この記事はQiita Engineer Festa 2023 参加記事です。
はじめに
タイトルは釣りです。
釣り針大きくしましたが、あながち嘘ではありません。
いつも自分に言い聞かせていること。そんなポエムを書きます。
「良いモノを作る」なんて傲慢だ!というお話。
モノづくりの原体験
エンジニアとして仕事をしている人は、原体験として
- 自分が作ったモノが思い通りに動いた経験
- 自分が作ったモノが(自分を含む)誰かの役に立った経験
を持っているような気がしています。
「もっといろんなモノを作れるようになりたい」
「もっと良いモノを作って誰かの役に立ちたい」
そんな思いから、技術力を向上させるために勉強したり、実践して成功や失敗を繰り返し成長していると思います。
技術知識や経験が備わってくると自分でできることも増え、引き出しも増え、やりたいことも増えてくるはずです。
「良いモノを作る」は正しいのか?
これ自体は、まったく間違っているとは思っていませんし、「良いモノを作るんだ!」という熱い想い・情熱・矜持は忘れてはいけないと思っています。
良いモノを作り続けることによってのみ、原体験の延長線上にある達成感を得ることができると思っています。
では、なぜ「良いモノを作る」なんて傲慢だ!と自分に言い聞かせているのか?
自分の限られた知識・経験の中で考える「良いモノ」が 「使う人にとって本当に良いモノなのか?」は使ってもらうまで分からない と考えているからです。
思考に集中していると、「自分が考え抜いた良いモノは、みんなにとっても良いモノだ!」と錯覚してしまいがちです。
(いつもいつも反省の日々です。)
また、使い古された言葉ですが、変化が多く変化が早い時代です。
「自分の考えた良いモノ」が「使う人にとっても良いモノ」だったとしても、作り始めてから、こだわりを持って作り込んでいるうちに時代や状況が変わり、 リリースするタイミングでは「良いモノ」の定義が変わっていること もあると思っています。
だからこそ、アジャイルという考え方が生まれ、ウォーターフォールという開発の方法から、MVPという考え方のもとで細かくデリバーして仮説検証をする開発の方法へ転換していったのでは?と理解しています。
自分の掲げた「良いモノを作る」という熱い想い・情熱・矜持は、「プロフェッショナルとしてのこだわり」か「発案者としてのとらわれ」か?
そう自分に冷静に問うことで 「本当に良いモノを作る」という目的 をブラさないように心がけています。
(と言いつつ、熱くなりやすいので、いつもいつも反省の日々です。)
傲慢にならずに「本当に良いモノを作る」ためにはどうすればよいか?
「本当に良いモノ」かを決めるのは自分ではないと認識する
作ったモノが「本当に良いものか?」を決める・判断するのは、(時に自分も含む)利用者であると思っています。
考えても結論がでないことに対して時間を費やして「本当に良い(と思われる)モノ」を目指すよりも、一定ラインまで達したら実際に使ってもらってフィードバックを得る方が良いと考えます。
フィードバックを元に、「更に良いモノにするには?」を考えて、仮説を立て、実行していく流れです。
「自分が良いと思うモノを作り込む」のではなく、「利用者と一緒に良いモノに育てていく」 イメージが近いです。
「良いモノに育てていく」ためにはどうすればいいのか?
やり方は複数あると考えています。
さらに言えば、プロジェクトの特性によってもやり方は変わってくると考えています。
とはいえ例を一つあげてみたいと思います。
私は現在、SREやDevOpsをテーマに開発組織を支援するミッションを担当しています。
SREという文脈では「オブザーバビリティ」という言葉もあり、我々の現在のチームではOODAループで「良いモノに育てていく」方法が一番あっているのではないか?と考えていたりします。
OODAループ(ウーダループ)とは
ジョン・ボイドという方が提唱した、「Observe(観察)」「Orient(状況判断)」「Decide(意思決定)」「Act(行動)」というプロセスを循環させていく考え方です。
最低限のモノを作ってリリースをした上で、
- 利用状況や使われ方、ポジティブ反応・ネガティブ反応を観察し
- 観察結果から課題や過剰なモノは何かを判断し
- 改善点を考え改善方法を意思決定し
- 実際に対応を行って、改善版をリリースする
というプロセスを繰り返していくことで、「自己満足とも言える思い込みによって考え抜いた良いモノを作る」なんて傲慢な状況を回避し、使う人とともに良いモノを育てていくことができればよいな〜と考えています。
まとめ
「良いモノを作る」それ自体は間違っていないと思いますし、私自身も目指し続けたい、挑戦し続けたいと思っています。
ただ、自分の作るモノ・作りたいモノが 「本当に良いモノなのか?」 と冷静に自分に問い続け、 「自分の考える良いモノは使う人にとっても良いモノのはずだ!」 と傲慢にならず、本来不要なとらわれにならないように気をつけていきたいと考えています。