世の中には終わらない論争がある。それらは「宗教論争」と比喩される。プログラマに馴染深いのはエディタ戦争だろう。
エディタ戦争(Editor War)とは、プログラミングを行う人々(特にハッカー文化に属する人々)の間で続いている、どのテキストエディタが一番よいかというテーマの論争を指す。その中でも二大陣営といえるのは、vi愛好派とEmacs愛好派である。
この記事では、実は日常で散見される宗教論争への付き合い方を考察する。忘れないでいただきたいのは、この記事も宗教論争となりえることである。
この記事で一番言いたいこと
- 宗教論争の仕組みを理解し、すばやく認識し、極力避ける(終わらせる)ことで時間を節約しよう
宗教論争は何故起きるのか
論争はステークホルダの正解
に齟齬がある場合に、それを統一するためのプロセスである。
正解
を統一する(認識を合わせる)ことは非常に重要なプロセスなので論争自体は大切なプロセスである。しかし、一部の宗教論争と呼ばれる終わらない論争に関しては、付き合い方を考えた方が良い。
なかなか終わらない理由は
各自の正解(条件・要件・制約)をなかなか曲げられない
からだと思う。
例えばグループでレストランに行った時に、
- たばこを絶対吸いたいから喫煙席にしたい人
- たばこの煙を絶対吸いたくないから禁煙席にしたい人
がいたら、席は決まらないだろう。宗教論争の本質的な原因は上記のようなそれぞれの正解
(条件・要件・制約)が曲げられないことに由来するのではないだろうか。
宗教論争かを見極める
宗教論争かを見極めるためには、上記の構造になっていないかを検討してみれば良い。食い違っている正解
は何かを明確にして、その正解
をそれぞれが曲げられない感じだったら、それは宗教論争だ。
しかし、実践は難しい。例えば先ほどの席を決める例で言えば、禁煙・喫煙の論点に着目して宗教論争かどうかを見極められるが、実際には下記のように論争は始まる。
- 席Aは日当たりもいいし、ドリンクバーも近いし、喫煙できるし、トイレも近い
- 席Bは個室だし、禁煙だし、景色がいい
多くの論点の中で、各自が曲げられない正解
が異なっている論点を見極めることが求められる。これができず、宗教論争と気づかずに議論を続けることがよくある。
宗教論争は避ける(終わらせる)
それぞれの答えを持つことは悪いことではないし、当たり前のことだ。その上で認識を統一しようとしているのだから宗教論争は必ず発生する。発生した際には、宗教論争であることを認識し、いつもの論争とは異なるアプローチで付き合うことが必要だと思う。このアプローチには例えば以下のようなものがあげられるだろう。
受け入れる
- 相手の
正解
を無理やり自分の正解
にする - 受け入れること・論争を続けることによるメリデリの整理は必要
- 場合によるが、私の経験上では受け入れて終わりにした方が時間を節約し、有効活用できたことが多い
受け入れてもらう
- ステークホルダ全員に宗教論争であることを認識をさせ、
正解
を統一するためのルールを決める - ルールは色々で、多数決でも、偉い人の
正解
で統一でもいい
まとめ
- 世の中には終わらない論争(宗教論争と比喩される)がある
- 宗教論争の構造を理解する
- 論争が宗教論争かを見極める
- 宗教論争は避けて(終わらせて)、時間を節約しよう