなヒキコモリにはその距離感が辛かったりするのです。
しかし、これだけで100点という訳ではないですが、必ず抑えておくべき事は話を聞くことです。
あなたが話すことではなく、相手の話を最後まで聞くことが重要です。
これによって、あなたが相手の主張を受容することを示せます。
どこでも言われることですが、話を聞くことは難しいです。
そのために私のテクニックとしては次のことを意識しています。
- 話の着地点を予想しながら聞く。
- 反論したいと思ったら、一段落したところで「そう考えた理由を教えて?」と聞く。つまり興味を示す。
- 意見を述べるときには、決定的な言葉を使わない。「常識的に」「~べき」など。
- ただし、知っている事実があれば包み隠さず伝える。
- どうしても興味を持てないのなら、率直に「自分の興味の外の話だ。だけど、それに対するあなたの考えはこういうことだったのかな」と、聞いていたことをアピールする。
5. 関わらない人
悲しいことに全ての人とうまくいくことはできないのが現実だと思います。
そのため、どうしてもお互いに良い関係を築けないときには、距離を置くことが最終手段でしょう。
そして、それを堂々とすることがよいと思われます。
「私とあなたはこういう点でうまくつきあっていけないように考えている。
それを解消するためにこんな手段も実践してみたけど、難しかったようだ。
そこに異論がなければ距離を置きたいのだけどどうだろうか」
と、第三者(できればメンバー全員)を交えて話ができるのがベストではないでしょうか。
※このときに攻撃的になったり、さらし挙げるような形になるのは愚策です。
冷徹な宣告でも他に不信感を生むので、かなり綱渡りになるコミュニケーションです。
その上で、業務上必要であれば、1で現実的には難しいとしながら挙げたような仲介者を立てるのが良さそうです。
これは、率直な態度を示すことで、2の弱さや人間味をアピールする場面でもあります。4
補足
1~5まで番号を振ったのには理由があります。
これらの行動などで築いた関係の覆りにくさの順を、私なりに考えた結果です。
行動 | 覆りにくさ | どうやって覆るか |
---|---|---|
1. 攻撃手段のない人 | 覆りにくい | 攻撃手段(人事権とか)を手に入れたとき。制度・環境的な変化は個人で起こしづらい |
2. 攻撃力がない人 | やや覆りにくい | 弱さを見せた後に声を張り上げても、強がっているようにしか見えない。 |
3. 敵の敵は味方 | 場合による | 共通の敵がいなくなったとき |
4. 攻撃する意志のない人 | やや覆りやすい | 人に対する攻撃的な態度を見たら、すぐに評価が変わる |
5. 関わらない人 | 覆りやすい | 関わらないこと自体が難しい |
あくまで私見なので明確な基準ではありませんが、いかがでしょうか。
この基準に従えば、2を何度もアピールする必要はなく、3、4は継続的に示していくことが必要だと言えます。
最後に
今回、心理的安全性にフォーカスしてまとめました。
そして、自らが心理的安全性を人に与えるためには、という視点で行動・スキルレベルで何ができるのかを考えました。
一部を切り抜いてしまえば、これはマウンティングで弱い立場に行くための方法に見えるかもしれません。
しかしそうではなく、対等な立場を維持しながらお互いが気持ちよくコミュニケーションできる関係性の構築を考えたものです。
そして、これはあくまで、自分が他者にとってコミュニケーションコストの低い人物であるための振る舞いを考えたものです。
チーム全体としてコミュニケーションコストを減らすには、様々なツールが必要でしょう。
例えばSlackに代表されるチャットツールは、メールに比べてコストが低いおかげで、意見や情報が出やすくなるわけです。
飲みにケーションは、人によってはコストを下げるものかもしれませんが、それぞれのパーソナリティ依存のツールです。
そういったことを考え、工夫しながらチーム・組織全体の活性化につなげて行きたいと考えています。
ネタが生まれたり気が向いたら、さらにこれらの内容を広げていきたいと思いますが、いい加減技術的な記事も書きたいのでいずれそのうち。
脚注
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周りに評価されたいという動機で聖人のように振る舞うこと自体には問題がないと考えていますが、その打算を見透かされてしまうような隙(多くの場合は、忙しいときの態度や表情、直接の評価に加わらない相手への態度、陰口など)を見せることが軋轢を生んでいるケースがほとんどじゃないでしょうか。脇が甘すぎるあいつの顔、思い浮かびませんか? ↩
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「優しい」とか「理解のある」などのように、人によって解釈が異なる可能性の高い概念的な記述を<薄い記述>とした場合に、より具体的に言明することで、多くの人が同じ物事を考えるように限定することを<厚い記述>としています。『哲学思考トレーニング』伊勢田哲治が、価値問題をクリティカルに考えるという点で非常に面白いので、これを参考にしています。 ↩
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私は自分の娘が1歳の頃に娘の指が目に入り、全治3ヶ月の裂傷を負いましたがw これぞまさに、目に入れても痛くない(いや、痛いけど)という感じで、娘を責める感情は全く出てこなかったのが、我ながら驚きました。 ↩
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アピールするまでもなく私は弱いので、どうやって攻撃力の高い人から逃れようかと悩むことばかりです。 ↩