この記事は
讃岐GameN という 香川のゲームクリエイターコミュニティ の2017年発足〜2022年現在ぐらいまでの足跡をなるべく簡潔に残したものです。でも組織の足跡にしては、書いてる人の考えてたことが混じりがちなので日記みたいかも。一応本筋に関わるところだけ抽出してるつもりです。
もし興味持たれた方は是非ご連絡ください!ぜひ情報交換しましょう〜 @GameN21396848
讃岐GameNの代表的な活動はこちらです。
最強ゲームジャム
https://news.ksb.co.jp/article/13854533
Sanuki X Game
https://showxguys.org/
https://news.ksb.co.jp/article/14393147
その他活動はこのあたりにできるだけまとめてます。
https://sanuki-gamen.jimdofree.com/
https://sanuki-gamen.connpass.com/
この記事を書いている人
・2017年に讃岐GameNを立ち上げた人。
・22歳で進路変更した結果30歳で帰省するまで大学生でした。
・「人が集まる場」が好きです。学生のときも勉強会等をよく企画してました。
・ゲストハウス兼シェアハウスもやってます。高松来たら遊びに来てね
・ゲーム制作能力は、初心者本卒業程度です。Unity(マジで)チョット(だけ)デキル
・本職は非技術系です。コミュニティ立ち上げ時点でゲーム系の人達との接点は全くありません。
・というか、18歳で香川出たたので、地元の人との接点自体ほぼありません。家族と友だち以外知らない人。
結果的には、本職/ゲーム/ゲストハウスと、三系統の人の流れが重なることで、思いもしなかったような展開が起きていったなぁというのが、この5年間の雑感です。
讃岐GameNの足跡
なるべく簡単にまとめたい(願望)
2017年
・3月にFacebookのUnityユーザー雑談所に、「香川でUnityやりたいです。仲間募集!」みたいな書き込みをする。リアクション無し。
・隣の岡山Unity勉強会さんのゆるもく会に毎月遊びに行く。
・ゲストハウス兼シェアハウスの計画も建て始める。異業種交流会とかでゲストハウス、ゲーム制作仲間探してることをひたすら話す。
・仙台のIT系学会でユニティの方に出会う。香川の活動に興味を持ってもらい、それから今に至るまで、ことあるごとにサポートしていただく。この方との出会いなくして今の讃岐GameNはありえない。本当にありがとうございます。
・年末、Facebookの投稿に反応あり。忘れてた。元ゲームエンジニアのA氏と合流。讃岐GameN発足。
・活動場所は公民館の片隅。
2018年
・「コミケに行ったら岡山Unity勉強会の人と出会って、ここのこと教えてもらいました」と、専門学生B君登場。
・どうやら「学校の授業に満足していない学生が一定数いること」を知る。
・このコミュニティがそういう学生の受け皿になれるか、改めて地域の中での役割は何かを考えるようになる。
・専門学校のC先生と出会う。
・C先生も、「学校の授業に満足していない学生」のニーズ応えることに苦心。讃岐GameNの存在を歓迎される。嬉しい。
・C先生の「一応、ちゃんとした団体に見えるようにした方がいい」とのアドバイスで、情報通信交流館e-とぴあ・かがわのクラブ制度に登録する。
・クラブルーム、おいしいです(^q^) この公民館からの卒業。
・本職繋がりの人の息子がたまたま高専生、ということから高専生と繋がる。
・高専とのやりとりで、早速「ちゃんとした団体」にしていたことが功を奏する。C先生に感謝。
・ユニティのスタッフが応援してくれる形で高専内ゲームジャム実施にこぎつける。
・B君に加え、高専生D君もときどき勉強会に来てくれるようになる。以後、この二人が後輩を誘う形で専門学生と高専生との縁がつづく。
・運営と並行して「地域の中での役割」を模索しつづける。県内外、いろいろ出向く。
・岡山Unity勉強会さん主催のVtuberハッカソンが、技術者×大学×議員×街になってることに感動。うまくいえんけど、こんな感じええよなって強く思う。
・CoderDojo紫雲さんという先輩コミュニティを知る。
・2週間ごとに一人で電車で通ってくるという中学生のF君に会う。こういう子も地元にはいるのか、自分とは大違いやなと素直に感心する。
・一方、都内。ゲーム系の学会にて「地方におもしろい人なんていないでしょ」と18歳で上京した20代に(割と無邪気に)言われる。
・この発言自体に思うところはいろいろあれども、やっぱり 「こっちでしかできない」「おもしろいもの」を作る ことにも向き合う転機になった。
・でも、「こっちでしかできない」ってなんだろう?模索し始める。ヒントは前述した岡山のイベントだろか。街とゲームの接点を探し始める。
2019年
・街×ゲーム(技術)の最初の試みとして、地域課題解決IoTアイディアソンを開催。
・UdonTech代表さんにも手伝っていただき、高専生・大学生が10名ほど参加する。
・α版は完成するも、そこでチームが解散し、あえなく終了。
・シリアスゲームジャムというジャンルを知り、東京のハッカソンに出向く。たまたまバンダイナムコスタジオの方と出会い、香川に興味を持っていただく。こちらの方にも、その後Sanuki X Game開催に関して様々なアドバイスや人の支援をいただくことになる。こうやって振り返ると、確かに讃岐GameNは恵まれていると思う。誠にありがとうございます。
・その方のご縁で、都内から講師を招き、何本かゲーム制作ワークショップを開く。30人ほどの学生が集まる。
・このころになると、月一のゆるもく会には、入れ替わり立ち替わりで平均5人程度の参加者が集まるようになる。
・そろそろ、讃岐GameNとしてゲーム制作コンテストにもチャレンジしようかとA氏その他数名とゲーム大賞アマチュア部門に挑戦。
・これが大失敗。
・どれぐらい失敗かというと、このコンテストに参加したメンバーほぼ全員が讃岐GameNを去るぐらい大きな溝ができた。
・初期から讃岐GameNを支えてくれていたA氏が抜けたときには、讃岐GameN解散も覚悟した。
・C先生や学生さんたち、また岡山のコミュニティの支えもあってどうにか立て直した。
・この年前半、勢いを感じていただけに、この急降下はかなり堪えた。
2020年
・2年遅れでタピオカブームが来た香川県に、eスポーツがやってきた。
・ご近所の社長さんから「ゲームで楽しいイベントができないかな」と持ちかけられたり、e-とぴあの方から、「小学生のスクラッチ教室の、次のプログラムを探している。Unityっておもしろいんですか?」と話しをもらったり。
・このころになって、本職/ゲーム/ゲストハウスと、三系統の人の流れが重なることで、思いもしなかったような展開が起きていくことを実感し始める。
・前者はゲームで街の人を横に繋ぐSanuki X Gameの企画のタネに、後者は、ゲームでクリエイターを縦に繋ぐ最強ゲームジャムという企画にまとまる。
・最強ゲームジャムの企画きっかけで、県内唯一のゲーム会社Xeenのチーフ、G氏と初面会。
・専門学生からG氏は厳しい人と聞いていたのでずっと遠慮していたが、会ったら普通にいい人だった。2年ぐらい損した。
・でも、2018年ぐらいの讃岐GameNでは飛び込んでいっても相手してもらえなかったかもしれないので、結果オーライ。
・2019年しんどかったけど、2020年はいいことありそう
・コロナ、襲来
・ゲーム条例騒ぎ、勃発
・感染者数の谷間のタイミングで、でき得る感染対策を徹底して最強ゲームジャム開催。
・この年、小学生、中学生、高専生、専門学生、社会人アマ/プロが共同制作する縦の糸が香川で結ばれた。
・改めて、難しいタイミングだった。いろんな方が責任をしょってくれた奇跡のようなイベントだったと思う。
・e-とぴあさんに初心者用のUnity講座が生まれる。学生がUnityでバイトできるようになった。
2021年
・コロナに対する街の空気が「少しだけ」変わってきた。
・前述した近所の社長さんとSanuki X Gameの企画を再開。
・個人的にはゲーム条例騒ぎは「ゲーム×街のチャンス」だと思っていた。今、日本でこの街だけが、ゲームを趣味レイヤーではなく社会レイヤーで語り合うことができるんじゃないかと仮説を立てた。
・2018年からずっと考えてきた「こっちでしかできない」こと。最強ゲームジャムがコロナの中でも人を縦に繋げられたように、ゲームを通して人と社会を繋ぐこと、「ゲーム×街」。そういう場があれば自然と「おもしろいこと」が生まれないだろうか? その土台を創るのは、今しかないと思った。
・結果としては、300人ぐらいの人が来た。
・商店街という生活空間をつかって、街の人とクリエイターが共働するお祭りになったと思う。
・魚市場さんがこどもたちのために商店街まで生きた魚を持ってきてくれる「あのもりのつりぼり」は、個人的には一つ象徴的な出し物だった。
2022年とこれから
2020年、2021年に立ち上げた縦の糸としての最強ゲームジャム、横の糸としてのSanuki X Game。この二つが立ち上がったことで、讃岐GameNも立ち上げ期を抜けたように思う。
Setouchi-i-baseに拠点を移したことで、新しい仲間とも出会った。
これからしばらくは、月々のゆるもく会で新旧メンバー同士交流をかさねつつ、奇跡的な縁で生まれた縦と横の二つの場を大切に育てていく。きっと、おもしろいことはこの場から自然と生まれるはずだ。すでに、学生と社会人混合の謎とき制作チームが新しく生まれた。
これは、街という遊び場を得たことで起きたことなのではないかと思っている。
私たちには、遊び場が必要だ。
それがまだ街のどこかに隠れてはいないかと、常にワクワクしている。