はじめに
物理学科B3のSℏunです。今日はGPT(General Probabilistic Theories1, 一般確率論)について紹介したいと思います2。
一般確率論は量子論や古典論を含むようなより一般の理論であり、状態や測定に対する物理的な要請を出発点にしているという特徴があります。
状態と事象
古典物理学では各状態ごとに全ての物理量の値は定まっていると考えていましたが、量子論においては物理量の値は確率的な予言しかできなく3、しかも測定をすると状態が必然的に変化してしまうことがわかっています。そのため、量子論においては「状態」や「測定」の概念が自明なものではなく、真面目に考察しなければならないものであることがわかります。
標準的な量子論では状態や物理量がHilbert空間上の演算子として記述されることが天下り的に与えられますが、一般確率論においてはむしろ「状態」や「測定」に対する物理的な要請から出発します。
一般確率論においては、「状態」とはその状態において各「事象4」が起こる確率を与えるもの、とします。本当に一般の理論においては測定結果が確率的にさえわからない可能性もありますが、一般確率論においては確率的な予言はできることを要請します。また、どんな測定によっても区別できない「状態」は区別できないとして、同じ状態であるとみなします5。
また、状態の(古典)確率混合はできることを要請します。つまり、どんな理論においても「確率$p$で状態$A$にあり、確率$1-p$で状態$B$にあるような状態」を用意することはできるというふうに考えます。このことは、数学的に言えば、状態空間が凸集合6をなす、ということになります。
次に、「事象(effect)」は各「状態」に対してそれが起こる確率を与えるもの、とします。必ず同時に起きる事象は同じとみなします。つまり、「状態」と「事象」は互いから$[0,1]$への写像ということになります。
また、事象は状態の確率混合に対して整合的であることを要請します。つまり、状態$A$で確率$p_A$で起き、状態$B$で確率$p_B$で起きるような事象は、状態$\lambda A+(1-\lambda)B$では確率$\lambda p_A+(1-\lambda)p_B$で起きて欲しいということです。これは、数学的に言えば、「事象」が状態空間から$[0,1]$へのaffine写像7である、ということになります。
まとめると、一般確率論においては、「状態」は凸集合8の元であり、「事象」は状態空間から$[0,1]$へのaffine写像として記述されます。ここでは状態を先に定めましたが、事象に対する要請から出発することもでき、これらは双対的な関係9にあります。
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次に、いくつかの概念の一般確率論における特徴付けを紹介します。
一つ目は、純粋状態です。一般確率論においては、純粋状態とは「他のどんな状態の確率混合としても表されないような状態のこと」として定義されます。これは数学的に言えば、状態空間のなす凸集合の端点10である、ということになります。
次に、古典系です。一般確率論においては、古典系は「全ての状態が純粋状態の確率混合として一意的に表される系」として定義され、これは数学的に言えば状態空間が単体11であるもの、ということになります。
また、「事象」はyes/noの2値測定とみなすことができますが、一般に、「測定」は事象空間の部分集合$\{e_i\}_i$で、任意の状態$x$に対してそれに属する事象の起こる確率の和が1となる(つまり$\sum_i e_i(x)=1$を満たす)ものとして定義できます12。この時、その「測定」に属する元の個数が測定結果としてあり得る値の個数となります。
合成系とエンタングルメント
一般確率論においては状態空間は凸集合であると述べましたが、合成系の状態空間はどのようになるでしょうか。
量子論の古典論と異なる反直観的な性質として、不確定性関係とならんで、エンタングルメント(非局所相関)の存在が挙げられます。これは空間的に離れた2つの系の間に非自明な相関があるというものですが、これは合成系の状態空間の性質によって決まります。
実は、一般確率論においては状態空間$S_A, S_B$によって表される2つの系$A,B$の合成系の状態空間$S_A\tilde{\otimes}S_B$は一意には定まりません。合成系の状態空間に対する物理的な要請からは、最小の状態空間$S_A\otimes_{min}S_B$13と最大の状態空間$S_A\otimes_{max}S_B$14の間にある15ことしかわからないのです16。
ここで、一般確率論においては$S_A\otimes_{min}S_B$に属する状態を積状態、$S_A\tilde{\otimes}S_B\backslash S_A\otimes_{min}S_B$に属する状態をエンタングルメント状態と定義します。証明は省略しますが、実は、片方の系が古典系であることと、$S_A\otimes_{min}S_B=S_A\otimes_{max}S_B$であることが同値であることがわかっています17。つまり、エンタングルメントの存在は非古典系に共通の性質であり、量子系に固有の性質ではないのです。実際、一般確率論の中にはBellの不等式を量子論の限界よりも強く破る18ような系(Popescu-Rohrlich box)19も存在しています。
状態変化と測定
次に、「状態変化」や「測定」の扱いについて説明します。
一般確率論においては、状態変化や測定はより一般化されたチャネル(あるいはプロセス)の特別な場合と考えることができます。チャネルは一般に二つの状態空間の間のaffine写像$f:S_1\to S_2$として定義されます。affine写像であることは以前同様に状態の確率混合に対して整合的であるための要求です。
時間発展などの通常の状態変化は、そのうち変化の前後で同じ状態空間に属する(つまり$S_1=S_2$)ものであり、測定は$S_2$が古典系($n$-単体)であるものです。また、測定に伴う状態変化を考えたい場合には、状態空間$S$から元の空間$S$と古典系($n$-単体)$\Delta_n$の合成系$S\tilde{\otimes}\Delta_n$へのチャネルを考えればよく、そこに$\mathrm{id}_S\otimes 1_n$2021を作用させれば測定結果がわからない混合状態になるし、$\mathrm{id}_S\otimes \hat{e}_j$22を作用させれば$j$番目の測定結果が得られた時の状態となります。
量子論における不確定性関係に代表される同時測定不可能性は、一般のチャネルに対するincompatibilityとして定式化されます23。2つのチャネル$f:S\to F$と$g:S\to G$がcompatibleであるとは、$(\mathrm{id}_F\otimes 1_G)\circ\Phi=f$と$(1_F\otimes \mathrm{id}_G)\circ\Phi=g$を満たすチャネル$\Phi:S\to T_1\tilde{\otimes}T_2$が存在することと定義されます。$f$と$g$がcompatibleでないとき、$f$と$g$はincompatibleであると言います。
これを用いると、例えば複製禁止定理(no-broadcasting)も非古典系に一般の性質だとわかります。「状態を複製できる」ということは、「$\mathrm{id}_S$が自分自身とcompatibleであること」と表現できますが、それは$S$が単体(古典系)のときだけであるということが証明できる24のです。
終わりに
このように、一般確率論では、量子論で出てきた様々な概念がもっと自然に定義されるとともに、量子論の「不思議だ」と言われる性質が本当はどういうところから来たのかをもっと一般的な枠組みのもとに理解することができます。また、一般確率論は量子論自体の理解に役立つだけでなく、量子論より外側の世界を探究することもできます25。
以上で見てきたことはほんの一部ですが、一般確率論の嬉しさが伝わったら幸いです。みなさんも一般確率論ネイティブを目指しませんか?
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某chatする方ではないです。 ↩
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主に M. Plávala Phys. Rep. 1033 1 (2023)を参考。日本語で読めるまとまった解説としては過去のPhysics Lab. の記事がある。 ↩
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さらに、ある一つの物理量の値が確定した状態というのは存在するが、複数の(互いに非可換な)物理量については、それらの値は同時に確定し得ないという不確定性関係が知られています。また、量子状態を物理量の値が定まった仮想的な状態の統計平均とみなすこともできないことがBell-Kochen-Sppekerの定理によってわかっています。 ↩
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例えば「スピン$x$を測定したら$1/2$が得られる」など。 ↩
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適当な同値類で割ってやればよいです。 ↩
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内分点を取るという操作に対して閉じている集合。つまり、$x,y\in S\implies^\forall\lambda\in[0,1],~ \lambda x+\lambda (1-\lambda)y\in S$を満たす集合$S$のこと。例えば量子二準位系の状態空間である球体(Bloch球)など。 ↩
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凸集合Sから凸集合Tへの写像$f:S\to T$で、凸結合を保つ、つまり、$^\forall \lambda\in[0,1],~ x,y\in S,~ f(\lambda x+(1-\lambda) y)=\lambda f(x)+(1-\lambda) f(y)$を満たすもの。 ↩
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正確には分離的閉凸構造。 ↩
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事象のなす集合はeffect moduleという構造を持っていて、背後にあるベクトル順序・凸錐の関係からどちらから始めても良いことがわかります。 ↩
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$^\forall\lambda\in(0,1)$に対して、$\lambda x+(1-\lambda)y=z$ならば$x=y=z$を満たす点$z$のこと。例えば球体の端点は球面であり、量子系における純粋状態の定義と合致していることがわかる。 ↩
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全ての点が端点の凸結合として一意的に表される図形。例えば線分、三角形、四面体など。反対に、四角形や直方体は単体ではない。 ↩
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これはエントロピーを定義するときなどに使われます。G.~Kimura, J.~Ishiguro, and M.~Fukui Phys. Rev. A 94, 042113 (2016)などを参照。 ↩
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$S_A\otimes_{min}S_B:=\mathrm{conv}(\{x_A\otimes x_B~|~x_A\in S_A, x_B\in S_B\})$ ↩
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$S_A\otimes_{max}S_B$は最小の事象空間$E_A\otimes_{min}E_B:=\mathrm{conv}(\{e_A\otimes e_B~|~e_A\in E_A, e_B\in E_B\})$から定まる状態空間として定義される。 ↩
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$S_A\otimes_{min}S_B\subset S_A\tilde{\otimes}S_B \subset S_A\otimes_{min}S_B$ ↩
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実際、量子論における合成系の状態空間はminでもmaxでもない ↩
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G.~Aubrun, L.~Lami, C.~Palazuelos, M.~Plávala, Geom. Funct. Anal. 31 181 (2021)を参照。 ↩
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正確には$C:=|C(AB)+C(AB')+C(A'B)-C(A'B')|$の最大値が古典論(局所隠れた変数理論)においては$2$(CHSH不等式)、量子論においては$2\sqrt{2}$(Tsirelson限界)、PR boxにおいては$4$である、ということ。 ↩
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$id_S$は$S$上の恒等チャネル$\mathrm{id}_S:x\mapsto x$。 ↩
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$1_n$は$\Delta_n$上の自明チャネル $1_n:x\mapsto 1$ ↩
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$\hat{e}_j$は$\Delta_n$から$[0,1]$へのチャネル(つまり$\Delta_n$上の事象)で、j番目の純粋状態に対しては1を、それ以外の純粋状態に対しては0を返すもの。このような事象は古典系の時にのみ存在することに注意。 ↩
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ただし、本当は不確定性関係は内在的なゆらぎについてのものや測定誤差についてのものなど色々あります。また、ここでいうincompatobilityはそのような不等式によって具体的なバウンドが与えられるものではないです。 ↩
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H.~Barnum, J.~Barrett, M.~Leifer, and A.~Wilce
Phys. Rev. Lett. 99, 240501 (2007)を参照。 ↩ -
例えば、素粒子標準模型と一般相対論の統一は達成されておらず、重力を含む万物の理論が量子論である保証はないでしょうし、物性中において量子でも古典でもないGPTの系が作られることはあり得るでしょう。 ↩