ここは、技術者(特に若い技術者)が、お互いに技術知識(特にプログラミング知識)を共有しあうコミュニティですよね。社会は、無数の無名の地上の星によって支えられていて、ここはそういう人たちがお互い高めあうところ。
ですが、技術は所詮、手段です。
若いIT青年とのやりとり
「IT身に着けて、将来、何をやりたいの?」「... いま、模索中なんです」
「Pythonを勉強して、何するの?」「...」
このコミュニティの趣旨にあえて反する主張ですが、ここに集まる方々に訴えたいことがある。
プログラミングは、昔でいえば、読み書きそろばん。そこがしっかりしていないと、その先が成り立たないのはわかっています。が、その前に、技術者には、「何のため」ということを考えてほしい。個々の技術は、役立ちます。しかし、何のためにということを定義することは、もっと深く社会に影響を与えることができます。
日本の教育は伝統的に「読み書きそろばん」。教育は、教科書という書き物を読み、手習い(書きとり)を繰り返す。公式を読み、暗記する。そのように手段を偏重してきました。その結果、社会に出て、ビジネスの場面でも、会議の前に議題を書いて、紙に印刷して、配り、それを読み、書いてあることの質疑応答。慣れた手段を使っていれば、OK。議論の代わりに、書いて読むだけ。読み書きそろばんは、今どきは、プログラミングという方法に化けています。もっと、生きた会話と議論を中心に据えるべきでしょう。もっと、ゼロから考えることを重視すべきでしょう。
日本には、手段にたけた秀才は、たくさんいる。しかし、リーダーは少ない。手段にたけた秀才が多いため、日本は、1990年頃までは、すでにあるものを真似し、すぐにキャッチアップして、よりいいものを出して成功することができた。最近でも、流行を追う若者が多く、失望します。手段が得意な反面で(その故に)、日本は、世界のフロンティに立ったとき、どこを目指すの?という点で存在感を示せずに、今では、素材屋・部品屋に、成り下がってしまっています。計算機科学でも同じで、チューリング賞受賞者に、日本人は一人もいない。IT産業界でも同じで、マイクロソフト、グーグル、アップル、アマゾンなど現在のITをリードしてきた企業に、日本企業はない。
読み書きそろばんプログラミングという手段の前に、何のため、何を、を考えるリーダーが少ないからだと思う。手段(Deep Learningとかなんだとか)は、お勉強が得意な秀才さんに任せておけばいいんです。今、日本にもっとも欠けているのは、何もないところから、どこを目指すかの地図を描けるリーダーだと思う。
そういう思いを背景に、WHATを考えるリーダーが育ってほしいと思い、
https://yo-sato.com/hmc/ja/edu.html
に、ITを志す若い人(カレッジ3,4年向け)に、知ってほしいことを書きました。
ぜひ、一瞥してやってほしい。