これも優秀な技術者を追い出してしまった事例だ。
ある企業の技術宣伝のページの事例
ある企業のwebページには、その企業で開発された技術の紹介がされている。この技術は日本政府の賞(省庁レベル)を受賞している。
その開発がなされて20年以上経過しているが、いまなお需要が拡大している技術である。
黒子の技術として、あなたがお使いの製品の中に使われているかもしれない。
その技術は、ある一人の技術者の着想とそれを実現する執念とがもたらしたものらしい。
国の研究開発制度を利用して画期的な成果をあげた事例です。
(国の研究開発制度を利用したからといって画期的な成果を上げることは簡単なことではありません。)
その技術の価値は、今もその企業に利益をもたらし続けている。
だから、開発者の実名をあげてwebページ上に記事を掲載している。
ただ、その人は「△△大学招聘教授」の肩書で書かれている。
(その製品の技術分野を明確に書くと、個人を特定してしまうことになります。そのため、とてもぼやけた書き方をしています。)
ある特許関係の仕事をされている人は、その開発に感動したということを個人のブログで書かれています。
そのような優秀な方なのですが、その企業のwebページに記事が書かれた時点では、既にその会社を退職されています。
成果を上げた社員を手放してしまっている(追い出してしまっている)有名な事例
優秀な技術を立ち上げた後に、その技術者を手放してしまっている、あるいは追い出してしまっている事例は、他にも有名な例があります。
1つは、青色発光ダイオード(中村修二氏)、
さらに1つは、フラッシュメモリ(舛岡富士雄氏)。
どちらも、世界的な業績を事業として成立させた成果を企業での在籍中に成し遂げた人です。
にもかかわらす、その成し遂げた成果に対してみう合うべき待遇がなされなかったばかりか、
ある場合には、企業内の研究者として生きる道を絶たれています。
共通して言えそうなことは、
「優れた結果を出した研究者をその時点で優秀だと企業は判断できない」こと
もしくは、
**「優れた研究者に対して、並の研究者以上に追い出してしまう何かがあるのかもしれない」**と思い始めている。
どちらの事例でも、企業はその開発成果を元に今も利益をあげているので、前者はありえない。
仮説:優れた研究者に対して、並の研究者以上に追い出してしまう何かがあるのかもしれない」
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企業は改良は評価できるが、改良でない本質的な新しさをもつ技術を評価できない。
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開発に期間がかかる成果を上げたときの評価が、本人の待遇に反映するのが短期間すぎる。
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企業の内部でその技術の良さがわかってきたときには、その本人の待遇に反映する仕組みはなくなっている。
- 3年前の開発が利益をもたらすようになっても、その時点で「成果主義」に反映されることもない。
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技術に関心がない人が技術者を評価している。
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世の中で評価が確定するまで、その凄さを評価できない。
- 田中耕一 氏に対する評価は、ノーベル賞の受賞がなければ、知る人は知っている優れた技術者という扱いのままだったことだろう。
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生きている技術開発の評価は、被引用数・事業への利益の貢献度という過去の技術となった時点での評価, 今の時点で判断できることで、判断しなくてはならない。
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技術を実現するために、会社の中でいろんなものを引き出すために調整を求め続ける人を、わがままな人・協調性のない人のように短絡的にみなしてしまう人がいるのかもしれない。
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上位の評価者は、上位の評価者が得意だと思っていることに対して、「成果主義上の価値」を置く。
自分が得意でないことに対しては価値を置かないのかもしれない。
だから、誰にでもできるような内容ではないことを実現させた能力は、成果主義上の評価項目には入らないだろう。 -
自分の近くにいる人が、とてつもなく優秀な人だという人は気づくことができないのかもしれない。
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不適切なやり方をしている人にとって、適切なやり方をしている人は目障りなのかもしれない。
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これから起こる変化に気づいていて、「次は必ずこうなるよ」と言って技術の変化を伝え続ける人でも、その時点で周辺が気づいてくれることは少ない。5年後にそうなって、「君が言ってたとおりになったね」と言ってくれることがあればいいほうだろう。
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人事は入社後一貫して人事を担当する人が多く、社員の技術水準や技術的な資質についてまったく評価できない場合が増えている。
- 技術系社員に対して必要な資質は、営業系社員や、総務・人事系社員とも違うだろう。それなのに、技術系社員とはどういう資質が必要なのかをまったく判断できない人と、直属の上司だけの評価によるから、間違えた判断はいくらでも出てくる。
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そのため、被評価者の1つ上、2つ上の技術マネジャーの個人的な判断がすべてを決定する。
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技術マネージャーは、自分だけが唯一の判断者として存在することを望む。そのため、イエスマンもしくは、「自分と近い判断をする人」を手元に置きたがってしまう。自分と異なる判断をする人を排除する側にまわってしまう。
- もちろん、そうじゃない人もいるが、圧倒的に多くの人は、自分と同じ判断をする人を優秀な人とみなしやすいバイアスがかかった判断をしてしまう。
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技術的な誠実な生き方は、忖度という流儀と真っ向から相容れない。
- そのため、技術的に誠実な生き方をする人ほど、人事流の評価では低評価となる。
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営業気質・体育会系の気質を善とする流儀では、できる根拠のないことでも「やります。がんばります。」と言って上司に合わせるのが、可愛がられる。
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できる根拠が確保できないことに対して「それできそうにないですよ。」などという技術系社員は、やる気のない社員と写るのだろう。
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先取りした技術は、社内の保有技術調査の対象にならない。
- 数年後にそれが主流の技術になっても、その先取りした技術の普及のために活動したことは顧みられることはない。
このように、優秀な技術者を追い出してしまいやすい何かが、日本の企業文化の中にあるのかもしれない。
引用 残念な東芝で「フラッシュメモリーの父」は活かされなかった
結果を出した人を活用せずに、仕事をさせないような人事ローテーションって東芝のサラリーマン体質というものですかね。もともと僕は、自分が信じたことばかりやって、上司の言うことは聞かない質だったので、辞めた時に会社は喜んでいたよ(笑)。これ本当です。研究を続けさせてくれたなら東芝に残りたかった。大学の研究環境は良いとは言えなかったけど、企業からお金をもらえて自分の研究を続けられたのでハッピーです。
引用なぜ東芝は、利益の9割を稼ぐNANDメモリ開発者を辱めて追放したのか?
舛岡氏は、擁護者であった武石氏が91年に63歳で急逝された後、93年に「部下もなく予算もつかない技監」に昇進させられ、R&Dができなくなった。
筆者がコンサルをして十数社を見た経験から言えば、第三、第四の“舛岡氏”や“中村氏”が存在する会社が少なからずある。そして、そのような人物は、その会社への貢献に見合うポストにもついていないし、報酬も得ていない。それどころか“出る杭”として叩かれ、足を引っ張られ、冷や飯を食わされているケースが多い。
[10を100にする」仕事ももちろん必要だ。しかし、それは、「0を1にする」発明があって、初めて成立する仕事である。これはまったく質の異なる仕事である。日本では不幸にして「0を1にする」仕事をした技術者が評価されない。これは多くの日本の会社が、可及的速やかに改めなければならない決定的に重要なことである。
追記:
- 物事が伝わるためには、共通の関心を持ち合わせている前提が必要とされる。
- 相手がほしいものがすぐ儲かるものが欲しい場合には、いずれ儲かるかもしれないものに興味をおぼえない。
- 物事を判断するための時定数が、一方と他方で違う場合には伝わならない。