はじめに
こんばんは。物理学科2年のSℏunです。数理物理班と量子班に入っています。この記事は理物 アドベントカレンダー 2022の10日目の記事として書きました。
最近はサッカーワールドカップが盛り上がってますね。日本は残念ながら負けてしまいましたがまだまだ面白い試合が続くので楽しみです。1そんなある日Twitterを眺めているとこんなツイートが目に入りました。
これを見た時「え?オフサイドってwell-definedなルールじゃないの??」とすごいびっくりしてしまいました。今からこれについて考えていきたいと思います。2
オフサイドのルール
まずオフサイドのルールを確認していきましょう。日本サッカー協会によると3、
(1)オフサイドポジションとは、「相手競技者のハーフ内」で、かつ「ボールおよび後方から2人目の相手競技者より相手競技者のゴールラインに近い位置」のこと
であり、
(2)「ボールが味方競技者によってプレーされたか触れられた瞬間にオフサイドポジションにいる競技者」がプレーに関与した場合に反則となる
と定められています。このルールの主な目的は、相手ゴール前で待っている選手にとにかくボールを蹴ればいい、というようなことを防止するためにあり、このルールを利用して、相手のプレーできるエリアを制限することができます。
では、このルールのどこに問題がるのでしょうか?以下それを考えていきます。
特殊相対論
その前に、まず特殊相対性理論について少し振り返っておきましょう。
特殊相対論では、慣性系という加速度が0であるような一群の観測者を考え、それらが全て対等である、つまりどの慣性系から見ても物理法則は不変であるということを指導原理として理論が構築されます。そのため、異なる慣性系の間での変換法則が重要になります。
ここまでは通常のニュートン力学でも同じなのですが、ニュートン力学と特殊相対論では速度の合成則が異なります。ある慣性系K系に対して速度vで運動する別の慣性系をK’系、K’系に対して速度uで運動するさらに別の慣性系をK’’系とした時、ニュートン力学ではK’’系のK系に対する速度はv+uになりますが、特殊相対論ではそうなりません。その代わり、光の速さが誰から見ても同じになるということを原理として取り入れることによって慣性系間の変換則を構築しています。
そうすると、ニュートン力学では時間変化dtが全ての慣性系で不変になるのに対して、特殊相対論では世界間隔
が不変となることが導かれます。そのため、観測者ごとに時間の経過の仕方は異なることになります。
オフサイド再考
では、オフサイドの話に戻りましょう。あのルールのどこに問題があるのでしょうか。それはズバリ、空間的に離れた2つの点での同時性を問うてるところにあります。ある観測者から見たらパサーがボールを蹴った時にフォワードがオフサイドラインより手前にいたとしても、別の観測者から見たらもう既にオフサイドラインの裏に走り抜けている、ということがありえるのです。
下図4の例を見てみましょう。xとtはK系の空間座標と時間座標、x'とt'はK'系の空間座標と時間座標で、どちらもパスが出された時刻を0、パスが蹴られた位置を原点に取ってあります。この時、t=0すなわちx軸上ではフォワードの方がオフサイドラインより手前にいるが、t'=0すなわちx'軸上ではフォワードがオフサイドラインより奥にいる、つまりK系で見るとオフサイドではないのにK'系で見るとオフサイドになってしまう5ことがわかります。
以上のことからオフサイドのルールを相対論的にwell-definedなものにするには、どの観測者から見て「ボールが味方競技者によってプレーされたか触れられた瞬間」なのかを決めておく必要があることが分かるでしょう。
オフサイドはwell-definedか
オフサイドかどうかを一意に判定できるためには「誰から見てパスが出されたのと同時刻なのか」を予め決めておかなければならないということを見てきました。では、本当にそれは決まっていなかったのでしょうか。オフサイドかどうかなんて実は決めようがなかったのでしょうか。そう考えると、とても不安になってしまいますね。
しかし、よく考えてみると、そんな不安は杞憂であったことが分かります。オフサイドは誰が判定することになっていたでしょうか。思い出してください、副審です。そして副審は、オフサイドを正確に判定できるようになるためにディフェンスラインとともにその横を走っていなければならなかった6のですから、その速度はなんと一意に定まります。つまり、オフサイドはwell-definedなルールだということです。やったね。
実はルールが変わっていた?
しかし、ここで奇妙なことに気付きます。前節の帰結は、オフサイドがコートに対して静止した系ではなく、オフサイドラインに対して静止した系を基準に定められている7ことがわかります。これはちょっと非自明ですよね。しかも、ということは、オフサイドかどうかを決めるのはラインの位置だけでなく、ラインの上がる速度にも依存していることがわかります。そのため、ラインを高くする代わりに、ラインを上げる速度を速くすることによってオフサイドを取るといったいった戦略が可能となってしまいます。
ここで、重大な事実に思い当たります。今大会で話題となっていたVAR、Video Assitant Refereeですが、あれは会場に設置されたカメラで撮った映像によって判定を下していました。カメラは当然8コートに対して静止していますから、VARによる判定と副審による判定は原理的に異なることが分かります。つまり、しれっとルールが変わってしまっていたのです。これは驚きです。
終わりに
「三笘の1mm」のようなことがあるのですから、このルール変更が試合の結果に影響を与えていたのではないかと思われる方もいらっしゃるでしょう。しかし、人間の走る速さvはせいぜい10^1m/sのオーダーである一方、光速cは2.99792458×10^8m/sですから、相対論では(v/c)^2できいてくるので、元の値の10^(-14)倍ほどの違いしか生まれませんから、とても1mmなどには及ばず、現在では違いを検知することは残念ながら不可能でしょう。
今後の技術の進歩への期待を述べて本記事を終わりとします。わざわざ読んでいただきありがとうございました。
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時差があるので日本の深夜帯に行われているので生活習慣が破壊されてしまいますね。そのせい(?)で今日の記事を書くのが遅れてしまいました。ごめんなさい。 ↩
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今度真面目な物理の話も書きます。たぶん。 ↩
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サッカー競技規則 2022/23 第11条 ↩
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この様な図を時空図と言い、この図による議論は完全に正当なものとなっています。またこの図から観測者の変更が単に時空の基底の取り替え(詳しくは双曲回転)に過ぎないことを理解することができるでしょう。 ↩
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もちろんその選手がプレーに関与した場合ですが。 ↩
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審判も大変ですね。 ↩
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もちろん審判が頭の中でその場でLorentz変換を行えばコートに対して静止した系を基準にできますが、それはしないものとします。そもそも、副審がラインの横を走らなければならないのは見る角度によってオフサイドかどうかが変わってしまうので、それを防ぐためであり、これは副審が頭の中で空間回転変換を行えないことを前提とされています。空間回転とLorentz変換はEuclid計量かMinkowski計量かの差しか無いので本質的に同じなので、副審にその場でLorentz変換をすることも要求しないのは自然といえるでしょう。審判は忙しいのです。 ↩
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違ったらごめんなさい。 ↩