はじめに
Aさん: 「なぜエンジニアになったんですか??」
私: 「作曲家業と無機物を作るという点が似ていて、パソコンとは半生以上毎日触ってきた相棒のような存在だからです。」
ありがたいことに、私に興味を持ってくださった業界のエンジニア、非エンジニア問わず約9割(肌感)の方と同じような会話をしました。そして、更にありがたいことに、「作曲家」にはあまり興味がなくても、私が作曲家として携わったアーティストさんのファンの方々からも興味を持って聞いていただけたこと。
全く違う業種である(と感じている)IT業界では、きっと自分のキャリアに興味をもってくれる人はあまりいないんだろうなと、ネガティブな気持ちがあった私としては、こうして聞いていただけることに嬉しく思いました。
しかし、その度に感じることは、
しっかり言語化すれば、自分でも気づくことができなかった、より深い理由が見えてくるのではないか
ということ。開発を仕事にしてから約4年が経ち、少しずつ自分の考えがまとまってきた今、記事化することにしました。
主な対象読者
- 異業種からエンジニアへの転身を考えている方
- 20代後半、未経験で門戸を叩いてみたものの、エンジニア転職の壁にぶつかってしまった方
私がエンジニアを本気で志すまで
1. 作曲家として
私は、大学在学中から、フリーランスの作曲家として作家事務所に所属する形で、活動を始めました。
業務スタイル
PCを使用したDAWという形式のパソコンで作曲をほぼ完結させる形式です。
そのため、使用するソフトウェアについては、トラブルシューティングを含め、かなり高い精度の理解をしている必要がありました。そのため、以下のようなソフトウェアの最新バージョンの仕様書のキャッチアップ、ドキュメントの読み込みに毎日1時間ほど時間を割いていました。
仕事の形式
また、完全出来高制のコンペ形式なのでクライアントの発注書に沿った楽曲でなければ、どんなにいい曲だとしてもお金にはなりません。
そのため、作曲のスキルを磨くことはもちろんですが、テキストベースの発注書の隠れた意図を汲み取るために、手がけるアーティストの楽曲をほぼ全部聴くくらいの徹底的なリサーチをし 、手がける作品をクライアントの要望に少しでも近づける努力を怠りませんでした。
そうして、仕事で曲を作り続けてから9年が経ち、誰もが知るような著名アーティストさんの楽曲を作曲家として手掛けられるようになってきました。
発注書、ソフトウェア仕様書を読み解く力は、設計書、仕様書を読み解く力として活きています。
2. エンジニア業との出会い
そして、一番脂が乗っている(と言われていた)時期に、毎日のようにPCと向き合っている私をみて、エンジニアである私の弟から、「エンジニアもやってみても面白いかも?」と勧められました。
その時の所感は、当然ですが、
今は音楽をやりたいな...(もう少し後でやりたいかも)
の一点でした。
しかし、
- Windows PCを10歳の頃から触っていて、自ら換装も行うなど、PCに対する飽くなき興味があった
- 以前Windows OSのトラブルシューティングをしてくださったMicrosoftのサポートの方が、遠隔でCommand Promptを使って、どんどん問題を解決されている姿を見て、「いつの日か、自分も同じようにPCを本質的に理解できるようになりたい」と思っていた
という理由で元々いつかやってみたいという思いはあったので、試しにUdemyで毎日1時間ほど、Javaの学習を続けてみることにしました。
一番最初にJavaを学習したことにより、他の言語への移行も比較的スムーズに行うことができました。今思うと、Javaを選んでいた自分に感謝しています。
4. エンジニアを仕事にしたいと思うようになる
そして、JavaやPHP, HTML, CSSと学習を続けること1年間。
気づけばいつの間にか私が割く時間が、
音楽制作 : 開発関連 = 1 : 1
になっていることに気づきました。
そして、何より興味深い気づきはこんなに楽しいことが音楽制作以外にもあったんだということ。「自分にはこれしかない!」という固定概念を捨てた先には、私が見たことのない世界が広がっていました。
何をやるにしても、好きなことでないと続かない私。1年間毎日自然と続いたことで、自分が本当に好きであることに確信を持てました。
5. 迎えた転職活動
未経験エンジニア転職のためのプログラミングスクールに通って準備万端
よくある某スクールに通い、出された課題成果物の出来を講師の方にも褒めていただくことも多くありました。
「これはいけるかな」
心のどこかでこう思っていた私は、Java Programmer Iを4万近くかけて取得し、いざ転職活動へ。
しかし、迎える転職活動でどん底に落とされました。
内定0で早くもどん底モード
「作曲をJ-pop業界でしてきました 」
と職務経歴書に書き、以下のような条件でひたすらエントリーしました。
- 未経験歓迎求人
- 導入支援の仕組みがある
- 住んでいるエリアから通える場所にある
しかし、50社ほどエントリーして一社も通りませんでした。
転生エージェントの方に聞いたところ、以下のような理由から難しいと言われました。
-
私は20代後半。周りは、20代前半...
-
人生初の正社員転職
-
文系大学卒
-
個人開発ポートフォリオもこれといって目新しいものがない
受けたのは「未経験歓迎」と記載のある求人がほとんどで、スタートアップや、小規模チーム(3-6名)で給与面はもちろん残業代などの支給条件がかなり厳しいところがほとんどでした。
7. もうダメなのかな... 
一時は、IT業界で働くことを諦めかけました。
「自分はIT業界で働くのはあっていないんじゃないか」
「(むしろ)音楽業界が自分を呼んでいるんじゃないか」
と思い、作曲家一本に戻ろうとしたその時、ある日弟と現在の転職活動について話していると、。
「もしかしたら、俺がインターンで行ったところがエンジニア採用しているみたいだから聞いてみるよ」
と救い船を出してくれました。
既に意気消沈気味の私。もう難しいんじゃないのかなと心のどこかで思ってました。
ところが、人事をされていた方がエンタメ業界の元社員さんで私の職務内容が刺さったのか、見事内定をいただくことができました
未経験でJava Programmer 1を取得していることも最終的な内定の理由になったようでした。未経験転職における資格の取得は、あと一歩届かない場合に、有利に働くことを身をもって実感しました。
未経験から社員エンジニアになる過程での気づき
皆さんは、作詞家、秋元康さんの名言をご存知でしょうか。
私は、努力しても中々結果が出ない時、いつもこの言葉を思い出して、努力を続けてきました。
「夢は全力で伸ばした手の指先の1ミリ先にある」
— 秋元康
全ての面接が落ちた時に諦めていたら、エンジニアとしてのキャリアはつかめませんでした。
諦めなかったからこそ、1ミリ先にあったリファラル採用という偶然のチャンスを掴むことができ、こうして後日談として記事にすることができたと思っています。
色々な意見はあるかと思いますが、私は今後も最後まで手を伸ばしてみようかなと思っております。
次回予告
リファラル採用でスタートアップに内定が決まった私。一人目の社内エンジニアとして壮絶な開発現場を経験」
をお送りします。読んでいただきありがとうございました