こんにちは。
株式会社クラスアクト インフラストラクチャ事業部の大塚です。
Qiita Engineer Festa 2024が始まりましたね!(今更感)
大きなイベントが始まり、せっかくなので(?)数年前に別媒体で書いていた「資格取得をするたった1つのワケ」的なポエミー的なものをつらつらと書いていこうと思います。
※私個人としては資格取得推奨派ですが、取らなくていいという意見も理解しているつもりです。
また、それなりにガバガバ理論であるかと思います。論理的矛盾も孕んでいるでしょう。あくまで個人的見解として読んで頂けますと幸いです。
本題
資格を取得するワケ
当たり前だと思われるかもしれませんが【経験を積むための土台を作り、拡張する為】であると私は考えます。
人間が成長をしていくために必要なことは大雑把に考えて2つあると思っています。
資格を取るというのは1をすることとなり、将来的に2を達成するために必要な過程であると考えています。(故に資格ばかり取ってばかりでもだめです。)
- 土台を広げていくこと
- 土台の上に経験を積み上げていくこと
資格を取得していくこと、資格のみならず書籍を読んだりWeb記事を読んだりするというインプット的なものは土台を拡張していくことに関わるものだと私は考えています。
一方、仕事をして何かを経験すること、そこから学ぶこと。その経験を活かしていくこと、伝えることというのは拡張した土台の上に積み上げていくものだと私は考えております。Qiitaや他の媒体でのアウトプットも積み上げになるでしょう。
土台と経験のイメージ
イメージとしては以下のようになるでしょうか?
下にあるグレーの板的なやつが土台。その上にあるカラフルな箱たちが経験だと思って頂ければと思います。
カラフルにしているは、例えば構築の経験ですとか、運用の経験ですとか。部下に何かを教える経験とかベンダとやり取りをする経験、悩んだことやそれを乗り越えた経験等多種多様にあると思うので、そういった意味合いでカラフルにしています。
土台が小さいとどうなるか
土台が小さい場合、経験したことを積み上げられない可能性が高くなると考えます。
例えば「ある仕事を任された。周りの協力もあって無事完遂させることが出来たが、そこから何を学んだかを振り返ってみると、いまいちピンとこない。上手く言語化できず相手に伝えることが出来ない」のようなパターンがそれに当てはまると私は考えます。
以下のような土台の小さいイメージを想像してみます。少ししか経験を積み上げていませんが、現状でキッツキツですね。緑や赤の経験は土台から既に少しはみ出てしまっています。
人間は自分が学んだり、経験したことからしか、行動したり発言したりすることは出来ません。経験を積んできたと思っているが、上手く表現できないというのは(その準備をしていないという原因もあると思いますが)積み上げたと思っていて実は零れ落ちちゃっている、掴み損ねているということになるのかなと思います。非常に勿体ない・・・っ!
土台が大きいとどうなるか
土台がある程度の大きさになっているのであれば、多少乱雑でも経験を積んでいけるようになります。土台が小さい時と比較して、経験をモノにできる可能性が高まります。零れ落ちる可能性を下げることが出来ます。
また、乱雑でも経験を積んでおけるということは「後から乱雑に積んでいたものを整理することもできる」ということでもあります。この整理をはさむことで自分の考えを言語化し、相手に伝えられるようになり、あるいはイメージに落とし込むことが出来るようになるでしょう。土台を広くしておくことは巡り巡って、効率よく経験を積み上げることにつながるわけです。
また「チャンスは準備してきたものにしか与えられない。準備をしていないものはチャンスに気が付くことすらできない」と言ったりしますが、チャンスという「経験に成り得るもの」を自分の土台に置くことが出来ないからチャンスを逃すのではないでしょうか。自分の土台に置くことが出来ないから、その準備をしていないから逃してしまうのではないでしょうか・・・
※偉そうに書いてますが、私はまだまだだと思っています。
どうやって土台を拡張していくか
改めてではありますが、資格を取ることや話題の本を読むこと、人の話を聞いて考えを学ぶことで土台を拡張できます。ここで資格の取得を推奨しているのは、体系的に学ぶことが出来るので、その分土台を拡張させやすいためです。
興味の赴くまま本を読んでみたり、人の話を聞いて学ぶことでも土台を広げることが出来ることは再三記載しておりますが体系的ではないことが多いでしょう。体系的ではない為「これは自分が既に持っている土台のどこと結びつくのかわからない」という疑問が生じやすく、既に持っている自分の土台と新しく得た土台(≒知識)をマージさせることに時間がかかってしまいます。
これはITであれば尚更であると思います。ITの知識範囲は膨大で、かつ抽象的であり難解さが増してきています。例えば仮想化やクラウド、コンテナ、AI等の技術の台頭でその流れはより顕著であるかなと。
体系的に学んでいない場合、それぞれがどう結びつくのか判断材料が無いまま繋ぎ込んでいく必要があります。例えば地が真っ白のパズルを完成させるかのような、そのような力が求められることとなるでしょう。至難の業であるかと思います。
例えば基本情報技術者試験のような資格を持っていればITの世界を広く浅く知ることが出来、その土台を手に出来ます。そこからさらに「サーバのことを学びたい!」と思いLinuCを取得したとします。この場合、基本情報で得た「サーバ的な部分」に対してLinuCで得た「サーバのコマンド的な部分」を繋ぎ込めば良いんじゃないかとアタリを付けることが可能です。
資格を取らなくて良い人もいる
今まで色々書いてきましたが、これらに当てはまらない人もいます。
それはズバリ、バラバラのピースを上手く当てはめることが出来る人達です。
この上手く当てはめることが出来る能力は、生まれもっての頭の良さ、あるいは長年の経験によって後天的に身に付けたものであると考えます。
私がIT業界に入り「この人私より歴が浅いのに頭良すぎるな…すぐに吸収できる…」と思ったことが何度もありましましたが、その方はこのピースを当てはめ、土台を作るのが非常に上手い方であると考えています。
あるいは資格や勉強を毛嫌いしているが非常に優秀な経験を10年20年と積んできた方々は、長年の経験によりピースを当てはめる技術を徐々に身につけてきて、その身に着けた技術を使い積み上げられる範囲を拡張してきたのかなと。
このような人もいるからこそ、永遠に【資格必要派閥】vs【資格不要派閥】の戦いが無くならないのかなと思っています。