システム内製化の経営学(2)
前稿では、システム内製化のためには「内製された人材」が不可欠で、そのような人材は当たり前に存在しているわけではない、ということを述べさせていただきました。そのような人材を確保する方法を考えるにあたって、まずは逆説的ながら「システム内製化のための内製された人材が当たり前のようにいる」企業や業種とはどのようなもかを考えてみたいと思います。
一般論でいうと、早くから情報システム投資に熱心で、また長年にわたりある程度以上のレベルの人材を採用してきたため、内製人材A(社内エンジニア)、B(ローコード開発予備軍)ともに蓄積されていると考えられる企業・業種です。企業数から言うと少数派ですが、経済力では存在感がありそうな、次のような会社・業界です。
〇名前の知られた名門企業、旧財閥系など
〇規制産業(金融・公共など)
何となくよくわかるという方も多いでしょう。効率化という観点からいうと、名門・旧財閥系企業は、間接部門や現場の効率化なくして今日までブランドを維持して存続することは難しかったでしょうし、またグループ内でプラクティス情報が共有されるとともに、グループのベンダーとの付き合いも長く深いものがあります。
一方の規制産業の方は、事務量が膨大な場合が多いので、その効率化のために少なくないシステム投資を続けてきましたし、ほぼ例外なく情シス専業の関連会社を持っています。いずれの場合も、社員か長期派遣等かは別として、社内に特定の開発目的ではないエンジニアを一定数抱えてきました。
加えて、これらの企業・業界は、優良安定企業という世評を背景に、長年にわたり学業成果の高い学生を新卒採用してきましたし、またほとんどの社員が職業人生のすべてを一つの会社で過ごします。したがって、社内事情や慣行に通じていて、システム企画やローコード開発等に適性のある人材が各層にまんべんなくいます。そうした多年にわたる蓄積の結果として「システム内製化のための『内製された人材』が当たり前のようにいる」という状況なっているのです。
これらの企業や業種にとって、外注しているシステム開発を内製に移行するのはそれほど困難なことではなく、ゆえに比較的低コストでこれを進めることができるでしょう。実は低コストというのは表面的な期別会計上の話で、のちほど詳述するように、これらの余力ある企業においては内製化によって過去の埋没費用を回収できる可能性が高いのです。
このように考えると良いことづくめのように見えますし、実際、上の挙げたような企業でシステムの内製開発に積極的に取り組んでいる事例は多く、効率化を中心とした成果も報告されています。(ただし、規制産業の方では、システム内製化へのモメンタムはそれほど高くありません。というのも、人事と予算のしくみとして、規制当局に報告する「定員」に類するものがあり、誰が何をしているのかが明らかでなければならず、基本的に「人が余っている」というのはあってはならないのです。この事情は官庁そのものや独法でも基本的に同じです。そうした基本的な枠組みに加えて、規制産業では販管費に余裕があったり(金融の場合)、システム投資がプログラム予算化されていたり(公益事業など)するので、ベンダーへの外注開発を内製化する経営的な動機は乏しいと言わざるを得ません。)
ここまでは、システム内製化実現の鍵となる人的資源に余力がある場合を見てきましたが、次にそうでない場合を考えてみましょう。内製化の条件が整っていないことを嘆く当事者もいらっしゃいますが、それはシステム内製という切り口から見た、いわば結果論であって、本業の経営という観点(本業キャッシュフローの持続可能性など)からは優秀なのです。それはどのような企業・業種かというと、代表的なのは以下のようなものです。
〇競争力あるビジネスモデルの優越性で急成長してきた、比較的新しい企業
〇輸出などで市場競争力のある製造業
このうち前者は、内製化で達成されるような効率化を必要としないほど本業のビジネスモデルが生み出す利益が厚かったか、リーンな(贅肉のない)状態のまま成長してきたか、その両方ということです。現場などでどうしても必要なところ以外にはエンジニアはいませんし、もともと偏差値秀才は入ってきていないところで、多少できる人は要所要所で忙殺されています。
一方の製造業では、全体的にCI(継続的改善)的なアプローチでムダをなくしていくカルチャーが定着しており、かかえているシステム要員といえば、製造ライン関係で迅速なカスタマイズを行うような、本業に不可欠の、そして常に多忙なエンジニアのみです。歴史のあるメーカーになると有名大卒の人材も多少いるのですが、製造プロセスのシステム内製化は非エンジニアにとってハードルが高いのが実情です。
すなわち、これらの企業・業種では「システム内製化に必要な内製された人材」に乏しい、別の言い方をすれば、中長期的に累積した埋没費用の回収という、システム内製化が不可避的に持つ側面が成り立つ要件がないのです。(証券アナリスト的な視点で見ると買い推奨かも知れませんね。)
ここで、これまでところどころ述べた埋没費用ということの意味について、本業とシステム内製という二部門を想定して簡単なモデルで説明してみましょう。ここでは、本業においてもシステム内製においても投入物は労働(=人的資源の費用化ないし賃金)のみとしますが、この仮定で議論の本質が変わることはありません。
一般的に、本業においてファイナンス(資本と負債)からのリターン要求を満たす必要がありますから、今期nにおいてこれに必要な投入をP(n)、その一方で企業が実際に抱えている人材の費用をC(n)とすると、その差分
NPC(n) = C(n) - P(n) ...①
は、埋没費用、またはリターンを生まない人的資源の費用化とみなすことができます。その累積である
t=1
ΣNPC(t) ...② (ただしtは創業からの期数)
n
は、そのような人的資源そのもの、ある種の隠れ余剰ともいえるものです。このような余剰がなぜ発生するのかというと、労働市場が十分に効率化されていなかったり(少し言い訳めいている)、企業の側のエージェント問題(こっちが深刻)があるからです。企業経営の分野でエージェント問題というと、経営者が資本の要請とは異なる行動をする、すなわち自分の満足のために資源を消費する(例えば豪壮な社屋や役員室など?)ことを言いますが、長年、企業ガバナンスで独自のプラクティスを維持していた日本では、経済的合理性から乖離した優秀な新卒の争奪競争が行われてきました。余力ある企業におけるエンジニアの採用にもそのようプラクティスの影響があったことは否定できません。
ともあれ、このような本業部門の余剰こそが「内製のための内製された人材」の会計面における実態である、というのが本稿の提示する仮説です。システム内製部門で独自の人的資本を形成するためには時間がかかりますし、とりあえず上の式でNPCが正でなければ内製部門は成立しないのです。②のΣNPCのうち、システム内製開発に振り向けた比率をiとし、それによって開発された内製システムのROIをR(n)、当該システムの(集合的な)償却期数をdとすると、内製部門の生産物であるシステムの価値は以下のように表されます。
t=n
ΣR(t) = i[ΣNPC(n)] ...③
n+d
したがって、正のNPCがないという(経営的には正しい)ことそこが、システム内製化をしたいけれども条件が整っていないという企業の悩み・嘆きの本質だといえるでしょう。このモデルでは、本業部門で余剰を蓄積していくしかないことが示されています。内製開発を目的として人材を採用・育成していく場合は、どのような形であれ、会計的には本業に吸収ないし肩代わりしてもらうしかありません。
後述するように、内製化の条件が整わないからといって、内製化をする必要性がないということではありません。むしろ逆に、そういった余剰に乏しい、比較的リーンな企業において、システム内製によってさらに競争力を高めていける可能性が高いのです。このような状況を本稿では「内製化のジレンマ」と呼ぶことにしますが、次回はこの点について深堀りしていきたいと思います。