よく「整数を返却する関数」とか「メソッドの返却値」という表現を目にしますが,たいへん違和感があります。
「返却」は,借りたり貰ったりしたものを返す(元へ戻す)ことだからです。
それぞれ「整数を返す関数」「メソッドの返り値」と言えばいいでしょう。
和語の「返す」は「返却する」よりもかなり意味が広い言葉です。
「返却する」は,何かが A から B に移ったあと,B がそれを再び A に移すことです。
一方,「返す」はそれ以外にも,「言葉を返す」(口答えする,反論する)のようにも使います。この場合,何かを言われて,その相手に別の言葉を投げるわけですね。「返事を返す」「挨拶を返す」「笑顔で返す」も同様。働きかけに対する反応になっています。
関数やメソッドが値を返すのも,呼ばれたときに持ち込まれた引数を元に戻すというわけではなく,制御の流れが呼び出し側に戻る際に何らかの値を持って行く,そのことを言っているわけですよね。
ここ最近,急激に「返却する」という表現が広まっているように感じます。
多くの人が使えばそれに目が馴れてしまい,「おかしい」と感じる人は減っていくでしょう。
この流れはもう止められないのかもしれません1。
一般論として,言葉の意味・用法が変化することは自然なことですが,私はまだこの「返却」に抵抗を続けたいと思います。
「返却する」と書いてしまう背景には,意識的にせよ無意識にせよ「漢語で表現したい」という動機があるのでしょう。
人によりますが,ある種の文章(「きちんとした文章」とか)を書くときに和語を避けようとする傾向があります。漢語を使うと何かもっともらしい感じがするんですね。
それと,漢語は「返却」だけで名詞になりますが,和語だと「返すこと」のような形にせざるを得ません2。また,漢語だと「返却値」「返却時」などのように造語要素として幅広く使えますが,和語は漢語ほどの造語力がありません3。
「値を返す」の「返す」を漢語で表そうとすると,他に適当な語が浮かばないために,意味の似た「返却」を選んでしまうのではないかと思っています。
ところで,Rust には「所有権を返す」という概念があります。これはまさに返却です。
所有権が一時的に移り,その所有権を元に戻すわけですから。