今回は "Significant-Loophole-Free Test of Bell’s Theorem with Entangled Photons" [1] を読んでみました。
1. 概要
- 2022年ノーベル物理学賞の受賞理由に関わる主要な論文の一つ
- ミクロな世界の物理で局所実在性が成り立つならば満たされる「Bellの不等式」が破れているか検証を行った
- 過去の実験で存在していた抜け穴を全て塞いだ集大成的な位置付けの実験
2. Bellの不等式とは?
Bellは1964年の論文[2]で、量子論に局所実在性があると仮定すると成り立つ不等式が、量子論では破れる可能性を理論的に示しました。Bellの不等式の破れを実験で確認できれば、量子論では局所実在性が成り立たないことになります。Bellの不等式には、Clauser–Horne–Shimony–Holt(CHSH)型やEberhard型など複数の型が提案されています。今回の論文では、CH-Eberhard型の不等式[3]を用いて実験が行われました。
CH-Eberhard型の不等式
まず光子のペアを放出する光源を考えます。ペアの片方の光子の偏光を、Aliceが角度$a_1$または$a_2$の検出器で測定します。ペアの他方の光子の偏光を、Bobが角度$b_1$または$b_2$の検出器で測定します。測定の結果、AliceとBobは$A, B \in \{+, -, 0\}$のいずれかを得ます。$+$は偏光子の1次ビームで検出されたことを、$-$は偏光子の2次ビームで検出されたことを、$0$は光子が検出されなかったことを表します(AliceとBobはそれぞれ1次ビーム用の検出器と2次ビーム用の検出器を持っています)。
検出器の角度パターン$a_ib_j$($i,j \in {1,2}$)に対して、$N$個の光子ペアが放出されるとし、光子ペアの検出数を$n_{AB}(a_i b_j)$と表記します。つまり、検出器のある角度パターン$a_ib_j$に対して
$$
\sum_{A,B \in {+,-,0}}n_{AB}(a_i b_j) = N,
$$
となります。$AB = 00$も含まれていることに注意してください。
次に、隠れた変数理論[4]では相互排他的な測定は同時に実行できること、光子の測定結果は遠く離れた検出器の設定に依存しないこと(局所性の仮定)、検出器の設定は自由あるいはランダムに決まること(自由選択の仮定)から、検出数の特定パターンの期待値に対するEberhard型の不等式が得られます[5]:
$$
n_{++}(a_1 b_1) - n_{+-}(a_1 b_2) - n_{+0}(a_1 b_2) - n_{-+}(a_2 b_1) - n_{0+}(a_2 b_1) - n_{++}(a_2 b_2) \leq 0.
$$
上記の不等式は、検出器の各パターン($a_ib_j$)に対して、同数($N$個)の光子ペアが検出されることを想定したものです。しかし、実験では検出器の各パターンで光子ペアの数は異なるものと考えられます。そこで条件付き確率$p_{AB}(a_i b_j)$を導入して、Eberhard型の不等式を修正します:
$$
p_{++}(a_1 b_1) - p_{+-}(a_1 b_2) - p_{+0}(a_1 b_2) - p_{-+}(a_2 b_1) - p_{0+}(a_2 b_1) - p_{++}(a_2 b_2) \leq 0.
$$
さらに偏光子の2次ビームを遮断したとすると$-$は$0$となります(AliceとBobが持つ検出器は1次ビーム用だけとなります)。このとき、条件付き確率に対するEberhard型の不等式から、CH-Eberhard型の不等式が得られます:
$$
J \equiv p_{++}(a_1 b_1) - p_{+0}(a_1 b_2) - p_{0+}(a_2 b_1) - p_{++}(a_2 b_2) \leq 0.
$$
CH-Eberhard型の不等式の特徴として、後述する公正サンプリングを仮定していないことが挙げられます。また、CH-Eberhard型の不等式の破れを検証するために必要な光子ペアの検出効率は、光子ペアが最大限にエンタングルしている状態で82.8%、下限値は(光子ペアが最大限にエンタングルしていない状態で)66.6%となります[6]。
3. 抜け穴と対策
過去の様々な実験でBellの不等式が破れるという報告がされてきた一方で、局所実在性が生き残りうる"逃げ道"(「抜け穴」)が指摘されてきました。それらの抜け穴について以下にまとめます。本論文は、これらの抜け穴について対策を施して実験を行った、というものになります。
(※ 論文[1] より抜粋)
局所性の抜け穴(Locality loophole)
「片側の測定の設定や結果が(光速以下の通信で)相手側に伝わり、そちらの測定結果に影響を及ぼしてしまうかもしれない」という問題です。これを防ぐには、測定の設定や実施を、相手に情報が届くより速く、かつ十分離れた場所で行う必要があります。
本論文の実験では、一方の検出器の設定と他方の検出器での測定実施が、相対論的に空間的(space-like)に分離されるよう設計し、光速であっても相手側の測定や設定を知ることができない構成を取りました(図の赤線)。これにより、一方の測定結果が他方によって左右されないことを保証しています。
自由選択の抜け穴(Freedom-of-Choice Loophole)
Bellによって定式化された「測定設定が自由あるいはランダムに決まる」という条件が守られず、測定設定があらかじめ粒子の性質と結びついているかもしれないという問題です。たとえば、測定設定を選ぶタイミングや乱数の作り方が、隠れた変数によって制御されている可能性があると、局所実在的な説明の余地が残ってしまいます。
そこで本論文の実験では、隠れた変数は測定対象となる光子とともに生成されるという仮定の下、光子が生成された後に独立にランダムな測定設定を決め、その設定と粒子生成の間に光速通信でも影響を及ぼせないよう相対論的に空間的に離すことで、この抜け道を塞ぎました(図の青線)。
公正サンプリングの抜け穴(Fair-Sampling Loophole / Detection Loophole)
検出器が一部の粒子だけを捉えていて、部分集合がBellの不等式を破るように見えても、実は全体としては破っていないかもしれない、という問題です。検出器の効率が低いと、その"都合のいい"粒子だけを測定してしまうリスクがあるというものです。これに対抗するには、高効率の検出器を使ってほとんどの粒子を漏れなく捉えるか、最初から「公正サンプリング」を仮定しないBellの不等式を利用し、抜け道を閉じます。
本論文では、公正サンプリングの仮定に依存しないCH-Eberhard型の不等式を使用することで、この抜け穴を回避しています。
4. 実験結果
実験の結果、$J=7.27×10^{-6}$ が得られており、Bellの不等式(CH-Eberhard型)は破れていると報告されています。局所実在性の仮定のもとで、上記の測定値となる確率(p 値)は $3.74×10^{−31}$ 未満であるという計算結果になります。
著者らは、本実験が「局所実在性が成立しないという見解を裏付ける、これまでで最も強力な証拠を示すものとなった」としており、「局所実在的な説明の可能性は非常に特異な仮説に限られることになった」と結論付けています。
5. 参考文献
[1] https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.115.250401
[2] https://cds.cern.ch/record/111654/files/vol1p195-200_001.pdf
[3] https://arxiv.org/abs/1411.4787
[4] https://ja.wikipedia.org/wiki/隠れた変数理論
[5] https://journals.aps.org/pra/abstract/10.1103/PhysRevA.47.R747
[6] https://arxiv.org/abs/1607.04177